みんなちがってみんないい
わいせつ教師のブラックリスト
わいせつ教師のブラックリスト共有化を考える
園田寿 | 甲南大学名誉教授、弁護士
5/21(金)【Yahoo!ニュース】
■はじめに
教師による学校内での児童生徒に対するわいせつ事件があとを絶ちません。優越的立場を背景に、抵抗できない弱い者に対して自己の性的欲望を暴力的に満たすのは、もっとも卑劣な行為だといえます。ところが現行の制度では、処分を受けて教員免許状を剥奪された者が、最短で3年経過すれば再び教職に返り咲くことができるようになっています。性的な不祥事を起こした教員が再び教壇に立つことができないようにするべきだとか、3年という時間はあまりにも短すぎるといった意見がありますが、もっともだと思います。そこで、この点を改善すべく、法律案が検討されています。
法律案は、わいせつ教師のブラックリスト(データベース)を作成し、免許状の再交付にあたって全国の教育委員会、学校法人の採用担当者などが閲覧できるようにするという仕組みを提案しています。私は、この法律案の基本的な方向性に反対するものではありませんが、十分な議論が必要だと思います。本稿では、その議論の端緒を整理してみたいと思います。
なお、2021年5月10日付けで、学校における子どもの人権を考える会(共同代表:佐久間亜紀、慶應義塾大学・教師教育学)による「『教職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律』案についての論点整理」が公にされています。法案の内容については、基本的にこれに依っています。
■現行制度の確認
現行の教員免許法では、(1)懲戒免職、(2)分限免職、(3)その他教員にふさわしくない重度の非行がある場合には、「免許状取上げ」の処分を行い、「当該処分の日から3年を経過しない者」には免許状の再交付を行わないという規定になっています(第5条1項)。
懲戒免職とは、犯罪や重大な非行などを行ったことを理由として解雇される場合で、(「身分保障の限界」という意味の)分限免職は、心身の故障、勤務成績不良や懈怠(けたい)などを理由とした免職で、必ずしも犯罪や非行などを理由としたものではありません。
問題は、このような理由によって免許状が取上げられた者であっても、最短3年が経過すれば申請によって免許状が再交付されうるという制度になっている点です。
実際に、「福岡県で生徒へのわいせつ行為で懲戒免職を受けたことを隠し、虚偽の履歴書を提出して88~2018年に埼玉県で教員として勤務した」といったケースが報告(埼玉新聞2021年3月23日)されていますし、同様のケースは少なくありません。
■法案の内容
今回の法案はとくに以上のような点について、制度を改めることが目的です。そして、目玉となるのがデータベースの構築ですが、それは以下のような内容になっています。
(1)次のような行為を「児童生徒性暴力等」と定義する。
a. 強制性交、わいせつ行為(刑法上の罪)
b. 児童買春のあっせん、児童ポルノ所持、製造、輸入、盗撮による製造等(児童ポルノ禁止法上の罪)。
c. 児童生徒を著しく羞恥させたり、不安をおぼえさせるような態様で、衣服の上から、あるいは直接児童生徒等の身体に触れたり、通常衣服で隠されている下着や身体を撮影し、または撮影目的でカメラ等を向けたり設置したりする行為
d. その他、性的羞恥心を害する言動であって、児童生徒等の心身に有害な影響を与える行為
(2)児童生徒性暴力行為等によって免許状が失効した場合、各教育委員会がその教員の情報を、文科省が一元的に管理するデータベースに迅速に登録し、各教委や学校法人などが採用の参考とする際に閲覧できるようにする。
(3)各教委が第三者委員会の意見を基に、再交付の可否を判断する「裁量権」を認め、その際、教員の更生状況などを勘案する。
端的にいえば、文科省がわいせつ教師のブラックリストを作成管理し、このデータベースを各教育委員会や学校法人が参照して免許状の再交付の可否を決定するというものです。
はたしてこのような制度は、今までの制度に矛盾なく溶け込むのでしょうか。以下、その点を考えたいと思います。
■一般的な問題点
国の基本的な制度からの大きな方向転換になりはしないか
第一の論点は、ブラックリスト共有化という新しい提案が、国の従来からの制度に対する大きな方向転換になりはしないかという点です。
現在の刑罰制度は、根底に応報という考え方(苦痛を与えることによって過去の犯罪行為を清算すること)があり、その枠内で犯罪予防(一般人の犯罪を予防し、受刑者本人の将来の犯罪を予防する)を考えるというものです。そのため、実際の刑罰執行(行刑制度)は、受刑者の再社会化(更生=人生のやり直し)を目的として組み立てられてきました。
その一つに前科抹消制度といわれる制度があります。
これは、刑に処せられて一定の時間が経過すると、刑の言渡しがなかったことになるという制度です。刑の言い渡しを受けて、判決が確定すると市町村役場に置かれている犯罪人名簿に登録されます。しかし、前科は更生の障害となる場合があるため、昭和22年に刑の消滅の規定(刑法34条の2)が設けられ、執行終了または免除後一定期間(禁錮以上は10年、罰金以下は5年、刑の免除は2年)を罰金以上の刑に処せられることなく経過したときに、刑が消滅し(法律上の復権)、前科人名簿からの抹消が認められました。
わいせつ教師のブラックリスト共有化は、この前科抹消の制度と基本的に調和するのでしょうか。ブラックリストからの削除についての規定も、登載期間についての規定もないので、ブラックリストに登録することで、一度過ちを犯した者を刑法の原則を超えて社会から排除するおそれのある制度となる危険性はないのでしょうか。社会制度としてこのような仕組みを設けることは根本的に妥当なのかという点について疑問があります。
本制度は、再び教職に付かせないということだけが狙いなので、他の職業に付くことへの制約にはならない、つまり職業選択の自由を侵すものではないといえるでしょうか。これが次の論点です。
罰則規定がないのは問題
刑法学者としての観点からこの新提案を見た場合、もっとも気になる点は、情報漏洩や悪用についての罰則規定がないことです。
教育委員会や学校法人がブラックリストを閲覧するわけですが、教育委員は公務員ですから、得た情報を漏洩したり悪用した場合は守秘義務違反の罪(最高1年以下の懲役)がありますが、私立学校の採用担当者は私人であって、罰則がありません。私立学校の校長などが、友人の予備校や塾の経営者、さらには一般企業などに情報を漏らすようなケースも想定することが必要でしょう。
ブラックリストには性犯罪歴が登録されているわけですから、もしもこれが漏れたりした場合はたいへんなことになります。本人はもとより、家族や親戚へのダメージは想像以上でしょう。
ブラックリスト共有化が教員免状の再交付を厳格にするだけの制度だから問題はない、といえるのかです。
「児童生徒性暴力等」の概念は明確なのか
ブラックリストに登録されることは、本人にとって重大な制裁的効果があります。登録の前提条件である「児童生徒性暴力等」の概念は、明確なのでしょうか。
この概念の中には、刑法上の性犯罪から、明確に「犯罪行為」として認識されないような行為まで、行為の性質と重さの異なるさまざまな性的行為が含まれています。それらに対する一律的な行政的制裁として免状の取上げがあるわけですが、これにさらにブラックリストへの登録という実質的な制裁処分が課されることになります。その際、なされた行為における侵害性の軽重は問題となっていません。このような仕組みは、近代法の大原則である責任主義(許されるのは責任の重さに応じた制裁)に反する疑いが濃厚です。
また、具体的に当該行為が「児童生徒性暴力等」に該当するとの判断は、だれがどのように行うのかも問題ですし、本人の弁明の機会なども十分に保障されなければなりません。
■では、どうすればよいのか
誤解のないようにいいますが、私も性的な問題を起こした教師がわずか3年で免許状の再取得が可能であるという現状はたいへん問題だと思います。しかし、ブラックリストに登載して排除するという方向性にも疑問があります。
では、どうすればよいのか。
今回の法案では、教育委員会の裁量権を認めることも提案されています。一定の法定要件が具備されれば免許状がオートマティックに再交付されるのではなく、再交付の可否について教育委員会が個別に判断することになります。この提案じたいに異論があるわけではなく、むしろ望ましい制度だと思います。しかし、ブラックリスト方式を前提に考えると、教育委員会が検索して該当者がヒットすれば、それだけで該当者についてさらに実質的個別的な審査が行われる可能性は、特別な事情がない限りきわめて小さいと思われます。
この教育委員会の裁量権を活かすためには、再交付に際して参考とされるデータベースはブラックリスト方式ではなく、ホワイトリスト方式とされるべきです。つまり、まず全教員リストから、懲戒、分限等の処分があれば、その都度ここから該当者を削除していき、いわばホワイトリストを作成する。そして教育委員会が免許状の再交付を審査する際にはこれを参照し、申請者がこれにヒットしなければ、さらにその者について聴聞の機会も保障して個別に実質審査を行う。このような仕組みであれば、法案が目指すものと同じ効果が得られますし、官民の多くの人たちに共有されるデータベースのあり方としても望ましいのではないかと思います。
いずれにせよ、新しい提案について十分に議論されることが必要です。
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性犯罪の再犯率は低くありません。しかも、学校教員や施設職員から子どもが受けるわいせつ事件のほとんどは、行政処分を受け社会的制裁を受けたのだからと起訴されないことも多く、軽微なものと判断されるものは略式起訴程度で終わるものがほとんどで、服役をするほどのものはごく稀です。
犯罪の種類でいえばわいせつ罪は強制も準強制も最高懲役20年と罪が重いのですが、職員が犯す罪は健全育成条例違反の淫行罪がほとんどで懲役2年が最高で、初犯なら執行猶予がつくものがほとんどです。従って前科抹消制度が摘要されれば前科すら消えるのです。
免許制度をわいせつ前科のある人には免許を与えないようにする法案も、憲法の掲げる職業選択の自由を侵すとして断念されました。そこで、行政処分リスト(官報)を調べる証明システムを免許申請や採用時に求める仕組みを文科省が考えたのですが、履歴は今年からと言う情けないシステム(教員の懲戒免職・解雇理由、官報に記載 03/30)なので、日本版DBS(子どもの性被害どう防ぐ?: 01/06) を法律で決めようと言うわけです。英国では2012年にスタートしたそうですが、日本型民主主義(憲法)は時間がかかり過ぎます。
『ドラゴン桜』で説明した東大の「文化」
『ドラゴン桜』で説明した東大の「文化」にOBから疑問の声 学生間の試験対策を「発達障害の学生のため」と紹介?
2021/05/24 【リアルライブ】
日曜劇場『ドラゴン桜』(TBS系)の第5話が23日に放送され、平均視聴率が13.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区、以下同)だったことが各社で報じられている。第4話の14.3%からは0.5ポイントのダウンとなった。
第5話は、専科の生徒との勝負に負けた藤井(鈴鹿央士)は苛立っていた。そんな様子の藤井を案じた理事長の久美子(江口のりこ)は、東大専科と一流大学コースで再度勝負することを桜木(阿部寛)に提案する。そして、東大専科には5人目の生徒がやってきて――というストーリーが描かれた。
※以下、ネタバレ含む。
専科に来た5人目の生徒とは、学年で成績ワースト1位という発達障害の健太(細田佳央太)。桜木は健太のその異様な記憶力に注目し、健太が好きな昆虫研究の英語の論文を渡すことで勉強欲を刺激することに成功していた。
そんな中、水野(長澤まさみ)が話した、発達障害でも東大で勉強できる、ある文化が話題になっている。
「健太は目から入った情報は忘れないものの、一方では聴覚的短期記憶能力が低く、これまで授業についていけなかったとのこと。このことから幼馴染の麻里(志田彩良)から『仮に東大に入れたとしても講義についていけないんじゃ?』と指摘する場面がありました。しかし、水野は『大丈夫。東大には書き起こし文化があるから』といい、当番制で教授の話を書き起こす制度だと説明。『そのぐらい東大に通う発達障害の学生は多いのよ』と話していました」(ドラマライター)
この水野の説明に、視聴者からは「書き起こし文化なんてあるんだ!」「そんな文化あるなんてすごいな」という感心が集まっていたが――。
「しかし、SNSからは東大OBを名乗るユーザーから『ミスリード』を指摘する声が噴出することに。実際、この書き起こし文化は東大法学部の学生の間で自発的に行われているもので、発達障害の学生のためだけではなく、そもそもの目的は試験対策とのこと。ツイッターからは『発達障害を起源に持ってくるのは無理がある』『書き起こしは公式ではないし万能でもない』『学生間の試験対策を発達障害に配慮した文化にするのはちょっと…』という指摘が上がっていました。また、大学側の制度ではなく学生間で行われている文化のため、書き起こしがない授業も多く、語弊があるとの指摘もありました」(同)
ドラマでの説明と現実での乖離に、多くの東大OBが違和感を抱いてしまったようだ。
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前回(ドラゴン桜 05/15)、健太(細田佳央太)のサバン症候群が発揮されると書きましたが、予想通りでした。ドラマは全てが事実ではないのに、あえて疑義を唱える元東大生の『ミスリード』指摘にはステレオタイプの方に少なくない特性を感じます。けれども、東大が発達障害を持つ学生の支援に力を入れていることは事実です。2010年には、発達障害の学生をサポートする専門機関である「コミュニケーション・サポートルーム」を立ち上げています。
開設当時、東京大学学生相談ネットワーク本部は、「東大が多くの発達障害の人を抱えるのは事実」「支援室の開設は発達障害と共に生きる東大としての第一歩」と言っています。また、日本学生支援機構の調査によれば、東大は対人関係スキルを身につけるためのセミナーを全学生に向けて開催しているそうです。今回の件について、東大のコミュニケーション・サポートルームは学生のプライバシー保護のためにノーコメントだそうですが、ノートテイク支援の是非を聞いているだけなのにあえてコメントしないという事は、様々な支援事例があるので安易に触れられないということでしょう。
大事なことは、東大で授業の講義が書き起こされるかどうかの真偽ではなく、普通の学校の授業で視覚的支援が合理的配慮としてなされているのかどうかです。視覚的支援がないから学習に取り組めないし、不適応行動の原因を知能が低いからと誤解しているから、いつまでたっても不適応行動が収まらない、という桜木(阿部寛)の台詞にこのドラマのメッセージがあります。そして、「だけど」と付け加えた桜木(阿部寛)の、「無理やりに学習をさせようとはしなかった担任の行動は、健太(細田佳央太)の学校への安心を形成して、学習への嫌悪感を与えなかった」という台詞内容も支援の本質を感じさせました。
1人1台コンピューター「一見よさそう」の落とし穴
学校1人1台コンピューター「一見よさそう」の落とし穴
科学医療部次長岡崎明子
2021年5月25日 【朝日新聞デジタル】
小学生の娘が、学校から配られたiPadを使うようになってから2カ月がたつ。コンピューターを活用した教育を広げるため、文部科学省が進める「GIGAスクール構想」の一環だ。3月末までに、全国のほとんどの小中学校に1人1台分のパソコンやタブレット端末が配られた。
アップルのスティーブ・ジョブズは家で子どもがiPadを使うのを制限し、読書や会話の時間を大切にしていたという。だから私も、娘が幼い頃からなるべくスマホやiPadを遠ざけてきた。それなのに。
娘は喜々として「今日はヤフーで『三角形』を検索した」などと教えてくれる。国は、この構想は学びを個別最適化し、創造性を育むと言う。でも本当にそんなエビデンス(科学的根拠)があるのだろうか。
学びの質を研究してきた東大名誉教授の佐藤学さんに聞いてみた。「実は、ICT(情報通信技術)教育が学力向上につながるというエビデンスはほとんどないのです」
最も信頼できるのが、国際学習到達度調査(PISA)の調査委員会が2015年にまとめた報告書だという。先進国の集まりであるOECD加盟の29カ国のデータを分析すると、学校でコンピューターの使用が長時間になると、読解力も数学の成績も下がっていたという。衝撃的な内容だ。
PISAの担当者はその理由を二つ挙げる。一つは深い思考を育む先生と子どもの対話がコンピューターによって阻まれる可能性。もう一つは従来の授業スタイルのままコンピューターを入れることの限界だ。
佐藤さんはこれに加え、今のICT教育の現場で使われるソフトの質を挙げる。答えを入力すると即座に○×が表示され、正解なら次に進むといったものも多い。
ここから続き
「刺激と反応の学びは短期記憶にしかなりません。そもそもGIGAスクール構想は20年前のコンピューター教育。協同で探究する学びに改革する必要があります」
世の中には、「一見、よさそう」と思って導入したものの、実は効果がなかったということが結構ある。
今から半世紀前の1976年2月。米国の陸軍基地で1人の新兵が豚インフルエンザで亡くなった。見つかったウイルスは、18年のスペイン風邪と同じH1N1型だった。パンデミック再来を恐れた当時のフォード大統領は、専門家の助言に従い、全国民2億人以上にワクチンを接種するという前代未聞の事業を決断した。
接種は10月から始まり、4千万人以上がワクチンを打った。だがギラン・バレー症候群など多数の副反応が報告され、わずか10週間で事業は中止された。実際のところパンデミックは起きなかった。残ったのは、公衆衛生行政への不信感だけだった。
検証報告書は、貧弱な証拠から組み立てられた理論に、専門家らの過信があったと指摘している。エビデンスがない政策は税金の無駄となるだけでなく、ときに害を与える。
コンピューターに向かう時間が増えることが、子どもたちから深く思考する機会を奪うとしたら。その代償は計り知れない。私は子どもには、物事を多面的にとらえ、自分の意見をしっかり持った大人になってほしい。1人1台を進めるにしても、エビデンスのないまま広げ、貴重な学びの場が「実験台」になるのは勘弁だ。
コンピューターに一切触れるなと言っているわけではない。実はPISAの報告書には、ヒントとなりそうなデータもある。例外的に、オーストラリアではコンピューターを使うほど読解力が上がっていた。
日本のICT教育は、先進国の中では周回遅れだ。だからこそ、効果をあげている他国の例に学べるというメリットがある。ジョブズはこうも語っている。「教育の問題はテクノロジーでは解決できない。これは、政治の問題なのだ」(科学医療部次長 岡崎 明子)
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ICTを使えば学習ができるようになると言うのは正しくないです。当たり前のことですが、学習ができるように作られたICTならば学習ができるようになるのです。例えば、今はやりの講義アプリのスタディーサプリがあります。あれは、優秀な講師が講義をするので学力が平均以上の人にとってはとても役に立ちます。しかし、基礎学力の伴わない人が使っても成績向上は望めません。また、聴覚情報が苦手な人にも向いていません。
下のグラフは2015年のもので、このグラフだけで本当にICTの利用と非利用の格差が出たかどうかはどんなデーターの取り方をしたかどうかわからないので何とも言えません。こういう数字のマジックを使うのはメディアの得意技です。PISAの500を平均とした標準偏差100の5〜6点差は、入試偏差値の平均50・標準偏差10にすれば1ポイント未満の数値です。これをわざわざグラフで大きく切り取って見せているのです。また、日進月歩のICT世界での2015年当時とは一昔前とも言え、適切な学習アプリが開発されているとは言えないからです。少し自信がない記者は、アップルコンピュータのカリスマ、スティーブ・ジョブズを引っ張り出して、自説を補完します。
ICTを使った学習を○×の短期記憶の学習機とレッテルを貼るのも、メディアの得意技です。PISAの報告書によれば、周回遅れのはずの日本はICTを使ってないのに読解力は落ちているのです。このことについては何も触れずに我田引水です。ICT機器を学習に使うメリットは、その人の興味や関心、分かる速度に合わせて自学自習ができる事や、学習したことや気づいたことを簡単に仮想空間で共有できることです。まさに、教室から外に飛び出した授業が展開できる可能性が広がっているという事です。
ICTと学力とは関係がない事ですが、日本のワクチン開発が先進国の中で遅れているのは、政治の責任と言うより、メディアが散々ワクチンの副作用をエビデンスもないまま恐怖を国民に煽ったからです。副作用が恐ろしいぞと特殊例だけをあげて煽れば、誰も国内で売れない商品を開発しようとはしないでしょう。その舌の乾かぬうちに今度は開発が遅れているのは政府の責任だと言うのです。今回のメディアによるICTの教育展開の批判も同じ類の根拠のない無責任な主張ではないかと思います。今大事なのは、ICT機器を利用するためらいではなく、学校や家庭のネットワーク環境を整備してソフト開発にどんどん民間会社を呼び込んで良いソフトを競争して作ることです。
端末持ち帰り調査
<学校ICT時代端末持ち帰り調査>(上)小中学校編岐阜が先行、福井認めず
2021年5月26日 【中日新聞】
小中学生に一人一台ずつ学習端末を配備する国の「GIGA(ギガ)スクール構想」。新型コロナウイルス禍による休校も想定し、文部科学省は学校だけでなく、自宅での学習にも端末を生かしてほしい考えだ。こうした端末の「持ち帰り」にどう対応するか?。中部九県の県庁所在地と政令指定都市の計十市教委に取材した。(北村希、加藤祥子、河原広明)
昨年九月に全児童生徒への配備を済ませ、直後から「持ち帰り」に取り組むのは岐阜市。同市教委担当者は「休校時でも自宅の子どもと学校の先生をつなげる環境をいち早くつくりたかった」と話す。
学校便りの配信など保護者との連絡に用いたり、一部の学校で不登校の児童生徒向けに授業を中継したりするなど積極的に活用している。コロナ禍による昨年の一斉休校では「学びの保障」が課題に。文科省は「一人一台」の配備完了時期を二〇二三年度から二〇年度に前倒し。自宅への持ち帰りも促す。
名古屋と金沢、富山の三市も本年度中の持ち帰りを「認める」と回答。富山市では既に持ち帰りを進めている学校も。名古屋市教委の担当者は「学びの継続性を考えると持ち帰りは必要」と説明する。ただ、配備が慌ただしく進んだこともあり、自治体によっては一部の学校で「持ち帰り」を試行し、効果的な活用法を検討したり、課題を見定めたりする場合も。津市は本年度に全七十校のうち四校で試行。その結果を基に来年度以降の全体の対応を決める。
同市教委の担当者は「地域や学校ごとに状況が異なり、一斉に導入するのは難しい。小一から中三まで学年の幅も広く、どんな課題が出てくるか予想できない」と漏らす。
一方、「コロナによる休校など有事以外は認めない」とするのは福井市。市教委の担当者は「(破損時の)保険や家庭の通信環境の確保などで費用負担が大きい」と説明。「効果も十分検証されておらず、紙を用いた学習を続けながら、周りの状況を注視したい」とした。
通信環境確保に四苦八苦
「持ち帰り」では家庭の通信環境の確保が欠かせない。ネットを活用した調べ学習をしたり、休校時などに学校と家庭をつなぐ「オンライン授業」に取り組んだりするためだ。
GIGAスクール構想で配る端末は、通信回線の契約付きか否かの二種類。十市のうち唯一、「通信契約付き」にした岐阜市では、家庭の通信環境に関係なくネットに接続できる。残り九市の端末は、家庭で通信環境が整っていないとネットに接続できない。
名古屋市と津市、金沢市など五市は通信環境がない家庭に、ネット接続に必要な機器「モバイルルーター」を貸し出して対応する。機器を整えても、ネットにつなぐ通信費を誰が負担するかも各市の悩みどころ。使う頻度にもよるが、一人分は少額でも、全児童生徒分だと額が膨らむからだ。
全ての児童生徒分を市が全額負担する岐阜市や「検討中」の市を除き、各市は家庭負担が基本。その上で、名古屋市や津市などのように生活保護受給世帯などを対象に全額または一部を補助するケースが多い。
補助以外の方法も模索されている。長野市教委の担当者は「通信環境のある学校や公共施設を開放し、家庭の負担を減らす方向で検討したい」、浜松市教委の担当者は「市で負担するのは予算的に厳しく、休校時などに通信環境がない家庭の児童生徒は学校に来てもらう形も検討する」と話している。
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<学校ICT時代端末持ち帰り調査>(下)高校編配備済みの岐阜と福井は可生徒の個人所有方式も
2021年5月27日 【中日新聞】
国の「GIGA(ギガ)スクール構想」の一環で、県立高校でも生徒に学習端末の配備が行われている。中部九県の教育委員会に端末の自宅への持ち帰り状況を聞くと、認めているのは「一人一台」が完了した岐阜県と福井県のみ。そもそも全児童生徒の端末代を国が負担する小中学校と異なり、高校では国の負担は一部にとどまるため、配備状況に差が生まれている。(白井春菜、杉浦正至、福沢英里)
高校生の端末について、国は三クラスに一クラス程度分は配備できるよう負担。新型コロナウイルス関連の交付金なども使って「一人一台」を目指すよう求めている。小中学校で一人一台で学んだ生徒が、高校でも同じ環境で学べるようにするためだ。
交付金も投入して一人一台を達成した岐阜県。大垣市の大垣北高校は公費端末を生徒が家に持ち帰り、手書き入力ができる学習支援アプリで宿題をこなす。以前は宿題に使ったノートを授業開始後に教員が見て回ったり、授業後に集めてチェックして返却したり時間を要した。今では教員が授業前に自分の端末から各生徒の宿題の状況を確認でき、授業時間を有効に使える。
同県教委ICT教育推進室の室長は「コロナ禍や台風による臨時休校など有事への備えにもなる」と強調。推進室職員、ICT担当の教頭と指導主事の計十数人が県立校八十三校を手分けして回り、教員らの活用を後押し。画面のひび割れなどの破損は、故意でない限り県教委加入の保険でカバーする。
福井県も同様に一人一台を達成して持ち帰りを認める。担当者は「家庭学習に使い、休校しても学びの継続性を確保するため」と話す。学校の課題に取り組むなど授業と連動した活用を想定している。
富山県の端末配備は今年の夏ごろに完了する見込み。持ち帰りを認める予定だが、時期は各校が実情に応じて判断する。担当者は「オンライン授業や課題の提出など学校教育に限らず、教育目的なら資格取得に向けた勉強なども認めていく」と述べた。
一人一台の体制になっていない静岡、石川両県は、持ち帰りの方針について「未定」と答えた。
一方、生徒が個人所有の端末を持ち運び、学習に使う「BringYourOwnDevice(BYOD)」方式を採用する県も。大半の生徒が保護者負担で端末を用意し、それが難しい家庭には公費端末を貸し出す。
長野県は二一年度にタブレットかスマートフォンでBYOD方式に。公費で配備した端末は持ち帰りを認める方向で検討中だ。二一年度中に全生徒の三分の一強に国費端末が行き渡る予定の愛知県は現時点で認めていない。ただ、担当者は「端末の紛失や損傷時の補償、弁償の枠組みなど、さまざまな課題が解決できれば二一年度中にも認めたい」と話す。
通信費 多くは自己負担ルール作り課題
家庭の通信環境の確保はどうか。環境が整わない家庭向けに、多くの県でネット接続に必要な機器「モバイルルーター」などを貸し出す用意がある。通信料は県費で負担する岐阜県を除き、多くが自己負担。富山県は「今後の検討」とした。
家庭の状況に応じて、国の「高校生等奨学給付金」を案内する県も。通信料相当として年一万二千円が補助される制度だ。それでも足りない場合、福井県は低所得世帯向けに補助を上乗せしている。
スマホの所有率が高い高校生でも、端末依存やネットトラブルの懸念はある。岐阜県はフィルタリングソフトを入れて、会員制交流サイト(SNS)やゲームサイトにつながらない設定にしている。三重県の担当者は「情報モラルはこれからの社会を生きる世代に必要な基本スキル」と教育の必要性を強調する。
持ち帰り時のルールについて愛知、福井両県は学校の実情に応じて決めてもらう。富山県は、県教委で作ったひな型を各校に周知した上で、ルール作りを各校に委ねる。
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記事を読んでいて、この期に及んでもGIGAスクール構想での各生徒にPC一台配備の意味が理解できてない役人がいることが、明らかになった感じです。これは前回も掲載(「校長がブレーキになってはいけない」 文科相 02/20)しましたが、危惧した通り自治体によって相当違う対応になっています。
特に福井県は福井市教委と、福井県教委で真逆の対応となっているのが驚きです。小中では金がないから家庭に持ち帰らせないとし、高校は県が買い与えてでも家庭学習を推進する対応です。つまり県全体としてGIGAスクール構想をたたき台にしたICT教育の統一的な構想がないので、同じ県下でも方針が違うのでしょう。京都府と京都市も似ていますが、京都市は府と同じくらいの財政権限を持つ政令市ですので比較対象にはなりにくいです。
京都府や地元の自治体は、家庭持ち帰りや家庭の回線環境についてまだ統一的な見解を発表していませんが、この記事にあるような否定的な見解を持つ学校関係者も少なくありません。いったいいつになったら、子どもたちは家庭でルールに沿って自由に端末で学習ができるのでしょう。岐阜県のように持ち帰りを前提にセルラー機器(民間回線接続)を購入している自治体もあるのですから、 ひとえにICT教育担当の役人にかかっていると言っても過言ではないと思います。以下は東京渋谷区の子ども用の持ち帰りルール例です。かなり決まりが多いですが、それでも子どもを信じて持ち帰らせようと言う関係者の気持ちに共感できます。政府の施策なのに住んでるところでこれほど運用に差があっては、公教育の名折れだと思います。
裏面あり画像クリックでPDFが読めます
みんなと違う子だから発達障害?
『みんなと違う子だから発達障害』という考え方はなぜ危険なのか
5/27(木) 12:31【婦人公論】
個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。ディレクターを務める中邑賢龍教授が「みんなと違う子だから治療する、という考え方は危険すぎる」と警告する理由とは?
※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
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◆たくさん届く相談メールを前にして
毎日、さまざまな人から子育てについての相談メールが私のところに届きます。
自分の気に入らないことには感情を剥き出しにして抵抗する子、苦手なことに関して心を閉ざし、貝のようになってしまう子など、少し読んだだけで、見守る家族のご心労がひしひしと伝わってきます。
ここで見方を変えてみましょう。私からすれば、それらの子どもたちは、みな人間らしいとも言えます。親の苦悩を感じつつも、実際、その行動のユニークさや豊かさには、思わず頬が緩むこともしばしば。
しかし、だからといって、現状の学校や社会は必ずしもそんな彼らに優しいわけではなく、「集団に馴染めない=困ったこと」と一元的に捉え、彼らに特別な教育や指導を受けるように求めています。
実際、それが機能する子どももいるでしょう。しかし、その教育や指導に苦しみ、闘う子も少なからず存在します。
なぜ、子どものことをしっかり考えているはずの学校や社会が、結果として彼らにとっての《壁》になってしまうのでしょうか? 以下いくつかの事例を紹介しながら、彼らの行動の本質について考えてみたいと思います。
◆なぜ小学4年生はカーテンの中で授業を受けたがったのか
子どもが大人の常識とかけ離れた行動をとると、ほとんどの親は驚き、「信じられない! 何でこんなことするの! 早くやめなさい!」などと声を荒らげます。その行動の裏に、実は子どもなりの事情があるにもかかわらず、大人はそれを理解しようとする前に、まず声を出してしまう。
たとえば私の知る例として、カーテンの中に入って授業を受けようとする小学校4年生のA君がいました。
先生は「椅子に座って授業を聞きなさい」と怒るのですが、彼はカーテンから出ようとしません。先生が怒れば怒るほど、クラスの子どもたちの目も「勝手なことをする変わった子だ」というものになっていきます。
そこでA君に「なぜ授業中にカーテンに入りたがるの?」とお母さんがたずねたそうです。すると彼は、「カーテンに入っていたら、ノートを取らなくていいから」「そうしたら聞くことに集中できて、授業がよく理解できるようになる」「授業が分かると楽しい」と話したそうです。
◆「ルールを外れたから悪い」を改めよ
いったい、誰がこんな答えを想像したでしょうか? 子どもが机から離れてカーテンに入っている、と聞けば「授業を受けずにサボっている」と感じる親がほとんどでしょう。だからこそ、「椅子に座って授業を受けなさい」とたしなめると思います。
しかしA君の場合は、自分に一番合った学び方を自分で発見していたのです。
背景を知れば、カーテンに入ることは批判される行為ではなく、褒められるべき行為だったと私は思います。しかし日本の多くの学校においては、「授業は椅子に座って正しい姿勢で受ける」というルールが存在します。
つまり、彼がいかにカーテンの効用を説明したとしても、その理由や事情を理解していない先生にとって、この行為は単にルール違反となってしまう。
大切なのは「ルールを外れたから悪い」と一律に判断するのでなく、まずはその背景を探ってみること。彼らのユニークな行為の背景には、個々の子どもの有する性格や、認知の特性が影響していることが多々あるのです。
◆理解できない行動をとる可能性もある
これまでの日本では、そういった「違う」子を区別してきました。しかしそれでは進展がありません。「彼は『違う』子だから治療する」「ほかの集団に移す」といった発想にしかならないわけです。
自らの経験や知識に乏しい人が、A君の行為を受け入れることは容易ではないでしょう。
一方、最初から自分とは「違う」認知特性や、性格特性を有する人がいるのが当たり前で、理解できない行動をとる可能性がある、という事実を理解しておけば、次に出会ったA君のような子どもにも、温かく接することができるようになるはずです。
◆発達障害と診断される子どもがなぜ増えているのか
最近では自分の子どもが発達障害の診断を受けた、と相談される機会が増えています。国が積極的に発達障害支援を進めているという影響もあるのかもしれません。
なお私自身の考えを記せば、単にユニークなだけの子どもまでが発達障害の診断を受け、治療を受ける機会が増えているようにも感じており、そうした流れには危機意識を持っています。
もちろん社会に適応できず、子ども本人が困っているケースもあるでしょう。しかし、多くの場合は本人ではなく先生や親が困っているだけ、というのが現実です。子どもが一人で好きにしている分には何も問題ない。なのに、集団に適応するために治療が行われている、というのが実態ではないでしょうか。
◆集団に適応すべく投薬治療や訓練を受ける子どもたち
幼稚園や小学校のような一斉指導の場で、勝手な行動は認められません。事故が起こるのを防ぐ、また、他児の学びの妨害とならないため、結果として立ち歩きや発声、攻撃行動などを持つ子どもは、投薬治療やソーシャル・スキル訓練(SST: Social Skills Training)を受けるのが一般的になりつつあります。
しかし大人の立場として困る特性の多くは、実は子どもの持つユニークな個性であり、才能でもある。
私のまわりにいる研究者を見ていると、空気を読まない、集中力がすごい、こだわりが強い、思考が面白いほど拡散している、といった人たちばかりです。そしてその特性があるからこそ、ユニークな研究ができているわけです。もちろん、周囲が支えてくれる環境があるのが前提とはなりますが。
◆彼らを修正するのではなく環境を調整しよう
少し前なら、個性の強い子も、ある程度まで集団の中で許容される雰囲気がありました。
しかし、今の社会では基本的に「人と違う」行動は許されず、子どもたちも相当なストレスを感じているはずです。個性の強い子は、果たして本当に治療されなければならないのでしょうか。
このまま早期から子どもの治療を続けていく時代が続くと、おそらく個性が乏しくなる分、画期的なイノベーションが起こりにくい社会になる気がしてなりません。
ユニークな子どもたち、その全てを障害と認定し、性急に治療する、という考えはとても危うい。むしろもう少し、ゆるやかに支えていくことが重要です。
彼ら自身を修正するのでなく、環境の方を許容できるものに調整できれば、個性を伸ばしながら、成長することは十分可能なのです。
中邑賢龍
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中邑先生の主張に同意します。ただ、こういう主張を誤解して取り上げ、だから服薬も支援も必要なく昔のようにおおらかに構えていればいいのだというほったらかしの自然放置論は百害あって一利なしです。かつての民主党の「コンクリートから人へ」のスローガンに似ています。ダムは自然破壊だと主張してステレオタイプに全国の治水工事をストップした結果、大洪水の被災が毎年起こっています。なんでもかんでも同等に扱うと被害が大きくなる例はいくらでもあります。
中邑先生は東大で「異才発掘プロジェクト」を主催し、多くのユニークな子どもと触れ合っていますから彼らの事が良くわかるのだと思います。放デイで働く私たちも行動や学習不振の問題から支援学級に入級し才能を埋もれさせている子どもに出会う事があります。子どもの特性に大人が気づかず、やってもやっても分からない勉強を繰り返す事で学習性無力感に苛まれている子もいます。ある子は教室を飛び出し、ある子は教師に悪態をつき、仲間からは異端としていじめを受ける元々の原因は、特性に応じた大人の手立てが遅れたためです。
初期の段階で少し支援すれば、少し服薬すればこんなに傷つかずに済んだだろうと思うケースの方が多いのです。中邑先生のメッセージを読んで我が意を得たりと特別なニーズ支援を否定する輩がいそうで危惧します。大事なのは早期発見と早期支援です。もちろん、周囲の大人や集団が本人を受け止める度量を広くするのは大前提ですが、何もしないのはダンピングといって安上がりの教育施策に理由を与えてしまいます。アメリカのブッシュ政権の時期にインクルーシブ教育が大事だと言う建前で多くの発達障害児が通常学級に放置され大失敗をしました。個性の尊重と支援・治療は本来対立するものではありません。本人をしっかり見ないで、機械的でステレオタイプな支援が優れた能力まで摘み取ってしまうと言う警告だと受け止めたいと思います。