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みんなちがってみんないい

障害者の避難

「障害者の避難、試行錯誤というが」家族の本音に行政は

2020年11月19日 12時59分【朝日新聞】

避難が必要な災害が起きたとき、障害がある人たちは避難所に行けるか――。当事者同士がそんな意見を交わし合う会が今月8日、佐賀市内であった。話題の一つが、「周りの迷惑になる」と避難をためらい、悩む人たちに伝えられた、「日頃から“地域の理解”を深めるべきだ」という行政側の意見だった。

意見交換会は「佐賀の障がい福祉を考える会」(内田勝也会長)が主催。障害のある人とその家族、県や市の関係者ら45人が集まった。参加者たちからは、9月の台風10号で浮き彫りになった、避難に関する不安の声が相次いだ。

「避難所で多大な迷惑をかけて、長時間いることは難しい」。知的障害者の家族らでつくる「佐賀市手をつなぐ育成会」副会長の長尾千夏さん(59)は、会のメンバーの多くが、避難所に行くことを諦めている現状を訴えた。

知的障害や発達障害がある人の場合、大きな声を出したり、独り言を言い続けたりすることがある。パニックになったり、間仕切りの段ボールをたたいたりするかもしれない。長尾さんは「非常時で疲労感が増しているときに、止めることはできない」と説明した。

これに対し、佐賀市保健福祉部の担当者は「『周りの理解が得られない』という前提で話していると思うが、“地域の理解”を進めるためにも、一緒に入っていただきたい」と求めた。他の避難者から苦情が出た場合は、「職員が調整したり、やり方を変えてみたりして進めるしかない」と話す。

「災害時に、そんな試行錯誤をする余裕があるはずもない……」。意見交換終了後、長尾さんは市の担当者と改めて話をした。担当者は、通勤時に使うバスでの出来事を説明した。
《自分が毎朝乗るバスに、以前、ある親子が乗っていた。子どもは時々、車内で取り乱して、騒いでしまう。温かい目で見守っているつもりだったが、激しく騒いだある日、母親は「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝りながら、急いでバスを降りてしまった。それ以来、ぱたりと姿を見なくなった……》

「『大丈夫ですよ』と一言、声をかければよかった。それだけでも違ったはずなのに」。担当者には後悔が残った。一方で、乗客たちは、車いす専用のスペースを自然と空けて立っていた。いつも乗ってくる車いすの利用者がいるからだ。毎日同じ時間に、同じ人が乗ることが多い通勤時間帯のバスに、そんな雰囲気ができているのを感じた。

「同じ場にいれば、『こうしたら一緒に過ごせる』という気づきが自然と生まれる。逆に実体験がなければ難しく、地域にそうした人がいること自体、知らないこともある。孤立を防ぐためにも地域に出てきてほしい」。これが担当者の意図する“地域の理解”だった。長尾さんは「『迷惑を掛けてごめんなさい』ばっかりになりがちだけれど、自分から一歩、地域の中に入っていかないと」と考えたという。

難病のため、常に医療的なケアが必要な息子と一緒に参加していた、佐賀市の山本可奈子さん(41)は「『日頃からご近所との関係づくりを』と言われるが、自分で頑張らないと、できないです」と、“地域の理解”のハードルの高さを指摘した。息子の歩夢(あゆむ)さんは中学1年生。地域の学校ではなく、特別支援学校に通っている。年に2回、地域の学校の子どもたちと交流する機会があるが、歩夢さんの場合、人工呼吸器の管理やたんの吸引などが必要なため、必ず可奈子さんが付き添う。

「歩夢が地域にいることを当たり前にしたい」と可奈子さん。子ども会や学校のお祭り、運動会など、様々な行事にも歩夢さんを連れ出すようにしてきた。ただ、負担は準備も含めて大きい。多くの親子ができることではない、とも感じている。

台風10号の際、佐賀市は高齢者や障害者らを受け入れる福祉避難所を初めて用意した。可奈子さんは歩夢さんとともに、身を寄せることができた。各地域には通常の避難所が設けられる。だが「余裕のない状況では、医療機器のアラームや呼吸の音でさえ、うるさく感じる人がいると思う。気になる存在を排除しようという方向になるのでは、と思うと怖い」と、ちゅうちょしてしまうのが実情だ。(福井万穂)

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全国各地に災害時の福祉避難所は特別支援学校や大型福祉施設を中心に設定されてはいます。ただ、まだそのほとんどが、場所を指定したり契約したりしているだけで、実際の避難所の管理や運営の責任、備品類の調達責任もはっきりしていないところが少なくありません。

障害のある方の家族はすぐには避難所を利用せずぎりぎりまで我慢されるのも気になります。社会的弱者だからこそ早く避難をしてほしいのですが、実際は逆です。それを解決するのは、記事で述べられているように、障害のある人の家族がまずは平常時に地域で暮らそうという意向とそれを支える仕組みが必要です。

そうした中で、失敗もありますが、大丈夫ですよと声をかければよかったと思う市民も出てきます。避難の問題はシビアですが、実際は日々の生活での暮らしの共有をしてこそ、少しづつ避難時の課題は解決されていくのだと思います。日常生活を共有するには、障害のない人達が一緒に活動しましょうと声をかけ行政や企業、団体も支援する仕組みが必要です。そして、この問題は、老人や言葉の通じない外国人の避難にも共通する課題です。

 

 

若者スマホ依存広がる

コロナ下「ないと手が震える」…気づかぬうちに若者スマホ依存広がる長時間使用、学校も対策

2020/11/23 10:00【南日本新聞】

1日10時間以上スマートフォン(スマホ)に没頭し、生活リズムが崩れて不登校に-。新型コロナウイルス下で在宅時間が増える中、鹿児島県内で子どもたちのスマホの長時間利用が深刻化している。「スマホがなければ手が震える」と明かす生徒もおり、依存症への懸念も高まる。一部の学校では、利用時間を認識できるように日誌を取り入れるなど対策に乗り出している。

「外出する機会が減り、スマホを開く回数は大幅に増えた」。鹿児島市の高校2年女子は、休日にゲームや動画の視聴でスマホを12時間以上使用している。勉強しようと電源を切ると体が落ち着かず、不安になるという。

新型コロナの感染拡大に伴う4月の休校をきっかけに、長時間利用に拍車がかかった生徒も多い。日置市の高校2年男子は「スマホに飽きたら寝る。その繰り返しだった」と振り返る。

休校明けに依存症に陥るケースもみられた。県内の小学5年男子は休校中、深夜もオンラインゲームをやり続け、学校再開後に早起きできない状態が続いた。医療機関を受診し、徐々に症状は改善した。校長は「依存状態になれば、抜け出すのに時間がかかる。家庭と学校が連携し、未然に防ぐことができれば」と話す。

教育現場も危機感を募らせる。鹿児島市の樟南高校は9月、1年生約100人に休校期間中のスマホの利用時間を尋ねるアンケートを実施。「利用が増えた」と答えた生徒は93%に上った。

最も多い利用時間は「5時間」で16%、10時間以上も13人いた。動画や会員制交流サイト(SNS)での利用が大半だった。アンケートを実施した光司智徳教諭(46)は「大人よりも生徒はスマホを使いこなす。教師や大人の目も届きにくい」と指導の難しさを語る。

さつま町教育委員会は、一日のゲームや学習時間を記録する「睡眠&メディア日誌」を全小中学校に配布。このうち流水小は、児童がスマホの利用時間を決める機会を設けた。睡眠や勉強時間の確保を優先した上で、スマホに充てられる時間を計算した。白川満校長は「子どもが主体的に目標を定め、学校や保護者が支える仕組みを大事にしている」と強調する。

兵庫県立大学の竹内和雄准教授(55)=生徒指導論=は、コロナ下で子ども同士の関係が希薄になり、人とつながるオンラインゲームやSNSに依存する傾向が強まっていると分析。「学校は、感染対策に留意しながら子どもの交流が深まる行事にも取り組んでほしい」と訴えた。

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不登校の理由は、スマホとオンラインゲームへの依存が原因で、スマホのSNS依存は、希薄になった人間関係の回復を希求している子どもの姿だと読めてしまう報道です。何でもスマホをはじめとするデジタルデバイスが原因だという論調は疑問に思えます。因果関係があるかどうか伝聞だけで根拠となるデータも示さずにわずかなアンケート結果だけで簡単に関係づけ、悪者を決めつけているように見えるのです。

温暖化で海水面が上がるのは北極の氷が溶けるからとアルキメデスの原理(水に浮かぶ氷が溶けても水の体積は変わらない)も無視して報道した時と良く似ています。同時期に起こった現象を根拠もなく結びつけてあたかも関係があるかのように言い攻撃の対象にするのです。

問題は、ほとんどの子どもが無症状か軽症で済むのに予防効果の根拠もなく学校を休校にし、健全な睡眠を担保する運動と友達交流を妨げ、ステイホームの同調圧力に屈している役人や政治家にこそ問題があるように思います。毎日必要以上に感染の恐怖を煽り、相変わらず症状は伝えずPCR陽性者の増えた数だけ報道し、それでも対人交流の保障は学校が取り組むべきとする無責任なメディアの姿勢こそ有害です。

 

性教育

障害のある子にも性教育をこれまでの「人と離れて」ではダメ思春期の心身の変化に寄り添い、伝える

佐橋大2020年11月20日【東京新聞】

知的障害や発達障害の特性により、人との距離感をうまくつかめない子どもがいる。特に不安定な思春期は、悪気がなくても、人に近づきすぎたり、体に触れたりすると、大きな問題になりかねない。障害のある子どもたちにも、心身の変化や人への気持ちの伝え方などを学ぶ「性教育」が求められている。

無防備に近づくことで被害に遭うことも
「知的障害のある子どもは学校や施設などでよく『(広げた)腕1本分、人と離れなさい』と教えられる。でも、それでいいのでしょうか」。障害者の支援に詳しい日本福祉大教授の木全(きまた)和巳さん(59)は、思春期に行われがちな指導に疑問を投げ掛ける。

知的障害者の多くは相手の気持ちを考えたり、自分の気持ちをうまく表現したりすることが苦手。知らない相手に無防備に近づいていく人もいるため、性的な被害に遭ったり、逆に、不審者だと誤解されたりすることがある。そうしたトラブルを回避するために、常に人との距離を取るように指導されてきた。

嫌なときは嫌だとはっきり言えるように
しかし、木全さんは「距離を取ることにとらわれすぎて、人と離れにくい電車やバスに乗ることが極端に苦手になった人もいる」と指摘。前もって「離れる」と教え込むのではなく、実際に障害者が近づきすぎたら、周りの人が「離れて」と教えるのがいいという。「嫌なときは嫌だとはっきり言う大切さを実体験から学べる。障害者が性的被害や嫌がらせに遭ったとき、声を上げる意識付けにもつながる」と話す。

周囲の人は障害の特性を知り、接し方を学ぶ。障害のある人は支援者らと関わる中で、感情や考えの伝え方を学ぶ-。それが、木全さんの思い描く、思春期の障害者支援の在り方だ。

こうした考えを伝える保護者や支援者向けのオンライン研修「障がいのある子ども・若者の性と生の理解と支援」が今月から開かれている。放課後デイサービスの支援者らが、利用者の子どもたちに性の正しい知識などを教えている実践例を紹介。参加者に自分ならどうするかを考えてもらう。

体の変化教える模型や動画などを活用
主催する名古屋市のNPO法人「子ども&まちネット」の田中弘美副理事長によると、障害者への性教育は「障害者には恋愛も結婚も関係ない」といった偏見もあり、あまり積極的に取り組まれてこなかった。そのため、障害のある子どもたちは思春期の体や心の変化に関する知識が不足しがち。自分の変化に戸惑い、自己肯定感が低下してしまうこともある。

「子どもたちが自分の体と心を好きになれるように寄り添おう」と、同NPOは2012年から研修を開始。体の変化を教える人体模型や動画など、独自に開発した教材も活用して毎年続けている。人を好きになる心の変化を伝え、その気持ちを相手にどう伝えるかを本人と一緒に考えたり、命の学習として妊娠の仕組みや避妊の仕方を教えたりもする。

今回の研修は11月22日と12月6、20日の全3回。名古屋市内の産婦人科医が医療現場から見た、性を巡る問題も伝える。すでに参加の申し込みは締め切り済みだが、子ども&まちネットは終了後に研修の動画を編集し、販売することを検討している。問い合わせをメール(step.komachi@gmail.com)で受け付けている。

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昔、支援学校での性教育がけしからんと県議会で学校を糾弾した議員たちがいました。そんなに古い話ではなく平成の話です。障害者の恋愛や結婚が受け止められないというのがこの人たちの意識にはあると言われています。そして、それを積極的に取り上げていたのが教職員組合の教育研究会だからという決めつけもあったのでしょう。LGBTQの権利が注目される今日なら、かの議員さんたちの言動はどうなったでしょう。ただ、ダイバーシティ社会での個性尊重はコストもかかります。必要な教育支援・行政支援そしてそれを担保する法律です。

 

アビー首相

古代ユダヤの学校では、一年生を「賢者」と呼んだそうだ。二年…

2020年11月20日 07時54分【東京新聞・筆洗】

古代ユダヤの学校では、一年生を「賢者」と呼んだそうだ。二年目には「哲学者」、最終学年の三年生で「学生」と呼ばれる▼賢さをたたえられても本当に尊敬されるには、その先が大切で、謙虚に学び続けることを知らなければならない。呼び名にはそんな戒めが込められていたようだ。マービン・トケイヤー著『ユダヤ処世術』にある▼エチオピアのアビー首相は、就任わずか一年あまりで二〇一九年のノーベル平和賞受賞者に選ばれた。「新星」「希望」などと呼ばれた人である。どうやら、国際社会から尊敬され続けることには成功していないようだ。受賞から一年のいま、「失望」も聞かれる▼四十一歳で首相になると、隣国エリトリアとの長かった紛争を終結に導いている。ノーベル平和賞授賞式の誇らしそうな笑顔は印象的だった。だが平和は維持することも難しかった。今度は連邦政府と北部ティグレ州政府の軍事衝突が激化する。双方が非難し合っている。アビー氏は空爆に踏み切った。民間人に犠牲者も出ているようで、先行きが心配である▼アビー氏に対しての苦言に違いない。平和賞を贈ることを決めたノーベル賞委員会が数日前、平和的な手段での解決を求める異例の声明を出した▼欧州メディアからは、平和賞は「早すぎた」の声もあがっている。ノーベル賞級の努力が、いま一度求められているだろう。

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政治家のノベール平和賞は辻褄が合わなくなることが少なくないです。非核三原則を提唱し、沖縄返還をなし遂げた後に、アメリカとの核兵器持込密約発覚の佐藤さん。「核無き世界」に向けた国際社会への働きかけの後にウィグルの人権弾圧や南シナ海侵攻のチャイナを黙認したオバマさん。最初は世界平和に貢献したと持ち上げられても、次第に政治の波にもまれて「政治屋」になってしまうのです。でも、人々から求められているのは美辞麗句を並べるだけの政治家ではなく、武力や経済力を背景にしながらでも紛争を最小限に抑え人権を守る政治家だとも言えます。

今回の衝突もエリトリア側の挑発工作は否定できず、現地では民族解放を唱える武装兵が1000人の非武装の住民を虐殺したという報道もあります。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ティグレ州では戦闘激化を受け、これまでに少なくとも1万1000人が隣国スーダンへ逃げ込み、難民の半数を子どもが占めている模様です。UNHCRとスーダンは当初、難民2万人の受け入れ態勢を用意していましたが、この枠を10万人に拡大したといいます。

武力を使うな対話せよというのは簡単ですが、独裁者や国際テロリストを前に、対話だけで和平は成立しません。また、地続きの多民族国家のパワーバランスの難しさを改めて考えさせられます。何も知らない1年生が「賢者」というのは、逆説的な皮肉にも聞こえます。

 

暑い!

京都、観測史上最も遅い夏日に111年ぶりの記録更新、25度超える「暑さ」

2020年11月19日 12:13【京都新聞】

朝から良く晴れた19日、京都府内各地は季節外れの「暑さ」となった。京都市では、午前11時57分に気温が25度となり、111年ぶりに観測史上最も遅い夏日の記録を更新した。

気象庁によると、正午までの最高気温は京都市で25度、京都府北部の舞鶴市と宮津市で25.7度。舞鶴市と宮津市も、史上最も遅い夏日となった。

京都市東山区の蹴上付近では、紅葉した木々の下、上着を脱いで手に持って歩く観光客の姿が見られた。

京都地方気象台によると、午前中は移動性高気圧に覆われて良く晴れたことに加え、朝鮮半島北部を東進する低気圧に向かって南から暖気が流入し、記録的に気温が上昇したという。

最高気温25度以上の夏日の最も遅い記録は、これまで京都市で1909年11月9日、舞鶴市で1957年11月11日だった。京都市は11月中旬では史上初の夏日となった。京都市の11月の史上最高気温は1923年11月1日の26.9度となっている。

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暑い暑いと暑がりのスタッフが言うので、「また暑い暑い言うて…」と温度計を見ると室内は27度!そら暑いわ。全員半そでになって過ごしました。この間、寒い寒いと布団から起きだせなかった子どもも今日は布団を蹴飛ばして早起きしたことだと思います。

特支学校設置基準

特支学校設置基準策定へ請願書県議会に7団体国などに提出求め/茨城

2020年11月17日【毎日新聞】

教室不足が課題となっている特別支援学校について、全国障害者問題研究会茨城支部など7団体は16日、県議会に対し、学校の設置基準の策定を促す意見書を国などに提出するよう請願書を提出した。特別支援学校には小中学校や高校で定められている設置基準がなく、過密化しても法令違反にならないなどの問題が指摘されている。

請願書では、県内の県立特別支援学校で89の普通教室が不足しており、学級が100クラスに及ぶ学校もあることを指摘。教室確保のために音楽室や美術室などの特別教室を転用したり、教室をパーティションで分割したりして対応しているという。

県立つくば特別支援学校の教員で研究会の寺門宏倫支部長は「特別教室がなくなることで、体験による学びがないがしろになっている。コロナ禍もあり少人数学級の実現は切実な課題だ」と話す。NPO法人「茨城の専攻科を考える会」の船橋秀彦理事長は「障害のある子どもがいる一部の親だけでなく、県民の皆さんに現状を知ってほしい」と話した。

文部科学省の審議会は9月、設置基準を設ける方針をまとめている。請願書は県議会の委員会が審査し、本会議で採択・不採択を議決する。団体は「請願の採択により、文科省の一歩を確実なものにしてほしい」としている。【韮澤琴音】

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特別支援学校では児童生徒の在籍数の急増に学校の新増設が追いつかず、全国各地で過大・過密が進んでいます。過大・過密が進んだ学校では、音楽室などの特別教室が普通教室に転用されたりしています。これは、他の全ての学校にある設置基準の法律が特別支援学校にないことが問題の背景にあります。政府も法律が必要だとやっと認識し始めてているようです。

子どもが減少しているのに特別支援学校の在籍者が増えているのは、軽度の高等部生と軽度の小学生です。前者は就労や将来の進路を考えて中学校の支援学級の進路指導が支援学校を選択肢に広げていることです。小学生の軽度の子どもたちは保護者が子どものいじめの懸念や手厚い指導を望んで、支援学校に途中転入するくらいなら就学を機に入学する傾向が増えてきていることも増加の原因です。

また、地域の小学校も特別支援教室に知的に遅れのない発達障害の子どもが入級してきて従来在籍していた中軽度の障害の子どもの対応が手薄になると、支援学校に転出してしまうことも原因として推測されています。

30人学級

少人数学級、文科省vs財務省再び30年動かぬ“山”は動くのか

2020年11月17日 08時00分【毎日新聞】

「コロナ禍」を機に少人数学級の導入論が熱を帯びている。現行の定員は小1が35人、小2以上は40人。文部科学省は与野党や地方の声を背に、2021年度の予算編成でこの引き下げに必要な経費を要求した。ただ、バブル期から約30年間、義務教育の学級基準の一律引き下げは実現しておらず、省内では「一筋縄ではいかない」との声も聞かれる。この間、少人数学級を阻んできたものは何なのか。そして、今度こそ山は動くのか。【大久保昂/東京社会部】

「まだ5合目」慎重な文科省幹部
「ここまでは順調に来た。ただ、今後は巻き返しの動きが出てくるだろう」
21年度予算の概算要求を控えた9月上旬。取材に応じた文科省幹部は、言葉を選びながら話した。

この頃、文科省の長年の悲願である少人数学級には、追い風が吹いていた。新型コロナウイルスの感染拡大によって長期休校を余儀なくされた反省から、身体的距離を確保するために学級基準の引き下げが必要だとの声が高まっていた。
6月末に公明党幹部が安倍晋三首相(当時)の元を訪れ、30人学級の導入を提案した。それから3日後には、全国知事会、全国市長会、全国町村会の地方3団体の代表者が萩生田光一文科相と面会し、やはり少人数学級の必要性を訴えた。

この流れに乗って、政府が7月17日に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太の方針」に「少人数によるきめ細かな指導体制の計画的な整備」が盛り込まれた。9月8日には、政府の教育再生実行会議のワーキンググループが、来年度の予算編成において、関係省庁で少人数学級の導入を検討するよう促している。

与野党、自治体、政府の有識者会議の方向性は一致していた。
だが――。これだけ条件がそろっても文科省幹部は慎重だった。「登山で言うとまだ5合目くらい」何しろ約30年間、文科省は何度も導入の必要性を訴えながら、なかなか前に進まなかった政策なのだ。

50人→45人→40人バブル崩壊で停滞
戦後、これほど長期にわたって学級基準の引き下げが停滞した時期はない。歴史を振り返ってみよう。日本は敗戦後、当時のアメリカの教育制度をモデルとして「6・3・3・4制」を採用。小中学校の1学級当たりの児童生徒数の上限は、学校教育法の施行規則で「50人」と定められた。

ただ、規則には50人を超える学級編成を認める例外規定もあり、財政状態の厳しい自治体ではこうした状態が放置された。そこで政府は1958年度、義務教育標準法を制定し、50人学級を法制化するとともに、必要な教員の人件費を国が措置することにしたのだ。

旧文部省はこれで満足しなかった。「教職員定数改善計画」を策定して計画的に教育環境の改善を進めた。これまで7次にわたる計画の中で、普通学級の規模を一律に引き下げたのは2回ある。

64年度から5年かけて「45人」学級を実現した第2次計画と、80年度から12年かけて現行の「40人」学級を完成させた第5次計画だ。ベビーブーム世代の卒業で生まれた余剰教員を活用し、段階的に進めていった点が共通している。ところが、バブル崩壊で日本経済が失速すると、軌を一にするように学級規模の引き下げの議論も停滞していく。

「平成」になってから策定された第6次計画(93~00年度)と第7次計画(01~05年度)は、複数の教員で指導をする「チームティーチング」や習熟度別授業のための教員配置に主眼が置かれた。大幅な教員増が必要となる少人数学級ではなく、狙いを持った追加配置(加配)によって教育環境を改善する道を選んだのだ。

第7次計画が終了すると、定数改善計画そのものが作られなくなった。文科省は05年度に第8次計画の案を練り上げたが、財政構造改革を掲げる当時の小泉純一郎政権に退けられた。文科省が巻き返しを図ったのは、09年に自民党から旧民主党へ政権交代が起きたタイミングだった。日本教職員組合の後押しを受ける民主党政権は、少人数学級の導入に前向きだった。文科省はすぐに具体的な制度設計に着手し、政権交代から約1年後の10年8月、久しぶりに定数改善計画案を公表する。

それは、11年度から8年かけて小1、小2で30人学級、小3以上で35人学級を導入する内容だった。ところが、この案も政府内では採用されなかった。11年度から小1の35人学級が法制化され、翌12年度には小2も財政措置によって事実上の35人学級が実現したが、進展はここまで。旧民主党政権の瓦解(がかい)もあって、その後は足踏み状態だ。

最大の壁は「お隣さん」
「お隣の役所が首を縦に振ってくれるかどうか……」「財務省さんは一筋縄ではいきませんよ」――。文科省で少人数学級の議論を取材する際、官僚からこうした説明をよく受ける。財務省とは道一つ挟んで向かい合う。この「最強官庁」こそが、最大の壁だというわけだ。

文科省の事務方トップである藤原誠事務次官は初等中等教育局長だった17年3月、定数改善計画が策定されなくなった経緯を国会で追及され、率直に答弁した。

「文部科学省としましては、数次にわたりまして計画的な定数改善を要求してまいりましたが、残念ながら財務省の厚い壁があり、長期的な定数改善計画は策定するに至らなかったという経緯がございます」

旧大蔵省時代から財務省は教員の大幅な増員には厳しい姿勢を示してきた。
「教職員の配置については、今後子供の数が減っていくことを考えると、これ以上の改善を行う必要があるかどうか疑問が出されています」

バブル崩壊後の財政収支の悪化を背景に、96年に財政制度審議会(蔵相の諮問機関)の財政構造改革特別部会と旧大蔵省主計局の合作として刊行された「財政構造改革白書」(東洋経済新報社)にはこう記されている。

旧民主党政権の誕生以降、文科省が中3までの少人数学級の実現を目指した際も、財務省は「学力向上などの効果が明確ではない」と一貫して慎重な姿勢を取り続けた。14年には、幼児教育無償化の財源を捻出するため、小1を35人から40人学級に戻すべきだと主張して物議を醸した。

平成、「援軍」が消えた
45人学級や40人学級が実現した時代も、旧大蔵省の力は強かったはずだ。「平成」の時代に少人数学級が進まなかった理由は他にもあるのではないか。この疑問を専門家にぶつけると、こんな答えが返ってきた。

「90年代以降に財政赤字が急速に拡大したことで、大蔵省、財務省の危機感が過去とは比べものにならないほど強かったというのが一つ。それと、文科省を取り巻くさまざまな環境の変化もあるでしょう」

こう語るのは、教育財政学を専門とする奈良教育大の井深雄二名誉教授。今年2月、財政の観点から戦後の日本の教育制度の変遷を追った「現代日本教育費政策史」(勁草書房)を刊行した。

井深氏によると、45人学級や40人学級が実現した際、旧文部省には総務省の前身である旧自治省や国会の与野党といった「援軍」がいた。対立関係にあった日教組とも、少人数学級の推進という点では考え方が一致していた。

ところが、90年代以降はこうした勢力図は塗り替えられた。総務省は地方分権改革において財務省と共同歩調を取るようになり、衆院選で小選挙区制が導入された後は族議員などの政治の力は弱まった。日教組の影響力も低下した。

「最も力を持った役所である財務省に対し、文科省が独力で要求を通すのは難しい。少人数学級をやりたくても、なかなか機会がなかったのが実情でしょう」

巻き返しに文科相も応戦
冒頭の文科省幹部が予想した通り、21年度の予算編成では、財務省の巻き返しが始まっている。

10月26日の財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の作業部会。財務省は少人数学級の導入論をけん制する資料を提出した。

「平成以降、児童生徒数の減少ほど教職員定数は減少していない」「日本は諸外国に比べ学級規模が大きいとの指摘があるが、担任外教員が多く、教員1人当たりの児童生徒数は主要先進国並み」……。

文科省はすかさず、翌27日、反論をホームページに掲載する。
「教職員定数が減少していないのは、特別支援学校・特別支援学級に通う児童生徒数の増加によるものが大きい」「担任外教員は特別な支援が必要な児童生徒への対応や専科指導に充てられており、引き続きこうしたニーズに対応する教職員の配置が必要」……。

両者の見解は真っ向から対立している。ただ、こうした応酬は数年前から繰り返されてきた。

私は文科省が反論を掲載した日の閣議後記者会見で、萩生田文科相に挑発的な質問をした。「議論が平行線になった時は財布を握っている人が強いというのが、ずっと続いてきた。学級の小規模化を実現するには力が必要だと思うが、どのように実現しようと考えているのか」と。過去と同じ議論を繰り返していては、財務省が押し切る可能性が高いと感じたからだ。

萩生田氏は少人数学級の必要性についてひとしきり述べた後、こう言った。
「財布を持っている方が強いっていうのは、世の中的にはそうかもしれませんけど、それに負けないために文科大臣になったつもりでおりますんで、しっかり戦ってまいりたい」

最後は文教族の実力者である萩生田氏と財務省の力比べなのか。萩生田氏は今月13日、「30人学級を目指すべきだと考えている」とさらに踏み込んだ。決着は12月下旬の来年度予算案の閣議決定の直前までもつれそうな情勢だ。水面下で続く激しいつばぜり合いから目が離せない。

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30人学級とは、児童が30人を超えれば2学級になるということです。現在は最低が20人クラスですが15人クラスが登場するわけで平均22~23人を意味します。これは学校の規模も小さくする方向に向かいます。

日本では、公立小中学校の標準規模は12~18学級、1学級の児童・生徒数の標準は現在40人(小学校1年生は35人)と定められています。いま進められている学校統廃合は、多くの場合、学校の「標準規模」(12~18学級/校)を目標に計画されていますから、1つの学校の児童・生徒数が480人~720人というような世界に例を見ない大規模校をめざしていることになるのです。

財務省の「学校規模の最適化に関する調査(2007年7月)」によれば、1校12~18学級の中学校が2倍以上に、小学校は1.3倍に増えています。19学級以上の小学校も数は多くありませんが3倍(2校→6校)に増えています。

財務省は、こうした結果、「小中合計で約170億円の効率化」ができたと「成果」を強調し、今後、地方自治体や国をあげて学校統廃合を促進させる方向を提起しています。学校規模を小さくする世界の流れに逆行し、学校経費の効率化のため学校規模を維持もしくは大きくしようというのが、いまの日本での学校統廃合の動きなのです。人が多いほうが競争の励みになる等という古臭い競争原理まで持ち込んで統廃合を後押しする動きすらあります。

諸外国で学校規模が小さいのは、それだけ教育効果が高いからです。「小さな学校」「小さなクラス」ほど、学習意欲や態度が積極的になり、子どもたちの人格形成・人間的成長にとっても効果的であることが実証されています。学校・学級の規模と教育効果の関係についての研究報告としては、学校の規模が小さいほど教育効果が高まることを実証した「コールマン報告」(1966年)学級の規模が小さいほど教育効果が高まることを実証した「グラス・スミス曲線」(1982年)などがあります。また、WHO(世界保健機関)は生徒100人を上回らない学校規模を勧告しています。

これからの時代、単なる知識の詰め込みだけの受身の教育では役に立ちません。知識を応用し、いろいろな課題解決に取り組む力、集団の中で自らの能力を主体的・積極的に発揮する力が求められます。そうした力を培うには、いきなり大集団ではなく、みんなにチャンスが回ってくる小さな学校の方が有利です。教育効果があがる要因は、学校や学級規模だけではなく、学校の権限や教員の力量など様々なものが関係してきますが、日本では児童数の少ない北陸や東北の教育、世界では北欧の教育が成果を上げていることからも、小さいだけが全てではないが比較的有利らしいというのは納得できそうです。

※ OECD「図表で見る教育2013年版」 より作成。

ハッピーの魔法

芸歴20年のお笑いマジシャンは公務員 特別支援学校に「ハッピーの魔法」

2020年11月15日 10時00分【毎日新聞】


社会福祉士の資格を持つ兵庫県尼崎市職員で、芸歴20年の技を仕事に生かすお笑いマジシャンがいる。関西で10年間続いたお笑いバトル大会で2012年、ゆりやんレトリィバァさんを抑えて優勝したハッピー浅田(本名・浅田智一)さん(44)=大阪府茨木市。この秋、新型コロナウイルスの影響で修学旅行が中止された尼崎市内の特別支援学校の代替イベントに登場し、笑いの渦を巻き起こした。マジックを伝えるのが難しい視覚障害のある生徒らも含め、どんな“魔法”でハッピーにしたのか。その技と工夫、思いを明かす。

同校は例年、大阪市内で1泊の修学旅行をしていたが、今年は新型コロナ禍で中止に。思い出作りにと教員らが企画した校内での「修学旅行」に招かれ、初めての訪問だった。生徒は重度の肢体不自由や知的障害、視覚障害があり、マジックを楽しんでもらうには工夫が必要だ。浅田さんは会ったばかりの生徒たちの障害の程度や反応に合わせて演目を決め、臨機応変に道具や構成を変更した。

リンゴを手のひらに落とすマジックでは手が不自由な生徒に紙袋を持たせた。視覚障害の生徒にも分かるようマジックで変化した様子はできるだけ言葉で説明する。触覚でも楽しめるよう、増えるスポンジボールを生徒の手に握らせるなど、ひとりひとりが参加できる工夫を凝らした。

生徒会長の阪本唯斗さん(18)は、トンカチで打った指が大きくなるシーンで大ウケ。母弘子さん(41)は「変化が分かりやすかったので、よく理解できて笑っていた。楽しい思い出ができて本当に良かった」と喜んだ。浅田さんは「視覚障害の子の前でやるのは初めて。どう楽しんでもらうかを悩んだけれど、今回経験できたのでもう大丈夫」と笑う。

浅田さんのもう一つの顔は、障害者らを支援する福祉の専門職だ。尼崎市役所入庁22年目のベテラン職員で、今は尼崎市子どもの育ち支援センター「いくしあ」で、児童ケースワーカーの指導役を務める。

マジックを始めたのは入庁2年目の2000年。引きこもっていた20代男性の自宅を訪れ、母親から相談を受けたことがきっかけだ。男性が面白いことが好きだと聞き、懇親会の2次会用にたまたま持っていたマジック道具で花を出してみせた。喜んだ母親は男性を呼び、「面白い人やで」と浅田さんを紹介。部屋から出てきた男性と関係を築いて、病院を受診してもらうことができた。

その体験から少しずつマジック道具をそろえ、精神疾患を持つ人のグループ活動で披露したり、口コミで民間の作業所や祭りに呼ばれたりするようになった。17年には公務員芸人の仲間と社会人演芸サークル「公共の利益」を結成、自主公演も開いている。いずれも報酬なしのボランティアだ。

浅田さんの芸は、マジックを披露しながらとぼけた話術を繰り広げるスタイル。「どんな立場の人も楽しませられる」と語る。普段の仕事では相談を受けて指導や支援をすることが多く、どうしても「上」の立場で話すことになりがちと感じる。だが、芸を披露する時の相手は誰もが「お客様」。「相手の気持ちを考え、ハプニングにもアドリブで対応することが、相談者との関係作りや支援の仕事に役立った」と振り返る。

05年から「ハッピー浅田」として数々のお笑い芸人の賞レースに参戦してきた。中でも12年のお笑いバトル「ボルケーノ茨木」で、その後に人気芸人となる、ゆりやんレトリィバァさんを抑えて優勝したことは一番の自慢だ。

芸人活動は職場でも役立ち、16~19年には毎年、自前の衣装と小道具で「けんけつ係長」に変身。市役所に献血バスが来る日、「職員が50人献血に来なかったら辞める」と宣言して市庁舎1階でPRし続けた。達成できなかった時には「係長」を一旦引退し、髪の色が緑に変わってパワーアップした「スーパーけんけつ係長」として復活した。

公務員としてふざけていると言われることはないのか?記者が尋ねると、「誰かに怒られたことは一度もない」と浅田さんは即答した。「言われないだけの仕事を普段している」と胸を張る。

「審査員を笑わせるより、お客さんとやり取りしながら笑わせたい」。今後しばらくは賞レースから離れ、声をかけられたイベントに注力していくつもりだ。特別支援学校でのステージで新たな方向性も見え始めた。「僕の集大成ともいえる仕事となった。全国の特別支援学校に呼んでもらえたらハッピーですね」。お笑いで人々に奉仕していくのは、公務員としての心意気とも重なっている。【稲田佳代】

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笑いは、前に進む力を与えてくれます。小難しいことをいくら並べても気持ちは前に出ませんが、笑いは「ほなやってみてみよか」という自然な感情を引き出します。お笑いは時として安価で根拠のないテレビ制作にも使われ批判されますが、優れたお笑い番組として思いつくのがNHKのバリバラです。

バリバラは、「日本初の障害者のためのバラエティ番組」と銘打ち、障害者自身が(時には自らの障害をネタにして)笑わせることを目指した番組で「バリアフリーバラエティ」の略称です。報道機関やマスメディアでの障害者の描かれ方が、『一生懸命頑張っている障害者の部分を一面に強調しすぎて画一的である』という「障害を抱えている視聴者からの苦情」を、テーマとして取り上げたことがきっかけに作られた番組です。

この企画を立ち上げるに当たり、障害(者)を笑うのではなく、障害者と一緒に笑いあいながら、バリアフリーを考える番組を目指したとプロデューサーは言います。障害者をメインに据えたバラエティ番組の制作については「障害者を見せ物にしている」などの批判もありましたが、9割近くを好意的な意見が占めたそうです。笑いはポジティブな関係性を作り出すという事だと思います。お笑いネタは子どもたちも大好きです。

 

 

校則

中学校則「下着は白」、教員が目視で確認…弁護士会「明らかな人権侵害」

2020/11/13 09:07【読売新聞】

下着は白、マフラー禁止、髪形のツーブロック禁止――。中学校の校則の見直しに向け、佐賀県弁護士会(富永洋一会長)が、判断基準などを示した提言書をまとめた。13日に県教委に提出し、県内各市町教委や県PTA連合会にも送る。(森陸)

提言は3項目。「規制の目的と手段(指導)が合理的なものか」との基準を示したほか、「子どもの権利を明言すること」や「策定・改定の際に子どもが関与できる仕組み作り」からなる。

提言書は、県弁護士会憲法委員会(東島浩幸委員長)が中心となって作成した。今年4~10月、情報公開請求で収集した中学校22校(県立4校、佐賀市立18校)の校則を精査。また、中学生男女4人、生徒指導担当教諭2人にヒアリング調査を行うなどした。

中学生へのヒアリングでは、定期検査の際に教員が下着を目視で確認する指導が現在も行われていることが判明したという。同委員会の稲村蓉子弁護士は「明らかな人権侵害だ」と指摘。

また、多くの学校で、制服や髪形が、男女別に細かく定められていることについて、「性的少数者(LGBT)や障害者、異なる文化や宗教を背景に持つ子どもたちを社会がいかに受け入れ、多様性を確保するのかという視点が欠落している。子どもたちが納得できない、学校側が理屈を説明できない校則は改定を検討すべきだ」とした。

東島委員長は、子どもの基本的人権を保障した「子どもの権利条約」を日本も批准していることに触れた上で、「学校、子ども、保護者の3者が自主的な議論を通じて、高校や小学校も含め、よりよい校則のあり方を考えるきっかけにしてほしい」と話している。

校則については、山口知事や落合裕二県教育長、民間の教育関係者らが出席した昨年11月の県総合教育会議でも議題に。「誰のための校則なのか」「校則に抑圧され、支配されるのではなく、自分で考えて動ける校則を作るべきだ」などと、疑問の声が相次いだ。県教委が今年3月、校則見直しを呼びかける通知を出したのを受け、県立中4校は今年度、見直しを予定していると回答した。

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校則問題は平成の時代にトンデモ校則が告発される中で、ある程度淘汰されたと思っていましたが、まだまだあるようです。「服装の乱れは心の乱れ」と信じている大人がまだいる一方で、最近の子どもたちは普通に制服を着る子がメジャーになってきています。崩して着るのがダサいそうです。

これと併せて相乗効果となっている有力な理由は、高校の場合は私学入試だそうです。学校推薦型+総合型の入試入学者の比率が高まっている中、関東圏内だけでも慶応を除き早稲田、学習院、立教、青学、上智と入学者の4割を占めるようになっていることです。もちろんこれに伴い私立高校も同じような選抜傾向になり中学生に与える影響も大きいと思われます。つまり半数近くが学校推薦が必要な入試になってきたということだそうです。

ただ、こんな議論をしているわが国は平和だなとも思います。香港では先の民主化デモに参加した中高生が、いつ中国共産党に因縁をつけられるかと毎日おびえて暮らしていると言います。着衣の着こなしは、相手に不快感や威圧感を与えない意味で大人が教える必要があります。教えるという事と強制することは対極にあります。これも大人が教えるべきことです。

 

のだめカンタービレ

野田あすか、新曲はヒットメーカー西尾芳彦プロデューサーが手掛けたポップソング

11/12(木) 15:00【株式会社イータレントバンク】配信

発達障害と向き合うピアニスト野田あすかが、絢香や家入レオ、YUIらを手掛けたプロデューサー西尾芳彦氏と手を組んだ作品「Happy Together ~いつか見たあの場所へ~」が配信リリースとなった。

22歳で発達障害と診断されるまで人とのコミュニケーションがうまくとれず、友達や仲間のいない時を送ってきた野田あすか。これまでに演奏してきた楽曲は、クラシック、インスト楽曲など、ソロでの活動が中心だった。しかし今回の新曲「Happy Together ~いつか見たあの場所へ~」は、これまでの「ひとり」から、「with Friends」と銘打って、音楽で出会った仲間とのつながりの中で作り出す新境地となるポップ・ソング。

ボーカルには、西尾氏が塾長を務める“音楽塾ヴォイス”の原石、佐藤春香を迎えている。仲間と一緒に作った野田あすかの音楽が、今度は言葉をまとって新しい扉を開く。

野田あすかコメント
「ポップスの世界は、知らないことがいっぱいあって、プロデューサーの西尾さんからたくさん教えてもらっています。まだまだ『入り口』に立っている段階なので、たくさんの事は語れませんが、いろいろな楽器や声で『友達と一緒に音楽を作る』っていう事をしてこなかった私にとっては、遠く離れたところにいる友達が私のために歌ってくれたり弾いてくれたりしてくれたことがすごく嬉しく、ありがたいと思います。
新型コロナウイルスで直接は会えないけれど、私の見えないところで誰かがリモートで演奏して、それが自分の演奏に加わって、積み重なってこういう形になって。自分は自分のパートしか弾いてないけれど、聴いてくれる方には全部の力が合わさった音楽として伝えられるのが、素敵だなと思います。
クラシックは私にとって音楽のスタートの場所だから、凄く大事なもの。だからそれを捨ててポップスに飛び込むのではなく、クラシックは大事にしていきながら、まだ全部を見ていないポップスの世界の勉強をして、もっといろんな曲を作れるようになりたい。西尾さんに導かれながら、これから先もどんな曲ができていくのか、心配も不安も楽しみも、全部あります。」

西尾芳彦プロデューサーコメント
「野田あすかさんと初めてお会いしたのは2019年6月でした。思い切ってスタジオのドアを開けてみたら、困惑したような顔のあすかさんがピアノの前に座っていました。
『どうもこんにちは!』と軽く握手すると、コードで曲を作る事は初めてだけど、とても興味があると言ってくれたので、最初から音楽で会話するつもりでした。すぐに横に並んでピアノを弾き始め、『ここのBメロはちょっと長いから短くしませんか?』、『このサビはもったいないので、前後にこんな感じで音符を足してみたらいかが?』と、いつも通りに音楽を始めると、あすかさんも少しずつ乗ってきて、手でリズムを取りながら歌い、サビを一緒に作ったりもしました。
驚いたのはポップスの領域でのレスポンスの速さと正確さ。僕がギターを弾きだしても何も怖がらずに、ピアノでメロディを弾き出したんです。正直、目の前にいるあすかさんが発達障害を持っておられるなんて全然分からなかった程です。初対面で音楽のやり取りをしていくうちに、ポップスの領域で野田あすかを全面に押し出してみたいと強く感じました。是非、多くの方にこの想いを伝えたいです」

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野田あすかさんは、宮崎県在住の発達障害を抱えるピアニストです。子どもの頃から人とのコミュニケーションがうまくとれず、たびたび特異な行動をとり、それが原因でいじめを受け、自傷行為が始まり、転校を余儀なくされました。宮崎大学に入学しますが、人間関係によるストレスで過呼吸発作を起こし、たびたび倒れて入退院を繰り返して、大学を中退します。本人は、「なぜ、まわりの人とうまくいかないのか?」と悩みつづけたそうです。

その後、宮崎学園短期大学音楽科の長期履修生となります。この頃に恩師となる田中幸子先生と出会い、自分の心をピアノで表現することができるようになります。短期留学したウイーンでも倒れ、22歳で初めて「発達障害」であると診断されました。また、その頃、パニックで自宅2階から飛び降りて、右足を粉砕骨折し、ピアノのペダルを踏めなくなりますが、現在では、工夫して左足で踏んでいます。

たくさんの苦しみを抱え、自分の障害と向き合ってきたことで、野田あすかさんの奏でる「やさしいピアノ」は多くの人の感動をよぶようになります。ドラマにもなった漫画「のだめカンタービレ」の主人公である野田恵は実在する音大生ですが、テレビドラマで上野樹里が演じる「のだめ」モデルは「野田あすか」だろうと言われています。