すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

本日も雨の合間に里山公園で遊んできました。帰ってきたらゴロゴロと雷鳴が轟いていました。

近年になって落雷は温暖化などの影響で、ゲリラ豪雨やスコールのような大雨に伴って増加傾向にあるようです。従来は、山間部での落雷が主でしたが、ここ数年は都市部での落雷のケースが増えていると考えられています。雷は「高い所・高い物・高く突き出た物」に落ちやすい性質があります。建物の屋上・山の頂上などや、また、周囲に高いものがないグラウンドや、平地が広がる公園・ゴルフ場・屋外プール・堤防・砂浜などは要注意です。落雷による死亡事故で1番多いのは「開けた平地で雷の直撃」、2番目が「木の下の雨宿りでの落雷」です。この2つが全落雷事故死の半数以上を占めます。建物の軒先で雨宿りするは非常に危険です。建物に落雷してしまうと、雷の電気は外壁を伝って襲いかかってくるからです。また、木の陰での雨宿りも、間接的に落雷する可能性があります。「ビル・高い物・木からは、屋外ではできるだけ離れる」が原則です。

カレーライス

本日は、海の日。家族でレジャーに出かけた方もいるので利用者は少なめです。スタッフは夏の準備を始めているので総動員です。午前中は公園遊びでおなかペコペコ。そんな時はやっぱりカレーライスです。3杯も食す強者もいてびっくりです。カロリー満点、腹持ち一番!日本のカレーライスは明治維新と共にはじまります。

1860年(万延元年)福沢諭吉が「増訂華英通語」でカレー(コルリ)を紹介。1872年(明治5年)カレーライスのレシピを記した本『西洋料理指南』(敬学堂主人)、『西洋料理通』(仮名垣魯文)が出版。1873年(明治6年)、陸軍幼年学校の生徒隊食堂の昼食メニューに、ライスカレー。1876年(明治9年)、札幌農学校教頭クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」の寮規則。1877年(明治10年)、東京の「米津風月堂」が、初めてライスカレーをメニューに記載。1889年(明治22年)、神戸居留地にあるオリエンタルホテルのカレーライスを「The Pioneer.」誌上で絶賛。1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が、カレー粉を製造販売。1906年(明治39年)、東京・神田の「一貫堂」が、初の即席カレールウ「カレーライスのタネ」発売。1908年(明治41年)、海軍が配布した『海軍割烹術参考書』に、「カレイライス」のレシピが載り海軍カレーとなる。このカレーが戦後復員兵によって日本全国に広がり、様々な家庭の味、店の味と進化していったそうです。

アメドジ

アメリカ中で一大ムーブメントとなっている全く新しいポップ・カルチャー・スポーツ、それが<アメリカン・ドッジボール>略して『アメ・ドジ』です。大ブームのきっかけとなったのが、メガヒット・ムービーとなった映画「ドッジボール」。待望の日本公開を前に、映画の応援団長にあのロバートが就任。彼らがチョー熱血指導(?)してくれるこのルールガイドを読んで、さっそくみんなもレッツ・ドッジ! てなことで本日の午後あいにくの雨でしたが、高架下公園で「雨」ドジを強行しました。

各チーム共に、外野へ子を置きません。ボールを当てられ、アウトになった子は、相手のチームに入り戦います。当てれば当てるほど仲間が増えます。どちらかのチームが全滅したら終わりです。このアメリカンドッジのルールは、日本の子どもたちによって伝えられたルールです。アメリカの「アメリカンドッジボール」のルールとは違います。要するに、はないちもんめドッジとも言えます。

勝山公園

勝山公園は向日神社の裏手にあり、自然がいっぱいです。すべり台・ブランコ等の遊具があります。ここは、元稲荷古墳があり、古墳時代前期初頭(3世紀末頃)の全長約94mの前方後方墳です。出土品には、刀剣類、斧、壺型土器があります。また、埴輪の原型となる特殊壺形土器や特殊円筒埴輪も前方部から出土しています。
今日は雨も降らないので、勝山公園で遊具やボールで汗をかいて遊びました。

万能たこ焼き器登場

ネタが尽きてくると、たこ焼き器が登場します。そして、万能ツールににこれさえあれば百人力、「神」粉=HCM!!と言っても怪しい粉ではありません。ホットケーキミックスです。要はベビーカステラでしょって思っているあなたは間違いです。チョコを入れればチョコボールケーキ。ウィンナーを入れたらアメリカンドックボール。カップに入れ上からクリームやジャムをかければベビーカステラパフェ。さて今日は何だったでしょうか。