すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

創作フルーツポンチ

今日はおやつづくりをしました。準備さえ苦でなければ放デイで一番手軽な活動メニューは調理と公園遊びです。しかし、手がるそうでもっとも工夫しないと児童に達成感を持たせられないのも調理です。高学年になったり何度も調理を経験をすると、言われるとおりに作るだけでは飽きてくるのです。となると提案する方も難しくなります。トッピングの選択やジュースの調合や色映えやいろんなことをまず子どもたちに計画させて、スタッフがサポートするという形に変わっていきます。まずくても、それが自分で創作したものなら達成感はあるのです。周囲から評価されたらさらにOKというわけです。さてどんなフルーツポンチができるやら。

公園遊び

今日は雨が降るかと高架下公園を予定していましたが、降りそうにないので他の公園に行くことにしました。公園も変えていかないと飽きてしまうので、いろいろ探索したいと思います。公園には遊具があって、それも使って遊ぶわけですが、いくらブランコが好きな人でも最終飽きが来てしまいます。ちょっと景色が変わったり、揺れ幅が変わったりすればまたやろうかなと思うものですのでこれも場所替えが大事です。滑り台や小さな子ども用の遊具を他児が使っていると、さすがに中学生以上が使うのは気がひけるのでこれもNGです。そんなわけでブランコから見える景色が良くて、大きな人でも遊べる遊具がある公園の推薦を募集します。

ぼうずめくり

午後のほっこりタイムは、坊主めくりをしました。

絵が描かれた方の札=絵札(読み札)を使います。
シャッフルした絵札を、裏向きにして積みます。(=山札)
参加する人は、山札の周りに丸く円を描くように座ります。
順番を決め、参加者が順に山札から1枚札を取ります。
絵札が男性(殿)の場合、そのまま、自分の手札にします。
絵札が僧侶(坊主)の場合、引いた人は自分の手札全てを捨てる。捨てた札は山札の横に置きます。
絵札が女性(姫)の場合、山札の横に置かれた札(坊主を引いた人が捨てた札)、全てをもらいます。
山札が全てなくなった時、一番たくさん札を集めた人の勝ちです。

こんな偶然性に満ち満ちた単純なゲームの方が、あははと笑いあえて、みんなは癒されるのです。

光明寺

お天気の良い秋の放課後は光明寺で遊ぶことも少なくないです。光明寺と言うと、京都の場合は、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった「黒谷さん」の金戒光明寺が有名ですが、位置的には東山の正反対の西側、西山浄土宗 総本山 光明寺です。静かだし、広いし、階段緩やかだし近所の人の散策にもうってつけのお寺です。東映の時代劇のロケ隊がよく撮影にもきます。

ここが有名になったのは、「そうだ 京都、行こう。(JR東海)」の2009年の紅葉のポスターでした。それ以降、秋の紅葉時にやたら観光客が多くなりました。ポスターによく出る紅葉のトンネルは本堂に向かって左側の小路です。11月16日~12月8日は観光客人でごった返しますが、ふだんは静かな佇まいです。

山路を登りながら

今日は暑くもなく曇り空で、過ごしやすい朝でした。よし、西山に登ろう!ということで、みんなで出かけました。涼しくなると藪蚊が出血大サービスで出てくるので、しっかりスプレーをして登りました。

山路を駆け上がる風は、肌に気持ち良く、癒されます。しばらく上がると、うっすらかいた汗が蒸発する心地よさに、遠い学習記憶がよみがえりました。

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山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画が出来る。

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理知だけで割り切っていると他人と衝突するし、
個人的な感情を優先させれば、足元をすくわれてしまう。
意地を通そうとするとがんじがらめになってしまう。
何にせよ世間は生きづらい。

住みにくい世の中から抜け出そうと、ここではないどこかに住みやすい、違う世界を求めようとする。
でも、次々に引っ越しを繰り返すそのたびに、「生きづらさ」を痛感する。そして、ああ、どこへ行っても一緒なのだ、と悟ったときに詩が生まれて、絵画が出来るのだ。

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と、なぜか漱石の草枕の冒頭が風に乗って覚醒したのでした。