すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

どうせ僕なんか

どうせ僕なんかアホやし。K君この頃自暴自棄の台詞が目立ちます。掛け算の7の段1年かかっても言えないし、学童保育行っても、みんなが乗れる一輪車に乗れないし。

低学年頃の社会性の発達は、だんだん上手になる自分がわかるから、今日がんばったからちょっと出来た、だから明日も頑張ればもっとできると言う自己肯定感につながるのです。やってもやっても出来ない課題が横たわっていれば誰だって自分が信じられなくなります。低学年時代に与える学習課題は特にこの意味で重要なのです。

伝わる大切さ

言葉のないH君は新米スタッフに大声で怒鳴って威嚇したり、歩行介助しても嫌がって座り込みびくとも動かないことが続きました。スタッフの間では、H君の担当を他の人にしてはどうかとも提案されましたがそれでは根本問題は解決されません。

何故、大声で威嚇したり実力行使に出るかを考えればいいのです。ベテランのスタッフならH君のちょっとした仕草や状況から判断して彼の要求や嫌な事を察知して実現します。でも新米スタッフにはわかりにくいという事です。そこで、考えられたのは確実に伝わったという関係を作ればいいという事です。スナックタイムにPECSで要求することを新米スタッフと取り組んでもらいました。伝わった経験を繰り返すと、H君はニコニコと喜んで、どんなに新米スタッフが離れても「ください」カードを運んできます。伝わった安心感と充実感が二人の関係を急速に変えたひと時でした。関係性はなにも時間の長さだけで作るものではありません。その関係の質が大きく関与しているのです。

注目を得たい不適切な言動

F君が、いつもはそんな幼稚なことはしないのに、今日は変な事ばっかりするのでどうしたのかなとか、G君が仲間にブランコ替わって欲しいのに嫌味ばっかり言って逆効果なのにとか、スタッフから疑問が出ました。

要するに、もっと上手く振舞えるはずだし、わざわざトラブルのもとになるような言動を何故するのかというものです。上手く振る舞えないから、上手な交渉はできない、かと言って実力行使はダメだと知っている。しかし、要求は実現したいから不適切でも先の言動をとるのです。

自分の不安が漠然としてはっきりわからなかったり、わかっていても表現する言葉を持ち合わせていない時に子どもは大人の気を引く行動をします。また、上手にブランコを代ってもらう交渉スキルがないので、お友達が怒り出してしまうほどのセリフを言えば席を立ってくれるのではないかと嫌味を言うわけです。どちらも相手の感情がどうなるかは考えられていないので、高確率でトラブルも起こりますが、たまに自分の思い通りになる時もあります。これをギャンブル依存理論=間欠強化と行動分析ではいいます。

「なんて言えばいいかわからず困っているねん」「どういえばいいの」というワンフレーズを発信すれば済む話なのですが、大人に向かって援助を求めることが難しい人が多いのです。こういう場合は、軽微な内容ならその場で正しい言い方に修正させます。自分でも気持ちの整理がつかないような不安定な状態なら、まずは気持ちがフィードバックできる環境を作って自分がどういう感情だったかを確定してから取るべき行動を考えさせます。

よく、「注意喚起行動は無視する」とスルーすることが絶対だと勘違いしている大人がいますが、それはその子に利得を得させないという場合のみ有効なのです。しかし、修正介入しなければ事は解決しない場合に、無視だけしていても、どんどん激しい行動になって結局応じてしまわざるを得ないことが予測できるなら、さっさと修正介入すればいいのです。スルーはがまんくらべではないのです。

インフルエンザ

今年のインフルエンザの流行カーブは令和2年4週目からガクッと下降線を描き、現在は昨年の収束期の数値です。新型ウィルス感染予防の成果とは言え、手洗いはすごい効果のあるものだと、改めてその感染予防威力に脱帽しました。本事業所が把握している利用者のインフルエンザ罹患は2名です。一人は手洗いは絶対嫌だという子でしたが悔い改めたようです。

新型コロナウィルスの感染予防策では、北海道が長期の休校を、東京では時差登校を、全国的には卒業式は在校生抜きでという対策が打ち出されると、今日は政府が公立学校に春休みまでの臨時休校を要請しています。学校を休みにして、保育所や学童保育所などを休日モードで開所した方が感染を小規模に囲い込め、2次3次のクラスター感染を予防できるという判断です。私たちとしては、メディアの不確実な情報の垂れ流しに煽られないように、冷静な判断と手洗い飲水を心がけるだけです。

移行支援会議

今日は、保育所等訪問支援でした。小学校から中学校にどう支援を引き継いでいくかの会議です。小学校では当たり前のことも中学校では違います。例えば、小学校では担任の先生が全てを把握していますが、中学校では教科担任制なので、受け持ちの授業しか状況がわかりません。

ただ、前者は一人の先生の意見に左右されますが、後者はいろんな子どもの見方が出てきます。公的教育で好き嫌いをいうのは良くないのでしょうが、人間には相性というものがあります。子ども好みがあるように先生にも好みがあります。カリスマチックアダルトとは子どもの側からだけではなく先生の側からも許容できる生徒だということです。

 

避難訓練

昨日避難訓練をしました。想定は震度6強の地震です。みんな、学校で訓練しているので落ち着いて机の下に潜り込んでいました。避難は、近くの府立高校まで徒歩で行きました。若干1名、意味が分からず動けなくなる人がいましたが、他の人はスムースに10分ほどで避難移動できました。初めての訓練だったので、学校でもないのにと混乱した方もいたようです。繰り返すことが大事だと思います。「おはしも」を合言葉に防災訓練を続けたいと思います。

ベテランの見立て

こどもの状態について、キャリアの違いによって見立てが違うのは当たり前です。もちろんキャリアがあるからと言ってエビデンスもなく決めつけるのはキャリアのない人の学びにならない教条主義を助長するだけですから避けるべきです。F君は体調が悪いと学校から報告されていました。ところがスタッフの評価はF君とても適応して生活しているという報告でした。一方で、終わりの会でF君待ちきれずに離脱してしまったという報告でした。ベテランのスタッフは子どもの体調が悪い時場合によってはいつもより適応的な姿を見せることを知っています。でもそれは安定的な姿ではなく非常に不安定な臨床像だということも知っています。ところが経験量が少ないスタッフは適応的なのか不適応的なのかどっちなんだと短絡的な回答を求めがちです。答えはどちらもあるです。体調が悪いとしんどいので衝動性が低くなります。でも適応的に見えるからと言ってそれは実力ではありません。一番苦手な場面では衝動性は復活することもあります。これは経験の多いスタッフしか分かり得ないことです。

行き渋り

「Eちゃんがいるから」今日は行きたい・行きたくないと子どもでなくても思うものです。学校や職場は行きたくなくても行くのは仕方がないにしても、学童保育や放デイの放課後は、理由はどうあれその気持ちは尊重してあげたいようにも思います。好きな子がいるのは来なくてがっかりで済むけれど、嫌な子がいると心身をすり減らして放課後を過ごすことになります。世の中は嫌な人とも過ごすことはありますが、嫌な人との過ごし方を習ったわけでもないし、気になる人はとっても気になるのです。

ただ、放デイの場合は微妙でこうした事象について社会性の課題として介入するべきではあります。ただ、低学年であればあるほど短時間の生活ではなかなか効果的なフィードバックをしながら支援するのは困難だなとも感じています。家庭での保護者の適切なフィードバックも必要ですが放デイにはペアトレの機能はありません。月2回限度の1時間を超える家庭連携加算をこれに充てられるならトレーナーの捻出の課題はありますが実現の糸口は見えてきます。

避難確保計画

平成 29 年 5 月に改正された水防法において、要配慮者利用施設の所有者又は管理者に対して、利用者の洪水時等の円滑かつ迅速な避難の確保を図るために必要な訓練その他の措置に関する計画の作成や計画に基づく訓練の実施が義務付けられました(水防法第 15 条の 3) 。

要配慮者利用施設の施設管理者等が、避難確保計画の作成を進めるにあたり、国土交通省では「避難確保計画作成の手引き」等を作成し、施設管理者等を支援しています。また、平成 30 年 3 月には「講習会の企画調整及び運営マニュアル~要配慮者利用施設 避難確保計画の着実な作成に向けて~」を作成し、地方公共団体による要配慮者利用施設の避難確保計画作成促進を支援しています。

今日は向日市役所に行って、マンツーマンで国土交通省の方からマニュアルの作り方を学びました。本事業所の位置は桂川の堤防が決壊して5時間ほどで30~50cm程の浸水があるそうです。向陽高校や5向小学校も浸水するので、すてっぷの場合は垂直避難、つまり2階に逃げるのが適当と助言を受けました。

淀川が決壊するなら、おそらく小畑側も決壊しているはずだし、外環とJRのアンダーパスも浸水するので、そう簡単には自宅からのお迎えを期待できないかもしれないということもシミュレーションでわかりました。今、避難確保計画を作成中です。

基地

E君が基地を紹介するからと、藪の中に連れて行ってもらいました。小山の中腹辺りに50cm程のうっすら掘られた横穴二つを指さして「先月から築城している」と説明してくれます。山城が完成したらまた教えて欲しいと言って藪を後にしてきました。日暮れまでせっせと石やら枝を運んで築城しているのだと思います。工作やら創作活動もいいのですが戦国武将か探検隊のイメージだけで土や石や木を見立てて仲間と共有して何日も楽しむ遊びは贅沢な遊びです。

 

PECS

D君のスナックタイムを使って、PECSに取り組んでみました。フェーズ1はカードを渡せば大好きなスナック菓子がもらえる設定はすぐに理解してくれました。フェーズ2は、そのカードを渡す人や距離を伸ばしても恒常的にできるかどうかでした。D君、距離が伸びても渡せました。でも人が二人いるとどっちに要求していいか分からなくなったり、ドアを開ける動作をしているうちに要求行動を忘れてしまったりするようでした。

驚いたのは、別の場所に行って他の友達が使っているカード(内容は違う)をはがしてスタッフに渡すのです。「ジュースが欲しいの?」と聞くとうなずくので、「はいジュース」と提供しました。その日は、スパゲティー調理の日でした。するとD君階段を駆け下りてきてまた友達のブックからカード(内容は違う)をはがしてスタッフに渡しました。「匂いでわかった?スパゲッティーどうぞ」ということで、D君その日のうちにフェイズ2の応用まで学習しました。次はカードの弁別のフェイズ3です。

おせっかい

D君は、低学年にやさしくて面倒見が良い人です。でも、低学年なら助言やフォローとして良いのですが力が均衡するくらいの相手になると、相手から「おせっかい」「うるさすぎ」と嫌がられてしまいます。

実はD君の口出しは人のためというよりは自分の馴染んだパターンから外れていたり自分の思いと食い違うときに、相手がどう感じるかを考えずに口を出したくなる場合が少なくないのです。でも低学年のうちは大人にとって「良い意見」であることが多く、よく気が付くねと褒められていたのです。

ところが高学年になっても同じようにやるので、周囲の仲間から何となく自分が浮いているのが分かるようになってきたのです。でも、相手の感情がうまく見えないので、D君は人といることが煩わしく感じるようになりました。心の理論「見えない約束2/7」についてはASDの人は遅れて理解すると前回書きましたが、全部が見えるわけではないです。そこで、ソーシャルストーリー等を通して「暗黙のルール」(非ASD者にとっては自然に理解しているもの)を学ぶ必要があるのです。

 

 

愛着形成

低学年のZさんを学校から事業所に迎えました。送迎の車の中で楽しそうにお話していたZさんが事業所の玄関の前で突然泣き出しました。「おかあさんが参観に来たのにさよならも言わずに家に帰った」から悲しいというのです。

「え?今悲しくなった?」とスタッフ戸惑います。ASDの子どもの感情表現は時としてかなりタイムラグがあったりします。それから「参観では、さよなら言わずに帰る母親の方が多いよね?」Zさんだけではないはずと言います。しかもZさん幼稚園ではそんなことで泣いたりしなかったと言います。Zさん、ようやく愛着形成の時機に入ったかもしれません。

お母さんがいなくてさみしいと思うのは乳児期後半からです。その後愛着形成は幼児期前半で一応完成されるとイギリスの精神科医ボウルビィは言います。でも、ASDの子どもは愛着が遅れる人が少なくないのです。小学校に入ってから急に母親にべたべたするようになったりするのがそれです。子どもによって表現の仕方は違いますが、ASD児の愛着行動は遅れるので奇妙に見えるが変ではないと押さえておきたいものです。

 

第2鉄塔

本日は西山の第2鉄塔まで足をのばしました。少し寒さが戻ってきているものの、ジャケットを着こんでいると汗が乾きません。光明寺から方丈池を越えて京都タワーが見える展望台まで15分。お茶を飲んで一服したら分岐点を通り過ぎて真ん中の道を緩やかに上って最高点232mを通過して梅林まで15分そこから横道に入って第2鉄塔まで10分。光明寺から小一時間で第2鉄塔に到達します。春になると蕨やゼンマイが出てきそうな斜面もあります。往復90分くらいでよい有酸素運動になります。

高学年らしさ

通常学校の利用者に感じていることは、低学年と同じレベルで諍い合うなど高学年が幼いことです。これは障害とは関係がないように思うのです。人は、年齢に応じて社会から「らしさ」を求められます。ところが高学年の彼らは「らしく」扱われていないのではないかと思い当たる節があります。高学年は低学年の面倒をみてやったり、年長者として譲ってやる、見過ごしてやるという度量が試されます。障害があろうがなかろうが年長者や大きいものは年下の者や弱い者を擁護するということを、簡単には分からなくても「求めているよ」ということは示す必要があると思います。

温い

暖かいことを表す「ぬくい」という言葉。「(聞いたことはあるが)使ったことはない」「聞いたことすらない」と答えた層の割合は、東京の19.9%に対し大阪は4.9%で、くっきりと結果が分かれます。ぬくいは関西スタンダードということです。今日は気持ち悪いくらい温い日でした。16時の今も卓上温度計は21度です。こんなときは、ぶらぶらと河原でも歩いてぼんやり小畑川の川面や西山を眺めるなんていうプログラムでもいいと思います。

 

 

負けるが勝ち

このブログでは何度か勝ち負けについて述べてきました。「負けと癇癪 01/17」 では「負けるが勝ちゲーム」を紹介しましたが、「そんなにうまくいかないよ」とのご意見もあるので、今回は負けの感情コントロール療育の王道をご紹介します。

突然のショックに耐えられなくて不適切な行動を起こしてしまうことが課題なので、ショックに耐える練習から始めます。ゲームの前に、「負けても泣かないゲームをします。1回我慢出来たら大好きな動画が1つ見られます。何が見たいですか?」と最初に交渉します。で、実際に負けてもらって我慢してもらい、御褒美を繰り返します。トークンの中身は速攻その場から、一日の最後にトークンを積み上げていきます。つまりトレーニングをしてもらいます。最初はダメージが強くないゲームから始めます。ご褒美もケチらないでグレードアップします。1か月たてばかなり感情コントロールが定着しているはずです。「負けるが勝ちゲーム」とどこが違うのか?とお怒りの方、すみません。結局中身は同じですね。

 

 

感覚刺激

今まで日本での特別支援教育では「余計な刺激は除去すること」が重要だとされてきました。しかしアメリカでは適切な刺激は学習に必要な支援だとして実践しているのです。2015年に行われたセントラルフロリダ大学の研究で「*ADHD(注意欠如多動症)の子どもたちは学習時に体を動かす必要があり、それによって学習成果が伸びる」ということが科学的に証明されたそうです。その研究によりなにかの感覚刺激を教育に取り入れることは、集中力を保つ有効な手段であるということがわかってきました。

*ADHD(注意欠如多動症)とは、「集中力が続かない」「忘れっぽい」などの不注意・「落ち着きがない」「じっとしていられない」などの多動性・「思いついたら周りに関係なく行動してしまう」などの衝動性を特徴とする発達障がいのひとつです。一昔前までよくない行動とされてきた「貧乏ゆすり」も感覚刺激の一つで、最近では「貧乏ゆすりによってセロトニン分泌が増加して気持ちの安定が得られる可能性があること、気持ちが落ち着かないときに気を紛らわせ、ストレスからの回避行動になっている」という研究報告もされています。

しかし「感覚刺激入力による学習支援」のためのツールが、日本ではまだまだ開発されていません。そもそも学校教育の現場でそういったものを必要とする意識が低かったため、広がっていないのが現状です。低学年だと鉛筆をかじる子も多いですが、そういった子は噛むことからの感覚刺激で心の安定を図っているのです。アメリカには噛むことを想定した鉛筆キャップなども存在します。外部刺激が苦手な子どもには、机に取りつける仕切りも必要です。

そのほかにも、触ることによって気持ちが落ち着いたり集中できたりするクーシュなどいろんなものが医療や福祉の分野では開発されています。Harklaの着圧(重みのある)ベストは深部感覚を刺激し、自閉症やADHD、感覚障害を持つ子どもに落ち着きを与える効果があったり、同社のブランケットは睡眠障害を軽減する効果もあるとされます。子どもの感覚に注目してみると新しい可能性が見えてきます。

待つこと

「待つこと」とは、スタッフに求められていることです。集団指導の時、子どもが何らかの理由で予定に従えなかったり向かうのが遅かったりすることが良くあります。ほとんどは同じ子であることが多いです。そんなとき、大人は「またか」と思ってしまいます。でもそれはきっと従えない子どもの方も「マタカ」と思っているのです。

コミュニケーションが苦手だったり、リーディングマインドが弱いと日課の切り替え場面で混乱する人がいます。理由としては、一つは次に何をするのか分からない場合。二つ目は、やる事は分かっているけど「やらされるかもしれない」という大人の強制力に不安を感じてしまう場合です。三つ目は、その不安を解消する質問や援助や交渉のコミュニケーションができない場合です。

実は一つ目と二つ目は裏表なのです。やる事がわかっていれば自発的に行動を起こしたことで大人に褒められるので、それが動機となって良い循環ができて習慣になります。やる事がわからないと、大人にいつも依存して行動することになり自発行動を行う機会がありません。ややゆっくり行動を始めていても「早く」とか「行くよ」など、現在の行動へのやや否定的な評価が多くなり褒める機会が作りにくいのです。

また、ゆっくりの行動する理由には、見通しがないまま行動をする不安感情があり、促しの指示には「いや」「まだ」「やめて」という拒否が起こり易い心理状態にあります。ここで、「行くよ」「はやく」などと指示しようものなら不安が強ければ強いほど過剰に反応して、表出コミュニケーションの弱い人は拒否するしか方法がありません。子どもの「いや」「まだ」には、切り替え時に見通しが「わからない」不安と「やらされる」不安に満ち溢れています。

「次はこれをするよ。終わったらこれがあるよ」という見通し情報を本人が理解できるモードで示し、気長に待てば、行動を起こした時に褒めることができます。人は行動に自分の利得がある場合にのみその行動が強化されます。同じ行動をしても利得がなければ弱化・消去します。子どもの利得の多くは大人に承認されたり褒められる事ですが、人によっては「お気に入り」の獲得からアプローチする場合もある事を理解しておく必要があります。

「待つこと」で自発行動を重視するのは良い行動を強化(持続)したいからです。そして、その人の理解し易い方法で情報提供できていれば、自発行動は起こりやすくなり、理解しにくい情報提供なら拒否行動は増えるという大原則にいつも立ち戻る事が大事です。

梅林まで

本日も西山へ行きました。先週が寒かったためか、梅のつぼみは固くなってしまったようです。今日は分岐点から梅林と河陽が丘の分かれ道まで光明寺から40分ほどかけて歩きました。梅林の入り口は竹に侵食されていて跡形もありませんでした。今度はもう少し奥まで(縦貫道が地下を走っている上を超えて)歩いてみようと思います。ちょっと北風がひんやりして、今日は上着が必要でした。

見えない約束

A君がB君に「今日の自由遊びいっしょにマインクラフトしような」「OK!」とB君引き受けます。C君が帰ってきてB君に「後で遊ぼうな」「OK!」とB君はさっきの約束は忘れて安請け合い。さて、自由時間A君とC君がバトルになります。「B君は僕と約束した」と主張を譲りません。

この人たちは見えていないことを想像するのがとても苦手なのです。「・・・なるほど僕の知らないところで約束したのだな、B君の浮気者め」と想像できないのです。
心の理論課題の「サリーとアン課題」を下図に掲載しました。
1 サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる。
2 サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行く。
3 サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移す。
4 サリーが部屋に戻ってくる。
上記の場面を被験者に示し、「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すか?」と被験者に質問します。正解は「かごの中」ですが、心の理論の発達が遅れている場合は、サリーは「知らない」ことが想像できず「箱」と答えるのです。 通常5歳を超えると直感で「知らないこと」がわかると言います。ASDの人たちは高学年にになって理屈で理解すると言います。

相手の心を読むのが苦手なので、それがいじめの原因になったり、就労のつまづきになったり、社会生活上の対人関係の誤解・こじれにつながります。

 

 

初雪

朝方降雪が続きました。この冬初めてではないでしょうか。明日も寒いと予報は伝えていますが、雪は今日で最後かもしれません。さすがに寒いので部屋の中でおもちゃのボーガンで筒倒しをしました。うるさくないように紙製の筒(チップスター)を的にして積んで倒します。

混乱しているときには視覚支援

Z君、学校でいつもお気に入りで見ていたホームページの表示が潰れてしまい、誰に話しても解決できないので大混乱して帰ってきました。テレビの番組は番組終了などまだ予告があるからいいですが、WEBサーバーの故障は誰も予告できないです。

スタッフは、床に突っ伏して大声を上げているZ君にあれこれ慰めるのですが、効果がありません。「(作業もしなくちゃいけないけど)そんな気にはなれないよー」と怒っています。こちらに解決策がないときは、あれこれ言わずに「それは残念だね」「どんな気持ち」と感情カードで気持ちを表出してもらい「残念だったねー悲しいねー」と共感するだけでいいのです。あれこれ言っても、普段でも苦手な聴覚情報は混乱のもとです。残念なことは共感しつつも「小さな声でお願いします⇒大好きなご褒美があります」と視覚情報でこちらのお願いを伝えます。

 

宿題

すてっぷでは、宿題がある人はしてもいいことになっています。子どもたちが帰って来ると「今日宿題はありますか?」と聞きます。「ない」と言う人の中には、「(宿題をやりたく)ない」という場合があります。大概は、その子の苦手なものか、弱いところが配慮されていない宿題です。

Yさんは、とってもお喋りが上手で目先がきく活発な子どもです。宿題が「ない」というので、カバンの底を探すとくしゃくしゃになった国語のプリントが一枚出てきました。「お話を読んで、あてはまるものに○をしなさい」というプリントでした。あんなに饒舌にしゃべっていたYさんはたどたどしく文章を読んでいます。読むだけで100パーセントの学習パワーを使ってしまう読み方です。とても考えるところまでエネルギーが残っていない感じです。結局、読んであげればすぐに正しい回答を考えることができました。学校の先生はYちゃんのこの苦労と屈辱を知っているのかと気になっています。

板書を見ながらの作業

登り人形「7/24 登り人形」の工作をしました。W君はお喋りが上手で記憶力も優れた子どもです。スタッフから、登り人形の作り方をホワイトボードに丁寧に書いているのに、W君全く違うものを作るのでなんでだろうという話がありました。手元の手順書で仕事を進めるのと、板書を見ながらの作業では天地の差に感じる子がいるのです。

発達性協調運動症(障害)については前回「11/22 発達性協調運動障害」で掲載しました。それには様々な原因がありますが、原因の一つである「見る力」について考えます。日常生活の中で、不器用さに悩んでいる子どもは意外と多いのです。のりを使えば手や机までベトベト・・・。ハサミで画用紙を切ったらガタガタ・・・。折り紙を折ればぐちゃぐちゃ・・・。これは手先の問題ではなく「見る力」に問題があるのかもしれません。

1.両眼視の問題
左右眼の視線を揃え、右目と左目に移った像を重ね合わせて一つの映像として知覚し、遠近感や立体感を捉える眼と脳の働きのことを「両眼視」といいます。この機能がうまく働かないと、遠近感や立体感を正しく把握することができないため不器用さにつながります。
2.視知覚・視覚認知の問題
形や空間の情報を分析し、それらの刺激を過去の経験に照らして解釈する力のことを「視知覚・視覚認知」といいます。この機能がうまく働かないと、遠近感や立体感を正しく把握できず、不器用さにつながります。
3.目と手の協応の問題
目から取り込んだ情報と連動して、手や身体の運動を調整する力が弱いため、正確で素早い動きができず、不器用さにつながります。視覚と運動の連動をトレーニングする「7/16 ビジョントレーニング」が効果的です。

このように、「見る力」と不器用さは様々な点で関係があることが分かります。日本では、見え方=視力と考えてしまいますが、視力がいくら良くても、視覚機能に問題があるケースも多いです。米国、カナダ、ヨーロッパには、オプトメトリストといった、視覚機能の検査・訓練を行う専門職があり、国家資格になっています。日本ではあまり聞かれませんが、アジアでも、フィリピン、韓国、中国など、オプトメトリストが認められている国、認められつつある国があります。米国では、視覚機能に問題があるために学習能力を発揮できない子どもたちや、視覚機能に問題があったり、より視覚機能を高めたいスポーツ選手、また、一般の人でも、見え方に何か異変を感じたら、まずがオプトメトリストのクリニックを訪ねるのが当たり前になっています。

私たちは調理など手順が必要なものは一人一人手順書を渡しています。それは手順を覚えておらず、作業速度が各人違うということもありますが、板書まで視線を移動させて視覚情報を短期記憶して保持したまま手元の作業に戻るということが難しい方が多いからです。もちろん板書だけで理解できる子もいますが視知覚や短期記憶が苦手な人に合わせて準備しておけば誰も困らないわけで、これが障害者差別禁止法に定められている合理的配慮(特定の障害者を対象としている施設ではただの準備不足)です。

暖冬

今日、光明寺の梅のつぼみが膨らんでいました。来週遅くには開花する感じです。西山を登っていくと、展望広場からは京都が一望でき京都タワーや五重塔もくっきり見えていました。登り始めるとジャケットはいらないくらい暖かいです。もう寒くはならずこのまま春を迎えるのでしょうか。昨日は山間部や北部では降雪があったそうです。京都市内の降雪観測が始まった1961年以降、降雪記録がない年は2013年以外ありません。今年は2回目の無雪年かと案じてたら、5日(水)頃から冬型の気圧配置が強まり、関西の上空1500メートル付近にマイナス6度以下の寒気が入る予想が発表されました。これは今季で最も強いだけでなく、数年に一度レベルの強さなので、降雪が期待できるかもしれません。

京都PECSサークルのご案内

 

京都PECSサークルのご案内

PECSを使ってのコミュニケーション指導を実施している人たちが集う学習や実践交流の場として,「京都PECSサークル」への積極的なご参加をお待ちしています。
■ 対 象:PECSレベル1ワークショップ受講者

■ 活動概要
オフライン(研究会)・オンライン(ZOOM・ML)でのマニュアルの学習,実践交流
*日 時:ほぼ3か月に1回 最終金曜か土曜
*場 所:現在は「ZOOM」、令和元年までは「こどもみらい館」
*地下鉄のご利用 地下鉄烏丸線「丸太町」 徒歩5分
■事務局
代表    門 眞一郎(児童精神科医フリーランス)
      久賀谷 洋(合同会社 オフィスぼん)
      澤 月子 (南山城学園SV)
      楠田 千佳(臨床心理士)
      灘 明日香(京都市発達障害者支援
                                                         センターかがやき)
      真鍋 由香(京都市立東総合支援学校)
                      辻村 文緒(京都府立丹波支援学校)
      加藤 健 (南山城学園)

【お問い合わせ、お申し込み先】
E-MAILにてご連絡ください。 owner_kpecs@googlegroups.com
アットマークは小文字にして送信してください。

学童保育と放デイ

学童保育と放デイを両方利用している利用者は多いです。乙訓地域の場合は放デイの支給量が通常週3回に制限されているので、他の地域より学童保育を利用する方は多いかもしれません。障害のあるなしに関わらず誰でも受け入れていこうというのが社会の流れですが、全ての学童保育施設でどんな子でもそのニーズに応えられているわけではありません。インクルージョンという考え方が福祉や教育の世界で言われていますが、まだまだ言葉だけの理想的概念と言わざるを得ません。公的金銭的な設備投資は難しいにしても、工夫すれば一歩前に進める事例でも、これまでの指導の考え方や同調圧力が邪魔をして踏み切れない現場や職員マネジメントの困難さがあります。

放課後や長期休業中も、その子なりに多様性のある社会の中で生きてほしいという考え方を保護者が持つことは大事なことです。しかし、騒々しい環境が苦手な発達障害の子やそのグレーゾーンの子にはストレスが多いのも事実です。「どうしたら学童クラブでストレスなく過ごせるか?」と学童クラブの指導員も保護者も悩むことがあると思います。障害に合わせて環境を調整する合理的配慮という言葉がありますが、先に述べたようにお金の問題ではない現場マネジメントの課題があります。一人でも納得しないと新しいことに踏み出せず、議論の堂々巡りをしている現場ほど、分担すると個人責任にしてしまいがちな傾向があります。頑張って新しい提案をしても、失敗したら自分だけが責任を問われるのでは提案する気にはなりません。この問題を解決するリーダーの配置こそが必要なのだと思います。

また、保育園では子どもの力も弱く、動作も比較的ゆっくりで、予測できないことも限られるため、行動をある程度は制することができます。幼児はそもそも生活のほとんどに支援が必要なので、障害があるないで支援の考え方にあまり差がありません。保育園では受け入れてもらったのに就学したら冷たいと思っている保護者には、先述のように保育園とは違うという説明が必要です。

また、行動問題が生じて他の子と違う個別の支援が必要なのに、行動問題は障害や発達の問題なので仕方がないとされていたり、反対に加配スタッフが子どもに寄り添い過ぎて自立に必要な支援になっていない場合も、障害があるのだから大人が寄り添えば良いという「善意の誤解」があります。

学童保育の職員の質の問題などか取り沙汰されますが、放デイが整備されつつあるので、学童クラブの障害児保育の需要は下がってきています。子どもにとっても、10人ほどの集団で過ごす方がよほどストレスなく過ごせるからです。それなら学童保育から特別な支援を要する子どもはいなくなっていいのでしょうか?それは違うと思います。今、インクルーシブを掲げて障害のある子どもの施策が進められていますが、その結果、障害児の囲い込み(エクスクルーシブ)とも言われる現象が起こっています。ちょっとクラスでついていけなくなると支援学級に入級する流れが起こっています。その結果支援学級に知的に遅れのない児童が増え、結果、支援学校小学部に軽度の知的障害の子どもが増えるという現象が見られる地域もあります。これは特別支援教育が進む上での発展途上の中間現象かもしれませんが、振り子がブレ過ぎているように感じます。

私たちは学童保育に隣接した障害や発達についての専門技術を有する放デイがあればインクルージョンは進むと考えています。何もかもを満たす施設を望むのではなくお互いのいいところが発揮できるように、物理的に近づけて設置すればいいのです。隣同士であればスタッフの交流も進むし、様々な支援スキルも伝えることができます。教育だ福祉だと縦割り行政の壁にはまり込まず(学童保育は小学校内にあるので教育行政管轄が多いです)、自治体のトップが相互乗り入れのグランドデザインを描いて実行することが求められます。

少数の子どもの施策がなかなか進まないのは児童期が短く成長変化の多い時期のために、要求が実現するまでに子どもは次のステージに上がってしまうので、組織的な動きになりにくいのです。けれども多様性を認めた社会を作るためには、児童期にインクルージョン環境の中で特性に応じた支援が必要な子どもに行われ、それを他の子が日常的に見ていることがどうしても必要です。このプランを市民全員で共有できるなら共生社会は早い時期に実現できるのではないでしょうか。

トイレトレーニング

見学で訪れる就学前の子の中には排せつが自立していない子どももいます。保護者の方は保育所で言われた通りしているけどなかなか自立しないと焦られている方もおられますが、焦る必要は全くありません。トレーニングの時機と方法がその子の状態と特性にヒットすればあっという間に自立する子も少なくないです。みんなと同じやり方でうまくいかないなら、別のやり方を選べば良いのです。

下のグラフはトレーニング開始時期の調査ですが、通常でも2年以上の開きがあります。トイレトレーニングでは3歳までにパンツに変えて濡れる感覚を教えるんだという通説がまかり通っていますが、知的な遅れや発達障害を併せ持つ子はそれではうまくいかないことが少なくありません。通常のやり方での成功の原動力は、大人に褒められたい認められたいという動機の強さです。その要求が弱い場合は、別のアプローチを考えれば良いのです。また、濡れた感覚は子どもによって感じ方が違います。特に発達障害の子どもの感覚は過敏すぎたり鈍麻すぎたりで大人が思うような濡れて嫌な感覚を感じてないこともあります。結論から言えば、時機を見定めて短期集中型(3日から1か月程度)で視覚支援(何をどうするか成功したらどうなるか絵にして知らせる)や行動療法(ご褒美作戦)を用いたトレーニングで成功している例も少なくないのです。

時機を見定めるまでは、紙パンツでいいのです。3歳頃から布パンツで始めて1年も2年も失敗を続けている子どもがいますが、本人にとって失敗が当たり前になってかえって成功しにくいです。また、この失敗は時機を見誤っているか方法が間違っているのかもしれないと考えるべきです。子どもの個性は違うのですから、トレーニングも個性に合わせたほうが成功します。以下に通常のトレーニング方法を掲載しました。知的な遅れのある子や発達障害の子にどこが合わないか考えてみましょう。
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通常の場合のトレーニングの考え方はまず布パンツへの移行です。薄いタイプであれば、おしりに濡れた感触がすぐに伝わり、子供も失敗に気付くと同時に、漏れた不快感を感じます。この「不快感」がトイレトレーニングではとても大切で、子どもは不快感を味わうことによって「パンツにおしっこをしたら気持ち悪いんだ、だからトイレにするんだ」ということを学び、早くトイレトレーニングが進むと言われます。そして、水分をよく吸収する分厚いパンツは、洗濯が少なくすむけれど、子どものトイレトレーニングには不快感が少ないので不向きだと言われています。また、トイレトレーニングは子ども自身の意欲がとても大切で、パンツがモチベーションになるので、その子が好きな色やキャラクターのパンツを履くことで、トレーニングに意欲的になると言われます。

トレーニングの時期は「排尿の間隔が2~3時間空いていること」が目安になり、お喋りの早い子は「トイレ行きたい」と言えるのでトレーニングしやすいと言われます。トイレトレーニングは「3歳の誕生日を迎えるまで」を目安に、春~夏の終わり頃までが寒く無くて良いそうです。冬は寒くてトイレの間隔が短くなるので失敗が増えて良くないというのが理由です。
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いかがでしたか?濡れるのが気持ち悪く感じるということや、~だから~するという通常3歳頃の認知や言葉の力、排尿間隔が2時間以上という成功のための前提があるのです。逆に言えばこの前提が揃わなければトレーニング効果が上がりにくいという事です。効果がないのに延々と平均の子どもたちと同じ方法で取り組む就学前施設は、是非工夫をしてほしいものです。そして、別の方法があるのですから取り組んで欲しいものです。就学前児を支援する何とか支援センターはその工夫の助言をするためにあるのですからもっと積極的に支援して欲しいものです。そして、みんな同じ時期や同じやり方でなくても良いし、他にも視覚化や構造化、他の行動療法アプローチがあることを広めて欲しいものです。

転ばぬ先の杖?

「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように前もってあらゆる準備をしておく、前もって準備をしていれば、いざという時も失敗することはないという意味です。普段、歩く人は、まさか、自分が転ぶことはないと思っているので、杖を使うことはありません。しかし、いざ転んで怪我をしてから、杖を持つようになっても遅いので、前もって準備しておくことが大切という注意喚起の意味で使われることが多いです。「石橋をたたいて渡る」も同義です。

私たちの取り組みの場合は、なんでもかんでも失敗しないように準備する「転ばぬ先の杖」「石橋をたたいて渡る」とはちょっと意味がちがいます。しかし、「戦を見て矢を矧ぐ(いくさをみてやをはぐ)」の行き当たりばったりでもありません。S君とT君がカードゲームをしてS君が勝ったのにT君が「自分の知るルールは違うが今回は一番で許す」と上から目線で行ったのが、S君カチンときて席を立つハプニングがありました。あとでスタッフが、最初に「上がり」のルールを確認すればよかったと言うのですが、問題が起こらないのが良い療育でもなかろうと言う話になりました。

今回の問題はルールの問題と言うより、同学年なのに上から目線で言うS君と、それが我慢ならないT君の摩擦です。T君にはS君の何にむかついたのか、S君にはT君がなんで怒ったのかを二人でスタッフと考えれば良いし、今度うまくやるにはお互いどうすればいいのか考えるいい機会です。スタッフには、こういう摩擦が起こったときにどう導いていくか予め準備押しておくのが「転ばぬ先の杖」です。逆にこういう摩擦が想定外だとスタッフが感じるなら「戦を見て矢を矧ぐ」実践となっていることを事業所として反省しなくてはなりません。

表情の絵カード

終わりの会で、今日は何が良かった?と聞きます。お話の苦手なP君には感情カードを提示してみました。すると、「楽しい」表情を選択して、小さな声で「たこやきタノシカッタ」と答えてくれました。ここまでは計画通り、その後が素晴らしかったのです。P君の表現を見ていてた、少しおしゃべりができるQさんもR君も表現カードを見渡して今日の経験について自分の感情を選んで表現してくれました。

表情の絵カードの役割は、自閉症(ASD)のこどもが相手の気持ちを理解したり、自分の気持ちを伝えるために使います。彼らは表情や感情の読み取りだけでなく、表出も苦手な人が多いので、こうして機会を見つけては気持ちを聞いたり伝えたりしています。

でも、今回良いなと感じたのは、それを見ていた、少しおしゃべりができる子どもたちも、感情カードがあったほうが自分の思いが伝えやすいと発見してくれたことです。

絵カードの表情は何気ないカードのようにも感じられますが、感情を伝える最も大切なものであり、円滑な社会性や人間関係を築いていくために役に立ちます。

今家庭でできることをはじめる

「光とともに」
『光とともに… ~自閉症児を抱えて~』は、2001年から10年近くにわたって月刊マンガ誌『フォアミセス』に連載され、その間にテレビドラマ化もされて大ヒットした作品です。コミックスの累計発行部数も全16巻260万部を超え、「このマンガを読んで、自閉症について初めて知った」という読者も多いです。

自閉症の息子(光君)を抱えた1人の母親の姿が描かれていて、診断される前後の苦悩や、障害の特性行動に悩む母親の姿が描かれています。自閉症の母親なら少なくない人が読んでいるという、バイブル的漫画です。1巻の最後の保育園の卒業式の場面。園児がそれぞれ、将来の夢を口にして発表するなか、言葉が話せない光君の変わりに、母親が光君の手を上げて「大きくなったら、明るく元気に働く大人になります」と宣言する姿が感動的です。

作者の戸部けいこさんは、執筆中に病気で亡くなられて物語りは完結はしていないですが、きっと光君が働く姿を描かれたかったんだろうなぁと思います。主人公の母親が壁にぶつかった時に、「だったらどうしよう」と考える姿も感銘をうけます。子育てのゴールは自立。子どもの成長を考えるときに、成人して「就労」ということを基準に、色々なことを選択しようというメッセージが込められた漫画です。

昨年末までに就学先を決めた方は、新しい学校の様子や子どもの状況の情報交換しながら、新年度を迎える準備をされている方も少なくないと思います。行き先の学校ことが気になる時だからこそ、「大きくなったら、明るく元気に働く大人」になるために、学校以外の家や地域で何が必要か、今家庭でできることをはじめる事が大事と、光君のお母さんは描かれています。

自由は不自由

ちょっとした時間が空くと、「ひま~。おもろない」とよく子どもが言います。「ふーん、暇なんや。うらやましいわ。なんでもできるやん」と子どもには返しています。自分の子ども時代と比べても仕方ないですが、「ひまやなー」と自問することはあっても、大人に暇やから何とかしてくれと言うようなことはありませんでした。そんなことを言おうものなら、「勉強しろー!部屋の掃除してー!買い物行けー!庭の草抜きして―!」と矢継ぎ早に指示が飛んでくるからです。暇な時間は、夢想したり友達と何かを見つけたりする大事な時間でした。

もちろんASDの人たちの特性で、自由時間や余暇時間が苦痛な人がいることや、大人になっても休日は一日中家でテレビやアニメを眺めたりゲームをしているだけで家族が心配していることはわかります。だから、スケジューリングで空白時間を埋める支援も行うわけですが、それでも「ひまやー」と言われると「自由は不自由や」と、やるせない気持ちになるのは私だけなんでしょうか。

「自由在不自由中 (自由は不自由の中にあり)」

BY 福沢諭吉

 

食べ物教材

本事業所では、食べ物教材を扱うおやつ作りのプログラムがありますが、利用者の味覚の片寄りは半端ないです。昔ならどんな子どもも喜んだケーキも「甘いの嫌い!」な子どもが増えてきて半数の子どもが食べません。「お誕生日だから今日はケーキだー」と家路をスキップする子は減っているわけです。特にこの事業所では「甘いの嫌!辛いの上等!」派が多いので、たこ焼きなどの粉モンやソース味モンが無難です。

オノマトペ

H君とおにぎりを作ろうと、お手本で掌にご飯をのっけて「ぎゅーっとね」っとスタッフは言います。H君「ギューット…」と復唱はしてくれたものの、手には力がはいりません。ASDの方への擬態語での表現は言葉より伝わるのが難しい場合があります。これは言語が違うと擬音語擬態語が全く違う事からも言えます。川がさらさら流れるようすを、英語圏ではmurmur(マーマー)と言いますが日本人には全くぴんと来ないのと似ています。

オノマトペという言葉の意味は、擬音語や擬態語のことを意味する言葉です。擬音語とは、物や生き物が発する音や声を、文字にした言葉のこと。擬態語とは、心で思っていることや状態など、実際は音のしないことを、文字にした言葉のことです。日本語のオノマトペはフランス語の日本語読みです。ワンワン・ニャーニャー・コケッコッコー・いらいら・うきうき・うとうと・きらきら・いきいき・びゅーん・ぎゅー・ばーん。そもそも、欧米人が虫がすだいているのは雑音にしか聞こえないのを日本人は音にします。漫画を読めば分かるように、日本には欧米よりはるかに多くオノマトペがあるそうです。この音の情景や感覚を伝えるのは大変むつかしいといいます。

指示しない

高学年のM君が怒って文句を言いに来ました。「スタッフは僕には時間を守れとか細々と甲高い声で注意するのに、Nさんが時間を守らなくても何も言わないってどういうこと!」。Nさんが、話し言葉でのコミュニケーションは十分できないことを彼はよく知っています。「君それ本気で言っているの?」「とても残念やわ」と返しました。彼はうなだれてみんなのもとへ帰っていきました。要するにM君はスタッフの自分のへの指示の仕方が気にくわなかったのだと思います。でも、Nさんと自分を比較して不公平と言ったことは自分でも残念だったのでしょう。

小学校高学年に接する場合、叱り方や注意の仕方も重要です。小学校高学年の場合、これまでと同じような叱り方をしていても、言うことを聞かなくなってしまうこともあります。

まず重要なのは、「指示しない」ということ。子どもに叱る場合、小さな頃には「こうしなさい」といって叱ることが多いものですが、小学校高学年になると、命令口調の叱り方は反発につながることがあります。そのため、「こうしなさい」ではなく、自分で解決策を引き出すことができるようなメッセージを伝えるとよいです。たとえば何か失敗したとき「なぜ失敗したの?」ではなく「どうすればよかったと思う?」という問いかけの形でメッセージを伝えることで正直な気持ちを引き出すことができます。また、単に叱るのではなく、「それに対して大人である私はどう思ったか」と、「私」を主体にしてメッセージを伝えると子供にも伝わりやすくなります。

感情の分化

K君が、凧が高く上がって、「怖い」と言ったのはその日風が強くて凧が持っていかれそうになったからだという報告がありました。その日、K君は公園で初めて凧を上げたと言います。ぐんぐん上がっていく凧を見て「すごいなぁ」「かっこいいなぁ」と思ったけど、彼の感情表現は「怖い」が多いのです。これはK君に聞いてもわかりませんが、ドキドキする感情のことを「怖い」にまとまているのではないかなとも推測できます。「怖い」とK君が言った後「でも、高いねー すごいねー K君かっこいいねぇ」とスタッフが言葉を添えてあげても良かったかもと話し合いました。プルチックの感情の輪を見ていると恐れと驚きは隣り合わせです。

 

 

高学年の役割

山登りで、高学年の利用者に光が当たらないと議論になりました。低学年や障害の重い人と同じように歩いているだけでは達成感がないのではなど意見が出ました。高学年には高学年としての役割、みんなの役に立つような演出がいるということになりました。どこの生活型の放デイでも抱えている高学年の支援ギャップについて丁寧に考えていこうと思います。

仲直り

終わりの会がなかなか始まらずGくんがいらいらして、隣に座っているHさんをたたいてしまいました。叩くことの機能分析は、ここから手っ取り早く離れるためには、周囲の人を叩けば「おいおいお隣さん何もしてないでしょ」ということでG君がその場から離され、G君の要求は実現します。

言葉のないG君から叩かれたHさんは意味が分からないから恐怖です。「怖かった」と告げるHさんを「怖かったなぁ」とスタッフは慰めるしかありません。それでもいろいろG君と取り組んでいるうちに思ったほど怖くないことに普通は気づいていくものですが、場面理解が苦手で誤解して決めつけてしまう傾向の強い子どもの場合は一緒にいることが苦痛になるので関係改善が難しくなります。

考えられる解決策は感覚の快状況を自然に共有する空間の提供です。例えば並んでブランコする等が一番いいように思います。動的(働きかけて得られる)快を共有することで関係を改善する方法は結構大きくなっても通用する手段です。ただし、G君の機能的コミュニケーション訓練も日常的に取り組むことが求められています。

負けと癇癪

C君は、ボーガンシュートゲームで得点が最下位になって、ショックで床にひっくり返って泣き叫んで癇癪を起しました。発達に関係なくASDの子どもの中には勝ちにこだわって1番じゃないと嫌、負ける可能性があるから勝ち負けのあるゲームやらないという子が少なくありません。勝ちが優れていて、負けが劣っているというデジタルな価値観でプロセスは関係ありません。自分の感情だけに翻弄されて相手がどう感じているかも無頓着です。周囲が嫌がっているのに大声でつまらない議論の勝ち負けにこだわる人の幼少期も、きっと勝々価値観に支配された子どもだったのかもしれません。

勝ったり負けたり、人によって勝てるものと負けるもの、いろいろあるんだという多様性を学ぶためには、小さい時期から「負けるが勝ちゲーム」をお勧めします。偶然性のあるカードゲームやくじ引きじゃんけんなどがいいでしょう。負けた人から1番。勝った人は最後の順位です。「負けた人いちばーん」とみんなでたたえます。つまり、勝ち負けの基準を変えてしまうのです。こうして負けるが勝ちを経験すると意外に負けに平気になってきます。というか、その程度の価値観しかないのに生死の境目みたいに苦しんでいたという事です。幼少期から「負けるが勝ちゲーム」に色々バリエーションをつけて取り組んでみることをお勧めします。

代替行動分化強化 2

不適切な行動の対応については、何度か書いてきました。子どもが不適切な行動をしたとき、もっとも重要なことは、その行動は罰があるということを教えるより、他の方法で利得が得られることを教えることです。

言葉の分かりにくいA君が、B君の大声がうるさいので叩いた時、スタッフがとるべき行動は、叩かなくても大声を止められる方法をA君に教えることです。でも、もっとも良くみられる指導は「B君にごめんなさいは?」です。音声模倣ができる人なら「ゴメンナサイ」と言うかしれません。でも「ゴメンナサイ」の意味は通じていません。なぜなら、叩けばB君が黙るからです。つまりA君の叩く行動は要求を実現しているからです。学習したことは、叩いた後大人が指示したら「ゴメンナサイ」を言うことです。

発達障害のある人の問題行動に関しては、『機能的コミュニケーション訓練』という代替行動分化強化(DRA=Differential Reinforcement of Alternative behavior)の手続きが有効です。これは、問題行動と同じ機能(目的)を持つ社会的に適切な行動(カードコミュニケーション)を分化強化するという手続きです。(声がうるさいから)助けて」カードを大人に示せば、スタッフがB君を遠ざけてくれるようになれば良いわけです。もちろん、突然の行動ですから少々の代替行動の訓練で、完璧な学習は困難かもしれません。行動問題を予測して予防することも大事です。でも事が起こったら、お詫びの音声模倣をさせるよりは、即座に「助けて」「やめて」カードをスタッフに渡す行動を教えた方が、不適切行動を減らせる可能性があります。

子どもの考え方

ボウガンのおもちゃで的当てをして遊んでいます。空き缶にあてて倒すのですが、空き缶の中に重りを入れておいて倒れにくいものを倒すと高得点が得られます。認知レベルが9歳を超えると、倒れやすい力点は支点(接地点)から最も離れた場所だという事に気が付きます。見えないものを見る力(理屈)です。それより前の段階だと経験数に裏打ちされていきます。てっぺんに当てたら倒れることが多いと学んでいきます。当て方にも子どもたちの考え方が反映されていて面白いものです。

代替行動の分化強化

食事介助の必要なG君はこのごろやたらお腹が減ってくるらしく、ご飯がたりないと、机を蹴って要求します。これに対しスタッフが、「おなか減ってるねーおかわりするねー」と対応するのはアウトです。机を蹴ったら、おかわりが出て来るという行動が強化されるからです。机を蹴ったなら、おかわりカードか「欲しい」カードを持たせて後方から手を介助して介助者に渡させます。その行動ができたら「はいどうぞ」と少量提供して、もう一度カードを手元に置いて要求行動を促して同じ行動ができるように何回も行います。行動を起こして意味を伝えてくる方ですから、行動は必ず代替することが可能です。この方法は色々応用できます。

心の杖

今日のYさんは、一番お気に入りのスタッフなのに、やけに絡んできます。食事中にカレーが付いた口で背中から抱き着いてきたり、あきらかに注意喚起(自分の方を振り向かせる)行動です。おかしいなぁと思っていると、帰宅後に朝持って出た人形が見当たらないとのこと。Yさん人形がどこかに行って不安だったのです。

以前「ライナスの毛布12/3」で心の杖について書きましたが、あの話には続きがあります。心の杖が不可抗力でなくなったらどうするのかということです。きっと今日の状況のように不安でたまらないと思います。それでその不安を色々な行動で表現するのですが、第3者には伝わらないことが多いです。

結局、必要なのは表出のコミュニケーションです。「人形をなくしてしまった」「不安だ」「どうしよう」という発信さえできれば、「よし一緒に探そう」とか「大丈夫かな」とか、もし見つからなくても「困ったねぇ」「悲しいねぇ」と共感のコミュニケーションができます。困ったことがあっても共感してもらう事で心を癒せます。その時、必要なのは自発表出のコミュニケーションなのです。それは話し言葉である必要はなくその人が手っ取り早く伝えられる方法ならなんでもいいのです。悲しいの感情カードを大人に渡せば、周囲にいた人なら察しはつくはずです。そこに「人形」カードが加われば確実です。絵カードコミュニケーションを言葉の苦手な方に薦めるのはこういう理由があります。

社会性の基礎は自分でわかることを積み上げること

当事業所では毎日何かしらの集団遊びを短時間取組みます。ボーリングだったりストラックアウトだったりダーツゲームだったりで、順番などルールがあるものです。認知レベルが高くなると、ルールは複雑になっていきますが基本は適切に遊びが楽しめるように、構造化支援も入れて取り組みます。

子どもは自分のやることさえわかれば、時間はかかっても自然に友達の様子にも関心を持つようになるのですが、自分のやることがわからなかったり、楽しめなかったりすると、そもそも遊びが成立しないので社会性を学ぶのは難しいです。

言葉がよくわからないF君はこういう取り組みになると付き合いはしますが、終わるのを待っている感じで、いらいらしています。たぶん、みんなで何かを取り組む場面は、自分ではよくわからないのにやらされてしまう束縛感が強いのだと思います。できることわかることをみんなとやるから社会性は育ちます。当たり前のことですが、分からないのにみんなでやる事を優先されたばかりに、自立心や自尊感情が傷ついている重度の方は少なくありません。まず、みんなでやる事よりも自分がわかることを積み重ねていくことを優先する事が重要です。

 

届かない気持ち

E君、友達のことについて「文句ばっかり言っていて暗いし、周りへの影響考えてないなあれは」と語り始めます。「ふーん、なんでなんだろうね」との問いに、「空気が読めてないんだよ。もっと、謙虚にならないとね」と言います。この発言のE君「もうおれなんかあかんし」「おらんほうがええし」とネガティブ発信の王者です。「うーん。人のことは良くわかるんだね」と返すと、「そうやで、いつも気を使ってるからね」と返事。そうか、君なりに気を使っているんだね。私たちに君の気持ちが届かないだけなんです。

 

フロアバレーボール

鈴が入っている視覚障害者用のバレーボールを購入して遊んでいます。昔は盲人バレーと言ったのですが今は晴眼者も一緒にプレーできる6人制バレー(前衛選手はアイマスクもしくはアイシェードを着用)=フロアバレーボールという名前になりました。事業所ではみんながアイマスクをすると難しいし面白さがわからなくなるので、みんなで遊べるアレンジを考えています。

視覚障害者用の球技はフロアバレーボール以外にもあり、例えばゴールボール・グランドソフトボール・サウンドテーブルテニス・ブラインドテニス・ブラインドサッカー・ブラインドゴルフとあり、最近はブラインドラグビーと言うのも出てきたそうです。晴眼者もアイマスクをして一緒に取り組めるので、遊びながら障害理解が進む利点があると思います。

 

アイラブユー

D君がいらいらしていて、決められた時間内にPCが終了できませんでした。最初に17時までに終了すると約束したので、スタッフは次回はペナルティーとしてPCは使ってはいけない旨をD君に言い渡しました。

確かに約束を破ったのは事実ですが、そのペナルティーは示していませんでしたし、次回にペナルティーと言うのもD君にしてみれば踏んだり蹴ったりでした。このような時に私たちはどういう支援を行えばいいでしょう。

奇策はありません。基本を貫くことです。不適切な行動は、まず振り返らせます。そして理由があるなら聞いてみます。理由を言い訳と言わずにまずは聞きます。そして、約束を反故にするのはどう思うか聞いてみます。適切な反応がないなら、約束を破られた人は悲しいという感情を伝えます。そして、次回はどうすればうまくいくか考え合います。本人から出てこなければ、いくつか提案して次回にもう一度話し合って決めようと提案します。きっとうまくいくよ応援しているよと伝えて終わりにします。

おおきな声を出したり、感情をぶちまけないで、受容的にうなずき、静かに静かにお話をします。子どもと別れ際の「きっとうまくいくよ。応援しているよ」は重要です。この業界のプロフェッショナルの合言葉です。欧米人の家族への「アイラブユー」みたいなものです。複雑な意味はないけど、使わないとひと騒動起こるワードです。

 

 

わらべ歌遊び

わらべ歌遊びをしました。打楽器も使ってみんなで楽しく声を合わせました。わらべうた」は、ペンタトニックで構成されています。だから、ずらして歌ったり、同じ音の繰り返しを加えたり、異なる2曲を同時に歌ったりしても、不快な響きになりにくいです。わらべうたには様々な魅力があります。合唱して少々音を外す声が入っても気になりませんし、音をはずすのはかえって難しいと言えます。だからこそ、伝統的に子どもの遊びの中に根付いたとも言えます。

ペンタトニックとは、例えばド−レ−ミ−ソ−ラ(−ド)のように、半音のない五つの音からなる音階です。この音階は、連続する五つの完全5度音程=ド−ソ−レ−ラ−ミを、1オクターブ内に収めたものです。二つの音がよく溶け合う音程を協和音程と言いますが、それは、音程を構成する二つの音の振動数の比が単純であるほど近親度が高いそうです。完全5度の音程は、振動数の比が3:2となっており、これは、オクターブ(完全8度=1:2)に次いで単純なのです。こうした振動数比の音構成が、自由に音を重ねても不協和を感じさせない仕掛けなのです。などとうんちくを並べましたが、最近わらべ歌なんて路地から聞こえてきません。わらべ歌復活とまではいかないにしても、この音階の心地よさを生活の中で子どもたちに感じて欲しいと思います。

 

 

 

 

書き初め

書き初めとは、年が明けてから書く初めての書のことです。書き初めは、1月2日に行うものが習わしと言われ、この日に書くことによって書道がうまくなると昔から言い伝えもあるほか、昔は1月2日は仕事始めとされており、一年の仕事はじめの日でもあるので、目標やうまくいくことを願うという意味で行われているとも言われています。

書き初めで書いたものは、どんと焼きの火の中に入れて燃やすことが一般的とされており、この火の中に入れたときに火の勢いで書き初めを書いた紙が高く舞い上がるほど、字がうまくなると言われています。

すてっぷでも書初めをしました。「子」「寿」「想」とか、自分の名前やアート書道まで思い思いに書きました。

謹賀新年

~謹賀新年~
昨年は格別 の御厚情を賜り、厚く御礼を申し上げます。
本年も一同、皆様にご満足頂けるサービスを心がける所存でございますので、 何とぞ昨年同様のご愛顧を賜わりますよう、お願い申し上げます。
皆様のご健勝と益々のご発展を心よりお祈り致します。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新年は1月4日から平常営業とさせて頂きます。
令和2年 元旦 

NPO法人ホップすてーしょん 
育ちの広場 すてっぷ 職員一同

良いお年を

本日は今年最終日です。12名の利用者と8名のスタッフで過ごしました。本事業所の利用登録者は30名を超え、来年度に向けても新しい利用希望者が見学に来ています。放デイは一日10名が経営的に安定しやすい仕組になっているので、これ以上利用登録者を増やすよりも新しい事業所を立ち上げて対応した方が良いサービスが提供できます。ただ、同じものを二つ作るのではなく、現在の生活型以外に高学年や中学生向けのLD支援や自己認知学習を含めた療育型を作るべきではないかと考えています。すてっぷは外遊びしたり調理をしたりゲームをして社会性を学んでいくというのがコンセプトですが、成長と共に遊びや学びのニーズは変わってくるので、これに対応する必要がでてきているのです。

また、就学前の知的遅れのない子どもの発達障害支援も重要です。小学校で学齢が大きくなってから幼少期で少し気になっていた課題が顕在化するケースも少なくないからです。また、保護者の方への子育ての知恵も家族や地域の絆が細くなっている現在では、ペアレントトレーニングや子育ての苦労を共有するピアカウンセリングも必要となっています。残念ながら、ペアトレもピアカンも放デイや発達支援事業所には認められていない機能ですが、これがもっとも成果が上がる手法であることはいくつもの研究成果で明らかになっています。これらの親子の課題を解決するには、このタイプの事業所を作り今までにない機能を付加していくことが求められていると感じます。

残念ながら、人材が集まらず来年度すぐには新事業所は立ち上げられませんが、あきらめることなく取り組んでいきたいと思います。今年度はまだ3か月ありますが、年末に当たり皆様からのご支援とご協力に対し感謝申し上げ、皆様の御多幸をお祈りしてひとまず今年のHPを終了いたします。年始は1/6月曜よりHP掲載を再開いたします。(事業所は1/4土曜より開所します)良いお年をお迎えください。

 

スクラッチアート

スクラッチアートとは、アメリカをはじめとする海外でブームの新しいお絵描きです。子どもたちに大人気となり様々なシリーズが発売されていますが、大人向けの本格的絵画をスクラッチするものもあります。

黒いスクラッチ面を専用ペンでけずると、キラキラ光るホログラムの線や、美しい色の線を描くことができます。子どもの頃、クレヨンでカラフルな下地をぬり、さらに上から黒でぬりつぶし、黒い面をけずる「スクラッチおえかき」を体験した人も少なくないと思います。それと同様のしくみを、最新の印刷技術で商品化し、手軽に楽しめるようになったものが「スクラッチアート」です。こういう細かい作業はASDの人の方がダントツに上手です。冬の夜長にこつこつ削る(描く)のもいい感じです。

ビンゴゲーム

ビンゴゲームは1500年頃、イタリアで発祥したと言われています。もとは"Lo Giuoco del Lotto D'Italia"と呼ばれていました。後の19世紀初頭、北アメリカに伝達し当時の子供達の間で遊ばれていた『Lotto』という数字集め遊びが縦横ナナメを揃える数字ゲームに発展して行きました。"Lo Giuoco del Lotto D'Italia"は当時毎週土曜日に遊ばれ、18世紀にはフランスへ伝達して紳士の間でプレイされました。後にドイツへ伝えられて子供達の間で算数教育のためのゲームとして親しまれました。

北アメリカの『Lotto』は20世紀には「beano」と呼ばれ、そして1936年頃、おもちゃ屋セールスマンEdwin S. Loweが間違えて“ビーノ”を“ビンゴ”を叫んでしまったことから、今のように呼ばれるようになりました。おそらく「bin・go」で英語で「やった!」というような意味です。ペンシルバニア州のカトリック教会の神父が、交流ためにこのゲームを利用したのをきっかけに、現在では世界中の人気ゲームとなったといいます。

パーティーと言えばBINGOゲーム、本事業所では5×5マスでは難しいので3×3マスで取組んでいます。BINGOしたら、自分の好きなクリスマス用のお菓子セットが選べます。

君の名は

公園では、みんなで「だるまさんが転んだ」や「けった」をします。みんな好んで鬼をやりたがるのですが、1年を超えて一緒に通所してきている仲間の名前をまだ覚えてない子がいるのには驚きました。毎週1回は必ず顔を合わしていても、「あの人」で済ませているのです。ASDの他者に興味がない特性とは言えここまで興味がなかったかと愕然とします。そういえば、知らない人がいたならまず名前を交わすという行動が、利用者の子どもたちには見受けられません。いつもスタッフが紹介しているからと言えばそれまでですが、関心がなければ覚えることもないのです。

冬休みの宿題

小学校も今日から冬休み。学校の先生方とも良いお年をと言葉を交わして「お迎え」をしてきました。子どもたちは「早く宿題を終わらせて楽しく冬休みを過ごしたい」とそわそわしています。その一方で「どうせまた苦手な繰り上がり下がりの計算問題があるから憂鬱やねん」「憂鬱なものからさっさと終わらせたいねん」と話します。

学校は相変わらずドリル一本やりの宿題が多いです。それがワーキングメモリーの弱い子どもたちに学習性無力感を与えるものだとは知らないようです(知ってたら問題ですが…)子どもの嫌うドリル学習をいくらやってもワーキングメモリーは鍛えることはできません。脳は楽しいという情動で学習が成立するからです。

もちろん速音読や暗算やNバックトレーニングはワーキングメモリーを鍛えます。ワーキングメモリーを鍛えることは物事の段取りや見通しの力というプランニングの力も伸ばしていきます。つまり人に頼らないで過ごせるのですから、生活の自由度は増大します。自由に生活ができれば、自尊感情は当然高まります。

しかし、ここで、鶏が先か卵が先かの話をしていてもしかたがありません。要するに苦手な音読や暗算とは思わせずにワーキングメモリーを鍛える楽しい学習をどう演出するかです。デジタルデバイスを利用してゲームのようにトレーニングする機器も出ています。高額ですし、誰にでも効果があるのかどうか確認できないので、お勧めはできないのですがいくつか商品化されているものもあります。http://www.cogmed-japan.com/

ワーキングメモリー 05/07」でも書きましたが、この力は生活に欠くことができません。ワーキングメモリーのピークは30歳だそうですからどの子も伸ばせる可能性があることは確かです。

赤が改善状態の悪化したもの 黄色が不変 緑が更に良くなったもの

感情表現

Bさんがニヤニヤしているのでなんか変だなーと思ってたら、スタッフの服にマーカで色を付けたというのです。本人に問い質すと何でそんなことをしたかわからないというのです。このシチュエーションなら、悪戯してやろうとニヤニヤして実行に至るの図です。しかし、Bさんは違うのです。Bさんは調子が悪くなるとニヤニヤするのです。そして、大昔に叱られて最悪の気分になった不適切な行動を再現するのです。いわゆるフラッシュバック行動です。ASDの人の感情表現を読み取るのは難しいときがあります。感情表現も学習の対象にしているのはこうした自己フィードバックと表現の苦手さもあるからです。

風邪流行のきざし

利用者の中にもスタッフの中にも風邪気味の人が増えています。感染症情報センターのデータhttp://www.pref.kyoto.jp/idsc/index.htmlでは、乙訓はこの1週間インフルエンザ が「流行入り」と咽頭結膜熱(プール熱)が増えてきています。咽頭結膜熱(プール熱)はプール感染だけでなく年中飛沫感染もします。発熱・結膜炎・咽頭炎の3つの症状で、5日程度の発熱、目の充血かゆみ、せきなどです。予防は手洗い、飛沫防止ですがアデノウィルスの感染力は強力で学校伝染病第2種(はしか等と同じ)に指定されており、インフルエンザと同じく解熱後2日まで出席停止です。

終業式

今日は府立の特別支援学校の終了式。京都市と小学校は24日です。学童保育や放デイはこれからが毎日朝から晩までの日課になります。府立学校は冬季休業、それ以外の学校は開業の場合は、所属している学校が休業かどうかで帰り(送り)の時間が違います。休業日の子どもは基本的に16時まで開業日の子どもは17時までがサービス時間です。

本日の昼食はふわふわ天津飯。柔らかいのもおいしいです。関東では「天津丼」、関西では「天津飯」と呼ぶことが多いそうです。

 

買い物

自分の気に入ったおやつを買いに、近くのスーパーまで買い物に行きます。まだ食品は8パーセントなので外税計算はややこしくて、暗算というわけにいきません。電卓持っていくのもいいのですが、こんな時にこそ、キャッシュレスで子どもでも払えるデジタルマネーが欲しいものです。おそらく10年もたたないうちに日本もキャッシュレス社会になっていくはずです。限度額が設定でき用途も記録に残るデジタルマネーの方が大人ははるかに管理しやすいです。

しかし、この条件にあてはまるものは15歳以上から持てるデビットカードくらいしかありません。ただ一つ、6歳から持てる電子マネーがあります。交通系ICカードです。ICOCAは前払いチャージ式でコンビニでもチャージできますから便利です。物品購入履歴はチャージ機では金額しかわからないですが、レシートをノートに保存する習慣をつければ残高も確認できます。キャッシュレス時代に向けての準備教育のために、或いは計算の苦手な方への買い物の自立支援のために交通系ICカードはお勧めです。子どもICOCAはみどりの窓口でお子様であることを証明する保険証などを持っていけば購入できます。

 

凧あげ

外遊びから帰ったA君が頬を真っ赤にして教えてくれました。「凧めっちゃあがったで!糸全部なくなったで!」「すごいすごい凧あげ名人やな」「うん。俺名人やねん!」ということで、今日も公園に良い風が吹き、35m巻きのタコ糸全部使って揚がったそうです。角度は30度以上だそうですから、三角関数の正弦で・・・・高度20mくらいかな。ちなみに航空法では300mまでは揚げて良しだそうです。タコ糸の重さと揚力が釣り合ったところで限界ですから、高く揚げるならナイロン糸と釣り用のリールを用意すればもっと揚がるらしいです。

タブレット

また中国製の電化製品が壊れました。今回はタブレットです。PCよりも直感的なので子どもたちが操作するのは向いているので、買ってみたのです。アマゾンを見てみるとiPadは3万5千円、NECも3万円。なのに中国製は1万2千円!タブレットなんて中身は世界標準だし大丈夫だろうと高を括って購入したのは10月。なんと1カ月半の命でした。電源部分のUSB給電ソケットがガサガサになって接触不良で充電できなくなりました。あーサイクロン掃除機で懲りたはずなのに…。安物買いの銭失い2回目です。今日NECのタブレットが届きました、接続してもガタがない。やっぱり日本製はよろしい。

 

支援と自立

放課後デイサービスでは事業所が遠くて自力通所できない利用者に、送迎をするサービスがあります。近所に居住し自力で通える方は原則このサービスは使えません。ただ、どんなものでもグレーゾーンがあります。片道20分なら自力通所エリアだが21分なら送迎可能エリアかどうかなどという話です。

これには基準はありません。むしろ、その子どもにとって自力で通所することが自立のために良いという支援方針を持つなら少々遠くても自力通所にすべきだということです。時間を守って、自分の力で移動することは自立の第一歩だからです。もちろん、安全性の問題など自力通所の検討は総合的に行う必要があります。ただ、支援のつもりが、その子の自立の芽を摘んでしまうケースはしばしばあります。対象者への配慮のつもりが、行き過ぎた支援につながってしまう場合がある事を、福祉関係者は日常的な課題である事を自覚する必要があります。

海外の九九の覚え方

昨日、九九の宿題で苦労している子のことを書いたら少し反響があったので、もう少し九九について考えてみます。今回は、海外では九九はどのように覚えさせているのか調べてみました。

昨日も書いたように、音韻障がいや読みの流暢性に問題のない人は、2×2=4を「ニニンガシ」というように、語呂よく、リズムよく暗記することができます。1の段から9の段まで、繰り返し暗唱して覚えていきます。しかし、海外でこのような方法を採用する地域は少なく、ひたすら数字を並べて暗記しているようです。たとえば、英語圏だと12×12まで暗記する必要があります。日本の暗記量は少ないほうで、世界の子どもたちはけっこう大変なようです。インドでは20×20まで暗記するのが一般的で、地域や学校によっては99の段まで学ぶところもあるようです。これができれば2桁×2桁の掛け算もスムーズにできるようになるため、計算のスピードが大幅にアップするというのが理由です。

九九を利用するインド式の掛け算も最近注目されています。計算が簡単で早く、暗算でも間違いにくいというメリットがありますから、覚えてみるのもいいかもしれませんね。アメリカやイギリスでは12×12まで暗記します。日本語のように数式を短く表現することができないため、九九の表を見ながらひたすら覚えていくやり方です。「Two times two equals four. Two times three equals six.」と、呪文のように暗唱する子が多いそうです。ひたすら暗記していくと、2×2を見るとぱっと答えが出てくるようになります。覚えるのは大変ですが、数字を見ただけで反射的に答えが出てくるため、計算は意外と早いようです。また、小学校で覚えない子も多いため、高校生でも九九の授業を受けることがあります。ただこれは音韻性障害のことが全く配慮されていません。(日本もですが)

ドイツは10の段まで覚えます。覚え方は英語圏と似ており、九九の表を見ながら2×2=4と数式をそのまま覚えます。丸暗記させる方式ではなく、最初は九九の表を参考にしながら問題を解きます。ひたすら計算を反復練習して、最終的に九九も覚えるのです。日本と大きく異なるのは、数字の読みあげ方です。ドイツでは、一の位の次に十の位を読みます。56なら6と50です。また、授業の進め方も異なり、九九をすべての段学ぶ前に、割り算がはじまります。確かに、掛け算と割り算には関連がありますから、合理的な学び方かもしれません。掛け算の基本である九九ですが、国によって覚える範囲や覚え方はさまざまです。ドイツのように丸暗記を重視しない地域や、インドのようにたくさん覚えて計算スピードを上げる国と様々です。

ただ、音だけで覚える方法は読み障がいのある人には致命的です。基本は視覚からも九九を取り込むことです。九九表の法則性がわかって来れば自分で答えが探せます。すらすら流暢に言えるようになるまで、大人は離れず最後まで聞いてどこがうまくなったか必ず評価してあげることです。

 

 

九九の暗記とLD(音韻障がい)

九九は覚えてしまえばすぐに使えるとても便利なものです。だから、日本では伝統的に覚えるまで練習します。当事業所でもあけても暮れても九九が宿題の小学生がいます。その中に半ばあきらめている子もいます。全員がクリアすべき九九ですが、なかなか覚えきれない子はたくさんいます。その大きな原因の一つは、音のややこしさにあります。

九九の表を見てみるとわかるのですが・・・「いち」、「しち」、「に」、「し」を使う計算がたくさんあります。特に7の段・8の段は子どもにとってはややこしいです。九九が苦手な子は、「音」をごちゃごちゃに感じている事が多いです。音のややこしさって、LDと呼ばれる子にとっては、とてもつらいのです。

例えば「しちに、じゅうに」「しちさん、にじゅうしち」「はちさん、にじゅうに」「はっく、しちじゅうし」など、とてもありがちな間違いです。口に出して覚えるだけだと、耳からの情報は一瞬なので間違えやすいのです。覚えてしまうと一生間違うだけに、正確に覚えさせたいです。サポートする方法を提案してみます。

1つ目は、表を見せながら覚えさせることです。「音」の情報だけではなく「目」の情報も使うことで、覚えるための精度は確実にアップします。2つ目は、音そのものを変えて覚えることです。日本語では7は「しち」「なな」と色々な読み方があります。同じように4は「し」「よん」と読めますね。4を「よん」、7を「なな」として覚えることで九九暗記のややこしさは半減します。担任の先生が許してくれるなら、是非この覚え方をさせてみてください。間違えやすい所だけ修正したらいいと思います。「しちに、じゅうよん」「はちさん、にじゅうよん」「くさん、にじゅうなな」などですが、直す所は、それぞれの子どもに合わせていけばよいと思います。

小学校の2年生は丸暗記が得意な時期です。だからこそ、九九の暗記は2年生でやるのです。でも2年生は「手を使って書く」事には時間がかかります。頼れる感覚は声に出して読む耳から聞く目で見るの3つです。目・耳・口をフルに使って、ややこしい音を整理して、どの子も確実に九九を覚えてほしいと思います。

平等だけど不公平

人それぞれ能力に差があることは当たり前です。社会はそのことを前提にして作るものです。平等社会ではなく公平社会が多様性社会には必要なのです。例えば、学習場面で掛け算ができることそうでない子どもが新しい勉強で図形の面積を求めるとします。新しい学習をするという意味では平等ですが、演算スキルが違うので不公平です。

スポーツならもっとわかりやすいです。スポーツには階級や身体条件、キャリアを加味して公平にして戦うのが近代スポーツです。やっている方も見ている方もそのほうが面白いからです。

子どもの遊びも同じです。能力差があるまま遊びにとりくむと、子どもは楽しむことができません。楽しむまでにパワーを使い切ってしまうからです。

当たり前のことを言っているつもりですが、日常はそうではありません。あちこちに「平等だけど不公平」が転がっています。大人が介入しているのは、公平を保つ知恵と工夫を求めているのであって、スキルの低い子どもの不平を封じるためにいるのではないのです。

デジタル教科書

ICTの利用は、特別支援教育(障害を抱える子どもの教育)において非常に有用だと考えられています。目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりといったさまざまな不便さを、デバイスやソフトが補ってくれるからです。ICTを活用した教育ならば、その子の能力・特性に応じて適切な学習方法が選択できます。

発達障害がある子の学習支援にも、ICTの導入は効果的です。文部科学省の調査によると、アスペルガー症候群・学習障害(LD)・注意欠陥多動性障害(ADHD)などを含む発達障害を抱え、通常学級において教育支援を必要としている子は各学級に少なくとも2~3人いると推定されます。ICTを利用すれば、彼らの困難さを取り除きやすくなるのです。たとえば、授業中に集中しづらい子がいる場合、大型ディスプレイを用いて、子どもたちの視線が自然と前のほうに向かうほか、それぞれの表情が教員からよく見えるようになるので、集中していない子どもに教員が気づきやすくなります。これは今日訪問した小学校でも当たり前のように利用されています。

また、集中が困難だったり聴覚過敏だったりして、教員の指示を聞きもらしがちな子もいます。そのような場面では、タブレットやICレコーダーで教員の話を録音することにより、重要な連絡事項をあとから確認できます。わざわざ苦手な文字を書かなくてよいのです。また、ノイズキャンセリングヘッドフォンを装着すれば、人間の声以外の雑音を軽減することが可能なので、空調設備や自動車の音などに煩わされにくくなるのです。

しかし、デジタル教科書を教室で自由に利用している子は、いまだに見たことがありません。個人用のタブレットでアクセスできるようにすることで教科書に何が書いてあるのか学習ができる最も本命の支援機器なのに、公平と平等の違いが日本にはまだまだ浸透しないなぁと感じます。

アームカバー

袖口のほころびが気になって、どんどん糸を引き出してしまう方がいたので、ほころびにくいデニム地でアームカバーを作ったら全く気にならなくなりました。「家につけて帰りたい」というくらいお気に入りのグッズになっています。糸くずが好きなわけではなかったのですね。

Rock, Paper, Scissors!

「じゃんけんぽん!」は、英語で「Rock, Paper, Scissors!One Two Three!」だそうです。「岩・紙・鋏、12の3」まんまですね。このじゃんけん、発達的に理解できるのは5歳後半だと言われています。勝ち負けだけの世界ではなく、パー(紙)に勝ったチョキ(鋏)はグー(岩)に負ける、そのグー(岩)はパー(紙)に負ける。これは理由の世界です。理由がわからなければ、勝ち負けの暗記はできても、面白さはわからないのです。5歳後半には底の広い瓶と狭い瓶に同じ量の水を入れたら見かけは狭い瓶の方が水位は高いけど同じ量だと理由で理解しています。理由の理解とは簡単に言えば言語の力です。就学前に飽きるほどじゃんけんをして勝ったり負けたりしながら理由の面白さを堪能して言葉の力をのばしていきます。「グッパ」は仲間わけです。偶然性に任せて同じ数だけに分かれるだけでなく、即座に強い子や好きな子と組めるように空気を読んで偶然性に挑みます。こっちのほうが勝ち負けよりはるかに難しいです。

ベイブレード

ベイブレードは、日本における伝統玩具であるのベーゴマを改良し、競争性を発展させ、商業玩具として販売したものです。ひとつの部品だけからなっているベーゴマとは違って複数の部品からなっており、各部品の組み換えによって自分だけのコマを作れるのが特徴です。

ベーゴマでは重さを増す、削って形を変えるという程度の改造しか出来なかった点を、各部品の換装という大胆な方法で誰にでも簡単に改造出来るようにしてあります。ベーゴマの紐を使う回し方は一定の習熟が要求されます。これを、シューター、ワインダーという道具を使って回す方法に変えたので、誰でも簡単にコマが回せるようになりました。 回すには、不器用上等のメンバーにちょうどいいツールですが、高すぎます。

テンションが高い?

学校の引継ぎなどで、先生方がよく「テンションが高かったです」等と言われる場合があります。そもそも、この言葉は「ロープにテンションをかける」張りを表す意味です。そこから、精神的な緊張を表し、ナーバスに近い言葉です。誤用として使われるのが、気分や気持ちのことです。「朗報にテンションが上がる」「いつもテンションの低い人」などです。

これが若い指導者のスラングとして受け持ちの子どもが興奮した様子に使われています。言葉はそのありようを定義づけるので「テンションが高い=興奮している」その対策は「興奮を鎮める=カームダウンする」しか思いつかなくなります。

これを「気分の調整が難しくなっています」と言い換えればいくつかの予防策と対応策、今後の学習方法が浮かび上がっていきます。カタカナ言葉は正負の価値観が良く知られてないので使いやすいですが、本質が見えなくなってしまう場合があります。

 

自立課題は何のために?

スタッフ会議でよく「Zさんは自立課題の○○ができませんでした」という報告があります。最近言い飽きてきましたが「自立課題とは何のために提供していますか?」とスタッフに問い返しています。

自立課題とは、子どもに取り組んでもらう課題ですが、ビー玉をケースの穴に入れたり、ビーズを順番に通したりする課題など、一見すると、「何のためにやってるの?」と思ってしまう方もいると思います。自立課題の一番の目的は、自信を持たせるためです。できる課題なので、自信を持って取り組むことができ、「できた!」という達成感も味わうことができます。発達障害の人には褒められることに喜びを感じる人と、そうでない人がいます。しかし、「一人でできた」という事実は自己有能感を育んでいきます。

2つ目の目的は、将来の生活に役立つスキルを身に付けるためです。洗濯バサミで洗濯物を止められることや、コインを自動販売機のお金投入口に入れられるなど、純粋にスキルとしての練習です。将来の就労に向けてのスキルにもなります。3つ目は、余暇活動を含め生活の幅を広げていくためです。興味の幅が広がりにくい子どもには、自立課題を通して、できること、わかることの幅を広げ、自由な時間を楽しむ術を身につけていく必要があります。ぜひ、一人一人に応じた自立課題を準備して取り組んでいただきたいなぁと思っています。

自立課題は一人一人に合わせて作ることができます。まずは、確実にできるものを準備します。例えば、プットイン型の課題なら、少ないスキルでも取り組めるものが多いです。「できる」→「自己有用感」なので、できない課題に一人で取り組ませません。一対一でできない課題を教え、できるようになったら自立課題として取り組ませます。一人で取り組むのが自立課題です。できない課題は本人の学習の課題か、もしくは「スタッフが工夫する課題」として取り組みます。

<自立課題への取り組ませ方>
自立課題の流れ
①自立課題に取り組む合図を渡す。
②自分で自立課題のコーナーに行く。
③棚から自分で課題をとって取り組む。
④終わった課題を箱などに片付ける。
⑤全ての課題を終えて、次の活動へと移動。
一連の流れが、自分一人で自立して行えるのが自立課題です。取り組み方も一人一人のスキルに合わせて取り組みます。数字がわかる人には課題に番号を振って順番に行い、数の概念が難しい人には、実物を順番に並べておいて、上から取り組むようにします。終わったら何をするのか、ということも、文字で示したり、写真カードで示したり、先生に聞きに行くようにしたり、こちらも一人一人のスキルに合わせます。

課題を準備してみたものの、うまく取り組めない場合もあります。そういった場合は、できるように練習させるのではなく、課題を改良していきます。例えば、ビーズをお手本通りに糸に通す課題があるとします。取り組んでもらうと、お手本を見ながら取り組むことが難しいとわかりました。その場合、「お手本を見ながらやるんだよ!」と何度も練習するのではなく、課題を改良します。

例えば、ビーズの型を作って、その通りにビーズを並べ、そのまま糸を通すような課題に変更して取り組ませると、自分でできるようになる場合もあります。課題をどんどん改良し、一人でも取り組めるようにしていくのが自立課題の与え方です。初めての課題は、取り組み方を教えますが、それでも難しい場合は、本人のスキルに合わせて、課題を作り変えていきます。自立して行えることを最優先し、少しずつスキルを高めていくように課題を見直すことが大切です。

師走

なんだかんだでもう12月師走です。年を取ると時間経過が加速度的に早く感じます。子どもらはまだクリスマスまで3週間もあるーと言うのですが・・・。

師走には大きく三つの説があります。第一は、坊主が忙しくする意味です。師という言葉はお坊さんのことをさします。昔は、お盆と正月前には、お坊さんをお呼びして先祖供養が一般的でした。この時期、お坊さんたちはあちらこちらの家庭に出向いてお経を上げます。あちらに行ったり、こちらに行ったり、お坊さんが忙しく行き来しているから「師走」とする説です。

第二は、仕事の終わりという説。次の年に仕事を持ち越す訳にはいかないと年内に仕事を終えるためにがんばります。仕極つ(しはつ)とは仕事が全てきっちり終わったという意味の言葉です。その仕極つ(しはつ)という言葉が形を変えて「しわす」になったとする説です。

第三は、当て字説です。現存する中では最古の和歌集「万葉集」では12月のことを別名で「十有二月(しはす)」と呼んでいました。12を漢字で「十有ニ」と表したのです。「十有ニ」で「しはす」だったものに別の漢字を当て字したものが師走、とする説です。

他にも、風物や行事を季節ごとにまとめた日本歳時記では、12月を「四極月(しはつづき)」としています。四極月とは四季が果てると言う意味で、四極(しはつ)が師走に変化したとする説もありますが、はっきりしたことが分からないのが、日本の歴史の古さ所以というところです。

ライナスの毛布

スヌーピーに出てくるチャーリー・ブラウンの友達でいつも毛布を抱えている友達がいます。ルシール・ヴァン・ペルト=ルーシーの弟ライナス・ヴァン・ペルト=ライナスです。いつも「安心毛布」を持ち歩いて、これがないと落ち着かない子です。スヌーピーも安心毛布が好きで、ライナスはこれを奪われることがしばしばあります。安心毛布を奪ったスヌーピーに対し、ライナスは報復としてスヌーピーの皿を取り上げて交換条件とするなど、安心毛布には並々ならぬ執着心を見せます。この安心毛布は「ライナスの毛布」として心理学用語にもなりました。

「ライナスの毛布」は、子どもが「心の杖」として特定のモノを安心のために握っている姿を表現します。それを持っていないと不安になってしまう、いわば精神安定剤といったところです。Yさんの行動に、この「心の杖」の大切さを再認識させられたことがありました。Yさんが心の杖としているのは、1冊の絵本でした。大人は、Yさんにとってそんなに大切な物と思えず、取り上げてしまうのですが、それ以降みるみる不安定になり、皆と一緒に行動できなくなってしまいました。

拠り所としている心の杖を必要としなくなる日は、本人に判断してもらえばいいのです。絵本がなくても大丈夫、心の杖がなくても安心できる環境作りは私たち支援者に求められているものです。私たちが関わる子どもたちは、思いを上手く言葉にすることができない子どもが少なくないです。そんな子どもたちの言葉にできない思いを想像し、日々の支援に生かしたいものです。

パニック対応

V君、自立課題の中身が難しすぎて床にひっくり返って怒っているところを、スタッフが「ひっくり返ってないで援助を求めなさい」とV君をすわらせようとしますが、パニクったV君は体を触られて驚いたために触覚防衛が働き「痛い~」と大絶叫。その後V君はパニクってしまった自分を責めて、「OKじゃなかった」と落ち込んでしまいました。話し合ったことは、第一に、床にひっくり返るほど混乱しているという認識を持つこと。第二には、混乱している人は他者からの行動を攻撃として受け取ってしまいやすいこと。第三は、適切な行動を教えるには本人が落ち着いている必要があること。でした。

つまり、パニックの原因が難しすぎる課題と気づいているなら、その課題は今はやらなくていいことを分かるように伝えて、しばらくそっとしておくこと。立ち直ったら立ち直ったことを褒めて、「助けて」カードを使う練習をして、うまく練習できたと褒めることが必要だと話し合いました。パニックになると周囲の大人までどうしていいかわからず、早く収拾しようと焦ってしまいます。まずは、原因をつきとめて、パニックの時はどうすれば穏やかに解決できるかをまず考えることが重要だと思います。しかし、何よりも大事なのは、スタッフが子どもの気持ちに想像力を働かせてパニックを予防することです。自立課題なのに自立できないような難度の高い課題を設定しないことが一番です。難しそうだなと思ったら、まずは対面学習を何回か繰り返し確実に自立できると見極めてから設定します。

 

乙訓ふるさと駅伝

今日は、第30回乙訓地方小学生駅伝大会「乙訓ふるさと駅伝」です午後1時45分に大山崎T小学校をスタートして2時20分ころに向日市体育館市民ふれあい広場にゴールします。

乙訓2市1町の全小学校(18校)の6年生が参加する駅伝大会です。全6区間約9.5kmを各校代表6人がタスキをつなぎます。33分台が1位のタイムのようです。長法寺小・長8小がいつも上位に出てくる強豪校のようです。最後の第5中継所が5向小前で最後のタスキ渡しです。今年の1位はどの学校でしょうか。

利用者の子どもらはそんなの興味ないわと河川敷に凧あげに行きました。凧高く上がったかな?

 

構造化支援にまつわる現場「あるある」

構造化支援とは、簡単に言えば視覚(またはその人の得意な知覚)情報が取り入れやすいよいうに工夫された支援と言えるのかもしれません。ビギナースタッフから、この支援を見て「冷たい感じがする」という感想を言われたことがありました。ベテランスタッフなら必ず出会う現場「あるある」です。

視覚支援を優先させたいとき、聴覚情報がノイズになって邪魔な場合があります。従って、何も知らない素人さんが見た目には「声かけもしないで、絵カードだけで指示とか、手をもってカードを取らせてスケジュールを教えたりするのは、人として冷たいんじゃない?」のような、感想を持たれることがあります。

私たちは、視覚や聴覚、または触覚から情報を入れる時、自動的に集中すべき感覚に切り替わります。あるいはカクテルパーティー効果と言って、賑やかな場所で選択的に声を聞き取る力も持っています。しかし、同じレベルで様々な情報が入ってくればどの情報も取れなくなります。たとえ頑張って情報をとったにしても、それではあっという間に疲れ果ててしまうでしょう。私たちが支援している知的障害や発達凸凹のある子どもの実態は、聴覚情報が苦手かもしくは注意の切り替えや選択が難しい子が多いのです。

賑やかに楽しそうに声をかけることが、その子にとっては苦痛なこともあるのです。私たちも物事に集中したいとき「もう!声かけないで!」という事があります。要するにビギナースタッフさんは、こうした障害や心理現象を学んでいないので、こうした支援が想像できないだけなのです。

逆に、こうした支援が子どもへの「標準支援」だと思い込んで、どんな子どもにも無頓着に同じ支援をするスタッフもいます。これも、構造化支援の意味を理解していないのです。このスタッフが大勢いると、どの子も同じスケジュール、同じパーティション、同じカードが使われ、一律「なんちゃって構造化支援」が行われます。そして、先の冷たく感じるスタッフとなんちゃって支援スタッフが鉢合わせると、双方に誤解が生じて対立するのも、現場のよく「あるある」事件です。ベテランのスタッフは「もーちょっと勉強してから張り合ってね」とため息をついているのも、現場「あるある」です。

マスターベーション

二次性徴期になると性器に刺激を受けると気持ちよいと感じたり、落ち着いたりするため性器を触ることがあります。性器を触ることはある意味自然なことであるため、「触ってはいけない」「駄目」などと行為を排除してしまうのは良くありません。性器を触ってはいけないとインプットされたために、排尿時に触ることが出来なかったり、性器を洗ったり拭いたりすることが駄目なことだと思い込んでしまうことがあります。男児ではマスターベーションを行うことが出来なくなる場合もあります。性器いじりをしている際には「人前では行わない」「自分の部屋やお風呂やトイレなど場所を限定させる」「寝る前や夜のみなど時間を限定させる」ように教えます。

人前で行ってしまった場合は激しく反応せずに人目に付かない場所へ移動させたり、周囲の目から隠れるようにします。性器を触ってしまう行動には性的な面だけでなく、手持ち無沙汰であったり、不安やストレスを感じている場合、陰毛が生えてきてチクチクする、パンツや生理用品の不快感、性器が汚れてかゆみを感じる場合など様々な理由があります。性器を触る行動が見られた場合には、どの様な時に行っているかを観察し、原因を調べて対処をすることも重要です。

マスターベーションとは『自慰行為』や『オナニー』などとも言われ、男子ならペニスに刺激をあたえ射精を行う行為で、女子なら乳房や性器を触って性的快感を得る行為です。マスターベーションは体に害は無く、至って普通の行いです。特に男子の場合には性的欲求を発散させ、気持ちを落ち着かせるためにも必要な行為でもあります。マスターベーションを行う場合には、性器弄りと同様に「人前では行わないこと」「自分の部屋や風呂場やトイレで行う」など場所を限定することが必要となります。また、性器を触るため清潔な手で行うことと、性器を傷つけないように行うこと、マスターベーション後にはしっかり処理を行い性器を清潔にすることも重要です。

制服

制服の効果はすごいです。先日Rさん達は学校で高校生の交流会がありました。もちろん高等部生ですから制服(標準服)で交流です。Rさんは、帰りも制服のままで放デイの送迎で駐車場に来ました。Rさんは送迎の切り替え場面などちょっとした見通しのなさで不安になって、故意に転倒してスタッフの注意をひくのですが、今回は制服のままでささっと車に乗り込んできて、「ありがとうございます」とお迎えのお礼までしてくれました。

きっと、同じ制服を着た高校生同士の交流で盛り上がり気持ちが同期したのだと思います。たかが制服、されど制服。着る物で自分の気持ちが調整できるようになるのが青年らしいところです。

 

プラレール

プラレールは、タカラトミーが販売するロングセラー商品で、1959年に第1号が発売されており、50年を超える歴史があるおもちゃです。鉄道好きの子どもがターゲット層ですが、長きに渡るファンが多いため大人向けの商品も販売しています。形状は、プラスチック線路の上を、2車両~3車両連結できる鉄道模型が電池で走る仕組みです。実際に走っている鉄道車両をモデルにしているので、新しい鉄道ができる度に新商品が発売され続けています。

男の子の好きな乗り物、中でも特に親近感のあるのが電車。そのミニチュアバージョンが目の前を走る光景に、彼らの想像力がいっぱい膨みます。車両・レール・各部品の単体、プラレールで遊ぶには、自分で線路を組み立て、そこに踏切やトンネル・駅などを適当な場所に配置していきます。線路の組み立て方や配置は自由自在ですので、まず設計能力や想像力が育ちます。

そしてお片付けの際には収納能力、さらには収納や路線変更の際は全てバラバラにしますので、楽しみながら何度も繰り返し子どもの能力を育む「最高のおもちゃ」です。プラレールの適正年齢は3歳~15歳までという名目で販売していますが、大人向け商品もありますし、親子で遊ぶ家庭も少なくありません。子どもの頃に夢中になって遊んだおもちゃを、我が子と楽しめるのは、親にとってもうれしいことです。さて、本事業所のプラレールも1年半走り続け、ガタが来たので新車両を購入する予定です。もしおうちに眠るプラレールがございましたらお声がけください。

男組

高学年のT君のあとを下級生の4人が金魚のフンみたいにくっついて、山道を探検する姿がありました。久々に見ました。異年齢集団のいいところ。下級生は上級生にあこがれ、声をかけてもらうだけで幸せになります。上級生は自分を慕う下級生に目配せして、怪我しないかなどと気を遣う。教室の中ではできない関係、自由な戸外だから、大人の目が十分届かないから成立する関係。もう街角のどこにもその姿は見られません。

興味の無い事

利用者の子どもによっては興味のある事と無い事の差が激しく、興味のある事であればトコトン続ける事ができるのですが興味の無い事になると全く手を付ける事ができません。これを改善する事は非常に難しく、興味のある分野を伸ばして行く事に仕向けた方が暮らしやすい子が多いようです。

誰もが興味の無い事はありますが、彼らの興味の無さはスタッフでも理解できないと言われる程です。自分の食べるもの以外にに興味のない人は腹が減っていようがおいしそうな匂いがしようが、一切気にならないのです。好きな食べ物があればそれを食べ続ける事を好み、毎日3食同じ物でも問題はありません。逆に違う食べ物を食べる事の方が苦痛を感じてしまうのです。好きになるとそれだけに固執してしまうのです。

全てがある程度のバランスを保てない特徴を持つ自閉スペクトラム症の人達は、興味がない事がおかしいとは感じていません。ただ、自分には興味の無い事だと言う程度にしか認識していないようです。何かに興味を持つとそれ以外の事が見えなくなる傾向が強いのですが、時間を忘れて取り組んでしまう事が多々あります。それは自分が納得するまで続くのですが、家族や集団と上手く調和する事が難しいかもしれません。

自分が好きな事をするのは楽しい事。そして夢中になるのも同じだと思います。しかし一旦夢中になり始めるとその他の事が一切気にならなくなってしまうのです。誰かが話しかけても聞こえない事もしばしば。無視をしているのではなく聞こえないのです。日々こんな子どもたちと付き合っていると、自分のこれまでの基準やモラルが軽く打ち砕かれる時があります。そして、来るべきダイバシティ―な未来社会を夢想するのです。

凧揚げ

冬一番。風が冷たく強くなると凧揚げの季節です。里山公園に凧あげに出かけています。良い風が来ないので、普段は走るなんてとんでもないという顔をするR君が汗だくになって走り回っています。子どもたちが走る姿を眺めるのはいいものです。淀川の河川敷にでもいけばもっといい風がとらえられるので高く上がりそうです。ビニール袋で簡単にできる「ぐにゃぐにゃ凧」を自分で作って出かけていくのもいいかもしれません。

枠組みと交渉

絵カードコミュニケーションのP君が家庭で明日のスケジューリングの際に、学校の後の放デイ事業所のカードを外して、明日は行かない意思を示しました。おうちの方は、こんな要求は珍しいから何か理由があるのだとその要求を認めました。それから本人はずっとどこの事業所も行かない意思を示し続けています。

P君にしてみればたまたま要求が叶ってどこにも行かず家で過ごしてみると、なかなか快適だったのかもしれません。この場合、どういう課題があり、どういうアイデアがあるのでしょう。要求は、社会の中で一定の約束(枠組み)の中で認められます。今回は、交渉と契約、視覚的強化システム(PECSマニュアル13章)の課題とアイデアが必要になってきていると思います。(続く)

なぜ子どもは崖登りが好きなのか

子どもは不安定な場所での移動が好きです。道端の溝蓋の上や境界ブロックの上を歩いたり、コンクリ階段の手すりの上に上がってわざわざ歩こうとしたり、斜面を見ると走って上がろうとしたり、手ごろな樹木を見ると登ってみようとしたり、一見エネルギーの無駄遣いみたいな行動をします。

でも、これは前回「11/18感覚統合アプローチ」に書いたように身体と脳の統合的発達にはとても必要な行動です。不安定なところで平衡感覚(前庭覚)を使いながら、全体の力の調整をとりつつ必要なところで瞬発力(固有覚)を発揮して走破していく突破していくことによって、脳と身体の発達の基盤的システムの高次化を達成します。コンピューターでいうなら基本プログラム(WindowsとかmacOSなど)を走らせる前段階の電源やCPUやメモリーやキーボードやモニターなどの統合的な調整をするオペレーションシステム(OS)のバージョンアップと言えます。

なんのこっちゃと思われる方は、10か月頃の赤ちゃんが何度も立ち上がろうとする行動等、遺伝子にもともと仕込まれている発達行動にスイッチが入っているから、子どもはわざわざ「できそうでできなさそうなことをする」と言えばイメージができるでしょうか。てなことで、子どもが崖を上ったり下りたりするのは意味があるという話です。そして現代には、その発達の土壌である崖がなかなかないので、支援者は手ごろな崖を求めて彷徨うわけです。

再びスケジュール考

スケジュールについては「9/19効果のでないスケジュール」や「5/30視覚支援」で述べましたが、その趣旨は、大人が子どもを管理するためにするためのものではなく、支援を受ける側の方々が、理解しやすく、不必要な混乱をしない、つまり、生活の主人公になるために行うものです。

そのほかにもスケジュールによる視覚支援は、短期記憶の弱い人の記憶の代わりになり、作業や学習を進めるにあたっていちいち人に頼らなくても、自分で自立してすすめられるという利点があります。つまり便利なのです。

ただし、やりたくもない課題、必要性を感じない内容については、いくら手順を示してもやりたくないものはやりたくないのです。つまり主人公たる本人のやりたいことが、自分の力で実現できるから、スケジュールをはじめとする視覚支援を本人が使おうとするのです。自分にとってメリットがあるから使うのです。座らせたり、片づけさせられたり、準備させられたりするためにスケジュールは使われるのではありません。それは、ABAの理論に基づいた動機付けの工夫が別に必要です。スマートなスケジュール支援はそこまで考えた総合的な教育支援になっているものです。

 

見学・体験会

最近、次年度や新学期に向けての見学・体験会が当事業所でも開催されています。本日は低学年女子が体験に来ました。一緒にストラックアウトを取り組むことになった女子のNさんは、とても嬉しそうです。

何しろ当事業所の女子率は3割いないので毎日になると一人か二人、低高学年の区別まで入れるとほぼ一人の日もあって、ガールズトークができないという弱点があります。女子低学年の皆さんどうぞ見学にお越しください。

一人でできることの大事さ

以前「就労メニューとワークシステム8/9」でプットイン課題について紹介しました。認知の障害の重い人や、目と手の協応が苦手な人でも取り組める初歩の自立課題であることを述べました。

最初は大きな重さのあるものを穴に入れるだけの課題から、徐々に軽いもの、小さいもの、薄いものへと進んだり、大きさの違うものを入れ分けたり、形の違うものを入れ分けたり、時間を長くしたりして発展させていきます。

よくある光景は、プットイン課題を勉強を教えたり指導のように考える方がいます。こういう方は、自立課題の意義そのものを間違えていて、ゴールが見えていません。自立課題は、自立して作業する気持ちよさを教えることが目的であって、ステップアップして難しいことをさせることが第一の目的ではないということです。一人でできる喜び、自分だけの力で達成する喜び、「GOOD JOB!」「おつかれさん」と言ってもらえる喜びを教えるのが自立課題なのです。そのために、子どもにわかりやすい作業をしてもらうために手を変え品を変え課題を作っているのです。

10ピースのパズルができたから20ピースのパズルを与えるのではなくいろいろな種類の10ピースのパズルが一人ででき気持ちのいい終わり方ができることが大事なのです。ゴルフボールが入れられたら、ピン球も入れられ、ビー玉も入れられ、という幅を広げる展開を考えてほしいです。

 

キックベースボール

キックベースはボールを遠くに飛ばせる人こそがスターです。キックベースにおける正しい蹴り方=飛距離の出る蹴り方です。もちろん、狙った位置(人のいないところ)に正確にボールを飛ばすの技術も必要ですが、まずは、初めてキックベースを経験する子どもには飛距離が重要です。遠くに飛ばせたほうが、やっていて楽しいからです。

ボールを遠くに飛ばす蹴り方は、インステップキックです。足の甲(足の一番硬い部分)で蹴るので、蹴る時のインパクトが強くなり、飛距離を稼げます。まず大事なことは、ボールの「真ん中」に足の「甲」を当てるというイメージが大事です。スイング打はなんでも、ボールの打点から最後まで目を離さないことが大事です。インステップキックも、自分の足とボールの中心を最後までしっかり見据えたまま、蹴ることが大事です。とりあえず、助走は走る事と蹴ることの調整が難しいので、助走はあとからつけます。ボールも制止したままからはじめます。ボールの真ん中を足の甲で蹴る(というより「叩く」といった感覚がコツです)目は足から離さない。この一連の流れを掴むことから始めます。甲で叩く感覚で蹴れるようになったら助走です。

助走するときは、真っ直ぐではなく、斜め45度くらいからボールに入るほうが蹴りやすいです。真っ直ぐ転がってきたボールに対して、真っ直ぐ向かって蹴り抜くのは蹴りにくさを感じるため、多くの人は斜めから入ったほうが、やりやすいです。蹴る瞬間は、足首を固定したまま(力を入れたまま)にする。足首がふらふらしていると、ボールに伝わるインパクトが弱くなるので、遠くに飛びません。足の甲にボールが当たった後は、そこで動きを止めずに、勢いそのままに、しっかりと足を振り抜きます。インステップキックは、狙った位置に正確にボールを飛ばすのは難易度が高い蹴り方ですが、とりあえず遠くまで飛ばしてキック力に自信を持つことが大事です。

発達障害中高生の放デイ事業展開は難しい

本法人ででは、夏から、通常の学校に在籍する高学年や中高生の放デイを立ち上げるべく職員を募集していましたが、現在まで人材が見つからず、当面次年度は新しい事業所は立ち上げられないと判断しました。

そのため、通常学校の小学生の利用は小学校在学中として、新入生の入所ニーズに応える方向で考えています。つまり小学校卒業と同時(3/31まで)にすてっぷも利用契約終了とします。

小学校を卒業したからといって、発達障害のある中高生の放課後のニーズがなくなるわけではありません。むしろ、同じニーズを持つ仲間の居場所として、自己理解や社会性の育ちの場として、今日ますます必要になっていると言えます。私たちとしては、今後も鋭意努力して人材さがしを続けていくつもりです。お知り合いにこうした志をお持ちの方がおられましたらぜひご紹介ください。

 

ドングリ

車内を掃除していたらシートの間からどんぐりがたくさん出てきました。子どものポケットから落ちたものでしょう。子どもの収集欲は凄いですから、大人が思っている以上に真剣に集めます。全部同じに見えるどんぐりも、ツヤツヤしたもの、不格好なもの、スラッとしたものと面白い形のものが見つかり、楽しいです。

『どんぐりの木』なんて言い方しますが、実はどんぐりは『ブナ科』の木の実の総称です。
▼ドングリ(団栗、英: acorn)とは、ブナ科の、特にカシ・ナラ・カシワなどコナラ属樹木の果実の総称である。ドングリからその樹種を判別することは可能だが難しく、木自体を見る方がはるかにやさしい。ただし、属の見分けは比較的やさしい。▲
どんぐりのシーズンは9月末から11月上旬です。日本では20種類近くのどんぐりがあり、ブナ属、コナラ属、マテバシイ属、シイ属。どんぐりは、ブナ科の樹木の果実の総称でクリ属に属するクリもどんぐりの仲間と言えば仲間ですが、クリは除いてどんぐりと考えるようです。

どんぐりを拾ったら、『どんぐりコマ』を作ります。ドングリと言っても大きさ形は様々でそれぞれがちょっと変わったドングリを見つけてきて比べ合ったりするのがこの遊びの醍醐味です。拾ってきたどんぐりにきりで穴を開けます。どんぐりは結構固くて、穴を開けるのに力が必要でなかなか大変です。器用な子どもなら大丈夫かもしれませんが、持ち方や力の入れ方が下手だと怪我をしてしまうかもしれないので最初は必ず大人が穴をあけてください。穴が開いたら、穴につまようじを差し込んで完成です。たった2ステップで、どんぐりコマの完成です。但し、ドングリのバランスが悪いとコマがうまく回りませんので、数を沢山作る必要があるかもしれません。日本の四季をどんぐり遊びや野山の自然で感じてほしいものです。

 

挑発行動の見極め

前回K君の不適切な行動を紹介しましたが、高学年の行動は低学年には憧れとなり、不適切な行動の真似は集団のモラルの低下を招くというお話をしました。案の定、前回K君の行動を見ていたM君が「僕は公園なんか行きたくない」と挑発行動に出てきました。どうしようとスタッフから相談がありました。挑発行動の対応は、理を尽くして説明してもあまり効果がないです。理由なき憧れの不適切行動はスルーするのが原則です。そしてブロークンレコード「今日のみんなの予定は公園です」の繰り返しです。公園に行ったら、M君は声を上げて楽しそうにみんなと遊んでいたそうです。人の心情を理解していない場合の行動と、人の心情を試す挑発行動の見極めは支援者にはとても大事です。

 

モラル支援

高学年のK君がみんなを待たせているのに、待たせたことを謝罪もしないで下級生に横柄にあたることがあったという報告がありました。スタッフにしてみれば、在宅がちのK君がみんなと遊ぶことができる機会の出鼻をくじきたくなかったという思いがあります。しかし、反省会ではそれは支援だろうかと議論になりました。

まず、不適切な言動をスタッフはあれこれの理由があってもスルーしてはいけないことです。なぜ皆を待たせて謝罪がないのか正面から聞くことです。高学年の存在は、低学年にとってあこがれの存在です。しかしそれは下級生に横柄にしたり謝らなくていい存在ではありません。スタッフがその言動をスルーすれば集団モラルは劣化してしまいます。スタッフは、どんなに急いでいても、相手の気持ちがわかりにくい子どもたちだからこそ、なぜ謝罪が必要か丁寧に説明することが支援です。その場でできないなら後で話そうと保留して、その言動を許してはいないことを全体に示す必要があるという話をしました。

 

できるできない

ストラックアウトでG君とH君が遊びました。G君は投げて当たったエリアに自分で「当たり」シートを貼りつけて、次の順番のH君に球を渡せるようになったという報告の一方で、H君は何処に当たったかも見てないし、順番を意識して球を渡すこともできないという報告でした。

G君は「~したら~する」がわかる認知発達の段階、H君は「人と同じようにしたいけどうまくはできない」段階。この二人を比べるのではなく、先の認知発達の段階と照らし合わせて活躍できているかを見ることが実践者の目です。G君は視覚支援の成果もあって大人の介入なく「~して~する」が見事にできているし、H君もG君のように的に向かって投げようとしています。どちらもOKです。

ロールプレイ

キックベースをしていた時のことです。D君はルールもよくわかりどうすれば勝てるかも良くわかっています。一方、E子さんはキック力(打撃力)はあるけど走るのは遅い。F君は最近やっとチームプレーに馴染めるようになってきたところです。

この3人がチームを組んでプレーしていました。D君はE子さんが遅いので「もっと速く走って!」と檄を飛ばし、F君には「守備はもっと前で!」とアドバイスをします。二人とも気分が悪いとそそくさとプレーから離脱してしましました。スタッフが二人の会話に耳を傾けると「何様やねん」「言い方が腹立つ」とD君をディスります。

D君は良かれと思い勝ちたい一心で檄を飛ばしただけですが、それが二人は気にくわないのです。この場合はどちらも指導が必要です。友達の頑張ったプレーは「セーノ」で声をそろえて「ナイスプレー」と褒める、失敗したら声をそろえて「ドンマイ!」と言う。一人に10回声かけるまでは決してディスらないこと。では両者ともプレーの前に、一回ロールプレーで練習しよう。チームメイトの頑張りをよく見ましょう。

さて来週はどうなるか?楽しみ楽しみ。

 

お疲れ様です

みなさん学校祭で調子の悪い人が多いと書きましたが、出番が終わった人は徐々に回復しております。今日は放デイのスタッフもたくさん見に来られていました。「~君がかわいかった」とか「~さんは気合が入ってた」とか口々に御贔屓の子どもたちの話題を交わしておられました。

ちなみに、読者の皆さんが中学高校の時はいかがだったでしょうか?中学を境目に自分たちで自主的に作る学校祭は楽しかったでしょうし、つじつまを合わせたやらされ感の多かったものは嫌だったのではないでしょうか。大事なことは子どもたちが主体的に取り組んでいることです。けれども主体的とは大変むつかしい言葉です。みんなに表現したい見てほしいという動機は何もないところからは生まれてこないし、何らかの表現のチャンスも必要です。そのチャンスは、他者の誘導であっても最終的に本人が選んだものかどうかというのは本人しかわからないものです。最初は嫌だったけどやってみて好きになる場合もあるからです。

そういう意味では小学校時代はチャンスを「合理的」に試す時期かもしれません、思春期に入ったらまずは本人の選択が重要です。一律平等に参加させようとするのは個性の無視です。参加を拒否することも表現をしないこともOKだという柔軟性が大人に求められています。それでも出番が終わった人たちは晴れ晴れとしています。みなさんお疲れさまでした。

しんどいから笑う?

C君、お迎えの時から笑っているので、調子いいかなぁと思っておやつ作りをしていたら、調理台の上に置いてあるオムレットの具材用のバナナ丸々一本を、ホットプレートの上でごろごろ転がして焼いてへらへら笑うので、普段はそんなことする子じゃないのになんか妙だったというスタッフの報告がありました。

今週は文化祭の前で授業や時間割もイレギュラーでいつも通りではないので、みんなかどうかは分からないですが、少なくない利用者の子どもたちは疲れています。そして、C君のへらへら笑いは楽しいのではなく、疲れてへとへとだという感情表現の間違いです。疲れたらへらへらしたりテンションが高くなる人は結構います。そして、自分が疲れたことに気が付いていません。

私けっこう得意かも

ニットクイックルーム(大型リリアン編み)を手芸に提供してみたら、結構うまく編めました。にんまりして「私けっこう得意かも」とどんどん編んでいくBさん。手にマヒがあってもこれなら編んでいけます。とっても誇らしげです。

おやつにオムレットを作ったのですが、不自由な手で粉を計量してると後ろから「もうちょっと」「あー多かったかなぁ」と外野がうるさいのでBさんしょんぼり。一人でできること=大人に介入されないこと=自尊感情が高まること、その逆は一人でできないこと=大人にしょっちゅう指示されること=自己否定感が高まること、を学んだ一日でした。

そだねー

利用者のほとんどは友達やスタッフと絡まって生活しています。絡まって生活していると、相手の行動が許せなかったり、スタッフの理不尽な言動に腹を立てたりすることは日常的な事です。絡み合って生活しなければ対人感情は発生しませんので、感情のコントロールはこういう現場でしか教えようがありません。しかし、発達障害の人に感情の存在を教え、適切な感情の表現を教えることは大変むつかしいです。

怒ると大声で怒鳴ったり甲高い声で騒ぎ立てていたA君に、「怒るのはいいけど、大声を上げたり泣くのはNGです」と感情表現コードを決めています。でも、怒ることは彼にとっては大声だったり泣いたりなのでこの言い方では「怒るな」としか理解できません。怒りそうになると「怒らない、笑顔ニコ」と感情を抑え込んでしまいます。普通の声で「怒った」とか「頭来た」とスタッフに言いに来るのは「感情表現コードOKです」と伝えてきました。最近ようやく、友達のふるまいに「むかむかする」等と独り言をつぶやいているのですが、この振る舞いを「グッジョブ」と言って強化していいものかどうか悩みどころです。誰にでも「むかつく―」と言っても困るからです。「そうかー。そだねー」とスタッフが共感することでいいんじゃないかということになりました。プラスの感情は共有しやすいですが、マイナスの感情の共感と言うのは難しいです。だけど、人間生活にとってとても大事なコミュニケーションです。