今日の活動
折り合い
L君は言葉のないM君が自分によって来るので、いつも「あっち行ってよ。俺は○○と遊んでるの!」と怒鳴っていました。そのたびに「自分がそんな風に言われたらどんな気持ちになる?」とスタッフにたしなめられるのですが、「だったら、俺の気持ちはM君に分かってもらえるの?」「俺だって気持ちよく遊びたい!」と反撃します。
様々な特性を持つ子どもたちが一緒に遊ぶのは、なかなか難しいものです。スタッフに忖度ができる子どもなら黙っていることを、L君は喋ったにすぎません。どうしたらうまく付き合えるかは、一緒に暮らす中で少しづつ学んでいくものです。
公園で遊んでいるとき、M君がボールを追いかけてL君たちのエリアに入ってきました。「M君!ボール向こうに転がすよー」とM君のボールをエリア外に転がしました。M君はそのボールを追いかけてエリア外に行きました。出て行けと怒鳴るのではなく、L君なりに折り合いをつけた行動だと思います。
ゴールボール遊び
盲人スポーツでもあり、ユニバーサル(誰でもできる)スポーツとしても普及しているゴールボール遊びをしました。
ゴールボールはご存じの方も多いように、最近オリンピックパラリンピックの風を受けて盛んになってきたスポーツです。ロンドン2012パラリンピック大会で女子チームが金メダルを獲得してから知られるようになりました(前回のリオでは5位)。すてっぷには盲学校に通っているKさんもいるので、鈴入りボールとアイマスクを買ってゴールボールもどきに取り組んでいます。Kさんもこの遊びは俄然元気に取り組みます。
と言っても、うしろにゴール用の段ボール箱を並べて、シューター一人VSキーパー一人で戦うチーム戦です。ちょっと部屋が狭いので、思う存分とは言えませんが、少しでもパラスポーツに親しんでくれたらと思っています。
友達に教える
J君、クッキーづくりで俄然張り切って友達に教えています。調理活動は基本的には手順書があるので自分で作るのが課題ですが、今日の手順書はレシピに文字情報が多くてみなさんてこずっていました。J君が特に文字が読めるわけではないのですが、写真情報を頼りにみんなに教えています。人に教えることなんかめったになかったのにすごいなーJ君。
でも甘いもの好きのJ君のお口には合わなかったようで、「一つでいいです」とのこと。代わりに甘いもの嫌いのK君が、最初は「甘いもんはいらん」と宣言してたのに、マイルドな甘さが気に入って全部食べてしまいました。
ミルクボーイ噺
「うちのオカンがいうには・・・」「ほな違うかー・・・」の「ミルクボーイ風やりとり」が小学生の間で流行っています。西山を上りながら小学生のG君とHさん二人が、「うちのオカンが言うには」を始めました。
G君 うちのオカンがね、兄貴のテストの点数見たらしいねん。
Hさん あ、そうなんや。
G君 その点数をちょっと忘れたらしくてね。
Hさん 子どものテストの点を忘れてしもて、どうなってんねん、それ。
G君 いろいろ聞くんやけどな、全然わからへんねんな。
Hさん わからへんの? ほな私がな、兄貴の点数、ちょっと一緒に考えてあげるから、どんな感じか教えてみてよ。
G君 ショックで、しんどかったって言うねんな。
Hさん ほう、それは0点やろ。その特徴はもう完全に0点やがな。
G君 0点な。
Hさん すぐわかったやん、こんなんもう。
G君 いやちょっとわからへんのよな。
Hさん 何がわからへんのよ?
G君 俺も0点と思ってんけどな。
Hさん そうやろ?
G君 オカンが言うには、驚きすぎて死んでもええ言うねんな。
Hさん ああ、ほな0点とちがうかあ。0点で死んでええわけないもんね。
G君 そうやねん。
Hさん 0点はね、まだ寿命に余裕があるから見てられんのよ、あれ。
G君 そうやね。
Hさん 0点もね、人生最後の点数に任命されたら荷が重いよ、あれ。
G君 そうやねん、そうやねん。
Hさん 0点ってそういうもんやから。ほな0点ちゃうがな。ほなもうちょっと詳しく教えてくれる?
二人の話は山道を歩きながら延々と続きます。なんとなく、自分たちをうっすら描写しながら、ミルクボーイのやりとりで昇華しているようです。
自分で選ぶこと決めることの重要性
以前、「コンビニでお買い物 03/19」 でワーキングメモリーの弱さを支援しないと混乱することを書きました。混乱を回避するために、もう一つ大事なことがあります。Zさんは、先のワーキングメモリーの課題もあって、切り替えが遅かったり、勘違いしたりすることがよくあるので、大人の介入が大変多くなります。実はZさんは、その介入を快しとは思っていません。
人は誰でも自分でできるようになりたい。自分でやりたい。自分で選びたいと思うようになります。小さな子が、外出時に玄関で何かの拍子でトラぶって混乱して、せっかく楽しい外出の出だしでつまずくことは良くあります。大人は気持ちを切り替えさせようと、靴を大人が履かせて戸外へ連れ出そうとしますが、かえって反発されることが少なくありません。
大事にしなければならないのは、子どもが自分から選んだり行動したりすることです。なのに、良かれと思って大人が子どもを先導すると火に油を注ぐことになります。子どもは混乱の原因すら忘れているのですが怒りの感情が収まりません。こんな時は、例えば靴下や靴を二つ用意して「どっちを履いて行きたいの?」と問いかけて、選ばせることで気持ちが調整されていきます。靴下を選んで靴を自分で履いた子は、あの大騒ぎがなかったかのように立ち直っています。
Zさんにも自分で選んで自分で買うという行動を通して、気持ちを調整してもらうのが一番効果のある支援方法です。「○○さんはいつもこれだから」と先回りして用意したり、好きなもので気をそらしても、子どもの心は満たされないのです。それは障害があってもなくても同じことです。自己選択・自己決定は自己実現=心を満たすスイッチでもあります。
外出時の支援心得
ASDの子どもは、名前を呼ばれたり、声をかけて呼んでも振り向かず、あたかも無視をしているよう、という特徴がみられることが多いです。ASDの子どもが無視をしているように見える原因には、音の聞こえ方が普通の人とは違うため、自分が呼ばれていることに気がつかないことも関係しています。ですから、一緒に活動していた仲間の声に注意を払う事もかなり難しいです。外出したらASD児の聴覚モードはいつもよりもっと弱くになっていると思って支援することが大事です。
ASDの人には「選択的注意の欠如」という特性があり、周囲の多様な情報の中から自分に必要な情報をキャッチし、不要な情報をカットする、ということが苦手です。そのため、様々な音が聞こえている中で自分の名前が呼ばれても、その音にだけ注意を向けることができず、その結果「無視をしている」ように見えます。また、選択性の課題だけでなく、「みんなー」という全体への声掛けでは自分にも話されているということが分からないことが多いです。自分の名前を呼ばれたら聞けるのにとASD児は思っています。
迷子になりやすいのも、ASDの子どもによくみられる特徴のひとつです。ASDの子どもは大人と一緒に外出した際に、はぐれて迷子になってしまうことがよくあります。ASD児の場合、ワーキングメモリーの働きや選択性注意力が弱いため、外出の目的を忘れたり現在の状況把握ができず、興味のあるものや刺激の強いものを見つけると大人から離れてしまい、迷子になってしまうのです。また、ASD児は、大人とはぐれて迷子になっても、泣いたり不安がったりすることが少ないです。気になるものを見つけるとそれだけに熱中してしまい、自分のおかれている状況に関心が持てなくなっている場合があるからです。
また、みんなの動きが気にならないことも原因の一つです。知らないところにきたら、はぐれないように仲間の動きに注目するものですが、ASD児は、みんなの動きが次の目的の情報とは思わないことが多いのです。だからこそ、視覚的支援で行き先や誰と行動するのかを示しておく必要があるのですが、ASD児の外出時には、人の気を引くために逃げていく人にはスタッフ全員の注意が払われますが、おとなしい人には支援がおろそかになりやすいことがよくあり、見失うことが少なくないようです。ASD児の障害特性を良く学んで外出支援にあたりたいと思います。
車いす介助
E君が車いすを押したいとかって出てくれるのですが、体の動きがぎこちなく危なっかしいです。危ないので、E君の手の上にスタッフの手を添えてブレーキをかけながら下り坂を下りました。するとE君「なんでそんな痛いことするねん?」とスタッフに抗議。あれこれ説明しますが、E君の車いす操作がぎこちなくて危ないという事と、彼の善意の大きさのバランスが本人とスタッフで折り合えません。
E君にしてみれば、いいことをしようとしているのに、僕を信用しないでいるスタッフがけしからんとなります。そこで、スタッフからは「車いす介助は命を守るスタッフの仕事です。命を守る仕事は、まだ責任のとれない子どもにはできません。」と断ることにしました。
ASDの人の善意を受け止めようと、スタッフは言葉を選びすぎて苦しむのですが、忖度の必要はありません。論理を尽くしてビジネスライクに話すのが一番理解してもらえます。
優しい気配り
B君の身体にたまたまトイレから出てきたC君の手が触れて、「大丈夫かな!C君トイレの壁とかにべたべた触ってなかったかな!触ってたら俺は発狂するぞー!」B君も武漢ウィルス報道に汚染されてしまったようです。
案の定、自宅へ送って行った時、スタッフの横にいたら喋るスタッフの唾が手に飛んできて、「アワワワ・・・。」となってしまいました。それを見ていた同乗者のD君が「これ使い」とティッシュを差し出してくれました。低学年のB君へのやさしい気配りです。最近、年上の子が低学年の子に気配りする様子にとんとご無沙汰で、いたく感動しました。D君は6年生。この月末にすてっぷを去っていきます。成長したなぁ。
掛け算
長い春休み、宿題プリントも出ています。2年生のA君は、山盛りの漢字と掛け算のドリルです。「4×□=28」の前でA君は無言で唸っています。同じ手の問題が20題ほど並んでいます。しかも毎日・・・。「これ使えばいいよ」と掛け算のマトリックス表を渡しました。「ありがとう」とA君。でも家では「こんなもん使えるかーい」とプライドにかけて使わないそうです。
そもそも、掛け算を記憶するのは誰でもできることではないということが世の中にはあまり知られていません。記憶は短期記憶から長期記憶に渡されていくのですが、その前にワーキングメモリ回路があり、3つの回路があると推測されています。視空間スケッチパッド・エピソードバッファ・音韻ループです。この音韻ループは音声の記憶回路です。これに、掛け算の記憶と演算は関係しています。
そして、これら3つの回路は独立しつつもお互いを補完し合います。だから聴覚記憶や音声だけに頼るのではなく視覚記憶にも意味記憶にも働きかければいいのです。「九九の表なんか幼稚」ではないのです。音韻ループの回路が弱ければ視空間スケッチパッドの強みを生かせばいいのです。エピソードバッファにおいて掛け算の意味が分かって記憶されているならば、決してカンニングではないのです。やがてはそのマトリックス表と指の動きが記憶され音の記憶に結び付くはずです。
コンビニでお買い物
もうすぐ春休みですが、武漢ウィルスの一件で学校休校のため、放デイの感覚では長期春休み3週目、やっと半分まで来た感じです。その関係で、子どものお弁当が作れない家庭もあり、コンビニ弁当を買いに行く日が続きました。
Zさんは、お買い物と言えばお気に入りのペットボトルジュース、コンビニと言えばそれを買いに行くルーティンが出来上がっています。いくら、お買い物の前に、「スパゲッティーお弁当買いに行こうね」と言っても、あの「7」の看板を見るなり、そそくさと駆け足となり、自動ドアが開いたら飲み物冷蔵庫の前でお気に入りを探しています。それを「違うよね」と修正しようとでもしたら、お店の中で混乱状態になるので、「ちょっとちょっと」とお店の外に連れ出し、「スパゲッティーお弁当だよね」と何度も念を押すことになります。
スタッフから、なんでリマインダー使わないのかと質問が出ました。正しい答えです。Zさんは少しお話ができます。お話の出来る人には絵カード支援は正直めんどくさくなります。絵カード支援の効果を知らないスタッフであればあるほどめんどくさいのです。言葉でかたずけたくなります。
でもでも、よく考えてみれば私たちだってお話はできますが、加齢とともにどんどん記憶は怪しいです。加齢じゃなくても聴覚記憶の苦手な人はいますし、苦手じゃなくてもメモしたりスマホに覚えさせたりしています。知的障害のある方の一番の特徴は、聴覚的ワーキングメモリーや短期記憶が極めて弱いことが挙げられます。言語的情報が入りにくいという事は「~したら~」という新しい文脈も定着しにくく、「コンビニ行けばお弁当買う」が入ってこず、これまでの「コンビニ行けばジュース買う」のルーティン行動が変更しにくいのです。
知的障害の人たちは頑固な人が少なくないと言われることがありますが、それは性格ではなく聴覚的短期記憶や言語力の弱さから頑固に見えるだけです。逆言うと頑固な姿は視覚的支援の少なさから生じているかもしれません。(それだけではないけど) ぜひ、お話ができる人であっても見れば思い出せるようにリマインダー支援をお願いします。
自尊感情と山のぼり
Y君が、山登りはしんどいから嫌だ」と朝から予防線を張ってきます。今は全日プログラムなのでずっと室内と言うわけにもいかないし、ずっと公園と言うのも芸がないので、お天気の日は朝一西山に登りに行きます。と言っても、近所の光明寺までは車で行くので、往復2キロ30分で高度差200mもありません。山登りと言うよりは散策に近いです。
今日は保育所の年長の子どもたちとも出会いました。保育所から全て徒歩なので往復4キロは歩いています。なのに小学生高学年にもなって坂道が耐えられないのです。トホホ。
でも、小さい時を思い出すと、マラソン大会とか山登りとか嫌でしたと言う人はたくさんいます。あの嫌さ加減はイケイケの大人が、自分のペースを崩してくるのでしんどいのです。だから、決してイケイケとは言わないのですが、それでもしんどいことは嫌なのだそうです。「もうちょっと、もうちょっと」と思って歩いて、必ず行きつく山だからこそ、だんだん強くなっていく自分が分かるので、自尊感情の形成には最高なんですが、やっぱだめですかー。困りました。
感染が怖くて外出できない
Wさんが、武漢ウィルス感染が怖くて外出できないそうです。毎日、垂れ流されるコロナの報道はASD児には迷惑な話です。以前にも、イラク戦争の映像が四六時中流されるのでいつ戦争に巻き込まれるか心配で夜も眠れず疲弊していったASDの中学生のことを思い出しました。
考えてみれば、テレビの報道は10万分の1以下の感染例を挙げているにすぎません。人口1億で1000人が感染しているとすれば確率10万分の1です。飛行機が落ちる確率は10万分の1未満ですから、ほぼあり得ない確率だということがわかります。
10万分の1の確率をイメージするには、サイコロで同じ数字が6回出る確率が約5万分の1で、7回続けてなら28万分の1です。こんな確率で感染すると考えればイメージしやすいです。しかも感染しても子どもは軽症です。こういう情報をメディアがしっかり流さないから、根拠もないのに苦しむ人が出るのです。
でも、イタリアでは二千人近く死亡していると連日報道しています。これは軽症でも感染した市民が病院に押し寄せ、パニックで医療に機能不全が生じたのが原因とのことです。パニックというバイアスがかかっているものを確率換算するのは科学的ではないですが、それでもイタリアの人口比で考えれば、死亡率は2万5千分の1です。日本は3/18で24名だから500万分の1です。ちなみに2019年の交通事故で死亡する確率は3万分の1だったそうです。これは1年の確率ですから3か月に換算すればいいことになります。外出にはいろいろリスクはあるけれど、リスクの確率をよく知っていれば、必要以上に怖がらず正しく警戒できるようなると思います。
エラー修正
U君は、「ジュースが欲しい」「クッキーが欲しい」等、事業所での簡単な要求なら絵カードで自発のコミュニケーションができます。ただ、学校等では「あーあー」と大きな声を出せば「どうしたの?何が欲しいの?」と聞いてくれるので、大きな声は要求のきっかけを作る行動にもなっています。
ある時、U君が「あーあー」と大声を出しているので、U君が公園に行きたいのだと思い連れ出した、とスタッフから報告がありました。そこで議論になったのは、大声を出すと公園に連れて行ってもらえると誤解しないだろうかという事です。「それなら、彼の欲しいもの(公園に行く)がわかっているので、絵カードを出させたら良かったですね」と意見が出ました。正しい意見です。問題はどうやって間違った行動を絵カード表出行動にもっていくかの修正方法です。
ABAの手法には、適切な行動の教え方はあちこちに掲載されているのですが、間違った行動を修正する方法があまり紹介されていません。当事業所が知る限りは、PもECSの4ステップエラー修正のみです。これは、モデル・プラクティス・スィッチ・リピートの4段回の修正方法のことです。
絵カード交換コミュニケーションだけでなく、修正はいろんな場面で必要です。なぜ修正方法に注目するかと言えば、マニュアルがないと人によっていろんな修正をするからです。結局、修正する人の指導スキルの違いがその子に混乱を与えるだけでなく、指導方法そのものの信頼度を失墜させかねないからです。また、仮にその修正方法に間違いがあっても、やり方が違えばどこを修正していいかわからなくなります。マニュアルを小馬鹿にする人がいますが、それは効果がないのに検証されずに続けているマニュアルが少なくないからです。本来マニュアルはバージョンアップするためにあるのです。行動修正は4ステップエラー修正でお願いします。
メンテナンス
毎度ご愛読いただきありがとうございます。
ホームページ等のメンテナンスのため3/14土曜まで掲載をお休みします。
【映画】ゆうやけ子どもクラブ!
東京都小平市にあるゆうやけ子どもクラブは、今から40年以上前の1978年に、放課後や夏休みに子どもの活動場所が欲しいという親の切実な願いで誕生しました。全国でも放課後活動の草分け的な存在です。ゆうやけでは、小学生から高校生までの子どもたちが共に放課後を過ごします。知的障害、発達障害、自閉症など、障害はさまざまですが、遊びや生活を通して、子どもたちと活動を続けてきました。
カメラは、クラブに通う子どもたちに寄り添います。自分の気持ちをうまく表現できない子ども、積み木に夢中になって子どもたちの輪になかなか入ることができない子、音に敏感すぎる子どもが、ずっと給湯室にこもっている姿等を追い続けます。スタッフは子どもたちを全身で受け止めます。カメラは、そんな彼らが時間をかけてゆっくりと変っていく姿を追いかけます。子どもたちにとって大切なことは何か。映画は、ゆうやけ子どもクラブでの子どもたちの時間を描き、問いかけます。残念ながら京都での公開は今週土曜までの1週間、武漢肺炎のリスクを押して鑑賞に行く方は少ないと思います。
ゆうやけ子どもクラブと同じように乙訓では1983年から障害児学童保育運動が起こりました。支援学校の子どもだけが学童保育所に入れない問題が、母親の急逝を契機にした父親の子育てと就労問題として顕在化したのです。しかし、不公平だと告発するだけではその子どもは救われません。また、たとえ学童保育に入れても小学校6年生までです。自立の速度が遅い子どもの放課後や学校休業中の問題は解決しません。今問題を抱えた親子と一緒に民間で実際の保育を立ち上げるしかないという教員と親の働きかけに、心ある学生たちが共感して始まったのが乙訓の障害児学童保育運動なのです。
長岡京市のわっしょいクラブ、向日市のガンバクラブ、大山崎町の友達の輪という3つの障害児学童保育運動が放デイが法制化されるまで30年程続きました。放デイに発展的解消をした乙訓の運動とは違い、長期休業中だけでなく毎日の放課後の活動にも取り組んでいたゆうやけはNPO法人に発展し、専従職員を擁したことから放デイに持続的に発展していきました。ホームページなどから感じられる雰囲気も実践も昭和のままの懐かしい感じがします。見に行きたいけど、ちょっと勇気がいります。
★京都シネマ 3月7日(土)~3/13(金) 11時55分〜
基地遊び その後
基地作りについては「基地 02/20」で紹介したところですが、戦力を増加してまだまだ続いています。最初はE君・O君二人で、崖の斜面に二つの小さな穴ぼこを見つけて「これはイケテル」ということになり、せっせと枝やら石やら集めてきていました。それを見ていたP君も、普段は共同作業などは言われたらやる程度の子どもですが、崖の上から通りかかるスタッフに「あそこに基地がある」といちいち教えてくれます。今ではQ君とRさんも加わって来る日も来る日も5人で築城に励んでいます。
そこへ、S君がやってきて「基地って穴ぼこ二つあいているだけやん」と、何が面白いのか分からないという風に眺めていました。でも、せっせと枝やら石を運んでいるみんなを見て少しうらやましくなってきたようで、ススキの枯れ草と小枝を持っていて「これ使ってくれ」と差し出したのです。棟梁役のE君が「はーぁ?これ何に使うんや?」と一蹴。S君は、取りつく島もない様子にすごすごとその場を離れました。
要するに築城メンバーは基地(山城)遊びのイメージを共有しているのです。今日は城門、明日は城壁と自分たちで共有し発展していくイメージを「穴ぼこ二つ」「小枝」「石ころ」「枯草」に見立てを重ねて楽しんでいるのです。S君が「これを騎馬の飼葉と厩舎の鍬に」と言えば仲間になれたのかもしれません。でも、相手の考えていることが読みにくいU君には、ただ周囲のモノを備蓄している風にしか見えなかったという事です。それにしても彼ら彼女らはいつまで続ける気なのでしょうか。面白いのでずっとウォッチングを続けることにします。
調理活動と食の記憶
発達障害の子どもは味の好き嫌いが激しく、家庭でも、食べてくれるならと同じものを作りがちになります。調理は放デイの定番プログラムですが、この子どもたちは作るけど食べないことが良くあります。筆者などは、味もわからず作るだけってどうよと思ってしまうのですが、慣れるとそんなものだと子どもは思っているみたいです。
昨日もN君が、焼きそばの名前が思い浮かばずに「黒いやつ(麺)のことか?」と言ったのには驚きました。子どもと言えばソース味、ソース味と言えば焼きそばたこ焼きお好み焼きと相場は決まっており、いずれも放デイの料理プログラム御三家です。年間、ソース系は月に2回以上は作りますから年間20回を越えます。日によって来る子は違っても、まんべんなく体験できるようにプログラムを組みますから、最低5回は経験しているはずです。しかし、「黒いやつ」と焼きそばの名前が出てきません。何回作っても食べないと名前は記憶にも残らないということが発覚しました。
家にいたらイライラする
3月から臨時休業といってもまだ3日しかたっていないのに、「イライラする~」と言って事業所にくる子もいます。M君などは先週インフルエンザで1週間も家にいにいて、やっと学校に行けると胸をなでおろしていたら、新型コロナウィル拡大防止の臨時休校です。まさに、踏んだり蹴ったりとはこのことです。「家にいてもママがいるからビデオゲームも自由にできないし、がみがみ言われるし、好きな本も学校の図書室に借りにいけないし、ストレスたまりすぎで病気になるわー」だそうです。
そういえば公立の図書館も感染防止策で軒並み臨時休業だそうです。びわ湖ホール開催の1億6千万の経費の掛かったオペラも無観客演奏。高校野球も無観客試合。ノーリスクを求め始めると転がる雪玉のように不安が不安を生み出します。M君の怒りには「おっしゃる通り、お察し申し上げます」と応えるしかありません。
太ってるね
L君の興味は長い間変わっていません。太っている痩せているの違い、イケメンと不細工の違いです。要するに基準がないのでずっと気になっているのです。どこからを痩せているというのか?何を指標に不細工と言うのか?そんなものはありませんが、人は即座に痩せている、不細工だと感じます。そこが不思議でならないので、何度も周囲の大人に「僕は痩せている?不細工?」と質問してきます。
毎回のL君の同じ質問に辟易した大人は、「別に、普通ちゃうか」と答えます。L君にとっては「普通」はもっと不可解な表現なのです。何をもって中間点とするのか?その幅はどの程度なのかさっぱりわかりません。それでも人は結構「普通」を乱発して使います。
今日もL君は知らない人を見て、その人に聞こえそうな声で「太ってはるなぁ」と言います。L君はその発言を聞いてその人がどう思うかなどの関心はありません。自分の「太っている痩せているBOX」に分類して分けたいだけなのです。紙に書いてあげましょう。「身体の分類の話は、聞くのが嫌な人が多いので、スタッフMさんに手紙で質問します。」さぁ、うまくいくでしょうか。
余暇支援
Kさんが、人にくっついて離れないのは自分の好きなことが見つからないからではないかという話をしました。自由時間の使い方は、多くの子どもは読書かyoutubeやDVDを鑑賞します。
Kさんもタブレットを使ってはどうかという意見に対し、自分で終わることができないので、結局やめるやめないの大騒ぎなって、大人との関係が悪くなってしまうから使って貰いたくないという反論が出ました。
だったら自動タイマーでタブレットが使えなくなるアプリを導入したらと提案をすると、それがあるなら大丈夫みたいです。DVD鑑賞も時間が来たからと大人が消すと大騒ぎになるけど、後ろからそっとリモコンで消すと何もなかったかようにやめることができるそうです。必要は発明の母。このアプリ開発者も同じ悩みだったのかもしれません。ご家庭でもオススメです。英語版ですが日本語説明のWEBもあるので設定は簡単です。DinnerTime Plus (Android版だけです)。
iPadはスクリーンタイム(iOS 12)という機能が標準装備であるのでこちらをお使いください。Android9のDigital Wellbeing にも同じような機能がありますが簡単に解除できることと、Android8以前のタブレットでは動作しないようです。