すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

指示しない

高学年のM君が怒って文句を言いに来ました。「スタッフは僕には時間を守れとか細々と甲高い声で注意するのに、Nさんが時間を守らなくても何も言わないってどういうこと!」。Nさんが、話し言葉でのコミュニケーションは十分できないことを彼はよく知っています。「君それ本気で言っているの?」「とても残念やわ」と返しました。彼はうなだれてみんなのもとへ帰っていきました。要するにM君はスタッフの自分のへの指示の仕方が気にくわなかったのだと思います。でも、Nさんと自分を比較して不公平と言ったことは自分でも残念だったのでしょう。

小学校高学年に接する場合、叱り方や注意の仕方も重要です。小学校高学年の場合、これまでと同じような叱り方をしていても、言うことを聞かなくなってしまうこともあります。

まず重要なのは、「指示しない」ということ。子どもに叱る場合、小さな頃には「こうしなさい」といって叱ることが多いものですが、小学校高学年になると、命令口調の叱り方は反発につながることがあります。そのため、「こうしなさい」ではなく、自分で解決策を引き出すことができるようなメッセージを伝えるとよいです。たとえば何か失敗したとき「なぜ失敗したの?」ではなく「どうすればよかったと思う?」という問いかけの形でメッセージを伝えることで正直な気持ちを引き出すことができます。また、単に叱るのではなく、「それに対して大人である私はどう思ったか」と、「私」を主体にしてメッセージを伝えると子供にも伝わりやすくなります。

感情の分化

K君が、凧が高く上がって、「怖い」と言ったのはその日風が強くて凧が持っていかれそうになったからだという報告がありました。その日、K君は公園で初めて凧を上げたと言います。ぐんぐん上がっていく凧を見て「すごいなぁ」「かっこいいなぁ」と思ったけど、彼の感情表現は「怖い」が多いのです。これはK君に聞いてもわかりませんが、ドキドキする感情のことを「怖い」にまとまているのではないかなとも推測できます。「怖い」とK君が言った後「でも、高いねー すごいねー K君かっこいいねぇ」とスタッフが言葉を添えてあげても良かったかもと話し合いました。プルチックの感情の輪を見ていると恐れと驚きは隣り合わせです。

 

 

高学年の役割

山登りで、高学年の利用者に光が当たらないと議論になりました。低学年や障害の重い人と同じように歩いているだけでは達成感がないのではなど意見が出ました。高学年には高学年としての役割、みんなの役に立つような演出がいるということになりました。どこの生活型の放デイでも抱えている高学年の支援ギャップについて丁寧に考えていこうと思います。

仲直り

終わりの会がなかなか始まらずGくんがいらいらして、隣に座っているHさんをたたいてしまいました。叩くことの機能分析は、ここから手っ取り早く離れるためには、周囲の人を叩けば「おいおいお隣さん何もしてないでしょ」ということでG君がその場から離され、G君の要求は実現します。

言葉のないG君から叩かれたHさんは意味が分からないから恐怖です。「怖かった」と告げるHさんを「怖かったなぁ」とスタッフは慰めるしかありません。それでもいろいろG君と取り組んでいるうちに思ったほど怖くないことに普通は気づいていくものですが、場面理解が苦手で誤解して決めつけてしまう傾向の強い子どもの場合は一緒にいることが苦痛になるので関係改善が難しくなります。

考えられる解決策は感覚の快状況を自然に共有する空間の提供です。例えば並んでブランコする等が一番いいように思います。動的(働きかけて得られる)快を共有することで関係を改善する方法は結構大きくなっても通用する手段です。ただし、G君の機能的コミュニケーション訓練も日常的に取り組むことが求められています。

負けと癇癪

C君は、ボーガンシュートゲームで得点が最下位になって、ショックで床にひっくり返って泣き叫んで癇癪を起しました。発達に関係なくASDの子どもの中には勝ちにこだわって1番じゃないと嫌、負ける可能性があるから勝ち負けのあるゲームやらないという子が少なくありません。勝ちが優れていて、負けが劣っているというデジタルな価値観でプロセスは関係ありません。自分の感情だけに翻弄されて相手がどう感じているかも無頓着です。周囲が嫌がっているのに大声でつまらない議論の勝ち負けにこだわる人の幼少期も、きっと勝々価値観に支配された子どもだったのかもしれません。

勝ったり負けたり、人によって勝てるものと負けるもの、いろいろあるんだという多様性を学ぶためには、小さい時期から「負けるが勝ちゲーム」をお勧めします。偶然性のあるカードゲームやくじ引きじゃんけんなどがいいでしょう。負けた人から1番。勝った人は最後の順位です。「負けた人いちばーん」とみんなでたたえます。つまり、勝ち負けの基準を変えてしまうのです。こうして負けるが勝ちを経験すると意外に負けに平気になってきます。というか、その程度の価値観しかないのに生死の境目みたいに苦しんでいたという事です。幼少期から「負けるが勝ちゲーム」に色々バリエーションをつけて取り組んでみることをお勧めします。