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みんなちがってみんないい

震災から10年

震災から10年若者へどう継承【鳥取】

2021年3月11日 10時00分【朝日新聞デジタル】

岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)地区にある釜石祈りのパーク。東日本大震災で関連死を含めた1千人以上の犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前で、8日、鳥取大学地域学部の2年生の森田恒志郎さん(20)、小川颯真さん(21)、青木蓮音さん(20)が、一人一人の名前をなぞるように見つめていた。そして、何人分も刻まれた「キクチ」という名前のところでじっと目をとめた。

「ここで本当に人が亡くなったんやってわかった」。森田さんはそう振り返った。

7~10日の日程で、同学部の1、2年生7人が津波の被害が甚大だった岩手県、宮城県の沿岸部を、地域フィールド演習の一環で訪れていた。

「キクチ」とは、その日の朝、たまたま立ち寄ったお土産店の女性の名字。「大学生?どこから来たの?」といった何げない会話の流れから、女性の弟が震災で亡くなったと聞いたのだった。

別れ際、女性から「おばちゃんが何かうるさいこと言ってたな、なんて思わんでね」。青木さんは「キクチさんの記憶を、次は僕らの記憶としても残していく」。小川さんは「記録と記憶は違う。記憶なら忘れない。記憶は人を動かす。そしてその記憶を伝えたい人がいる」と痛感した。

10年前の3月11日午後2時46分、多くの人の運命が狂った。キクチさんもその中の一人。決して深いつながりを持ったわけではないが、これから先の3月11日、きっとあの女性の顔を思い出す。自分たちの中では、風化することのない日になる気がしている。


松江市嫁島町の会議室に2月、県内の高校生25人を含む計約50人が集まった。震災発生当時にまだ幼かった人たちに震災の記憶を継承しようと、松江ライオンズクラブが主催し、岩手県陸前高田市の市役所とリモートで結んだ講習会だ。

ライオンズクラブの山田さおりさん(47)が中心となって企画した。昨年、発生から10年という節目を忘れている自分に気がついた。「あれだけ衝撃を受け心を痛めていたのに、自分の中に風化を感じた」と山田さん。当時の状況を知らない若者であればなおさらのはずと感じた。

現地の生の声を聞けばニュースでしか見たことのない被災地の姿もきっと見え方が変わると、昨年11月、災害派遣にあたった松江市職員やカメラマンとともに陸前高田市を訪れ取材を重ね、講習会を実現させた。

当日、同市の戸羽太市長は「被害を減らすためには一人一人が備えることが大事。大人と子どもの両方を動かすことのできる高校生のみなさんが自らの行動で示して欲しい」と訴えた。長男を津波で亡くした女性の話も聞いた。

松江工業高校1年の福留爽太さんは「『その時』に備えて日常を生きる大切さを知った」。松江北高校2年の野浪くるみさんは「高校生にもできることがある。自分より下の小中学生にも防災の大切さを教えていきたい」と思いを受け取った。


発達障害のある子どもの家族や支援者らでつくる島根県の「ウルトラの母の会」は昨年2月、発達障害がある若者らを含む10人で東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校を訪問。遺族の案内で校舎や裏山を巡った。

放課後デイサービスで障害のある子どもたちを支援する河上香さん(55)は「適切な判断がその場に立ってできるかは分からない。突然の災害で固まってしまう子どももいるので、実際におんぶして避難する訓練もしなければいけない」と難しさを語った。

同会事務局で中学教諭の大山英子さん(60)は「まずは自分の命を守れる人になって欲しいというのが、親の願い。すべての人が『その時』に何をすべきかという意識を持つことが大切だ」と話す。

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圧倒的な自然災害の前では人は何もできないです。だからこそ、防災・減災のための準備に手を尽くします。海沿いでは津波に対する避難の速さでしょうが、内陸では地震による交通・通信というインフラ遮断への備えです。震度が圧倒的に巨大であれば、救援までの日数が長くかかります。最低1週間生存可能な防災準備をと専門家は言います。

この際に、最も恐れないといけないのは自然の猛威ではなく、人間の心理だと言います。自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉え、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価をして被害にあう 「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」です。災害の芽は全員の心の中にありそれを摘むのは管理者やリーダーの決断一つだと、命を預かる事業として戒めていこうと思います。

ドラマ朝顔

『監察医 朝顔』3・11に向けストーリー変更「今、捜している方がいるからこそ」 - 東日本大震災10年

2021/03/08 06:00【マイナビニュース】

フジテレビ系月9ドラマ『監察医 朝顔』(毎週月曜21:00~)は、上野樹里演じる主人公が東日本大震災で母を失い、遺体すら見つからないという設定で、それをめぐる父娘や祖父たちの心の葛藤を、物語の大きな柱として描いている。

何度も被災地を訪れ、作品を紡ぎあげてきた金城綾香プロデューサーに、今作に込めた思いや、役作りを超えて被災地と向き合う上野の姿などについて、話を聞いた――。

■遺体が行方不明…“無い”悲しさを描く
――原作では、主人公の母は阪神大震災で亡くなったという設定でしたが、第1シーズン(2019年放送)で、東日本大震災から8年後に舞台を置き換えられました。改めてこの狙いは何でしょうか?

私は出身が兵庫で、小学1年生で阪神大震災を経験しまして、もちろん全てではないのですが、8年経った時は街として立ち上がっていたイメージがあったんです。でも、3・11に置き換えようと思って調べたら、8年経ってもまだ立ち上がってる途中でいらっしゃると知って、津波の恐ろしさをあらためて実感しました。それをどう表現したらいいんだと思ったときに、毎回解剖するご遺体と向き合う親子にとって、最愛のお母さん・奥さんの遺体が見つかっていない、“無い”悲しさをドラマで扱ってみるのはどうかと考えました。

また、「亡くなったかどうか分からない」という“不明確”なものを、ドラマではあまり扱わない印象だったので、脚本家さんにも相談してあえてやってみることになりました。この悲しさは、私たちには到底想像が及ばないところなので、手探りではありました。

――第1シーズンで1クールを経て、現在の第2シーズンで2クールというロングランで制作されてきましたが、その間、被災地にたびたび訪れて、交流を続けていますよね。

2年にわたって何度か陸前高田市(岩手県)を訪れたり、周辺の都市にも伺ったり、第2シーズンの前には去年の1月に宮城県の海辺の都市で船を使って遺体を捜索されているチームにお話を聞いたりと、ドラマの制作にあたっていろんなところに行きました。

陸前高田は、最初に訪れてから1年、2年と経っていくと、工事現場だったところに野球場や建物がどんどんできたりして、変化を感じますね。10年という節目は、国からの支援が1段階下がってしまうというのもあるようで、急ピッチで街づくりが進められているさまを見ていると、もともと震災から10年の3月を第2シーズンの最後に迎える予定ではなかったので、不思議なめぐり合わせを感じますし、このテーマに挑戦して良かったなと思えます。

――被災地を取材されて、どのような部分をドラマに反映されたのでしょうか?

特に第1シーズンでは、遺体安置所を描きましたので、規模感やそこにどんな方がいらっしゃったのかなど、大変参考にさせていただきました。また、第1シーズンで風間(俊介)さんが「遺体安置所にいたのは自分だったのかもしれない」と話すシーンは、実際に取材した方のお言葉をそのまま使用させていただきました。


以下略
https://news.mynavi.jp/article/20210308-asagao/2

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最近、月曜日の夜はドラマ朝顔でボロボロになっています。なんで月曜の夜からこんなに泣かせるかなぁとティッシュが足りません。朝顔の父役時任三郎が妻の遺骨探しで震災後の沼地に十年も通う日々、どんどん認知症が進む自分に焦る姿に胸が痛みます。祖父役の柄本明は沼で見つけた娘のハンカチの側にあった人の奥歯を娘と信じ込めずにDNA鑑定を法医学者の朝顔に託します。祖父に母だと嘘がつけなくて悩んでいた朝顔に、青森の漁師が本物の遺骨を見つけてくれます。小さな遺骨を抱えた朝顔からカメラはチルトアップして雪空を映します。

末期ガンの祖父のベッドで祖父と父と朝顔で母親の白い白い指の遺骨を囲む家族の姿、ミシ#ドの和音が耳につくアルペジオで始まる折坂悠太のテーマソングがゆっくり流れだすと、もう心はボロボロです。エンディングがとても長く、涙腺刺激量が半端ないです。明日、3月11日。10年たってもまだ見つからぬ身内を想う方々へ、哀悼の意を表します。

折坂悠太「朝顔」歌詞

ねえ どこにいたの 窓辺には空白んで
僕につげる 「また巡り逢うよ」と

真新しい街に 海鳴りがきこえて
手を振る誰かが 笑っている

ここに 願う 願う 願う
君が朝を愛するように
ここに 願う 願う 願う
その庭を選び今に咲く、花!

最後に ひとつ 聞きそびれた事
ふと呟いてる「あの日なぜ逢えたの?」

お祭囃子の 人波の向こうで
手招く誰かを 覚えている

ここに 願う 願う 願う
君が朝をおそれぬように
ここに 願う 願う 願う
その窓を選び降り注ぐ

ねえ この辺りも変わったよ
また何処かであがる産声を 待ちわびて

ここに 願う 願う 願う
君が朝を愛するように
ここに 願う 願う 願う
その庭を選び今に咲く

ここに 願う 願う 願う
暗闇に呼んだその名を
胸にきつく抱き 願う
物語は続く この僕に
ほら今に咲く、花!


「色はなんか? 」
「群青!淡紅!」
「そりゃ結構」
「そりゃ上々」

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/yuta-orisaka/asagao/

 

東芝が特別支援学校にラグビーボール進呈

東芝が特別支援学校にボール贈呈 大野均氏「もう一度ラグビーの素晴らしさ思い出して」

2021年3月8日 14:42 【スポニチアネックス】

ラグビートップリーグ(TL)の東芝は8日、活動拠点のある東京都府中市にある特別支援学校・東京都立府中けやきの森学園にラグビーボール15個を贈呈し、普及担当を務める元日本代表ロックの大野均氏(42)が贈呈式に出席した。

東芝が同市内の特別支援学校にボールを贈るのは、今回が3校目。生徒2人にボールを直接手渡した大野氏は「19年のW杯で日本中が盛り上がり、元気や勇気をもらったという声をたくさんいただいた。昨年はトップリーグが中止となり、日本代表も試合ができなかったが、もう一度ラグビーの素晴らしさ、面白さを思い出してもらうために、寄贈させていただく」とあいさつ。新型コロナの影響で、ラグビーを通じた生徒との交流はできなかったが、「いつか交流したいと思う」と話した。

この活動は東芝にジャージーを供給するカンタベリーオブニュージーランドジャパンが昨年4月から全国約3500の小学校にラグビーボールを寄贈したことに合わせ、東芝独自で始めたもの。新型コロナの影響で、ラグビーに触れる機会が少なくなっている子どもたちにとっては、最高のプレゼントとなりそうだ。

福島県郡山市出身の大野氏は、まもなく東日本大震災から10年の節目を迎える故郷に対しても「10年が経過し、復興が進んでいると思われがちだが、まだ支援が必要な人たちがいる。コロナの中出なかなか明るい話題がないが、少しでもラグビーを通じて元気を届けていきたい」と語った。「個人として、福島にもラグビーボールを届けられたらいいと思う」とも話し、時期を見て普及活動に乗り出す考えも示した。

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ラグビー新リーグ準備室長退任 背景にチーム側の不満

2021年3月5日 7時00分【朝日新聞デジタル】

2022年1月に開幕する予定のラグビー・新リーグについて、新リーグ法人準備室長として制度設計を担当してきた谷口真由美・日本ラグビー協会理事が、同室長の職から退いていたことが複数の関係者への取材でわかった。

新たな室長は岩渕健輔専務理事が務めている。

この人事は、2月17日の日本協会理事会で報告されていた。谷口理事は、参加25チームの1~3部への振り分けを担う審査委員長については留任する。

新リーグは、03年に始まったトップリーグを発展的に解消し、試合の運営権を日本協会から各チームに委譲するなどして運営の「プロ化」を目指している。

複数の関係者によると、過去の成績や日本ラグビーへの貢献度ではなく、新リーグに向けた各チームの事業計画を重視して準備を進めてきた谷口理事ら審査委に対する一部チームの不満が高まり、今回の退任につながったとみられる。

新リーグにはトップリーグ16チーム、下部リーグ9チームの計25チームが参加を表明。6月には1部12チーム、2部7チーム、3部6チームの振り分けが決まる予定だ。

4月にはリーグの運営を担う法人が発足する。

法学者の谷口理事は父が近鉄の元選手・コーチで、大阪・花園ラグビー場内の寮で幼少期を過ごした。そうした縁もあり、19年6月から日本協会理事に就いている。

新リーグの準備は当初、元ヤマハ発動機監督の清宮克幸副会長が担っていたが、企業スポーツの枠を超えた構想、強引とも取れる手法に反発が相次ぎ、20年1月から谷口理事が新リーグ法人準備室長を務めていた。

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ワールドカップで子どもたちに夢を与えたラグビーですが、この間、元会長や次期会長のごたごたで協会内のガバナンスはうまくいっていないようです。今回のリーグ発足も興行主体がプロでもなくアマでもなく中途半端で良くわからないのでもめているようです。

それはさておき、ラグビーボール15個進呈で記事になるということは、特別支援学校の中ではラグビーがいかにマイナーゲームかということです。ラグビーのルールは前にパスしない、ボールを持たない人にタックルはしないという二つのルールだけなので単純でわかりやすいと思うのですが、どうしても乱暴に見えたり危険に見えるということで流行らないようです。

 

めざせ甲子園

めざせ甲子園、知的障害ある生徒の挑戦元プロ選手協力

2021年3月7日 13時00分【朝日新聞デジタル】

【東京】知的障害のある生徒たちが硬式野球部として挑戦するのを支援する「甲子園夢プロジェクト」が6日、発足した。特別支援学校に通う全国の生徒に呼びかけ、元プロ野球選手らが協力して指導にあたる。球児たちの聖地・甲子園へ――。夢につながる第一歩だ。


発案したのは東京都立中野特別支援学校(中野区)の主任教諭、久保田浩司さん(55)。これまで知的障害のある子どもたちにソフトボールなどの指導をしてきた。6日にあった記者会見で、「野球の指導を通して、生徒たちに夢を見させてあげたいし、自信を持たせてあげたい」。指導に協力する元ロッテ投手の荻野忠寛さん(38)は「うまくなりたい思いのある子の力になりたい」と話した。

荻野さんのほか、社会人野球の経験者も指導に加わる。参加者が集まれば今月下旬にも第1回の練習を行い、その後も定期的に実施する予定。コロナ禍のため、オンラインによる指導も検討中だ。

久保田さんは元球児。日本体育大でも野球を続け、教員になって都立高校を甲子園に導くのが夢だった。配属されたのは軽度の知的障害のある生徒が通う養護学校。思い描いていた学校と違い、戸惑った。

転機となったのは3年目。「野球クラブ」の顧問を任された。ソフトボールを教える中で、「キャッチボールを教えてほしい」と頼まれた。ボールの握り方や腕の振り方、足のステップなどを身ぶり手ぶりで基礎から教えた。1時間ほど指導すると、約30メートルをまっすぐ投げられた。「その子は跳び上がるくらい喜んでね。障害があっても、きちんと伝えればできるんだ、と」。今でも忘れられない体験が、新たな夢をはぐくむきっかけになった。

練習は手探りだった。打者がどちらに走るか分かるように自分が一塁ベースで待っていたり、打者と一緒に一塁まで走ったり。ルールを知らない生徒の目線にたって、分かるように教えた。その後異動で何度か勤務先が変わったが、チームを都の特別支援学校の大会でたびたび優勝に導いた。

プロジェクトの将来的な目標は、特別支援学校の大会ではなく公式戦への出場だ。参加した生徒がそれぞれの特別支援学校で出場をめざす。2016年には、鹿児島県で特別支援学校の生徒が初めて、夏の地方大会に出場している。この時は連合チームだった。「甲子園をめざし、夢を追いかけることのすばらしさを伝えたい」と久保田さん。「教員生活最後の夢として、自分にしかできないことにチャレンジしたい」(野田枝里子)

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特別支援学校の高等部生のソフトボールチームはだいたいどの学校にもあります。年1回府下・県下の支援学校対抗戦もあり、その日は選手も応援者も結構盛り上がります。たしかに、試合としては外野に打たれると、連係プレーができないのでほぼ塁に出られてしまい、ピッチャーの玉の速さで勝負が決まりやすいです。

高等部の軽度知的障害の子どもと言いますが、軽度知的障害だけの子どもは野球がそこそこ上手な子が多いのです。高等部は知的な障害のある人を対象としていますが、中学校で特別支援学級在籍籍者は高等部に入学できるので、知的には遅れのない発達障害の子どももいます。この子たちの中に不器用であったり、対人プレーが下手な生徒が多いのです。

そもそも、集団ゲームの楽しさも、下手糞ゆえに学びそびれてきています。サッカーなどは味方も敵も動くので難しいですが、野球は玉がまっすぐに投げられ守備ができれば参加できます。野球の楽しさ、スポーツの楽しさを経験するのは子どもの大切な権利だと思います。

 

 

下着「白」を6割が指定

下着「白」を6割が指定 長崎 県立高校と国公立中学校

2021年3月5日 6時42分 【NHK】

長崎県内の県立高校と国公立中学校の6割が校則などで、下着の色を「白」に指定していることがわかり、県教育委員会は、色の指定やそれを確認する行為は人権問題になりかねないとして、見直しを求める通知を出しました。

長崎県の関係者によりますと、学校の校則や指導の在り方が全国で議論になる中、県教育委員会が県立高校と県内の国公立中学校の合わせて238校を対象に、校則や指導の際の基準となる「学校のきまり」について調査した結果、全体の58%に当たる138校が下着の色を「白」に指定していることがわかりました。

県教育委員会は、下着の色の指定や下着を確認する行為を例に挙げたうえで、校則などの中には人権問題になりかねない内容や、生徒の実情、社会を取り巻く環境の変化になじまないものが散見されるとして、今月2日付けで県立学校宛てに校則の確認や見直しを求める通知を出すとともに、各市や町の教育委員会などにも同じ文書を送りました。

また、今回の通知では、校則の見直しにあたっては生徒が話し合う機会を設けたり、保護者にアンケートを行ったりするなど、生徒や保護者が何らかの形で参加できるように工夫することも求めています。
県教育庁「かなり前につくられた校則か」
県教育庁の児童生徒支援課はNHKの取材に対し「学校が荒れていた時代に、風紀を守るために下着の色を『白』にそろえることになったと記憶している。かなり前につくられた校則がいまだに残っているのだと思う」と話しています。

そのうえで「人権問題の観点や時代が変わっていく中で、それに則した校則の見直しを積極的に検討していく必要があると考えている。通知を受けて、各学校で見直してほしい」と話しています。

女子中学生「下着の色を確認されるのも嫌」
みずからが通う学校では「学校のきまり」で下着の色が「白」に指定され、着替えに合わせて定期的に下着の色の確認が行われているという女子中学生が、NHKの取材に匿名で応じました。

この女子中学生は「体育の授業で着替える時に女性の先生が教室にいて『下着は白じゃないとだめだよ』と言われることがある。人それぞれ買いたい下着の色やサイズも違うので、店によっては白ではない色しか売っていない場合もあり、今の時代に白だけというのはちょっとどうかなと思う。下着の色を確認されるというのも嫌なので、白だけというルールは変わってほしい。授業では白以外の下着を着ていても支障はないし、むしろ白ではないほうが下着も透けないと思う」と話しています。

専門家「方法によっては人権的にも問題」
長崎県内の教育現場にくわしい長崎大学教育学部の池谷和子准教授は「下着の色に関してまで細かく校則で規定する必要はないのではないか。下着を実際に確認する行為もあるので、それがいったいどのように行われているのか、方法によっては人権的にも問題になってくる」と指摘しています。

そのうえで、池谷准教授は「生徒には『校則があるからただ従う』というのではなく、どうして制限がかかっているのか、その必要性を理解し、将来的には自分で判断できるように成長してほしい。学校には教育機関として子どもたちにそういうことを考えさせる機会を作り、子どもたちの要望によっては、果たしてこの制限がいま現在の社会で本当に必要なのか判断していくことが重要だ」と話しています。

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長崎は武漢風邪の感染防止アプリ(健康状態集約アプリ: 02/05) で先進的な働きを以前紹介しただけに、ショックです。穿った見方をすると、県民は子どもの頃から管理慣れしているのでこのアプリも平気だったのかなと妙な想像をしてしまいます。長崎の学校は何時代なんでしょう。先日の大阪府立高校の頭髪色不登校賠償裁判では学校の裁量権が広く認められたのですが、こういう事は裁判にはなじまず大人側のセンスの問題なのだと思います。いつの時代も古いものは排斥され、未来の世の中では笑い話になるのですが、「服装の乱れは心の乱れ」と本気で考えている人にはなかなか通じません。