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みんなちがってみんないい

上手く謝ることができない

発達障害の中でも、上手く謝ることができない傾向が多く見られるのは自閉スペクトラム症(ASD)の子どもです。ASDの特性は、コミュニケーションが苦手・他人と目を合わせられない・人の気持ちを理解できない・その場の状況に合わせることが苦手・皮肉やたとえ話が理解できない・柔軟な考え方をすることが苦手・決まった順序や道順、食べ物などのこだわりが強い。これらの共通点は、コミュニケーションが苦手で人の気持ちを理解できないことです。相手がどう思ったか、どんな状態なのかということに関心が持てないのです。このため、自分が悪いとしてもなぜ謝らなければならないのかを理解できないのです。

ASDの子どもに謝ることの大切さを教える前に、まずは大人である私たちが普段どんなときに謝罪しているのかを考えます。1.相手の健康を損なった場合 2.故意や不注意で相手にケガをさせた 3.まわりに迷惑や不利益を与えた場合 4.経済的な損失を与えた 5.行動の邪魔をした 6.時間と労力を無駄にさせた 7.社会のマナーに反した場合 8.公共の場で騒いでしまった 9.飲み物をこぼしてしまった 10.自分がミスをしてしまった場合 11.グループ行動で一人だけ遅れてしまった 12.頼まれたことができなかった。ざっと思いつくだけでもこれだけあります。相手に与えてしまった被害の大きさや状況によって、どの程度の謝罪が必要かは変わってきます。しかし、ASDの子どもはその微妙な加減を理解できません。一般的に考えると、上記の前半の場面では特にしっかりと謝罪する必要がありますから、子どもにも優先的に理解させていきましょう。

ASDのない人は、その場の状況や相手の反応に合わせて謝罪の仕方を変えることができます。しかし、ASDの人は、場の空気や相手の気持ちを汲み取ることを苦手としており上手に謝罪ができません。そのため、「こういう時は謝罪が必要」という風にパターン化させて覚えさせることが必要です。
①どんなときに謝るべきかを理解させる
「ごめんなさい」と言うべき場面をイラストなどを見せて教える。
子どもがイメージできる状況を例示し、そのときの相手の気持ちも交えて、なんと謝ればいいかを教えていきます。
例えば、友だちにケガをさせてしまった。友だちが嫌がることを言ったりやってしまった。友だちとぶつかってしまった。約束を破った。等です。

②ロールプレイングで練習する
同じ謝るという行為でも、目も合わせずにボソッと「ごめん…」と言うのと、きちんと相手の目を見て「ごめんなさい」と言うのとでは、伝わり方が違います。実際に起こりうる場面を再現し、相手が泣いているとき、怒っているときなど、どういう態度でどのくらいの謝罪をすればいいのかを考えて謝ることを練習させましょう。謝ることができなければ、友だちと付き合っていくことが難しくなってしまいます。出来るだけ早い段階から、謝罪の必要性や状況に応じた謝り方を丁寧に教えていきます。他者の感情の学習にもなりますから、理解が進めば子どもの対人関係も良くなっていく場合があります。

また、何より大事なことは褒められること「ありがとう」と言われることを、一方でたくさん準備しておくことが謝罪の学習の成功につながります。教育支援の原則はバランスよくです。

 

明日の支度

子どもが明日の支度に自分から取り掛かり、習慣化させる方法はあります。小学生のうちに、自分で明日の支度ができるようになると、忘れ物を減らせたり、自分で予定を決めて実行できるようになります。

夕方の時間帯は1日の疲れが出るので、子どもが明日の支度をするのは、大人が思っている以上に大変です。まずは、子どもと明日の準備がしやすい時間を話し合ってみます。支度をする時間帯は、帰宅後すぐ、おやつ前後、夕ごはん前後、お風呂前後、就寝前などがの候補となります。そのなかに、子どもが取り組みやすい時間が、必ずあります。時間を決めたら、毎日その時間に、明日の支度をするように習慣付けます。

明日の支度や宿題を忘れて困るのは本人だと分かっていても、親はあれこれ言いたくなるものです。しかし子どもは、親からうるさく言われなくても、「自分がやらなければならないこと」を案外よく分かっていますす。宿題をしたり翌日の支度をする時間は、子ども自身が決めるほうがいいです。本人に任せると時間は掛かりますが、自分で決めたことに責任を持つようになっていきます。

学校の持ち物といっても、さまざまなものがあります。教科書、ノート、ドリル、筆記用具、習字道具、体操服のほか、高学年になれば細々とあります。それらを1度にまとめる作業は、子どもにとっては大変です。そこで、まずは教科ごとに分けておく習慣を付けましょう。例えば「国語」であれば、教科書、ノート、漢字ドリルを1つのファイルや袋へまとめてしまいます。「家庭科」なら、エプロン、三角巾、マスクを全て1つのケースや袋へ入れておきましょう。必要な袋やファイルをすぐに取り出せるよう、教科名を書いておくことをお忘れなく。こうしておけば、時間割に合わせてカバンへファイルを入れるだけで支度できるので、支度がぐっと楽になります。

子どもが1人だけで支度できるようになるには、時間が掛かります。まだ1人では大変そうな場合は、親がそばで見守ってあげます。大人がそばで見てくれているだけでも、子どもは嬉しいものです。低学年のうちは、支度と宿題ができたら「ごほうびシール」を貼ってあげるのも効果的です。子どもは一進一退を繰り返しながら少しずつ成長していきます。できるようになったらすぐに任せきりにしてしまわず、時どきそばで見守ってあげると、支度や宿題の習慣が定着しやすいです。

翌日の支度は、できるだけ同じ時間に取り組むようにすると、体が覚えて定着しやすくなります。なかなか支度の習慣が定着しない我が子のせいにする向きがありますが。支度が習慣化しない原因は、帰宅後とても疲れていることが多いのです。支度に取り組む時間を子どもと相談して決め、子どもがスムーズに支度できるようにサポートしていくことで、だんだんと支度の習慣が定着します。「自分で支度できない」「支度をしようとしない」といった問題の背景には、子どもなりの理由があるのです。紹介した方法以外にも、その子にあったやり方が必ずあります。子どもができる方法を一緒に探って、子どもが「自分でできる喜び」を感じられるように応援したいものです。

 

ナンバーセンス

読み書きのつまずきと同じ位に子ども達が苦戦しているのが、算数です。すてっぷにも算数が苦手な子が多くいます。小学校入学前の子ども達は、ことばを次々と覚え理解して行きます。同時に、「数」についての理解も進んでいくのですが、「数の習得」には、視覚・触覚・筋感覚など全身の感覚が関与しています。「大きさ・長さ・重さ」などは目で見るだけではなく、手で持って感覚的に理解していきます。1個の積木を運ぶだけなら、軽くて小さいからつまんで運べるくらい。でもそれが10個だったら?もっと多い20個だったら?両手を使わなきゃいけない位に大きくなり、材質によってはかなり重くなります。こうした経験と運動・感覚によって1より10が、10より20が、大きく重たいということを感覚とともに学んでいきます。

さらに、物の移動を把握することで、「多い/少ない」だけでなく「増える/減る」がわかるようになります。これが、足し算・引き算などの演算の源になると言われています。ことばも体を動かし、経験の中で学びますがそれ以上に「数」と「身体・運動」には密接な関係があります。数はかなり感覚的なもので、日常生活に密着したものです。3歳頃から、めきめきと発達する「数に関する感覚」を「数感覚(ナンバーセンス)」や「数量概念」と呼び、研究が進んでいます。これらは、算数・数学の土台となり視覚的に捉えるものが多いです。

このナンバーセンスが育っていないと、四則演算は意味を成しません。つまり、増えるのか減るのか感覚でわからないまま計算手順だけ獲得してもそれで量を把握したという実感が伴わないからです。分数で躓くのはこの感覚のあるなしで決まります。2分の1と4分の1のどっちが大きいかは二人で山分けと四人で山分けする経験があれば即座に量の感覚がイメージできるはずですが、このイメージがでてこないと4のついた方が大きいと誤解するのです。さらに2分の1と4分の2が同じだという事も、物を切り分けた経験があれば感覚としてわかるのです。算数は論理的で訓練的なものだと思われがちですが、実は経験による感覚がものをいうのです。従って、やってもやってもできない算数があるなら、一度ナンバーセンスを確認してみましょう。子どもの発達は全て具体から抽象へ進むからです。食事の給仕やピザが上手に切り分けられる子は分数理解の素養があるのです。

「9歳の壁」「10歳の節目」

9歳の壁とは、こどもの発達課題を示す表現で、1.学習の深化についていくのが難しくなり 2.対人関係の複雑さについていくのが難しくなり 3.本人の発達の凸凹が矛盾となって様々な困難が顕在化してきます。

1.は3年生からの学習が急に難しくなることです。割り算があり、時間の60進法があり、四則演算をつかってものを考えるという学びもはじまります。やっと計算法則を手に入れたこどもたちにこの展開や文章題は本当に難しいのです。3年生の学習はその後の学力を決定づけるターニングポイントです。

2.は子どもたちの対人関係の発達的変化です。ギャングエイジという同性集団で群れ合う時期に入ります。現代は遊び集団が小さくなる中で厳密な意味でのギャングエイジはみえにくくなっているようですが、排他的で、同一性を重視する仲間集団という性質は同じです。3年生だけでは遊びに響きあえない仲間を巻き込める余裕はないので、適応できない子どもは締め出されます。

3.は発達障害児自身の発達的凸凹とその変化のことです。5歳台で難しかった心の理論(相手の立場になって考える)や内言の育ちがこの時期ようやくできる(理屈でわかる)ようになり自己を対象化できるようになります。みんなと違う自分が意識されるようになります。当然できない自分も意識できるので不安も強まります。合わせて幼児期に多動性衝動性のために意識しにくかった母親への愛着がこの時期に形成される子らもいて、不安を家族との密着でしのごうとする言動もみえたりします。「どうせ僕なんか」という語りに直面して家族の困惑も深まります。

この時期はいろんな手立てで困難を軽減=壁を低くする足場つくりをしたいです。高学年に向けて学びの場や仲間の居場所作り。学びの質も、がむしゃらな訓練ではなく普通のエネルギーでできる特性に合った学習方法の確立。また、困難が顕在化してきたらピンチはチャンスという視点も持って別のやり方を模索する機会として考えたいとも思います。自己対象化できる育ちの中で、自分の特性を知るチャンスも訪れてきます。自分を知ることは困難もつらいことも多いですが、そこからはじまることも多いのです

「9歳の壁」の姿は「10歳の節目」ともいいます。早期から支援にとりくみ、継続してきたこと、チャレンジしてきたことが実ってくるのは10歳頃です。障害の影響の強い時期を経て、家族と支援者が頑張ってきたことが、生活の積み重ねとしてかたちになってくる時期です。簡単に言うと、落ち着いてくる。思春期の前のまとまりなんてことを感じる時期でもあります。「9歳の壁」と「10歳の節目」一見すると矛盾すると思われるかもしれません。しかし、こどものあらわれ全体像を見つめた時に困難だけではなく新しい息吹もあるのです。


 

喜怒哀楽の感情表現が難しい

ASDを持つ人は、「喜怒哀楽」の表現をすることに、人一倍苦労します。ASDを持たない方の場合、辛い時は「辛い!」という表情や表現をしますが、表現に労力を要する人が辛い時、表現そのものができなくなります。辛いことで「無表情」「無反応」になっているのですが、客観的には「全く堪えていない」「受け止める気がない」ように見えてしまいます。受け手はASDの方を反応をさせようと、語気を強めるなど「力」を使ってくることがあります。そして、さらに思考が停止して相手の語気が強まる…という悪循環が生じます。また、苦しくて困っているのに「嬉しそうな表情」をしてしまうことすらあります。こうなると双方のコミュニケーションは取りようがありません。

ASDを持たない人は動揺している時ほど感情表現が激しくなります。しかしASDを持つ人は一つ一つの感情表現にエネルギーを使うため、急激な驚きや不安はフリーズ(思考停止)してしまいます。怒られて反省しているのに、それが伝わらず「反省の色がないな!」と言われてしまう方も多いです。ASDを持つ人は、怒られるなどの激しい感情を受けた場合、激しく動揺します。これを真正面から受け止め表現しようとすると、精神が壊れてしまうので、感情に「フィルター」をかけて「何も感じない」ようにすることで身を守ろうとしているのかもしれません。

ASDを持つ人は、対人緊張を持ち合わせているケースが多くあります。そのため、人と対面しているときは常に張り詰めた状態でいることがあるのです。緊張していれば、当然表情は硬くなります。表情が乏しいと、相手にはどのように受け止めているかが分かりにくくなります。また、表情が乏しいことで相手には「余裕を見せている」「微笑すらしている」ように見えることがあります。「挑発されているのではないか」と誤解されることで、相手はさらに感情が高まります。そうしてどんどん、コミュニケーションが難しくなってしまいます。

ASDを持つ人は反応がなくても、心のダメージは残っています。また過去の情報をうまく消化することが苦手です。そのため、フラッシュバックが生じ、いつまでも悪い記憶がよみがえってしまうのです。そして今回の「傷」がもとで、フラッシュバックされた分もまとめて感情を爆発させることがあります。「あの時も分かってもらえなかった!!」と過去の分の怒りまでその時の相手にぶつけてしまうこともあるのです。このようなヒステリック状態になるとお互いの関係に溝ができるほか、何より本人にさらに深い傷がついてしまいます。

このような事態を未然に防ぐには、事前に辛い時にどうなるかを伝え周囲が理解しておくことです。「辛い時には無表情もしくは微笑しているようになります」と事前に伝えておく、ということです。相手の中で「辛い=無表情」ということが分からないからこそ、語気を強めたり感情的になったりするわけです。『無表情』は障害を持たない方にとっての「堪えていない」反応だからこそ、最悪の形で誤解されてしまいます。

また、辛い時の対応も大切ですが、そもそもは辛くなる前に対処することが前提です。定期的にキーパーソン等と相談をもち、辛いことや悩み、問題を早めに解消させるように心がけます。相談の機会が多ければ、その中でどういう感情表現をするのか相手に理解してもらえるからです。対面でのやり取りだと、表情や雰囲気など「ASDにとって誤解されやすい状況」が多いです。大切な報告や指示などは書面などの対面以外の方法を双方が使えるようにすることも大事です。

「お節介な人」と「気が利く人」

同じことをしていても、「お節介な人」と言われる場合と、「気が利く人」と言われる場合があります。人それぞれ、考え方や感じ方が違うので、お節介になったり、気が利く人になったりします。電車に乗っていて、年配の方に席を譲る行為も、席を譲られた方によっては、「お節介だな」と思って断る人もいれば、「気の利く人だな」と思って、ありがたく席を譲ってもらう人もいます。受け取り方は人それぞれです。

同じことをしても、全員から「気が利く人」と受け取られる訳ではありません。逆に、全員から「お節介だな」と受け取られるということもないでしょう。でも「お節介」と「気が利く人」の受け取りは相手次第と言うわけでもありません。お節介な人と称されることが多い人と、気が利く人と称されることが多い人の違いは自分優先か他者優先かです。

自分の意見を押し付けたり、相手が拒否しているにも関わらず何かをしようとする人は、お節介と称されることが多くなります。それは、相手の内面を見ているというより、自分を見ているからです。「何かをしてあげることができる自分」に意識が向いているのです。だから、相手がそのことに対して、「お断り」の意思表示をしたときに、落ち込んだり、傷ついたりもするのです。相手の気持ちや意志、状況に、あまり関心がなく、自分に関心があると、お節介な人として称されることが多くなってしまいます。一概には言えませんが、お節介と称されることが多い人は、自信がない人が多いかもしれません。自信がないので、「何かをしてあげること」で、自己有能感を得たくなるのでしょう。また、意識が自分に向いていますから、相手が明確なお断りをしないで、困った顔をするだけでは、相手が困っていることに気づくことができません。

気が利く人と称されることが多い人は、相手の気持ちや意志、状況に関心をもっています。「何かしてあげることができる自分」ではなく、「相手」に意識が向いているのです。だから、相手が明確なお断りの意思表示をしなかったとしても、相手が困っていることに気づくことができます。そして気付いたら、「必要なかったのだな」と、サッと手を引くことができます。また、「余計なことをしてしまって、ごめんなさい」と謝ることもできます。自分ではなく、相手を尊重することができていると、気が利く人と称されることが多くなります。気が利く人と称されることが多い人は、相手の態度に左右されないですし、自分の気持ちと相手の気持ちの両方を見ることができますので、自信がある人が多いのかもしれません。人と自分の意見や気持ちが違っていても、それで自己価値が左右されることがないのです。

相手が、「お断り」の意思表示をしたときに、それを快く受け入れることができるかどうかは、「お節介」と「気が利く人」の違いなのかもしれません。「お断り」を「拒絶」と受け取ってしまうと、快く受け入れることができないので、相手への押し付けということになってしまい「お節介」になってしまうのです。自分に意識が向いているか、相手に意識が向いているかの違いなのかもしれません。

感情を学ぶ

感情は、チャールズ・ダーウィンが提唱した6つの基本的感情である<喜び><驚き><悲しみ><恐怖><嫌悪><怒り>の他に、心理学者のポール・エクマンが加えた10の感情<楽しみ><軽蔑><満足><当惑><興奮><罪悪感><得意><充足><官能的な喜び><羞恥>の16の感情があります。

基本的感情は赤ちゃんも持つ感情で、追加された10感情は成長ともに持つようになる感情です。例えば、軽蔑の感情や罪悪感に苛まされる赤ちゃんはいませんが、成長過程で軽蔑や罪悪感などの感情を持つようになるからです。

なぜ人は感情を持つのかは多くの議論があり、大きく分けると「遺伝」「身体的反応」「思考」「文化」の4つ仮説があります。どれか一つではなく複合的な要素が絡みあっていると考えられていますが、ネガティブ感情をコントロールできるようになるのも成長の証です。

ネガティブ感情を持った時に感情をコントロールできるようなれば、※人前であがらなくなる。※怒りにまかせて酷いことを言ってしまうことがなくなる。※失敗しても消沈せず、平静な気持ちでいられる。※自分の欠点を恥ずかしいと思ったりしなくなる。※恋に盲目的になり、感情に突き動かされて大失敗しなくなる。その為には、それぞれの感情がどんな時に、そしてなぜ沸き起こるのかを理解する必要があります。

最近、怒りのコントロール方法が紹介されるようになりましたが、文化的遺伝的側面で考えるのであれば欧米人のように怒りを抑えずに自分が怒っていることを表す傾向がある民族もいれば、日本人のように怒りを抑えてしまい鬱積した感情としてストレス化してしまう民族も存在します。「怒り」の感情ひとつをとっても生活ベースによって対処方法が違う場合もあるでしょう。

「恥ずかしい!」と思った瞬間や嫌な気持ちになった時、それがなぜ起こっているのかを冷静に判断し対応することができる人を社会性が高い人と言います。感情の揺れは、自己肯定感に大きく影響します。自分の失敗に関する感情(怒り、悲しみ、罪悪感など)を処理しきれない状態が続くと、自分のことを認めることは難しくなってきます。レジリエンス(逆境から離脱する力)は、「自己肯定感」の影の力で「感情力」とも言えますが、自己肯定感というベースを固めるために「感情コントロール」は避けて通ることができません。

「怒り」「羨望」という感情のコントロールは「自分との関係」(自己肯定感や自己評価)を改善することができます。自分との関係が良好になると、次に変化するの家庭や職場など、身近な人との人間関係が変化します。感情を学ぶと相手の感情を理解し、共感することができるようになるからです。感情の学習は集団活動の中でしか行えません。しかし、自然に身につく人とそうでない人がいます。そして現代社会は、後者の人たちが増えています。感情を学ぶことが必要な社会になっているのかもしれません。

家で子どもが荒れる理由

家で子どもが荒れる理由はいろいろあります。保護者はあれこれ環境の変化を考えて外で何かあったと推測します。学校でなにかあったんだろうか?学童保育所や放デイで嫌なことがあったのだろうか?いじめられているんだろうか?怒られたのだろうか?あれこれと考えてみます。でも、お世話になっている先生に何かあったかとは聞き辛いものです。また、何かあれば先生から書面や電話で連絡してくるし、先生が何もないと考えていれば、聞いたとしても「いつもとかわらない」という返事が返ってくるのがほとんどです。

次に、傾向や確率で考えてみます。A先生が担当なら荒れることが多いとか、何曜日がよく荒れるとかそれなりに根拠を探します。そこに法則性が見いだせるなら、次に原因を推測します。同じ曜日に荒れるのは、嫌なことがある日と考えて共通する取り組みを考えます。実は、このようにして原因を追究するのは事業所も学校も同じなのです。家で何か変化があったかと考えるのです。そして、少ない情報から多大な憶測を元に原因を探します。保護者と関係がとりにくい場合はなおさらその憶測と思い込みは激しくなります。

結論としては、わずかな情報と憶測で原因がわかるなら、誰も苦労はしないということです。多くの事象の原因は一つではなく複合的で、複雑に絡み合っていることが多いです。ただ、一つだけ言えることは、自分の目の前で起こっている子どもの荒れなのに、他の場所に原因を求める発想では、その荒れはなかなか収まらないことです。原因は自分かもしれないという可能性を捨てず、まず自分の対応を見直すことが大事です。自分の対応を見直す中で子どもの課題がわかってくるし、他の場所での子どもの課題や成長も見えてきます。ただ、この作業は子どもに関わる全員が取り組む必要があります。家庭と支援先で子どもの発達や障害に基づく支援について同じ理解ができていない場合は子どもの混乱は長引きます。つまり、関係者が一同に連携して支援を見直すことができれば、トライアンドエラーの時間はかかっても必ず子どもの混乱は減少していきます。

その連携のために、相談支援という仕事を専門に引き受けている事業所があるのです。親や事業所や学校は相談事業所に動いてもらって連携できるようにするわけですが、これは絵に描いた餅だなと思うことがあります。相談事業所はまず保護者と話し合ってサービス利用の中身を考えサービス利用計画書を作り行政にも会議で示します。次に必要な事業所を保護者と一緒に選びます。運よく一度で決まったなら次は最長でも半年後にモニタリングの文書を保護者聞き取りや複数の事業所から聞き取って作成します。これが定型の仕事です。

少なくとも3回の会議と2回の文書作成がノルマです。継続モニタリングだけでも年2回会議は必要です。年間稼働日が250日とすれば相談事業者が抱えることができる利用者は100人が限界でしょう。相談員はだいたいこの件数を超えて抱えています。新規で最初の基本報酬は年3万円程度、継続のモニタリング2回で年2万6千円程度、一人が稼働して必要収入を得るには新規継続合わせて100人程が経営収支ラインでもあるからです。

基本の会議だけでこんなにパンパンな状態のところに、さらに他の連携会議を入れる余地は少ないし、丁寧に会議を重ねるとなると持ち出しが多くなります。事業所や学校は招集されても会議費すら保障されないものですから善意で来てもらうしかありません。家で子どもが荒れる理由を探して解決する連携会議が合理的に専門的にできるようになるには、まず相談事業の根本から見直さないと難しいという課題が見えてきます。そうはいっても真摯な連携に勝る策はありません。

 

渋々でも納得する練習

子どもが何か希望通りに行かず機嫌が悪くなった時などに、納得させようとして言葉で色々説明したり、子どもの希望が通るように(要求が通るように)動いてあげることがあります。また、事前にそのような状況にならないように工夫し、機嫌を損ねないように環境を整えるかもしれません。

思った通りにいかない場面や、要求が通らない場面があまりにも多ければ、ストレスが大きすぎるので配慮してあげる必要はあります。しかし、子どもの機嫌を損ねないように配慮するだけではなく、思い通りに行かないことがあることを知り、渋々でも納得するという経験を積むことも大切です。

日常生活を送っていると、物が壊れて直せなかったり無くしてしまったり、決まった時間に家を出ないといけなかったり、家族に急な用事が入って楽しみにしていた予定をキャンセルするなど、実際にどうすることもできない場面があると思います。そのような場面で、機嫌を大きく損ね、長く引きずるようであれば日常生活に困難をきたします。また、少し思い通りに行かない些細なことで、機嫌を損ねるようになるかもしれません。集団生活にも支障をきたします。上手くいかなくても渋々納得する力をつけるためには、渋々納得する経験を積んでいく必要があります。

状況を理解する力や知識をつけるため、なぜ我慢しないといけないかを分かりやすく説明してあげることは大切です。例えば、「壊れてしまったからもう動かない、お母さんも直すことができないから、あきらめるしかないです」など。子どもの言語スキルによっては、絵にかいて説明してあげても良いです。しかし、説明しても子どもが納得せず、怒ったり、駄々をこねたりしたとき、それ以上言葉や絵で説明して納得させる必要はありません。もうその状況を受け入れるしかないことを経験させてあげてください。「もう仕方ないです」とだけ言って取り合わないようにし、子どもから離れます。

子どもは泣いたり怒ったりすると思いますが、時間が経つと諦めます。子どもが諦めて落ち着いたら、何もなかったように普通に接してあげてください。「よく我慢したね」と軽く声をかけてあげても良いです。子どもが思い通りに行かず混乱したり、怒ったりした時に、機嫌を直すために何とかしてあげようと働きかけるのではなく、学習の機会と考えて渋々納得させる、諦めさせるということも大切です。そういった経験を積むことで、思い通りに行かない時に怒っても仕方がないことを知り、我慢できるようになってきます。このような対応に合わせて、状況を理解する力や知識を伸ばしてあげることで、大きく混乱することなく生活できる時間が増えていきます。

ただ、大人の勝手な都合(大人側のミス)だけでなくなったり変更したりする理不尽なトラブルで諦めさせることを経験させると、信頼関係が崩れて本人も約束を破るようになって回復がとても困難になるケースがあるので、大人側のミスであるなら、正直に理由を述べて丁寧に謝る、がっかりさせたことについて詫びる、お詫びのしるしに金品を与えるのではなく子どもの苦情をよく聞いて共感するという行動を大事にする必要があります。

学習障害

学習障害のある子どもは、勉強していく上で必要となる「書く・読む・聞く・話す・計算・推論」のいずれかまたは複数の力が、同年代の子どもに比べて一著しく低いです。中には知的障害やASD・ADHDなど他の発達障害が併発する人もいます。ただ、勉強ができない理由には、知的障害が原因の場合もあります。知的障害と学習障害では原因が違います。原因が違えば支援方法も異なるので注意が必要です。知的障害は読み書きが必要な学習面だけでなく認知の全般的な遅れです。学習障害は、認知能力の凸凹であり、会話をしていると全く遅れを感じないばかりか優れた洞察力や創造性がみられる子どもも少なくありません。近年、学習障害と診断される子どもが増えてきていますが、これは学習障害の認知度があがったためで、昔は学習障害に気づかれず適切なフォローをされないまま大人になっていくケースが多くありました。

学習障害は、脳機能の障害のため、その原因の一つは遺伝です。ただ、学習障害が親から子へと遺伝するメカニズムは未だ解明されていません。親や兄弟で学習障害の人がいると、学習障害の発症率が高くなることから原因の一つとして遺伝が挙げられています。ただ、学習障害でない親から学習障害をもつ子どもが産まれることもあり、単純に遺伝だけで説明がつくものでもありません。学習障害が遺伝するメカニズムが容易に解明されない理由の一つとして、「学習障害はある特定の遺伝子が原因ではない」ということが挙げられます。また、学習障害になりやすい原因となる遺伝子が親から子への遺伝しても、必ず学習障害の症状が出るわけでもありません。。

学習障害は環境要因も原因となります。遺伝は、学習障害の原因の一つでありますが、全てではありません。学習障害は、遺伝的要素の他に環境要因が合わさって発症するとされています。学習障害を含む発達障害の子どもに対して、「親の育て方やしつけがなっていないせいだ」と心無い発言をされることがありますが、様々な研究により学習障害を含む発達障害は、先天的な脳機能の障害のため、親の育て方が原因でないことは明らかになっています。現在は、学習障害に対しての世間の認知度も高くなってきているので、親を責める発言は減ってきていますが、学習障害児に対して学校や社会で適切なフォローがされず、親の責任とされているケースは今でもあります。以前は学習障害そのものが見過ごされていた事例も珍しくありません。ただ、先にも述べたように環境因も合わさって発症する場合があるので、通常の子どもの環境と比べて劣悪な場合(睡眠・食事・運動など日常生活のリズムが小さな頃から家族全体で崩れている等)は、保護者の責任がないとは言えません。

学習障害の子どもを持つ親にとって大切なことは、原因を知ることよりも、子どもが学校や社会で困難が少なくなるようにサポートしてあげることです。学習障害は、本格的に勉強を始める小学校入学以前はなかなか親も気づきにくいですが、子どもの様子に他の子どもと違う点が多いように感じたらできるだけ早く専門家に相談してみましょう。より早く学習障害と診断されることで、早期に療育を開始できるため、より高い効果を期待することができます。学習障害の原因は、遺伝だけでなく、様々な環境要因が合わさってています。環境要因の中には、親の力ではどうすることもできないものが多いので、学習障害を予防することはできません。学習障害の子どもに対しては、子どもの症状にあった学習法を見つけてあげ、子どもがより意欲的に学習に取り組めるようにサポートしてあげることが大切です。