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デルタ株で子供の感染状況は? 静岡市の小児科医に聞く

デルタ株で子供の感染状況は? 静岡市の小児科医に聞く

2021.08.19【日テレNEWS24

静岡県内では第5波になって学校などでのクラスターが増えていて、夏休み後の学校再開に不安の声も上がっている。

子どもたちのコロナ感染の現状について小児科の医師に聞いた。
新型コロナの感染が急拡大する中、県内では7月から学校や幼稚園でのクラスターが7件確認されるなど子どもたちが感染するケースが増えている。緊急事態宣言を受けた対処方針として、県は学校に対して「部活動の制限」や「オンライン授業」「時差通学などの工夫」を求めているが、学校再開を前に親たちは。
(小学生の母親)
「ちょっと行かせづらい。休ませた方がいいとは思いつつ、そうすると学習面が不安になってくるので上手にやってくしかないと思う」

デルタ株の拡大で子供たちの感染の現状は?
これまで子供のコロナ患者の診療を続けてきた静岡厚生病院の田中敏博医師に聞いた。
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「8月に入ってから僕の立場で対応する子どもの陽性者は着実に増えている。ただ、それに伴って重症者が増えているかというとそうではないので、子供が感染したけれど順調に良くなったケースがほとんど」
全体の感染者の増加に伴い10代の感染も増えているものの、他の年代と比べて少なく、8月10日までの一週間の全国の感染状況でも20代以下の重症者はいない。

子供の陽性者の症状については?
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「熱が出る、頭痛を訴えるケースやせき、鼻水。デルタ株だからといってすごく強い症状とは感じていない」
一方、7月までは静岡市内の子供の患者は無症状が6割だったものの8月に入ると軽い症状が出ている子どもが増えている印象という。

また、最近は家族内で子ども一人だけ陽性で、どこからうつったのかわからないケースが増えてきているという。
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「例えば子どもと大人が一緒に療養していても、家庭内でお父さん、お母さんが子どもから感染したことはあまりないので、子どもから(大人に)感染しにくいという原則は保たれていると思う」
親の世代である30代から50代の感染や重症者が増えている中、まずは大人が感染対策とワクチン接種をすることが重要だと指摘する。

県内で学校関係のクラスターが起きていることについては?
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「仮にクラスターが発生しても、子どもに関しては重症になる確率が非常に低いこともあって、ただちに心配を深める必要はないし、園や学校を責め立てるような雰囲気は社会としてつくってはいけないと思う」

学校再開を前に一番、注意すべきことは?
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「朝調子が悪そうだったけれど何かの活動に出てしまった。部活動に行ってしまったケースはある。熱があるとか調子が悪いということがあるなら、その日は大事をとってお休みをしていただくのが一番大事かなと思う」
症状がある時やいつもと調子が違うと思った時は、お子さんのためにも周りのためにも休ませることが大切だという。

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米で子どものコロナ感染入院が最多に、デルタ株拡大で

2021.08.14【ロイター】

米国で14日、新型コロナウイルス感染症で入院した子どもの数が過去最多の1902人となった。南部では感染力の強いデルタ型変異株による感染拡大で、医療体制が逼迫している。

デルタ型は主にワクチン未接種者の人口の間で急速に拡大しており、ここ数週間で入院者が急増。厚生省によると12歳未満の子どもの入院が急増して過去最多に達した。

現在、小児の感染者は全米の入院者の2.4%程度。12歳未満の子どもはワクチン接種対象となっておらず、感染力の強い変異型に対して脆弱な状態だ。

米疾病対策センター(CDC)によると、今週には18─29歳、30─39歳、40─49歳の新規入院者も過去最多の水準に達している。
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最近、オリパラで学校観戦を認める向きで行政が動き出すと、メディアが一斉にデルタ株が広がって医療崩壊しかけているのにけしからんと集中砲火を浴びせています。また、メディアはNHKまで政府と専門家の意見の食い違いを報道しますが、医療業界の代表のような専門家と政治家の意見は違って当たり前です。

そもそも、医療関係者を一番先にワクチン接種した理由は、全ての医療が感染対応できるようにと優先接種したはずですが、いつまでたっても治療対応する医療施設が増えないことについては誰も報道しません。

時折、最も過酷な医療現場の映像と関係者を登場させて全体が危機に瀕しているようにも見せます。BSニュースでも米国の小児感染者の入院が相次いでいると報じ次は日本だとばかりに報道し、教員のワクチンやマスク装着の義務が米国全土で社会問題になっているかのように描きます。

しかし、最近はNHK以外の局によっては、今回の日テレのようにまともな現場医師の意見を取材して報道している様子もちらほら見かけるようになり始めました。日本小児学会デルタ株感染の子どもの症状はこれまでと大きな変化はないと公式に発表しています。

それにしても、ロイターが報じている子どもの感染入院増加(米国人口は3億3千万人)日本の現状とあまりにもかけ離れていますが、原因は二つ考えられます。一つは欧米人に比べて日本人の感染しにくさ重症化しにくさの「ファクターX」です。もう一つは、子どもの肥満やそれに付随する基礎疾患の違いだと思われます(米国児童肥満率42%、日本児童肥満率12% 世界子供白書2019)。

最近のメディアの流す情報の偏向ぶりは日米ともあまり変わらなくなってきました。疑問を感じたら実際のデータをネットで調べるしかないという人もいます。いつの間にか社会の公器が、視聴率さえ上げればいいという煽り報道に汚染されてきている現状を残念に思います。

「児相で抱え込まず、多機関で子どもを守って」 大津・女児暴行死

「児相で抱え込まず、多機関で子どもを守って」 大津・女児暴行死でNPOが要望書

2021年8月18日 【京都新聞】

大津市の無職少年(17)が自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させたとされる事件を受け、子どもの虐待防止に取り組むNPO法人「シンクキッズ」(東京都)は18日、虐待が疑われる事案について、児童相談所(児相)や市、警察などの関係機関が情報を共有し連携体制を整えることを求める要望書を、滋賀県や県教育委員会などに提出した。

兄妹は7月21日未明、自宅近くのコンビニにおり、警察が保護。連絡を受けた大津・高島子ども家庭相談センター(県の児相)は「ネグレクト(育児放棄)の疑いがある」として、母親と8月4日に面談予定だったが、妹は同1日に死亡。兄は7月下旬~8月1日ごろ、妹に暴行し死亡させたとして、傷害致死容疑で逮捕された。

要望書では、今回の事件で、児相は兄妹の保護後、直ちに警察に家族の情報を提供し、早急に合同で家庭訪問して妹への暴行の有無を確認するべきだったと指摘。事件を教訓に、疑いを含む全ての虐待案件の情報を、児相と警察、市町、学校などの関係機関が共有し、子どもの安全確保を図る体制を、県に構築するよう求めた。

同法人代表理事の後藤啓二弁護士(62)は「児相だけで案件を抱え込んでは虐待は防げない。常に多機関と情報を共有し、ベストな体制で子どもを守ってほしい」と話した。

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「全て私が悪い。ネグレクトというならそう。私の責任」大津女児暴行死、母親が取材に

8/14(土) 【京都新聞】

大津市の自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させたとして、兄の無職少年(17)が傷害致死容疑で逮捕された事件で、兄妹の母親が13日、同市内で京都新聞社の取材に応じた。事件について「全て私が悪い。兄に妹の面倒をみさせてしまった。私の責任だと思っている」などと述べ、親としての責任を初めて口にした。

捜査関係者らによると、兄妹と母親は4月から同居していたが、母親は家を留守がちにしていたといい、滋賀県警は、ネグレクト(育児放棄)も背景にあるとみて、3人の生活状況の解明を進めている。少年の逮捕から同日で10日が過ぎた。

母親は、娘(妹)の名前の書かれた植木鉢などが並ぶ自宅前で、兄妹の名前を挙げながら、「全部、私が悪い。兄に妹(の面倒)をみさせてしまった」と話し、「それをネグレクトというならそう。私の責任やと思っている」と、途切れ途切れに話した。

捜査関係者らによると、母親は事件当時、家を留守がちで、事件が発覚した今月1日までの数日間は一度も家に帰らず、その間は兄妹は事実上2人だけで暮らし、一日に千円ほどで生活することもあったという。

兄妹は京都と大阪の別々の児童養護施設で育ち、妹が小学校に入学した4月以降、3人は同居を開始。当時の生活状況について、母親は、仕事で大阪に行くことがあったと言い、外出時には兄妹からは「早く帰ってきて」とせがまれたと明かした。幼い妹は「いかんといて」「一緒に行く」とすがることがあったといい、「(2人とも)一日(自宅を)離れても言うてたし、一日以上離れたらやっぱり…」とうつむいた。

そして、少年に対しては「申し訳なかった。まだ子どもやったんやな。妹をちょっとかわいがり過ぎた」と、自責の念を吐露した。

少年の逮捕容疑は、7月下旬~8月1日ごろ、自宅で、妹を殴ったり蹴ったりし、右副腎破裂やろっ骨骨折などを負わせ、死亡させた疑い。県警のこれまでの調べに対し、少年は容疑を認め、「妹の世話をするのがつらかった」「妹からちょっかいを出され、かっとなった」との趣旨の供述をしているという。少年は1日、市内の公園で「妹がジャングルジムから転落した」と救助を求め、事件が発覚した。

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大津女児暴行死、母子3人同居は適切だったのか児童相談所の対応検証へ

2021年8月14日【京都新聞】

大津市の無職少年(17)が自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させた事件で、滋賀県子ども・青少年局は13日、大学教授や弁護士、医師など専門家7人による「児童虐待事例検証部会」を今月内にも立ち上げる方針を明らかにした。

大津・高島子ども家庭相談センター(県の児童相談所)の説明では、3人の同居後、センターは月に1回程度、家庭や学校を訪問。その中で、虐待など家庭内トラブルの話は出ず、母親は兄妹について「関係は悪くなく、兄は面倒見が良くて頼りになる」と話していたという。

しかし、結果として事件が起きたため、同部会は原因を究明し、再発防止策を検討する。委員7人が児童相談所や大津市など関係機関の家庭への関わりが適切だったかなど課題を抽出し、再発防止策をまとめる。母子3人の同時期の同居を決定した判断が適切だったかも、議題となる可能性があるという。

少年の逮捕容疑は、7月下旬~8月1日ごろ、自宅で、妹を殴ったり蹴ったりし、右副腎破裂やろっ骨骨折などを負わせ、死亡させた疑い。県警のこれまでの調べに対し、少年は容疑を認め、「妹の世話をするのがつらかった」「妹からちょっかいを出され、かっとなった」との趣旨の供述をしているという。少年は1日、市内の公園で「妹がジャングルジムで転落した」と救助を求め、事件が発覚した。

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死亡女児の兄「妹の世話がつらかった」暴行認める供述滋賀・大津

2021年8月7日 【京都新聞】

大津市の無職少年(17)が自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させたとされる事件で、傷害致死の疑いで逮捕された少年が、滋賀県警の調べに対し、容疑を認め、「妹の世話をするのがつらかった」との趣旨の供述をしていることが6日、関係者への取材で分かった。母親は留守がちだったといい、県警は家庭状況や暴行の動機などを詳しく調べている。

大津・高島子ども家庭相談センター(児童相談所)の説明では、兄妹は家庭の経済的な理由などで県外の別々の児童養護施設で育ち、妹が小学校に入学した4月から母親と3人暮らしの生活となった。

少年は母親の代わりに妹の面倒をみて、近所の住民は妹とボールなどで仲良く遊ぶ姿をたびたび目にしていた。一方、暴行があったとされる時期に近い7月21日未明、兄妹が自宅近くのコンビニを訪れたため、同センターは「ネグレクト(育児放棄)の疑いがある」などとして、今月4日に母親と面談する予定だった。

少年は7月下旬~8月1日ごろ、大津市内の自宅で妹を殴ったり蹴ったりし、右副腎破裂やろっ骨骨折などを負わせ、外傷性ショックで死亡させた疑いで、4日に逮捕された。関係者によると、少年は、だだをこねるなどした妹にかっとなった、との趣旨の供述もしているという。県警は当時の詳しい状況を調べている。

事件が発覚したのは1日。少年はこの日午前、妹が同市内の公園のジャングルジムで転落した、と近隣住民に助けを求め、意識不明だった妹は搬送先の病院で死亡が確認された。県警は司法解剖の結果などから転落した事実はないと判断している。

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無職少年は、高校も行けずに家で暮らし、その少年が二人で一日1000円の食費で妹を見ています。この少年は広義ではヤングケアラーです。未明とは午前0時から午前3時頃、小1の妹を連れ出す時間ではないことくらい兄は分かっていたはずです。

それでも連れ出しているのは、尋常ではない事がこの子たちの家庭に起きており、保護すべきだと素人でも判断できます。或いは、兄が非常識が分かっていないと担当者が判断した場合も、そんな兄と一緒に家に帰してはまずいと考えるはずです。どちらにしても家に帰してはいけないと判断できたはずです。

「母子3人の同時期の同居を決定した判断が適切だったかも、議題となる可能性がある」から、「児童虐待事例検証部会」を今月内にも立ち上げるとのことですが、そんな会議を持たなくても不適切な判断であったのは自明の理です。

いったい誰のために会議を持つのでしょうか。役人の言い訳の場を作っているようにしか見えません。会議を持つことを発表するより、所長や市長が担当者の判断の非を認めて謝罪し、速やかに担当者や責任者の更迭措置を発表する事が第一に必要です(これは世間の常識です)。大津はいじめ事件でも第3者会議で担当者が責任を免罪されているとの批判がありました。行政が絡む深刻な事故の場合は、行政自らが招集する第3者会議で公平性が担保できているとは、とても思えません。行政の未必の故意※は、違法行為だと自らを厳しく律する姿勢がないと、いくら第3者会議をしても役人を守るだけで、担当者の脇の甘さから起こる重大事件がなくなるとは思えないからです。

※未必の故意
未必の故意は法律用語であり、「行為者が自らの行為から罪となる結果が発生することを望んいるわけではないが、もしそのような結果が発生した場合それならそれで構わないとする心理状態」を意味する概念である。「未必的故意」ともいう。

旭川中2死亡 尾木直樹氏「市長の立ち位置が重要」

旭川中2死亡尾木直樹氏「市長の立ち位置が重要」

2021/8/22 【毎日新聞】

北海道旭川市で今年3月、中学2年だった女子生徒(当時14歳)が遺体で見つかった問題で、生徒の母親の手記が報道機関に公表された。学校を訪れ、いじめを訴える母親に対し学校側は「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか」と迫っていたことが明かされるなど、その内容に批判が広がっている。「1人の被害者」はないがしろにされていいのか。長年いじめ問題に取り組んできた教育評論家の尾木直樹さんに聞いた。【山下智恵/デジタル報道センター】

概要は次のようなものだった。北海道旭川市で今年3月、中学2年の広瀬爽彩さん(当時14歳)の遺体が見つかった。死因は低体温症だった。


広瀬さんは2019年6月には旭川市を流れる川に飛び込み教師らに保護されていた。母親は、いじめがあったとして学校側に度々相談していたが、学校や旭川市教委は19年9月に「いじめと認知するまでに至らなかった」と結論づけていた。

今年4月、「文春オンライン」が一連の経緯を報道。全国から学校などへの批判が殺到し、市教委は学校からの報告と報道内容が大きく食い違っていたとして、いじめ防止対策推進法の「重大事態」にあたると認定。5月に第三者委員会を設置し、いじめの有無などについて調査している。


――いじめを訴える母親に学校側は、いじめを否定したうえで「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」(手記引用)と言ったとされ、批判が広がりました。

◆手記の内容がそのままだとすると、学校側は勘違いをしています。加害者か被害者かではありません。もちろん、一番不幸なのは亡くなった被害者です。一方で、加害者も価値観がゆがんでしまい、人の気持ちに共感する能力を持たないまま大人になってしまう。そのまま成長して通用するほど社会は甘くはありません。

加害者を、人の心に共感できないまま大人にしてはいけない。また、大勢いる傍観者にも苦しんでいる子を救えなかったという思いを抱かせたまま大人にしてはいけない。それが加害者側の学び、成長する権利を学校が保障することになるんです。自ら行ったことから目をそらさせ、触らないことが加害者を守ることではありません。

いじめ問題で得をする人はいません。そこの学びに責任を持っていることを教育関係者には自覚してほしいです。

手記によると学校側は、いじめを訴えて何度も助けを求めた被害生徒や母親に対し、いじめを否定し続けた。なぜそんなことをと思います。教員の多忙化や学校現場の閉鎖性、さまざまな要因が推測されるが、発言者個人を責めるより、なぜ学校社会がそういうことを言ってしまうかを考える必要がある。

――手記には母親がいじめを訴え、それが否定されたことが明かされています。対応の問題点はどこにあるのでしょうか。

◆いじめとは何かという出発点の定義がおかしいのです。この学校では定義がかつての古いままで更新されていないように見えます。

国が定めるいじめの定義ですが、1986年度からは「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの」としています。主語は加害者で、学校が認知したものがいじめです。

06年度から「いじめとは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」として、主語が被害者になりました。被害者が訴えたらいじめと認定しましょうと180度変わり、その後の定義にも引き継がれています。本人がいじめられたと認知し訴えたら、そのまま受け止めて、学校は動きましょうと、こういう定義に変わりました。

ですが、手記によれば学校側の対応は86年度のままですね。学校が「いじめはない」と言うのですから。特に今回は生徒が川に飛び込むという異常事態の直後です。加害生徒について、あの子がそんなことをするはずがないと思うのは自由ですが、加害生徒にも被害生徒にも、話をしっかり聞かなければならない。第三者委員会を設置して真相を究明していかなければいけない。

定義の変化だけでなく、13年度に成立・施行した「いじめ防止対策推進法」や文部科学省が17年に定めた「いじめ防止ガイドライン」の把握ができていないと思います。

――手記からは、旭川市が5月に設置した調査のための第三者委員会への不信感も読み取れます。

◆11年10月に大津市で中学2年の男子生徒がいじめによる自殺をした件の第三者調査委員会に、遺族側推薦の委員として参加しました。調査報告書の中に、第三者委員会のあり方も盛り込みました。公正・中立・独立の観点から自治体と関係の無い団体に推薦を依頼する必要があることなどです。

ですが、旭川市が公表した第三者委員会のメンバーは、地元の旭川や北海道に関わりのある方ばかりです。地元に影響があるとバイアスが掛かってしまうのは人間の必然です。最低限、地元の旭川の人は除外しないといけない。大津市の第三者委員会は滋賀県の出身者は一人もいませんでした。地元の人がいれば必ず被害者や加害者とどこかでつながりが出てきますから、客観的な調査になりません。

また、母親の手記で「第三者調査委員会は、だれが、どこで、どんな調査をしているのか、全く公にしていません。貴重な情報を持っている人がいても、これでは、情報を提供する先がないに等しいと懸念しています」との不信感が出るのも、遺族に寄り添うことに立脚できていない深刻な問題です。

――今後の調査のあり方はどうあるべきでしょう。

◆大津市の教訓から言うと、実は市長の立ち位置はすごく重要です。市長が遺族に寄り添って真相を解明するぞという姿勢に立てるか立てないか。いま、遺族には第三者委員会への不信感がある。だったら、例えば遺族側から担当弁護士など2人でも3人でも推薦してくださいと、市長が提案するだけでも建設的に前進していくと思います。

そして、生徒への調査について、私の経験では、2時間3時間でも向き合えば生徒には話が通じると思いました。加害者の親にはなかなか話が通じない場合が多いですが。大津市の調査では多くの生徒たちがすごく協力的で、勇気を出して次々と教えてくれた。この協力に応えなくてはという強い思いが第三者委員会のメンバー全員の出発点でした。そういった気持ちで、旭川市の調査も進んでくれたらと思います。

(※インタビュー直後の8月20日に旭川市の西川将人市長は市教育委員会に、調査の進捗=しんちょく=状況を遺族に伝えるよう要請しました)

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多大なコストと時間を投入しながら、結果として、不祥事からの脱却や社会正義を回復できなかった第三者委員会の事例は、枚挙にいとまがありません。それは、第三者委員会の委員選任の不透明性や委員自体の不適格性、的外れの調査目的の設定、さらには、真因にたどり着けない調査手法の不当性等、課題が山積みされたままだからです。

不祥事を起こした行政が委員を指名する場合、直接間接に利害関係のない人を指名する事こそ、そもそも無理があります。不透明な委員選出や会議をするくらいなら、民事で裁判を行う方が批判と擁護の関係がはっきりして、内容もすべて公開されるので誰にも理解しやすいです。

執行権限のない第3者委員会の意見があっても、強制力のない意見に、従うも従わないも行政の長の胸一つであるなら、最初から行政の長が決断すればいいのです。首長の判断の社会的責任は、投票と言う形で問われると言う帰結がありこのほうが明快です。

大津の女児死亡事件で担当者と責任者の更迭発表が先だと書きましたが、直接にせよ間接にせよ損害を起こした関係者を最高責任者の指示で更迭人事を行うのは社会では当たり前です。民間がそうするのは、放置すれば自社の信頼が失われ企業の存続にかかわるからです。

行政機関の責任の不感症はこの違いから生じます。だからこそ、部署全体の人事を入れ替えるほどの厳しい人事更迭を行う規律をもつべきだと思います。尾木直樹氏の意見は、個人を責めても解決しないと言いますが、尾木氏も関係した第3者委員会を開いた大津市で部署こそ違うとはいえ、同じ自治体管轄内で女児が死亡しているのは、個々の役人の姿勢とは関係のない不可抗力でしょうか。少なくともいじめ事件での第3者委員会の「予防的な対処」という提言が児童福祉の現場で生かされていないから事件が起こったのだと思います。

そもそも地方自治体には行政と議会という場所があるのに、この行政と議会が癒着し議会が機能しないから、民間を真似して第三者委員会が重宝されているとも考えられます。しかし、第三者委員会はこれまでに述べたように課題が多すぎます。尾木氏のいう市長次第というのはその通りですが、第3者委員会への市長の関与を言うなら筋違いです。市長は速やかに組織責任を果たすのが第一です。個別の事実関係は司法で明らかにしたほうが良いです。議会は再発防止を行政に正せばよいと思います。

「学校に行きたくない」大人は受け止めて

新学期 いま、あなたへ
山崎聡一郎さん 「学校に行きたくない」大人は受け止めて

2021/8/24 【毎日新聞】

小学校高学年の時、友人をかばったことで同級生に悪口を言われ、暴力を受けました。下校中に後ろから蹴られて歩道から農道に落ち、左手首を骨折しましたが、ほぼ毎日学校へ通いました。休めば自分が悪いような気持ちになりました。行かない選択肢はないも同然。「学校に行かなければ」というプレッシャーが一番つらかった。

同級生と離れたくて中学は私立に進みましたが、今度は加害者になりました。部活で部長を務めていた3年生の頃に後輩の一人が来なくなり、活動に支障が出たため全員で話し合う場を設けました。後輩は来ませんでしたが、退部させることを決めました。後で先生はこう言いました。「大勢で1人を追い詰める、いじめだよね」。後輩に謝り、関係は修復できました。加害者にはならない自負がありましたが、いとも簡単に、なり得ると知りました。

いじめの経験を経て、小学校の時に「人権って何だろう」と考えるようになりました。さまざまな法律が載っている本が読みたくて六法全書を手に取るようになりました。法律で、殴ってけがをさせることは傷害罪にあたる、などと書かれているからといっていじめが起こらないかといえば、それほど単純ではありません。ただ、法律を守れば起こりにくくなる可能性はあります。「いじめ防止対策推進法」は加害者を被害者とは別の場所で勉強させるなどして、被害者が安心して学べる環境を整えるよう明記しています。子どもも大人もそういう法律の知識を持つことも大切です。

もし、子どもに「学校に行きたくない」と言われたら「いいんじゃない?」と受け止めてあげてください。勉強が遅れることや将来に響くかもしれないことに、親は不安になるかもしれません。学校は理不尽さを学ぶ場だという意見もあります。でも、殴られる、ののしられるといった理不尽さなら、そんなことを体験する場所ではありません。

新型コロナウイルスの感染が広がるまでは、子どもたちに「助けを求めて」と伝えてきました。今は大人のケアも必要だと感じます。ストレスやつらさを抱えたままでは子どもに当たってしまい、追い詰めてしまう。大人も周りに助けを求めていい。それは子どもの安定にもつながるはずです。【聞き手・田中理知】

いじめ防止対策推進法
2011年に大津市の中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題を受けて成立し、13年9月に施行された。いじめを「児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義し、防止対策について国や自治体、学校の責務を明記している。

山崎聡一郎さん略歴
1993年、東京都生まれ。慶応大で「法教育を通じたいじめ問題解決」をテーマに研究。在学中に法教育副教材「こども六法」を製作し、書籍化された。教育研究者や俳優など幅広く活動し、子どもに法教育を教える学習塾を今年開校した。
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発達障害のある子どもたちは新学期をどう感じているのでしょう。利用者の小学生に夏休みの宿題の進捗を聞くと、「まだ半分しかできてない」と言う子もいました。「やばい。でも、テレビで夏休み延長するって言ってた」と、目を輝かせて言うので「あれは高校だけやで」と返すと、「まじかー」とうなだれていました。本当は学校行きたくないんじゃないのと聞くと、こくりと頷きます。

ASDの子どもは社会性の発達が遅れるので、中学年以降にちょっと自分は集団から浮いているなーとか、友達から嫌われているんじゃないかなーと感じて登校渋りが始まります。集団の前でも、それまではみんなのアイドル「不思議ちゃん」だった彼らが、少し自信を失い友達への反応も悪くなって、それを周囲がいじるという形でいじめの芽が出てくる場合もあります。

ある利用者の女子は、中学年以降登校渋りが起こり、高学年になってからは教室ではほとんど話さなくなったと言います。いじめる奴らもそれを見ぬふりする人も馬鹿だから話さないというのが理由です。読み書き障害もあり知的な遅れはないのに、じりじりと学力は落ちていきました。授業中は漫画を描いて一日を過ごします。何が目的で学校に行くのか聞くと、学校が嫌だと言えば親が悲しむし、中間休みや昼間休みの男子とのドッチボールは、話さなくても楽しめるのでそれだけを楽しみに登校していると、聞いているだけで私の胸が張り裂けそうでした。

子どもへのソーシャルディスタンスの要請は、遊びの共感性を薄め、笑い合ったりぶつかったりして育む友情の機会を狭め、マスク利用はただでさえ表情の読み取りの弱い彼らの人への誤解を増やします。日本中がマスクをしていたのに感染が増加しています。つまり、飛沫感染を理由にしたマスク予防の効果はなかったのです。学校内でのマスク使用についてアメリカでは義務化にしてはどうかという州もあるようですが、対人理解発達のデメリットが大きいという議論に何故ならないのか不思議です。

一方で、ソーシャルディスタンスやマスクのおかげで、対人交渉の頻度が減り、いじられることが少なくなって助かっているASDの子どももいます。マスクは感覚過敏で嫌がる子もいますが、大きなマスクで顔を覆う事で安心感を得ている子どももいるので、発達障害の子どもにとってはどちらがいいとは一概に言えないようです。乙訓は明後日から始業式。学校に行きにくくなった子どもが出てきてもそんな時もあるよと、子どもの言葉に耳を傾けたいと思います。

養護教諭 子供を守る駆け込み寺の癒し役

チーム学校
養護教諭 子供を守る駆け込み寺の癒し役

2021/8/25【産経WEST】

教員と教員以外の専門職が連携し、学校を中心に一つのチームとして子供たちをサポートする「チーム学校」において、心身に問題や悩みを抱えた子供たちが出入りする保健室は核となる存在だ。教室に入れない子供がいれば戻るきっかけを模索し、虐待やいじめなどの深刻な問題の端緒をもつかむ。昨年からは新型コロナウイルスの感染対策も担う。体調を崩した子も、一見元気そうな子も-。養護教諭は、平穏な日常を守る砦となっている。

7月上旬の平日、午前11時。大阪府内の公立中学校の保健室は2つあるベッドが埋まり、離れた場所にあるソファや椅子に4人の生徒が座っていた。

さらに1人、男子生徒が戸を開けて「休ませてください」と小さな声で訴えた。「次の時間まで椅子で休んでもらってもいいかな」。そう言って男子生徒に体温計を手渡したのは養護教諭の佐藤あゆみさん(34)=仮名=だ。

「全然教室に行ってなかった人が、いきなり行ったらびびらん?」。別の男子生徒が佐藤さんにさりげない様子で尋ねると、「『来てくれたんや』っていう気持ちが勝つと思うよ」と笑顔を向けた。持病があって教室から足が遠のき、現在は保健室にだけ登校する生徒だと、後に佐藤さんが教えてくれた。

様子を見に来た担任が生徒に声をかけて立ち去ると、佐藤さんは走って廊下まで追いかけ、保健室での様子や訴えなどを伝えた。「教室に入りにくくなった子供が戻るための足掛かりは、担任の先生の協力なしには作れないんです」

教室に入れない事情
保健室は、新型コロナウイルスの影響も色濃く受けている。佐藤さんは「一時は保健室に来る生徒がもっと多かった。発熱した生徒とそうでない生徒を分けるゾーニングもできず、苦労した」と振り返る。

そんなコロナ下の今春、佐藤さんが気にかけていた卒業生の女子生徒が保健室に姿を見せた。現在は高校生。家庭状況が厳しく、中学2年から教室に入れなくなった。頭痛や腹痛を訴え、登校すると保健室で時間を過ごし、佐藤さんに少しずつ家庭事情を打ち明けた。

父親は大声で生徒や母親を罵倒し、「俺の金で生活してるんやろ」と威圧していた。生徒は母親に離婚してほしいと訴えたが、母親には一人で子育てをする自信はなく、離婚に踏み切ることはなかった。

家では父親の顔色をうかがい、学校でも無理に元気に振る舞う。佐藤さんは「周囲への配慮でエネルギーを使い果たし、へとへとになっているようだった」と振り返る。

女子生徒の望む進学先は、父親の方針とは違っていた。安易に口にすれば、殴られるかもしれない。佐藤さんは母親と連絡を取り、父親の説得に知恵を絞った。生徒をスクールカウンセラーにつなぎ、校長や生徒指導の教諭らも参加する学校内の会議で毎週生徒の状況を取り上げ、対応策を検討した。

そして生徒は希望していた高校に進学した。だが再び、高校卒業後の進路選択が目前に迫っていた。「大学に行ったら家を出たい。でもお母さんが心配」。佐藤さんはそんな生徒の話に耳を傾け、最後にそっと背中を押した。「お母さんは大人だから大丈夫」

生徒と一緒に考える
学校教育法は「養護教諭は児童の養護をつかさどる」とのみ書く。だが、その職務の幅は広い。肥満や痩身(そうしん)、生活習慣の乱れ、アレルギー、性の問題、いじめ、虐待…。子供の健康上の問題は多様化し、精神状態とも密接にからみあう。

現在、大阪府立吹田東高校で指導養護教諭を務める鈴木秀子さん(58)は30年以上、各地で世相を映すさまざまな問題に直面してきた。覚醒剤を使用した生徒もいれば、女子生徒が個室で男性客をマッサージする「JKリフレ」にかかわったケースもあった。親族の介護を担う「ヤングケアラー」もいた。本音をなかなか打ち明けない生徒も多い。

鈴木さんは入学してきた一人一人の生徒について、中学校の資料を基に家庭状況を整理している。支援が必要な生徒は顔や名前を覚え、職員室に出向いて情報を収集することもある。若い頃は生徒の困難を前に右往左往したが、「一生懸命考えてくれているとわかったから、私も頑張ろうと思えた」という生徒もいた。

保健室は、医務室でも家でも、ただの居場所でもないと鈴木さんはいう。「最後に答えを見つけるのは生徒自身。私にできるのは生徒と一緒に『次の一手』を考えることです」(地主明世)

子供のSOS、いち早く気づく力 小山健蔵氏
大阪教育大の小山健蔵名誉教授(健康生理学)は「養護教諭にとって、大切な力の一つが『みる力』だ」と指摘する。「患者を診る、注意して観る、面倒を看るなどの言葉があるが、すべて養護教諭の職務にいえること」だからだ。

国は子供たちのさまざまな困難に対応するため、教員と教員以外の専門職が連携するよう求めている。その「チーム学校」の中で、養護教諭は児童生徒が助けを必要としているサインにいち早く気づき、学校と専門職をつなぐ窓口となる役割を担う。

もともと養護教諭の始まりは、明治時代に目の感染症への対策として岐阜県が「学校看護婦」を採用したことだった。その後全国に広がり、昭和16年に教職員として位置付けられ、同22年に制定された学校教育法で「養護教諭」となった。

アレルギーやメンタルヘルスなど、子供たちが保健室を訪れる理由が複雑化、多様化する一方、多くの学校で養護教諭は変わらず1人だ。子供たちの学校における健康や安全管理の基礎を学ぶ「学校保健」についても、養護教諭や保健体育の教員以外は養成課程上の必修ですらない。

小山教授は「養護教諭の仕事を一人でこなすのは困難な状況だ。一般の教員も知識を持ち、養護教諭の複数配置も進めて負担を減らすことが望ましい」と指摘。「学校保健は教員になるための必修とすべきだ」と訴えている。

児童虐待・いじめ…存在感増す
公益財団法人「日本学校保健会」が平成28年度に行った調査では、保健室の1日の平均利用者数は小学校で22人▽中学校19人▽高校19・8人。保健室を訪れた子供に継続した支援を行ったとする学校の割合は、小学校から中学校、高校と学校段階が上がるごとに増加し、高校では9割に上る。養護教諭が対応した「いじめに関する問題」は小学校で前回(23年度)の3倍に増え、保健室利用の背景に児童虐待を指摘した割合は中学校で前回から倍増するなど深刻さを増している。

新型コロナウイルスの影響の分析はまだこれからだ。ただ、昨年3月の一斉休校直後から継続的に養護教諭にアンケートを行ってきた埼玉大の戸部秀之教授(学校保健)の今年の全国調査では、コロナ禍で不登校や保健室登校になったり、不安定な精神状態の児童生徒が増加したという回答が全体の4割を超えた。栄養バランスや生活リズムの乱れなどを指摘する声が減少傾向なのに対し、この項目は減っていないという。

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保健室や養護教諭の事を悪く言う子どもはいません。担任の先生たちは忙しそうにしているのでゆっくり話しかける機会がありません。また、先生の居場所は教室か職員室なので落ち着いて話すことができません。学校で静かな空間を占有しているのは校長室か保健室、学校用務員室です。

養護教諭は、身体測定や健康診断、怪我の時にも軽く身体に触れることが多いので皮膚感覚の安心感が生まれるのかも知れません。また、白衣を着ている養護の先生は、他の教員とは一線を画したように子どもには見えるのかも知れません。中には校長先生や用務員さんの部屋を好んで休憩場所にしている子どももいますが、圧倒的に保健室と養護教諭が人気です。

事業所利用の子どもたちに、私達は、担任の先生に話しにくければ保健の先生に話せばいいし、用があってからでは話しにくいので、用がなくてもちょくちょく話に行くといいと助言しています。養護教諭は外傷や内臓疾患だけでなく、学校精神保健の要でもあるので、発達障害の子どもたちの様子も知って欲しいのです。学校連携で話をしに行くと、最も発達障害の理解が早いのは養護教諭の先生です。教員は集団適応を求めがちですが、養護教諭は適応よりも子どもの目線で安心や安全を第一に考えるからだと思います。

支援学校の養護教諭は複数配置です。支援学校は通常学校の小児科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科の4校医以外に整形外科医や精神科医も校医にして対応しています。相談できる医師が多い方が心強いとは思いますが、ここに学校看護師やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーといった専門家も束ねて、教員との橋渡しの役割もあるので連携ストレスの負荷が一番たくさんかかる部署でもあります。子どもには暇そうに見せながらも、頭脳はフル回転の養護教諭に頭が下がります。

※座高測定は2015年に「測定の意味がない」と廃止された

東大先端研のプロジェクトは、子供を変えるのではなく社会を変える挑戦<前編>

東大先端研のプロジェクトは、子供を変えるのではなく社会を変える挑戦・・・中邑賢龍教授インタビュー<前編>

2021.8.24 【リセマム】

才能に恵まれても個性が強くて仲間外れにされたり、問題児扱いされて不登校になってしまったり…そんな「生きづらさ」を抱える子供たちに、学びの場を提供する東京大学 先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクト「ROCKET」。そのディレクターを務める中邑賢龍教授が2021年6月、「どの子も違う -才能を伸ばす子育て 潰す子育て」(中公新書ラクレ)を上梓した。
今回は中邑教授に、子供ひとりひとりがもつ多彩な才能を潰す子育て、伸ばす子育てについて話を聞いた。

東大の異才発掘プロジェクトへの誤解
~「ROCKET」は神童を輩出する集団ではない~

--東大先端研の異彩発掘プロジェクト「ROCKET」(Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents)には、強いこだわりとユニークさゆえに不適応を起こした子供たちが集まりました。才能を「潰す」から「伸ばす」へ、子育てのまさにパラダイムシフトですが、このプロジェクトは、どんな思いから始められたのでしょうか。

ユニークな個性をもっているのに、働けない大人がたくさんいます。その背景には、子供のころからその特性をすべて否定された、深い心の傷があります。なぜ彼らは傷つき、その傷が深くなったのか。それは「学校に行くのが当たり前だと思っていた」から。そこで無理をし続けたことで、傷が深くなってしまったのです。

きっと今も同じように苦しんでいる子供たちがいるはず。だったら「学校なんて行かなくていい」というプロジェクトをやれば良いじゃないか、と。それが「ROCKET」の始まりでした。

--アカデミックな世界の基礎研究や、新しい価値を生み出す革新的なモノづくりなどに没頭する異才児が集まり、メディアからも大きな注目を集めましたね。

注目して頂けたのはありがたかったですが、本来僕らが目指していたのは、あくまでもこだわりが強く、異質扱いされて生きづらさを感じている子供たちの「能動性」を、それぞれのペースに合わせてじっくりと引き出していくことでした。

その結果として、「Extra-ordinary Talents(特異な才能)」という言葉どおり、既存の枠を超えて才能を開花させ、一流大学に進学するなど、「ROCKET」をキャリアパスとして羽ばたいていった子もいます。けれどその一方で、今も自室に引きこもり、ドア越しに「おーい、そろそろ出てこないか?」と僕らが声をかけ続けている子供たちもいる、というのもまた現実です。

成長のペースは子供によって違うので、こうした結果は僕らにとっては想定どおりなのですが、世間からは「ROCKET=神童を輩出する集団」のように見られるようになり、最近は勉強がずば抜けてできる子たちが多く集まるようになってしまいました。

オール1でも、懸命に生きている子供たちを支援する新プロジェクト「LEARN」

--そうしたサクセスストーリーを目にすると、親はついわが子と比べてしまい、「そうやって突き抜けられる子はごく一握り」「うちの子があんなふうにうまくいくとは思えない」「社会で自立してやっていけるのか」といった不安をかき立てられます。私もこの仕事をしていて、活躍にばかりフォーカスした記事を書くことで、新たな格差を生むことに加担していないか。傷つけ、絶望させてしまっている人たちがいるのではないかと反省することがあります。

そうですね。確かに、発達障害や不登校など、生きづらさを抱えている子供たちの中にも成長差はあります。その強いこだわりや個性をうまく伸ばし、大学まで行けるような子供は何も問題はないのですが、僕らが本当に支援しなければいけないのは、そこまで突き抜けられないものの、必死にもがき、懸命に生きている子供たちです。そこでいったん「ROCKET」の看板を下ろし、プロジェクトとしてのベクトルが「神童」だけに偏らないよう、もっとマルチに広げたいと思い、新たに「LEARN」というプロジェクトを立ち上げることにしました。

このプロジェクトは、ニトリの会長である似鳥昭雄さんから声をかけてもらいました。似鳥さんは70歳を過ぎてから、自身が発達障害、ADHD(注意欠如・多動症)であることがわかったそうです。子供時代の成績はオール1。小学校4年生になっても漢字で自分の名前が書けず、全然勉強ができずにいじめられ、本当に辛い経験をした、と。だからこそ、同じような思いで苦しんでいる子供たちを応援したいと言ってくださったのです。

「LEARN」では、学校の成績がオール1の子でももらえる奨学金をつくります。勉強ができる子ではなく、勉強したい子に奨学金を出したいのです。他にも、これまで「ROCKET」ではサポートしきれなかった、医療的ケアの必要な重度重複障害と呼ばれる子供たちや、そういった障害など生きづらさを抱える子を育てる親御さんたちにもフォーカスを当てたプログラムを展開していきたいと思っています。

大人から褒められるのが大好き。外発的な動機付けで動く子供が増加

--ご著書の中で、「そもそも日本社会は集団志向で、異質な人に対して寛容とは言えなかったものの、社会はもう少し緩く穏やかにまわり、その分、ユニークな人たちにも生きる道が残されていた」という指摘がありました。昔はもっと大雑把で、おおらかな社会だった、と。ところが今は、「何が正しいのか」「何が間違っているのか」を明確に求めるようなコンプライアンス(*1)意識が高まり、大人たちは出る杭にならないように怯え、萎縮している。そして、そうした意識は子供にまで浸透し、小学校でも低学年から、同調圧力がいじめや不登校の原因にもなっているようですね。(前回の不登校新聞・石井氏インタビュー「低学年からマウンティング・同調圧力に苦しむ子供たち」はこちら
*1「コンプライアンス」:法令や規則、社会的規範や倫理などを遵守すること

子供というのは、生まれつきもった特性に応じて行動していきます。けれどそれを放っておくと、社会の中でコントロールしきれません。だから特に日本の教育では、枠にはめることで金太郎飴のように均質化された人材を育て、効率的に働かせて、戦後の高度成長を支えてきました。さらに、「ゆとり教育」を否定した反動で、学校がますます杓子定規な社会になってしまっているように感じます。

中邑賢龍教授と加藤紀子さん
--小学校では、プログラミングや英語が加わり、現場の先生達はやることが増えて大忙しです。また、家庭でも「小1プロブレム(*2)」を避けるべく早期教育に頼るなど、子供たちも幼い頃からとても忙しくなっています。こうした変化についてはどう受け止めていますか。
*2「小1プロブレム」:小学校に入学したばかりの1年生が、黙って座って授業を受けられない現象。スムーズに小学校生活へ移行させるため、小学校入学前に読み書きや計算などに一定時間集中させる練習などを行う保育園・幼稚園や習い事などがある。

都内の小学校でも関わっているプロジェクトがいくつかありますが、とにかく子供たちに時間がないことに驚きます。先生方はやることが多くて授業数が足りないと嘆いているし、子供たちは放課後も塾や習い事でびっしり。これじゃ、ぼーっとする時間もありません。

でも子供たちはそれで満足しているんですよ。なぜなら子供って、大人から褒められるのが大好きだから。こうして、外発的な動機付けばかりで動かされて成長する子供が増えているのです。

「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げているうちはダメ

--先生は「成績が良ければ優秀」な時代は終わった、とも仰っています。真面目で、友達も多く、テストの成績が良く、悩みがなく、親も教師もまったく心配していない。そうやって「問題が顕在化していない子」の方が心配だ、と。

そう遠くない未来に、AIやロボットが既存の仕事を代替するようになります。ところが未だに、「問題が顕在化していない子」が追い求めているのは、このAIやロボットに奪われる対象となる能力なのです。これから人間は、余暇を充実させたり、自分で仕事をつくり出したりする能力が求められるようになるでしょう。けれど彼らは、外発的な動機付けで楽しいと感じているだけで、「これは本当に自分の人生か」「自分が好きなこと、やりたいことは何か」と自分の内側に問うことがなく、同調圧力に流されてしまう。そこが心配です。

--歴史を振り返れば、社会に革命を起こしたり、新たな道を切り拓いたりした「異才」たちの幼少期は、必ずしも学校に適応して、成績が優秀だったとは限りません。確実にその人たちは変わり者だったけれど、芽が出るまで放っておかれたから、「異才」たり得たわけですよね。

最近、発達障害がブームのようになっていますが、周囲から変わり者と見なされるユニークな子供たちを安易に「障害」と認定し、性急に治療するという考え方は非常に危ういと感じます。落ち着きがなく、空気が読めず、成績も悪く、学校に行き渋っている子でも、その子の特性を理解し、周囲の大人が見守ってやれば、彼らは自分の力で動き出せます。

学校で「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げているうちはダメですね。「ひとり静かに大人しく」っていうクラスがあっても良いじゃないですか。全然喋らず、人の話もまともに聞かず、「一体こいつは何を考えてるんだ?!」って思ったら、結構面白いこと考えている子っていっぱいいますよ。テストや学校の勉強が苦手でも、じっくりと物事を深掘りして探究できる。そういう才能も潰さない社会にしなければいけません。さまざまなイノベーションのタネを撒きたければ、凸凹で多様な特性をそのまま包み込める社会に変える必要があるのではないでしょうか。

苦手なことを無理に克服しようとしなくて良いじゃないですか。子供を変えるのではなく、社会の制度を変える。僕は今、そこに挑戦しているのです。

インタビュー後編「子供たちに必要なのは『リアリティ』と『自分の無力さを気付かせる時間』」へ続く。

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中邑先生のお話を読んでいると、坂本龍馬を思い出します。「日本を今一度せんたくいたし申候」と言って、これからの世の中に必要なものが幕府にないなら自分たちが海援隊をおこして新しい経済の仕組みを作ればいいと、「時勢に応じて自分を変革しろ」「何の志もなきところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり」と大勢を非難して自らを奮い立たせます。中邑先生も、学校で「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げている限り、ユニークな人が育つわけがないと大勢を敵に回すような発言をされます。

転ばぬ先の杖のような教育や発達支援をしていて、今後の未曽有の世界が乗り切れるか?中邑先生は、AIが得意とするものは素早く検索できる知識と、枠組にはまり込んだ既知の思考パターンだと言います。それをAIに奪われた「エリート」に残されるものは皆無だと言って、既成の価値観や評価軸を疑ってかかります。

龍馬は、「わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ」として既存の知性を笑い飛ばします。

そして、時代の変革者龍馬自身の人生については「人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ」と独立独歩を尊重します。これは凸凹の子どもたちを含む全ての子どもたちに向けた中邑先生のメッセージと瓜二つです。

子供たちに必要なのは「リアリティ」と「自分の無力さを気付かせる時間」中邑賢龍教授インタビュー<後編>

子供たちに必要なのは「リアリティ」と「自分の無力さを気付かせる時間」・・・中邑賢龍教授インタビュー<後編>

2021.8.26 【リセマム】

才能に恵まれても個性が強くて仲間外れにされたり、問題児扱いされて不登校になってしまったり…そんな「生きづらさ」を抱える異才児たちに、学びの場を提供する東大・異才発掘プロジェクト「ROCKET」。そのディレクターを務める中邑賢龍教授が6月、「どの子も違う -才能を伸ばす子育て 潰す子育て」(中公新書ラクレ)を上梓した。

中邑教授に、子供ひとりひとりがもつ多彩な才能を潰す子育て、伸ばす子育てについて話を聞いたインタビューの前編では、外発的な動機付けで楽しいと感じているだけで、「これは本当に自分の人生か」「自分が好きなこと、やりたいことは何か」と自分の内側に問うことがなく、同調圧力に流されてしまう子供たちが増加している背景と、学校の枠に収まることができず、生きづらさを抱えた子供たちの支援について語っていただいた。後編は、子供たちの「生きる力」が弱まっている背景と、子供のために親ができることについてお話しいただいた。

便利が当たり前の子供たちに必要な「18禁デザイン」

--中邑教授は「人間支援工学」と呼ばれる分野の第一人者です。「ROCKET」のほか、障害や病気を抱えた子供たちのための大学・社会体験プログラム「DO-IT Japan」や、身の回りのテクノロジーを教育に活用する「魔法のプロジェクト」、医療的ケアの必要な重度障害児のコミュニケーション支援プロジェクトなどに携わってこられました。さまざまな子供たちとの関わり合いを通じて、最近感じる変化はありますか。

近年では発達障害のグレーゾーン(境界型)と呼ばれるタイプが増え、重度の障害や病気だけではなく、幅広くいろいろな子供たちと付き合うことが増えてきました。そこで僕が気づいたのは、日本の子供はすべてディスアビリティ(*1)ではないか、ということです。子供たちから如実に「生きる力の弱さ」を感じるのです。これは本当にまずいぞ、と。この本を書いたのも、今、改めて子育てのあり方、子供との向き合い方を考え直すべきときではないかと思ったからです。
*1「ディスアビリティ」:心身の機能上の能力障害

--子供たちの生きる力が弱くなった理由は何だと思いますか。

今の日本は高齢化社会なので、高齢者向けにバリアフリーやユニバーサルデザインが行き届き、何事も安心・安全に使いやすくつくられています。食べ物のパッケージひとつとっても、指先の力が弱くても簡単に開けられるきめ細やかな仕様で、高齢者にはとても優しい社会です。子供たちもその便利さを当たり前のように享受しています。すると、逆に不便なもの、粗悪なものに出くわした時に、手も足も出ないどころか、出そうともしない。ハサミを使ったり、歯で噛みちぎったりして何とかしようともがきもせず、「ハサミを持ってくるのがめんどくさい」「袋に口を付けるなんて不潔」などと言い訳ばかりで、簡単に諦めてしまう子が少なくないのです。

--高齢化に合わせた社会のデザインが、子供たちを「茹でガエル」にしてしまっている、と。「茹でガエル」のまま大人になってしまうと考えると…ちょっと恐ろしくなりますね。

僕は、18歳以下は使ってはいけない「18禁」のデザインがあっても良いと思っています。これ、冗談じゃなく本気でね。あえて使いにくいもの、すぐ壊れるようなものを子供に与えていかないと、普段生活する中で学べることが少なすぎるのです。

本来学校の役割とは、僕らが生活の中で学んだことを授業で補完することにあると思うのですが、今も子供たちが向き合っている学びの多くは、知的反射神経を鍛えるようなドリル的な学習です。中でも早期教育という名の下、幼少期から訓練されてきた子供たちは、生きる力がとても弱いと感じます。これでは今、社会で声高に叫ばれているイノベーションなど起こるはずがありません。

「ギフテッド教育」は早期教育ではない

--特異な才能を伸ばす教育法として「ギフテッド教育」があります。中邑教授はこれについて、世間で誤った解釈があると指摘されていますが、本当の意味での「ギフテッド教育」とは何でしょうか。

ギフテッドとは生まれつきもつ、突出した能力を表した言葉です。ギフテッド教育とは、そうした能力が伸びていくのを阻害せず、のびのびと育てていこうとするものであり、けして大人が作為的に道を敷いていこうとする教育ではありません。ところが日本では、ギフテッド教育が早期教育と取り違えられることがよくあります。

たとえば小学校受験のための訓練や勉強は、知的反射神経を鍛えるような課題が中心で、IQを調べる知能検査の問題にも類似しています。したがって、早期教育を施せば必然的に成績が高くなり、IQも高く出る可能性があるのですが、これだけを根拠にギフテッドと判断できるかどうかは疑問です。幼児期に高いIQを叩き出し、神童扱いされてきた子供が、小学校高学年になると他の子に追い抜かれ、周囲の期待に応えられなくなって苦しむケースは少なくありません。

すべての子供には天賦の才能がある。だから芽が出るまで放っておきましょうというのが「ギフテッドの本質」です。

STEAM教育に必要なのはダイナミックでリアルな原体験

--文部科学省も大きく舵を切り、学校ではアクティブ・ラーニングやSTEAM教育といった活動の中で、子供たちひとりひとりの個性を伸ばし、考える力や主体性などを育もうとしています。こうした教育活動を行うにあたり、一番重要なことは何でしょうか。

東大の学生たちを見ても、考える力や主体性がないわけではありません。自分から進んで多くの論文を読み、本やネットで貪欲に知識を習得するなど、さまざまなことに詳しい勉強熱心な学生はたくさんいます。ただし、彼らの知識にはリアリティがない。このリアリティのなさが今の子供たちの特徴です。

今、多くの学校で実施されているアクティブ・ラーニングやSTEAM教育は、安全に管理された状況で行われる実験や、周到に準備されたプログラムなど、先生が想定したアウトプットに向かっているものが大半です。ダイナミックさやリアルさがなく、子供たち自身が何か問題にぶち当たって考えるというプロセスが抜け落ちています。

もちろん、先生が生徒に対し、構造的に知識を授ける役割は引き続き重要だと思います。けれど子供たちにはその前に、自由に気の向くまま過ごしてきた、ダイナミックでリアルな原体験が必要なのです。僕はこれを「Pre-STEAM」と呼んでいます。じーっとアリの行列を眺めていたり、穴の中にひたすら石を落とし続けたり、大人から見れば一見無駄と思えるような単調な行動こそが、子供時代にはとても大事なのです。

遠回りで非効率でも、教えない。体を動かし、汗をかいて、気づかせる

--大人がお膳立てをした予定調和ではなく、子供が自由に気の向くまま過ごせる時間が必要だ、と。その他、コロナ禍で親子が過ごす時間が増える今、「生きる力が弱い」「ダイナミックでリアルな原体験が足りない」子供たちに、家庭でできることは何でしょうか。

コロナ禍では在宅時間が増えて、子供たちがゲームやタブレットといった道具を使う時間も増えました。未曾有の危機の中、現実世界を体験しにくい状況ですが、空気や湿気、匂いなど、リアルな経験を失っていくのはとても恐ろしいことです。

中邑賢龍教授と加藤紀子さん
「子供が夢中になれることをどうやって探せばいいか」とよく聞かれるのですが、デジタル機器から完全に離れて、何もないところに連れていって好きにさせてみてください。GPSに頼らず目的地を目指してみたり、畑で野菜や果物を育ててみたり、動物や自然に触れ合ったり。情報や労働はタダではないこと、生き物は人間の思うようにならないことなど、子供たちに体験を通じて気づかせることがとても大事です。

それには親にも覚悟が入ります。親もデジタル機器を手放し、遠回りで非効率でも、一緒に体を動かし、汗をかいて、知恵を絞る。子供に何かを「教える」のではなく、リアルな経験を徹底的に体に染み込ませて、子供に「気づかせる」のです。今、親が子供に授けるべきものは、子供に自分の無力さを気づかせる時間だと思います。

すべての子供たちが、心に傷を残すことなく育つ社会

--すべての子供に天賦の才能がある。でも、どうしても社会でうまく立ち回れず、振り落とされてしまう子たちもいます。すべての子供たちの才能を潰さず、伸ばしていくために、社会はどう変わるべきだと思いますか。

社会の中に、新しい評価軸、多様な枠組みをつくっていくべきです。今の社会は、「ありのままでいい」と言いながら、ひとつの枠組みの中に、既存の評価軸で、個性の強い子も十把一絡げに押し込めようとしています。「インクルージョン」「ダイバーシティ」という標語を掲げていても、当事者に聞いてみると、足手まといになってしまうからと仕事が与えられなかったり、コミュニケーションの難しさからいじめにあったり、必ずしもうまく共存できていないのが実情です。

多様な枠組みと新しい評価軸をつくり、環境さえ整えてあげれば、どんな人にも自分の居場所ができ、落ち着けるはずです。でも今はひとつの枠組みしかなく、そこからはみ出てしまった人たちを福祉の対象とし、エクスクルード(排除)してしまっているのです。

鹿児島市にあるしょうぶ学園は知的障害者向けの福祉施設ですが、職員は福祉の専門家だけでなく、アートや音楽など、さまざまな専門家がいます。こうした専門の目利きが、作業場で障害者が作ったものに価値を見出し、作品として販売しています。一見して価値があるかわからないものでも、プロデュースによって見事に高値が付く作品に変えられる。まさに新しい評価軸です。畑で作った野菜を使い、洒落たレストランで美味しい食事を提供したり、パンを焼いたりと、地域コミュニティの住民の憩いの場にもなっています。

新しい評価軸をプロデュースできる人々を介して、障害のある人達のコミュニティが外の環境と分離されず、地域と結びつく。ひとりの人間としては難しくても、そのコミュニティごと地域と共存できれば良い。「社会がおかしい」ってことに気づく人が増えて、「社会を変えよう」と動けば、それによって生きやすくなる人たちはたくさんいるのです。

--最後に、生きづらさを抱える子供たちへ、そしてその子供を見守る親たちへ、メッセージをお願いします。

子供は何も悪くない。だから、子供を変えようとする必要はありません。ものすごく抵抗する子供がいますが、それもその子の特性なのです。その特性を親や周りの大人が力尽くで潰してしまうと、子供は必ず心に傷を残します。トラウマになり、一生苦労する子もいます。すべての子供たちが、心に傷を残すことなく育っていく。僕はそれが一番大事だと思います。今、辛いかもしれないですけど、どんな子供も必ず動き出しますから。どうか目の前の子供を信じて、見守ってあげてください。

--ありがとうございました。

「苦手なことを無理に克服しようとしなくていい」「子供は何も悪くない」「すべての子供には天賦の才能がある」中邑先生の言葉を改めて噛み締めると、私たちの社会はどれだけのギフトをみすみす失っているのだろうという悔しさを感じずにはいられない。

目の前にいるわが子のギフトは何か。私たち大人こそ依存状態になっているさまざまな道具を手放し、ダイナミックにリアルに、親子で今この瞬間を一緒に過ごすことで、その本質が見えてくるのかもしれない。

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今回のインタビューは示唆に富んでいます。ユニバーサルデザインではなく「18禁デザイン」とは面白い発想です。何でも便利ではなくあえて不便を提供する、いわゆる野外活動のようなことを、日常スタイルにも教育として求めるということです。すてっぷもそのことはとても大事なことだと考えています。できるだけ野外に出かけ、水や土、火や風、生き物や草花を対象にして遊ぶことが重要だと考えています。確かに公園遊びは子どもを管理しやすいですが、遊具遊びとボール運動程度で変化に乏しい物ばかりです。働きかければ変化するもの、工夫すればするほど変化するものはタブレット中にもありません。

何でも便利なものを与えてはいけない、不便だから便利にしようと考える、知らないことだから知ろうとする。こうした動機を子ども時代から奪ってはならぬと中邑先生は警鐘を鳴らします。こうした子どもたちの体験の上にSTEAM教育は成り立つのであって、その逆はないと思います。「S」(SCIENCE 科学)「T」(TECHNOLOGY 技術)「E」(ENGINEERING 工学)「A」(ART 芸術)「M」(MATHEMATICS 数学)これらを結びつけた教育が必要だと専門家は唱えますが、土台になるカルチャー(文化)が貧しくては成立しません。

中邑先生は、自発的に学んだり遊んだりする環境と付き合う大人だけ準備して、あとは放置せよと言っているようにも思えます。「インクルージョン」も「ダイバーシティ」という標語も息苦しいという当事者の声に私たちは耳を傾けなくてはなりません。ただ、世の中は皆で生きているのですから、どこかで折り合いをつける必要があります。それは少数者の当事者だけに求められるものではなく、多数者の我々にも求められるべきものです。その双方の折り合いのつけ方を、「支援」と呼ぶべきだろうと思います。折り合いと言うからには、お仕着せではなく当事者の意見もあるという事です。従って、支援はいらないのではなく、その折り合いの境界線は人によって違うので、支援も人によって違うのだと思います。

分け隔てない支援教育 モデル実施へ 大阪

分け隔てない支援教育 モデル実施へ 大阪

8/30(月) 【産経新聞】

大阪府教育庁は30日、軽度の知的障害や発達障害のある高校生らが必要な支援を受けながら他の生徒と一緒に学べるよう、新たな教育課程に基づく教育を令和5年度からモデル校で実施すると発表した。今後、カリキュラムなどの具体的な検討を始める。

府教育庁が掲げるのは「『ともに学び、ともに育つ』多様な教育実践校(仮称)」。モデル校は府立西成高校と同岬高校で、いずれも小中学校の内容から学び直せる「エンパワメントスクール」に指定されており、支援の必要な生徒が多い。習熟度別の授業や少人数指導など、両校で実践している支援のノウハウや課題をもとに新しい教育課程や学級編成を庁内で検討。6年度からは指定校を増やして本格実施する予定だ。

また、府の教育委員会議は同日、島本、茨田(まった)、泉鳥取高校の3校を、今年度の入試を最後に募集停止する方針を固めた。府条例では、3年連続で入学志願者が定員割れし改善の見込めない高校を再編整備の対象と規定しており、今年度の検討対象は13校。エンパワメントスクール全8校のうち岬、西成、箕面東高校も定員割れが続いている。

受け入れ体制に課題も
大阪府教育庁が今回、高校で新たな教育を導入する背景には、中学の特別支援学級から高校への進学率の高まりがある。令和元年度の卒業生の進学率は全国平均を大きく上回り、約8割に達した。現在は現場の工夫で支援しているが、適切なカリキュラムや学級編成を制度化し、卒業後の自立に向けてより充実した教育を実践するのが狙い。外部有識者による審議会が提案したもので、全国的にも珍しい取り組みという。

公立の小中学校には、学校教育法施行規則などに基づき支援学級が設置されているが、高校にはない。このため、支援学級の在籍生徒の進学先は特別支援学校高等部か一般の高校となる。

文部科学省によると、近年は全国的に中学の支援学級から高校への進学率が高まっており、令和元年度の卒業生では半数を超える。特に大阪府では以前からその傾向が顕著で、元年度は8割超の2035人が高校(高等専門学校含む)に進んだ。要因の一つとして、定員割れした府立高には成績にかかわらず入学できるという、大阪特有の事情もある。

府教育庁は、知的障害のある生徒を対象にした「自立支援コース」を府立高9校に設置しているが、定員は1校3~4人。課題に応じて一部の授業を別室で受ける「通級指導教室」も4校にしかなく、高い進学ニーズに対応しきれていない。また、支援学級に在籍していなくても学習やコミュニケーションに課題を抱える生徒も増え、入学時の調査で「配慮を要する」と回答する生徒は2年度で3174人と、平成20年度の2倍超となった。生徒の状況によって年度途中で新たに教員を配置するなどの対応が必要となる学校もあり、「現場に任せるには限界がある」(府教育庁幹部)という。

こうした問題について、大学教授らでつくる府学校教育審議会が今年1月から協議。8月下旬にまとめた中間報告の中で、こうした教育システムの導入を提案した。

目指すのは「『ともに学び、ともに育つ』多様な教育」の実践であり、対象は支援を必要とする生徒だけでない。橋本正司教育長は「さまざまな生徒が一緒に学び、誰もが意欲を持って自分の力を伸ばせる魅力ある学校にしたい」と話す。(藤井沙織)

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大阪府だけでなく都市を抱える自治体では少子化に伴い、私学志向が高まる一方、公立校は定員割れを起こして試験が0点でも氏名が書ければ入学できる状況が一部で起こっています。サイエンス校とかグローバル校等の高機能公立高校を作って一部の「高学力」生徒を集める施策は、それ以外の高校に「低学力」の子どもが集まります。そうした高校では中堅大学も目指せないと、中間層の生徒も私学志向になって、さらに公立校の定員割れが進みます。

さらに国の就学支援金と大阪府独自の授業料支援補助金を合わせれば、世帯収入が800万円以下の家庭なら年間平均50万円以上の補助があるので、これまでの学費の半額程度の負担で私学に行けるので「教育環境の良い私学へ」という流れをさらに後押しします。

こうした中で、低学力生徒の多い高校への支援としてエンパワメントスクールに指定して、読み書き計算の基礎基本から教える取り組みを始めましたが、それは大学には行けそうにない高校だと、逆に定員割れを起こす皮肉な結果となっています。これは、ハイタレント(高学力者)囲込みの高校教育施策の矛盾を、泥縄式に手立てを打っている対症療法としかいえず、かえって発達障害のある生徒などを特定の高校に囲い込む施策にも見えます。

今回は、これを打破しようとした高校教育の起死回生をかけた教育システムですが、橋本教育長が言うように「さまざまな生徒が一緒に学ぶ」学校にするには、一点豪華主義の公立高校設置を改め、どの学校でも有名大学が狙え、どの学校でも基礎基本に戻る教育課程も行う公立学校本来の姿、多様性社会を校内で実現していく姿勢がベースに求められると思います。そうすることで、中学校の進路指導や特別支援の姿も変わってくるものと思われます。特別支援学級在籍者の報告書(内申書)を本人の実力に関わらずオール1にするなど※旧態依然として、多様な学びを認めない中学校の改革にも一石を投じるものになると思います。

※例えば、「令和3年度京都府公立高等学校入学者選抜要項」の「4 出願の要領(全日制・定時制共通) (3) 中学校長の手続  エ 報告書(様式Cの1及び様式Cの3)について b(a)」には、「なお、特別支援学級(中略)生徒等については、(a) 「中学校学習指導要領」に示す目標に照らして、その実現状況を5段階の評定点により記入すること。」とある。「支援学級生はオール1」という申し合わせが存在するならば絶対評価の公平性が失われていることになる。

 

ICT機器 児童生徒の9割が期待も 学校は半数以上が十分活用せず

ICT機器 児童生徒の9割が期待も 学校は半数以上が十分活用せず

2021年9月1日 【NHK】

小中学生に1人1台配られているタブレット端末などのICT機器について、児童生徒の9割が「勉強の役に立つ」と期待を寄せる一方、十分活用していない学校が半数を超えていることが文部科学省の調査でわかりました。

文部科学省は、ことし5月、全国の小学6年生と中学3年生、200万人以上を対象に「全国学力テスト」を実施し、あわせてタブレット端末などICT機器の活用状況についても調査して、31日、公表しました。

この中で児童や生徒に、タブレット端末などICT機器の使用が勉強の役に立つと思うか聞いたところ、「役に立つと思う」、「どちらかといえば役に立つと思う」という回答が小中学生ともに90%を超えました。

一方で、学校に対し、教職員と児童生徒がやりとりをする場面でどの程度ICT機器を活用しているか尋ねたところ、「全く活用していない」、「あまり活用していない」という回答が、小学校で55%、中学校で57%でした。

また、児童生徒に1人1台配備されたタブレットなどの端末をどの程度家庭で利用できるようにしているか聞いたところ、小中学校ともに「持ち帰らせていない」もしくは「持ち帰ってはいけないことにしている」があわせて60%以上となり、毎日もしくは時々持ち帰り利用させている学校は20%程度にとどまりました。

文部科学省の浅原寛子 学力調査室長は「ICT機器の学習への活用について子どもたちの期待が非常に高いことがわかった。休校など非常時に備える意味でも1人1台の端末を積極的に活用してもらいたい」と話しています。

端末の持ち帰り 学校の対応に差
感染の急拡大で今後、臨時休校も想定される中、文部科学省は小中学生に1人1台整備しているタブレット端末などの最新の活用状況も公表しています。

ことし7月末の時点で1人1台の端末の整備は全国の96%にあたる1742の自治体で終えていますが、3.9%にあたる70の自治体では完了していないと答えたということです。

家庭に端末を持ち帰ることについては、全国の公立小中学校などおよそ3万校のうち、感染拡大や災害など非常時に対応できるよう「準備済み」と回答した学校は64%、「準備中」と答えたのは32%、「実施・準備をしない」が4%と、対応に差があることがわかりました。

文部科学省は夏休み明けに登校できないケースや休校などが想定されるとして、「実施・準備をしない」と回答した自治体に対し、速やかに準備をするよう促したということです。

専門家「平常時から教室で使い、持ち帰って練習を」
ICT教育に詳しい東北大学大学院の堀田龍也教授は、タブレット端末などに対する子どもたちの期待は高い一方、活用は十分広がっていないという調査結果を受け、「自治体によっては、オンライン授業の取り組み事例を徐々に近隣の学校に広めているところもあるが、中にはすべての学校が一斉にできるようになるまで活用を始めない自治体もある。できること、できるところから進めていくことが大事だ」と話しています。

そして、感染拡大が収まらない中で新学期が始まることから、「学校でも十分使い方がなじんでいないのに、非常時にタブレット端末を家に持ち帰ったところで活用は容易ではない。平常時のうちから教室で使い、持ち帰って練習をするなど備えておくことが学習を保障するうえでも非常に重要だ」と指摘しています。

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端末持ち帰り調査: 05/27)でもコメントしましたが、すてっぷで把握する限り、全児童分のタブレットが配備された乙訓の小学校で、夏季休暇中に家庭に端末を持帰らせた学校はなかったようです。大阪では環境が整っていないのに市長のオンライン授業発言はけしからんと校長先生の市長あての提言がSNSで拡散される事件も起こりました。ただ、実際の提言は現在の教育を憂う個人的な感想が多く、オンライン学習に触れたのは全文の1割もなく、しかも具体的な指摘もないままに一方的に校長の感想が書かれているだけで、事実に基づいた内容がありません。恐らくは、これはメディアが大阪市長批判のためにする政治的に煽った事件であり、子どものオンライン学習の具体的な推進には何の役にも立たない話だと思います。

けれども、「全体が揃うまで実施しない」というのは、公平性を大事にしているかのように聞こえますが、このフレーズを使う人によって意味合いは変わるのです。サービスを受ける人が使うと同じ税金を払っているのだからサービスは公平にしてくださいと言う意味になります。しかし、サービスを供給する側が使うと、全体が揃わないのだからサービスできるところもやらないし、もう少し努力すればできるところも全体の足並みがそろうまでやらなくていいという言い訳になるのです。つまり、公平と言う言葉が努力しない事を免罪し、個々で努力したり工夫することを抑制してしまうのです。

年金や給付金などの公平性と、設備や技術格差の可能性を内包しているサービスの公平性とでは意味合いが違います。前者は一律平等ですが、後者はできるところから実施し、遅れたところは公平性を目指して全力で追いつく努力するのが公的サービスのあり方です。そういう意味では、オンラインができないと言う前に何か努力をしたのかという疑問が残ります。

前回も紹介しましたが、民間のリモート用サーバーを使ってオンライン授業を実現している学校(学校つなぎ学習支援: 06/03)もあるのです。できない理由を並べるのは簡単ですが、子どものためにICT教育を実現しようとする前向きな姿勢がなければ、できるものもできないのです。世の先生方は公的サービスの公平性とは何かを再考され、タブレット持帰りを実現してほしいと思います。

学校ではマスク着用なしで抗原検査を徹底──英国

米国とは反対の施策を進める
学校ではマスク着用なしで抗原検査を徹底──英国のコロナ感染対策は「有効」と示唆

2021.9.2【クーリエ・ジャポン】

日本では新型コロナウイルスに感染する子供が増加し、すでに夏休みの延長やオンライン授業を検討する小中学校が増えている。新学期を迎え、不安を感じる家庭も多いだろう。

デルタ株が蔓延する英国では、休校措置やマスク着用の義務なく、抗原検査の徹底によって校内のクラスターを抑えようという動きがある。感染拡大を防ぐのは可能なのだろうか──。

子供たちがマスクを着用し続けるリスクは大きい
米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、マスク着用を義務付けずに、無償配布した抗原検査キットを活用することで、校内の感染率を抑える英政府の事例を紹介した。記事には「英国では子供たちは学校でマスクをしていない」と驚きを込めた見出しが付けられた。

英セント・ジョージ病院の小児感染症の専門家シェームズ・ラダーニは「人と人との交流において顔を合わせることは重要で、子供たちがマスクを着用し続けることは潜在的なリスクが大きい」と話す。また、英政府は回避可能であれば「子供がマスクで顔を覆う必要はない」という姿勢を当初から明確にしているとも述べた。

英国では6月以降にデルタ株が蔓延し、7月中旬に感染のピークを迎えた。しかし、パンデミック中に開校を続けた英国の学校内の感染率は、社会全体の感染率を上回らなかった。英政府も「大規模なクラスターは起きなかった」と調査後に結論づけたことを、ニューヨーク・タイムズは報じている。

抗原検査を徹底すれば、隔離時と変わらない陽性率に
英政府は以前から、家庭に検査キットを無償提供し、子供に週2回の検査を要請。学校のバブル(安全圏とされるグループ)内で陽性者が出た際には、10日間の隔離が求められていた。実際、英国では7月中旬に公立校生徒の14%にあたる100万人以上が隔離を強いられ、子供たちや親の混乱を招いたことも事実だ。

しかし、隔離の代替策になると期待されているのが、徹底した抗原検査だという。英国ではデルタ株の感染拡大時に、対象となる中学校から大学までを「隔離型」と「検査型」のどちらかに無作為に振り分けて、感染状況を比較した。検査型の学校では、関係者は感染の発覚から1週間は抗原検査を受けることを条件とし、陽性反応が出た子供だけを隔離する方法をとった。

結果、どちらのグループでも陽性反応が出た接触者の割合は2%に留まった。また、教員の抗体検査結果をみても、陽性率は地域の成人と同等以下であり、学校が「感染のハブ」ではないことが示されたという。

二極化する校内の感染対策
英紙「ガーディアン」は、英国の学校における最新の感染対策を次のようにまとめる。
・子供たちを少人数のグループやバブルに入れるという要件は取りやめ。マスク着用の義務化も廃止され、感染した生徒の連絡先の追跡なども必要なし(登下校時などふだん会わない人と接触する閉鎖空間ではマスク着用を推奨)。
・10日以内に濃厚接触した5人の生徒や職員が陽性となるなど、一定の条件を満たす場合、学校はマスク着用などの助言を教育省に求めることができる。しかし、いかなる施策も期間限定であること。
・政府が求める対策は前年度に比べて少なく、手洗いなどの基本的な衛生管理と換気のモニタリング、生徒と教職員への抗原検査の実施が求められる。

対して、米国ではCDC(米国疾病予防管理センター)が、予防接種の有無にかかわらず学校内では全員がマスクをすることを推奨。加えて、バイデン大統領が学校でのマスク着用義務に抵抗する州に対して、法的措置を検討するよう教育省に要請したことが明らかになっている。

英米を見ると、学校内での感染対策は二極化している。日本でも、文部科学省が全国の幼稚園や小中学校に抗原検査キットを配布する方針を明らかにしたが、今後は英米の学校における対策事例が参考になるかもしれない。

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同じアングロサクソンでも、風評や感情に揺れる米国と人権とエビデンスを大事にする英国では国家が誘導する感染対策でもこんなに違うのかと思いました。この記事内容が事実なら、まともに読めば英国が正しいということになります。学校が「感染のハブ」かどうかを確認するために「隔離型」と「検査型」を感染拡大期にすぐに調査する等、行政のエビデンスベースの素早い動きには感心します。いつまでたっても、感染者数と重症者数の発表だけで、エビデンス調査をしようとしない日本とはえらい違いです。

翻って米国CDCは政府と独立して機能する専門集団ですが、この権威のあるセンターが全員がマスクをすることを推奨しています。ただ、今回のCDC推奨の科学的な根拠は英国のようには明確に示されておらず、政治力が働いている印象がぬぐえません。確固たる根拠がないのに、マスク拒否者を法的に強制するコメントを大統領が出すなど、冷静な判断とは思えないです。感染拡大はマスク拒否が原因とマスク拒否者をスケープゴートにして、政権批判をかわす為に、世論を誘導しているようにしか見えません。

我が国でも、GOTOやら飲食店やら、オリパラを何の科学的な根拠もなくスケープゴートにして、政争の具にしています。真面目な日本人は、誰が勧めたわけでもないのに、いつのまにか熱中症のリスクまで冒して戸外でマスクをつけています。それに乗っかって厚労省の感染予防リーフには戸外でも2mの距離が取れないならマスクをしなければならないかのように推奨しています。

日本人はそれに従って真面目に戸外でマスクを装着し、飲食店を閉め、盛場での飲酒まで控えてきました。感染拡大が収まらない事実を目の前にしても、同じことを続けて平気というのは、お人好しならばまだいいのですが、全体主義を受け入れやすい性質が日本人にあるのではないかと心配になります。科学や学問を尊ぶ学校教育の場で、科学的根拠を示した予防策が先進国日本として展開されることを願わずにはいられません。

山口、世界新で金メダル 涙の母「人生最高の日」

東京パラ競泳男子100平
山口、世界新で金メダル 涙の母「人生最高の日」

2021年8月30日【愛媛新聞】

「すごい、やった」―。29日の東京パラリンピック男子100メートル平泳ぎ(知的障害)決勝。今治市の山口尚秀(20)が世界新で金メダルを決めた瞬間、同市南大門町2丁目の四国ガス本社で社員ら約30人と中継を見守っていた母由美さん(52)は、手に持つバルーンをちぎれんばかりに振った。そばには、山口を水泳好きにさせてくれた祖父母の写真。お祭り騒ぎの中「人生最高の日」と流れる涙を抑えられなかった。

由美さんによると、山口選手は3歳で知的障害を伴う自閉症と診断され、祖父母と温水プールに歩行浴に行くうちに水泳が大好きになった。トップ選手と泳ぐようになり「障害があっても勇気や希望を人々に届けられる」と実感。四国ガスでガスメーターの管理業務に携わる傍ら、週5日の練習に励んできた。

決勝は圧巻だった。最後までリードを守り、5月に出した世界記録1分4秒00を0秒23縮めてゴール。目に涙をため祈っていた父峰松さん(55)は相好を崩し「うれしいの一言。苦しい練習にめげず、よく頑張った」。姉智子さん(24)は「弟が必死で頑張る姿を見て励まされた。姉でいられて本当に幸せ」と赤くした目で話した。

四国ガスの片山泰志社長も「大変な誇り」。上司の片上幹雄今治支店長も「真面目で丁寧な仕事ぶりの一方、泳ぎはダイナミックで別人のよう」とたたえた。

「尚秀は予定通りにいかないとパニックになる傾向がある。大会延期や練習中止に加え、大きな期待はかなりの重圧だったはず」と由美さん。山口は笑顔を2年間見せなかったという。10日に無言で握手して送り出した息子の快挙に「まっすぐ突き進んで勝った。人生を明るく楽しく送ろうと教えてくれた」と感激する。

「尚秀」は、生まれた2000年のシドニー五輪女子マラソン金メダリスト高橋尚子さんと、プロ野球の松井秀喜さんから名付けたと明かし「ふかふかの布団と好物の焼き肉を用意して待つ」と一日も早い帰郷を待望。「周囲に感謝し、人間としても成長し続けてほしい」と願った。

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パラリンピックの表彰式の映像はオリンピック以上に泣けてしまいます。というか、パラの場合ずっと泣いています。ボッチャの杉村英孝選手や水泳の鈴木孝幸選手の金メダル、車いすラグビーの銅メダル。表彰式だけでなく、水泳の東海林大選手が泳いでいる姿だけで泣けてしまい、テレビの前のティッシュペーパーが足りません。

泣けてしまう背景は、障害を乗り越えた人生、さらにアスリートとして世界の壁を乗り越えていく姿に感動することもあるのですが、やはり家族の苦労を思うから泣けるのだと思います。山口選手も東海林選手も知的障害のある自閉症です。二人とも20代ですから、20年前の日本の自閉症支援はというと、絵カードなんて社会には用意されてないから学校で教えても意味がないと言われた事を思い出します。自閉症児がわがままなのは親のせいだと平気で言う人がまだこの業界にいたころです。

家族は心無い人たちの言葉や後ろ指にどれだけ傷ついたか知れません。感動するのは山口選手を水泳好きにさせてくれたのは祖父母だと言う話です。平成の時代でも、祖父母が自分の家系には障害者はいないと、支援学級や支援学校に行くことに反対されているという母親の話をたくさん聞いてきました。

山口選手の祖父母は、水が好きならと孫と歩行浴に通い水に親しませてくれたのです。祖父母が子育てに協力してくれることでどれだけ家族は心強かったことかと思います。山口選手が水泳競技に取り組んだのは高校からですが、この祖父母のサポートがなければ今の彼はいないと思います。パラリンピックで家族の話を聞いていると、我が国の障害者の理解の歩みと、それを推し進めてきた人々の熱い思いを感じます。このコメントを書いているだけで、胸が熱くなって、また泣いてしまいそうなのでこの辺にしておきます。

9月1日、4300人超が「休み」 3割は「感染が不安」

2学期初日の9月1日、4300人超が「休み」 3割は「感染が不安」を理由に新型コロナ・鹿児島

2021/09/04 【南日本新聞】

新型コロナウイルスの子どもへの感染が拡大する中、鹿児島県内の多くの学校で2学期の始業式があった1日に少なくとも4300人以上の児童生徒が学校を休んだことが3日、南日本新聞の調べで分かった。「まん延防止等重点措置」が適用されている鹿児島市の市立校の児童生徒は前年比の約2倍に当たる2266人が休んだ。そのうち約3割の671人が「感染への不安」を理由に挙げた。

臨時休校中の薩摩川内市を除く42市町村教委に調査。回答した35市町村の市町村立の学校で、少なくとも4345人が休んでいた。県教委は「県立校のデータは未集計」と答えた。

鹿児島市教委によると1日、小学校で1256人(前年比906人増)、中学校で962人(前年比254人増)、高校で48人(前年比9人増)が休んだ。全児童生徒の4.4%に上った。「感染への不安」から休んだのは1.3%で、小学生が567人で大半を占めた。

そのほか鹿屋市で休んだ児童生徒は496人、霧島市302人(出席停止を除く)など。昨年9月1日と比べて2倍以上になったのは12自治体で、9倍になった自治体もあった。

児童生徒が学校を休む場合、「欠席」と「出席停止」の区分がある。鹿児島市などの多くの学校が(1)ワクチンの副反応がある(2)風邪症状がある-といった場合は「出席停止」で、「感染への不安」を理由とする場合も「欠席」とせず「出席停止」としている。

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以前にも鹿児島の感染がらみの記事を掲載しました(感染情報、身内にも秘密に 鹿児島市教委が口止め: 01/29)。なるほど、情報を公開したら混乱するという前回の鹿児島市教委の思惑は当たっていたとも言えます。まさに大混乱です。昨日の時点での陽性率は、全国平均で1.2%、トップの東京で2.5%、鹿児島は0.5%です。東京の5分の1、全国の半分未満で、鹿児島市の子どもは陽性になって学校を休む推定値の2~4倍以上(子どもの陽性率は低い)の子が、感染恐怖から休んでいることになります。

感染報道は都市部のものが地方局にダイレクトに流されることと、実際には感染者の実態を目にしたことがないので余計に恐怖感を抱いてしまうと言う理由から、学校は感染するところ通学路はウィルスが飛び交っていると子どもがイメージしても不思議ではありません。都市部であれば実際に身の回りに感染した子の様子がリアルに伝わってくるので、普通はそれほど恐れるものではないことが分かるのです。

メディアから流されてくる感染者の情報は重症化したかその一歩前まで進行した人の体験談ばかりですから、怖がるのは無理もないのです。テレビは子どもも見るのですから、もう少し実態に合わせた報道はできないものかと思います。とはいっても、テレビは見てもらってなんぼですから、テレビは怖さを煽るお化け屋敷みたいなもんだと子どもに言って聞かせるべきかもしれません。そして、正しい情報を大人が学んでおく事が一番大事です。小児科学会資料.pdf

辞退者が続出した学校連携観戦現場は苦悶

辞退者が続出した学校連携観戦現場は苦悶「イメージで批判」の声も

2021年9月5日 【朝日新聞】

5日に閉幕する東京パラリンピック。新型コロナの感染急拡大で、一般客の観戦は断念したのに実施に踏み切った学校連携観戦プログラムには「矛盾している」「感染のリスクがある」「テレビ観戦でも学べる」などと批判が集中した。

対象は競技会場がある1都3県の小中学生ら。国や都などは開幕約1週間前の8月16日に希望者の受け入れを決めた。

都では、都教育委員会臨時会で教育委員5人中4人が反対を表明。江東区や港区なども中止に転じ、参加を決めた自治体でも辞退者が続出した。開幕日の24日時点の観戦予定者数は約2万4千人だったが、組織委によると、5日までの入場者数は約1万2千人にとどまった。

参加を決めた区市の学校も、希望者の把握や事前のPCR検査など対応に追われた。

千葉県では7市町207校の約2万6千人が観戦を予定していたが、8月29日に観戦を引率した教員2人の感染が明らかになったことで、熊谷俊人知事は「保護者の不安を払拭(ふっしょく)する(事前のPCR検査などの)施策の実施が困難」などとして途中で中止を決めた。県によると、観戦者は同30日までに6市町92校の計3292人だった。

国や都が実施にこだわったのは、多様性や共生社会の大切さを知る教育効果が高いと考えたからだ。

都教委によると、参加者からは「障害を乗り越えてパラの舞台で活躍する姿に感動した」「ボランティアやコーチを見て、支え合う大切さを感じた」「人生に一度だと思う東京でのパラリンピックを観戦できてよかった」などの感想が寄せられた。担当者は「共助の意識につながる感想を持ってくれた」と手応えを語る。

選手からも「子どもたちの応援がうれしかった」「(感染対策で)声は出せないが、応援する心は十分に伝わってきた」と一様に喜びの声が上がった。

参加したある学校長は相次いだ批判について、「PCR検査を受け、定員の半分以下でバスを利用し、競技会場もほぼ貸し切り。正直、普段の学校生活よりも感染リスクは低いと思う。イメージで『感染を広めるのか』と批判されているようだった」と振り返る。

別の校長は「様々な考えがあることは承知しているが、数年来行ってきたオリパラ教育の集大成。子どもの学びを止めないことを大切にした」と話した。(荻原千明、真田香菜子)

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オリパラで感染が広まる不安を煽ったのはメディアです。学校観戦に一貫して不安をあおったのは朝日新聞をはじめとしたメディアでした。そんな中でも千葉県知事などは一貫して「会場も移動過程も部外者と接触しないなら学校環境下の授業と変わりはない」として、子どもたちにオリパラから学んでほしいと推進してきましたが、観戦者の中の教員と児童に、数名陽性者が出た時点で、不安を払しょくできないとして中止したのです。

結局、パラリンピックを参観した児童は1万5千人程度でした。ただ、朝日新聞の記事だからと言うわけではありませんが、パラリンピックの前に開催された夏の甲子園は1試合4000人で1日5試合程度ですから2万人。15日間で30万人が観戦したのです。もちろんこの中には陽性が判明して涙をのんだ不戦敗高校もありましたが、観戦は中止されません。どのメディアも陽性者が出てけしからんなどとは書き立てずスルーしているのです。陽性率は現在全国平均で1.2%です。観戦者は3000人以上に陽性反応が出るはずですから、陽性者がでないはずがありません。メディアが取材をしなかっただけのことです。

プロ野球も同じです。オリパラのない毎日、1試合5000人の観客が6試合3万人近くが観戦するのです。メディアのスポンサー企業が関わる試合開催には何も言わず、TV中継さえすれば損害の出ないオリパラ観戦には執拗に感染不安を煽っているのは、2枚舌メディア、Wスタンダード(二つの基準をもって自分の都合で使い分ける)と言われても仕方ないです。オリパラはテレビ観戦で十分と言う方もいますが、勝ち負けだけではないのです。それを支えている関係者やボランティアの様子を目にするだけでも教育効果は全く違います。「正直、普段の学校生活よりも感染リスクは低い」と校長先生、オリパラが始まる前に言って欲しかったです。

閉会式は素晴らしい演出でした。そして何より衝撃的なのはフランスパリの観客の映像でした。「手のパフォーマンス」こそ室内でのオールマスクでしたがパリ市街でウェルカムイベントをしている主催者も観客もノーマスクです。密密の野外会場にマスク者を見つけるのに一苦労するくらいノーマスクの大歓声状況です。日本のメディアはパリ五輪委員会やフランス政府をどう描くのでしょう。今のところ二枚舌メディアはこれもスルーしています。

 

 

精神科医が教える「対人関係のしんどさ」を減らすコツ

【発達障害を専門とする日本屈指のスペシャリスト!】精神科医が教える「対人関係のしんどさ」を減らすコツ

9/7(火) 【ダイヤモンド・オンライン】

仕事、人間関係…周囲に気を使いながらがんばっているのに、なかなかうまくいかず、心をすり減らしている人も多いのではないだろうか。注意しているのに何度も同じミスをしてしまう、上司や同僚といつも折り合いが悪い、片付けが極端に苦手・・・。こうした生きづらさを抱えている人の中には、「能力が劣っているとか、怠けているわけではなく、本人の『特性』が原因の人もいる」と精神科医の本田秀夫氏は語る。

本田氏は1988年に東京大学医学部医学科を卒業。横浜市総合リハビリテーションセンターで20年にわたり発達障害の臨床と研究を重ね、現在は信州大学で臨床・教育・研究に従事している。2019年にはNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』に出演して話題になった。
本田氏は、「生きづらさを感じている人は『苦手を克服する』ことよりも、『生きやすくなる方法をとる』ほうが、かえってうまくいくことも多い」と言う。

2021年9月初旬に、本田氏が精神科医として30年以上のキャリアを通して見つめてきた「生きづらい人が自分らしくラクに生きられる方法」についてまとめた書籍、『「しなくていいこと」を決めると、人生が一気にラクになる』が発売となる。今回は特別に本書の中から、対人関係のつらさを減らす方法について、一部内容を抜粋、編集して紹介する。

●「協調性」よりも「ルール」を優先しよう
対人関係には、会話が苦手、挨拶がうまくできない、飲み会がストレスになっている、人の顔色を気にしすぎてしまうなど、さまざまな悩みがあります。対人関係の悩みを解決するためには、「協調性」よりも「ルール」を優先することが大切です。ここでいう「協調性」とは、「相手に合わせて行動しよう」とすることです。協調性は一定ではなく、相手次第で変わるものです。

協調性を意識しすぎると、常に相手の話すことや表情、行動などを気にして、「やりたくないことを相手に合わせて無理してやっている」という状態が長く続き、心が落ち込む原因になります。それに対して「ルール」というのは、一定の決まりごとです。常に一定で、相手によってぶれることがありません。ルールにも社会のルールから家庭のルール、マイルールまでさまざまなものがありますが、大切なのは、社会のルールから大きく逸脱しなければ、自分の生きやすいスタイルを選んでいいということです。

●人の評価を気にしすぎない。受け流すことも大切
対人関係で「しなくていいこと」を手放すには、「人の評価を気にしすぎない」という点も大切になります。対人関係で悩んでいる人は「自分がこういうことをしたら、相手はどう思うだろう」「嫌われるかもしれない」と考えがちです。

そんなときは、「協調性よりもルールを優先」という原則を思い返してみてください。社会のルールを守っていれば、少しくらいやり方を変えたからといって、人に嫌われたり怒られたりすることは、基本的にはありません。もしも、ルールを守っているのにネガティブな反応をする人がいたら、その人とは距離をとったほうがいいというだけのことです。

誰かに合わせるやり方ではなく、社会のルールを守りながら、自分自身に合ったスタイルをつくっていきましょう。そうすることで、対人関係のつらさは軽減していきます。

(本原稿は、本田秀夫著『「しなくていいこと」を決めると、人生が一気にラクになる』より一部抜粋・改変したものです)
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書いてあるのは、いちいちもっともなことですが、発達障害の中でピュアなASDの人では、こういう悩み方をする人は少ないです。本田先生の言われているケースは、うつ病になるメランコリータイプの人に多く、ピュアなASDの方の悩み方ではないように思います。ASDの方はどちらか言うと、協調性を気にせず、周囲の人に不快になるマイルールを押し付けてくるので、周囲が本人と口をきかなくなり、必要な情報が当事者に届かなくなって初めて「ハブられている」ことに当事者が気付き、何故だか意味が分からず悩むというパターンが多いです。

人の評価も、仕事上の特定のスキルの事では気になりますが、職場内で協調性がない自分に気が付く人は少ないです。或いは、当事者は協調性を大事にしているつもりで、誰にでも同じ距離感で接したり、逆に必要以上に距離を取り、誤解される事があります。他者の事がわかっているつもりになり、妙な気遣いをしてしまって迷惑がられることもあります。つまり、「そのマイルールーが周囲には痛い」場合が多いのです。

これは当事者むけの本なので、比率としては一番多いソフトな境界域の発達障害の方の事なのだろうと思います。協調性の必要性を知ってるが故に苦痛、対人上の良い評価を得たい故に苦痛、なのだと思います。もちろん、そういう方には、社会性を逸脱しないマイルールかどうかを、職場の信頼できる人に聞いてみて、それで「まぁ、まぁ」ならあとはマイルールで行動して気にしないというのが大事と言うのは書いてある通りです。発達障害と言っても、最も多い境界域から一番端の方に偏在している少数の人までいろいろなので、どういう人を対象にしているかで、かなり対応が変わってくるので、気になって書きました。

苦行じゃ意味がない 障害児の「療育」はほどほどに

苦行じゃ意味がない 障害児の「療育」はほどほどに 自分らしく、生き生きと暮らす

7/4(日) 【オトナンサー】

「療育」とは、障害のある子どもが社会的に自立できるようになるために行う教育のことです。わが子に発達障害があると分かると、療育を受けさせる親御さんも多いと思います。

しかし、療育を「定型発達児に近づけること」と勘違いし、苦手を克服させようと必死に努力させたり、「やればできる」と過度な期待を抱き、何でも1人でやらせようと試みたりする「熱心な無理解者」と化している親御さんや支援者がいるのも事実です。こうなると、子どものためであるはずの療育が、子ども本人にとっては苦行となってしまいます。

子どものための「療育」
療育は子どもが日常生活を送りやすくするために、こだわりの緩め方を学んだり、コミュニケーションの取り方を学習したりする場です。「一つでも、普通の子と同じことができるように」と定型発達児に近づけようとすればするほど、本人の自己肯定感を下げるだけになってしまいます。もし、そうなってしまったら、「やらない方がよかった」ということにもなりかねません。

一方で、親にとって、療育はどのような意味があるでしょうか。それは、周りが定型発達児の親ばかりで孤立無援の状態だったところから、同じ障害を持つ子を育てる保護者との交流が持て、居場所が見つかることです。また、療育の様子を見学して、親が支援の仕方を学ぶことができるなどのメリットもあります。ただし、周りのママ友が熱心すぎて“才能の温泉掘り”に必死になっていたり、「熱心な無理解者」の支援者がいたりしたら、その人は良い手本ではないので気を付けなくてはなりません。

音が怖いなら…
私の息子は知覚障害のある自閉症児です。聴覚過敏のある息子は幼児期、公衆トイレのハンドドライヤーの音を怖がっていたため、外出先でトイレに行けませんでした。そのため、療育施設ではこれに慣れるための訓練を受けていました。

実際、ハンドドライヤーを怖がる自閉症の子は多いようで、ママ友の中には「家庭での練習も必要だ」と思い、自宅のトイレにハンドドライヤーを設置し、親が“療育の先生”となって練習をしている人もいました。しかし、これでは子どもにとって、家が“恐怖の館”になってしまいます。

息子が次第に療育を拒むようになってしまった中、当時通っていた児童専門の精神科の主治医に、ハンドドライヤーを使う練習をしていることを伝えました。すると、「そんなことをしていると将来、2次障害を起こして入院することになりますよ。そんな練習は今すぐやめなさい。お母さんがハンドドライヤーのないトイレを探してあげて、そこを使えば済むことです」と叱られたのです。

さらに「障害児なんだから、堂々と多目的トイレを使えばいいんです。そこだったら、急に誰かが入ってきて、ハンドドライヤーを使うことはないでしょう。息子さんも安心してトイレが使えるはずです」と言われました。実際、この病院には、親がわが子を思って、「定型発達児と同じことができるように」と引っ張り回した結果、うつの発症やリストカットなどの深刻な2次障害を起こしている子どもが多く入院していました。

私は主治医に言われた通り、ハンドドライヤーがない公衆トイレを探して使うようにしました。駅やデパート、ファミリーレストランなど、外出時に利用する機会が多い場所のトイレはハンドドライヤーの有無、設置個数について特によく調べました。

やがて、外出時はいつも、トイレを我慢している様子だった息子が、私と一緒のときは公衆トイレに入れるようになったのです。中学生の頃、ボウリング場に行ったときには、かつて、あんなに怖がっていたハンドドライヤーをうれしそうな顔をして使っていました。

なぜ、息子は苦手だったハンドドライヤーを怖がらなくなったのか。それは主治医の助言以降、安心・安全を確保した状態でトイレを利用できるようにしたから、そして、息子自身が14年という人生経験を積み、3歳の頃と違って苦手なものにも挑戦できるようになったからだと思います。

息子にとって、いつしか、トイレは恐怖の場所ではなく、「こだわりの場所」になっていったようで、公衆トイレは今や、息子が一番好きなものになりました。特に便座のメーカーや型番をチェックするのが大好きで、文字を書くのも絵を描くのもトイレのことばかり。外出先でトイレを見つけると吸い込まれるように入っていきます。

成人した息子を見てしみじみと思うのは、幼い頃に「この世界は怖くない。安心、安全だ」「先生や親は自分を脅かす存在ではない」「大人は自分を守ってくれる人間だ」ということを体験させれば、子ども本人の力で自然に乗り越えられるようになるということです。世の中は定型発達の人が生活しやすいようにできています。そのため、社会になじめるように練習していく必要はあります。しかし、それが行き過ぎるとデメリットもあると私は思うのです。

障害のある子どもは定型発達の子どもと同じやり方では学びづらいです。療育とは、その子に合ったやり方でできることを増やし、自分らしく、生き生きと暮らせるようになるために行うものです。何のための療育なのか。誰のための療育なのか。「療育はほどほどに」という考え方も大切にしたいものですね。

子育て本著者・講演家 立石美津子
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掃除機の音が怖い自閉症児の事を思い出しました。小1のA君は体育館に入れず、誘導すると逃げ出したり泣きだしたり、誘導する大人を激しく蹴りに来たりするのでした。聴覚過敏のASD児が多いことは知っていたので、体育館の反響音とか喧騒が怖いのだろうと、無理強いはせずに声かけはしますが入場は本人の主体性を尊重していました。。その後に、T君の就学前通所施設(今の児童発達支援事業にあたる)の話を聞いて、原因が分かりました。

確かにT君は聴覚過敏で、園児が集まるプレイルームの喧噪が嫌で入れなかったそうです。ところが、それではT君が集団性を学べないと言う理由で、プレイルームに入れるために、T君が嫌いな掃除機でプレイルームの入り口のT君を追い立てて入れていたと言うのです。掃除機音に追い立てられるわ怖いプレイルームに入れられるわで、T君がPTSDを抱えてしまったと言うわけです。

小さい子は、力が弱いですから、大人の強制力で簡単に屈服させられます。しかし、やがて身体が大きくなり幼少の期のトラウマを抱えたままの場合は、衝動的に暴れたり暴力をふるったりするようになることがあります。言語発達に遅れがある場合は、恐怖の原因を大人に語る事すらできません。こうして、発達障害とは何の関係もない行動障害を抱えることになります。無論、当時の大人はそんな事を知るすべもなく「集団性」を優先したのです。ASDの事を知らない事業所に療育を受けに行ったばかりに、PTSDを負わせてしまったのです。

熱心な療育が間違っているのではなく、障害特性も良く把握しないまま、「慣らそう」としたり「できるように」しようとするのは療育ではありません。ただの、お節介で迷惑行為なのです。他にも、思春期に荒れるのは、受動型のASDで絵カード支援をした子どもに多い等というデマ説がありますが、これは、理解コミュニケーションばかり教えて、表出コミュニケーションや交渉を教えなかった結果です。療育者が、コミュニケーション支援を正確に学ばずに、絵カード支援を見よう見まねで「熱心」に実施した結果です。私たちが絵カード支援で、安くはないPECSマニュアルの熟読を勧め、高額だけど支援者トレーニングを受けて欲しいと言うのはこういう理由があるのです。

しかし、療育技術はその時代の限界性はあるとは言え、支援者が子どもと養育者をリスペクトして、子どもの発達や障害特性に支援者がアンテナを張っていれば、効果的な療育が見つからない場合はあっても、間違った療育を強いることはないと思います。それを筆者は「ほどほどの支援」と呼んでいるのかも知れません。

 

 

出場逃したアスリートは東京パラをどう見たか

「感動ポルノと違った」出場逃したアスリートは東京パラをどう見たか

9/9(木) 【朝日新聞】

スポーツの奥深さを見る者に感じさせてくれた東京パラリンピック。その舞台にわずか「1センチ」の差でたどり着けなかった選手がいる。2016年リオデジャネイロ大会の陸上男子400メートルリレー銅メダリストで、前回12位に終わった走り幅跳び(上肢障害T47)への出場を目指した芦田創(はじむ)(27)。彼の目に東京大会はどう映ったのか。閉幕の日、記者が話を聞いた。

■あと「1センチ」で逃した出場
――代表選考期間に残した記録は6メートル87。内定の条件となる期間中の世界ランキング6位まで、1センチ足りませんでした。

「パラリンピックに選手として出られなかったことが、やっぱり、めちゃくちゃ悔しくて……。これは一生、悔いとして残るんだろうなと思います」

――自分がいない大会を、どんな気持ちで見ていましたか。

「意外と、客観的に見ることができた。純粋に競技として『面白いな』と思う部分だったり、種目によっては『まだまだ、これからレベルが上がっていくんだろうな』という部分だったり、すごく考えさせられながら向き合ったパラリンピックでした」

――これまでの大会との違いを感じましたか。

「パラアスリートを障害者としてではなく、よりアスリートとして評価する時代になってきたんだなと感じました。メディアの報じ方に、その傾向が表れていた。きっとメディアの方々も、議論を重ね、勉強を重ね、どう報道するか、すごく考えてこられたのでしょう」

■「感動ポルノ」とは違う報道
――パラアスリートとして、その変化をどう思いますか。

「純粋なスポーツ報道になっていて、感動を誘う題材として障害者を描く『感動ポルノ』とは全く違った。それはすごいことだなと。パラアスリートがアスリートとして評価されることで、本当の意味で社会って良くなっていくというのが私の意見です」

――競技レベルの高まりが続くパラスポーツには、どんな未来が待っているでしょうか。

「もっとハイパフォーマンスが生まれるスポーツになるためには、ある種のヤジやバッシングが飛ぶくらいでないと。例えば『この障害だったら、もっとやれるんじゃないの?』といった観客の声が出始めたら、本当の意味でスポーツとして確立されるというのが私の感覚。何大会か後のパラリンピックには、そんな世界観が現れると思っています」

――出場を目指した走り幅跳び(上肢障害T47)も、メダルラインは5年前から23センチ伸び、7メートル34になりました。

「正直なところ、出ていても勝負にならなかった。8番(記録は6メートル89)以内には入れたとしても、メダルを狙うには厳しかった。それくらいレベルが上がっています。これから3年後のパリ大会を目指す上で、相当な覚悟を持ってトレーニングに励まないと。競技全体のレベルアップに貢献できる選手になれるよう、頑張るつもりです」(聞き手・松本龍三郎)

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パラリンピックの走り幅跳びは凄いです。両足義足のヌタンド・マラング選手(南アフリカ)は7.17mも跳びました。オリンピックはミルティアディス・テントグルー(ギリシャ)が8.41mですからまだ差はありますが、小学6年生でよく跳んで4m位ですから倍近くを跳んでいく義足のパラ選手はまさに超人です。

パラリンピックの学校観戦については、当初想定した2割も観戦できず大事な教育機会を逃したと思います。オリンピックには見向きもしない小さな子どもでも、手足がない人や目が見えない人が走ったり泳いだりしている姿は注目して見るものです。そして、誰かが障害についてあれこれ説明しなくても、障害のある人が凄い記録を出している姿には多くの子どもが驚き、感動をします。

子どもにとっては、感動ポルノの演出は必要ありません。見たまま、そのままで十分です。ただ、知的障害の競技でのハンディーキャップは分かりにくいかも知れません。それでもダウン症の人が楽しそうに踊っている閉会式はきっと伝わるものがあると思います。そして、こうした取り組みが4年に一度ではなく日常的に積み重ねていけるなら、芦田選手のいう「もっと頑張れ!」という檄が飛ぶパラの世界がやってくるのだろうと思います。

ラグビーの聖地「花園」で育む東京パラのレガシー

ラグビーの聖地「花園」で育む東京パラのレガシー

2021/9/10 【産経WEST】

障害者アスリートたちが無限の可能性を世界中に発信した東京パラリンピック。東京五輪からのテーマである多様性を認め合う社会の実現へ、いち早く取り組んでいるのがラグビーの聖地「花園」で知られる大阪府東大阪市だ。国内初の車いす専用の屋外スポーツ施設が今年2月、花園ラグビー場の隣にオープン。障害者と健常者がともに同じコートで汗を流す。五輪・パラの熱狂を一時のものに終わらせず、レガシー(遺産)として未来へつなぐ。

「(車いすを)こいで! こいで!」
「ナイスキャッチ!」
東京五輪開幕翌日の7月24日。ラグビー場のある花園中央公園内の「市立ウィルチェアスポーツコート」で、車いすソフトボールの体験会が開かれた。同地で合宿中の車いすソフトボール日本代表が企画し、健常者も参加。車いすに乗ってボールを追う姿に、選手から檄(げき)とエールが飛んだ。

ウィルチェアは、車いすの英訳。コートには「ハ」の字形の車輪が付いた競技用車いすが22台備えられ、誰でも使える。

「障害者の方だけが集い、使う施設では時代に合わないのではないか、という考えがありました」。コートの整備に携わった東大阪市都市魅力産業スポーツ部長の栗橋秀樹さん(59)は施設の意義をこう語った。

栗橋さんによると、コートの完成まで東大阪市は2つの「宿題」を抱えていたという。
1つは、約1・5キロ南東にあった「ウィルチェアースポーツ広場」。市内に拠点を置く車いすソフトボールチーム「関西アンバランス」から練習場所の確保が難しいとの相談を受け、平成29年に開設された。

スポーツ広場といっても、大阪広域水道企業団ポンプ場の駐車場の空きスペース。水道施設内で、障害者が使える多目的トイレは新設できない。近くのコンビニが協力に応じてくれたが、栗橋さんは「選手たちも気を使い、トイレを借りるときは買い物をしていくようなこともあった」と明かす。練習はできたが、トイレはネックだった。

もう1つの宿題が「聖地・花園」のあり方だ。2019年のラグビーW杯の会場に選ばれた際、会場の整備費用の協力を求めて企業回りをする中で、栗橋さんは義肢メーカーの社長からこう問われた。

「聖地という言葉の意味は分かっていますか」

栗橋さんは「恥ずかしい話、衝撃を受けました。車いすラグビーもあるわけです。市長とも、誰でもスポーツを楽しめる場所にしなければという話になった」。日本に前例のない、車いすスポーツ専用のコート造りが動き出した。

花園に障害者用施設を造るのではなく、障害者も使える花園に-。その思いを、関西アンバランスのメンバーで日本代表の赤井正尚さん(46)は、コートのすぐ横に造られた駐車場から感じた。

「花園のような大きな施設は広い駐車場も多いが、車いすを使う人にとっては試合や練習会場まで荷物を運ぶのに苦労するんです」と話し、駐車場の場所まで配慮された点を評価する。

赤井さんは「スポーツでは障害者と健常者で注目度の差がある」と指摘し、「身近に障害者スポーツを見る機会はなかなかない。花園でやっているといえばみんな場所が分かるし、障害者スポーツを見てもらえるかもしれない。花園にあるというのがいいんです」

7月24日の車いすソフトボールの体験会には、足を止めて様子をながめる散歩やジョギング中の人がいた。障害者スポーツが日常の景色に溶け込む姿に、栗橋さんは「スポーツはみんな好きですから」と笑顔を見せ、「車いすソフトの日本一を決める大会をここでやれたらいいですね」と語った。(渡部圭介)

※東大阪市立ウィルチェアスポーツコート
2月にオープンした広さ約4500平方メートルの競技場で、多目的トイレと電動ベッドもある救護棟が設けられた。テニスコートなどで使われるものと同じ素材を使用し、地面からの反射熱を和らげるための塗装が施されている。車いすソフトボールのほか、パラリンピック種目のラグビーやバスケットボール、ボッチャなどのラインが引いてあるが、テニスなど健常者の利用も可能。1時間千円。

※車いす=wheelchair=ウィルチェア 車輪=wheel ホイールは日本語発音

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スポーツ苦手な子どもが心置きなく使えるコートも欲しいです。発達障害の子どもの場合、発達性協調運動障害(Developmental Coordination Disorder =DCD)といって不器用な子が多くて、学校でも地域でもスポーツの楽しさを味わう事ができません。上手な子の中に入っていてもパスも回ってこないし、お地蔵さん状態でいても何も楽しくないので、「スポーツ嫌い!」な子はとても多いです。上手な子にしてみれば、敵味方間違えてパスしたりする子にはゲームがしらけるのでパスを回しません。そういうことで、ただでさえ少ないゲームコートから障害のある子は追い出されてしまいます。

もっとたくさんコートがあれば、下手な人でもスポーツが楽しめるのにと思います。有料道路や鉄道の高架下にはたくさんの空き地があります。所有権は各会社にありますが、自治体は管理することを条件に無料で借りる事ができます。ところが、コロナ禍ではせっかく障害者用トイレまで作った公園でも、感染予防に責任が持てないと閉鎖してしまうのです。高架下に発達障害の子どもが遠慮なく使えるスポーツコートが欲しいです。ついでに、発達障害のある子にスポーツの楽しさを教えてくれる、様々なスポーツコーチも地域で養成してほしいと思います。

例えば、高架下の障害者用のコートとトイレ、駐車場(車いすが使える仕様)は行政が作るが、その管理はNPO団体等を作って、利用団体が管理費を出し合う形で任せるなどやり方は色々あると思うのです。ぺんぺん草が生え、フェンスで囲まれた高架下空き地を、指をくわえて見ているスポーツ愛好家や子どもの支援者は少なくないと思います。障害のある人もない人もスポーツが楽しめるように、高架下の空き地全面有効利用の政策を掲げて立候補する政治家が出てこないものでしょうか。

 

障害児手当 地域差なくし公平な運用を図れ

障害児手当 地域差なくし公平な運用を図れ

2021年9月14日(火)【愛媛新聞】

20歳未満の障害児のいる家庭に支給される国の「特別児童扶養手当」で、人口当たりの支給対象児童数や申請件数に自治体間で最大約5倍もの差があることが分かった。

国の制度であるにもかかわらず、住んでいる地域によって支給状況が異なることは不公平と言わざるを得ない。申請基準が曖昧な上、判定医の裁量で可否が左右されることが指摘されている。長年自治体任せにしてきた国の責任は重い。早急に現状を把握し、基準の明確化や判定方法の見直しなど制度の適正な運用を図らねばならない。

手当は障害児を育てる経済的な負担を補うことを目的とし、保護者の申請に基づいて都道府県と政令指定都市の判定医が審査する。2021年度の支給額は1級で月5万2500円、2級で3万4970円。全国で約24万人が受給している。

厚生労働省の19年度統計データを共同通信が分析したところ1万人当たりの対象児童は全国平均で121人。最も多い沖縄県の269人と、53人と最少の東京都で5・1倍の差。申請件数でも1万人当たり40件の大阪市と8件の東京都で5倍の開きがあった。愛媛県は対象児童152人、申請件数18件だった。

特に問題なのが障害が軽度の場合だ。申請を受け付けるかどうか自治体によって線引きが異なる。

知的障害の療育手帳で最も軽い第4段階の児童について、東京都は支給対象の目安に含めていない。そのため申請すらできない状態だ。一方、沖縄県は第4段階でも対象外とはしておらず、実際に支給されている例もあるという。所得制限があるため一概に比較はできないが、対象児童数や申請件数の少ない自治体では多くの軽度障害児が門前払いされているとみられる。

申請しても「障害が基準より軽い」として却下される件数も増加傾向にあり、10年前の3倍近くに上る。発達障害の認知度が高まり申請件数が増えていることが背景にあるものの、却下率に自治体間で大きな差が出ていることは見過ごせない。

そもそも国の基準自体が曖昧だ。例えば自閉症など発達障害の2級は「社会性やコミュニケーション能力が乏しく、不適応な行動が見られるため、日常生活への適応に援助が必要」と示すだけである。

各自治体では診断書などの書類を見て支給の可否や等級を審査するが、判定医1人が担うため個人差が出るのは否定できまい。検査数値や外形で分かりやすい身体障害に比べ、発達・知的障害は判断が難しいはずだ。専門医や生活状況を知る福祉職らを加えて複数で審査するなど判定方法の見直しを求めたい。

共生社会がうたわれる中、どこに住んでいても障害児の子育てを安心してできる環境が欠かせない。対象児童を取りこぼすことのないよう制度を整え、自治体や関係機関に周知を徹底することは国の責務である。


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障害児手当、不支給が大幅増 10年で3倍近く、6割却下も

8/29(日) 【共同通信】

障害児のいる家庭に支給される国の「特別児童扶養手当」で、自治体に申請しても「障害が基準より軽い」として却下される件数が2019年度までの10年間で3倍近く増えていたことが29日、国の統計データから分かった。

申請の6割超を却下している自治体もあった。自治体の判定医の審査が厳しくなっている可能性がある。審査基準が曖昧で、判定医の個人差で左右されかねないとして、障害者団体からは基準の明確化や審査方法の見直しを求める声が上がっている。

厚生労働省の統計「福祉行政報告例」によると、09年度の却下件数は1410件だったが、19年度は3950件と2.8倍に増加した。


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これまで、親のしつけや家庭環境が原因とされていた子どもが、そうではなく生まれつきの発達障害が原因と発達障害支援法に認められて15年が経過しています。新たに障害と認められたのですから、当然、障害者手帳の発行数も特別扶養手当の支給額も膨らんで当たり前です。申請の6割を却下しているとは常識はずれの驚くべき事です。判定医の審査が厳しいとか厳しくないとか言いますが何が基準なのかわかりません。審査と言っても医学診断が基本ですから、5倍も差が出るものはそもそも診断とは言えません。個人的にせよ組織的にせよ基準や根拠のないバイアスが働いて不公平が日常的に生じているという事です。

確かに、どんな症状にもグレーゾーンは存在しますし、実はこのゾーンの人が一番多いとも言えます。だからこそ新しい障害基準ICFは社会参加の状態で支援の内容を考えるべきだと示唆しています。例え障害の程度は軽微でも、自尊感情が低く不登校傾向が見えるなら質的に高度な支援が必要です。障害が比較的重くても、周囲の理解があり意欲的に社会参加ができているなら最低限の支援で良いのです。

社会参加に支障がないのに、親が好んで子どもの障害を認めたいはずがありません。必要だから求めているのです。2級で月額3万4970円、500万円の年収の日給換算をすれば2日程度の賃金です。他の親より月2労働日程多く支援するだけの給付なのに、半分以上の申請を、この子は該当しないと却下する担当者の顔を、一度見てみたいです。

ただ、わかりやすい基準、ガイドラインを明らかにしない政府にも問題はあります。教育・福祉・医療の少なくとも2分野で特別支援や発達障害支援を日常的に受けている事、というような条件提示で2級判定は十分だと思います。診察に付き添ったり、事業所に出向いたり、相談に行けば月2日などあっという間に無くなります。そういう現実を知らない担当医や担当行政官が、勝手な思い込み(主観)で却下しているなら権力の濫用と言われても仕方ないです。

それにしても、京都府の説明は不親切です。同じ京都でも京都市は分かりやすく自閉症の適用を説明し、神奈川県はさらに丁寧です。これも、自治体格差なのです。役人はどんな説明しようが、それも自治体の権限だとはさすがに言わないでしょうが、毎年、ちっとも変わらない分かりにくいパンフを作っている自治体があるとすれば、やる気がないと言われても仕方がありません。

「いじめ自殺」学校配布タブレットの管理は

「いじめ自殺」学校配布タブレットの管理は

9/15(水) 【日テレ】

東京・町田市で小学6年生の女子児童が自殺した問題で、14日も調査が行われましたが、いじめの舞台になったと指摘されているのが、授業で使うため1人1台配布されているタブレットです。その管理の仕方に問題がありました。

小野高弘・日本テレビ解説委員国際部デスク
「去年11月、女子児童は自分の部屋で自殺しました。残された遺書には、いじめの内容と複数の同級生の名前を挙げて、『おもちゃじゃない』と訴えました。何があったのか、わかってきました。児童らは、学校から配布された1人1台のタブレットでチャットを利用していましたが、そこで女子児童について『うざい』『死んで』といった悪口が書き込まれていました」

「今回明らかになったのは、そのタブレットのアカウント管理がずさんだったということです。ログインするのにIDとパスワードが必要ですが、IDは出席番号を基本としたものでした。パスワードは全員が同じ『123456789』にしていた期間がありました。自殺があった当時含めて1年間、そうだった可能性があります」

日本テレビ・佐藤梨那アナウンサー
「出席番号は、同じクラスならみんなすぐにわかりますよね」

小野解説委員
「それにパスワードは、先ほどの数字を入れればいいので、他の人になりすましてログインができるということです。文科省は、IDは個々のものを作ってなりすましができないように、と指針を出していましたが、この学校の対応は不適切だったと言わざるを得ません」

「その結果どういう状況が生まれたかといいますと、例えば2人の児童の間で、チャット上で『○○がうざい』とやりとりしたとしても、この2人のIDとパスワードは誰でもわかるわけですから、事実上、クラスの誰でも見られる状態でした。悪口を言われた本人も、このやりとりを見られるわけです。学校でも家でもアクセスできる限り、悪口を目にし続けることになります」

佐藤アナウンサー
「いま、タブレットを使って授業を行っている学校も、多いと思います」

落合陽一・筑波大学准教授(「news zero」パートナー)
「学習のために特化したタブレットであれば、個人情報をその中に保存するわけではないので、パスワードが共通でも、運用上はそんなに問題ないのではと思います。なりすましについては、端末のIDは残るので、追跡はできるはずだと思います。これはデバイスや管理の問題というよりは、デジタル、非デジタル関係なく、いじめがオンライン上で行われても、フィジカルで行われても『先生に言うように』など、いじめを把握して対策する声掛けというのが必要だったことなのではないかと思います」

佐藤アナウンサー
「萩生田文部科学大臣は14日、『端末の管理などについて、さらにどのような対応をすべきか検討する』と話しています」

9月14日放送『news zero』より。

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タブレットの管理が悪くていじめが起こったわけではないという落合教授のコメントは正しいです。事件は、自殺した6年女子がいじめに関与している子のIDでログインし、自分を卑下するチャットのやりとり内容を知って自殺したと言うものです。他者IDでなりすましログインができなければ自殺を防げたかどうかはわかりませんが、落合教授が言うようにデジタル(ネット空間)でもフィジカル(現実空間)でもいじめは起こるのですから、その学校のいじめ防止対策や人権教育はなされていたのか、4年生から起こっていたいじめについて、担任は真摯に受け止めて対処したのかという事にメディアは注目して報道すべきです。

少なくともIDやパスワード管理の問題ではないという観点を記者が持てば、真正面からいじめの原因の取材ができるはずです。町田市教委が昨年11月の事件を未だに調査中だという事にピントを合わせるべきです。そして、子どもが一人亡くなった事件から1年近くたっても結論も出せない事態を町田市長はどう考えているのか、メディアはインタビューすらしていないのです。

最近のメディアの事件の取り上げ方はピントがずれていることが少なくありません。パラリンピックの学校連携問題も、オリンピックの総括で感染拡大と人流とは全く関係がないと結論されているのに、パラ観戦での教育的効果や子どもの感想やエピソードの取材よりも、どこの学校が感染を恐れて断ってきたかという記事に終始し、子どもの障害理解やスポーツ理解とはほど遠い、感染恐怖を煽るだけの記事を垂れ流し続けました。

今回の話も、いじめをどうやって防止するのかという話ではなく、目新しい学校タブレット配布に便乗して、その設定がいかにずさんであるかと言うところにフォーカスして、いじめの解決とはピントのズレたところでの不安感を視聴者に抱かせてしまいます。子どもがいじめで1名亡くなっているのですから、いじめの解明にむけた報道は、殆どが無症状の子どものコロナ感染報道よりもはるかに重要なはずです。

ただ、小学生の保護者が、あえていじめの問題を社会的に注目させるために、そして、配布を推進した文科省や政治家トップに注目してもらうためにICT教育を問題にしたなら話は別です。保護者がいじめ調査を要請しても学校も市教委も取り合おうとしなかった結果の知恵だとすれば、それは許される行為だと思います。

女子のスラックス制服、県立高で4校のみ…「防寒・ジェンダー平等」

女子のスラックス制服、県立高で4校のみ…「防寒・ジェンダー平等」から検討は広がる

9/15(水) 【読売新聞】

青森県内の県立高校(全日制)55校のうち、性別を問わずスラックスの制服を選べる学校が4校にとどまることが、読売新聞のアンケート調査でわかった。ただ、スラックスの制服の導入を検討している学校も6校あり、防寒性や機能面、多様な性へのあり方から制服選択制を進める動きが徐々に広がりつつある。(八巻朱音)

調査は、5~6月に全55校を対象に実施し、50校から回答を得た。
女子用スラックスの制服を導入している4校は、弘前高、弘前南高、三本木農業恵拓高、五所川原工科高だった。

導入を検討している6校は、八戸東高、七戸高など。検討の理由(自由回答)を尋ねたところ、「防寒の観点から必要」「性的少数者への配慮」「ジェンダー平等の観点から、制服を見直す必要性があると判断した」などを挙げた。

一方、現時点でスラックスの制服がない学校に理由(複数回答可)を問うと、「生徒から要望がない」(27校)、「閉校などで既存の制服がなくなる可能性がある」(11校)などだった。

今年4月、上北地区3校を統合して十和田市に新設された三本木農業恵拓高は、開校を機に、防寒や機能性の点から制服を新調した。新設校のため在籍は1年生だけだが、女子生徒の約1割の11人がスラックスを購入したという。

スカートとスラックスの両方を持っているという動物科学科の女子生徒は「スラックスは寒い時期に暖かく着られる。気分や気候に合わせ、はき分けている」と話す。植物科学科の女子生徒も「女だからスカート、男だからスラックスと決められていないので、着たい方を着て自分を表現できる」と喜ぶ。

七戸高は、ユニセックスの制服の導入を視野に、生徒指導保健部の教員らが制服の選択制を検討中だ。森田勝博校長は「生徒から要望があったわけではないが、スカートをはきたくない生徒も少なからずいるのではないか。着たい制服を選べることで学校生活を気持ちよく送ってほしい」と理由を語る。

弘前大の山下梓助教(国際人権法)の話「自分にとって着心地のよい制服を選べることは、自分自身をどう表現したいのかを考える姿勢を育むことにもつながる。教諭に評価される側の生徒が要望を控えることは十分に考えられるため、相談しやすいルートが整っているかを改めて見直す必要がある」

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話がややこしくなるので、防寒の制服の意義についてはおいておくとして、ユニセックスの制服があればトランスジェンダーの生徒の違和感や差別問題は解決するのかどうか全く不明です。みんな一緒の服にすることは、違いを認める事にはならないからです。むしろ、そこまでして学校の制服を着る意味があるのか訳が分からなくなってきます。性差のない衣服を着る事が、多様性を認める社会ではないと思います。

確かに、男子用・女子用どちらの服を選んでもいいというのは合点がいきます。女子の制服を着たい人や男子の制服が着たい人は生物学的な性と関係なく着られると言うのは良い方針だと思います。ユニセックス制服とは意味が全然違います。しかし、個々の生徒の嗜好性によって制服の枠組みを崩していくなら、制服など廃止すればいいと言う結論に行きつきます。

制服などやめて、標準服として提示して別に私服でも構わないというのが自然です。標準服は、中高生で格式ばったところに着ていく服を買うのはもったいないというニーズや、中高生になったという帰属意識を制服に求める親や子のニーズにこたえるものです。そんなものは着たくないと言う人もいていいよというのが標準服制度です。

制服と言うからには入学と引き換えの義務と言う枠組が残ります。ジェンダーレスだダイバーシティだと理屈を並べてユニセックス制服を作って様式だけを変えても、制服の枠組は残すというのなら、これはエセ多様性と言われても仕方ないです。信念もなく流行に流されるような中途半端なことはしないほうがマシだと思います。