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1. 「辞書に見当たらない」から×? 先生によって大きく異なる漢字の採点基準

投稿日時: 2022/03/17 staff3

「辞書に見当たらない」からバツ? 先生によって大きく異なる漢字の採点基準

2022.03.16【朝日新聞】

SNSでたびたび話題になる漢字の「とめ・はね・はらい」の問題。実は気にする必要がないという〝ファイナルアンサー〟は文化庁の指針で出ているのに、学校現場では知られていません。なぜなのでしょうか。教員養成に携わる棚橋尚子・奈良教育大教授に聞きました。

たなはし・ひさこ/1959年生まれ。兵庫教育大大学院学校教育研究科教科・領域教育専攻言語系コース修士課程修了。公立中学校、国立大付属小学校の教員、奈良教育大教育学部助教授を経て現職。専門は国語科教育学。

「文化庁の字体・字形指針を理解」は教師の4割だけ
――漢字には様々な字形があり、細かな「とめ・はね・はらい」を気にする必要はないということは、2016年に文化庁が出した「常用漢字表の字体・字形に関する指針」で示されています。このことは、教育現場ではあまり知られていないようです。

日本漢字学会が昨年、小・中学校、高校などの教師587人に聞いた調査では、指針について内容を理解しているのは4割ほどで、存在を知らないという人も2割いました(図1)。思ったよりも知られていないという印象です。多くの先生にとって、指針はご自身の仕事とはかけ離れたところにあるという認識なのかもしれません。

先生たちはみんな、自分の中に理想の教育の姿を持っています。だからこそ外野の意見を受け付けないところもある。漢字学会には「学校の先生の厳しい指導が漢字嫌いを助長している」と憤っている研究者も少なくありませんが、現場の先生からすれば、ただ子どもたちに漢字の力をつけたいという善意からやっていることだと考えます。ベテランの先生ほど長年慣れた指導から脱却できないということもあるかもしれません。

私は小・中学校で教えた経験もあるので、どちらの立場も理解できます。自分自身の経験から言うと、指導は細かくてもかまいませんが、テストなどの採点は、だいたい書けていれば正解としていいのではないでしょうか。漢字の字形の柔軟な評価については、学習指導要領解説にも記載されています。入試の採点が厳しいから緩められないという声も聞きますが、2010年に出された「文部科学大臣政務官通知」は大学入試での漢字の評価は柔軟にするよう求めていることから、少なくとも大学入試はかなり緩くなっているはずです。漢字の字形の細かな正誤より、漢字を使うことの有用性や喜びを認識させられる漢字指導になってほしいものです。

――先生たちはテストで何を採点基準にしているのでしょうか。

漢字学会の同じ調査では、テストを採点する際に、何を正しい形の根拠としているかも聞いています。その結果、8割近くが「教科書の文字」でした。

教科書の文字は、中学校では少し前まで明朝体のフォントが使われていましたが、明朝体は手書きの文字とはかなり差があることから、現在は中学校でもほぼ教科書体フォントが使われています。ただ、ひと口に教科書体といっても出版社によって細部の形が異なります。

調査では様々な手書きの漢字について、どう採点するかも聞いていますが、正誤がかなり割れていました(図2)。「他の漢字と誤解する余地がない」漢字は○にするという意見もあれば、「辞書に見当たらない」漢字は×といった判断もありました。「丸をつけて、余白に正しいものを書く」「長短については指導をしているので、指導したところができていない場合は減点」というコメントもありました。先生によって採点基準がかなり異なることが分かります。

私は、かねてよりテストの採点基準について「緩いコース」と「厳しいコース」を作って、子ども自身にエントリーしてもらって採点してはどうかと提案しています。このアイデアは現場の先生たちには、あまり評判が良くありません。「公平」でないことが受け入れられないのかもしれません。しかし、子どもたちが自分で自分の漢字学習を振り返るためにもこの方法は有効なのではないでしょうか。

漢字は学力全般にかかわる
――漢字の指導のあり方についてはどう考えますか。漢字ドリル任せになっていませんか。

授業時数が限られているので、漢字は学年が上がるにつれて家庭学習で身につけていく傾向が強まります。1年生は学校で1字1字筆順から丁寧に教えますが、高学年になると字数が多く、授業だけでは扱いきれないのでドリル任せという先生が増えます。授業で教えて細かく注意したわけでもないのに、テストの評価ばかり厳しいのはおかしいですよね。

――漢字ドリルに加え、ノートに同じ漢字を繰り返し書くという宿題が多いようです。繰り返し書かせるという指導が「漢字嫌い」を増やしているのでは?

小学校中学年くらいまでは漢字を書けるようになること自体が子どもたちにとって、一種誇らしいことでもあることと、発達段階的にも繰り返し学習がさほど苦にならない傾向があることにより、それほど嫌がらないのですが、高学年ともなると、何度も書くのが無意味に思える子が増えるようです。ただ、高学年で学ぶ漢字は、ほとんどがそれまでに習った漢字や構成要素の組み合わせです。繰り返し書くことを嫌がらない中学年までに、基本的な漢字をしっかり身につけておくことが大事です。つまり、漢字学習の成否は小学校中学年までの漢字学習のあり方に連動しているのです。

学習障害があるお子さんなどには別の手立てを講じる必要がありますが、漢字はやはり手を動かして習得するのが基本。嫌がらないように仕向ける工夫が求められます。書店には様々な工夫がされた漢字教材が並んでいるので、試してみるのもいいかもしれません。また、「一つの漢字につき何回」と書く回数を提示する先生もいますが、自分で書けるようになったと思える回数を子どもに自ら決めさせることも漢字学習の主体性を保障する意味から大事かと思います。そのうえで、漢字の形声的要素や偏旁冠脚などの知識が動員できるといいと思います。

――これからの時代に漢字を学ぶ意味は何でしょうか。

漢字ができないと文章の読解ができず、学力全般にかかわってきます。公立の学校で定員割れしている高校での例ですが、「山月記」のような難解なテキストを回避する事態が常態化していたことがありました。文章を解釈する以前に、そもそも漢字が読めないのです。そこで、総ルビのテキストを使ったところ、教師の期待以上の深い解釈ができたと聞きました。この事例からは学習における漢字の読み書きの重要さがわかります。早い段階で「漢字嫌い」にさせないようにすることが大事です。

漢字学習が「書き」に偏りすぎていることにも問題があります。これからはもっと「読み」に力を入れるべきです。ふりがなも活用し、気軽に読ませてほしい。お勧めしたいのは、国語以外の教科の教科書を音読すること。すべての子どもの手にある教科書は子どもたちにとって最も身近な活字媒体です。国語の教科書には出てこない様々な単語に触れることができ、言葉に対する興味や関心を広げることにもつながります。

葉山 梢 EduA編集部 記者
1977年生まれ、北九州市出身。朝日新聞北海道支社、新潟総局、東京本社社会部などを経て現職。鉄道好きでマイペースな小5男子と、好奇心旺盛でしっかり者の小3女子の2児の母。ツイッターアカウントは @kzehym

漢字学習関連のシリーズ(3/4~ )
https://www.asahi.com/edua/author/11003210

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すてっぷで子どもたちの宿題を見ていると、漢字の繰り返し書きが宿題になっているのは定番で見ます。気になっているのは、繰り返し書きは良いけれども子どもたちは本が読めているのかが気になっています。記事にもあるように、漢字学習は書くことが重視されすぎていて、読んで意味を掴むことが等閑になっています。

しかも、放デイ利用の子どもの中には、読みに困難のある子が多いですから、書くことばかりトレーニングしても読みや意味を掴んでいなければ時間の無駄になるばかりか、やってもやっても効果が上がらないので、学習性無力感に苛まれることになります。まずは、正確な読みのアセスメント、特に速度・流暢性を見てあげて欲しいと思います。

読み書きが苦手な子に対して、この子は読めますと言う学校の先生方のコメントを良く聞きますが、それはゆっくりなら苦労しながら読めているだけであり、学習に生かせるようなレベルではない場合が多いのです。読めるというのは、つっかえずにすらすら読める、苦労せずにすらすら読める事を指します。人のエネルギーにも限りがあります。10ある力を読むことに8割以上使うと意味を理解する力が残ってない図式を思い浮かべて欲しいと思います。

書くことも同じです、書くことに8割もの力を使うと、論理を考えたり文を構成することにエネルギーが回せなくなります。書くことにもすらすら書ける流暢性が必要です。もしも、いくらトレーニングしても多くのパワーを使う苦労が軽減されていないなら、考えることにパワーを回すように仕向けるのが合理的配慮です。書く代わりにキーボードを使う、音声入力を使うなどして文字を書くことの苦役から解放してあげたほうが良い場合もあります。これは障害がなくても同じことが言えます。漢字の止め跳ねエネルギーと思考のエネルギーはトレードオフの関係なので調整が必要で子どもによって違うのです。