今日の活動
PECS
D君のスナックタイムを使って、PECSに取り組んでみました。フェーズ1はカードを渡せば大好きなスナック菓子がもらえる設定はすぐに理解してくれました。フェーズ2は、そのカードを渡す人や距離を伸ばしても恒常的にできるかどうかでした。D君、距離が伸びても渡せました。でも人が二人いるとどっちに要求していいか分からなくなったり、ドアを開ける動作をしているうちに要求行動を忘れてしまったりするようでした。
驚いたのは、別の場所に行って他の友達が使っているカード(内容は違う)をはがしてスタッフに渡すのです。「ジュースが欲しいの?」と聞くとうなずくので、「はいジュース」と提供しました。その日は、スパゲティー調理の日でした。するとD君階段を駆け下りてきてまた友達のブックからカード(内容は違う)をはがしてスタッフに渡しました。「匂いでわかった?スパゲッティーどうぞ」ということで、D君その日のうちにフェイズ2の応用まで学習しました。次はカードの弁別のフェイズ3です。
おせっかい
D君は、低学年にやさしくて面倒見が良い人です。でも、低学年なら助言やフォローとして良いのですが力が均衡するくらいの相手になると、相手から「おせっかい」「うるさすぎ」と嫌がられてしまいます。
実はD君の口出しは人のためというよりは自分の馴染んだパターンから外れていたり自分の思いと食い違うときに、相手がどう感じるかを考えずに口を出したくなる場合が少なくないのです。でも低学年のうちは大人にとって「良い意見」であることが多く、よく気が付くねと褒められていたのです。
ところが高学年になっても同じようにやるので、周囲の仲間から何となく自分が浮いているのが分かるようになってきたのです。でも、相手の感情がうまく見えないので、D君は人といることが煩わしく感じるようになりました。心の理論「見えない約束2/7」についてはASDの人は遅れて理解すると前回書きましたが、全部が見えるわけではないです。そこで、ソーシャルストーリー等を通して「暗黙のルール」(非ASD者にとっては自然に理解しているもの)を学ぶ必要があるのです。
愛着形成
低学年のZさんを学校から事業所に迎えました。送迎の車の中で楽しそうにお話していたZさんが事業所の玄関の前で突然泣き出しました。「おかあさんが参観に来たのにさよならも言わずに家に帰った」から悲しいというのです。
「え?今悲しくなった?」とスタッフ戸惑います。ASDの子どもの感情表現は時としてかなりタイムラグがあったりします。それから「参観では、さよなら言わずに帰る母親の方が多いよね?」Zさんだけではないはずと言います。しかもZさん幼稚園ではそんなことで泣いたりしなかったと言います。Zさん、ようやく愛着形成の時機に入ったかもしれません。
お母さんがいなくてさみしいと思うのは乳児期後半からです。その後愛着形成は幼児期前半で一応完成されるとイギリスの精神科医ボウルビィは言います。でも、ASDの子どもは愛着が遅れる人が少なくないのです。小学校に入ってから急に母親にべたべたするようになったりするのがそれです。子どもによって表現の仕方は違いますが、ASD児の愛着行動は遅れるので奇妙に見えるが変ではないと押さえておきたいものです。
第2鉄塔
本日は西山の第2鉄塔まで足をのばしました。少し寒さが戻ってきているものの、ジャケットを着こんでいると汗が乾きません。光明寺から方丈池を越えて京都タワーが見える展望台まで15分。お茶を飲んで一服したら分岐点を通り過ぎて真ん中の道を緩やかに上って最高点232mを通過して梅林まで15分そこから横道に入って第2鉄塔まで10分。光明寺から小一時間で第2鉄塔に到達します。春になると蕨やゼンマイが出てきそうな斜面もあります。往復90分くらいでよい有酸素運動になります。
高学年らしさ
通常学校の利用者に感じていることは、低学年と同じレベルで諍い合うなど高学年が幼いことです。これは障害とは関係がないように思うのです。人は、年齢に応じて社会から「らしさ」を求められます。ところが高学年の彼らは「らしく」扱われていないのではないかと思い当たる節があります。高学年は低学年の面倒をみてやったり、年長者として譲ってやる、見過ごしてやるという度量が試されます。障害があろうがなかろうが年長者や大きいものは年下の者や弱い者を擁護するということを、簡単には分からなくても「求めているよ」ということは示す必要があると思います。