今日の活動
男組
高学年のT君のあとを下級生の4人が金魚のフンみたいにくっついて、山道を探検する姿がありました。久々に見ました。異年齢集団のいいところ。下級生は上級生にあこがれ、声をかけてもらうだけで幸せになります。上級生は自分を慕う下級生に目配せして、怪我しないかなどと気を遣う。教室の中ではできない関係、自由な戸外だから、大人の目が十分届かないから成立する関係。もう街角のどこにもその姿は見られません。
興味の無い事
利用者の子どもによっては興味のある事と無い事の差が激しく、興味のある事であればトコトン続ける事ができるのですが興味の無い事になると全く手を付ける事ができません。これを改善する事は非常に難しく、興味のある分野を伸ばして行く事に仕向けた方が暮らしやすい子が多いようです。
誰もが興味の無い事はありますが、彼らの興味の無さはスタッフでも理解できないと言われる程です。自分の食べるもの以外にに興味のない人は腹が減っていようがおいしそうな匂いがしようが、一切気にならないのです。好きな食べ物があればそれを食べ続ける事を好み、毎日3食同じ物でも問題はありません。逆に違う食べ物を食べる事の方が苦痛を感じてしまうのです。好きになるとそれだけに固執してしまうのです。
全てがある程度のバランスを保てない特徴を持つ自閉スペクトラム症の人達は、興味がない事がおかしいとは感じていません。ただ、自分には興味の無い事だと言う程度にしか認識していないようです。何かに興味を持つとそれ以外の事が見えなくなる傾向が強いのですが、時間を忘れて取り組んでしまう事が多々あります。それは自分が納得するまで続くのですが、家族や集団と上手く調和する事が難しいかもしれません。
自分が好きな事をするのは楽しい事。そして夢中になるのも同じだと思います。しかし一旦夢中になり始めるとその他の事が一切気にならなくなってしまうのです。誰かが話しかけても聞こえない事もしばしば。無視をしているのではなく聞こえないのです。日々こんな子どもたちと付き合っていると、自分のこれまでの基準やモラルが軽く打ち砕かれる時があります。そして、来るべきダイバシティ―な未来社会を夢想するのです。
凧揚げ
冬一番。風が冷たく強くなると凧揚げの季節です。里山公園に凧あげに出かけています。良い風が来ないので、普段は走るなんてとんでもないという顔をするR君が汗だくになって走り回っています。子どもたちが走る姿を眺めるのはいいものです。淀川の河川敷にでもいけばもっといい風がとらえられるので高く上がりそうです。ビニール袋で簡単にできる「ぐにゃぐにゃ凧」を自分で作って出かけていくのもいいかもしれません。
枠組みと交渉
絵カードコミュニケーションのP君が家庭で明日のスケジューリングの際に、学校の後の放デイ事業所のカードを外して、明日は行かない意思を示しました。おうちの方は、こんな要求は珍しいから何か理由があるのだとその要求を認めました。それから本人はずっとどこの事業所も行かない意思を示し続けています。
P君にしてみればたまたま要求が叶ってどこにも行かず家で過ごしてみると、なかなか快適だったのかもしれません。この場合、どういう課題があり、どういうアイデアがあるのでしょう。要求は、社会の中で一定の約束(枠組み)の中で認められます。今回は、交渉と契約、視覚的強化システム(PECSマニュアル13章)の課題とアイデアが必要になってきていると思います。(続く)
なぜ子どもは崖登りが好きなのか
子どもは不安定な場所での移動が好きです。道端の溝蓋の上や境界ブロックの上を歩いたり、コンクリ階段の手すりの上に上がってわざわざ歩こうとしたり、斜面を見ると走って上がろうとしたり、手ごろな樹木を見ると登ってみようとしたり、一見エネルギーの無駄遣いみたいな行動をします。
でも、これは前回「11/18感覚統合アプローチ」に書いたように身体と脳の統合的発達にはとても必要な行動です。不安定なところで平衡感覚(前庭覚)を使いながら、全体の力の調整をとりつつ必要なところで瞬発力(固有覚)を発揮して走破していく突破していくことによって、脳と身体の発達の基盤的システムの高次化を達成します。コンピューターでいうなら基本プログラム(WindowsとかmacOSなど)を走らせる前段階の電源やCPUやメモリーやキーボードやモニターなどの統合的な調整をするオペレーションシステム(OS)のバージョンアップと言えます。
なんのこっちゃと思われる方は、10か月頃の赤ちゃんが何度も立ち上がろうとする行動等、遺伝子にもともと仕込まれている発達行動にスイッチが入っているから、子どもはわざわざ「できそうでできなさそうなことをする」と言えばイメージができるでしょうか。てなことで、子どもが崖を上ったり下りたりするのは意味があるという話です。そして現代には、その発達の土壌である崖がなかなかないので、支援者は手ごろな崖を求めて彷徨うわけです。