今日の活動
ボタンわんこ2号機
VOCAで行き詰っています。実は前回書いた(VOCAセットできました! 2020/11/03)記事では、ボタンを押すと声が出るという因果関係をいきなり理解するのは難しいから、ボタンを押せば変化が起こることを理解してもらおうと「ボタンわんこ1号機」を作ったのです。でも、「ボタンわんこ1号機」はボタンを押し続けないとわんこが動き続けないので全く興味を示さず失敗しました。
今回はその反省のもとに、リレースイッチをつけてボタンを押せば5~6秒わんこが動く「ボタンわんこ2号機」を開発しました。これはボタンを押すだけでスイッチが入りっぱなしになる自己保持リレーと一定時間がきたら回路を閉じるタイマーリレーの二つを組みあわせたものです。この組み合わせのリレーは「Akozon 時間遅延リレー DC 12V 1〜10秒 タイマーモジュール 遅延コントローラボード 可変タイマー スイッチ」というリレースイッチ名でAMAZONに1種類だけ売っていました。1個1000円とわんこの2/3の価格でしたが他に選択肢がないので購入しました。
さて満を持して開発した「ボタンわんこ2号機」でしたがこれもみごとに撃沈されました。Cちゃんは手が動かせるので、ボタンくらい押せるだろうと高をくくっていたのですがうまくいきません。机の上にあるものは全て床に落とすもの、線状のものは口に入れるという習慣がどうしても邪魔をします。ボタンを机の上にのせると払い落すし、わんこのリモコンコードが見えると口に持っていき噛んで離さないのです。
ボタンは強力両面テープでテーブルに固定し、リモコンケーブルーは手に届くところでは見えないようにカバーしておけば何とかなりますが、わんこの動きを見ようともしないのが何故だかわかりません。周りに大人がいすぎて大人の反応の方が面白いのかもしれません。工夫は続けていきますが固定器にしろカバーにしろマイナーバージョンアップなので成功するかどうか微妙な雲行です。
今後は、「ボタンキラキラBOX1号機」を開発しようと考えています。ボタンを押せばLEDイルミネーションが5~6秒チカチカ光るボタンシステムです。開発費ばかりかかって、なかなかヒットしない。次第にスタッフの視線が冷たくなるのを背中で感じていた。心苦しかった。だが、
「誰もやらないなら、オレがやる・・・」
プロジェクトXの気持ちです。
テンパる
ゲームをしようとB君にトランプを見せたとたんに、机の上のカードを振り払いげらげら笑いだし、最近なかった脱走モードになり、家に帰るまでずっと興奮していました。どうやらB君にはトランプゲームで嫌な経験があり、しかし「嫌だ」とは言えずテンパったみたいです。「テンパった」とはよく使う言葉ですが、少しだけトリビアを披露します。
語源は、麻雀です。あと一つの牌が入れば上がれる状態になることを「テンパイ(聴牌)」といい、「テンパイ」に動詞化する接尾語「る」が付いた語が「テンパる」です。そこで、準備が整った状態、余裕を持って対応できる状態を「テンパる」というようになり、物事が成就する直前の状態にあることを表すようになりました。
しかし、「直前の状態」「ぎりぎりの状態」という部分的な意味から、テンパるは「切羽詰まる」「余裕がなくなる」といった悪い意味に転じて使われるようになりました。最近は麻雀するひと少なくなってきたから知らない人も多いと思いますが、昔は麻雀が社交の一つだったのでこんな言葉ができたわけです。
さて、B君には申し訳ないことをしたのですが、ここで彼に「わからんけどまぁ付き合うかぁ」という寛容の気持ちを育てるか、「嫌です、僕はやりたくありません」というコミュニケーションの力をつけるか、どちらを選択するべきでしょう。経験上、前者を求める大人は予想以上に多いのです。寛容の気持ちなんてどうやって教えるのか私は知りませんがそう考える人は少なくありません。
専門家なら後者を選びます。ただ、気になるのは「嫌」だけを教える人も大勢いるのですがそれは間違いです。嫌を教えるには交渉も同時に教える必要があります。結局、ピラミッドアプローチのPECSのフェーズ2の時期に学ぶべきことが課題となるのです。マニュアルを読み返してみたいと思います。分厚いマニュアルを読んでテンパる人も大勢いるようですが、講習を受けた後、一緒に学びませんか?「京都ぺクスサークル」がありますよ。
利用回数
すてっぷには利用回数が週5回の子どもから月2回利用の子どもまでいます。A君は月2回です。そのA君について支援計画の議論をしました。支援計画ですからトータルに社会性やコミュニケーションや生活自立について考えていきます。半年間で12回来ているのですからその所感を述べることはできます。しかし、目標を持ったり、支援方針を立てることはできても月2回では効果の可否はわからないです。
A君は他にもすてっぷよりもたくさん放デイを利用しているので、もしも行動がスムースになったりコミュニケーション力が伸びたりしたなら、それは他の放デイの支援や学校での指導の結果です。逆に、何か停滞したり後退するような事があってもすてっぷの責任ではありません。放デイの支援が届く利用回数は人によって違いますが、週2回以上ならある程度手ごたえは感じます。
それでも週1回や月2回を受けているのは、子どもの見方を保護者に伝える事ができるからです。むしろ定点観察の方が子どもの成長や課題がしっかり見える事さえあります。子どもの様子から、今後の課題やすてっぷではできないけど家庭やそのほかの場所でできる支援方法の提案もその後の評価もお伝えすることができるからです。でも、できればじっくり向かい合って支援したいとは思いますし、これって本当は相談支援事業所の役割だと思います。
見えない障害
低学年のZ君の保護者の方がじゃんぷに入れてほしいとお話がありました。聞くと、読み書きにものすごく苦労しているという事です。他の子どもが10分で済ませてしまう宿題を毎日1時間以上泣きながらやっているというのです。就学前検診を通過した子どもでも1年たつと読み書きの問題が顕在化して、「僕はがんばってもできない」とどんどん自尊感情が落ちていき、中学年以降学習性無力感に陥る子がいます。読み書き障害は精密に見ないと就学前での発見がむつかしい子もいるのです。記憶力の良い子は高校英語でやっと顕在化する人もいます。
行政や相談事業所に話に行ったら、そういうものを障害と言うのかと訝しがられます。ただの学習の遅れではないのかと言う認識が未だにあります。学習障害の一つである「発達性読み書き障害」の出現率は日本では8%です。他の発達障害との併存の場合もあってADHDやASDがあれば行動が目立ってフォローもされやすいのですが、併存障害がなければ集団行動もできるので見逃されやすく、見えない障害と言われて一般にははほとんど認知されていません。
国際ディスレクシア協会の定義では、「Dyslexia は、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。宇野訳)」 と、記述されています。
これを解決するには正確なアセスメントに基づく訓練的支援が必要ですが我が国ではほとんど広がっていません。大手の放デイでいち早く取り組んだのはLITALICOです。この障害への支援は都市部では広がっていますが地方に行くと行政官ですら知らないことが多いです。それは勉強なんだから学校の仕事でしょと勘違いをされている方も多いと聞きます。肢体不自由は運動の障害ですがこれが体育教科指導でどうにもならないように、発達性読み書き障害も国語教科指導ではどうにもならないのです。見える障害は理解しやすいのですが、見えない障害は理解しにくいですから、塾に行くか家庭教師をつければいいと誤解している方は少なくありません。
通級指導の先生や児童精神科医の先生はこのことについてはよくご存じですから、行政や相談事業所の対応に保護者の方の口添えをされていると思います。乙訓には一学年1300人ほどいますからその8%は100名です。行動問題の併存しない人はその半分と考えても50名です。乙訓の義務制学校に最低450名の併存障害のない静かな見えない障害、発達性読み書き障害の子どもが「僕は勉強ができない」と苦しんでいることになります。教育では特別支援教育が、福祉では療育支援が、医療では発達障害医療が必要な子どもたちです。
プログラムの目的
Y君たちは公園でゲームもしますが、鬼ごっこ、かくれんぼなどは、なかなかその面白さを感じることができません。でも体格はいいので力はありあまっています。そこで西山に登りに行くかと山道歩きを提供しています。でも、ただ歩くだけではそれこそ面白さがありません。休憩でおやつは食べますがそれだけでは物足りないので何か彼らが面白いなぁと思うものを山歩きの先に用意したいのです。それが、バーナーとコッフェルでお湯を沸かしてラーメンを作るというイベントなのです。
ただ、食べるのではなく、食べ物が仕上がっていく過程に面白さがあります。単純なことですがこうした工夫が大事だと思います。ただ歩けばいいのではなく、いかに楽しみを持ってもらいながら歩くかを演出する。そういうことをいつも考えながら、プログラムは作ります。固有感覚のニーズの高いZ君にはみんなの道具や水をリュックに入れて少し重みを感じてもらいながら折り返し点まで歩きます。ここで、自分のリュックの中から調理道具が出てくるのと、そうでないのとではZ君の動機の持ち方は違うはずです。最初は意味が分からなくても、だんだん本人もみんなも意味が分かってきます。単に石をリュックに入れても固有覚は刺激するでしょうがそれでは意味も動機も永遠に作れません。
言葉の通じにくい子どもたちにどのように動機を持ってもらいながら活動を共有しあうかということを抜きにしてプログラムはありません。子どもの体を鍛えたいからとジム付きの放デイを作ればそれでいいわけではありません。活動する動機を考え自発性を引き出す活動が大事だと考えています。それを子どもたちと一緒に考えて作っていくのが私たちの仕事だと考えています。