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ICT機器 児童生徒の9割が期待も 学校は半数以上が十分活用せず
ICT機器 児童生徒の9割が期待も 学校は半数以上が十分活用せず
2021年9月1日 【NHK】
小中学生に1人1台配られているタブレット端末などのICT機器について、児童生徒の9割が「勉強の役に立つ」と期待を寄せる一方、十分活用していない学校が半数を超えていることが文部科学省の調査でわかりました。
文部科学省は、ことし5月、全国の小学6年生と中学3年生、200万人以上を対象に「全国学力テスト」を実施し、あわせてタブレット端末などICT機器の活用状況についても調査して、31日、公表しました。
この中で児童や生徒に、タブレット端末などICT機器の使用が勉強の役に立つと思うか聞いたところ、「役に立つと思う」、「どちらかといえば役に立つと思う」という回答が小中学生ともに90%を超えました。
一方で、学校に対し、教職員と児童生徒がやりとりをする場面でどの程度ICT機器を活用しているか尋ねたところ、「全く活用していない」、「あまり活用していない」という回答が、小学校で55%、中学校で57%でした。
また、児童生徒に1人1台配備されたタブレットなどの端末をどの程度家庭で利用できるようにしているか聞いたところ、小中学校ともに「持ち帰らせていない」もしくは「持ち帰ってはいけないことにしている」があわせて60%以上となり、毎日もしくは時々持ち帰り利用させている学校は20%程度にとどまりました。
文部科学省の浅原寛子 学力調査室長は「ICT機器の学習への活用について子どもたちの期待が非常に高いことがわかった。休校など非常時に備える意味でも1人1台の端末を積極的に活用してもらいたい」と話しています。
端末の持ち帰り 学校の対応に差
感染の急拡大で今後、臨時休校も想定される中、文部科学省は小中学生に1人1台整備しているタブレット端末などの最新の活用状況も公表しています。
ことし7月末の時点で1人1台の端末の整備は全国の96%にあたる1742の自治体で終えていますが、3.9%にあたる70の自治体では完了していないと答えたということです。
家庭に端末を持ち帰ることについては、全国の公立小中学校などおよそ3万校のうち、感染拡大や災害など非常時に対応できるよう「準備済み」と回答した学校は64%、「準備中」と答えたのは32%、「実施・準備をしない」が4%と、対応に差があることがわかりました。
文部科学省は夏休み明けに登校できないケースや休校などが想定されるとして、「実施・準備をしない」と回答した自治体に対し、速やかに準備をするよう促したということです。
専門家「平常時から教室で使い、持ち帰って練習を」
ICT教育に詳しい東北大学大学院の堀田龍也教授は、タブレット端末などに対する子どもたちの期待は高い一方、活用は十分広がっていないという調査結果を受け、「自治体によっては、オンライン授業の取り組み事例を徐々に近隣の学校に広めているところもあるが、中にはすべての学校が一斉にできるようになるまで活用を始めない自治体もある。できること、できるところから進めていくことが大事だ」と話しています。
そして、感染拡大が収まらない中で新学期が始まることから、「学校でも十分使い方がなじんでいないのに、非常時にタブレット端末を家に持ち帰ったところで活用は容易ではない。平常時のうちから教室で使い、持ち帰って練習をするなど備えておくことが学習を保障するうえでも非常に重要だ」と指摘しています。
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(端末持ち帰り調査: 05/27)でもコメントしましたが、すてっぷで把握する限り、全児童分のタブレットが配備された乙訓の小学校で、夏季休暇中に家庭に端末を持帰らせた学校はなかったようです。大阪では環境が整っていないのに市長のオンライン授業発言はけしからんと校長先生の市長あての提言がSNSで拡散される事件も起こりました。ただ、実際の提言は現在の教育を憂う個人的な感想が多く、オンライン学習に触れたのは全文の1割もなく、しかも具体的な指摘もないままに一方的に校長の感想が書かれているだけで、事実に基づいた内容がありません。恐らくは、これはメディアが大阪市長批判のためにする政治的に煽った事件であり、子どものオンライン学習の具体的な推進には何の役にも立たない話だと思います。
けれども、「全体が揃うまで実施しない」というのは、公平性を大事にしているかのように聞こえますが、このフレーズを使う人によって意味合いは変わるのです。サービスを受ける人が使うと同じ税金を払っているのだからサービスは公平にしてくださいと言う意味になります。しかし、サービスを供給する側が使うと、全体が揃わないのだからサービスできるところもやらないし、もう少し努力すればできるところも全体の足並みがそろうまでやらなくていいという言い訳になるのです。つまり、公平と言う言葉が努力しない事を免罪し、個々で努力したり工夫することを抑制してしまうのです。
年金や給付金などの公平性と、設備や技術格差の可能性を内包しているサービスの公平性とでは意味合いが違います。前者は一律平等ですが、後者はできるところから実施し、遅れたところは公平性を目指して全力で追いつく努力するのが公的サービスのあり方です。そういう意味では、オンラインができないと言う前に何か努力をしたのかという疑問が残ります。
前回も紹介しましたが、民間のリモート用サーバーを使ってオンライン授業を実現している学校(学校つなぎ学習支援: 06/03)もあるのです。できない理由を並べるのは簡単ですが、子どものためにICT教育を実現しようとする前向きな姿勢がなければ、できるものもできないのです。世の先生方は公的サービスの公平性とは何かを再考され、タブレット持帰りを実現してほしいと思います。
分け隔てない支援教育 モデル実施へ 大阪
分け隔てない支援教育 モデル実施へ 大阪
8/30(月) 【産経新聞】
大阪府教育庁は30日、軽度の知的障害や発達障害のある高校生らが必要な支援を受けながら他の生徒と一緒に学べるよう、新たな教育課程に基づく教育を令和5年度からモデル校で実施すると発表した。今後、カリキュラムなどの具体的な検討を始める。
府教育庁が掲げるのは「『ともに学び、ともに育つ』多様な教育実践校(仮称)」。モデル校は府立西成高校と同岬高校で、いずれも小中学校の内容から学び直せる「エンパワメントスクール」に指定されており、支援の必要な生徒が多い。習熟度別の授業や少人数指導など、両校で実践している支援のノウハウや課題をもとに新しい教育課程や学級編成を庁内で検討。6年度からは指定校を増やして本格実施する予定だ。
また、府の教育委員会議は同日、島本、茨田(まった)、泉鳥取高校の3校を、今年度の入試を最後に募集停止する方針を固めた。府条例では、3年連続で入学志願者が定員割れし改善の見込めない高校を再編整備の対象と規定しており、今年度の検討対象は13校。エンパワメントスクール全8校のうち岬、西成、箕面東高校も定員割れが続いている。
受け入れ体制に課題も
大阪府教育庁が今回、高校で新たな教育を導入する背景には、中学の特別支援学級から高校への進学率の高まりがある。令和元年度の卒業生の進学率は全国平均を大きく上回り、約8割に達した。現在は現場の工夫で支援しているが、適切なカリキュラムや学級編成を制度化し、卒業後の自立に向けてより充実した教育を実践するのが狙い。外部有識者による審議会が提案したもので、全国的にも珍しい取り組みという。
公立の小中学校には、学校教育法施行規則などに基づき支援学級が設置されているが、高校にはない。このため、支援学級の在籍生徒の進学先は特別支援学校高等部か一般の高校となる。
文部科学省によると、近年は全国的に中学の支援学級から高校への進学率が高まっており、令和元年度の卒業生では半数を超える。特に大阪府では以前からその傾向が顕著で、元年度は8割超の2035人が高校(高等専門学校含む)に進んだ。要因の一つとして、定員割れした府立高には成績にかかわらず入学できるという、大阪特有の事情もある。
府教育庁は、知的障害のある生徒を対象にした「自立支援コース」を府立高9校に設置しているが、定員は1校3~4人。課題に応じて一部の授業を別室で受ける「通級指導教室」も4校にしかなく、高い進学ニーズに対応しきれていない。また、支援学級に在籍していなくても学習やコミュニケーションに課題を抱える生徒も増え、入学時の調査で「配慮を要する」と回答する生徒は2年度で3174人と、平成20年度の2倍超となった。生徒の状況によって年度途中で新たに教員を配置するなどの対応が必要となる学校もあり、「現場に任せるには限界がある」(府教育庁幹部)という。
こうした問題について、大学教授らでつくる府学校教育審議会が今年1月から協議。8月下旬にまとめた中間報告の中で、こうした教育システムの導入を提案した。
目指すのは「『ともに学び、ともに育つ』多様な教育」の実践であり、対象は支援を必要とする生徒だけでない。橋本正司教育長は「さまざまな生徒が一緒に学び、誰もが意欲を持って自分の力を伸ばせる魅力ある学校にしたい」と話す。(藤井沙織)
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大阪府だけでなく都市を抱える自治体では少子化に伴い、私学志向が高まる一方、公立校は定員割れを起こして試験が0点でも氏名が書ければ入学できる状況が一部で起こっています。サイエンス校とかグローバル校等の高機能公立高校を作って一部の「高学力」生徒を集める施策は、それ以外の高校に「低学力」の子どもが集まります。そうした高校では中堅大学も目指せないと、中間層の生徒も私学志向になって、さらに公立校の定員割れが進みます。
さらに国の就学支援金と大阪府独自の授業料支援補助金を合わせれば、世帯収入が800万円以下の家庭なら年間平均50万円以上の補助があるので、これまでの学費の半額程度の負担で私学に行けるので「教育環境の良い私学へ」という流れをさらに後押しします。
こうした中で、低学力生徒の多い高校への支援としてエンパワメントスクールに指定して、読み書き計算の基礎基本から教える取り組みを始めましたが、それは大学には行けそうにない高校だと、逆に定員割れを起こす皮肉な結果となっています。これは、ハイタレント(高学力者)囲込みの高校教育施策の矛盾を、泥縄式に手立てを打っている対症療法としかいえず、かえって発達障害のある生徒などを特定の高校に囲い込む施策にも見えます。
今回は、これを打破しようとした高校教育の起死回生をかけた教育システムですが、橋本教育長が言うように「さまざまな生徒が一緒に学ぶ」学校にするには、一点豪華主義の公立高校設置を改め、どの学校でも有名大学が狙え、どの学校でも基礎基本に戻る教育課程も行う公立学校本来の姿、多様性社会を校内で実現していく姿勢がベースに求められると思います。そうすることで、中学校の進路指導や特別支援の姿も変わってくるものと思われます。特別支援学級在籍者の報告書(内申書)を本人の実力に関わらずオール1にするなど※旧態依然として、多様な学びを認めない中学校の改革にも一石を投じるものになると思います。
※例えば、「令和3年度京都府公立高等学校入学者選抜要項」の「4 出願の要領(全日制・定時制共通) (3) 中学校長の手続 エ 報告書(様式Cの1及び様式Cの3)について b(a)」には、「なお、特別支援学級(中略)生徒等については、(a) 「中学校学習指導要領」に示す目標に照らして、その実現状況を5段階の評定点により記入すること。」とある。「支援学級生はオール1」という申し合わせが存在するならば絶対評価の公平性が失われていることになる。
子供たちに必要なのは「リアリティ」と「自分の無力さを気付かせる時間」中邑賢龍教授インタビュー<後編>
子供たちに必要なのは「リアリティ」と「自分の無力さを気付かせる時間」・・・中邑賢龍教授インタビュー<後編>
2021.8.26 【リセマム】
才能に恵まれても個性が強くて仲間外れにされたり、問題児扱いされて不登校になってしまったり…そんな「生きづらさ」を抱える異才児たちに、学びの場を提供する東大・異才発掘プロジェクト「ROCKET」。そのディレクターを務める中邑賢龍教授が6月、「どの子も違う -才能を伸ばす子育て 潰す子育て」(中公新書ラクレ)を上梓した。
中邑教授に、子供ひとりひとりがもつ多彩な才能を潰す子育て、伸ばす子育てについて話を聞いたインタビューの前編では、外発的な動機付けで楽しいと感じているだけで、「これは本当に自分の人生か」「自分が好きなこと、やりたいことは何か」と自分の内側に問うことがなく、同調圧力に流されてしまう子供たちが増加している背景と、学校の枠に収まることができず、生きづらさを抱えた子供たちの支援について語っていただいた。後編は、子供たちの「生きる力」が弱まっている背景と、子供のために親ができることについてお話しいただいた。
便利が当たり前の子供たちに必要な「18禁デザイン」
--中邑教授は「人間支援工学」と呼ばれる分野の第一人者です。「ROCKET」のほか、障害や病気を抱えた子供たちのための大学・社会体験プログラム「DO-IT Japan」や、身の回りのテクノロジーを教育に活用する「魔法のプロジェクト」、医療的ケアの必要な重度障害児のコミュニケーション支援プロジェクトなどに携わってこられました。さまざまな子供たちとの関わり合いを通じて、最近感じる変化はありますか。
近年では発達障害のグレーゾーン(境界型)と呼ばれるタイプが増え、重度の障害や病気だけではなく、幅広くいろいろな子供たちと付き合うことが増えてきました。そこで僕が気づいたのは、日本の子供はすべてディスアビリティ(*1)ではないか、ということです。子供たちから如実に「生きる力の弱さ」を感じるのです。これは本当にまずいぞ、と。この本を書いたのも、今、改めて子育てのあり方、子供との向き合い方を考え直すべきときではないかと思ったからです。
*1「ディスアビリティ」:心身の機能上の能力障害
--子供たちの生きる力が弱くなった理由は何だと思いますか。
今の日本は高齢化社会なので、高齢者向けにバリアフリーやユニバーサルデザインが行き届き、何事も安心・安全に使いやすくつくられています。食べ物のパッケージひとつとっても、指先の力が弱くても簡単に開けられるきめ細やかな仕様で、高齢者にはとても優しい社会です。子供たちもその便利さを当たり前のように享受しています。すると、逆に不便なもの、粗悪なものに出くわした時に、手も足も出ないどころか、出そうともしない。ハサミを使ったり、歯で噛みちぎったりして何とかしようともがきもせず、「ハサミを持ってくるのがめんどくさい」「袋に口を付けるなんて不潔」などと言い訳ばかりで、簡単に諦めてしまう子が少なくないのです。
--高齢化に合わせた社会のデザインが、子供たちを「茹でガエル」にしてしまっている、と。「茹でガエル」のまま大人になってしまうと考えると…ちょっと恐ろしくなりますね。
僕は、18歳以下は使ってはいけない「18禁」のデザインがあっても良いと思っています。これ、冗談じゃなく本気でね。あえて使いにくいもの、すぐ壊れるようなものを子供に与えていかないと、普段生活する中で学べることが少なすぎるのです。
本来学校の役割とは、僕らが生活の中で学んだことを授業で補完することにあると思うのですが、今も子供たちが向き合っている学びの多くは、知的反射神経を鍛えるようなドリル的な学習です。中でも早期教育という名の下、幼少期から訓練されてきた子供たちは、生きる力がとても弱いと感じます。これでは今、社会で声高に叫ばれているイノベーションなど起こるはずがありません。
「ギフテッド教育」は早期教育ではない
--特異な才能を伸ばす教育法として「ギフテッド教育」があります。中邑教授はこれについて、世間で誤った解釈があると指摘されていますが、本当の意味での「ギフテッド教育」とは何でしょうか。
ギフテッドとは生まれつきもつ、突出した能力を表した言葉です。ギフテッド教育とは、そうした能力が伸びていくのを阻害せず、のびのびと育てていこうとするものであり、けして大人が作為的に道を敷いていこうとする教育ではありません。ところが日本では、ギフテッド教育が早期教育と取り違えられることがよくあります。
たとえば小学校受験のための訓練や勉強は、知的反射神経を鍛えるような課題が中心で、IQを調べる知能検査の問題にも類似しています。したがって、早期教育を施せば必然的に成績が高くなり、IQも高く出る可能性があるのですが、これだけを根拠にギフテッドと判断できるかどうかは疑問です。幼児期に高いIQを叩き出し、神童扱いされてきた子供が、小学校高学年になると他の子に追い抜かれ、周囲の期待に応えられなくなって苦しむケースは少なくありません。
すべての子供には天賦の才能がある。だから芽が出るまで放っておきましょうというのが「ギフテッドの本質」です。
STEAM教育に必要なのはダイナミックでリアルな原体験
--文部科学省も大きく舵を切り、学校ではアクティブ・ラーニングやSTEAM教育といった活動の中で、子供たちひとりひとりの個性を伸ばし、考える力や主体性などを育もうとしています。こうした教育活動を行うにあたり、一番重要なことは何でしょうか。
東大の学生たちを見ても、考える力や主体性がないわけではありません。自分から進んで多くの論文を読み、本やネットで貪欲に知識を習得するなど、さまざまなことに詳しい勉強熱心な学生はたくさんいます。ただし、彼らの知識にはリアリティがない。このリアリティのなさが今の子供たちの特徴です。
今、多くの学校で実施されているアクティブ・ラーニングやSTEAM教育は、安全に管理された状況で行われる実験や、周到に準備されたプログラムなど、先生が想定したアウトプットに向かっているものが大半です。ダイナミックさやリアルさがなく、子供たち自身が何か問題にぶち当たって考えるというプロセスが抜け落ちています。
もちろん、先生が生徒に対し、構造的に知識を授ける役割は引き続き重要だと思います。けれど子供たちにはその前に、自由に気の向くまま過ごしてきた、ダイナミックでリアルな原体験が必要なのです。僕はこれを「Pre-STEAM」と呼んでいます。じーっとアリの行列を眺めていたり、穴の中にひたすら石を落とし続けたり、大人から見れば一見無駄と思えるような単調な行動こそが、子供時代にはとても大事なのです。
遠回りで非効率でも、教えない。体を動かし、汗をかいて、気づかせる
--大人がお膳立てをした予定調和ではなく、子供が自由に気の向くまま過ごせる時間が必要だ、と。その他、コロナ禍で親子が過ごす時間が増える今、「生きる力が弱い」「ダイナミックでリアルな原体験が足りない」子供たちに、家庭でできることは何でしょうか。
コロナ禍では在宅時間が増えて、子供たちがゲームやタブレットといった道具を使う時間も増えました。未曾有の危機の中、現実世界を体験しにくい状況ですが、空気や湿気、匂いなど、リアルな経験を失っていくのはとても恐ろしいことです。
中邑賢龍教授と加藤紀子さん
「子供が夢中になれることをどうやって探せばいいか」とよく聞かれるのですが、デジタル機器から完全に離れて、何もないところに連れていって好きにさせてみてください。GPSに頼らず目的地を目指してみたり、畑で野菜や果物を育ててみたり、動物や自然に触れ合ったり。情報や労働はタダではないこと、生き物は人間の思うようにならないことなど、子供たちに体験を通じて気づかせることがとても大事です。
それには親にも覚悟が入ります。親もデジタル機器を手放し、遠回りで非効率でも、一緒に体を動かし、汗をかいて、知恵を絞る。子供に何かを「教える」のではなく、リアルな経験を徹底的に体に染み込ませて、子供に「気づかせる」のです。今、親が子供に授けるべきものは、子供に自分の無力さを気づかせる時間だと思います。
すべての子供たちが、心に傷を残すことなく育つ社会
--すべての子供に天賦の才能がある。でも、どうしても社会でうまく立ち回れず、振り落とされてしまう子たちもいます。すべての子供たちの才能を潰さず、伸ばしていくために、社会はどう変わるべきだと思いますか。
社会の中に、新しい評価軸、多様な枠組みをつくっていくべきです。今の社会は、「ありのままでいい」と言いながら、ひとつの枠組みの中に、既存の評価軸で、個性の強い子も十把一絡げに押し込めようとしています。「インクルージョン」「ダイバーシティ」という標語を掲げていても、当事者に聞いてみると、足手まといになってしまうからと仕事が与えられなかったり、コミュニケーションの難しさからいじめにあったり、必ずしもうまく共存できていないのが実情です。
多様な枠組みと新しい評価軸をつくり、環境さえ整えてあげれば、どんな人にも自分の居場所ができ、落ち着けるはずです。でも今はひとつの枠組みしかなく、そこからはみ出てしまった人たちを福祉の対象とし、エクスクルード(排除)してしまっているのです。
鹿児島市にあるしょうぶ学園は知的障害者向けの福祉施設ですが、職員は福祉の専門家だけでなく、アートや音楽など、さまざまな専門家がいます。こうした専門の目利きが、作業場で障害者が作ったものに価値を見出し、作品として販売しています。一見して価値があるかわからないものでも、プロデュースによって見事に高値が付く作品に変えられる。まさに新しい評価軸です。畑で作った野菜を使い、洒落たレストランで美味しい食事を提供したり、パンを焼いたりと、地域コミュニティの住民の憩いの場にもなっています。
新しい評価軸をプロデュースできる人々を介して、障害のある人達のコミュニティが外の環境と分離されず、地域と結びつく。ひとりの人間としては難しくても、そのコミュニティごと地域と共存できれば良い。「社会がおかしい」ってことに気づく人が増えて、「社会を変えよう」と動けば、それによって生きやすくなる人たちはたくさんいるのです。
--最後に、生きづらさを抱える子供たちへ、そしてその子供を見守る親たちへ、メッセージをお願いします。
子供は何も悪くない。だから、子供を変えようとする必要はありません。ものすごく抵抗する子供がいますが、それもその子の特性なのです。その特性を親や周りの大人が力尽くで潰してしまうと、子供は必ず心に傷を残します。トラウマになり、一生苦労する子もいます。すべての子供たちが、心に傷を残すことなく育っていく。僕はそれが一番大事だと思います。今、辛いかもしれないですけど、どんな子供も必ず動き出しますから。どうか目の前の子供を信じて、見守ってあげてください。
--ありがとうございました。
「苦手なことを無理に克服しようとしなくていい」「子供は何も悪くない」「すべての子供には天賦の才能がある」中邑先生の言葉を改めて噛み締めると、私たちの社会はどれだけのギフトをみすみす失っているのだろうという悔しさを感じずにはいられない。
目の前にいるわが子のギフトは何か。私たち大人こそ依存状態になっているさまざまな道具を手放し、ダイナミックにリアルに、親子で今この瞬間を一緒に過ごすことで、その本質が見えてくるのかもしれない。
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今回のインタビューは示唆に富んでいます。ユニバーサルデザインではなく「18禁デザイン」とは面白い発想です。何でも便利ではなくあえて不便を提供する、いわゆる野外活動のようなことを、日常スタイルにも教育として求めるということです。すてっぷもそのことはとても大事なことだと考えています。できるだけ野外に出かけ、水や土、火や風、生き物や草花を対象にして遊ぶことが重要だと考えています。確かに公園遊びは子どもを管理しやすいですが、遊具遊びとボール運動程度で変化に乏しい物ばかりです。働きかければ変化するもの、工夫すればするほど変化するものはタブレット中にもありません。
何でも便利なものを与えてはいけない、不便だから便利にしようと考える、知らないことだから知ろうとする。こうした動機を子ども時代から奪ってはならぬと中邑先生は警鐘を鳴らします。こうした子どもたちの体験の上にSTEAM教育は成り立つのであって、その逆はないと思います。「S」(SCIENCE 科学)「T」(TECHNOLOGY 技術)「E」(ENGINEERING 工学)「A」(ART 芸術)「M」(MATHEMATICS 数学)これらを結びつけた教育が必要だと専門家は唱えますが、土台になるカルチャー(文化)が貧しくては成立しません。
中邑先生は、自発的に学んだり遊んだりする環境と付き合う大人だけ準備して、あとは放置せよと言っているようにも思えます。「インクルージョン」も「ダイバーシティ」という標語も息苦しいという当事者の声に私たちは耳を傾けなくてはなりません。ただ、世の中は皆で生きているのですから、どこかで折り合いをつける必要があります。それは少数者の当事者だけに求められるものではなく、多数者の我々にも求められるべきものです。その双方の折り合いのつけ方を、「支援」と呼ぶべきだろうと思います。折り合いと言うからには、お仕着せではなく当事者の意見もあるという事です。従って、支援はいらないのではなく、その折り合いの境界線は人によって違うので、支援も人によって違うのだと思います。
東大先端研のプロジェクトは、子供を変えるのではなく社会を変える挑戦<前編>
東大先端研のプロジェクトは、子供を変えるのではなく社会を変える挑戦・・・中邑賢龍教授インタビュー<前編>
2021.8.24 【リセマム】
才能に恵まれても個性が強くて仲間外れにされたり、問題児扱いされて不登校になってしまったり…そんな「生きづらさ」を抱える子供たちに、学びの場を提供する東京大学 先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクト「ROCKET」。そのディレクターを務める中邑賢龍教授が2021年6月、「どの子も違う -才能を伸ばす子育て 潰す子育て」(中公新書ラクレ)を上梓した。
今回は中邑教授に、子供ひとりひとりがもつ多彩な才能を潰す子育て、伸ばす子育てについて話を聞いた。
東大の異才発掘プロジェクトへの誤解
~「ROCKET」は神童を輩出する集団ではない~
--東大先端研の異彩発掘プロジェクト「ROCKET」(Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents)には、強いこだわりとユニークさゆえに不適応を起こした子供たちが集まりました。才能を「潰す」から「伸ばす」へ、子育てのまさにパラダイムシフトですが、このプロジェクトは、どんな思いから始められたのでしょうか。
ユニークな個性をもっているのに、働けない大人がたくさんいます。その背景には、子供のころからその特性をすべて否定された、深い心の傷があります。なぜ彼らは傷つき、その傷が深くなったのか。それは「学校に行くのが当たり前だと思っていた」から。そこで無理をし続けたことで、傷が深くなってしまったのです。
きっと今も同じように苦しんでいる子供たちがいるはず。だったら「学校なんて行かなくていい」というプロジェクトをやれば良いじゃないか、と。それが「ROCKET」の始まりでした。
--アカデミックな世界の基礎研究や、新しい価値を生み出す革新的なモノづくりなどに没頭する異才児が集まり、メディアからも大きな注目を集めましたね。
注目して頂けたのはありがたかったですが、本来僕らが目指していたのは、あくまでもこだわりが強く、異質扱いされて生きづらさを感じている子供たちの「能動性」を、それぞれのペースに合わせてじっくりと引き出していくことでした。
その結果として、「Extra-ordinary Talents(特異な才能)」という言葉どおり、既存の枠を超えて才能を開花させ、一流大学に進学するなど、「ROCKET」をキャリアパスとして羽ばたいていった子もいます。けれどその一方で、今も自室に引きこもり、ドア越しに「おーい、そろそろ出てこないか?」と僕らが声をかけ続けている子供たちもいる、というのもまた現実です。
成長のペースは子供によって違うので、こうした結果は僕らにとっては想定どおりなのですが、世間からは「ROCKET=神童を輩出する集団」のように見られるようになり、最近は勉強がずば抜けてできる子たちが多く集まるようになってしまいました。
オール1でも、懸命に生きている子供たちを支援する新プロジェクト「LEARN」
--そうしたサクセスストーリーを目にすると、親はついわが子と比べてしまい、「そうやって突き抜けられる子はごく一握り」「うちの子があんなふうにうまくいくとは思えない」「社会で自立してやっていけるのか」といった不安をかき立てられます。私もこの仕事をしていて、活躍にばかりフォーカスした記事を書くことで、新たな格差を生むことに加担していないか。傷つけ、絶望させてしまっている人たちがいるのではないかと反省することがあります。
そうですね。確かに、発達障害や不登校など、生きづらさを抱えている子供たちの中にも成長差はあります。その強いこだわりや個性をうまく伸ばし、大学まで行けるような子供は何も問題はないのですが、僕らが本当に支援しなければいけないのは、そこまで突き抜けられないものの、必死にもがき、懸命に生きている子供たちです。そこでいったん「ROCKET」の看板を下ろし、プロジェクトとしてのベクトルが「神童」だけに偏らないよう、もっとマルチに広げたいと思い、新たに「LEARN」というプロジェクトを立ち上げることにしました。
このプロジェクトは、ニトリの会長である似鳥昭雄さんから声をかけてもらいました。似鳥さんは70歳を過ぎてから、自身が発達障害、ADHD(注意欠如・多動症)であることがわかったそうです。子供時代の成績はオール1。小学校4年生になっても漢字で自分の名前が書けず、全然勉強ができずにいじめられ、本当に辛い経験をした、と。だからこそ、同じような思いで苦しんでいる子供たちを応援したいと言ってくださったのです。
「LEARN」では、学校の成績がオール1の子でももらえる奨学金をつくります。勉強ができる子ではなく、勉強したい子に奨学金を出したいのです。他にも、これまで「ROCKET」ではサポートしきれなかった、医療的ケアの必要な重度重複障害と呼ばれる子供たちや、そういった障害など生きづらさを抱える子を育てる親御さんたちにもフォーカスを当てたプログラムを展開していきたいと思っています。
大人から褒められるのが大好き。外発的な動機付けで動く子供が増加
--ご著書の中で、「そもそも日本社会は集団志向で、異質な人に対して寛容とは言えなかったものの、社会はもう少し緩く穏やかにまわり、その分、ユニークな人たちにも生きる道が残されていた」という指摘がありました。昔はもっと大雑把で、おおらかな社会だった、と。ところが今は、「何が正しいのか」「何が間違っているのか」を明確に求めるようなコンプライアンス(*1)意識が高まり、大人たちは出る杭にならないように怯え、萎縮している。そして、そうした意識は子供にまで浸透し、小学校でも低学年から、同調圧力がいじめや不登校の原因にもなっているようですね。(前回の不登校新聞・石井氏インタビュー「低学年からマウンティング・同調圧力に苦しむ子供たち」はこちら)
*1「コンプライアンス」:法令や規則、社会的規範や倫理などを遵守すること
子供というのは、生まれつきもった特性に応じて行動していきます。けれどそれを放っておくと、社会の中でコントロールしきれません。だから特に日本の教育では、枠にはめることで金太郎飴のように均質化された人材を育て、効率的に働かせて、戦後の高度成長を支えてきました。さらに、「ゆとり教育」を否定した反動で、学校がますます杓子定規な社会になってしまっているように感じます。
中邑賢龍教授と加藤紀子さん
--小学校では、プログラミングや英語が加わり、現場の先生達はやることが増えて大忙しです。また、家庭でも「小1プロブレム(*2)」を避けるべく早期教育に頼るなど、子供たちも幼い頃からとても忙しくなっています。こうした変化についてはどう受け止めていますか。
*2「小1プロブレム」:小学校に入学したばかりの1年生が、黙って座って授業を受けられない現象。スムーズに小学校生活へ移行させるため、小学校入学前に読み書きや計算などに一定時間集中させる練習などを行う保育園・幼稚園や習い事などがある。
都内の小学校でも関わっているプロジェクトがいくつかありますが、とにかく子供たちに時間がないことに驚きます。先生方はやることが多くて授業数が足りないと嘆いているし、子供たちは放課後も塾や習い事でびっしり。これじゃ、ぼーっとする時間もありません。
でも子供たちはそれで満足しているんですよ。なぜなら子供って、大人から褒められるのが大好きだから。こうして、外発的な動機付けばかりで動かされて成長する子供が増えているのです。
「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げているうちはダメ
--先生は「成績が良ければ優秀」な時代は終わった、とも仰っています。真面目で、友達も多く、テストの成績が良く、悩みがなく、親も教師もまったく心配していない。そうやって「問題が顕在化していない子」の方が心配だ、と。
そう遠くない未来に、AIやロボットが既存の仕事を代替するようになります。ところが未だに、「問題が顕在化していない子」が追い求めているのは、このAIやロボットに奪われる対象となる能力なのです。これから人間は、余暇を充実させたり、自分で仕事をつくり出したりする能力が求められるようになるでしょう。けれど彼らは、外発的な動機付けで楽しいと感じているだけで、「これは本当に自分の人生か」「自分が好きなこと、やりたいことは何か」と自分の内側に問うことがなく、同調圧力に流されてしまう。そこが心配です。
--歴史を振り返れば、社会に革命を起こしたり、新たな道を切り拓いたりした「異才」たちの幼少期は、必ずしも学校に適応して、成績が優秀だったとは限りません。確実にその人たちは変わり者だったけれど、芽が出るまで放っておかれたから、「異才」たり得たわけですよね。
最近、発達障害がブームのようになっていますが、周囲から変わり者と見なされるユニークな子供たちを安易に「障害」と認定し、性急に治療するという考え方は非常に危ういと感じます。落ち着きがなく、空気が読めず、成績も悪く、学校に行き渋っている子でも、その子の特性を理解し、周囲の大人が見守ってやれば、彼らは自分の力で動き出せます。
学校で「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げているうちはダメですね。「ひとり静かに大人しく」っていうクラスがあっても良いじゃないですか。全然喋らず、人の話もまともに聞かず、「一体こいつは何を考えてるんだ?!」って思ったら、結構面白いこと考えている子っていっぱいいますよ。テストや学校の勉強が苦手でも、じっくりと物事を深掘りして探究できる。そういう才能も潰さない社会にしなければいけません。さまざまなイノベーションのタネを撒きたければ、凸凹で多様な特性をそのまま包み込める社会に変える必要があるのではないでしょうか。
苦手なことを無理に克服しようとしなくて良いじゃないですか。子供を変えるのではなく、社会の制度を変える。僕は今、そこに挑戦しているのです。
インタビュー後編「子供たちに必要なのは『リアリティ』と『自分の無力さを気付かせる時間』」へ続く。
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中邑先生のお話を読んでいると、坂本龍馬を思い出します。「日本を今一度せんたくいたし申候」と言って、これからの世の中に必要なものが幕府にないなら自分たちが海援隊をおこして新しい経済の仕組みを作ればいいと、「時勢に応じて自分を変革しろ」「何の志もなきところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり」と大勢を非難して自らを奮い立たせます。中邑先生も、学校で「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げている限り、ユニークな人が育つわけがないと大勢を敵に回すような発言をされます。
転ばぬ先の杖のような教育や発達支援をしていて、今後の未曽有の世界が乗り切れるか?中邑先生は、AIが得意とするものは素早く検索できる知識と、枠組にはまり込んだ既知の思考パターンだと言います。それをAIに奪われた「エリート」に残されるものは皆無だと言って、既成の価値観や評価軸を疑ってかかります。
龍馬は、「わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ」として既存の知性を笑い飛ばします。
そして、時代の変革者龍馬自身の人生については「人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ」と独立独歩を尊重します。これは凸凹の子どもたちを含む全ての子どもたちに向けた中邑先生のメッセージと瓜二つです。
養護教諭 子供を守る駆け込み寺の癒し役
チーム学校
養護教諭 子供を守る駆け込み寺の癒し役
2021/8/25【産経WEST】
教員と教員以外の専門職が連携し、学校を中心に一つのチームとして子供たちをサポートする「チーム学校」において、心身に問題や悩みを抱えた子供たちが出入りする保健室は核となる存在だ。教室に入れない子供がいれば戻るきっかけを模索し、虐待やいじめなどの深刻な問題の端緒をもつかむ。昨年からは新型コロナウイルスの感染対策も担う。体調を崩した子も、一見元気そうな子も-。養護教諭は、平穏な日常を守る砦となっている。
7月上旬の平日、午前11時。大阪府内の公立中学校の保健室は2つあるベッドが埋まり、離れた場所にあるソファや椅子に4人の生徒が座っていた。
さらに1人、男子生徒が戸を開けて「休ませてください」と小さな声で訴えた。「次の時間まで椅子で休んでもらってもいいかな」。そう言って男子生徒に体温計を手渡したのは養護教諭の佐藤あゆみさん(34)=仮名=だ。
「全然教室に行ってなかった人が、いきなり行ったらびびらん?」。別の男子生徒が佐藤さんにさりげない様子で尋ねると、「『来てくれたんや』っていう気持ちが勝つと思うよ」と笑顔を向けた。持病があって教室から足が遠のき、現在は保健室にだけ登校する生徒だと、後に佐藤さんが教えてくれた。
様子を見に来た担任が生徒に声をかけて立ち去ると、佐藤さんは走って廊下まで追いかけ、保健室での様子や訴えなどを伝えた。「教室に入りにくくなった子供が戻るための足掛かりは、担任の先生の協力なしには作れないんです」
教室に入れない事情
保健室は、新型コロナウイルスの影響も色濃く受けている。佐藤さんは「一時は保健室に来る生徒がもっと多かった。発熱した生徒とそうでない生徒を分けるゾーニングもできず、苦労した」と振り返る。
そんなコロナ下の今春、佐藤さんが気にかけていた卒業生の女子生徒が保健室に姿を見せた。現在は高校生。家庭状況が厳しく、中学2年から教室に入れなくなった。頭痛や腹痛を訴え、登校すると保健室で時間を過ごし、佐藤さんに少しずつ家庭事情を打ち明けた。
父親は大声で生徒や母親を罵倒し、「俺の金で生活してるんやろ」と威圧していた。生徒は母親に離婚してほしいと訴えたが、母親には一人で子育てをする自信はなく、離婚に踏み切ることはなかった。
家では父親の顔色をうかがい、学校でも無理に元気に振る舞う。佐藤さんは「周囲への配慮でエネルギーを使い果たし、へとへとになっているようだった」と振り返る。
女子生徒の望む進学先は、父親の方針とは違っていた。安易に口にすれば、殴られるかもしれない。佐藤さんは母親と連絡を取り、父親の説得に知恵を絞った。生徒をスクールカウンセラーにつなぎ、校長や生徒指導の教諭らも参加する学校内の会議で毎週生徒の状況を取り上げ、対応策を検討した。
そして生徒は希望していた高校に進学した。だが再び、高校卒業後の進路選択が目前に迫っていた。「大学に行ったら家を出たい。でもお母さんが心配」。佐藤さんはそんな生徒の話に耳を傾け、最後にそっと背中を押した。「お母さんは大人だから大丈夫」
生徒と一緒に考える
学校教育法は「養護教諭は児童の養護をつかさどる」とのみ書く。だが、その職務の幅は広い。肥満や痩身(そうしん)、生活習慣の乱れ、アレルギー、性の問題、いじめ、虐待…。子供の健康上の問題は多様化し、精神状態とも密接にからみあう。
現在、大阪府立吹田東高校で指導養護教諭を務める鈴木秀子さん(58)は30年以上、各地で世相を映すさまざまな問題に直面してきた。覚醒剤を使用した生徒もいれば、女子生徒が個室で男性客をマッサージする「JKリフレ」にかかわったケースもあった。親族の介護を担う「ヤングケアラー」もいた。本音をなかなか打ち明けない生徒も多い。
鈴木さんは入学してきた一人一人の生徒について、中学校の資料を基に家庭状況を整理している。支援が必要な生徒は顔や名前を覚え、職員室に出向いて情報を収集することもある。若い頃は生徒の困難を前に右往左往したが、「一生懸命考えてくれているとわかったから、私も頑張ろうと思えた」という生徒もいた。
保健室は、医務室でも家でも、ただの居場所でもないと鈴木さんはいう。「最後に答えを見つけるのは生徒自身。私にできるのは生徒と一緒に『次の一手』を考えることです」(地主明世)
子供のSOS、いち早く気づく力 小山健蔵氏
大阪教育大の小山健蔵名誉教授(健康生理学)は「養護教諭にとって、大切な力の一つが『みる力』だ」と指摘する。「患者を診る、注意して観る、面倒を看るなどの言葉があるが、すべて養護教諭の職務にいえること」だからだ。
国は子供たちのさまざまな困難に対応するため、教員と教員以外の専門職が連携するよう求めている。その「チーム学校」の中で、養護教諭は児童生徒が助けを必要としているサインにいち早く気づき、学校と専門職をつなぐ窓口となる役割を担う。
もともと養護教諭の始まりは、明治時代に目の感染症への対策として岐阜県が「学校看護婦」を採用したことだった。その後全国に広がり、昭和16年に教職員として位置付けられ、同22年に制定された学校教育法で「養護教諭」となった。
アレルギーやメンタルヘルスなど、子供たちが保健室を訪れる理由が複雑化、多様化する一方、多くの学校で養護教諭は変わらず1人だ。子供たちの学校における健康や安全管理の基礎を学ぶ「学校保健」についても、養護教諭や保健体育の教員以外は養成課程上の必修ですらない。
小山教授は「養護教諭の仕事を一人でこなすのは困難な状況だ。一般の教員も知識を持ち、養護教諭の複数配置も進めて負担を減らすことが望ましい」と指摘。「学校保健は教員になるための必修とすべきだ」と訴えている。
児童虐待・いじめ…存在感増す
公益財団法人「日本学校保健会」が平成28年度に行った調査では、保健室の1日の平均利用者数は小学校で22人▽中学校19人▽高校19・8人。保健室を訪れた子供に継続した支援を行ったとする学校の割合は、小学校から中学校、高校と学校段階が上がるごとに増加し、高校では9割に上る。養護教諭が対応した「いじめに関する問題」は小学校で前回(23年度)の3倍に増え、保健室利用の背景に児童虐待を指摘した割合は中学校で前回から倍増するなど深刻さを増している。
新型コロナウイルスの影響の分析はまだこれからだ。ただ、昨年3月の一斉休校直後から継続的に養護教諭にアンケートを行ってきた埼玉大の戸部秀之教授(学校保健)の今年の全国調査では、コロナ禍で不登校や保健室登校になったり、不安定な精神状態の児童生徒が増加したという回答が全体の4割を超えた。栄養バランスや生活リズムの乱れなどを指摘する声が減少傾向なのに対し、この項目は減っていないという。
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保健室や養護教諭の事を悪く言う子どもはいません。担任の先生たちは忙しそうにしているのでゆっくり話しかける機会がありません。また、先生の居場所は教室か職員室なので落ち着いて話すことができません。学校で静かな空間を占有しているのは校長室か保健室、学校用務員室です。
養護教諭は、身体測定や健康診断、怪我の時にも軽く身体に触れることが多いので皮膚感覚の安心感が生まれるのかも知れません。また、白衣を着ている養護の先生は、他の教員とは一線を画したように子どもには見えるのかも知れません。中には校長先生や用務員さんの部屋を好んで休憩場所にしている子どももいますが、圧倒的に保健室と養護教諭が人気です。
事業所利用の子どもたちに、私達は、担任の先生に話しにくければ保健の先生に話せばいいし、用があってからでは話しにくいので、用がなくてもちょくちょく話に行くといいと助言しています。養護教諭は外傷や内臓疾患だけでなく、学校精神保健の要でもあるので、発達障害の子どもたちの様子も知って欲しいのです。学校連携で話をしに行くと、最も発達障害の理解が早いのは養護教諭の先生です。教員は集団適応を求めがちですが、養護教諭は適応よりも子どもの目線で安心や安全を第一に考えるからだと思います。
支援学校の養護教諭は複数配置です。支援学校は通常学校の小児科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科の4校医以外に整形外科医や精神科医も校医にして対応しています。相談できる医師が多い方が心強いとは思いますが、ここに学校看護師やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーといった専門家も束ねて、教員との橋渡しの役割もあるので連携ストレスの負荷が一番たくさんかかる部署でもあります。子どもには暇そうに見せながらも、頭脳はフル回転の養護教諭に頭が下がります。
※座高測定は2015年に「測定の意味がない」と廃止された