すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

要求の自傷とどうしてもダメなもの

G君が頭を床にたたきつけて怒って(表現して)います。G君とは以前(電池が切れて困っています。:2020/07/17)の言葉のない人です。G君の前にタブレットを持って行き写真を示して何が欲しいのか探りました。扇風機の写真の上でG君の眼差しが光ったように思ったので「扇風機ですか?」と聞くと手を上げてくれました。

困りました。扇風機遊びが好きなのは知っているのですが、G君は危険がわからないので事業所では扇風機遊びは禁止しようという話を昨日したところなのです。「ごめん、G君扇風機はないのよ」と示すと、猛烈に怒りだしてまたまた床に頭を叩きつけます。職員もどうしたものかと、頭を打ち付けないようにG君の体を支えて途方に暮れていました。

G君は、頭を打ち付けるか大声をあげるかして大人を引き付けて要求を叶えてきました。PECSに取り組んで今では数十種類の要求ができるようになってきました。また、機能的コミュニケーショントレーニングと合わせて「待って」や「~したら~」と言う契約にも応じられるようになってきました。

しかし、今回のようにどうしても困るものについては、契約がなりちませんでした。「USB電源で動くパーソナル扇風機ならいいよ」と示しましたか、そんなおためごかしで騙されないぞと拒否されてしまいした。もとはと言えば、昨日までは玩具として職員が彼に与えていたものを今日から手のひら返しにダメだと言っているわけですから、怒るのは無理ないのですが、怒りが沸騰すると最大の要求武器の自傷で訴えてくるので困ってしまいました。

今回は、時間が解決してくれましたが、本人がどうしても手に入れたいものが、何かの問題で禁じなければならなくなったり無くなったりしたとき時、どんな説得の方法があるのか考えてみたいと思います。禁止を伝えるために本人のブックに扇風機を入れておくかどうかも思案のしどころとなっています。しかし、本人の認識できるものをブックの中から削除するのは、表現の自由から考えて違法行為でもあります。しかし、ASDの支援の場合「ダメ」や「NO」表現はご法度です。「こうすればOK」「いいねYES」を使ってルールは教えるものなのです。それが私たちのいう「契約」支援なのです。そうはいってもどうしてもダメなものが世の中にはあります。どうしたものか、G君と一緒に途方に暮れています。

 

夏休みと身辺自立

昨年は感染防止の学校休業が先制パンチになって、夏休みだかなんだかわからない短いお休みでしたが、今年はしっかり1か月間の休みがあるので、「すてっぷ」としても一日プログラムを充実させようと考えている最中です。朝から夕方まで支援ができるということは、生活上の様々な問題に一貫してアプローチすることができます。

身辺自立の課題では、食事や排せつについて計画的に取り組めます。学校で給食を食べない子どもや、排泄は紙おむつにすると決めている人など、1日プログラムの日は食事や排せつの機会が多くなります。毎日とは言わずとも、長い時間職員も本人の様子が観察できますから手立ても打ちやすくなります。

このブログでは、食事のこだわり問題は平日では機会がないのであまり書いていませんが、ASDの子どもの強い偏食は少なくありません。筆者は焼きそばだけで成人した人を知っていますが、他にもふりかけなしの白飯だけでは絶対に食べない人や、炊き立てでないと食べないので炊飯器を持ち込んで毎日昼食をしていた人等ハードな人を体験しました。

これらの人はどちらか言うと味や食感のこだわりで家庭でもどこでも食べないと言う偏食です。ただ、小さい時期の食の問題は、かなりの割合で場所のこだわりがあるようです。これは食に関わらず排泄でも起こり得ます。つまり、家ではできているのに学校や施設でできないというものです。ほとんどの原因が、そこで食や排せつについて本人には嫌な出来事があったというものです。

つまり場所と食事や排せつやが結び付いて、恐怖感や不安感が高まってできない場合が多いです。もちろん、大人には悪気はありませんが、食事や排せつへのアプローチが本人には理解できず、ほとんどの子はコミュニケーションに課題がありうまく表現する力がないので怖い体験となって記憶に焼き付く場合があるのです。

ですから、そうした原因を抱えているかもしれないと慎重にアプローチすることが大事です。すてっぷでの昼食が初めての人は最初の環境設定やアプローチが重要なので保護者の方の協力がいるかもしれません。一度口にしてしまえばほとんどの子どもは食べられるようになるので、食事は最初の準備が重要です。逆に言えば、最初で失敗すると長い取り組みになる事が多いです。

オムツへの排泄を便器に誘導するのも同じようなことを留意しておく必要があります。こちらは定時排泄ではほとんどうまくいかないことをブログに書いてきました。(紙おむつトイレ:04/05)(トイレ考:05/07)こちらは、便意の神様が味方に付いてくれないとなかなか難しいものがあります。ご家族と連携しながらどうすればうまくいくのか、職員一同今頭をひねっている最中です。気張りたいと思います。

 

ホワイトボード

Bちゃんが、全体のスケジュールを書いたホワイトボードの前でゴソゴソしているので見に行くと、帰りの配車表を並べ替えていました。C君はD先生の車、EさんはF先生の車でと自分の思いついた配車に変更しているのです。(スケジュールの間違った使い方 : 06/17  )で紹介した子はBちゃんの事です。つまり、相変わらずスケジュール表が自分で貼り替えれば思った通りになる魔法の表と理解しているようです。でも、不思議なことに、今回は自分の配車は触らないのが、新しい変化です。これは何故だかわからないのです。

 Bちゃんの様子を非常勤の職員が報告してくれたのですが、その時どう対応したのか、職員はBちゃんの行為をどう思ったのかは送迎時間の最中なので聞くことができませんでした。子どもたちの様子を事細かに報告してくれることは大事ですが、職員の対応や考えも教えてもらえると、さらに助かりますとお願いしています。それは、職員の対応次第で気になる子どもの行動の多くが強まったり弱まったりする原因になるからです。

 Bちゃんの今回の行動についてはどう対応すればいいのか、正解はわからないです。しかし、職員のリアクションが分かっていれば次のBちゃんの次回の行動が分析しやすくなります。現段階の推測では、これはBちゃんの再現遊びの一種で、不適切行動とまでは言えないと考えられます。また、自分の配車を触ると注意されたので他の子どもの配車を変えているのかもしれません。

しかし、ホワイトボードを触られるのは他の子どもの支援や業務上問題があります。どう対応すればいいのか、Bちゃんの支援にアイデアが求められていると思います。すぐに思いつくのは、配車はパーソナルな情報だから全体に示す必要はなく個人スケジュールにする事です。しかし、それでは理解できる子には誰と乗って行くのかの情報が提供できません(そこだけ口頭報告という手はありますが)。貴方ならBちゃんや他の子をどう支援しますか?

 

子どもの言葉

A君が今日は公園に行きたくないというので職員が理由を聞いてみました。ただ、A君が言葉を思いつかないので、職員が当てることになりました。「タブレットがしたいの?」ときくと「ちがーう!」と言うので何だろうとあてずっぽうに言っているうちに、もしやと思いタブレットの中に入っているアプリの名前を言ってみました。

「数字の歌?がしたいの」「そう!数字の歌がしたいの」な~んだ、やっぱタブレットかぁ、という事でA君はタブレットで遊べたわけです。職員会議では、でもそれって「子どもあるある」だよねという話になりました。大人の「タブレット」の概念は、タブレット本体だけでなく、タブレットの中にあるゲームアプリも、それで遊ぶ行為もすべて総称しています。でも、子どもによっては「タブレット本体」しかイメージできないことがあるのです。「タブレット」と特定のアプリで遊ぶことは結びついていないことがあるのです。

普通は、「タブレットしたい?」から類推してそのアプリで遊ぶことと同義だと考えていくものですが、厳密にアプリ名で言わないと遊ぶことと結びつかないこどもがいます。状況や場面から言葉の言外にある意味をつかむ力を、メタ認知と言います。言葉は教えられますが、言外の意味は文字通り言外なので教えることができません。「違う」と言う子どもの言葉を大人が「真に受けた場合」は、提示したものと別の類型のものを提示していくので、余計に通じ合えない時間が長引いてしまう場合が良くあります。

でも、この子はメタ認知が弱いなと知っていると大人側の修正は早くなります。子どもの受け止める言葉も発する言葉も、その子のメタ認知レベルをとらえるスキルを大人が持っていれば、案外スムースにコミュニケーションができると思います。

 

内省と自尊感情

職員会議で「今日は感動しました」とY君の報告がありました。Y君はこれまで人が困っていても我関せずで、友達のために助けてあげてと言っても「なんで俺がやらなあかんねん」と文句を百倍にして返して、自分が客観的にみんなにどう見えるかなど考えもしてないようでした。そしていつもぼやいているのは「俺なんかあほやし」「働くところも将来ないし」と自己イメージも大変悪い子どもでした。

ところが、先日1年生のZ君がお気に入りのタブレットをしようとしたらみんな貸し出していてなかったので、職員が誰かZ君に貸してあげて欲しいと全体に声をかけたのです。結局、他の子どもが使い終わったのでZ君は泣かずに済んだのですが、Y君があとで職員に向かって、しみじみと呟いたそうです。

「あんな、Z君にタブレット貸してくれる人って聞こえた時、6年の俺が貸してあげなあかんと思ってん。思ってんけど、でもまだ使っている最中やったし、『貸してあげる』って言えなかった。あかんなって分かっているのにできなかった」と職員に伝えたそうです。「君の揺れる気持ちは良くわかったよ。今度頑張ろう」と職員は言葉を返したそうですが、Y君はまだ内省を続けている感じでした。

Y君は近頃「ありがとう」をいつも言うようになっているのが職員の間でも話題になっていました。「Y君、ディスるのがなくなって柔らかくなったね」と言われていたのです。これまで叱られてばかりだったのが、簡単な約束でいいので、できたらご褒美あげるのと同時に思いっきり褒めようと言うのがこの半年の支援方針でした。それが効果があったのかどうかは分からないですが、環境変化として大きく変わったのは約束した行動を褒めることを半年積み重ねたことです。

自尊感情の低い人は、そもそも褒められ経験がありません。しかも、発達障害があると、他の子どもには簡単なことでも、不注意や忘れ物で悪気はないのにいつも叱られる事が続きます。そんな彼らに、活動の前に「○○をしよう」と約束をして成功したらご褒美と共に強く褒める事を続けていくと、自尊感情は少しづつ高まっていくのです。ただ、年齢が高くなればなるほど、叱られ体験が多ければ多いほど自尊感情の積み上げに時間がかかる人は多いようです。

ご褒美について訝られる方もいますが、他者感情の読み取りの苦手な人にはご褒美の嬉しさ(感情)と褒め言葉を結びつける連合の過程が必要だと考えられます。これは失敗に罰や叱責を与えるより、永続的な効果があることが科学的に証明されています。褒められて嬉しい感情体験で徐々に彼らの心は快復していきます(感情を学ぶ:2019/11/05)。そうして自尊感情が高まれば、「良き自分」がどういう自分なのかわかってきますから、自分の課題も見えてくることになります。Y君の言葉は「良き自分」を目指した内省の言葉だったのだと思います。