今日の活動
情緒的な理解?誤解?
「F君らと3人でゲームをしている時に、F君が『うるさい』と言ったように思ったので、『そうだね、うるさいね』と共感の意味の言葉を返したら叩かれました」と職員が報告してくれました。以前、言葉がうまく使えない人が感情表出の絵カードで「うるさい」と示したときに「そうだね、うるさいね」と共感すると興奮が収まったという話を、職員は覚えていたのだと思います。それなのに、なんで攻撃されるの?という疑問です。
絵カードでの感情表出は、マイナスの感情を暴れて発散するのではなく、相手に適切に表現することで気持ちを収める学習です。今の気分を伝える絵カード表出の学習時に、たまたま熱が出て「しんどい」カードを教える機会がありました。そこで、感情=気分というのはいつも「元気」ではなく、「しんどい」時もあり、その気分は相手にも伝わることをその人は学んだのです。その後、腹が立ったときにも「しんどい」カードを自発的に示すようになり、そうか「怒ってしんどいのか」と周囲が共感の慰め行動を続けることで、あまり怒らなくなったという事例でした。
この事例を模倣した事は良くわかるのですが、決定的に違う事があります。事例は何度も絵カードで双方が共有してきた感情カードですが、F君の発声した「うるさい」は職員と彼が共有した事がない音声だということです。もちろん文脈的には「うるさい」と言うべき場面です。但し、それはF君が機能的な言語表出ができる場合です。F君は欲しいものやしたいことを特定の大人に決まった場面で一語文で言えますが、感情の表出は難しく、ストレスを溜めて爆発させる事が多いです。しかも、表出の絵カード練習を系統的に学習していません。職員は「僕は、彼らがうるさいのでイラつくのだ」の意味が彼の発した「うるさい」だと理解したのです。しかし、ASDの人たちの中には不安な時に以前体験した言動を再現することがあります。
つまり、F君の気持ちは確かにイラついているのですが、イラついてフラッシュバックした言葉が「うるさい!」と大人が怒鳴る場面を再現したかもしれません。それは、自分に向けられた言葉か、他者に向けられた言葉かは分からないですがF君には不快な場面が想起されたと考えられます。だから、「うるさい」の後に、相手を叩くという見たままの言動が再現がされたのかもしれません。ASDの人の中には、強い不安を感じている時に、以前同じような感情を持った時の状況を再現することがあるのです。
不適切行動は、情緒的な解釈では行動の意味が理解できず解決策が見出せない場合が多いです。しかし、機能的なコミュニケーションの視点で考えていくと、行動を仮説することが可能になり支援策もいくつか見えてきます。絵カードなど「大人と子どもの双方が意味を共有できるツール」での学習が有効であることは確かだと思います。
大縄跳び
D君の遊びを探していて、大繩とびなら個人の縄跳びと違って「共同あそび」感があっていいんじゃないかと取り組んでみました。「10回飛びました。よくできました。ブランコへ行きます」とD君。跳べと言われたから跳びました感満載でブランコに行きました。「ん~手ごわいなぁ」と職員が思っていると一緒に来ていた小学生チームがキャーキャー言って跳んでいます。その歓声につられてEちゃんも「縄跳びします」と跳んでいきました。大縄跳びでこんなに盛り上がるとは思わなかったです。D君以外ですが・・・。
さて、これからどうやってみんなで跳ぶかですが、小学生があんなに喜ぶなら、D君やEちゃんを引き入れて大縄跳び合戦をしてもいいかなと思っています。D君は一人はさみしくてみんなに見ていて欲しいのですが、課題をこなすのは嫌だと言う人です。そんなD君にどうすればみんなで遊ぶと楽しいよと伝えられるのか思案中です。「ハイ10回終わりました。縄跳び終わります」と迷惑そうな顔をするD君を思い浮かべると気持ちがなえてしまうのですが、大好きなサイダーとか持ち込んだりしたらうまく楽しめないかなと思ったりしています。遊ばない子の遊びを作るのは本当に難しいなぁと思います。
鉄オタ女子降臨
Cちゃんらと近所の公園まで歩いていきました。公園にはCちゃんの大好きな遊具があって楽しみしています。ところが今日は阪急電車の高架下で通過する電車をじっと眺めて動こうとしないのです。公園でひとしきり遊んで、さぁ帰ろうと高架下をくぐると、またまた「電車!」と真剣に眺めています。あんまり真面目に見ているので職員も一緒に何本も通過する電車をしばらく見ていたそうです。
女の子の鉄オタはテレビの趣味番組なんかには出てくるけど本当に身近にいたのです。てゆーかー、これまで同じところを何度も歩いていますが電車なんて見向きもしなかったから、鉄オタ女子誕生に出会えたと言うべきです。最近、「鉄子さん」や「ママ鉄」など鉄道好きな女性に注目が集まり、女子の鉄道研究会や部員も増えているそうです。さすがCちゃんトレンドに敏感です。
好きなものができることはいいことです。そこから様々な世界が広がっていきます。支援するほうもゴールを好きなものにすれば様々な学習やトレーニングの提案がしやすいです。さて、事業所では「シルバニアファミリー命」のCちゃんですが、トミカプラレールには興味が持てるでしょうか?楽しみ楽しみ。
機能的コミュニケーションの手がかり
Bちゃんの今日のスケジュールは公園遊びなので、車いすに乗ってお出かけです。ところがBちゃん車いすに頑として乗ろうとしません。玄関前で職員と一緒に座り込んでしまい、ベテラン職員にヘルプが出されました。別の職員が車いすを事業所内に入れようとすると、それをみてBちゃんも立ち上がって部屋の中に入ろうとしました。「今日はお部屋で遊びたいのかな」ということで公園行きは中止にしました。
このエピソードからBちゃん目線で考えたいと思います。「今日は外に行きたくないな」「でも車いすに乗ってしまうと連れて行かれるな」「以前床に座りこめば要求が実現したし今日もそうしよう」とBちゃんが思ったかどうかはわからないですが、内容的にはこういうことだと思います。そして、「お、車いすを室内に持っていくのか、それなら一緒に行くよ」となります。
拒否できることは大事ですが、Bちゃんとやりとりする交渉の余地がないと困ります。座り込むことですべてが伝わるわけでもありません。周囲も「またか」という慣れになりそれ以上の発展が見込めません。体の力が強くなることは意思が表現できることでもあります。でも、物理的な拒否だけでは、それを強化する方向(激しく拒否する)か諦めるかの2方向にしか展開はありません。
機能的コミュニケーションを身に着けるには、Bちゃんの場合どうすればいいでしょう。絵カードでなくてもいいのです。具体物でもいいのです。ベテランの職員が車いすで方向を示したように、その手掛かりを探すのも療育です。日常動作なら「言葉がわかる」と言われる方がいます。そう思うのは自由ですが、それが絵や具体物などを使う代替コミュニケーションを遠ざける理由にはなりません。大事なのは座り込まなくても楽に伝えることができる表出のコミュニケーションです。
送迎車カウンセリング
前回は、お迎えの車の写真の活用で、低学年児や日程で混乱しやすい利用者に下校先の見通しが持てるようにと書きました。そうすることで、お迎えの場面を視覚支援で見通しを持たせる療育ができるということです。放デイの療育はお迎えからもう始まっていると考えています。
また、通常学校の利用者の送迎の時間は利用者のカウンセリングに使えます。すてっぷでは大きな送迎車で近隣の小学校を回ってくるのではなく、基本は一人づつピックアップして事業所まで利用者の送迎をします。乗車時間は10分程度ですが、子どもと様々な話をします。
学校や家の話、好きなアニメや嫌いな友達の話を職員から切り出すこともありますが基本は子どもに話してもらうようにしています。運転中ですから基本「うん うん」と聞くことになり、子どもはいろいろと話すと言う仕組みです。話が聞いてもらえるとわかると、テレビやビデオを流せと言う子どもはいなくなります。
大人に毎日10分話をじっくり聞いてもらえる場は、ありそうでありません。今日はA君に家庭の話を振ったところ「個人情報なので個別的な情報は応えられない」と言います。以前は明け透けに話していたので、成長したなぁと感じて「そうですか。では差しさわりのないお話でどうぞ」と聞くと怒涛のアニメ話が始まりました。10分で良かったぁ。
下校の切り替え
Z君が下校時のプラットホームで泣いて泣いて動かないという報告がありました。スクールバスに乗ったり、あちこちの放デイに行ったり、お母さんが迎えに来たり、訳が分かりませんというのが1年生あるあるです。泣くと言うのはスクールバスに乗ると言うつもりがあったからです。正しいつもり(見通し)が持てるように工夫をすることができるということです。
これを解決するのは視覚支援です。バスの写真カードを教室で渡されたときはスクールバスに乗り、放デイの送迎車の写真カードを渡されたら送迎車に乗るという経験を3週間続ければ、まず見通しはできるのでつもりはできます。視覚支援がないといつまでも混乱することになります。学校の先生方視覚支援をよろしくお願いします。放デイは送迎車の写真カードを提供します。
でも、スクールバスの行先は家でお母さんが待っています。ゆったり好きなことができます。放デイはこれに勝る魅力をまだ持っていません。知らない人は多いし、思いは伝わらないし、居場所も定まらないし、だめだめです。当面は好きな玩具やおやつを用意して、必要なら送迎車に好きなものを積んでお迎えに行きたいと思います。
エスクァイア
ボタンキラキラBOX1号機
クリスマスを超えバレンタインを過ぎ、ひな祭りも過ぎて四か月越しでLED(light emitting diode=発光ダイオード)イルミネーションで、スヌーズレンBOXを作りました。段ボールの中にLEDイルミネーションを貼り付けて、調光器のボタンを押すと光り方が変わるというものです。
前回はYさんのスイッチ理解のためにボタンを押せばわんこが動く<ボタンわんこ2号機 : 03/18>「静から動」のスイッチでしたが、変化の因果関係が理解されず却下でした。そこで、とにかくまずキラキラと視覚刺激で引き付けてボタンを叩けば別の変化が起こる「動から動」あるいは、ボタンで切れる「動から静」のスイッチを試そうとしています。
ただ、Yさんは机上に物があると跳ね飛ばすのでボタンを板に固定する必要があります。でも、みんなでキラキラスヌーズレンが楽しめればそれでいいし、壊れてもLEDは600円程度ですから気にせず使えばいいと思います。ボタンはスイッチ感がいまいち硬いのと、調光器に合わせた離せば戻るモーメンタリスイッチではなくオンオフ切り替えのオルタネイトスイッチなので切り替えるには2回押す必要があります。このスイッチは使いにくいですから、おまけ程度に考えています。なかなか安くて丈夫で大きくて使いやすいモーメンタリスイッチが見つかりません。
宿題の質と宿題時間
3時過ぎに事業所についたXさんが宿題を終了したのは、4時間半頃で、延長のないほとんどの利用者は帰る時間でした。内容は小学校低学年の漢字と計算ドリルでした。「がんばったね。でも遊べなかったね。みんなが帰ってからもXさんは1時間以上時間があるから、そこで宿題やろうね」と話しました。高学年以降の子どもが帰宅後1時間以上学習するのは当たり前ですが、それは、二桁の繰上りや低学年の漢字に費やす時間ではありません。もしも、該当学年の内容で該当学年より時間がかかるなら、内容が本人の課題と一致していないと考えるべきです。低学年の内容なら半時間程度で終わるのが普通です。
確かに、保護者は宿題を出してくれれば安心をします。子どもが机に向かってくれる姿は保護者としては嬉しい姿です。逆に、子どもが机に向かわないと宿題を出してほしいと担任に要求するのが普通です。ただ、問題はその内容が本当に子どもの力になるのかどうかは、担任に信託されているのです。低学年の課題を高学年になって低学年児の何倍も時間をかけてできたからと言って学力が学年相当につくわけではありません。もっと別の学習に時間をかけたほうが良い場合もあります。それを見抜くのが特別支援教育の教師のスキルだと思います。プリント学習の内容が子どもの特性に合ってない場合は、やってもやっても、追い付かない自分の存在を確認するだけの時間となります。
調子がいい理由
「今日のW君は調子がよかったです。スムースに自立課題に取り組め終わったら欲しいものを要求していました」と職員の報告がありました。「なんでスムースだったのですか?」と聞くと「さぁ?」という反応でした。不適切な行動が起こった際は、あれこれ原因を考えて報告するのですが、うまくいった時は理由は考えません。もちろんずっと適切な行動がとれる子どもの場合は考える必要はないのですが、不適切行動のある子どもの場合は、適切な行動の前後に「支援が成功する秘密」が隠れていると言われます。
結局、W君が何故スムースだったかはわかりませんでした。職員みんな今日は調子がいいなぁと思っただけだったそうです。でも、だれもW君の行動を詳細に覚えていないという事は、あまりW君に注目してなかったということです。大人が声掛けしたりしないで、やるべきことが準備されていれば、以外にW君は分かっているのかもしれないです。
嘘つきゲーム??
カードゲームだけではありませんが、相手を欺いて勝利を得るというゲームがあります。ポーカーなどがそれにあたりますが、自分のカードのポイントが低くても相手には良いカードが来たような顔をして勝負に挑みます。挑戦者は相手の表情や言動が嘘か誠か見抜いて勝負に挑みます。どちらも自分の態度が相手にどう読まれるのかそれを読み取って欺くのが、このゲームの醍醐味でもあるわけです。
ところが、そんな嘘つきのゲームは嫌だとV君たちが言い出しました。「いや、嘘つきと言ってもそれがゲームの面白さなんだし」と言っても、自分が嘘をつくのも許せない気持ちなので楽しくないと言うのです。「隠れ鬼 04/13」でも書きましたが、他者感情を読んだりする遊びはASDの子どもたちは苦手なのでおもしろくないのです。「なら、何がいいですか?」と聞くと「人生ゲーム!」だそうです。確かに他者感情は読まずに偶然性だけで遊べます。なるほど。。。
宿題と電卓と信託
U君が帰り際に電卓計算をしていました。ワーキングメモリーが弱いのと不器用なのでキーボード操作が遅くて20問中10問しか仕上げていませんでした。「これあとどうするの?」「どうしよう。家に帰ったら電卓ないから計算問題できないよ」「すてっぷにいる時間を考えて、通所したら今日の日程を計画したらいいね」「うん、そうする」
こんな話をしていて少しむなしくなりました。新しい担任とはいえ、学校は引継ぎをするものです。U君にとって「字を書く計算する」は最もパワーを使う作業で、他の子はルーティン作業のような軽微な課題も彼にとってはそれだけで疲弊してしまう活動なのです。
学級担任と自営業の塾講師はどこが違うでしょう。塾の人気がなくなり生徒が集まらなければ塾は倒産ですが、学校の生徒は担任を選べません。生徒に指導の結果がでなくても収入が下がることもありません。それは、適切な学校教育をしてくれると国民が信託をしているからです。そこが自営業の塾講師とは違うところです。信頼しています。
手を使う事
Tさんは手が使えますが、職員が全介助でおやつも食べさせています。何故手を使わせようとしないのか聞くと、食べないことがあるからと言います。おやつなのだから本人が嫌なのに食べさせる必要はないと言うと、食べてみたらおいしくていくつも食べることがあると言います。本人が欲しがるなら手を使わせればどうかと聞くと、手が出ないといいます。本人は職員が口に放り込んでくれるものだと思っているからかもしれません。しかし、これでは堂々巡りで、いつまでたっても文字通り手が出せません。
昼食などは栄養価も考える必要があるので全介助で食べさせることが必要な場合もあります。しかし、おやつは好みで食べるものですし、自分の手で食べることを覚える絶好の機会でもあります。「食べさせること」よりも好きなものを「自分の手で」食べることを教えたいのです。そのためには当たり前ですがTさんの反応をよく見ながら食べさせる必要があります。次々に食べる事よりも、「おいいしいな、もうひとつ欲しいな」という反応や「まずい、もういらない」という表情を読み取ります。その読み取りで手でつかむように誘導します。こうして、少しづつ自立を促していくのが療育に求められている役割です。
Tさんが机の上にあるものを手で跳ね飛ばす原因も、こうして考えていくとわかるような気がします。職員は物が落ちるのが面白い、人が騒ぐのが面白いからと言いますが、それもあるのかもしれませんが、行動の初めの原因はもっとシンプルだと思います。いらないものを跳ね飛ばすとしばらくは大人に従わなくてもいいと言う利得ではないかなと思います。もちろん、大人は善意で与えよう・させようとしていますが、機能的コミュニケーションがない本人がどう受け止めたかを考える必要があります。これはABC分析ができると思います。
やりなおし??
S君が自立課題を床にぶちまけたので「やりなおし」でぶちまけたパーツを片づけさせて、やり直しをさせたという報告がありました。「それは、私たちが大事にしている『やり直し』ではありません」というとスタッフは「??」でした。S君は何故自立課題をぶちまけたのかを、私たちをおちょくっているからという意見もありましたが、本当かどうかは言葉のないS君からは聞く術が私たちにはありません。
他者をおちょくっていると考えるのは自由ですが、そこから建設的な方向性は見えてきません。せいぜい、そんなことをしてもやるべきことはやってもらうと強権的に振舞うか、いやならやめとくかと不適切な行動を認めてしまうかのどちらかです。私たちがS君に教えなければならないのは、床にパーツをぶちまけなくてもこうすれば伝わるよ交渉できるよという機能的コミュニケーションです。
やり直しと言うのは、ぶちまけたパーツを片づけてやり直すことではありません。やりたくないなら「嫌です」絵カードを示せば、適切に交渉に入れることを教えることです。ぶちまけたものを一緒に片づけるのは場合によっては必要ですが、一番大事なことは行動の修正です。「嫌です」とか「~したい」カードを出すことを教えてでてきたなら、まずは「よく言えたね」と褒めて、交渉に入ります。「この課題をしたら、君のしたいことができます」と課題の次のスケジュールカードにしたいことカードを張りつけて交渉します。これが「やりなおし」行動です。
機能的コミュニケーションの弱い人の不適切な行動は、他者の感情を弄んだりするために起こるものではありません。やり方がわからなかったり、前はできていたけど忘れたりして生じるものです。そして、言い分を受け止めればまず交渉は成立します。その交渉が成立してから、課題を拒んだ理由をゆっくり考えればいいと思います。その多くは課題に飽きているというのが理由です・・・。
不安と不適切行動(タイムスリップ)
R君の「外に飛び出す」不適切行動が久々に出ました。新しい男性スタッフの登場が原因ではないかとスタッフ間では話しています。スタッフが利用者の目を見て挨拶をするのが当然です。でも、R君には新しいスタッフが視線を合わせてくるのが不安なのかもしれません。新しいスタッフとの出会いの時期にR君の外への飛び出しは多いからです。
不適切行動の多くは危険回避のために、大声で注意されたり身体拘束されることが少なくないです。そして、機能的コミュニケーション力が弱ければ弱いほど当事者にとっては何が起こっているか理解ができず、不安や恐怖感情を抱きます。この情景は鮮明にASDの人たちに不安の感情と一緒に刻み付けられるようです。そして、全く脈略が違う場面でも一つ条件が一致すると不安になり、以前と同じ行動を起こすという「タイムスリップ」現象が生じます。
新しい出会いで視線を合わすのは通常は親愛の情を伝えるためなのですが、他者感情の読み取りの苦手な人の場合は睨まれたのと勘違いすることが高機能の方の場合でも大変多いです。視線が合うと(逆に合わない場合も)「怒ってる?」と何度も聞いてくるASDの方は少なくありません。多分、R君は新しい男性スタッフに睨まれたと思い不安になり意味もなく外に飛び出すという事になったのかもしれません。幸い、このスタッフは追いかけると不安を高めてしまうと判断したので気づかないふりをしたそうです。おかげで、R君の不安は消え事なきを得ました。
不適切行動はABAでよく使うABC分析が有効ですが、衝動的な行動は当事者の利得を誤解しやすいのです。逃げるのは追いかけて遊んで欲しくて誘っている等という分析に陥りやすいのです。そして、幼少の場合はこれに延々と付き合ったり、大きくなると逆に無視したり制止したりを続けます。どちらの対応も行動のバースト(爆発)を招き、行動を強化していることに大人はなかなか気付きません。ASDの方の不適切行動の場合は、タイムスリップ現象を考慮に入れておく必要があるように思います。
隠れ鬼
Qさんが、隠れ鬼がしたいというので、ルールを聞くと隠れんぼと鬼ごっこのミックスのようなルールで鬼にタッチされたら鬼交代を延々と続けるそうです。永遠に終わらない・・・まぁタッチ出来たら鬼は交代するからいいけど、ほとんどの子どもはただひたすら逃げ回るだけで、遊びにひねりと言うものがありません。「こんな単純な遊びが好きなのか~」「うん。逃げるのおもろい」
本来の隠れ鬼(たぶん全国バージョン)は、鬼一人だけ隠れて、見つけた子がそのまま鬼と一緒に隠れて、最後に残った(鬼が見つけられなかった)子どもが負けというもので、鬼を探す子をみんなで見て楽しむというちょっとイケズ(意地の悪い=京都弁)なルールです。でも相手の気持ちが読みにくい子どもたちは、人の気持ちを楽しむことよりも、追う逃げる交代するの関係の方がはるかに楽しいのです。なるほど、学校で同学年と遊びが合わないわけです。
新学期悲喜交々
P君が「あかん。細かそうな女の先生やった。相性が合わんかもしれん」とうなだれて送迎車に乗り込んできました。「女性だからと言って、細かいことを言うとは限らんよ」「俺、ええかげんな男の先生が丁度ええねん。母ぁさんをはじめ女の人は苦手やねん」「それは思い込みやろ」という会話が車の中で続きます。
担任が変わるかもしれないと思い始めた時から急速に食欲を失う子どもがいたかと思えば、「新しい先生?名前?知らん!」と全く気にしていない子まで様々です。私たちは、子どものことは良く知っているのでなんでも聞いてくださいと、新しい先生にはおひとりずつご挨拶をさせてもらっています。
基本は保護者の要請で連携をするのが建前ですが、毎回お迎えに行くので、保護者よりも放デイのスタッフの方が担任の先生と良く話している事が多い人もいます。子どもを真ん中にして家庭・学校・放デイ・相談事業所と連携を進めたいと思います。
転換性障害
Pさんが痙攣を繰り返し起こすことがありました。確かに、Pさんにはてんかんの既往歴があるので思春期に入ってまた出てきたのかと思っていました。医師の診断はてんかんではないということでした。思春期以降の女性に起こりやすい転換性障害の一つだという事です。
転換性障害は、伝統的にはヒステリーと言われたもので、意識化されない心理的葛藤により身体症状が生じる(転換される)と考えられています。これらの身体症状によって本人は一時的にせよ葛藤から解放されたり、葛藤による不安や苦しみが軽減すると考えられます(疾病利得)。身体症状は多彩で神経学的には説明つかず、運動障害や感覚障害などが認められると言います。
感覚の鈍麻や麻痺、歩行困難、不随意運動、けいれん、声が出ない(失声)、視力障害、聴力障害が生じます。当事者はこれらの身体症状にたいして、無関心であったり容易に受容している態度が見られあまり心配していないように見えます。
発症は突然で、当初は身体疾患が疑われ医学的な検査や処置が行われます。ほとんどの場合、数日から数か月で症状は消失しますが、心理的葛藤が生じるたびに繰り返されることもあります。葛藤となる問題が解決されると、症状が消失することもあります。
治療法としては、先ず支持的な対応で情緒的な援助を行い不安軽減に努める一方、葛藤内容がわかっているなら具体的な対処法を検討することで病状が改善することもありますが、わからないことも多いです。周囲が、一喜一憂せず自然に治るまで付き合うおおらかさが何よりも大事と言われています。
切り替え時の混乱
ちょっとしたことで怒り出すOさんが今日は静かです。実は意図的に移動の切り替え場面を少なくして同じ場所で活動するようにしたのです。移動時の切り替えで混乱する人が少なからずいます。ASDの子どもたちの場合はスケジュールなど視覚的支援で予告をすれば混乱はなくなっていくのですが、短期記憶のとても弱い人や、自分のつもりが切り替えにくく混乱すると興奮する人の場合、スケジュール指導が入りません。
この場合、「そうじゃないでしょ!」とやってしまうと、猛烈にもつれてしまいます。そして、抵抗が強いので結局本人の思い通りにするなら、大声を出せば要求が実現することを教えることになります。このやり取りを繰り返せばどんどん不適切な行動がバースト(爆発)してしまいます。
そういう危険性が高い場合は、切り替え(場所移動)の少ない生活を提供するしかありません。そして、穏やかな生活を作る中で、小さな切り替え(どちらでも良いスケジュールの変更等)の成功体験を積み上げていきます。ただし、あまりに興奮が激しく本人も辛そうな場合は服薬も提案する必要があると思います。
適度な距離感を
4月はスタッフが大幅に入れ替わる季節です。これまで息の合っていた支援のタイミングがずれたり、支援の意図そのものが伝わっていなかったりしやすい時期です。当然、子どもたちも違和感から様々なサインを出すことになります。この場合、子どもたちの新参者に対する洗礼(おちょくり)と通常は見えやすいのですが、実は子どもの側も心配になったり、不安になったりしていることが多いです。表現レパートリーが乏しいので、笑っているように見えて、からかわれていると大人は判断するのですが、不安で笑っていることもあるのです。その証拠に支援の揺がない子どもはそんなに笑ったり泣いたりせず淡々としている人が多いです。
最近、表出のコミュニケーションの伸びが素晴らしいN君ですが、新しいスタッフに変わって挑発行動が絶えません。スケジュールへ向かう身体プロンプトをされては大声を出し、物を投げては大声を出したりカードを投げ飛ばしたりして笑っています。こんな時むきにならずに、慣れているスタッフに変わって距離を開ければいいと申し合わせています。新人スタッフは子どもとの距離が縮まりやすいです。それは通常は、熱心にフォローしようとする表れなのですが、子どもの側からすると刺激や変化が強すぎることがあります。新入生ではないのですから子どもはルーティンワークは分かっています。だとすれば不適切行動の原因は新人スタッフの存在が考えられます。別に嫌っているわけではないのですが、いきなり距離を詰めると子どもが不安になることがあると考えればいいのです。
また、子どもの不適切な行動があったとき、何も気づかなかったようにスルーする場合がありますが、このスルー技術は実はとても高度な支援スキルで、これを使って成功している人を見たことがありません。何故かと言うと間違いなく子どもの行動はさらに激しくバースト(爆発)するからです。通常の場合、この爆発に耐えきれる支援環境ではないからです。周囲に多くの人がいて結局誰かが反応してしまうので、不適切行動の利得は必ずゲットできるからです。行動が爆発してから応じていたのではどんどん行動はエスカレートするばかりです。
すてっぷでは、スルーは効果なしとして代替強化をすることにしています。いわゆるやり直しです。正しい方法で要求するようにやり直しをしてもらいます。それが通用しない場合は、良いアイデアが浮かぶまでは先取りして不適切行動が出る状況を回避することにします。無視をして子どもと我慢比べをしたり、マウンティング(強圧的に従わせる=行動の弱化)をしてもよいことは何もないと説明しています。
こうしたことを的確に伝える職員への研修が重要です。実践系の研修は現場から離れて話を聞くようなOff -JTはほとんど効果がありません。実践しながらその経験に基づき細切れに立ち位置や声のかけ方のコツを学ぶ研修方法(コーチング)が大事だと思います。現場を離れて体型的に理論を学ぶのは、ある程度自分の中で問題意識が整理されてから自己啓発的に自発的に学ぶのが効果的だと思います。このブログはそのきっかけになればと思って書いています。
紙おむつトイレ
外出中の便漏らしは本人もつらいものです。周囲の人も何とかできないかといろいろ解決策を考えるのですが、回数が少ないのでトライする機会に恵まれません。できそうなことは便意を伝えるルールを訓練する事くらいです。そして、急に便意が起こる緊急の場合に限って外出時であったり、周囲にトイレは存在しないというのが緊急時あるあるです。
幼少期に紙おむつに便をすることからトイレで排便することにうまく移行できない人が少なからずいて、強固にこだわって青年期まで引きずってしまう人がいます。これには二つの課題があります。一つは、便は紙おむつにすると言う誤解です。もう一つは、便器の空間の中に排泄するという感覚の問題です。紙おむつではなく、便器にという認知の誤りは視覚的にも示すことができるので理解は得やすいのですが、便器で座っておなかに力を入れるという感覚は伝えられません。しかもおしっこのように視覚で確認ができないので、排泄場面の認識が困難です。
筆者が関わった成功例はたったひとつですが紹介します。シャワートイレでのシャワー刺激による便意引き出し支援です。高校3年生のASDで療育手帳は程度Aの方で、排泄は紙おむつの中でするという方でした。毎日昼食後に少し運動や作業をしてからシャワートイレで温水シャワーを出しながらタイマーで3分間座ってもらうスケジュール設定を担当者にお願いしました。今では便意を引き出すマッサージ機能のついたシャワートイレは当たり前ですが、当時はまだそんな機能はなかったので、ただ温水を当てるだけでした。
1か月もしないうちに担当の方が「成功です!」と教えてくれました。温水シャワーで気持ちよくトイレには3分間座ってくれたそうです。その時に後処理は紙で拭くことも教えられました。ある日、思わず便が出たそうです。トイレの中に浮かぶ排泄物を見て、彼は一度に全てのことを理解したみたいですと担当の方は報告してくれました。出すものを出せば紙おむつに排泄する必要はなくなり、毎日トイレに座る中で便器での排泄の経験も増え卒業時には完全に自立されたと聞きます。
20年程前の話ですが参考になればと思います。トイレ問題は結構困っている方がおられるのですが問題が問題なだけに話にあげにくいこともあるようです。他にも様々な方法や工夫があると思いますので、よろしければこのHPでトイレアイデアを集約させていただきますので下記アドレスまでご一報ください。
佐々木正美エール
西陣麦酒は自閉症の人たちの事業所NPO法人HEROESのビール醸造所です。このビール醸造所は、自閉症の支援プロジェクト「西陣麦酒計画」から誕生しました。そのプロジェクトを応援してくれた佐々木正美先生への感謝のエールをこめて、この春、限定醸造の「MASAMI ALE」が発売開始され我が家にも先週届きました。
佐々木先生の公演の受講料によってプロジェクトは資金が集まり、自閉症の人も働く西陣麦酒は生まれました。そして、今回はその成功のきっかけとなってくれた佐々木先生への感謝を込めて、その名前を由来とした「MASAMI ALE」が限定醸造されたのです。
MASAMI ALEは、ドイツ産ホップによるほのかなオレンジの香り、そしてはちみつの香りが特徴的なウィートIPA。味わいはとろりとしたマウスフィールに、しっかりとした苦味のあるビールに仕上がっています。
佐々木先生の自閉症論も子育て論もその神髄は「思いやりの心」です。子どもが我々に合わせるのでなく、まず、我々がが子どもに合わせるという思いやりです。「子どもが異常行動(不適切行動)を起こすのは確実に私たちのせいです」と佐々木先生は言い切ります。「発達障害は治らないけれども、私たちが彼らの文化に合わせて環境を用意すれば、必ず彼らは応えてくれえます」とも言い切ります。
MASAMI ALEを味わいながら佐々木先生の言葉を聞いていると本当に優しい気持ちになって、明日からも頑張ろうと思えてくるから不思議です。故佐々木先生の公演はMASAMI ALEとセットで販売しています。たぶん、もう売り切れているでしょうけど、DVDはすてっぷに常備しているので見ることができます。(見たい方は、ご連絡ください)
そして、この3月、ジャパン・グレートビア・アワーズ2021において、ジューシーまたはヘイジー・ストロング・ペールエール ボトル・缶部門にて「MASAMI ALE」が銀賞を受賞したそうです。おめでとうございます。
西陣麦酒 Nishijin BEER https://bakushu.base.shop/
ひいき目
この頃の気温は5月並みで昼間なんか暑くて半袖でいい感じです。Mちゃんを車いすにのせて公園に連れて行きました。たくさんの子どもが遊びに来ていて、Mちゃんも嬉しくて歩き出して、滑り台やブランコで遊びました。しばらくすると、Mちゃん自分の車いすのハンドルにぶら下がった水筒を触って揺らしたと言います。スタッフは、多分喉が渇いたという意味なんだと解釈して、水筒をもって「お茶飲みますか」と勧めたと言います。すると、Mちゃんは車いすに座って水筒のお茶を飲ましてくれるのを待っていたそうです。Mちゃんすごーいというエピソードでした。
Mちゃんは、まだ欲しいものとカードを交換するPECSのフェーズ1にも至らずVOCAのボタンの因果関係もわからなくてスタッフが頭を悩ませている子です。そのMちゃんが水筒という具体物をスタッフに(触って)示してお茶をくれと要求ができたのだということは、自発的な表出コミュニケーションがあったということです。でも、他のスタッフは、「ひいき目」の報告じゃないのかなと思っています。なんとなく触った水筒を見て「ああ喉が渇いたのか」と理解するのはスタッフの自然な感情です。子どもは乳児からこういうやり取りでコミュニケーションを学ぶのは事実です。
ただ、コミュニケーションは振りであれ、言葉であれ、絵カードであれ、意図的に人に向けてするものです。離れているスタッフを意識して水筒に触れたかどうかは分からないです。しかし、お茶をスタッフが持つと、お茶を飲む体制になろうと車いすに座ったというのは理解のコミュニケーションの力を感じさせます。これを手掛かりにして双方向のコミュニケーションが成立する方法を考えていきたいと思います。ただ考えてばっかりで、「ボタンキラキラBOX1号機」も未だに完成していません。
坂あがり?
L君に「今日は、先生と一緒に鉄棒しなかったの?」と聞くと「へ?何のこと?」とL君。「公園で先生が逆上がりしようかって言ってくれたのに、嫌って断ったんでしょ?」「え?さかあがりって、公園の坂を走って上がれってことやろ?それはつまらんから嫌やって言ったよ」「いやいや、違うがな・・・」L君は聞き違えがものすごく多いのです。
語彙が少なくて聞き違えることもありますが、語彙が少なくてもその場の状況で大意は解釈できるものです。この場面ならおそらくこの事を言っているのだなという推測をするからです。ところがASDの人や状況理解の苦手な人は字句通り聞き取って自分の知っている語彙に当てはめようとします。そして、誤解したままで応答したり行動するので「なんでやねん問題」は大人だけでなく友達とも多発します。
L君はスタッフが公園の中の築山の「坂あがり(あがりは関西では「上がりなさい」の意)」との命令を断ったわけですが、「逆上がり」の言葉も知らないわけではなかったのです。でも、この公園の鉄棒で遊んだことがなく、築山には何度か上ったことがあるのでこの反応になったわけです。この話をスタッフにすると他にもいろいろ聞き違いや誤解が多いことが報告されました。本人も「僕耳が悪いねん」と言い、困り感はあるようです。この問題をどう解決してくかは、まず本人自身に耳が悪いのではなく誤解が多いから、なんか変かなと感じたら(感じないかも・・・)「それってどういう意味?」と聞き直すトレーニングを提案しようかなと思います。
好きなものがない?
K君が朝から「食欲ないねん」と言います。昨日も「おなかすかへん」とお弁当に少ししか手を付けないまま一日を過ごしました。聞くと「これから行く習い事が憂鬱だから」だと言います。でも、昨日はその言動のおかげでスタッフ全員から「大丈夫か」「どっか悪いんちゃうか」「そろそろ食べられるか」などと結構注目を集めることができました。
もしかして、K君何か行き詰っている?疑惑が会議で持ち上がりました。K君は高学年にも受けがよく低学年や障害の重い人にも優しい子どもです。でも、K君には好きなことがあまりないのです。体を動かすことや、特定のアニメは好きですが、高学年ではやっているインスタでのカメラ撮影やサッカーや戦国話は興味がありません。かといって低学年の遊具遊びやゲームはもう飽きています。でも、彼が好きなものがなかなか見つからないのです。
何か好きなものを探さないといかんなという話はスタッフ間ではされているのですが、なかなか見つからない中での、今回の出来事でした。
中学生の支援ニーズ
すてっぷでは、地域の小学校在籍の子どもについては6年生で卒業にしています。そして、同じ法人経営の新しくできた療育中心のじゃんぷをおすすめしています。中学生の中心課題は学習です。もちろん自主的な遊びやスポーツも大事ですが学習を生活の軸にしていく感覚が重要です。平均的な学力がついているかいないかは本人が一番自覚しています。学習がうまくいっていないのに他の活動に向き合えるわけがありません。
じゃんぷの通所条件には保護者の意向よりも、本人自身が変わりたいと宣言することを大事にしています。人に言われて勉強したり療育を受動的に受けても子どもは変わらないからです。意欲がなければこの時期からの学力は身に付きませんし、読み書き障害などの学習障害を抱えているならば、まずはその特性の理解と支援の享受が必要となるので、自己決定はとても重要です。
もちろん、最初から何もかもと言うのは無理でしょうから、まずは一人で通所する決意をして、休まずに遅れずに通所できるかどうかを見ます。西向日駅から5分とはいえ中学のクラブが終わってから自転車や電車で通うのですから、それなりの自覚が求められます。自分の力で週2~3回通えるなら、自ずと自己認知の力は伸びていくし成果も目に見えるので持続的な通所は可能になってきます。小学校低学年は保護者に送ってもらうしかありませんが、高学年以上なら自分の意志で通う力はとても大事です。
学びの支援を自ら受けるという行動が定着してきたなら、中学生らしい自主的な取り組みを企画・実行していく流れにもなってくると思います。中学生の支援ニーズは特性に応じた学習です。しかし、学習より何より重要なのは良き自分でありたいと願うエネルギーです。このニーズを大事にしていくのがじゃんぷの支援コンセプトです。
ゲルマニウムラジオ
アマチュア無線士になりたいK君に良い教材だなと思って、ゲルマニウムラジオのキットを使って製作しました。ゲルマニウムラジオの部品はエナメル線12mとバリアブルコンデンサー、ゲルマニウムダイオードとセラミックイヤホンの4つの部品で作れます。
製作の肝は、トイレットペーパーの芯にエナメル線の巻き付けと、はじめてのはんだ付けです。どちらも不器用なK君には手ごわくエナメル線はもつれるわはんだは山ほど使うわでしたが、5分間集中少年のはずのK君が完成するまでの90分間集中して取り組めたのはすごいことです。
もちろん、話はよく聞いてくれないのでYOUTUBEのゲルマニウムラジオ作成の3分動画を与えて「何度も見ながら作っていいよ」と指示しました。すると動画を巻き戻したり早送りして何度も見て完成させました。いちいち口をはさんだり手出しするより自分から調べる動画は有効でした。
アースを事務所の窓枠につなぎ、アンテナを4mほど箱に巻き付けると、「電池もないのに、NHKとKBSが聞こえた!」と大喜びです。高学年は見えないものに価値を見出す時期です。電波という見えない存在も彼らの力を引き出す役割を果たします。
大声の件
大声の件はこのブログで何度か(大声の原因 01/06)(うるさい 2020/11/27) 取り上げてきています。今回も、PECSのフェイズ3BができるようになってきているJ君ですが、何かの拍子で大きな声で奇声を上げるのがPECS獲得後も変わらず、何故だろうと職員の疑問に上がりました。
何か要求があれば、J君は絵カードを職員に渡してくるので、あの奇声は要求ではなく癖なんだろうかとか、職員をおちょくりたいのではなかろうかとの推測がされています。癖と言うなら人がいなくてもするでしょうが、無人の時や何か自分が好きなことで取組んでいる時はありません。
おちょくるというのは、対象者が困ることを楽しむというものですが、特定の方に向けているという感じではないです。最初は、スタッフの新人が多い時に奇声が多いと思ったのですが、ベテランがいても同じような感じです。よく観察すると、彼が奇声を上げるとベテランさんはスルーして無視をしているのですが、パートさんは彼が奇声を上げるとたまらず彼に「大きな声やな」等と反応しているのです。そうなると、回数が増える感じです。
これは推測ですが、要するに暇なので遊んでほしいというサインではないかということです。声がどんどん大きくなるのは、たまーにヒットするパチンコ理論と同じで、無視すればするほどたまーに反応があると行動がバースト(爆発)するのではないかという理屈です。
この仮説の下に明日から3週間、奇声にはエラー修正で取り組むことにしました。奇声が出たらやりなおしで「遊ぼう」絵カードをもってきて彼の大好きな真似遊びをして最後PECSブックで何が欲しいか聞くことにします。さて、理解してもらえるでしょうか。ベースライン(現在の奇声回数)を調べてから取り組みます。
俺の得点をあげるよ
低学年のG君がストラックアウト・ゲームで得点が取れなかくてしょげていたので、高学年のH君が「俺の得点をあげるよ」と言ったそうです。当然、G君はふてくされたままですが、H君は良いことをしてあげたとスタッフに報告に来たそうです。
ストラックアウトゲームは自分で投げて思い通りの高得点が取れるのが嬉しいのです。人が取った得点をもらっても嬉しくもなんともないのです。そんな時はドンマイと励まし投球のコツを優しく教えてあげることです。H君がG君を励ましたいのは良くわかりますが、得点をあげる発言は日常生活の場面ならちょっとしたもめ事が起こる可能性があります。
もしも、G君が「そんなもんいらんわ!」と正直に言ったなら、善意の人H君のプライドはズタズタです。「いらんとはなんや!優しくしてやったのに!」とH君の大声制圧と威嚇が始まるでしょう。周りで見ていた子どもたちは「低学年に大声出すなんて、しょぼいなHの奴」と言いふらされて事態はどんどんH君の思いと反対側に進みます。
ちょっとした相手の感情が読めないばかりに、善意が悪意に変わってしまうのは活発系(ADHD系)のASDの子どもたちに良く起こる出来事です。私たちの事業所では、こうした行き違いをひとつづつ毎日の振り返りでH君らに説明をしていきます。SSTトレーニングと簡単に言うけどそう簡単ではありません。
電動車いす
Fさんの電動車いすの操作が上手になってきたとスタッフから報告がありました。外出時の走行も、狭い事業所の室内も上手に移動しています。「こんなに便利ならもっと早くから購入すればよかった」と保護者の方も言われます。
かつて米国の小学校を訪問した時、車いすの児童が廊下を疾走していて女の先生が「HEY BOY! SLOW DOWN!」 と遠くから叫んでいたのが印象的でした。車いすの子どもは、手先しか動かない筋ジスの5年生でした。もう10年も前の話です。
日本の学校で電動車いすはほとんど見ません。特別支援学校ですら限られた子どもしか使っていません。移動の自由とは自尊感情と大きくかかわっています。一人で移動ができる事、一人で意思が伝えられる事の二つは特に重要です。
手漕ぎが難しくなると予測できようができまいが低学年から電動車いすを導入し、手漕ぎを選ぶか電動車いすを選ぶかはTPOで本人が選ぶのが望ましいです。歩ける人が自転車や車を選ぶのと同じように考えればいいのです。日本の障害者支援に決定的に足りないことは、支援テクノロジーを幼少から享受させる経験だと思います。「~だからできない」ではなく、「~があればできる」というポジティブな思考パターンを育てることは誰にでも大事だと思います。
写真の良し悪し
最近小学生高学年の間でインスタに植物や風景をアップするのが流行っています。D君はいいねをたくさんもらえて、僕はカメラマンになりたいと言って毎日何枚も外で撮った写真をスタッフに見せてくれます。それを見ていた3年生のE君もiPadを持ち出して風景を撮り始めましたが、彼は撮った写真よりエフェクトをかける方がおもしろくて写真の題材やアングルには全く興味がありません。
スタッフが「D君の写真見てごらん。いい写真と思わない?」と着目させようとしても、「そんなこと言ったって、僕には写真の面白さはわからへん。興味ないもん。いいなぁD君は褒められて」とふてくされます。「写真の良さは感じるもので低学年には説明のしようがないので困りました」とスタッフは言います。高学年は様々な価値に気づき、自分なりの価値を作り上げていきます。低学年にはわからない世界観です。なので、E君のいう事は無理もないのです。
それでも、ちょっとくらい良さがわからんかなとスタッフは言います。でも、E君の動機はスタッフに褒められたいことですから、とりあえずはE君に手あたり次第写真を撮らせ、まぐれでも良いものがあれば「エクセレント!」「ここが素晴らしい!」と撮った写真を褒めてあげることが大事なのだと思います。
ボタンわんこ2号機
VOCAで行き詰っています。実は前回書いた(VOCAセットできました! 2020/11/03)記事では、ボタンを押すと声が出るという因果関係をいきなり理解するのは難しいから、ボタンを押せば変化が起こることを理解してもらおうと「ボタンわんこ1号機」を作ったのです。でも、「ボタンわんこ1号機」はボタンを押し続けないとわんこが動き続けないので全く興味を示さず失敗しました。
今回はその反省のもとに、リレースイッチをつけてボタンを押せば5~6秒わんこが動く「ボタンわんこ2号機」を開発しました。これはボタンを押すだけでスイッチが入りっぱなしになる自己保持リレーと一定時間がきたら回路を閉じるタイマーリレーの二つを組みあわせたものです。この組み合わせのリレーは「Akozon 時間遅延リレー DC 12V 1〜10秒 タイマーモジュール 遅延コントローラボード 可変タイマー スイッチ」というリレースイッチ名でAMAZONに1種類だけ売っていました。1個1000円とわんこの2/3の価格でしたが他に選択肢がないので購入しました。
さて満を持して開発した「ボタンわんこ2号機」でしたがこれもみごとに撃沈されました。Cちゃんは手が動かせるので、ボタンくらい押せるだろうと高をくくっていたのですがうまくいきません。机の上にあるものは全て床に落とすもの、線状のものは口に入れるという習慣がどうしても邪魔をします。ボタンを机の上にのせると払い落すし、わんこのリモコンコードが見えると口に持っていき噛んで離さないのです。
ボタンは強力両面テープでテーブルに固定し、リモコンケーブルーは手に届くところでは見えないようにカバーしておけば何とかなりますが、わんこの動きを見ようともしないのが何故だかわかりません。周りに大人がいすぎて大人の反応の方が面白いのかもしれません。工夫は続けていきますが固定器にしろカバーにしろマイナーバージョンアップなので成功するかどうか微妙な雲行です。
今後は、「ボタンキラキラBOX1号機」を開発しようと考えています。ボタンを押せばLEDイルミネーションが5~6秒チカチカ光るボタンシステムです。開発費ばかりかかって、なかなかヒットしない。次第にスタッフの視線が冷たくなるのを背中で感じていた。心苦しかった。だが、
「誰もやらないなら、オレがやる・・・」
プロジェクトXの気持ちです。
テンパる
ゲームをしようとB君にトランプを見せたとたんに、机の上のカードを振り払いげらげら笑いだし、最近なかった脱走モードになり、家に帰るまでずっと興奮していました。どうやらB君にはトランプゲームで嫌な経験があり、しかし「嫌だ」とは言えずテンパったみたいです。「テンパった」とはよく使う言葉ですが、少しだけトリビアを披露します。
語源は、麻雀です。あと一つの牌が入れば上がれる状態になることを「テンパイ(聴牌)」といい、「テンパイ」に動詞化する接尾語「る」が付いた語が「テンパる」です。そこで、準備が整った状態、余裕を持って対応できる状態を「テンパる」というようになり、物事が成就する直前の状態にあることを表すようになりました。
しかし、「直前の状態」「ぎりぎりの状態」という部分的な意味から、テンパるは「切羽詰まる」「余裕がなくなる」といった悪い意味に転じて使われるようになりました。最近は麻雀するひと少なくなってきたから知らない人も多いと思いますが、昔は麻雀が社交の一つだったのでこんな言葉ができたわけです。
さて、B君には申し訳ないことをしたのですが、ここで彼に「わからんけどまぁ付き合うかぁ」という寛容の気持ちを育てるか、「嫌です、僕はやりたくありません」というコミュニケーションの力をつけるか、どちらを選択するべきでしょう。経験上、前者を求める大人は予想以上に多いのです。寛容の気持ちなんてどうやって教えるのか私は知りませんがそう考える人は少なくありません。
専門家なら後者を選びます。ただ、気になるのは「嫌」だけを教える人も大勢いるのですがそれは間違いです。嫌を教えるには交渉も同時に教える必要があります。結局、ピラミッドアプローチのPECSのフェーズ2の時期に学ぶべきことが課題となるのです。マニュアルを読み返してみたいと思います。分厚いマニュアルを読んでテンパる人も大勢いるようですが、講習を受けた後、一緒に学びませんか?「京都ぺクスサークル」がありますよ。
利用回数
すてっぷには利用回数が週5回の子どもから月2回利用の子どもまでいます。A君は月2回です。そのA君について支援計画の議論をしました。支援計画ですからトータルに社会性やコミュニケーションや生活自立について考えていきます。半年間で12回来ているのですからその所感を述べることはできます。しかし、目標を持ったり、支援方針を立てることはできても月2回では効果の可否はわからないです。
A君は他にもすてっぷよりもたくさん放デイを利用しているので、もしも行動がスムースになったりコミュニケーション力が伸びたりしたなら、それは他の放デイの支援や学校での指導の結果です。逆に、何か停滞したり後退するような事があってもすてっぷの責任ではありません。放デイの支援が届く利用回数は人によって違いますが、週2回以上ならある程度手ごたえは感じます。
それでも週1回や月2回を受けているのは、子どもの見方を保護者に伝える事ができるからです。むしろ定点観察の方が子どもの成長や課題がしっかり見える事さえあります。子どもの様子から、今後の課題やすてっぷではできないけど家庭やそのほかの場所でできる支援方法の提案もその後の評価もお伝えすることができるからです。でも、できればじっくり向かい合って支援したいとは思いますし、これって本当は相談支援事業所の役割だと思います。
見えない障害
低学年のZ君の保護者の方がじゃんぷに入れてほしいとお話がありました。聞くと、読み書きにものすごく苦労しているという事です。他の子どもが10分で済ませてしまう宿題を毎日1時間以上泣きながらやっているというのです。就学前検診を通過した子どもでも1年たつと読み書きの問題が顕在化して、「僕はがんばってもできない」とどんどん自尊感情が落ちていき、中学年以降学習性無力感に陥る子がいます。読み書き障害は精密に見ないと就学前での発見がむつかしい子もいるのです。記憶力の良い子は高校英語でやっと顕在化する人もいます。
行政や相談事業所に話に行ったら、そういうものを障害と言うのかと訝しがられます。ただの学習の遅れではないのかと言う認識が未だにあります。学習障害の一つである「発達性読み書き障害」の出現率は日本では8%です。他の発達障害との併存の場合もあってADHDやASDがあれば行動が目立ってフォローもされやすいのですが、併存障害がなければ集団行動もできるので見逃されやすく、見えない障害と言われて一般にははほとんど認知されていません。
国際ディスレクシア協会の定義では、「Dyslexia は、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。宇野訳)」 と、記述されています。
これを解決するには正確なアセスメントに基づく訓練的支援が必要ですが我が国ではほとんど広がっていません。大手の放デイでいち早く取り組んだのはLITALICOです。この障害への支援は都市部では広がっていますが地方に行くと行政官ですら知らないことが多いです。それは勉強なんだから学校の仕事でしょと勘違いをされている方も多いと聞きます。肢体不自由は運動の障害ですがこれが体育教科指導でどうにもならないように、発達性読み書き障害も国語教科指導ではどうにもならないのです。見える障害は理解しやすいのですが、見えない障害は理解しにくいですから、塾に行くか家庭教師をつければいいと誤解している方は少なくありません。
通級指導の先生や児童精神科医の先生はこのことについてはよくご存じですから、行政や相談事業所の対応に保護者の方の口添えをされていると思います。乙訓には一学年1300人ほどいますからその8%は100名です。行動問題の併存しない人はその半分と考えても50名です。乙訓の義務制学校に最低450名の併存障害のない静かな見えない障害、発達性読み書き障害の子どもが「僕は勉強ができない」と苦しんでいることになります。教育では特別支援教育が、福祉では療育支援が、医療では発達障害医療が必要な子どもたちです。
プログラムの目的
Y君たちは公園でゲームもしますが、鬼ごっこ、かくれんぼなどは、なかなかその面白さを感じることができません。でも体格はいいので力はありあまっています。そこで西山に登りに行くかと山道歩きを提供しています。でも、ただ歩くだけではそれこそ面白さがありません。休憩でおやつは食べますがそれだけでは物足りないので何か彼らが面白いなぁと思うものを山歩きの先に用意したいのです。それが、バーナーとコッフェルでお湯を沸かしてラーメンを作るというイベントなのです。
ただ、食べるのではなく、食べ物が仕上がっていく過程に面白さがあります。単純なことですがこうした工夫が大事だと思います。ただ歩けばいいのではなく、いかに楽しみを持ってもらいながら歩くかを演出する。そういうことをいつも考えながら、プログラムは作ります。固有感覚のニーズの高いZ君にはみんなの道具や水をリュックに入れて少し重みを感じてもらいながら折り返し点まで歩きます。ここで、自分のリュックの中から調理道具が出てくるのと、そうでないのとではZ君の動機の持ち方は違うはずです。最初は意味が分からなくても、だんだん本人もみんなも意味が分かってきます。単に石をリュックに入れても固有覚は刺激するでしょうがそれでは意味も動機も永遠に作れません。
言葉の通じにくい子どもたちにどのように動機を持ってもらいながら活動を共有しあうかということを抜きにしてプログラムはありません。子どもの体を鍛えたいからとジム付きの放デイを作ればそれでいいわけではありません。活動する動機を考え自発性を引き出す活動が大事だと考えています。それを子どもたちと一緒に考えて作っていくのが私たちの仕事だと考えています。
他害を考える
ASDの人が、小さな子どもの声がうるさいからと他害に及ぶことは少なくありません。V君がXちゃんや小さな子を叩きに行くからと避けているだけではなく解決の糸口を探るという事(ボール投げ 2020/12/03)を以前書きました。その後も公園でのボール投げや山歩きやそのあとのラーメン調理の共有などを続けて3か月がたちました。
今のところ、Xちゃんに対する他害は見られません。Xちゃんも「お話の声は2の声で」が少しわかるようになり、うるさくしなくなったのも一因かもしれません。しかし、それをすべての子どもに適用することもできません。みんながボール投げや山歩きをV君と共有することはできないからです。Xちゃんならボール投げも分かるしスタッフと3人で遊ぶという指示に従えるからできたのです。
他害が起こらないようにすることは大事だけれど、それが人を切り離すことではない方法を大事にしたいです。わかる活動を共有して共に過ごす時間が作れるなら、それが他害を減らしていく事もあるからです。誰とでもというのは無理ですが、あの人となら一緒に楽しんで過ごせるという経験をどう広げ作っていくのかが課題だと考えています。そして、最も重要なことは他害の殆どが表出コミュニケーションスキルが弱い人に生じ、コミュニケーションスキルを獲得した人の多くは他害がなくなったことです。機能的コミュニケーションこそ行動問題を解決する鍵だと考えています。
毅然とした指導
普段高学年指導をしているスタッフがいないので別のスタッフに変わりました。ところが「U君が声を荒げて外遊びをしないと言うので外での指導をあきらめた」とスタッフが言うので、顛末を聞くと、そのあとは穏やかに過ごしたので問題はないというのです。ここでU君が学んだことはスタッフによっては頑として従わなければ自分の要求が通るということです。
確かに、子どもが従わないからと言って強面で脅したりするのは論外ですが、すてっぷでは障害が重かろうが軽かろうがお互いのニーズが合わない時は子どもと交渉(ギブアンドテイク)をするというのが指導方針です。そして、指導の枠組み(大枠の内容)は崩さないことです。枠組みを失えば戻るところが子どももスタッフもなくなるからです。
すてっぷでは以前中学生を受け入れていて、日課がその子だけ言いなりになっていたので、他の高学年の子どもにも指導がスムースに通らなくなっていました。結局、その中学生が通所しなくなり、枠組みを堅持して交渉を行うというルールを確立する中で徐々に正常化を図ってきました。スタッフは自分で対処ができないなら職員全員を呼んででも枠組みを壊す要求は通さない毅然とした姿勢が必要だと確認しました。
卒業式
今日は向日が丘支援学校の高等部卒業式です。すてっぷにも2人高等部卒業生がいます。昨日はS君が「さようなら」と去っていきました。卒業式後はもう進路先のサービスがはじまるそうです。Tさんは4月からなのでもう少し時間があります。昔は、高等部卒業証書授与式には施設からもお祝いに行けたのですが感染予防のためにそうもいきません。ホームページ上からではありますが、高等部生の皆さんのご卒業をお祝い申し上げます。
今は、福祉が充実してきて、選ばなければ進路先がないということはありません。ただ、その分民間就労での障害者受け入れが弱くなったと感じているのは私だけでしょうか。乙訓地域には三菱・村田・サントリー・オムロン・ダイハツ等と名だたる大企業がありますが、これらの企業やその関連企業に受け入れてもらった支援学校生はいません。
京セラや関電、GSユアサ(ユアサ電池)などは企業内に障害雇用の子会社を作って、社内環境整備や地域貢献の作業に障害者を雇用しています。ダイバーシティー社会実現には障害者も健常者も同じ場所で働くことが大事です。政府も助成金や税制優遇などで企業内子会社の設立を勧めますが、大企業にその気がなければ前には進みません。ぜひとも大企業が結集するこの地にその先鞭を取ってほしいと思います。
支給量
R君の支給量を検討するために相談事業所からケアマネ会議が招集されました。おそらく厚労省上限基準の支給量通達の月23日を超えるからだと思われます。それにしても、乙訓ではいつまでたっても週3日・15日がローカル上限ですが、これには明確な根拠がありません。
厚労省の23日上限基準の通達が2年前に出てからも、隣の京都市では支援学校籍の利用者(保護者)が望めば、ほぼ週6日・月27日の支給量が出されています。乙訓の場合は、いつまでも月15日です。隣り合う自治体で月8日年間96日の差を地域差として放置し続けるのは法の下の平等に抵触しています。
すでに2003年の本制度スタートから放デイもたくさんできて、放デイが少なかった当時と同じ基準で考える必要性はなくなっています。京都市ほどにとは思いませんが、週5日・月23日までは利用者が望めば支給するようにすべきです。また、相談支援事業所は、民間事業所の許認可権が行政にあるからと行政に忖度をして、利用を抑制するような助言は厳に慎むべきです。相談支援事業者は利用者の代弁者なのですから、利用者の支援ニーズを行政に伝えきる任務を果たさなくてはなりません。
早い?遅い?
スタッフからP君の歩く速度がみんなよりとても遅くて困っているという話がありました。「もう他の子どもや、みんながずっと前を歩いているのに全然追いかけようとしないんです」というので、「P君に遅れているという意識があると思いますか」と問い返すと、「???」でした。ASDの子どももそれぞれぞれなので必ずという事ではないですが、言葉が通じにくい人たちに「もっと早く」とか「もっとゆっくり」とかを伝えるのはとても難しいです。
普通は周囲より遅れているので自分は遅いと感じたり、周囲より先を行っているので早いと感じるものです。もしも、この周囲の存在があまり気にならないなら、その人にとっては早いも遅いもないのです。P君は遅いなぁと思うのはP君と自分を比べる視点のある人の認識です。だって、P君はゆっくり山道を歩いていますが、ニコニコして快適そうに歩いていて、先を行く皆に待って欲しいなどとは思っていないようです。そもそも皆が見えていない感じです。
そんなわけで、P君は時々迷子になりやすいのでスタッフが付くことにしていますが、スタッフが新しいので自分もよく知らない場所なので不安になったのだと思います。さて、どうしたものでしょうか。早くとか遅くとか教えられるものでしょうか?「Qスタッフと一緒に歩けばご褒美があります」というご褒美制でうまくいくでしょうか?なんとなく、うまくいきそうな気がしません。うまくいったらまた報告します。
インスタグラム
小学生の子どもたちに何か社会的な励みになる取組はないかなと考えていました。「インスタで写真を投稿させればどうだろう」「ハートマークやイイネが付けば写真に興味持たないかな」と話し合いました。アカウントは事業所のアカウントなら管理もできるからと取り組み始めました。
スタッフの私物のちょっと高級なデジカメを子どもたちに見せて、「これで写真撮ってくれないかな」と問いかけてみました。そしたらN君が「俺やる」と手を上げました。今までアート系とは一番遠いかなと思っていたN君の立候補は意外でした。
N君の「森みたい」と言って撮った樹木のインスタ投稿にハートが二つ三つとついていきました。実は、スタッフの桜もいるのですがそれ以外からもついています。それを見たOさんも俄然張り切って撮影を始めました。今日は「雨の日のお花」のアップでした。ハートがいくつつくのかどきどきして待っています。
不適切な行動とやらされ感
M君がスタッフを叩いたと報告を受けました。ところがスタッフは叩かれることに身に覚えがないというのです。M君は感情を貯めるタイプで、その場にいても原因がわからない他害があります。以前は、やらされ感が強かったのではという後に出ています。どこかで、納得がいかない関係性がありストレスをためていたのだと思います。これは前回(指示待ちとカタトニア: 02/25)でも触れています。
子どもがしんどくなる時はどんな時か考えてみると、意味が分からないのにやらされる時です。やりたくないとは表現できず、自分を抑えて従ってしまった時です。言葉の喋れる人は、家族や友人に「今日こんな理不尽なことがあった」と人に聞いてもらって気持ちを整理しようとします。それがない人は、自分で余暇時間を管理して好きなことや運動に没頭してストレスを発散しようとします。その両方がない人は貯めこむしかないのです。
言葉でのコミュニケーションが苦手な人や、好きなことや余暇の自由がない人は、本人にしてみれば理不尽なことがあってもそれを解消する方法を持っていません。したがって、その気持ちを外に爆発させるか、内部に向かわせるしかありません。他害や自傷、強い指示待ちのある人には、そんな感情のマグマが適切に処理できていないと考えます。もちろん、コミュニケーショントレーニングや感情表出の練習はしますが、全ての支援者が足並みをそろえ、長い時間が必要です。
それでも、苦手なものは苦手ですから、こういうことで苦しんでいる人たちのルーティンを安易に崩したり、構造化支援は面倒だからとさぼったりして、「そんなことしなくてもできるでしょ」とやらせてしまうと、本人の苦痛を強め感情のマグマを蓄積させます。遅延する不適切な行動は、させる大人とやらされ感の強い(拒否できずにやってしまう)子どもの関係性の結果の行動だと考えようとスタッフで話し合いました。
勘と支援タイミング
LちゃんになかなかVOCA(VoiceOutputCommunicationAid=音声出力伝達道具)が定着しないばかりか拒否られてしまうとの報告がありました。Lちゃんは机の上のものを何でも跳ね飛ばしてしまうので絵カードコミュニケーションよりボタンプッシュで「欲しい!」「食べたい!」「助けて!」を発声するVOCAでおやつの時間にトレーニングしています。
後ろから身体プロンプトでボタンを押しておやつがもらえるというトレーニングを続けてきているのですが成果がないばかりか、最近はプロンプトしようとしても体をこわばらせて腕を押させまいとしているというのです。「それって、拒否のサインだよね」「Lちゃん嫌な時は体を硬直させて動こうとしないよね」とボタン押し行動が要求行動になってないことを話し合いました。
職員は良かれと思って、なんでもかんでも、おなかが減っていようがいまいが腕をプロンプトしてボタン押し行動をさせることもあったようです。一番大好きなものを少しだけ与えて、少しじらしたり、Lちゃんの表情が変わるまで待ったりしていないので、欲しくない時にもボタン押し行動があったのかもしれないという話になりました。コミュニケーション手段を獲得していない子どもの表情はわずかにしか反応がないことも少なくないです。そのわずかな反応を察知してプロンプトで行動を導くには勘が大事です。エビデンス重視の話をずっとしながら矛盾するようですが、支援者の勘が支援のタイミングを作るのは間違いないです。
友達がほしい
I君が砂場でJ君とKさんで作ったものを壊すとKさんが訴えてきました。スタッフがI君に理由を問いただすと「壊すのが好きだから」といいます。スタッフはJ君もKさんも、I君にこれまで遊びやゲームを優しく教えてくれて、I君もそれを楽しみにして来ていたのだから、このI君の言う理由は奇妙だと言います。
実はその前の様子を複数のスタッフに聞いてみると、K君が来た時J君が他の子どもとタブレットゲームで遊んでいて、K君は一人でつまらなそうだったというのです。その後K君はやることがなくて教材室に入っていますが、本当はJ君と遊びたかったはずです。しかし、スタッフに「ここに来ちゃダメ」と注意をされてふてくされた感じだったと言います。
ここで、K君のスイッチが入ったのだと思います。注意されることは他者の注意を引く行動です。本当は友達と遊びたかったのにそれが切り出せずに、不適切な行動で大人の気を引いて注目してもらう。ただ、これでは「なんでそんなことするの」と問い続ける大人の反応だけで友達とは遊べないです。でも彼にしてみればせめてそうしてでも大人の注目は集めたいのでやめられないのかもしれません。そして、その混乱の中で、当初の友達と遊びたい気持ちは失っているかもしれません。
本当に大事なのは、みんなと遊んで楽しかった経験の蓄積です。そして、楽しい経験のきっかけになった友達の誘いや自分から関わって成功した経験の蓄積です。彼はまだその方法もタイミングも知りません。「遊び仲間に入れて欲しい!」そんな彼の強い思いを「壊すのが好きだから」の言葉に感じています。でも、こういうナチュラルな関係性は訓練では作れません。そのきっかけができる時間の長さ、そこに導くタイミングが必要だと思います。
設定遊び
すてっぷでは「設定遊び」と言って、子どもの課題に合わせてゲームや工作に取り組む課題があります。先日のアンケート調査ではこれがマンネリ気味ではないかという結果でした。設定遊びの話をしている際に、G君とHちゃんはストラックアウト以外に缶釣りもあるよとの話が出たのは、マンネリ化はまずいという意識があったからです。ただ、マンネリ化と計画的に設定遊びをするのは全く意味がちがいます。
G君はHちゃんをリードすることを、Hちゃんはルールに従いG君のリードを受け入れることをこのストラックアウトを通して学ぶことを課題としています。この目標にある程度めどがつけば次の課題に取り組んでいくという実践のスタンスが必要です。逆に言えば、子ども一人一人の課題が見えていれば設定遊びにしても個別課題にしてもマンネリ化は起こりません。子どもの課題が見えていれば課題達成までは繰り返す事が必要だし、目標達成しているなら次の課題を与えるからです。当たり前のことですが、療育事業でもある放デイにとっては大事なことです。
不適切行動は蘇る
G君が2階の事務所まで上がってきて、電池の切れたトミカ道路セットのエレベーターを持ってきました。電池を新しく入れてくれという行動もこの1年で定着しました。今までは玩具を投げて表現していたのですが、絵カードでの要求表出=PECSを教える中で人に頼む姿が出てきたのです。電池を入れ替えてあげるとニコニコして帰っていきました。
ところが、しばらく遊んでいるうちに道路セットのパーツを投げたとスタッフがいうのです。おそらく、これまでは誰かが組み立ててくれたのでしょう。しかし、今回は誰も気が付かなかったのと、本人にも道路セットを組み立るのを助けてほしいという表現方法を教えてなかったのです。教えなければ不適切行動は蘇ることを如実に物語る一瞬でした。それくらい物を投げる行動が、未だに彼の生活の中で万能の要求方法だという事もわかります。
この場合の「助けて」カードを作って不適切行動があればエラー修正をすることと、トミカの道路セットが複雑すぎて、このままでは何年たっても自分で完成させることができないので最低限のパーツにして自分でできるように仕向けて行くことをスタッフと打ち合わせました。
指示待ちとカタトニア
外に出かけた時のことです。F君が立ち止まったままで「あっ あっ」と言って、散歩で歩くことを「行こうね」と促してほしそうにします。「いいよ。歩こうね」と促すとほっとしたように歩き出しますが、また何かの拍子で同じことを繰り返します。いわゆる指示待ちの激しいタイプでカタトニア様の症状です。カタトニアについては以前(カタトニア 2020/12/17)に掲載しています。
すてっぷでは子どもでも見てわかる工夫をして、できる限り「促してさせる」(言ってさせる)を避けています。もちろん子ども達は言えばします。「車からカバン下ろしてね」「手を洗ってね」と言えばします。でも、そう言わなくてもするという生活を目指しています。
小さい時は、それがしつけのように思っている大人は多いです。「食べてね」「かたづけます」と言えばする。いうことを子どもが聞いてくれて大人は満足するのです。
けれども、思春期にはこの関係が破綻することが多いです。「今しようと思っていたのに」「言われたくない」。とにかく「言う(指示する)」だけで「悪態を付く」場合もあります。
大人は、それまでの「しつけ」の延長だし、障害があってわからないことが多いから「良かれと思って」とは言いますが、それは「上から目線」でもあり、「自分は信用されてない」が子どもには伝わります。
こうした対応で、爆発するタイプでなければ、子どもの多くは「指示待ち」になります。「促してさせる」は「言われないとしない」となります。大人しいと言われますが、思春期には別の形の行動障害がでることが少なくありません。それが「強固な指示待ち」「自傷」「こだわり」。周囲も扱いが大変になってきます。
怒りの爆発にしても指示待ちにしても、この「促してさせる」「言えばする」を続けていくことは、悪い結果しか生みません。指示待ちの子は「カタトニア(寡動)」=動かなくなる症状が強くなることがあります。
カタトニアは、その昔、緊張病と言われたこともありました。統合失調症の中でカタトニアは語られていたのですが、現在、自閉症の人たちにも青年期に近い症状が出てくる人たちがいることが知られ始め、それもカタトニアと呼ばれるようになりました。
もともとの統合失調症のカタトニアと自閉症のカタトニアの何が同じで何が違うか、実はまだ解明されていません。すべて同じなのか実は違うものなのか、双方の本態そものもが解明されていないのです。
全然動けなくなってしまうこともあります。できていたこともできなくなるし、食べることも何もかも、ほぼ全介助状態になります。しかし、固まってしまうとは限らず、動きはできても自立性は低くなり、究極の指示待ち状態のようになるケースもあります。
自閉症の人で、カタトニア状態になるのは20代ごろに発症する、ということが言われています。しかし個人差があって、十代後半からその状態になる場合もあります。状態には変化があり、まだ動ける状況の時期もあれば、2時間くらい突っ立ってしまうとか、ある動作の途中で固まってしまうこともあります。
そんな人も、子どもの頃は多動であったり活発であったりしていた、という人も比較的多いのです。介助自体は難しくなくとも、できていたことができなくなるのを見るのは、親としては悲しいものです。何をどうしてやったら良いのかわからなくなるのですが、良くなったり悪くなったりするものは、先に書いた躾の問題だけでなく神経学的な病気と考える方がよいと思います。
できていたことができないのは本人もつらく苦しいと思います。本人たちは表情にも表せなくなっていますが。苦しみながら発する言葉には、表面は変化がなくとも内面では辛いのだと思います。発症した後のかかわり方は重要です。無視したりせず、どこで声をかけてほしいかはわかってくるので優しくかかわっていくことだと思います。服薬で劇的に改善する人もいるので医療との連携も重要です。関東のよこはま発達クリニックの動画にカタトニアの理解と簡単な支援方法があったので掲載しておきます。
落ち着いたのは薬のせい?
半年前まではすぐに怒ってぶちぎれていたE君が、薬がうまく合って、ここ3か月以上友達にやさしくするようになったと以前掲載(友達ができる薬?01/07) しました。ただ、いまだに本人は自分が優しくなれたのは薬のせいだと言います。先日もE君がそういうので、「薬のせいじゃない、薬はきっかけを作っているだけで、変わろうとしているのはE君自身だよ」とスタッフは伝えたというのですが、うまく理解している感じがしないと報告していました。
当事者の発達障害理解のためには、子どものための心理学的医学教育が欠かせないと言われて20年近くたちますが、医学とついているせいで医者がやることと思われたり、教育とあるので忙しい医者に教育の暇なんかないから学校ですることと思われていたり、どちらも押し付け合って前に進んでいないのが実情です。結論から言えばその子の関係者みんなでやるのです。月一度しか診察を受けない子なら、その間は、学校や家庭、療育機関の関係者が行うのです。
告知と間違えられている向きもあります。疾病告知は医師にしかできない仕事ですが、心理学的医学教育は告知後の当事者への取組です。治療と言えば治療ですし教育と言えば教育です。大事なことは科学的な根拠に基づいて発達障害の特性や服薬の内容を説明し、定期的にフィードバックを得ていく取組です。もちろん、医療と教育と福祉は連携してお互いの情報を出しあって、自分たちはどこを請け負うのか決めておく必要があります。もちろん重複することもありますが、同じ情報を当事者には提供する必要があります。
衝動的な行動はどういう脳の働きから起こるのか、それは服薬だけでとまるものか、本人の役割は何か、周囲の人の支援は何かということを少しづつ本人に提供し、いずれは減薬しどうしても不安なら頓服程度で済むようにしていく目標を伝える必要があります。医師も親も教員も支援員も心理士もこれらについて連絡しあってどこまで進めるのか決めておく必要があります。これまた、誰が音頭を取るのかでもめるのですが船頭多くして舟山上ることにならないように、通常は医療サイドが音頭を取るのが定石ですが、医療側の動きがないなら、他のサイドから働きかけても子どもにとって不利益がないなら進めていくべきだと思います。
バラエティー言葉
「ざけんなよ」テレビから流れてくる言葉です。バラエティーの場合この言葉の後は大抵笑い声が編集されています。見ている子どもはなんとなく楽しそうで使いたくなります。相手の手抜き行為や失敗に対し「ふざけんな」と叱責する言葉ですが頭の音を省略するのでなんかかっこいい感じがします。
ゲームでDさんが「ざけんなよ~」とやったのですが、スタッフがそういう言葉を友達に投げかけるのはいかがなものかと注意したと言います。おそらく、Dさんは仲間を下げずむ言葉として使ったというより、なんか楽しい気持ちで使った言葉かもしれません。「いけません」とやってしまうとどういう気持ちや意味で使ったかわからないままです。スタッフには、どんな時も「あれ?」と思ったら「なんで」と子どもに聞くことを心がけようと話しています。
周囲のムードや相手の気持ちが読みにくいASDの子どもの場合、言葉を誤解して使ったり、相手や場の反応が読み取れないまま修正できずに大人になっても使う事がよくあります。Dさんも、もともとは乱暴言葉が主訴で通所してきた経過があります。言葉は使わなければ身に付きません。「~はいけません」ではどうしていいかわかりません。「~すればいいよ」と楽しい感情を表現する肯定的な言葉を紹介してあげることが大事なのです。
食事量
6年生のC君が西山から帰ってきて事業所の廊下でぐったりしているので、「おっ、西山行ってきたか!体力ついてきたか!」と声をかけると「全然アカン・・・」と言います。他のスタッフが「ちゃんと食べてるかー?」「朝食ってない・・・」「お母さんが作った朝飯は?」「朝は食べる気がしない」「そらあかんわー」となりました。朝は食べないと、昼までの活動が持つわけないという簡単な理屈が本人に理解されていないのです。それで俺は体力がないと思い込んでいるんのです。
実は、当事者もそうなのですが保護者の方も子どもが大きくなって活動量が増えているのにお弁当箱の大きさが変わらない人がたまにあります。保護者に聞いてみると「子どもが、たくさんいらないっていうから・・・」と言う理由が多いのです。子どもは成長するにつれて体の大きさがそんなに大きくならなくても代謝量が増えるのです。ところが、発達障害の子どもの中に空腹感を食事時間に感じない子どもがいます。よく観察するとおなか減ったと活動中に言っているのですが、時間がたつと忘れているのです。そして、おやつも食べず、帰り際に突然お腹が空いて死にそうだと言い始めるのです。おなかが減ってないわけでなく、空腹感の信号が出るのが鈍いようです。
そんなわけでC君には「朝飯食べられないなら、食べられなかった朝食を持ってくるか、大好きなお菓子にプロテイン(出来ればそこにマルチビタミンミネラルのサプリ)とか、流し込みやすいカロリーメイトゼリーとか栄養剤を公園や山に持っていき運動しながら補給してごらん」と助言することにしています。そして、それ一つではおにぎり1個分=200Kカロリーで6年生の朝飯に必要なカロリーの3分の一も取れてないことも伝えたいと思います。
すてっぷアンケート集約結果
すてっぷアンケート集約結果
令和2年度の放課後等デイサービス「すてっぷ」のアンケート調査の集約ができたのでお知らせします。今後この結果を踏まえて職員一同努力してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
1.表記について
回収率は保護者・従業員とも100%でした。今回は昨年度と比べ、10%以上の増減のあったものに上昇・下降の赤矢印を示しています。(10%以上上昇したものでも7割未満の「はい」評価には上昇矢印をつけていません)
2.保護者アンケートより
●環境・体制整備:設置基準やバリアフリー基準は府の基準を満たしていますが、マンツーマンを必要されている利用者が増えその分職員も増えるので従来よりも狭く感じるものと思われます。利用者のバランスを考えたいと思います。
●適切な支援の提供:昨年比2割減の評価で活動プログラムのマンネリ化が指摘されました。集団ゲームや創作活動、個別課題など新しい教材の開発を進めます。障害のない子どもとの交流がとても少ないという評価でした。毎日のように公園で近隣の小学生と遊んでいることを意識的にお知らせしていきたいと思います。
●保護者への説明等:保護者との意思疎通が1割減でした。送迎時や電話連絡の際に丁寧な対応を心がけようと思います。
●非常時の対応:避難訓練等に取り組んできましたのでおおむね好評を得ています。感染状況をみて保護者の引き取り訓練等にも取り組みたいと思います。
●満足度・その他:通所を楽しみにされているお子様の様子の記述に励まされました。しかし、職員が忘れ物を繰り返す事が複数指摘されており、連絡帳のダブルチェックや帰り際の個人ロッカーの確認等に力を入れていきたいと思います。
3.職員の自己評価より
●職員の自己評価は昨年と比較して努力したと意識している職員が多く、実際の評価割合にも表れています。しかし、職員は努力しているつもりだが、保護者の評価がそれに伴わない今年度の現象については真摯に向き合い、原因と対策を考えていきたいと思います。
●環境・体制整備:子どもと職員が増え活動エリアが手狭になっていることを職員も感じています。利用のバランスや外遊びと中遊びの入れ替えなどを工夫します。
●業務改善:今年度より第3者評価を実施していますが、調査の後だったので周知されませんでした。
●適切な支援の提供:支援計画の作成の際にアセスメントツールを用いて子どもの評価を行い始めました。また、有料発達検査の実施についての保護者了解項目を重要説明事項に加えています。パートの方も含めて支援文書の回議、実践の振り返りや留意すべき点などについて打ち合わせで簡潔に行うようにしています。
●関係機関や保護者との連携:地域のルール(相談事業所が調整)に制約されながらですが学校との連携に力を入れてきました。地域の子どもとの交流については、パートの方は定型の交流会などをイメージされていましたが、毎日の公園でのナチュラルな交流活動を大事にしている事を報告するように心がけます。
●保護者への説明責任:契約内容や保護者に協力してもらう事を丁寧に説明するように心がけています。大声での威嚇等虐待防止への取組や、虐待防止の根幹はコミュニケーション支援にあることを職員間で意思統一してきました。
4.第3者評価について
今年度より、障害のある子どもの支援に詳しい方から第3者評価を得るようにしました。長く口丹波地域で支援学級担任や通級の指導教室担当者を務められている山川様にお願いをしました。最後のページをお読みください。
宿題プリントを考える
放デイに通ってくる子どもたちの多くは学校から宿題を持って帰ってきます。ブログでの宿題ネタは2年間で50タイトル近くありますが、その中で学校にお願いしていることは、個性のある学習特性に合わせた宿題を出してほしい!自学自習になる宿題を出してほしい!自尊感情が高まる宿題を出してほしいということです。3つもあるのかと思われそうですが、(宿題は自学自習 01/15)でも書いているように、同じことを違う側面から言っているに過ぎません。
B君が、「先生助けてください」というので見に行くとクロスワードパズルのプリントです。「こいのぼりをあげる日は?って書いてあるよ」「う~ん春かな夏かなぁ」問題が読めないだけでなく、暗に祝日をさしている意図も読めません。B君には知的な遅れもありますがディスレクシアの問題も抱えている人です。学校では学校でやらせたことを宿題にしているだけだと言われます。五十音が不確かな子どもに、例えこれを学校で一度やったからとしてもできるほうがミラクルです。プリントは低学年の自習用のプリントで良く使うものですが、低学年用といえどもLD用には作られていません。教えたから覚えているだろうという先生の自信はどこから湧いてくるのでしょう。
他にも、ワーキングメモリーが弱い高学年の子どもに、繰上りのある計算問題を低学年用だからと出してくる鈍感さには首をかしげたくなります。その問題が自力で終了できないこと、電卓を使って回答しても電卓の練習にはなるがそれ以上でも以下でもなく、知的な遅れのないC君には屈辱の時間でしかないことが理解できないのだと思います。担任は難しくないものをと「善意」で通常(読み書き障害のない子ども用)の低学年プリントを宿題に転用しますが、読み書きの問題は知的な遅れとは違うのです。知的障害とは質的に違う読み書き障害のことを知ってほしいと切に願います。
障害の状態は一人一人違うのでオーダーメイドがいいですが、支援学級には最高8人の子どもがいますから全てとは思っていません。読み書き障害用のプリントはたくさん市販されているのでその中のチョイスでもかまいません。少々の手助けは必要にしても、基本は一人でできる事が大事なのです。
あの人・・・
「先生、あの人のドリブルうまいな」「あの人、まだおやつ食べてはれへん」「あの人」を連発するA君はここの放デイにきて3年たちますが、友達の名前もスタッフの名前もほとんど覚えていません。「先生」と「あんた」「あの人」で不便を感じなかったからと思います。
実はA君顔と名前がなかなか覚えられないのです。このことは前回(相貌失認 2020/12/19)でも書きましたが、これが友達に中途半端に分かってしまうと「A君とは長い付き合いなのに、まだ僕の名前知らない」という誤解を作ってしまいます。
でも、A君はいっこうに困らないのでこちらから声をかけることにしました。「あの人って、この中の誰の事かな」と玄関に貼ったスタッフ利用者顔写真まで連れて行って聞くようにしています。屋外で「あの人」がでたら、「A君、あの人の名前がわからなければスタッフに聞いてね」というワンセンテンスを入れるようにしています。
声のレベルメータ 了解!
Yちゃんは、声がでかくて音に過敏な先輩たちの頭痛の種です。学校つながりのZちゃんがちょっかいなどを入れてくると、もう「全員避難!」みたいな大声で叫び続けます。お願い勘弁して、スタッフもたまらずYちゃんを連れて室外に誘導します。
でもYちゃんはこの間いろんな事がわかってきて、行先パニックやらヘイトスケジュールやら少なくなっています。きっと声のレベルメータとかも理解できるんじゃないかと、スタッフが教えてみました。このツールは(声のメータ表 2019/06/10)で掲載したものです。
「Yちゃん、お部屋の中では2の声でお願いします」「2の声の人はご褒美です」と示すと、「うん わかった・・・」といきなり小さな声で応えてくれました。まさかこんな簡単に理解してくれるとは思いませんでしたとスタッフ。それでも次の日になると忘れていて、毎回お願いを繰り返すことにはなりますが、先輩たちは少し胸をなでおろしているだろうと思います。
できることを提供しましょう。
X君が弁別課題ができないことと、弁別認知の有無は別の問題だと以前書きました(弁別と教材 02/03)。人は動機がなければ行動しないということを、スタッフがどれほど理解しているかが問題です。つまり、X君は弁別課題ができないのではなく、スタッフが作った課題そのものに込めた意味が分からないのです。「▲を△の型に入れる?そーですか」と、仮にX君が「◆ではないは▲」を理解していても「で、それがどうした?」と思っていると話は前に進みません。
X君は10種類以上あるおもちゃやおやつのカードの貼ってあるBOOKの中から自分の欲しい物のカードを弁別して「探し出して」スタッフに確実に渡してきます。弁別力は十分にあるのです。しかし、スタッフの無味乾燥な課題を「完成させる意味」が分からないのです。通常なら大人に褒めてほしいなど共感を求めて子どもは完成しようとします。共感性の乏しい人でも、型通りの枠型にスパンとはまった快感を得たいと思う子も完成させようとします。
しかし、X君は違うのです。「それがどーした」なのです。だったら、スタッフは同じ事ばかりやるのではなく、X君が「なるほどー」と思うような教材や作業を開発したほうがお互いのためです。プットインに弁別過程があるとプットインの中身が広げられるというのが初めの狙いなのですから、わずか一例の弁別課題ができないから、別のプットインが作れないという事ではないのです。できないことを何度も提供するより、できる中身を考えて「できたー」の気持ちや「グッジョブ」の声掛けの回数が自尊感情を育てる基礎になると思います。
ススメ!電波少年!
W君は「西山に行って第2鉄塔のある最高点まで行こう」などとスタッフがと言うと「俺は体を鍛えるためにここにきてるんと違うんや。パソコンもしたいし本も読みたい。鉄塔却下!」と叫んで外に出ることを好みません。ところが、最近W君は電波チェックにはまったようで、短波ラジオで北朝鮮の放送や北京放送の日本語放送を聞いたり、電離層の反射で遠い海外から飛んでくる短波放送を聞くのを楽しみにしています。
アマチュア無線をやっていたスタッフから、「遠方の局が聞きたいなら妨害電波や高い建造物の影響を受けない高い山頂がいい」と教えてもらったので、嫌いな西山の第2鉄塔に行ってみたのです。アンテナを伸ばしてみると、航空機のエアバンドからも交信がかすかに取れるし、遠方のラジオ局も平地よりクリアに聞こえました。
「もう僕あそこに住む」と言うくらい満足して帰ってきました。今彼はアマチュア無線の丸暗記本を借りて勉強しています。小学生で合格している人は結構います。今はやりのFPV(First Person View:空撮無線映像を見る)ドローンを操縦するには4級アマ免が必要で、そのために多くの小学生が受験しています。電気工学は中学生くらいでないと理解できない内容ですが、4択で24問の丸暗記で対応できるので小学生でも合格できる可能性があるわけです。さて、W君はどうなるでしょうか。進め電波少年!
お山登りまーす!
Vちゃんは、1か月ほど西山に登るのを嫌がっていました。まだ、コミュニケーションスキルが低くて、とにかく大騒ぎをすれば要求は実現するとVちゃんは思っているので、送迎車の前で大泣きをし、登り道でもしばらく大騒ぎでした。しかたがないので、「こんなに嫌がっているんだからもうやめようか」とスタッフが言うので今日行ってダメだったら次回考えましょうと言うことになりました。
ところが、今日は車に乗る前からニコニコで山道もなんにもなかったかのように「お山登りまーす!」と歩きます。今までの拒否はなんだったの?とスタッフもあきれ顔。何かがVちゃんの中で吹っ切れたのかもしれません。結局理由は分からずじまいで、次回の山登りもご機嫌なら問題ないんじゃないのということになりました。理由を話せない子どもたちのことを私たちはあーでもないこーでもないと話しますが、わからないことも多いです。毎日子供たちに振り回されている感じも否めません。少しでも分かり合えたらと言う思いで、コミュニケーションスキルに取り組んでいます。
移動カード
移動カードはトランジションカードと言ってスケジュールに戻るときに言葉のわからない生徒に渡すカードのことです。トランジションカードとこのブログ内で検索してもらえばわかるように今年度に入ってほぼ2か月に1回触れています。最近は(トランジションカード 2020/11/06)で書きました。すてっぷではトランジションカードをやめたのです。U君たち言葉をうまく理解できない人たちに身体プロンプトでスケジュールに戻ったり行先にいくようにしています。確かに誤解はなくなり、自分で考えようとしている姿が2か月過ぎからみられるようになっています。
スケジュールを自分で見てもらうようにするには最初は支援があったにしてもその後その支援をどう減らすかを考えておく必要があります。声掛けで「スケジュールを見なさい」と言おうが、トランジションカードを渡してスケジュールを見に行かせようが、やっていることは同じです。人的介入で行動のきっかけ(プロンプト)を作っているのです。
大事なことは、この介入をどうやってフェードアウトしていくかなのです。カードよりヴォリュームがだんだん落とせて発音数を減らせる声の方がまだましかもしれません。カードをだんだん小さくしても視覚的プロンプトは最後まで残ります。それに引き換え身体プロンプトは後ろから触るだけですし、自分で行動ができるようになればそれでプロンプトしなくていいのです。どう考えても、身体プロンプトの方がフェードアウトはしやすく誤解も少ないです。
ではなぜ、トランジションカードが我が国で20年以上続いたかなのですが、結局、スタッフ側の支援「満足感」なのだろうと思います。カード渡すことによって子どもがスケジュールに戻る姿はスタッフにはいい気分なのです。スケジュールを子どもが自分で理解するにはどうしたらいいのかということも、エビデンスをもとに説明したものはPECSのマニュアル以外に見当たりません。
結局、2005年初版のPECSをよく読んだら書いてあったということなのですが、本がぶ厚すぎて286ぺーにまでたどり着いていない人が私も含めて多いという事です。それと、改めて応用行動分析理論については、対人サービスに関わる人すべてが学ぶようにカリキュラムに入れるべきだと思います。
自分のことは自分で
高学年が「先生次何するの~」「どうすんの~」{~君が~してはる~」「何したらいい?」と放デイで話すを、「知的な遅れもないのに、自分で考えて行動しないっておかしいと思いませんか?」と男性スタッフが言いました。ごもっともです。ついつい、支援と過保護を勘違いしてしまうのが放デイです。
以前も、高学年のT君が公園に水筒を忘れてきた時、スタッフに取ってきてほしいと言うので自分のものは自分で管理しましょうとスタッフが言うと逆切れされた話(昨日はすみませんでした 2020/12/23)を掲載しました。でもT君が大人がやればいいと思うのはT君のせいではなく、周囲の大人の問題です。子どもに任せて忘れ物で保護者にクレームをもらうくらいなら、大人が子どもの持ち物をすべて管理して家に送り届けようと考えてしまうのです。子どもに任せれば忘れたり落としたりするものですが、それも自立のプロセスの中では必要なことです。大事なことは、そのあとあきらめるのか、工夫するかの違いです。
しかし、それを避けるために大人がやってしまっては、子どもは伸びる可能性を失います。最近やっと子どもたちが、自分で考えられるようになってきたとそのスタッフは言います。「ノープランで大人に聞くだけではなく、自分はこうしたいがどうかなと大人に聞いてみよう」と「何したらいいのじゃなくて、これをしたい、これをやろう」という風に変わってきたそうです。子どもが自立できそうなことは失敗しそうでも工夫して自立してもらうことが放デイの療育です。すぐに声かけない、すぐに手を出さない、すぐに失敗をフォローしようとしない、1分だけ待つ余裕が大事です。
サッカー指導の合理的配慮
最近小学生中心にサッカーでのパスを教えていると以前書きました(グッジョブ!01/21)。R君やS君もすごく上手になってきました。パスのやり取りをするのは、相手も動きも考えながらボール操作が必要となります。あまり他者のことを考える機会のない彼らにとっては難しくもあり新しくもある取組です。
前にも書きましたが、学校ではパスができない彼らにはボールは回ってこず、ボールに触れないからスキルが上がらない、スキルが上がらないからパスが回ってこないという悪循環に陥ります。体育は支援学級の子も協力学級に戻るのですが、ボール運動などは他者理解の苦手な人にはみっちりパス練習をしないとコートに立っても「お地蔵さん」という存在になってしまいます。
やらせてみると、そこそこボールを操作するスキルがあることも分かります。「上手やん」とR君を褒めると、「学校では触る機会がないから」とうつむきます。スポーツは全ての人の権利ですが、ただコートに立たせるだけでなく、パススキルを時間をかけてわかりやすく教えてほしいと思います。これは体育教科における合理的配慮だと思うのです。
近所の子どもと遊ぶ
インクルーシブ教育だとかダイバーシティー社会だとか難しい名前を付けて各校各園、各地で様々な取り組みをしています。すてっぷではそんな大げさに考えず、地域の子どもと公園で自然に交流して遊べるようにしています。昨日もQちゃんが先輩のR君と一緒に公園で鬼ごっこをスタッフ交えて楽しんでいると、近所の中学年女子二人が「私らも寄せて」とやってきたので、ウェルカムで遊びました。Qちゃんは1年なので近所の中学年の速さには及びませんが、そこはみんなちゃんと手(足?)加減してくれて、みんな体がぽかぽかになるまで走り回りました。
最近公園で鬼ごっこなんてしている様子はなかなか見かけません。そもそも五~六人で遊んでる姿は見たことがありません。昔は、遊びの「定員」に達するまで友達の家を回って「~君!遊ぼ!」と「営業」しに行ったものですが、この頃そんな声を聴くこともありません。そんなわけで、公園で走り回っているのはすてっぷの子どもだけなので、きっとうらやましかったのだと思います。「声をかけてくれてありがとう!また遊ぼうね」と別れました。
タイマーは自立のために
P君が近頃はタイマーが鳴ったら帰る用意を全て自分ですると報告されました。当たり前のことですが、これができるようになるのに3か月かかりました。P君はすてっぷに3年近く来ていますが、やっとできるようになったのです。それまでも彼は帰りの時間までタイマーを使っていたのですが、タイマーが鳴ると職員のところに持ってくるだけで自分で次の行動を起こそうとしなかったのです。結局、職員はタイマーを受け取って「帰宅の準備をしましょう」と言っていたのです。
これではタイマーが、スタッフのスケジュール指示を引き出すものにしかなっておらず、自立には意味がないということで、しばらく帰りにタイマーを使うのは中止して、自分でスケジュール操作を行うスキルの再学習をしてもらいました。帰りの指示は「帰りのカバン」絵を本人の前に置いてスケジュールの前に移動してもらいました。これが完全に一人でできるようになったらタイマーを導入してタイマーが鳴ったらスケジュールの前に移動を促しました。
やっと自分でタイマーが鳴ったらスケジュールに行って「休憩」を下に落として、「帰りのカバン」絵を今からやりますエリアに貼って、帰り支度をするようになったのです。タイマーは大人に報告するためにあるのではなく、当たり前のことですが子どもが自分から次のスケジュール行動を起こすためにあります。職員が困らないのでなかなか気がつかなかったという話です。
帰りたくない
O君は最近一人で通所できるようになりました。今までは、スタッフの車で送迎していたのですが、今は来るも帰るもある程度は自分の裁量です。実はO君、以前から帰りを渋っていたのですが、自分の携帯電話で「これから帰ります」と家に連絡することで帰る契機にしていました。スタッフは、歩いて5分の距離とはいえ一人で帰るのが不安なのかなと思っていたのです。
ところが、だんだん日暮れの時間も伸びてきて外がまだ明るいとふんぎりがつかないようで「帰りたくない」と言って帰ろうとしないのです。しかたがないのでスタッフがお母さんに連絡して事情を話して、本人に受話器を渡すと「ハイ!ハイ!」と聞き分けよく返事をするのです。なので、もう帰るかなと見ているとさっきのお母さんの返事とはうって変わって「帰らへん」と言うのです。結局、最後の子が帰る時間まで粘っていましたが、「スタッフが帰ってくるまで待っている」と言うので、「アカン。カエリ!」と帰ってもらいました。
こういう葛藤も、一人で帰るという行動を支援しなければおこらなかったと思います。一人で帰らせることは様々なリスクもありますが、自分で考えて行動するから今回のような経験ができたわけです。放デイの送迎は当たり前と言う感じですが、子どもはこうしたことから生きた学びをするのだと改めて感じた出来事でした。
弁別と教材
N君がいくつかの要求カードを使うようになってきたので、二つのものを見分ける力もついてきたかととりくんでみました。まずは黄色い▲と赤い■を同じ図の上にのせるマッチング課題に取り組んでみました。(この前に下図のように木型にはめ込んで自分で正解が確認できる教材を示すべきでした)見事にできませんでした。改めてPECSのアセスメントフリー(発達段階にこだわらずに取り組める)の力を見せつけられた感じでした。
N君がカードの中から選んで要求してくるのは、音の絵本・キーボードですがこれには種類があって合計6種類ほど、おやつもシートに貼った合計6種類の中から選び出して要求します。なければブックのほかのページを探して見つけ出すこともします。けれども、無意味な二つのものの弁別は彼にとっては文字通り意味がないのです。私たちが示す弁別課題とは純粋な認知行動ではないのです。子どもは利得があるから正答するのです。そう考えると「あ、ご褒美かぁ」とひらめいたのでもう一度トライすることにしました。
昔、先輩の先生が、子犬を3つのカップの中の一つに隠し、子どもが覚えているかどうかの検査を実施した時のエピソードを思い出しました。それには全く正答しない子が、お菓子を隠すと即座に正答したエピソードです。結局、私たちは子どもの何に働きかけているのかわからずに、教材ができたできないと評価しているかもしれないのです。
一人で過ごす力
新年度に向けて支援計画の話し合いが毎日続いています。支援計画の中で特に大事に話し合いたいことは、コミュニケーション・社会性・生活自立です。年齢や障害に一人一人差があるけれどもこの3つの観点は支援するうえで重要です。
生活自立の中には、いわゆる一人で過ごす力を「余暇」「好きなことをして過ごす」などと表現して評価していきます。M君は一人で過ごすことができず、一人になると外に飛び出して大人が追いかけてくるのを待っています。なんとか一人で好きなことをして過ごせないかと、あれこれ好きなことはないかと提供して試行錯誤するのですが、うまくいきません。
この場合、大人といることが強化子ではないかと考え方を変えてみることも必要かと思っています。大人といることは依存的で自立度が低いので一人で過ごせるように考えてきたのですが、原因はわからないけれど大人が離れると不安が高まるのなら、大人を含めてみんなと遊んだり作業したりすることが好きにならないだろうかと考えたのです。
その際に絶対に落としてはならないのが表出のコミュニケーションスキルです。「○○さんと××をして遊びたいです」とか「△△さんと★★の作業をしたいです」と表現できるようになることの方が重要ではないかという話をしています。
表出のコミュニケーションスキルが弱いので人を引き付ける飛び出し行動が生じているとは思うのですが、強化子がもしも大人といたいということなら少し話が違うのではないかと思うのです。何をして一緒にいたいかという中身を作らなければならないというところでは、一人で何をして過ごすかと同じ課題なのですが、少し楽に考えられそうな気がするねと話し合っています。
リモート学習会
今日から、地域の通級の先生方と一緒に「T式ひらがな音読支援の理論と実践 | 小枝 達也 関あゆみ 」のリモート学習会が全五回で始まりました。発達性読み書き障害についての正しい知識を得ようということで、当法人とリンクして昨年からこの取り組みが続いています。
昨年は、11月に読み書き障害の診断テストである「STRAW-R」研修会を40名ほどのリモート研修参加者で実施しました。今回はその続きで、一昨年刊行された、小枝達也先生の本の学習会です。今日参加したのは26名ほどの先生方でした。学校の理解が進まない、教員の知識が少ないとぼやいているのではなく、みんなで勉強会をしながら知見を広げていくことが大事だと思うのです。
文字が読めれば読み書き障害ではないと信じている先生方がまだまだ多い中、流暢性の欠如こそこの障害の本体だという事や、単なる読み書きの環境が乏しいから生じる後天性のものではなく、視覚や聴覚、手足が動かないなどの機能的な障害と同じだという理解をすすめることが必要です。これを本質的に正常域まで持っていくことは無理にしても、読み書きの易疲労性を軽減して、興味関心を広げることは可能だという事をこの学習会を通して学んでいけたらと思います。
こだわりと不適切行動
L君には場所のこだわりがあります。事業所は狭いので利用者30名分のカバン置き場は作れないので、毎日利用する約10名分の棚に毎日氏名を貼り替えて利用してもらっています。L君は上の段に置くと決めているようでこちらも彼のこだわりを知っているスタッフは上段に名前を張るようにしていたのですが、たまたま知らないスタッフが下段に貼ったので、L君は大声を上げて「上段がいい!」とスタッフに怒鳴ったのです。それを見た他のスタッフが事を収めようと上段に名前を貼り替えたのです。
反省会で「それって良い支援なの?」と今度はまた他のスタッフが質問しました。事業所にしてみれば利用者の毎日入れ替わるロッカーが上段でも下段でもどっちを使ってもいいことだけど、指定された事が気に入らないと怒鳴って言い分が実現するのはいかがなものかと言う意見でした。その通りです。ロッカーはどっちでもいいけど不適切な行動をスルーして要求を実現してしまえば、怒鳴れば事が実現すると理解してしまいます。不適切行動はやり直しが大事です。
「○○さん、僕は上段にカバンを置きたいですと2の(大きさの)声でいいます」とやり直させて言えたら、良く言えたねと上段に置いてあげればよいのです。すてっぷは女性スタッフが多いので子どもの大声等不適切な行動に驚いてしまい、その行動をスルーしてしまうスタッフも少なくないのですが、みんなで協力して正しい行動を引き出し、双方が終わり良しにしましょうと話し合いました。その際に、こだわりについて認めるのかと言う意見がありましたが、それは時と場合や内容にもよるし、もしも変えなければならないこだわりなら、本人が荒れている現場で「勝負」すべきではなく、その場はうまく「折り合い(交渉)」をつけて終わらせ、計画を練って穏やかに行動変容させていく手段をとるべきだと話し合いました。
ローマ字入力と読み書き障害
すてっぷではみんなでキーボード入力ができるようになろうと、小学校からの利用者にはローマ字入力に取り組んでいます。視空間認知の良い3年生のJ君はキーの位置は覚えが早いです。しかし、J君は本が大嫌いで漫画ですら読みません。文字から音に変換するのが苦手なのだと思います。一方で、K君は興味のある本は大好きなのだけど、視空間認知が良くないのでキーボード入力は大嫌いで、音声入力で一生乗り切ると言って嫌がります。ローマ字でのキーボード入力も十人十色です。でも、みんな本当はスタッフがブラインドタッチで打ち込んでいくキーボード入力に憧れているのです。
ローマ字に取り組んでいるのは、読み書き障害のある子どもたちの中学時代に英文を読む課題があり、ここにものすごいエネルギーを割くことになるからです。その際にローマ字の表記を知っていればある程度対応できるのです。ただ、根本的には英語表記は不規則な発音が多くローマ字だけで対応できるものではありません。ここでは、みんなが憧れるキーボード入力と音声検索は恥ずかしいという動機を利用して、アルファベットに慣れてもらい、やり残している五十音表記の音声配列を長期記憶に定着させるというのが裏側のねらいです。
以前ブログに掲載した読み書きに障害のあるドローン操縦士の髙梨智樹さんは、オンラインゲームにハマったことでローマ字入力が身についたそうです。チャット機能で対戦相手とコミュニケーションを取りたい一心で覚えたと言います。確かに苦手なことへの取組は動機が大事です。子どもたちの動機も把握してうまくローマ字入力に結びつけてタイピングソフトで時間短縮を目指します。
「聴覚法」は読み書き支援に効果あり
放デイに小学校から通ってくるH君をはじめIさんもJ君もK君も書字速度が遅いですし、漢字の覚えも極端に悪く、毎年当該学年より低い学年の漢字ドリルを与えられて宿題にしています。なので、この人たちは学校では知的障害と思われて特別支援学級に入っています。通常学級では補習をやってもやっても効果が上がらなかったし、みんなについていけないと言われて入級したそうです。やってもやっても効果が上がらないのは読み書きに問題のない人たちの教え方だからで、教え方が適していなかったと言われた人は一人もいませんでした。
通常の子どもと違うやり方でトレーニングする読み書き訓練を10年前はバイパス法と呼びました。音声から文字変換を行う通常の変換回路が障害されているので他の回路を使うという意味で「バイパス」の言葉があてはめられました。今は、単純に「聴覚法」と呼ばれています。このやり方を知っている教員は極めて少なく、学習障害の支援をしている民間機関でもこの効果を知る専門家がいなければ取り組まれていません。しかし、やり方は極めてシンプルで、家庭で毎日10分程度2か月も頑張れば成果が出る訓練法なのです。
2012年に、ひらがなか、カタカナが1年間以上習得が困難であった発達性読み書き障害児 36 名に、音声言語の記憶力を使った文字訓練の結果が報告されています。全員知能には遅れがなく、単語の音声記憶にも問題のない小学生です。また、訓練開始前に訓練したいと言っていた児童です。
訓練は、1)50 音表を音だけで覚える、2)50 音表が書けるようになる、3)文字想起の速度を上げる、でした。平均 7 週間以内で、ひらがなやカタカナの書字と音読正答率が上がり、平均 98%以上の文字が読み書き可能になりました。さらに、1 年後に測定したカタカナに関しては高い正答率が維持され、書字の速度も上がりました。この研究で、良好な音声言語の記憶力を活用した練習方法が、正確性においても流暢性においても効果があることが示されています。
【訓練方法】
ひらがなとカタカナの訓練では共通の方法を用いています。実施前に、訓練内容について説明を行った後に、本人に練習の意思について口頭で確認します。本人の意思が明確でない場合や、練習を拒否した児童については訓練を行いませんでした。「良くなりたいから支援してほしい」という気持ちはとても重要だからです。
はじめに、50 音表の音系列の記憶(音声言語としての 50 音表の記憶)再生を行います。具体的には、「あ、か、さ、た、な、は、ま、や、ら、わ、を、ん」が言えるようにした後、「あ、あいうえお、あか、かきくけこ、あかさ、さしすせそ、…、あかさたなはまやら、らりるれろ、あかさたなはまやらわ、わをん」と各列の最初の音をあ行から言い、目標の列に達したら、あ段からお段へと言うように指導します。
3 日間連続して正しく言えることを、次の段階に移行する条件とします。これが可能となった時点で、音の系列に沿って文字列としての 50 音表の書字訓練を行います。書字はまず、「あ」から 7、8 割の文字を自力で書ける箇所まで練習し、そこまで正しく書けるようになったらさらに次の、7、8 割書ける箇所までを練習するというように、量を調整しながら行います。
50 音表がすべて正しく書けるようになったら流暢に書けるようにするため、小学校 3 年生までの児童は 2 分以内で、4 年生以上の児童では 1 分半で書き上げることを目標とします。3 日間連続してこの目標が達成された時点で、仮名訓練を終了とます。その後、ランダムに提示した 文字の書き取り(102 個)を行います。練習は基本的には自宅で保護者の監督の下にて 1 日に 10 分から15 分間行います。専門家は来所時に訓練方法が正しく行われているかどうかや,進み具合などを確認して適宜アドバイスを行います。
この方法は最初の専門的アセスメントが大事です。音声記憶経路の弱い方には向いていないばかりか、逆効果です。取組んでみたい方は「じゃんぷ」で専門的な支援をしますのでご相談ください。
「読み書きが苦手」の一般的理解
発達性読み書き障害の問題は特別支援教育の中心的課題と言われているのに、医療や教育の関係者の理解は「字は読めている」「字は書けている」という怪しい識別ラインのままです。H君は書字は遅いですが、本やネットの知識は山ほどあります。新しいことへの興味もすべてネットと本から得ており、明智光秀の生涯や短波無線については大人顔負けの知識人です。これだけ字が読めるのなら読み書き障害ではなく、眼球運動の調整の問題と医師が診断したそうです。専門家でも理解はこんなもんかとがっかりします。
彼は、電波の指向性について「しむせい」と読んだりします。「向」の字は小3で習い、コウ 向上 傾向 趣向;むく 向く 向き、と音読み訓読みを習います。彼はもうすぐ6年生ですが、音読みがなかなか入らないのです。音読みしかできない、あるいは訓読みしかできないというのはこの障害の特徴です。つまり一つの文字に複数の音が対応させられないのです。指向性は一例で彼と話していると音読み訓読みが無茶苦茶で、これまでの読書経験が豊富にあるならどこかで気づくはずの読みが気づかれないのです。これは音として読んでいるというより意味で読んでいるからでしょう。また、彼に本を音読させるとものすごく遅いし躓きも多いのです。
このように、読めているけど確実に読めていない問題を「流暢性」の欠如とか「変換速度」の遅さといいます。発達性読み書き障害の本体はここにあります。文字社会ですから文字が目に触れないことはないし、興味があれば本もネットも調べます。しかし、それで読み書き障害ではないとは言えないというのが今日の研究の到達点です。流暢にできるということは、少ないパワーで読み書きができるということです。読み書き障害を見つけるには、まず読ませたり書かせたりして「年齢並みに」流暢かどうかということが重要です。文字が読めるから障害はないなどとは言えないのです。
算数障害
放デイには算数障害と思われる子どもが少なくありません。算数障害は、知的能力が低くなくても起こる算数の困難で、認知能力のアンバランスから生じます。認知能力のアンバランスを測定するWISC-ⅣやKABC-Ⅱなどの検査を行うことによって、どの認知能力が高いのか低いのかを見極めることが重要です。たとえば数処理の中で、数詞を覚えることができるようになるには、聴覚認知能力や聴覚的短期記憶などが主に必要であるし、数字を覚えることができるようになるには、視覚認知能力や視覚的短期記憶などが主に必要です。数概念のうち、序数性の獲得に関わるのは継次処理能力だし、基数性の獲得に関わるのは同時処理能力です。このような認知能力間のアンバランスの把握が必要だということです。
また、計算は、手続きさえ踏まえれば、概念的に理解できていなくても答えは出せたりします。そのため、数概念(基数性)の理解の困難については、通常の算数・数学の教科指導の中では非常に見えにくい部分です。算数障害があっても手続きで、概念理解の困難さをカバーしている子どももいます。さらに、知的障害ほどの低さはなくても、知的能力水準が平均より低いレベルにある場合には、認知能力の中のアンバランスがなく算数障害とは言えなくても、小学校高学年の算数の教科学習の内容となるとかなり困難が出ます。G君もその一人で、G君は計算ではなくて推論(論理性)が苦手です。
そのために、表のようなチェックリストに多く当てはまる問題を抱える子どもたちには、必ず個別の知能検査を行うなどして、全体的な知的能力水準がどれくらいか、また、知的能力を構成する下位の認知能力の強い・弱い能力を同定しておくことが重要です。全体的な知的能力水準が下である場合には、その子どもの抽象化能力に限界はあるが、偏りがある場合には、指導によっては理解できることも多いはずです。
現在は、電卓もあるし、普段の生活に使える様々なICT機器があります。子どもの状態をよくわからずに、子どもに「これでもか、これでもか」と一つの教授法によって学習を強いても、算数嫌いが増えるばかりです。将来の自立した生活のために、算数・数学のどの内容を理解しておけばいいのか、子どもによっては内容を精選することも、また教える側がより柔軟な教授法をもっていることも重要です。
グッジョブ!
Fさんはサッカーボールを見るととにかく強く遠くまで飛ばすのが良いことと信じていました。「いやいや、全てのボールゲームの面白さはパスでしょう」とスタッフは教え続けたと言います。ボールを力いっぱい蹴ったり投げたりするのは固有覚(筋肉)感覚としては刺激が強く入り気持ちいいのはわかるけど、ゲームの面白さとは関係がないのです。
毎日パスの面白さをレクチャーした結果、子ども2大人1のサッカー対戦ゲームでやっとスタッフをパスで抜くことができました。G君のアシストもよくてうまく抜くことができました。「グッジョブ!Fさん!」「え?グッジョブ?良かった!ご褒美ポテチでいいわ」「なんやそれ」とずっこけながらもスタッフも嬉しそうです。
パスの面白さを教えるにはある程度のパススキルとゲームのソーシャルスキルが必要です。どちらも苦手な子どもはチームメイトから取り巻きにいるように仕向けられます。ボールに関与できるからパスの面白さはわかるのです。それでも粘り強く教えればわかってくるのです。どんな取り組みもそうですが「グッジョブ!」の一言を子どもにかけるために放デイスタッフは粘り強く工夫を続けると言っても過言ではないです。
アフォーダンス
Eちゃんが、なかなかVOCAボタンが押せないのは何故なんだろうという話をしました。Eちゃんは手を振る常同行動があって、それがあるので身体プロンプトでボタンを押させようとしても無理があるというものでした。Eちゃんは物を持つ手としての機能がまだ十分でなく、つかめば投げる、人がいれば叩く(と思っているかどうかは分からない)ようにしか使えないともいうのです。
では、滑り台に登るときEちゃんは手すりを離しますか?と聞くとそれはないと言います。手すりはEちゃんに登ることをアフォーダンスされているのです。アフォーダンスとは与えるとか引き出すという意味です。変化を起こすスイッチは押すことをアフォーダンスするのですが、Eちゃんには音が出るくらいではアフォードされないのだと思います。もっと、圧倒的な変化をスイッチがアフォードしてくれる必要があるのです。
その点、体をアフォードする大型遊具はよくできています(当たり前ですが)。ブランコの鎖はつかむから漕げるし、シーソーのハンドルもつかむから足でけることができます。生活の中のもののアフォーダンスをデザインする事が支援だと言っても過言ではないです。だからどうするって?う~ん。とりあえずは動くおもちゃとかピカピカ光るスヌーズレンボックスのスイッチに押しボタンを使う事かなぁなどと話しています。押し続けられないから、離しても数秒回路がつながっているタイマー回路の制作が難しいのです。う~ん。
なんか違う
D君の絵カード要求が頻繁になってきて半年ほどですが、最近10分おきにおもちゃを要求してきます。どうも、要求はしたけど遊んでいるうちに「これじゃない」と思うのかもしれません。
拒否の仕方は以前教えていて、頭を振るのではなく手で押しのける風に教えていますが、これは絵カードと違うものを渡した場合のシチュエーションです。今回の場合は、手に入れて遊んでいるうちに「なんか違う」と思うので「いらない」でもないのです。
生活をしていくためには「欲しいものの要求」手段だけでは生活できません。なんか違う場合どうすればいいのかは、D君の場合は語彙を増やすしかないかなと言う話になりました。D君は絵カードがおもちゃとビデオと食べ物だけだったのです。
外に行きたいとき自分の靴を持ってきていたのに私たちはそれで良しとしていたのです。外出要求を出されるとちょっと待ってとか、後でねの交渉が多くなるので敬遠していた旨もあるのです。しかし、言葉のある子だって、どっか行きたいとか言うわけで、毎日大人は子どもと交渉しているわけですから、D君だけ交渉しないわけにはいきません。
外に行く場合は、車に乗る、ブランコであそぶ、お店に行く、公園にいく等外出シリーズを作ることにしました。ついに「あとでね」とか「今はダメ」をD君に教えなければならない段階に入ったわけです。さてどうなることやら。
お互い様
先日の週末、雨が降ったり突風が吹いたりで、外の活動は控えようという事になり、急遽BOOKOFFで、E君が見つけたコミックシリーズの欠番を探しに行くことになりました。ショッピングがあまり好きではないC君D君がすかさずブーイング「勝手に行ってきて。行きたくない」コールでした。
スタッフが「あのさ、E君はねけった(缶蹴り)嫌いなのに、君らに付き合ってくれているでしょ。君らもE君のコミック探しに付き合ってあげるべきでは?」と言うと、はたと気が付いたように「ほな、しゃーないなー」と二人は付き合うのでした。自分に付き合ってくれたのだから自分もという「お互い様」の理屈は、友達作りの下手な彼らにとってとても大事だと思いました。
令和2年度保護者アンケート実施中
HPの右列の一番上にPDFで「令和元年度保護者及び自己評価集計結果(公表)」というファイルがあります。これは毎年1回事業所の経営について保護者とスタッフから評価をしてもらい、改善を促進する仕組みです。
障害児通所支援事業者は、自ら提供するサービスの質の評価を行い、常にその改善を図らなければならないことが、定められています。放課後等デイサービスにおいては平成29年4月から、児童発達支援においては平成30年4月から、事業者は自己評価及び保護者評価を行い、その結果と改善内容を公表することが義務付けられました。
対象事業者は、おおむね1年に1回以上、自己評価結果等とその改善の内容をインターネット等に公表した上で、その結果を管轄自治体へ届け出ます。平成30年度報酬改定により、自己評価結果等の公表について届出がない場合は自己評価結果等未公表減算が適用されることになっています。
前回、保護者からは緊急時の体制や訓練について低い評価を得たので、今年度は災害時の計画や訓練に力を入れました。また、職員からは療育スペースの狭さを指摘されていたので、支援学校以外の通常学校の児童の利用を6年生までとして通常学校の利用増を抑制して、通常学校小学生の高学年から中学生まで対応する新しい事業所じゃんぷを10月に立ち上げました。
集計は今月中に行い来月には公表する予定です。同じく新事業所じゃんぷでもアンケート集約を進めています。集計することによって次年度の方針を職員全体で考えていくうえで有用な仕組みだと思います。何年も言いっぱなしになる放漫経営への抑止効果もあるので大事にしたい仕組みです。結果はまたブログでお知らせする予定です。【昨年の結果はこちら】
宿題は自学自習
B君の担任から電話がかかってきました。「宿題の出し方について先程お問い合わせがあったので連絡しました」と素早い対応でした。話の中身は宿題の基本は自学自習、自分の力でやり切れることが大事だという事でした。そのうえで、B君は読み書きの力の弱さがあって、本当は宿題に問われている中身(笑う時の言葉・泣くときの言葉)は8割がた理解しているのに、苦手な読み書きで8割の力を使うと残る2割で宿題で問われている本質を考えなければならず、結局一人でできないことになります。今日も人の力を借りないとできなかったという体験だけが残ってしまうのは良くないから、既存のプリントに少し工夫を加えて8割は一人でできるようにしてほしいというお願いでした。
今回の課題は、一番後ろにある十数語を笑う言葉は前に泣く言葉は後ろの囲いの中に書くという課題です。笑う言葉は「にこにこ けらけら」等、泣く言葉は「しくしく」「めそめそ」と言う感じです。中に「ワンワン」という犬の鳴き声などが「泣く言葉」のひっかけです。彼は書くのが苦手ですから、「笑いは① 泣くは② どちらでもないものは× を言葉の上に書いてごらん」と設問を変えると犬の鳴き声以外はほぼ正解でした。「終わったら、①を前の枠に、②を後ろの枠に書きます」と指示すると時間はかかりましたが写すことができました。
このプリントは、今日学校で先生と取り組んだ問題だそうです。マンツーマンで取組むときはできたというのですが、まず一人で読まねばならない、書かねばならないという提示の仕方では、それだけで頭が真っ白になるのかもしれません。宿題は自学自習で取組める工夫が欲しいですし、もしもそれが難しいなら、どこまでを大人が支援するのかを示して出してほしいと思います。私たちは、一人で宿題が終われて、できたーと言って、スカッとした気持ちで遊んでほしいと願っています。
視覚的支援は調子のいい時からはじめて
Aちゃんが階段の踊り場で大声で泣いています。聞くと、事務室に入りたいのを止めたから泣いているというのです。以前も事務室をのぞこうとはしましたが断られて泣くことはなかったです。よく聞くと、山歩きの時もいつもは「もう少し歩こう」と言うだけで理解していたのに、今日は最初の休憩地に着くとすぐに帰ろうとしたそうです。行動に余裕がなく、できるだけ同じことをトレースしようとする傾向、つまり、繰り返しのこだわりが強いと言います。
ASDの子どもで、表出コミュニケーション力が弱い子どもは、いつものお決まりの繰り返しやパターンを大事にします。周囲はそれをこだわりと言いますが、聞いて理解したり要望が交渉できない人なら、とりあえずはパターンに頼って生活するしか方法がありません。「以前は言うだけで分かったのに」と大人はよく言います。誰だって調子のいい時と悪い時があります。前は調子が良くて聞いて理解できたのに今日は調子が悪くて理解できない場合もあるのです。
指示の方法は、理解や表出のコミュニケーション能力が低い時(調子悪い時)に合わせてあげるのが基本です。理解は絵や写真で、表出は要求カードで、お願いしたいのです。ただ問題は、調子が悪くなると絵カードが出てくる、視覚支援を行うというのはいただけません。考えてみてください、しんどい時にしか出てこないカードが頭に焼き付けば、カードを見るだけでしんどい場面が想起されるかもしれないからです。調子のいい時から視覚支援には取り組んでほしいです。
書初め
書初めをしました。スタッフから「好きに書いていいよ」と言われて「うし」「明日」、とか活動休止の嵐が好きな子はメンバーの名前を書いたりと様々です。その中で、Z君が「死」を書いていました。Z君は高学年のASD児で、後輩のいう事にはしんどい時も耳を傾けてうんうんと頷いているとても優しい子どもです。
スタッフに何故そのままにしておいたか聞くと、「好きに書いていい」と指示したからと言います。ASDの人の中には字句通り言葉を受け止める人がおり、言われたとおりに行動したのにケチをつけられて怒る子がいるのをスタッフは知っているから、修正しないままそのままにしたのです。
しかし、それではZ君は何も学べないよねと話しました。お正月が明けて、みんなが「おめでとう」と言って出てきた放デイで、書初めをするということは、好きに書くにしても「暗黙のルールがある」ことを説明する必要があります。いくら自分が「かっこいい」と思っている文字でも、他の人がお正月に「死」は嫌だなと言われたら、それは書かないというのが暗黙の「おめでとう」ルールだと説明すればいいと話しました。
その話を翌日にすると、Z君はこちらで用意した言葉から「己」を選んで書初め(正確には書き2回め)をしました。選んだ理由を聞くと、今年は自分を見つめることが大事だからと言ったそうです。Z君は4月から中学生です。
求人広告
「すてっぷ」の非常勤のスタッフが辞めるのでその補充に求人広告を出しました。地域密着型の広告紙なので次から次に電話がかかってきます。「放課後等デイサービスって障害児がおられるんですか」と言う人から「ホームページで見てよく知っています」と言う方まで千差万別です。広告紙の読者層もあるのでしょうが、ほとんどが「主婦」の方です。
求人広告を地域に配布するのは、ご近所の方にもこの活動をしってもらい、応援していただきたいという思いもあります。求人にあたって専門知識がなくてもよいのかと言われることが多いです。専門的な知識と言っても、子育てをしてきた方なら共通するものも多いでしょうし、子育て経験がない方でも子どもの頃遊んだ経験は支援に役立つ実践的な知識です。わからないことは、スタッフがサポートしますからぜひ一度お声がけください。もちろん学生の方も大歓迎です!
自立移動
Y君が散歩のときにいつもみんなから離れて歩くのでスタッフは見守りながら近くを歩いています。交通量の多い横断歩道でみんな青信号を待っていました。車が途切れた時に、ふっとY君が足を車道に踏み出したのでスタッフが止めましたが、信号は見てないのだという事がわかりました。
話し言葉でコミュニケーションできない人に信号や交通ルールがどの程度理解できるのかはよくわからないです。ただ、まったく無理だと思って信号や道路横断を教えないというのも違うように思います。赤なら止まることを教えるのは可能ですが、歩行者が青でも突っ込んでくる車両もあるので青の教え方は難しいです。
自立は可か不可かではなく、その間に依存度がどの程度かという考え方が重要です。「この人はわからないから」ではなく、どの程度ならわかるのかという見極めと挑戦が必要となります。「どっちにしたって人手はいる」という支援側の目線ではなく、一人でここまではできる、ここは手伝ってもらうという本人側の目線が必要です。その積み重ねが自尊感情を育てる土台になるのだと思います。
友達ができる薬?
犬猿の仲だったW君とX君がここ数か月大親友のように遊ぶようになりました。W君はもともと乱暴な子ではないのですが毒舌では彼の右に出るものはいません。X君はちょっとしたことで大声を出したり意地悪をするので、その行為を見てW君がX君をディスるのです。それでまた、X君が激情するという悪循環でした。
ところが、最近二人はとっても仲がいいのです。聞くとX君が怒ったり大声を出さなくなったというのです。X君は、一昨年から何種類か落ち着くことを目的に服薬を試していたのです。何種類目かに変えた頃からとても穏やかになったのです。そうすると本来のX君の良さが出てきてこれまで寄り付くことがなかった子までがX君と付き合うようになったのです。本当は友達が欲しかったX君はそれを契機にどんどん穏やかになっていったのです。
X君は薬のせいだと思っていますが、薬はきっかけを作っただけです。こうすれば友達はできるんだなと学習したからです。服薬の調整には時間がかかりますし、効果があっても副作用でやめざるを得ない時もあります。薬の種類を変えて自分に合う薬を探すのに粘り強く取り組んだ結果、「友達が欲しい」という願いが叶い、友達をゲットするスキルも自分の力で学べたのです。本当によかったなと思います。
大声の原因
U君やVさんが理由は分からないけど、えらく大声を上げるようになっているので心配です。ASDの方でコミュニケーションスキルが少ない方の場合、声のコントロールをお願いするのはとても難しいのです。「うるさい」というのは本人の感覚ではなく他者の感覚です。声ですから声を出した後は消えてしまいます。視覚に示すこともできません。つまり、他者が何をどうしてほしいのかがとても示しにくいのです。
コミュニケーションスキルがある程度ある人には、「声のレベルメーター」を示して「レベル2でお願いします」とは示せますが、レベルメータを認識するには人と自分を比べる力が必要になります。なので、事業所内で活動する時に声のコントロールができない人は一緒に集団活動ができません。音刺激に弱い人も大勢いるからです。
大声の理由は様々ですが、人が注目したり、人が離れていくことに利得を得ている人が少なくありません。しかし、最も厄介なのは本人の感覚刺激となって快感を感じている人です。腹筋や声帯に力を入れるのがいい人もいれば、頭の中で音が響くのがいい人もいます。この場合は快感を奪う方法を考えるわけですからとても難しいのです。
何かいいアイデアはないか検討中ですが、まずは詳細なアセスメントをして静かな時がどんな時かを見つけていこうと思います。ただし、本人の意思とは関係なく短い大声を出してしまうトゥレット障害の場合は、まずは医療との連携が大事です。服薬でよくなる方もいるようです。
応答の指さし
最近、T君が指差しをすると言います。「ほんまかいな?」と疑うスタッフがほとんどでした。指差しは前言後の段階です。よく1歳児が「あ、あ」と大人に向けて声を出しながら車や動物を指さします。「そうだね、ブーブーだよ」「ワンワンだね」と大人は答えを繰り返します。これが自発から叙述の指差しの段階です。そして音声を学んだ子どもは「ブーブー」と車を指さして大人に知らせます。
ところがT君の指差しにはこの段階を飛び越えて「欲しいのはどれ?」「どっち」に応答して指差しで答えます。もちろん「これ」「こっち」と言う言葉を獲得していません。おそらく、このスキルの獲得はPECSのトレーニングの結果だと思います。PECSのフェーズ3は欲しいカードを選んで相手に渡します。もちろん、どっち・どれとは聞きません。間違えば間違ったものを渡し、正しいカードを教えるだけです。
このトレーニングが「選択したことを指さしで相手に示す」方法をT君に気づかせたということです。発達的に言うとその前に指差しの「指向」「自発」「要求」「叙述」の段階を経て「応答」が始まるのですが、T君には応答以前の指差し行動は見られませんでした。いきなり応答の指差しだと言うのです。人と見たものを共感することより、欲しいものを指さしで手に入れる方が彼にとっては意味があったのかもしれません。
もちろん指差しは直接モノに触れず指さすから言語と言う記号に発展すると考えられているので、モノに指先を近づけがちなT君の指差しは「?」のところもあります。また、応答表出は自発表出を抑制しやすいから評価できないというのも彼に限っては少し違うような気がします。
現場が知る子どもの発達は同じ筋道ではありません。同じ人が多いというだけで全員同じだという根拠は無いのです。発達には順序性があると遠い昔に習った記憶はありますが、違う発達の筋道もあるかもしれないという柔軟な受け止めが大切だと思います。ただ、柔軟性はセオリーを熟知している人にしか担保されないのも事実です。教条主義は無知から生じるものです。
計算とワーキングメモリー
S君が朝から「俺、宿題するわー」と冬休みの宿題を始めました。分数の加算です。通分の意味は分かるのですが、分母を同じにする最小公倍数を見つけるのに時間がかかります。これはワーキングメモリーの問題です。頭の中で簡単な計算をしたり短時間記憶しておく機能をワーキングメモリーと言いますが、これは人によって計算回数の能力が違ったり記憶しておく単語量が違います。
小学校の場合、大きな数字は出さない代わり暗算で解を求めさせようとします。もちろん仕組みを教えるときに書き出して理解させようとしますが、実戦は暗算です。こうなるとワーキングメモリー量がものを言います。なので、暗算の苦手な子どももは書き出せばいいのです。
また、公倍数の意味さえ分かっていれば、たくさん課題を出さなくていいのです。課題をたくさん出すのは、トレーニングによって暗算が早くなるようにという訓練的な考え方からですが、ワーキングメモリーの少ない子どもは、やってもやっても早くならないし時間だけがかかり苦行でしかありません。学校の担任は、ワーキングメモリーの実態を把握してトレーニングで暗算が早くなる人かどうか調べてからにしてほしいものです。
S君には「ゆっくりやればいいよ。インターバルで少しづつやろう」とは言っていますが、量が多すぎます。意味が分かっていて暗算が弱いなら量は求めない配慮が大人には求められます。
公約数・最大公約数は『連除法』を用いれば楽に求められます。要は、連除法をして外側の数をすべてかければ最小公倍数となり、最大公約数は縦をかければいいのです。こうして書いて公倍数・公約数を見つけるのは時間がかかりますから、量を減らして意味をつかませながら計算をさせます。その方が、今後難しい問題に出会ったときに絶対に役に立つのです。
謹賀新年
新年あけましておめでとうございます。
昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。
本年も一同、皆様にご満足頂けるサービスを心がける所存でございますので、 何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し上げます。
皆様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈り致します。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
新年は1月4日(すてっぷ)1月5日(じゃんぷ)から平常営業とさせて頂きます。
令和3年 元旦
NPO法人ホップすてーしょん 職員一同
よいお年をお迎えください
すてっぷでは子どもの記録をデータで呼び出せるように、エクセル1行100文字程度で毎日印象的な事柄の記録を残しています。細かく思い出すのは連絡帳がいいのですが、大きな変化や特徴的なことを短時間で把握するにはこちらのほうが使いやすいです。昨年の4月から初めて21か月分約5000行分の書き込みを眺めていると、確かな子どもの変化がわかります。低学年は支援がヒットすればすぐに変化を見せます。一方で、中高生は当たればホームランですが、相変わらずの結果も少なくないです。
もしも子どもたちが大人の記録をつけたなら、スタッフのことはどう記録するのだろうかと思います。新入りのスタッフはめまぐるしい成長を見せるし、年寄りは相変わらずの言動が多いのでしょう。自分たちの支援が本当に子どもたちに届いていたかどうかは子どもの変化に現れます。相変わらずと言っているのは私たちの力が及んでいないということです。また、子どもたちが放デイで過ごす時間はほんのわずかです。成長したのは家庭や学校や学童保育や他の事業所での育ちの総合的な結果です。そう考えてみると、一事業所の放デイが子どもの成長にどの程度影響を及ぼしたのかは測る方法がありません。
ほんのきっかけを与えるだけだったかもしれないし、足を引っ張ることはないにしても、家族の思いと方向性が違ったかもしれません。記録を読んでいくと一人ひとりついて話し合った記憶が蘇って、本当にあれでよかったかどうか考えさせられることも少なくありません。スタッフにも無理を言いすぎていないかも気になるところです。療育とは一人でできるものではなく総力戦だからです。そんな風に考えていくと、みんながつながって成長していく図が見えてきます。子どもだけでなく、その取り巻きも育ちあうことが大事なんだと思います。
今年は、10月より念願の新事業所「学びの広場 じゃんぷ」を西向日に開設しました。まだ利用者も少なく、地域住民にも広く知られていませんが、通級指導の先生などとも勉強会を持って、じゃんぷの認知度を上げていこうと努力しています。読み書きを中心とする学習障害のある小中学生への支援と、発達障害のある子どもの就学準備を家族と共に支援していく通所支援事業を軌道に乗せていきたいと思います。もちろん、自立性と自発性コミュニケーション支援を軸にしたすてっぷの実践にも磨きをかけていきたいです。
今年も保護者の皆さんはじめ、たくさんの皆様にお世話になりました。ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
NPOホップすてーしょん職員一同
尚、HPとすてっぷは1月4日から、じゃんぷは1月5日から営業を開始します。
凧揚げ
凧揚げの季節がやってきました。凧揚げ名人のQ君やR君の腕の見せどころです。でも、昨年の教訓でAMAZONで値段の高い凧(ゲイラカイト 700円)を買っても、後ろを向いて走れない子が多くて逆さに凧を引っ張って走ってしまいすぐに潰れるので、近くの100円ショップで買う事にしました。なんとAmazon一個分が一個110円で6個も買えるのです。これで、子どものタコ走りを心置きなく鑑賞できます。淀川河川敷公園に今日はいい北風が吹いていて、高く高く上がりました。
自作凧を上げようとしているのですが、不器用な子が多いのでどの凧を作るか思案中です。連凧なんかが一体感があっていいのですが、ちょっと難しいです。グニャグニャ凧(縦張2本)だけどそこに一文字づつ書いてみんなの願いを上げたらどうかという案があります。お正月とか世界平和ではありきたりだし、宿題上等とか忘物御免とかでは迫力がないので良い案がないかこれも検討中です。
お買い物キャリア
今日は昼から雨が降って、凧揚げのプログラムが買い物に変わった人もいます。買い物でいつも思うのは子どもの経験値です。コンビニの前で突っ立ている子。商品棚の前でほしいものが選べない子。レジの前でもじもじして商品が購入できない子。そもそも、自分の財布という意識がなく財布は大人が使うものと思っている子。障害が軽くても重くても、経験を積み重ねている子どもとそうでない子どもは全く違います。
学校や事業所で、お買い物教材に取り組んでいますが、お金や財布の準備から店内の移動は全て介助が付き、レジでお金を渡すところだけ子どもにさせている風景をよく見ます。これでは買い物の経験にはならないと思います。最後はスタッフが店の外で待っている風にしないと経験にはならないと考えるからです。レジの人には前もって協力をお願いしておきます。子どもは失敗するかもしれないけど一人で買えるようになるように協力してほしいと依頼します。自分のことは自分ですることを、消費活動についても小さな時期からコツコツと取り組んだ子は、言葉が喋れなくても高等部の頃には、お店の中で堂々とショッピングしています。
お金の選択や計算の出来ない子には、財布に「おつりとレシートを入れてください」と貼って財布ごとレジで渡すように練習します。しかし、最近は電子マネーがあるのでタッチするだけです。ICOCA等公共交通系のフェリカカードは普段電車に乗らなくても、コンビニではとても便利に使え、指導もしやすいです。スマホがあれば金額と場所と時間がわかるので管理もしやすいです。
昨日はすみませんでした
P君をいつも通り学校に迎えに行くと、「昨日はすみませんでした」と突然頭を下げて謝るのです。「いえいえ別に何とも思ってないよ」と言って恐縮しましたとスタッフがいいます。スタッフが子どもから自発的に次の日に改めて謝罪されることが、これまで一度もなかったので驚いたという話です。
P君は前日、公園に水筒を忘れたのです。「水筒忘れてきたから、取ってきてほしい」とスタッフに言いました。「え?君の水筒を探すなら、『すみません。水筒を公園に忘れてきたみたいなんで、一緒に探しに行ってほしいです』と言ってください」とスタッフに窘められます。「取ってきてくれてもええやん!けち!」とP君は逆切れしました。
結局、二人で探しに行ったのですが、スタッフは「車の中で待っているから、まずは自分で探しておいで」と促すと自分で探せたそうです。話はここまでなのですが、支援を受けている子に依存的な言動が多いのが気になるという話をそのあとスタッフ間で話していたのです。忘れ物も多い、落とし物も多い、不器用で物を壊しやすいなどがあって、ついつい大人が手伝ってしまう事が多いことが原因かもしれません。大人は手伝っているつもりが、当の本人は自分の事でも大人がするものという誤解をしているのかもしれません。
でも、P君は「自分のものは自分で探せ」と大人に言われたのが初めてだったのかもしれません。自分で探したことも初めてだったのでしょう。そして、自分で見つけた時に嬉しかったのかもしれません。きっと一晩中そのことを考えていたのでしょう。「先生ごめんね」をどう伝えていいか考えていたのだと思います。それが、いきなり「昨日はすいませんでした」だったのです。迎えに行ったスタッフはとても嬉しかったそうです。
滑り台
Oちゃんが初めて滑り台に上がって足から滑り降りました。スタッフみんなで大喜びです。滑り台は発達的に考えると2歳を超えると滑れるようになります。1歳なりたて児の滑り台の滑り方で一番よくあるのが、スロープをよじ登って力尽きて腹ばいに落ちてくる子です。次は階段を上がって踊り場でそのまま頭から滑る危ない子です。つまり、姿勢の転換ができないのです。
滑り台は1歳半の節目を試す遊具でもあります。登ったら姿勢を変えて足から滑ります。つまり、遊具に合わせて体を調整しているのです。ここから、場面に沿う、指示に沿う力が芽生えてくるのです。それまではお母さんの真似がしたくて、櫛を反対向けていたのが毛の方に向けたり、スプーンで茶碗をたたいていたのが落とさないで抄うことに気が付いたりと、意味を操作で理解していきます。なので、Oちやんの滑り台の踊り場での姿勢転換(座ったままの足の入れ替えでしたが)はすごいことなのです。
スノードーム
透明な容器のなかに雪景色を再現するインテリア、スノードーム。好きなオブジェを用意して、雪に見立てたキラキラ素材と一緒に、水で薄めた液体のりを入れるだけで完成です。ジャムの空きびんや 100円ショップのふたつきびんのほか身近にある素材を使って、クリスマスにぴったりなスノードームが簡単に作れます。
今回は、スヌーズレン用(ビーズがゆっくり舞うのを楽しむため)のスノードームを作りました。ラメ用にホログラム折り紙とマルチカラーの極小ビーズがびんの中でふわふわと舞う、ロマンティックなスノードームです。言葉のない障害の重い人でも楽しめる、ふわふわキラキラワールドが簡単に小さなびんの中に完成。
N君が「サンタは置かないの?」と聞いてきましたが、今回はスヌーズレン用に作ったので小物を用意していませんでした。空きびんのふたを下にして、雪だるまやモミの木を接着剤で貼り付けて置くともっと素敵になるので次回はこれに取り組みます。
相貌失認
今日はお天気がとてもいいので西山歩きにいってきました。L君は久々の運動が西山歩きだったので帰ってくるころにはスタミナ切れで、青息吐息でぐったりしていました。そのL君にM君が矢継ぎ早に漫画の話題を話しています。M君は一つ年上のL君がとても気に入っていて、L君が来るととても嬉しいのです。それがわかるL君はぐったりしながらも「うんうん」とM君の話に頷いています。L君の優しさには頭が下がりますが、M君はそんなL君のしんどそうな表情がまるで認識できないようなのです。
相貌失認(そうぼうしつにん、Prosopagnosia)とは、脳障害による失認の一種で、特に「顔を見てもその表情の識別が出来ず、誰の顔か解らず、もって個人の識別が出来なくなる症状」を指すそうです。これは頭の怪我などからわかってきた障害ですが生まれつきの人もいます。ブラッド・ビットが2013年に相貌失認かもしれないと告白しましたが、ASDの人たちの中にも程度の差は人によってそれぞれですが少なくないようです。
M君は3年ここに通所してますが、いまだに「あの人」と名前が覚えられない子どもやスタッフがいます。人に興味がないというより、顔が覚えられないのかもしれません。そして、大好きな人の表情も読みにくいので、しんどそうに頷いているL君に自分のお気に入りを話し続けているのです。こんな時、どんな支援がいいのか考え込んでしまいます。表情が見えないのに見ろというわけにもいかないからです。
この場合は、まず自分が他者の顔や表情が読みにくいことを知り、そこから起こりうるリスクとそのリスク回避の方法(謝り方等)を学んでもらう事と、極身近な人たちにはカミングアウトして援助を求めていくのが良いかなと考えています。筆者も相貌失認の傾向があり、スーパーなどで買い物をしていて親しげに声をかけられても誰か思い出せず「急いでいるので」と買うものも買わずにその場を逃げ出すことがたまにあります。研究によると人口の2%にこの傾向が確認されるそうです。
アセスメント
支援で最初に重要なものはアセスメントです。医療でも診断がまず大事です。どこが痛いのかまず調べます。頭が痛い人に消化薬を処方したり、腹痛の人に頭痛薬を出さないのは当たり前です。ところが、教育や福祉の現場ではそれがちょくちょくあって、悪意はないがいつまでも頭痛の人に消化薬を出し続けていることがあります。この間違いの多くの原因は教条主義とアセスメントを動的に捉えられないPDCAサイクルの欠如です。
K君は表出のコミュニケーションが弱いと言われてきました。ASDの人ならある程度言語がわかるのに不適切な行動をしている場合は、まず表出のコミュニケーションの弱さを疑います。それで大体の子どもはアセスメントOKですが、うまくいかない場合があります。表出を支援している場所なのに不適切行動が減らない時や、他の生活場面では不適切行動がないとするなら、表出以外に何かあるなと考えてこれまでのアセスメントを疑ってみます。
課題が難しい、生活がつまらない、褒められることが少ない等が考えられます。しかし、どんな子でもそんなに自分のことは分かってはいません。ですから、「自分はOK」と思える生活かどうか、「好きなことがある」のかどうか、「君なかなかやるね」と褒められる人がいるかどうか等をトータルに見直す必要があります。また、弱いところだけに着目した療育は必ず失敗します。必ず強みや得意なこと楽しいことと組み合わせて実施できているかも重要です。K君の生活を見渡せるほどの放デイの利用回数がないので分析は難しいのですが、定点観察をしながらアセスメントをすすめたいと思います。
カタトニア
J君に、大好物のおせんべいをメニューに示しているのに「おやついりません」といいます。どうも調子が悪いようです。顔色もよくありません。他の様子を観察すると、自立的なスケージュール行動はできていたはずなのに、その日はスタッフが誘導しないとなかなか動けませんでした。
J君にはカタトニアが時々出ます。カタトニアが出ているなと判断した際は、J君のタイミングで行動が切り替えられるように、いつもより本人と距離を取って待つようにしています。ただ、どれくらい待てばいいか、状況を見ていつ声掛けをするかは、本人の状態もあるしスタッフによって差があるもの事実です。
ASDにカタトニアの症状が出るのは、10代中盤の中学生ぐらいから20代前半ごろと言われ、期間も数ヶ月程度のものから数年間にわたる物まで幅広いです。カタトニアと思われる症状には、動作の停止、動作の遅れ、行動のやり直しなどが有ります。
飲食時の動作では、飲食の際に自分から動き出せずに止まってしまったり、摂取する動作が非常に遅く定められた時間内に食べられない事があります。本人のお腹の調子が悪かったり食べたくないのかと思い片付けると、「食べる」と訴え最後まで食べることもあります。場合によっては自分ではお皿から口まで食べ物を運べなくなってしまい、周りの大人が介助をして食べさせることもあります。飲食の遅れがあると時間内に食べ切れず、体重が減ってしまう事もあり注意が必要です。
室内の移動や屋外への移動、車に乗り込む際などに動けなくなったり、移動がとても遅くなる事があります。動けなくなってしまったときにカウントダウンや様々な声かけで促したりしても動くのが難しく、移動するのにとても時間がかかる事があります。自宅でも外出時には1時間ぐらい前から移動を促したりしても、学校のスクールバスなどに間に合わない事もあります。また、移動の際に部屋の敷居や段差などがあると、そこをまたごうとする行為で止まったり、何度もまたぐ動作をやり直したりする行動が見られる事もあります。
トイレで排尿の際に便器まで行きズボンとパンツを下ろしますが、そこで止まってしまい排尿をする事もパンツやズボンをあげる事もできなくなることもあります。また、本人は既に何度も行って理解している作業や動作にもかかわらず途中で止まってしまい、周りからの指示や促し、場合によっては体を押して前に進ませたりさせないと次の動作が行えなくなってしまう事もあります。
カタトニアは、指示をしても抵抗して嫌がる場合もある(周囲には嫌がっていることも伝わらない時がある)ので穏やかにかかわる必要があります。治療方法には薬(向精神薬等)による治療方法があります。カタトニアの原因や症状により治療方法や服薬する薬が変わってくるため、専門の医療機関での診断が必要です。
ホームページのお休み
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ホームページ等のメンテナンスのため12/16水曜まで掲載をお休みします。しばらくお待ちください。
しんどいです!
前回お話していたW君の交渉は進行中なのですが、先日W君は自分で契約した回数ができないと訴えてきたのです。10本を二回やると契約したのですが、2回目の時に「しんどいです。やりたくないです」と訴えてきたのです。スタッフの偉いところは「たかが缶潰し10本じゃないの」とはいわずに、「そうですか。では今日はやめましょう」と受け止めたことです。
W君のしんどい中身は良くわかりませんが、作業中にこんなことを言ったのは初めてなのです。たいがいは、始まるまでに「いやです」「しません」か少量付き合い程度に作業するかだったので、今回のような中断の要求は出しようがなかったとも言えます。でも作業中に彼としては思うところがあったのでしょう。その契約の内容がまずかったのか、本当に途中でやるせなくなったのかはW君にしかわからないことですが、彼の発言は尊重したいし、契約の仕方にもう少し工夫ができないかどうか次に生かそうと話し合いました。
熱い心と、冷たい頭
子どもの検査所見にはいろいろあります。観察は素晴らしいのに、で、どうするの?と具体的な支援が見えない場合があります。『何を指示しても嫌だ嫌だと拒否するI君(4歳児)の相談があったので、検査を行いました。検査者と関係が持ててきたので、模写課題をやってみようとしました。I君検査者が持っている模写カードを盗み見していて「簡単なのは嫌やで」というので難しいかなと思ったのですが正方形模写(3:6)に挑戦してもらいました。
「見んといてや」と隠すように正方形模写に一生懸命取り組みました。できた模写を見てみてみると、四角の頂点がどうしてもうまく描けず、何度も修正してモデルの絵に近づけようとした軌跡が描かれています。なりたい自分への葛藤というI君の願いがそこには表れていました。嫌だと言うI君を頑張れと追い込むのではなく、I君が自分の力で取組もうとしたり修正してくるタイミングを大事にしてあげたいものです』
I君への思いが美しい表現で綴られています。でも、これでは「ちゃんとしなさいと追い詰めないで待つように。そのうち自分で取組むと思うよ」としか読めません。嫌の原因はできないかもしれないという不安が高まるからだというのは良くわかりますが、大人の側が追い込んでいるからというだけが理由だろうかと、応用行動分析では考えます。「課題の与え方がボトムアップでゴールに届きそうにないから嫌なのかもしれない。トップダウンで見通しのある届きそうなところから取り組ませれば自信になりはしないか」と環境側にその原因を求めます。
子どもの内面の物語(スジ書き)を作ってしまうと、環境側や大人側の課題が見えなくなる可能性があると思うのです。子どもの内面だけでなく、子どもの外側に問題がないかどうか考えてみること、できるために何が足りないのか考えてみること、それが子どもをリスペクトする専門家の仕事だと考えています。学生の頃、お花畑のようなことを言って、先生から「情緒的な言葉は時として私たちから真実を遠ざけることもあります。熱い心と冷たい頭を持ちなさい」と言われたものです。
『熱い心と、冷たい頭をもて』アルフレッド・マーシャル (イギリスの経済学者)
祝500万ビュー!
祝500万ビュー!
本日でこのブログは500万ビューを達成しました!昨年4月から1年で100万ビュー、この4月から8か月で400万ビュー増加なので指数関数的に増加していると言えます。先日も見学の保護者の方から、利用しているサービスからスケジュールへのトランジションについて見直しをしているという話を聞きました。
え?それどこかで聞いたような。あ!それ私です。ブログに書いた覚えあります。見学者の方が教えてくださったサービスは我々のブログのフォロワーさんのようでした。こんなふうに身近でも読まれているのかと知ると、嬉しいような怖いような不思議な気持ちです。毎日1万回以上読まれるのは、何か共感してもらえるものがあるだろうと思います。
ということで、この500万ビューを次の1000万ビューの跳躍台にして、皆様のご期待に添えますよう職員一同精進して参りますので、どうぞよろしくお願いします。この調子で行くと来年度には1000万ビューに届きそうです。敢えてコメント欄は設けていないのですが、ご意見やアドバイスがございましたらオフィシャルアドレスまでメッセージをお願いします。
やればできる人
G君は高等部生ですがシャイな人なのでスタッフに声をかけられないとなかなか自分から進んで事が起こせません。トイレですら「大丈夫ですか?」と聞かない限り自分では行かないで我慢しています。
そのG君が、近ごろ新入りのH君と仲が良くなり二人だとちょっと元気になって、H君がいれば様々な新しい課題でもトライするようになってきました。かなり自信ついてきたねとスタッフも評価していました。友達の力は本当に偉大です。
そんなある日、別の学校の中学部生が事業所に見学に来ました。G君はチラチラと新参者を見て気にしているようです。すると、何と言うことでしょう!ストラックアウト・ゲームはいつもヘロヘロ球だったのに今日はバシッと速球で決めてきます。声もでかくなって、「俺はやるよー」と豪語しています。そして、なんとスタッフに「トイレ行ってくるわー」と言うのです。「え?ついていかなくていいですか?」「イランイラン」と手を振ってトイレに一人で行きました。新参者の中学部生が見ているとはいえ、やればできる人だったのです。後輩の力も偉大です。