すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

どうせ僕なんか

どうせ僕なんかアホやし。K君この頃自暴自棄の台詞が目立ちます。掛け算の7の段1年かかっても言えないし、学童保育行っても、みんなが乗れる一輪車に乗れないし。

低学年頃の社会性の発達は、だんだん上手になる自分がわかるから、今日がんばったからちょっと出来た、だから明日も頑張ればもっとできると言う自己肯定感につながるのです。やってもやっても出来ない課題が横たわっていれば誰だって自分が信じられなくなります。低学年時代に与える学習課題は特にこの意味で重要なのです。

伝わる大切さ

言葉のないH君は新米スタッフに大声で怒鳴って威嚇したり、歩行介助しても嫌がって座り込みびくとも動かないことが続きました。スタッフの間では、H君の担当を他の人にしてはどうかとも提案されましたがそれでは根本問題は解決されません。

何故、大声で威嚇したり実力行使に出るかを考えればいいのです。ベテランのスタッフならH君のちょっとした仕草や状況から判断して彼の要求や嫌な事を察知して実現します。でも新米スタッフにはわかりにくいという事です。そこで、考えられたのは確実に伝わったという関係を作ればいいという事です。スナックタイムにPECSで要求することを新米スタッフと取り組んでもらいました。伝わった経験を繰り返すと、H君はニコニコと喜んで、どんなに新米スタッフが離れても「ください」カードを運んできます。伝わった安心感と充実感が二人の関係を急速に変えたひと時でした。関係性はなにも時間の長さだけで作るものではありません。その関係の質が大きく関与しているのです。

注目を得たい不適切な言動

F君が、いつもはそんな幼稚なことはしないのに、今日は変な事ばっかりするのでどうしたのかなとか、G君が仲間にブランコ替わって欲しいのに嫌味ばっかり言って逆効果なのにとか、スタッフから疑問が出ました。

要するに、もっと上手く振舞えるはずだし、わざわざトラブルのもとになるような言動を何故するのかというものです。上手く振る舞えないから、上手な交渉はできない、かと言って実力行使はダメだと知っている。しかし、要求は実現したいから不適切でも先の言動をとるのです。

自分の不安が漠然としてはっきりわからなかったり、わかっていても表現する言葉を持ち合わせていない時に子どもは大人の気を引く行動をします。また、上手にブランコを代ってもらう交渉スキルがないので、お友達が怒り出してしまうほどのセリフを言えば席を立ってくれるのではないかと嫌味を言うわけです。どちらも相手の感情がどうなるかは考えられていないので、高確率でトラブルも起こりますが、たまに自分の思い通りになる時もあります。これをギャンブル依存理論=間欠強化と行動分析ではいいます。

「なんて言えばいいかわからず困っているねん」「どういえばいいの」というワンフレーズを発信すれば済む話なのですが、大人に向かって援助を求めることが難しい人が多いのです。こういう場合は、軽微な内容ならその場で正しい言い方に修正させます。自分でも気持ちの整理がつかないような不安定な状態なら、まずは気持ちがフィードバックできる環境を作って自分がどういう感情だったかを確定してから取るべき行動を考えさせます。

よく、「注意喚起行動は無視する」とスルーすることが絶対だと勘違いしている大人がいますが、それはその子に利得を得させないという場合のみ有効なのです。しかし、修正介入しなければ事は解決しない場合に、無視だけしていても、どんどん激しい行動になって結局応じてしまわざるを得ないことが予測できるなら、さっさと修正介入すればいいのです。スルーはがまんくらべではないのです。

インフルエンザ

今年のインフルエンザの流行カーブは令和2年4週目からガクッと下降線を描き、現在は昨年の収束期の数値です。新型ウィルス感染予防の成果とは言え、手洗いはすごい効果のあるものだと、改めてその感染予防威力に脱帽しました。本事業所が把握している利用者のインフルエンザ罹患は2名です。一人は手洗いは絶対嫌だという子でしたが悔い改めたようです。

新型コロナウィルスの感染予防策では、北海道が長期の休校を、東京では時差登校を、全国的には卒業式は在校生抜きでという対策が打ち出されると、今日は政府が公立学校に春休みまでの臨時休校を要請しています。学校を休みにして、保育所や学童保育所などを休日モードで開所した方が感染を小規模に囲い込め、2次3次のクラスター感染を予防できるという判断です。私たちとしては、メディアの不確実な情報の垂れ流しに煽られないように、冷静な判断と手洗い飲水を心がけるだけです。

移行支援会議

今日は、保育所等訪問支援でした。小学校から中学校にどう支援を引き継いでいくかの会議です。小学校では当たり前のことも中学校では違います。例えば、小学校では担任の先生が全てを把握していますが、中学校では教科担任制なので、受け持ちの授業しか状況がわかりません。

ただ、前者は一人の先生の意見に左右されますが、後者はいろんな子どもの見方が出てきます。公的教育で好き嫌いをいうのは良くないのでしょうが、人間には相性というものがあります。子ども好みがあるように先生にも好みがあります。カリスマチックアダルトとは子どもの側からだけではなく先生の側からも許容できる生徒だということです。

 

避難訓練

昨日避難訓練をしました。想定は震度6強の地震です。みんな、学校で訓練しているので落ち着いて机の下に潜り込んでいました。避難は、近くの府立高校まで徒歩で行きました。若干1名、意味が分からず動けなくなる人がいましたが、他の人はスムースに10分ほどで避難移動できました。初めての訓練だったので、学校でもないのにと混乱した方もいたようです。繰り返すことが大事だと思います。「おはしも」を合言葉に防災訓練を続けたいと思います。

ベテランの見立て

こどもの状態について、キャリアの違いによって見立てが違うのは当たり前です。もちろんキャリアがあるからと言ってエビデンスもなく決めつけるのはキャリアのない人の学びにならない教条主義を助長するだけですから避けるべきです。F君は体調が悪いと学校から報告されていました。ところがスタッフの評価はF君とても適応して生活しているという報告でした。一方で、終わりの会でF君待ちきれずに離脱してしまったという報告でした。ベテランのスタッフは子どもの体調が悪い時場合によってはいつもより適応的な姿を見せることを知っています。でもそれは安定的な姿ではなく非常に不安定な臨床像だということも知っています。ところが経験量が少ないスタッフは適応的なのか不適応的なのかどっちなんだと短絡的な回答を求めがちです。答えはどちらもあるです。体調が悪いとしんどいので衝動性が低くなります。でも適応的に見えるからと言ってそれは実力ではありません。一番苦手な場面では衝動性は復活することもあります。これは経験の多いスタッフしか分かり得ないことです。

行き渋り

「Eちゃんがいるから」今日は行きたい・行きたくないと子どもでなくても思うものです。学校や職場は行きたくなくても行くのは仕方がないにしても、学童保育や放デイの放課後は、理由はどうあれその気持ちは尊重してあげたいようにも思います。好きな子がいるのは来なくてがっかりで済むけれど、嫌な子がいると心身をすり減らして放課後を過ごすことになります。世の中は嫌な人とも過ごすことはありますが、嫌な人との過ごし方を習ったわけでもないし、気になる人はとっても気になるのです。

ただ、放デイの場合は微妙でこうした事象について社会性の課題として介入するべきではあります。ただ、低学年であればあるほど短時間の生活ではなかなか効果的なフィードバックをしながら支援するのは困難だなとも感じています。家庭での保護者の適切なフィードバックも必要ですが放デイにはペアトレの機能はありません。月2回限度の1時間を超える家庭連携加算をこれに充てられるならトレーナーの捻出の課題はありますが実現の糸口は見えてきます。

避難確保計画

平成 29 年 5 月に改正された水防法において、要配慮者利用施設の所有者又は管理者に対して、利用者の洪水時等の円滑かつ迅速な避難の確保を図るために必要な訓練その他の措置に関する計画の作成や計画に基づく訓練の実施が義務付けられました(水防法第 15 条の 3) 。

要配慮者利用施設の施設管理者等が、避難確保計画の作成を進めるにあたり、国土交通省では「避難確保計画作成の手引き」等を作成し、施設管理者等を支援しています。また、平成 30 年 3 月には「講習会の企画調整及び運営マニュアル~要配慮者利用施設 避難確保計画の着実な作成に向けて~」を作成し、地方公共団体による要配慮者利用施設の避難確保計画作成促進を支援しています。

今日は向日市役所に行って、マンツーマンで国土交通省の方からマニュアルの作り方を学びました。本事業所の位置は桂川の堤防が決壊して5時間ほどで30~50cm程の浸水があるそうです。向陽高校や5向小学校も浸水するので、すてっぷの場合は垂直避難、つまり2階に逃げるのが適当と助言を受けました。

淀川が決壊するなら、おそらく小畑側も決壊しているはずだし、外環とJRのアンダーパスも浸水するので、そう簡単には自宅からのお迎えを期待できないかもしれないということもシミュレーションでわかりました。今、避難確保計画を作成中です。

基地

E君が基地を紹介するからと、藪の中に連れて行ってもらいました。小山の中腹辺りに50cm程のうっすら掘られた横穴二つを指さして「先月から築城している」と説明してくれます。山城が完成したらまた教えて欲しいと言って藪を後にしてきました。日暮れまでせっせと石やら枝を運んで築城しているのだと思います。工作やら創作活動もいいのですが戦国武将か探検隊のイメージだけで土や石や木を見立てて仲間と共有して何日も楽しむ遊びは贅沢な遊びです。

 

PECS

D君のスナックタイムを使って、PECSに取り組んでみました。フェーズ1はカードを渡せば大好きなスナック菓子がもらえる設定はすぐに理解してくれました。フェーズ2は、そのカードを渡す人や距離を伸ばしても恒常的にできるかどうかでした。D君、距離が伸びても渡せました。でも人が二人いるとどっちに要求していいか分からなくなったり、ドアを開ける動作をしているうちに要求行動を忘れてしまったりするようでした。

驚いたのは、別の場所に行って他の友達が使っているカード(内容は違う)をはがしてスタッフに渡すのです。「ジュースが欲しいの?」と聞くとうなずくので、「はいジュース」と提供しました。その日は、スパゲティー調理の日でした。するとD君階段を駆け下りてきてまた友達のブックからカード(内容は違う)をはがしてスタッフに渡しました。「匂いでわかった?スパゲッティーどうぞ」ということで、D君その日のうちにフェイズ2の応用まで学習しました。次はカードの弁別のフェイズ3です。

おせっかい

D君は、低学年にやさしくて面倒見が良い人です。でも、低学年なら助言やフォローとして良いのですが力が均衡するくらいの相手になると、相手から「おせっかい」「うるさすぎ」と嫌がられてしまいます。

実はD君の口出しは人のためというよりは自分の馴染んだパターンから外れていたり自分の思いと食い違うときに、相手がどう感じるかを考えずに口を出したくなる場合が少なくないのです。でも低学年のうちは大人にとって「良い意見」であることが多く、よく気が付くねと褒められていたのです。

ところが高学年になっても同じようにやるので、周囲の仲間から何となく自分が浮いているのが分かるようになってきたのです。でも、相手の感情がうまく見えないので、D君は人といることが煩わしく感じるようになりました。心の理論「見えない約束2/7」についてはASDの人は遅れて理解すると前回書きましたが、全部が見えるわけではないです。そこで、ソーシャルストーリー等を通して「暗黙のルール」(非ASD者にとっては自然に理解しているもの)を学ぶ必要があるのです。

 

 

愛着形成

低学年のZさんを学校から事業所に迎えました。送迎の車の中で楽しそうにお話していたZさんが事業所の玄関の前で突然泣き出しました。「おかあさんが参観に来たのにさよならも言わずに家に帰った」から悲しいというのです。

「え?今悲しくなった?」とスタッフ戸惑います。ASDの子どもの感情表現は時としてかなりタイムラグがあったりします。それから「参観では、さよなら言わずに帰る母親の方が多いよね?」Zさんだけではないはずと言います。しかもZさん幼稚園ではそんなことで泣いたりしなかったと言います。Zさん、ようやく愛着形成の時機に入ったかもしれません。

お母さんがいなくてさみしいと思うのは乳児期後半からです。その後愛着形成は幼児期前半で一応完成されるとイギリスの精神科医ボウルビィは言います。でも、ASDの子どもは愛着が遅れる人が少なくないのです。小学校に入ってから急に母親にべたべたするようになったりするのがそれです。子どもによって表現の仕方は違いますが、ASD児の愛着行動は遅れるので奇妙に見えるが変ではないと押さえておきたいものです。

 

第2鉄塔

本日は西山の第2鉄塔まで足をのばしました。少し寒さが戻ってきているものの、ジャケットを着こんでいると汗が乾きません。光明寺から方丈池を越えて京都タワーが見える展望台まで15分。お茶を飲んで一服したら分岐点を通り過ぎて真ん中の道を緩やかに上って最高点232mを通過して梅林まで15分そこから横道に入って第2鉄塔まで10分。光明寺から小一時間で第2鉄塔に到達します。春になると蕨やゼンマイが出てきそうな斜面もあります。往復90分くらいでよい有酸素運動になります。

高学年らしさ

通常学校の利用者に感じていることは、低学年と同じレベルで諍い合うなど高学年が幼いことです。これは障害とは関係がないように思うのです。人は、年齢に応じて社会から「らしさ」を求められます。ところが高学年の彼らは「らしく」扱われていないのではないかと思い当たる節があります。高学年は低学年の面倒をみてやったり、年長者として譲ってやる、見過ごしてやるという度量が試されます。障害があろうがなかろうが年長者や大きいものは年下の者や弱い者を擁護するということを、簡単には分からなくても「求めているよ」ということは示す必要があると思います。

温い

暖かいことを表す「ぬくい」という言葉。「(聞いたことはあるが)使ったことはない」「聞いたことすらない」と答えた層の割合は、東京の19.9%に対し大阪は4.9%で、くっきりと結果が分かれます。ぬくいは関西スタンダードということです。今日は気持ち悪いくらい温い日でした。16時の今も卓上温度計は21度です。こんなときは、ぶらぶらと河原でも歩いてぼんやり小畑川の川面や西山を眺めるなんていうプログラムでもいいと思います。

 

 

負けるが勝ち

このブログでは何度か勝ち負けについて述べてきました。「負けと癇癪 01/17」 では「負けるが勝ちゲーム」を紹介しましたが、「そんなにうまくいかないよ」とのご意見もあるので、今回は負けの感情コントロール療育の王道をご紹介します。

突然のショックに耐えられなくて不適切な行動を起こしてしまうことが課題なので、ショックに耐える練習から始めます。ゲームの前に、「負けても泣かないゲームをします。1回我慢出来たら大好きな動画が1つ見られます。何が見たいですか?」と最初に交渉します。で、実際に負けてもらって我慢してもらい、御褒美を繰り返します。トークンの中身は速攻その場から、一日の最後にトークンを積み上げていきます。つまりトレーニングをしてもらいます。最初はダメージが強くないゲームから始めます。ご褒美もケチらないでグレードアップします。1か月たてばかなり感情コントロールが定着しているはずです。「負けるが勝ちゲーム」とどこが違うのか?とお怒りの方、すみません。結局中身は同じですね。

 

 

感覚刺激

今まで日本での特別支援教育では「余計な刺激は除去すること」が重要だとされてきました。しかしアメリカでは適切な刺激は学習に必要な支援だとして実践しているのです。2015年に行われたセントラルフロリダ大学の研究で「*ADHD(注意欠如多動症)の子どもたちは学習時に体を動かす必要があり、それによって学習成果が伸びる」ということが科学的に証明されたそうです。その研究によりなにかの感覚刺激を教育に取り入れることは、集中力を保つ有効な手段であるということがわかってきました。

*ADHD(注意欠如多動症)とは、「集中力が続かない」「忘れっぽい」などの不注意・「落ち着きがない」「じっとしていられない」などの多動性・「思いついたら周りに関係なく行動してしまう」などの衝動性を特徴とする発達障がいのひとつです。一昔前までよくない行動とされてきた「貧乏ゆすり」も感覚刺激の一つで、最近では「貧乏ゆすりによってセロトニン分泌が増加して気持ちの安定が得られる可能性があること、気持ちが落ち着かないときに気を紛らわせ、ストレスからの回避行動になっている」という研究報告もされています。

しかし「感覚刺激入力による学習支援」のためのツールが、日本ではまだまだ開発されていません。そもそも学校教育の現場でそういったものを必要とする意識が低かったため、広がっていないのが現状です。低学年だと鉛筆をかじる子も多いですが、そういった子は噛むことからの感覚刺激で心の安定を図っているのです。アメリカには噛むことを想定した鉛筆キャップなども存在します。外部刺激が苦手な子どもには、机に取りつける仕切りも必要です。

そのほかにも、触ることによって気持ちが落ち着いたり集中できたりするクーシュなどいろんなものが医療や福祉の分野では開発されています。Harklaの着圧(重みのある)ベストは深部感覚を刺激し、自閉症やADHD、感覚障害を持つ子どもに落ち着きを与える効果があったり、同社のブランケットは睡眠障害を軽減する効果もあるとされます。子どもの感覚に注目してみると新しい可能性が見えてきます。

待つこと

「待つこと」とは、スタッフに求められていることです。集団指導の時、子どもが何らかの理由で予定に従えなかったり向かうのが遅かったりすることが良くあります。ほとんどは同じ子であることが多いです。そんなとき、大人は「またか」と思ってしまいます。でもそれはきっと従えない子どもの方も「マタカ」と思っているのです。

コミュニケーションが苦手だったり、リーディングマインドが弱いと日課の切り替え場面で混乱する人がいます。理由としては、一つは次に何をするのか分からない場合。二つ目は、やる事は分かっているけど「やらされるかもしれない」という大人の強制力に不安を感じてしまう場合です。三つ目は、その不安を解消する質問や援助や交渉のコミュニケーションができない場合です。

実は一つ目と二つ目は裏表なのです。やる事がわかっていれば自発的に行動を起こしたことで大人に褒められるので、それが動機となって良い循環ができて習慣になります。やる事がわからないと、大人にいつも依存して行動することになり自発行動を行う機会がありません。ややゆっくり行動を始めていても「早く」とか「行くよ」など、現在の行動へのやや否定的な評価が多くなり褒める機会が作りにくいのです。

また、ゆっくりの行動する理由には、見通しがないまま行動をする不安感情があり、促しの指示には「いや」「まだ」「やめて」という拒否が起こり易い心理状態にあります。ここで、「行くよ」「はやく」などと指示しようものなら不安が強ければ強いほど過剰に反応して、表出コミュニケーションの弱い人は拒否するしか方法がありません。子どもの「いや」「まだ」には、切り替え時に見通しが「わからない」不安と「やらされる」不安に満ち溢れています。

「次はこれをするよ。終わったらこれがあるよ」という見通し情報を本人が理解できるモードで示し、気長に待てば、行動を起こした時に褒めることができます。人は行動に自分の利得がある場合にのみその行動が強化されます。同じ行動をしても利得がなければ弱化・消去します。子どもの利得の多くは大人に承認されたり褒められる事ですが、人によっては「お気に入り」の獲得からアプローチする場合もある事を理解しておく必要があります。

「待つこと」で自発行動を重視するのは良い行動を強化(持続)したいからです。そして、その人の理解し易い方法で情報提供できていれば、自発行動は起こりやすくなり、理解しにくい情報提供なら拒否行動は増えるという大原則にいつも立ち戻る事が大事です。

梅林まで

本日も西山へ行きました。先週が寒かったためか、梅のつぼみは固くなってしまったようです。今日は分岐点から梅林と河陽が丘の分かれ道まで光明寺から40分ほどかけて歩きました。梅林の入り口は竹に侵食されていて跡形もありませんでした。今度はもう少し奥まで(縦貫道が地下を走っている上を超えて)歩いてみようと思います。ちょっと北風がひんやりして、今日は上着が必要でした。