すてっぷ・じゃんぷ日記

2021年4月の記事一覧

機能的コミュニケーションの手がかり

Bちゃんの今日のスケジュールは公園遊びなので、車いすに乗ってお出かけです。ところがBちゃん車いすに頑として乗ろうとしません。玄関前で職員と一緒に座り込んでしまい、ベテラン職員にヘルプが出されました。別の職員が車いすを事業所内に入れようとすると、それをみてBちゃんも立ち上がって部屋の中に入ろうとしました。「今日はお部屋で遊びたいのかな」ということで公園行きは中止にしました。

このエピソードからBちゃん目線で考えたいと思います。「今日は外に行きたくないな」「でも車いすに乗ってしまうと連れて行かれるな」「以前床に座りこめば要求が実現したし今日もそうしよう」とBちゃんが思ったかどうかはわからないですが、内容的にはこういうことだと思います。そして、「お、車いすを室内に持っていくのか、それなら一緒に行くよ」となります。

拒否できることは大事ですが、Bちゃんとやりとりする交渉の余地がないと困ります。座り込むことですべてが伝わるわけでもありません。周囲も「またか」という慣れになりそれ以上の発展が見込めません。体の力が強くなることは意思が表現できることでもあります。でも、物理的な拒否だけでは、それを強化する方向(激しく拒否する)か諦めるかの2方向にしか展開はありません。

機能的コミュニケーションを身に着けるには、Bちゃんの場合どうすればいいでしょう。絵カードでなくてもいいのです。具体物でもいいのです。ベテランの職員が車いすで方向を示したように、その手掛かりを探すのも療育です。日常動作なら「言葉がわかる」と言われる方がいます。そう思うのは自由ですが、それが絵や具体物などを使う代替コミュニケーションを遠ざける理由にはなりません。大事なのは座り込まなくても楽に伝えることができる表出のコミュニケーションです。

 

送迎車カウンセリング

前回は、お迎えの車の写真の活用で、低学年児や日程で混乱しやすい利用者に下校先の見通しが持てるようにと書きました。そうすることで、お迎えの場面を視覚支援で見通しを持たせる療育ができるということです。放デイの療育はお迎えからもう始まっていると考えています。

また、通常学校の利用者の送迎の時間は利用者のカウンセリングに使えます。すてっぷでは大きな送迎車で近隣の小学校を回ってくるのではなく、基本は一人づつピックアップして事業所まで利用者の送迎をします。乗車時間は10分程度ですが、子どもと様々な話をします。

学校や家の話、好きなアニメや嫌いな友達の話を職員から切り出すこともありますが基本は子どもに話してもらうようにしています。運転中ですから基本「うん うん」と聞くことになり、子どもはいろいろと話すと言う仕組みです。話が聞いてもらえるとわかると、テレビやビデオを流せと言う子どもはいなくなります。

大人に毎日10分話をじっくり聞いてもらえる場は、ありそうでありません。今日はA君に家庭の話を振ったところ「個人情報なので個別的な情報は応えられない」と言います。以前は明け透けに話していたので、成長したなぁと感じて「そうですか。では差しさわりのないお話でどうぞ」と聞くと怒涛のアニメ話が始まりました。10分で良かったぁ。

下校の切り替え

Z君が下校時のプラットホームで泣いて泣いて動かないという報告がありました。スクールバスに乗ったり、あちこちの放デイに行ったり、お母さんが迎えに来たり、訳が分かりませんというのが1年生あるあるです。泣くと言うのはスクールバスに乗ると言うつもりがあったからです。正しいつもり(見通し)が持てるように工夫をすることができるということです。

これを解決するのは視覚支援です。バスの写真カードを教室で渡されたときはスクールバスに乗り、放デイの送迎車の写真カードを渡されたら送迎車に乗るという経験を3週間続ければ、まず見通しはできるのでつもりはできます。視覚支援がないといつまでも混乱することになります。学校の先生方視覚支援をよろしくお願いします。放デイは送迎車の写真カードを提供します。

でも、スクールバスの行先は家でお母さんが待っています。ゆったり好きなことができます。放デイはこれに勝る魅力をまだ持っていません。知らない人は多いし、思いは伝わらないし、居場所も定まらないし、だめだめです。当面は好きな玩具やおやつを用意して、必要なら送迎車に好きなものを積んでお迎えに行きたいと思います。

 エスクァイア

ボタンキラキラBOX1号機

クリスマスを超えバレンタインを過ぎ、ひな祭りも過ぎて四か月越しでLED(light emitting diode=発光ダイオード)イルミネーションで、スヌーズレンBOXを作りました。段ボールの中にLEDイルミネーションを貼り付けて、調光器のボタンを押すと光り方が変わるというものです。

前回はYさんのスイッチ理解のためにボタンを押せばわんこが動く<ボタンわんこ2号機 : 03/18>「静から動」のスイッチでしたが、変化の因果関係が理解されず却下でした。そこで、とにかくまずキラキラと視覚刺激で引き付けてボタンを叩けば別の変化が起こる「動から動」あるいは、ボタンで切れる「動から静」のスイッチを試そうとしています。

ただ、Yさんは机上に物があると跳ね飛ばすのでボタンを板に固定する必要があります。でも、みんなでキラキラスヌーズレンが楽しめればそれでいいし、壊れてもLEDは600円程度ですから気にせず使えばいいと思います。ボタンはスイッチ感がいまいち硬いのと、調光器に合わせた離せば戻るモーメンタリスイッチではなくオンオフ切り替えのオルタネイトスイッチなので切り替えるには2回押す必要があります。このスイッチは使いにくいですから、おまけ程度に考えています。なかなか安くて丈夫で大きくて使いやすいモーメンタリスイッチが見つかりません。

宿題の質と宿題時間

3時過ぎに事業所についたXさんが宿題を終了したのは、4時間半頃で、延長のないほとんどの利用者は帰る時間でした。内容は小学校低学年の漢字と計算ドリルでした。「がんばったね。でも遊べなかったね。みんなが帰ってからもXさんは1時間以上時間があるから、そこで宿題やろうね」と話しました。高学年以降の子どもが帰宅後1時間以上学習するのは当たり前ですが、それは、二桁の繰上りや低学年の漢字に費やす時間ではありません。もしも、該当学年の内容で該当学年より時間がかかるなら、内容が本人の課題と一致していないと考えるべきです。低学年の内容なら半時間程度で終わるのが普通です。

確かに、保護者は宿題を出してくれれば安心をします。子どもが机に向かってくれる姿は保護者としては嬉しい姿です。逆に、子どもが机に向かわないと宿題を出してほしいと担任に要求するのが普通です。ただ、問題はその内容が本当に子どもの力になるのかどうかは、担任に信託されているのです。低学年の課題を高学年になって低学年児の何倍も時間をかけてできたからと言って学力が学年相当につくわけではありません。もっと別の学習に時間をかけたほうが良い場合もあります。それを見抜くのが特別支援教育の教師のスキルだと思います。プリント学習の内容が子どもの特性に合ってない場合は、やってもやっても、追い付かない自分の存在を確認するだけの時間となります。

調子がいい理由

「今日のW君は調子がよかったです。スムースに自立課題に取り組め終わったら欲しいものを要求していました」と職員の報告がありました。「なんでスムースだったのですか?」と聞くと「さぁ?」という反応でした。不適切な行動が起こった際は、あれこれ原因を考えて報告するのですが、うまくいった時は理由は考えません。もちろんずっと適切な行動がとれる子どもの場合は考える必要はないのですが、不適切行動のある子どもの場合は、適切な行動の前後に「支援が成功する秘密」が隠れていると言われます。

結局、W君が何故スムースだったかはわかりませんでした。職員みんな今日は調子がいいなぁと思っただけだったそうです。でも、だれもW君の行動を詳細に覚えていないという事は、あまりW君に注目してなかったということです。大人が声掛けしたりしないで、やるべきことが準備されていれば、以外にW君は分かっているのかもしれないです。

嘘つきゲーム??

カードゲームだけではありませんが、相手を欺いて勝利を得るというゲームがあります。ポーカーなどがそれにあたりますが、自分のカードのポイントが低くても相手には良いカードが来たような顔をして勝負に挑みます。挑戦者は相手の表情や言動が嘘か誠か見抜いて勝負に挑みます。どちらも自分の態度が相手にどう読まれるのかそれを読み取って欺くのが、このゲームの醍醐味でもあるわけです。

ところが、そんな嘘つきのゲームは嫌だとV君たちが言い出しました。「いや、嘘つきと言ってもそれがゲームの面白さなんだし」と言っても、自分が嘘をつくのも許せない気持ちなので楽しくないと言うのです。「隠れ鬼 04/13」でも書きましたが、他者感情を読んだりする遊びはASDの子どもたちは苦手なのでおもしろくないのです。「なら、何がいいですか?」と聞くと「人生ゲーム!」だそうです。確かに他者感情は読まずに偶然性だけで遊べます。なるほど。。。

宿題と電卓と信託

U君が帰り際に電卓計算をしていました。ワーキングメモリーが弱いのと不器用なのでキーボード操作が遅くて20問中10問しか仕上げていませんでした。「これあとどうするの?」「どうしよう。家に帰ったら電卓ないから計算問題できないよ」「すてっぷにいる時間を考えて、通所したら今日の日程を計画したらいいね」「うん、そうする」

こんな話をしていて少しむなしくなりました。新しい担任とはいえ、学校は引継ぎをするものです。U君にとって「字を書く計算する」は最もパワーを使う作業で、他の子はルーティン作業のような軽微な課題も彼にとってはそれだけで疲弊してしまう活動なのです。

学級担任と自営業の塾講師はどこが違うでしょう。塾の人気がなくなり生徒が集まらなければ塾は倒産ですが、学校の生徒は担任を選べません。生徒に指導の結果がでなくても収入が下がることもありません。それは、適切な学校教育をしてくれると国民が信託をしているからです。そこが自営業の塾講師とは違うところです。信頼しています。

手を使う事

Tさんは手が使えますが、職員が全介助でおやつも食べさせています。何故手を使わせようとしないのか聞くと、食べないことがあるからと言います。おやつなのだから本人が嫌なのに食べさせる必要はないと言うと、食べてみたらおいしくていくつも食べることがあると言います。本人が欲しがるなら手を使わせればどうかと聞くと、手が出ないといいます。本人は職員が口に放り込んでくれるものだと思っているからかもしれません。しかし、これでは堂々巡りで、いつまでたっても文字通り手が出せません。

昼食などは栄養価も考える必要があるので全介助で食べさせることが必要な場合もあります。しかし、おやつは好みで食べるものですし、自分の手で食べることを覚える絶好の機会でもあります。「食べさせること」よりも好きなものを「自分の手で」食べることを教えたいのです。そのためには当たり前ですがTさんの反応をよく見ながら食べさせる必要があります。次々に食べる事よりも、「おいいしいな、もうひとつ欲しいな」という反応や「まずい、もういらない」という表情を読み取ります。その読み取りで手でつかむように誘導します。こうして、少しづつ自立を促していくのが療育に求められている役割です。

Tさんが机の上にあるものを手で跳ね飛ばす原因も、こうして考えていくとわかるような気がします。職員は物が落ちるのが面白い、人が騒ぐのが面白いからと言いますが、それもあるのかもしれませんが、行動の初めの原因はもっとシンプルだと思います。いらないものを跳ね飛ばすとしばらくは大人に従わなくてもいいと言う利得ではないかなと思います。もちろん、大人は善意で与えよう・させようとしていますが、機能的コミュニケーションがない本人がどう受け止めたかを考える必要があります。これはABC分析ができると思います。

 

やりなおし??

S君が自立課題を床にぶちまけたので「やりなおし」でぶちまけたパーツを片づけさせて、やり直しをさせたという報告がありました。「それは、私たちが大事にしている『やり直し』ではありません」というとスタッフは「??」でした。S君は何故自立課題をぶちまけたのかを、私たちをおちょくっているからという意見もありましたが、本当かどうかは言葉のないS君からは聞く術が私たちにはありません。

他者をおちょくっていると考えるのは自由ですが、そこから建設的な方向性は見えてきません。せいぜい、そんなことをしてもやるべきことはやってもらうと強権的に振舞うか、いやならやめとくかと不適切な行動を認めてしまうかのどちらかです。私たちがS君に教えなければならないのは、床にパーツをぶちまけなくてもこうすれば伝わるよ交渉できるよという機能的コミュニケーションです。

やり直しと言うのは、ぶちまけたパーツを片づけてやり直すことではありません。やりたくないなら「嫌です」絵カードを示せば、適切に交渉に入れることを教えることです。ぶちまけたものを一緒に片づけるのは場合によっては必要ですが、一番大事なことは行動の修正です。「嫌です」とか「~したい」カードを出すことを教えてでてきたなら、まずは「よく言えたね」と褒めて、交渉に入ります。「この課題をしたら、君のしたいことができます」と課題の次のスケジュールカードにしたいことカードを張りつけて交渉します。これが「やりなおし」行動です。

機能的コミュニケーションの弱い人の不適切な行動は、他者の感情を弄んだりするために起こるものではありません。やり方がわからなかったり、前はできていたけど忘れたりして生じるものです。そして、言い分を受け止めればまず交渉は成立します。その交渉が成立してから、課題を拒んだ理由をゆっくり考えればいいと思います。その多くは課題に飽きているというのが理由です・・・。