今日の活動
佐々木正美エール
西陣麦酒は自閉症の人たちの事業所NPO法人HEROESのビール醸造所です。このビール醸造所は、自閉症の支援プロジェクト「西陣麦酒計画」から誕生しました。そのプロジェクトを応援してくれた佐々木正美先生への感謝のエールをこめて、この春、限定醸造の「MASAMI ALE」が発売開始され我が家にも先週届きました。
佐々木先生の公演の受講料によってプロジェクトは資金が集まり、自閉症の人も働く西陣麦酒は生まれました。そして、今回はその成功のきっかけとなってくれた佐々木先生への感謝を込めて、その名前を由来とした「MASAMI ALE」が限定醸造されたのです。
MASAMI ALEは、ドイツ産ホップによるほのかなオレンジの香り、そしてはちみつの香りが特徴的なウィートIPA。味わいはとろりとしたマウスフィールに、しっかりとした苦味のあるビールに仕上がっています。
佐々木先生の自閉症論も子育て論もその神髄は「思いやりの心」です。子どもが我々に合わせるのでなく、まず、我々がが子どもに合わせるという思いやりです。「子どもが異常行動(不適切行動)を起こすのは確実に私たちのせいです」と佐々木先生は言い切ります。「発達障害は治らないけれども、私たちが彼らの文化に合わせて環境を用意すれば、必ず彼らは応えてくれえます」とも言い切ります。
MASAMI ALEを味わいながら佐々木先生の言葉を聞いていると本当に優しい気持ちになって、明日からも頑張ろうと思えてくるから不思議です。故佐々木先生の公演はMASAMI ALEとセットで販売しています。たぶん、もう売り切れているでしょうけど、DVDはすてっぷに常備しているので見ることができます。(見たい方は、ご連絡ください)
そして、この3月、ジャパン・グレートビア・アワーズ2021において、ジューシーまたはヘイジー・ストロング・ペールエール ボトル・缶部門にて「MASAMI ALE」が銀賞を受賞したそうです。おめでとうございます。
西陣麦酒 Nishijin BEER https://bakushu.base.shop/
ひいき目
この頃の気温は5月並みで昼間なんか暑くて半袖でいい感じです。Mちゃんを車いすにのせて公園に連れて行きました。たくさんの子どもが遊びに来ていて、Mちゃんも嬉しくて歩き出して、滑り台やブランコで遊びました。しばらくすると、Mちゃん自分の車いすのハンドルにぶら下がった水筒を触って揺らしたと言います。スタッフは、多分喉が渇いたという意味なんだと解釈して、水筒をもって「お茶飲みますか」と勧めたと言います。すると、Mちゃんは車いすに座って水筒のお茶を飲ましてくれるのを待っていたそうです。Mちゃんすごーいというエピソードでした。
Mちゃんは、まだ欲しいものとカードを交換するPECSのフェーズ1にも至らずVOCAのボタンの因果関係もわからなくてスタッフが頭を悩ませている子です。そのMちゃんが水筒という具体物をスタッフに(触って)示してお茶をくれと要求ができたのだということは、自発的な表出コミュニケーションがあったということです。でも、他のスタッフは、「ひいき目」の報告じゃないのかなと思っています。なんとなく触った水筒を見て「ああ喉が渇いたのか」と理解するのはスタッフの自然な感情です。子どもは乳児からこういうやり取りでコミュニケーションを学ぶのは事実です。
ただ、コミュニケーションは振りであれ、言葉であれ、絵カードであれ、意図的に人に向けてするものです。離れているスタッフを意識して水筒に触れたかどうかは分からないです。しかし、お茶をスタッフが持つと、お茶を飲む体制になろうと車いすに座ったというのは理解のコミュニケーションの力を感じさせます。これを手掛かりにして双方向のコミュニケーションが成立する方法を考えていきたいと思います。ただ考えてばっかりで、「ボタンキラキラBOX1号機」も未だに完成していません。
坂あがり?
L君に「今日は、先生と一緒に鉄棒しなかったの?」と聞くと「へ?何のこと?」とL君。「公園で先生が逆上がりしようかって言ってくれたのに、嫌って断ったんでしょ?」「え?さかあがりって、公園の坂を走って上がれってことやろ?それはつまらんから嫌やって言ったよ」「いやいや、違うがな・・・」L君は聞き違えがものすごく多いのです。
語彙が少なくて聞き違えることもありますが、語彙が少なくてもその場の状況で大意は解釈できるものです。この場面ならおそらくこの事を言っているのだなという推測をするからです。ところがASDの人や状況理解の苦手な人は字句通り聞き取って自分の知っている語彙に当てはめようとします。そして、誤解したままで応答したり行動するので「なんでやねん問題」は大人だけでなく友達とも多発します。
L君はスタッフが公園の中の築山の「坂あがり(あがりは関西では「上がりなさい」の意)」との命令を断ったわけですが、「逆上がり」の言葉も知らないわけではなかったのです。でも、この公園の鉄棒で遊んだことがなく、築山には何度か上ったことがあるのでこの反応になったわけです。この話をスタッフにすると他にもいろいろ聞き違いや誤解が多いことが報告されました。本人も「僕耳が悪いねん」と言い、困り感はあるようです。この問題をどう解決してくかは、まず本人自身に耳が悪いのではなく誤解が多いから、なんか変かなと感じたら(感じないかも・・・)「それってどういう意味?」と聞き直すトレーニングを提案しようかなと思います。
好きなものがない?
K君が朝から「食欲ないねん」と言います。昨日も「おなかすかへん」とお弁当に少ししか手を付けないまま一日を過ごしました。聞くと「これから行く習い事が憂鬱だから」だと言います。でも、昨日はその言動のおかげでスタッフ全員から「大丈夫か」「どっか悪いんちゃうか」「そろそろ食べられるか」などと結構注目を集めることができました。
もしかして、K君何か行き詰っている?疑惑が会議で持ち上がりました。K君は高学年にも受けがよく低学年や障害の重い人にも優しい子どもです。でも、K君には好きなことがあまりないのです。体を動かすことや、特定のアニメは好きですが、高学年ではやっているインスタでのカメラ撮影やサッカーや戦国話は興味がありません。かといって低学年の遊具遊びやゲームはもう飽きています。でも、彼が好きなものがなかなか見つからないのです。
何か好きなものを探さないといかんなという話はスタッフ間ではされているのですが、なかなか見つからない中での、今回の出来事でした。
中学生の支援ニーズ
すてっぷでは、地域の小学校在籍の子どもについては6年生で卒業にしています。そして、同じ法人経営の新しくできた療育中心のじゃんぷをおすすめしています。中学生の中心課題は学習です。もちろん自主的な遊びやスポーツも大事ですが学習を生活の軸にしていく感覚が重要です。平均的な学力がついているかいないかは本人が一番自覚しています。学習がうまくいっていないのに他の活動に向き合えるわけがありません。
じゃんぷの通所条件には保護者の意向よりも、本人自身が変わりたいと宣言することを大事にしています。人に言われて勉強したり療育を受動的に受けても子どもは変わらないからです。意欲がなければこの時期からの学力は身に付きませんし、読み書き障害などの学習障害を抱えているならば、まずはその特性の理解と支援の享受が必要となるので、自己決定はとても重要です。
もちろん、最初から何もかもと言うのは無理でしょうから、まずは一人で通所する決意をして、休まずに遅れずに通所できるかどうかを見ます。西向日駅から5分とはいえ中学のクラブが終わってから自転車や電車で通うのですから、それなりの自覚が求められます。自分の力で週2~3回通えるなら、自ずと自己認知の力は伸びていくし成果も目に見えるので持続的な通所は可能になってきます。小学校低学年は保護者に送ってもらうしかありませんが、高学年以上なら自分の意志で通う力はとても大事です。
学びの支援を自ら受けるという行動が定着してきたなら、中学生らしい自主的な取り組みを企画・実行していく流れにもなってくると思います。中学生の支援ニーズは特性に応じた学習です。しかし、学習より何より重要なのは良き自分でありたいと願うエネルギーです。このニーズを大事にしていくのがじゃんぷの支援コンセプトです。
ゲルマニウムラジオ
アマチュア無線士になりたいK君に良い教材だなと思って、ゲルマニウムラジオのキットを使って製作しました。ゲルマニウムラジオの部品はエナメル線12mとバリアブルコンデンサー、ゲルマニウムダイオードとセラミックイヤホンの4つの部品で作れます。
製作の肝は、トイレットペーパーの芯にエナメル線の巻き付けと、はじめてのはんだ付けです。どちらも不器用なK君には手ごわくエナメル線はもつれるわはんだは山ほど使うわでしたが、5分間集中少年のはずのK君が完成するまでの90分間集中して取り組めたのはすごいことです。
もちろん、話はよく聞いてくれないのでYOUTUBEのゲルマニウムラジオ作成の3分動画を与えて「何度も見ながら作っていいよ」と指示しました。すると動画を巻き戻したり早送りして何度も見て完成させました。いちいち口をはさんだり手出しするより自分から調べる動画は有効でした。
アースを事務所の窓枠につなぎ、アンテナを4mほど箱に巻き付けると、「電池もないのに、NHKとKBSが聞こえた!」と大喜びです。高学年は見えないものに価値を見出す時期です。電波という見えない存在も彼らの力を引き出す役割を果たします。
大声の件
大声の件はこのブログで何度か(大声の原因 01/06)(うるさい 2020/11/27) 取り上げてきています。今回も、PECSのフェイズ3BができるようになってきているJ君ですが、何かの拍子で大きな声で奇声を上げるのがPECS獲得後も変わらず、何故だろうと職員の疑問に上がりました。
何か要求があれば、J君は絵カードを職員に渡してくるので、あの奇声は要求ではなく癖なんだろうかとか、職員をおちょくりたいのではなかろうかとの推測がされています。癖と言うなら人がいなくてもするでしょうが、無人の時や何か自分が好きなことで取組んでいる時はありません。
おちょくるというのは、対象者が困ることを楽しむというものですが、特定の方に向けているという感じではないです。最初は、スタッフの新人が多い時に奇声が多いと思ったのですが、ベテランがいても同じような感じです。よく観察すると、彼が奇声を上げるとベテランさんはスルーして無視をしているのですが、パートさんは彼が奇声を上げるとたまらず彼に「大きな声やな」等と反応しているのです。そうなると、回数が増える感じです。
これは推測ですが、要するに暇なので遊んでほしいというサインではないかということです。声がどんどん大きくなるのは、たまーにヒットするパチンコ理論と同じで、無視すればするほどたまーに反応があると行動がバースト(爆発)するのではないかという理屈です。
この仮説の下に明日から3週間、奇声にはエラー修正で取り組むことにしました。奇声が出たらやりなおしで「遊ぼう」絵カードをもってきて彼の大好きな真似遊びをして最後PECSブックで何が欲しいか聞くことにします。さて、理解してもらえるでしょうか。ベースライン(現在の奇声回数)を調べてから取り組みます。
俺の得点をあげるよ
低学年のG君がストラックアウト・ゲームで得点が取れなかくてしょげていたので、高学年のH君が「俺の得点をあげるよ」と言ったそうです。当然、G君はふてくされたままですが、H君は良いことをしてあげたとスタッフに報告に来たそうです。
ストラックアウトゲームは自分で投げて思い通りの高得点が取れるのが嬉しいのです。人が取った得点をもらっても嬉しくもなんともないのです。そんな時はドンマイと励まし投球のコツを優しく教えてあげることです。H君がG君を励ましたいのは良くわかりますが、得点をあげる発言は日常生活の場面ならちょっとしたもめ事が起こる可能性があります。
もしも、G君が「そんなもんいらんわ!」と正直に言ったなら、善意の人H君のプライドはズタズタです。「いらんとはなんや!優しくしてやったのに!」とH君の大声制圧と威嚇が始まるでしょう。周りで見ていた子どもたちは「低学年に大声出すなんて、しょぼいなHの奴」と言いふらされて事態はどんどんH君の思いと反対側に進みます。
ちょっとした相手の感情が読めないばかりに、善意が悪意に変わってしまうのは活発系(ADHD系)のASDの子どもたちに良く起こる出来事です。私たちの事業所では、こうした行き違いをひとつづつ毎日の振り返りでH君らに説明をしていきます。SSTトレーニングと簡単に言うけどそう簡単ではありません。
電動車いす
Fさんの電動車いすの操作が上手になってきたとスタッフから報告がありました。外出時の走行も、狭い事業所の室内も上手に移動しています。「こんなに便利ならもっと早くから購入すればよかった」と保護者の方も言われます。
かつて米国の小学校を訪問した時、車いすの児童が廊下を疾走していて女の先生が「HEY BOY! SLOW DOWN!」 と遠くから叫んでいたのが印象的でした。車いすの子どもは、手先しか動かない筋ジスの5年生でした。もう10年も前の話です。
日本の学校で電動車いすはほとんど見ません。特別支援学校ですら限られた子どもしか使っていません。移動の自由とは自尊感情と大きくかかわっています。一人で移動ができる事、一人で意思が伝えられる事の二つは特に重要です。
手漕ぎが難しくなると予測できようができまいが低学年から電動車いすを導入し、手漕ぎを選ぶか電動車いすを選ぶかはTPOで本人が選ぶのが望ましいです。歩ける人が自転車や車を選ぶのと同じように考えればいいのです。日本の障害者支援に決定的に足りないことは、支援テクノロジーを幼少から享受させる経験だと思います。「~だからできない」ではなく、「~があればできる」というポジティブな思考パターンを育てることは誰にでも大事だと思います。
写真の良し悪し
最近小学生高学年の間でインスタに植物や風景をアップするのが流行っています。D君はいいねをたくさんもらえて、僕はカメラマンになりたいと言って毎日何枚も外で撮った写真をスタッフに見せてくれます。それを見ていた3年生のE君もiPadを持ち出して風景を撮り始めましたが、彼は撮った写真よりエフェクトをかける方がおもしろくて写真の題材やアングルには全く興味がありません。
スタッフが「D君の写真見てごらん。いい写真と思わない?」と着目させようとしても、「そんなこと言ったって、僕には写真の面白さはわからへん。興味ないもん。いいなぁD君は褒められて」とふてくされます。「写真の良さは感じるもので低学年には説明のしようがないので困りました」とスタッフは言います。高学年は様々な価値に気づき、自分なりの価値を作り上げていきます。低学年にはわからない世界観です。なので、E君のいう事は無理もないのです。
それでも、ちょっとくらい良さがわからんかなとスタッフは言います。でも、E君の動機はスタッフに褒められたいことですから、とりあえずはE君に手あたり次第写真を撮らせ、まぐれでも良いものがあれば「エクセレント!」「ここが素晴らしい!」と撮った写真を褒めてあげることが大事なのだと思います。