今日の活動
インスタグラム
小学生の子どもたちに何か社会的な励みになる取組はないかなと考えていました。「インスタで写真を投稿させればどうだろう」「ハートマークやイイネが付けば写真に興味持たないかな」と話し合いました。アカウントは事業所のアカウントなら管理もできるからと取り組み始めました。
スタッフの私物のちょっと高級なデジカメを子どもたちに見せて、「これで写真撮ってくれないかな」と問いかけてみました。そしたらN君が「俺やる」と手を上げました。今までアート系とは一番遠いかなと思っていたN君の立候補は意外でした。
N君の「森みたい」と言って撮った樹木のインスタ投稿にハートが二つ三つとついていきました。実は、スタッフの桜もいるのですがそれ以外からもついています。それを見たOさんも俄然張り切って撮影を始めました。今日は「雨の日のお花」のアップでした。ハートがいくつつくのかどきどきして待っています。
不適切な行動とやらされ感
M君がスタッフを叩いたと報告を受けました。ところがスタッフは叩かれることに身に覚えがないというのです。M君は感情を貯めるタイプで、その場にいても原因がわからない他害があります。以前は、やらされ感が強かったのではという後に出ています。どこかで、納得がいかない関係性がありストレスをためていたのだと思います。これは前回(指示待ちとカタトニア: 02/25)でも触れています。
子どもがしんどくなる時はどんな時か考えてみると、意味が分からないのにやらされる時です。やりたくないとは表現できず、自分を抑えて従ってしまった時です。言葉の喋れる人は、家族や友人に「今日こんな理不尽なことがあった」と人に聞いてもらって気持ちを整理しようとします。それがない人は、自分で余暇時間を管理して好きなことや運動に没頭してストレスを発散しようとします。その両方がない人は貯めこむしかないのです。
言葉でのコミュニケーションが苦手な人や、好きなことや余暇の自由がない人は、本人にしてみれば理不尽なことがあってもそれを解消する方法を持っていません。したがって、その気持ちを外に爆発させるか、内部に向かわせるしかありません。他害や自傷、強い指示待ちのある人には、そんな感情のマグマが適切に処理できていないと考えます。もちろん、コミュニケーショントレーニングや感情表出の練習はしますが、全ての支援者が足並みをそろえ、長い時間が必要です。
それでも、苦手なものは苦手ですから、こういうことで苦しんでいる人たちのルーティンを安易に崩したり、構造化支援は面倒だからとさぼったりして、「そんなことしなくてもできるでしょ」とやらせてしまうと、本人の苦痛を強め感情のマグマを蓄積させます。遅延する不適切な行動は、させる大人とやらされ感の強い(拒否できずにやってしまう)子どもの関係性の結果の行動だと考えようとスタッフで話し合いました。
勘と支援タイミング
LちゃんになかなかVOCA(VoiceOutputCommunicationAid=音声出力伝達道具)が定着しないばかりか拒否られてしまうとの報告がありました。Lちゃんは机の上のものを何でも跳ね飛ばしてしまうので絵カードコミュニケーションよりボタンプッシュで「欲しい!」「食べたい!」「助けて!」を発声するVOCAでおやつの時間にトレーニングしています。
後ろから身体プロンプトでボタンを押しておやつがもらえるというトレーニングを続けてきているのですが成果がないばかりか、最近はプロンプトしようとしても体をこわばらせて腕を押させまいとしているというのです。「それって、拒否のサインだよね」「Lちゃん嫌な時は体を硬直させて動こうとしないよね」とボタン押し行動が要求行動になってないことを話し合いました。
職員は良かれと思って、なんでもかんでも、おなかが減っていようがいまいが腕をプロンプトしてボタン押し行動をさせることもあったようです。一番大好きなものを少しだけ与えて、少しじらしたり、Lちゃんの表情が変わるまで待ったりしていないので、欲しくない時にもボタン押し行動があったのかもしれないという話になりました。コミュニケーション手段を獲得していない子どもの表情はわずかにしか反応がないことも少なくないです。そのわずかな反応を察知してプロンプトで行動を導くには勘が大事です。エビデンス重視の話をずっとしながら矛盾するようですが、支援者の勘が支援のタイミングを作るのは間違いないです。
友達がほしい
I君が砂場でJ君とKさんで作ったものを壊すとKさんが訴えてきました。スタッフがI君に理由を問いただすと「壊すのが好きだから」といいます。スタッフはJ君もKさんも、I君にこれまで遊びやゲームを優しく教えてくれて、I君もそれを楽しみにして来ていたのだから、このI君の言う理由は奇妙だと言います。
実はその前の様子を複数のスタッフに聞いてみると、K君が来た時J君が他の子どもとタブレットゲームで遊んでいて、K君は一人でつまらなそうだったというのです。その後K君はやることがなくて教材室に入っていますが、本当はJ君と遊びたかったはずです。しかし、スタッフに「ここに来ちゃダメ」と注意をされてふてくされた感じだったと言います。
ここで、K君のスイッチが入ったのだと思います。注意されることは他者の注意を引く行動です。本当は友達と遊びたかったのにそれが切り出せずに、不適切な行動で大人の気を引いて注目してもらう。ただ、これでは「なんでそんなことするの」と問い続ける大人の反応だけで友達とは遊べないです。でも彼にしてみればせめてそうしてでも大人の注目は集めたいのでやめられないのかもしれません。そして、その混乱の中で、当初の友達と遊びたい気持ちは失っているかもしれません。
本当に大事なのは、みんなと遊んで楽しかった経験の蓄積です。そして、楽しい経験のきっかけになった友達の誘いや自分から関わって成功した経験の蓄積です。彼はまだその方法もタイミングも知りません。「遊び仲間に入れて欲しい!」そんな彼の強い思いを「壊すのが好きだから」の言葉に感じています。でも、こういうナチュラルな関係性は訓練では作れません。そのきっかけができる時間の長さ、そこに導くタイミングが必要だと思います。
設定遊び
すてっぷでは「設定遊び」と言って、子どもの課題に合わせてゲームや工作に取り組む課題があります。先日のアンケート調査ではこれがマンネリ気味ではないかという結果でした。設定遊びの話をしている際に、G君とHちゃんはストラックアウト以外に缶釣りもあるよとの話が出たのは、マンネリ化はまずいという意識があったからです。ただ、マンネリ化と計画的に設定遊びをするのは全く意味がちがいます。
G君はHちゃんをリードすることを、Hちゃんはルールに従いG君のリードを受け入れることをこのストラックアウトを通して学ぶことを課題としています。この目標にある程度めどがつけば次の課題に取り組んでいくという実践のスタンスが必要です。逆に言えば、子ども一人一人の課題が見えていれば設定遊びにしても個別課題にしてもマンネリ化は起こりません。子どもの課題が見えていれば課題達成までは繰り返す事が必要だし、目標達成しているなら次の課題を与えるからです。当たり前のことですが、療育事業でもある放デイにとっては大事なことです。
不適切行動は蘇る
G君が2階の事務所まで上がってきて、電池の切れたトミカ道路セットのエレベーターを持ってきました。電池を新しく入れてくれという行動もこの1年で定着しました。今までは玩具を投げて表現していたのですが、絵カードでの要求表出=PECSを教える中で人に頼む姿が出てきたのです。電池を入れ替えてあげるとニコニコして帰っていきました。
ところが、しばらく遊んでいるうちに道路セットのパーツを投げたとスタッフがいうのです。おそらく、これまでは誰かが組み立ててくれたのでしょう。しかし、今回は誰も気が付かなかったのと、本人にも道路セットを組み立るのを助けてほしいという表現方法を教えてなかったのです。教えなければ不適切行動は蘇ることを如実に物語る一瞬でした。それくらい物を投げる行動が、未だに彼の生活の中で万能の要求方法だという事もわかります。
この場合の「助けて」カードを作って不適切行動があればエラー修正をすることと、トミカの道路セットが複雑すぎて、このままでは何年たっても自分で完成させることができないので最低限のパーツにして自分でできるように仕向けて行くことをスタッフと打ち合わせました。
指示待ちとカタトニア
外に出かけた時のことです。F君が立ち止まったままで「あっ あっ」と言って、散歩で歩くことを「行こうね」と促してほしそうにします。「いいよ。歩こうね」と促すとほっとしたように歩き出しますが、また何かの拍子で同じことを繰り返します。いわゆる指示待ちの激しいタイプでカタトニア様の症状です。カタトニアについては以前(カタトニア 2020/12/17)に掲載しています。
すてっぷでは子どもでも見てわかる工夫をして、できる限り「促してさせる」(言ってさせる)を避けています。もちろん子ども達は言えばします。「車からカバン下ろしてね」「手を洗ってね」と言えばします。でも、そう言わなくてもするという生活を目指しています。
小さい時は、それがしつけのように思っている大人は多いです。「食べてね」「かたづけます」と言えばする。いうことを子どもが聞いてくれて大人は満足するのです。
けれども、思春期にはこの関係が破綻することが多いです。「今しようと思っていたのに」「言われたくない」。とにかく「言う(指示する)」だけで「悪態を付く」場合もあります。
大人は、それまでの「しつけ」の延長だし、障害があってわからないことが多いから「良かれと思って」とは言いますが、それは「上から目線」でもあり、「自分は信用されてない」が子どもには伝わります。
こうした対応で、爆発するタイプでなければ、子どもの多くは「指示待ち」になります。「促してさせる」は「言われないとしない」となります。大人しいと言われますが、思春期には別の形の行動障害がでることが少なくありません。それが「強固な指示待ち」「自傷」「こだわり」。周囲も扱いが大変になってきます。
怒りの爆発にしても指示待ちにしても、この「促してさせる」「言えばする」を続けていくことは、悪い結果しか生みません。指示待ちの子は「カタトニア(寡動)」=動かなくなる症状が強くなることがあります。
カタトニアは、その昔、緊張病と言われたこともありました。統合失調症の中でカタトニアは語られていたのですが、現在、自閉症の人たちにも青年期に近い症状が出てくる人たちがいることが知られ始め、それもカタトニアと呼ばれるようになりました。
もともとの統合失調症のカタトニアと自閉症のカタトニアの何が同じで何が違うか、実はまだ解明されていません。すべて同じなのか実は違うものなのか、双方の本態そものもが解明されていないのです。
全然動けなくなってしまうこともあります。できていたこともできなくなるし、食べることも何もかも、ほぼ全介助状態になります。しかし、固まってしまうとは限らず、動きはできても自立性は低くなり、究極の指示待ち状態のようになるケースもあります。
自閉症の人で、カタトニア状態になるのは20代ごろに発症する、ということが言われています。しかし個人差があって、十代後半からその状態になる場合もあります。状態には変化があり、まだ動ける状況の時期もあれば、2時間くらい突っ立ってしまうとか、ある動作の途中で固まってしまうこともあります。
そんな人も、子どもの頃は多動であったり活発であったりしていた、という人も比較的多いのです。介助自体は難しくなくとも、できていたことができなくなるのを見るのは、親としては悲しいものです。何をどうしてやったら良いのかわからなくなるのですが、良くなったり悪くなったりするものは、先に書いた躾の問題だけでなく神経学的な病気と考える方がよいと思います。
できていたことができないのは本人もつらく苦しいと思います。本人たちは表情にも表せなくなっていますが。苦しみながら発する言葉には、表面は変化がなくとも内面では辛いのだと思います。発症した後のかかわり方は重要です。無視したりせず、どこで声をかけてほしいかはわかってくるので優しくかかわっていくことだと思います。服薬で劇的に改善する人もいるので医療との連携も重要です。関東のよこはま発達クリニックの動画にカタトニアの理解と簡単な支援方法があったので掲載しておきます。
落ち着いたのは薬のせい?
半年前まではすぐに怒ってぶちぎれていたE君が、薬がうまく合って、ここ3か月以上友達にやさしくするようになったと以前掲載(友達ができる薬?01/07) しました。ただ、いまだに本人は自分が優しくなれたのは薬のせいだと言います。先日もE君がそういうので、「薬のせいじゃない、薬はきっかけを作っているだけで、変わろうとしているのはE君自身だよ」とスタッフは伝えたというのですが、うまく理解している感じがしないと報告していました。
当事者の発達障害理解のためには、子どものための心理学的医学教育が欠かせないと言われて20年近くたちますが、医学とついているせいで医者がやることと思われたり、教育とあるので忙しい医者に教育の暇なんかないから学校ですることと思われていたり、どちらも押し付け合って前に進んでいないのが実情です。結論から言えばその子の関係者みんなでやるのです。月一度しか診察を受けない子なら、その間は、学校や家庭、療育機関の関係者が行うのです。
告知と間違えられている向きもあります。疾病告知は医師にしかできない仕事ですが、心理学的医学教育は告知後の当事者への取組です。治療と言えば治療ですし教育と言えば教育です。大事なことは科学的な根拠に基づいて発達障害の特性や服薬の内容を説明し、定期的にフィードバックを得ていく取組です。もちろん、医療と教育と福祉は連携してお互いの情報を出しあって、自分たちはどこを請け負うのか決めておく必要があります。もちろん重複することもありますが、同じ情報を当事者には提供する必要があります。
衝動的な行動はどういう脳の働きから起こるのか、それは服薬だけでとまるものか、本人の役割は何か、周囲の人の支援は何かということを少しづつ本人に提供し、いずれは減薬しどうしても不安なら頓服程度で済むようにしていく目標を伝える必要があります。医師も親も教員も支援員も心理士もこれらについて連絡しあってどこまで進めるのか決めておく必要があります。これまた、誰が音頭を取るのかでもめるのですが船頭多くして舟山上ることにならないように、通常は医療サイドが音頭を取るのが定石ですが、医療側の動きがないなら、他のサイドから働きかけても子どもにとって不利益がないなら進めていくべきだと思います。
バラエティー言葉
「ざけんなよ」テレビから流れてくる言葉です。バラエティーの場合この言葉の後は大抵笑い声が編集されています。見ている子どもはなんとなく楽しそうで使いたくなります。相手の手抜き行為や失敗に対し「ふざけんな」と叱責する言葉ですが頭の音を省略するのでなんかかっこいい感じがします。
ゲームでDさんが「ざけんなよ~」とやったのですが、スタッフがそういう言葉を友達に投げかけるのはいかがなものかと注意したと言います。おそらく、Dさんは仲間を下げずむ言葉として使ったというより、なんか楽しい気持ちで使った言葉かもしれません。「いけません」とやってしまうとどういう気持ちや意味で使ったかわからないままです。スタッフには、どんな時も「あれ?」と思ったら「なんで」と子どもに聞くことを心がけようと話しています。
周囲のムードや相手の気持ちが読みにくいASDの子どもの場合、言葉を誤解して使ったり、相手や場の反応が読み取れないまま修正できずに大人になっても使う事がよくあります。Dさんも、もともとは乱暴言葉が主訴で通所してきた経過があります。言葉は使わなければ身に付きません。「~はいけません」ではどうしていいかわかりません。「~すればいいよ」と楽しい感情を表現する肯定的な言葉を紹介してあげることが大事なのです。
食事量
6年生のC君が西山から帰ってきて事業所の廊下でぐったりしているので、「おっ、西山行ってきたか!体力ついてきたか!」と声をかけると「全然アカン・・・」と言います。他のスタッフが「ちゃんと食べてるかー?」「朝食ってない・・・」「お母さんが作った朝飯は?」「朝は食べる気がしない」「そらあかんわー」となりました。朝は食べないと、昼までの活動が持つわけないという簡単な理屈が本人に理解されていないのです。それで俺は体力がないと思い込んでいるんのです。
実は、当事者もそうなのですが保護者の方も子どもが大きくなって活動量が増えているのにお弁当箱の大きさが変わらない人がたまにあります。保護者に聞いてみると「子どもが、たくさんいらないっていうから・・・」と言う理由が多いのです。子どもは成長するにつれて体の大きさがそんなに大きくならなくても代謝量が増えるのです。ところが、発達障害の子どもの中に空腹感を食事時間に感じない子どもがいます。よく観察するとおなか減ったと活動中に言っているのですが、時間がたつと忘れているのです。そして、おやつも食べず、帰り際に突然お腹が空いて死にそうだと言い始めるのです。おなかが減ってないわけでなく、空腹感の信号が出るのが鈍いようです。
そんなわけでC君には「朝飯食べられないなら、食べられなかった朝食を持ってくるか、大好きなお菓子にプロテイン(出来ればそこにマルチビタミンミネラルのサプリ)とか、流し込みやすいカロリーメイトゼリーとか栄養剤を公園や山に持っていき運動しながら補給してごらん」と助言することにしています。そして、それ一つではおにぎり1個分=200Kカロリーで6年生の朝飯に必要なカロリーの3分の一も取れてないことも伝えたいと思います。