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発達マイノリティーという考え方

発達障害は「障害」か 発達マイノリティーという考え方/下

西田佐保子・毎日新聞 医療プレミア編集部
2021年4月4日【毎日新聞】

「発達障害」は、先天的な脳の機能の偏りにより生じる障害の総称で、自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如多動性障害(ADHD)、特異的学習障害(LD/SLD)などが含まれます。重度のASDの作家・東田直樹さん(28)によるエッセー「自閉症の僕が跳びはねる理由」が原作のイギリスのドキュメンタリー映画「僕が跳びはねる理由」(2020年)の字幕を監修した、明治大学子どものこころクリニック院長で、東田さんとも交流のある山登敬之さん(63)は、発達障害ではなく、発達マイノリティーと呼ぶことを提唱しています。(前編「映画「僕が跳びはねる理由」で知る発達障害の誤解/上」)

発達障害は病気ではない
――山登さんは、精神的ストレスから生じるうつ病や統合失調症などの2次障害がなければ、特に発達障害に積極的な診断は必要ないとの考えをお持ちですが、その理由をお聞かせください。

◆発達障害は病気ではありません。「障害」とされているものは生物学的な特徴であり、個人差です。個人が困ることなく生活できていれば、診断の必要はないと思います。ただ、2次障害の他にも、日々の日常生活を送る上で支障があり、ご本人が悩み、周りも心配するケースなどがあります。その場合、医者がサポートできることがあれば、もちろんします。福祉のサービスを受けるために診断書が必要になるとか、そういうときも、ですね。

――いわゆる“大人の発達障害ブーム”で、その概念は広く知られるようになりました。

◆ASDであれADHDであれ、発達障害の人は、周囲の人と比べ自分にはできないことが多い、自分は周囲と違うなどと感じて、寂しい思いも悔しい思いも重ねてきています。「大人になって発達障害と診断をされて、自分の生きづらさに合点がいって、それから道が開けた」といった話ばかり注目されます。しかし、診断がついたからといって根本的な問題が解消されるわけではありません。発達障害に根本的な治療法はないのが現実ですし、必要なのは治療より支援です。マイノリティーはマイノリティーのまま生きていく。大変な思いをすることには変わりがないわけですよね。だからこそ、支援の重要性に目を向けるべきだと思います。

――ADHDの場合、薬物治療という選択肢もあります。また、不注意、多動性、衝動性などADHD特有の思考の“癖”と捉え、何らかの対策を取ることも可能ではないでしょうか。

◆確かにADHDの場合はできないことが具体的なので、工夫のしがいがあると思います。ASDの人たちのように、コミュニケーションの仕方がわからず人間関係を築けないという方に、助言をひとつするのも難しいじゃないですか。その点で言えば、ASDとADHDでは異なります。

――先ほども「マイノリティー」という言葉が出てきましたが、山登さんは「発達障害」の代わりに「発達マイノリティー」と呼ぶことを提唱されています。

◆「セクシュアルマイノリティー」から着想しました。後から知りましたが、僕よりも前に「発達的マイノリティー」と表現している精神科医の人もいますし、最近、発達障害の著作でベストセラーを出した本田秀夫さんは、発達障害は生きづらさを抱える少数派の「種族」であると言っています。
発達障害の人は、生まれつき皆と違うから「障害」と言われてしまいます。でも、発達の仕方は人それぞれ異なります。発達が平均的集団と異なる一群に名前をつけただけですから、社会的には「マイノリティー」と考えてもよいのではないでしょうか。

ASDの人たちの進路はどう決まる?
――日本の精神医療の現場では、米国精神医学会の作成する国際的診断基準「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」をもとに診断する医師が多いといわれています。DSMの第4版(DSM-4)には「広汎(こうはん)性発達障害」というカテゴリーがあり、多くのケースで知的障害を伴う「自閉症」、知的障害は伴わない「アスペルガー症候群」、一部自閉症の特徴がある「特定不能の広汎性発達障害(PDD-NOS)」といった分類がありました。しかし、13年に改定されたDSM-5からは撤廃され、ASDという単一の診断名に統一されました。そのことにより診療の場で混乱が生じませんでしたか。

◆DSM-5でASDを診断するには、「複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における持続的な欠陥」と「行動、興味、または活動の限定された反復的な様式の存在」という二つの項目を満たす必要があります。「スペクトラム」は連続体を意味しますが、これは同じASDでも特徴の「濃淡」は異なるということです。特徴が濃い、つまり障害の重さ、生活の不自由度などは人それぞれで、精神医学的に障害として同じグループになっても、必要な支援は異なるのです。
ASDは人口の約2%を占めると言われていますが、軽度の方が最も多く、重度の方が最も少なくなっています。東田さんのような、会話も困難な、いわゆる古典的な「カナー型自閉症」の数は限られます。東田さん自身も、「僕みたいな自閉症とアスペルガーみたいな人たちを一緒にして語るのはどうか」と話していました。

――ASDの治療法は確立しておらず、療育が重要になります。ASDの人の多くはいつ診断され、どのように進路を決めていくのでしょうか。

◆日本は1歳半と3歳時の検診で、子どもの成育過程をチェックしていきます。3歳検診の時に言葉が出ないなど、同年代の子どもに期待されることができない場合、公的もしくは民間の療育のサービスを受けられます。そして、保育園や幼稚園で年長のとき、就学相談を受けます(ただし任意)。重度のASDの場合は、特別支援学校や特別支援学級に通い、軽度だと、通常学級に入って、週1回程度の特別支援教育を受けることになります。

――東田さんなど重度のASDで会話が困難ながらも知的レベルが高い人が、一般の人と同じ教育を受けることは難しいのでしょうか。

◆東田さんは小学校6年生から中学校卒業までは特別支援学校に通ったけれど、ちゃんと勉強したいということで、通信制高校に入学して卒業しています。ただ、重度のASDで会話ができず、知能検査で要求する問題に答えられないと、知的能力が低いと判断されてしまいますから通常の学校に通うのは難しい。「そのような検査が彼らに適切か」「その知能を正しく数値化できるのか」という問題もあり、教育現場の状況は変わっていません。

――卒業後は、どのような道を進むのでしょうか。

◆障害者雇用枠で企業に就職する人もいます。ただ、社内で働く人たちの理解や認識はさまざまです。最初は黙って受け入れているものの、知らず知らずのうちに排除する動きが出てきて、それにいたたまれなくて出勤できなくなってしまう人もいます。また、通常の就職が現状では困難な人は、就労継続支援A型や同B型といった施設に通所しながら働きます。ただ、そこでも適応できずに家に引きこもる人もいます。

――介護する保護者などが亡くなった場合、生活をどのように続けていくのですか?

重度のASDの方々は施設に入所、もしくはグループホームに入居するケースが多いですね。介護のサービスを受けながら、アパートから福祉施設に通所する人もいます。

日本はそれこそ高齢者の介護もそうですが、家族任せの面がまだまだあるので、介護する両親の体が動くうちは子どもの面倒をみようとする。ASDの人の自立を考えたら、もっと多くの選択肢があればよいと思います。

――海外でASDの人たちはどのように見られているのでしょうか。

14年に「シンプル・シモン」というアスペルガー症候群の青年を主人公にした映画が公開されました。あの中でシモン青年は「触らないで、アスペルガーです」と書いたバッジを胸につけているんですよ。感覚が過敏なので不意に触られるとビックリしてしまうというわけです。でも、「それだけこの種の障害が社会に認知されているんだな」と思って感心しました。日本では「アスペ」といったら、「コミュ障」と同様、一種の悪口ですから事情が全然違いますよね。

――ASDの方々が個性を伸ばし、満足度の高い生活を送るためには、私たちの手助けが必要だと、東田さんも語っています。具体的にどのようなサポートをすればいいのでしょうか。

◆例えば、足の悪い方が重い荷物を持って階段を1段ずつ上っていれば、僕らは何をすればいいかわかります。でも、電車の中で大きな声を出して、ぴょんぴょん跳びはねている人を見かけて「どうしたの?」とたずねる人は少ないでしょう。
ひょっとすると、その人は楽しんでいるだけかもしれない。でも、その人も、東田さんと同じ生きづらさや苦悩を抱えているかもしれません。そのような、伝わりにくい、伝えにくい、ギャップをどう乗り越えるか――。

先ほど、ASDの人たちの進学や就職などについてお話ししました。まずは、彼らの存在に関心を向けること、彼らがどのように生活しているかを知ることが第一歩かと思います。

やまと・ひろゆき 精神科医、医学博士。明治大学子どものこころクリニック院長。筑波大学大学院博士課程医学研究科修了。専門は児童青年期の精神保健。主な著書に「新版・子どもの精神科」(ちくま文庫)、「子どものミカタ」(日本評論社)、「東田くん、どう思う?」(東田直樹さんとの共著、角川文庫)ほか。

映画「僕が跳びはねる理由」
公式サイト https://movies.kadokawa.co.jp/bokutobi/

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映画「僕が跳びはねる理由」が京都でも上映されます。
アップリンク京都
https://kyoto.uplink.co.jp/map
tel. 075-600-7890 kyoto@uplink.co.jp
〒604-8172 京都府京都市中京区烏丸通姉小路下ル場之町586-2 新風館 地下1階
4/16(金)~ 公開 時間未定
4/17(土) 『僕が跳びはねる理由』特別ビデオ舞台挨拶開催 時間未定

発達性協調運動障害児の手先の不器用さ改善

確率共鳴現象で発達性協調運動障害児の手先の不器用さ改善、畿央大学などが検証

2021年4月5日【大学ジャーナルオンライン】

畿央大学の信迫悟志准教授らは、武庫川女子大学、明治大学、慶應義塾大学と共同で、コンパクトな確率共鳴装置を手首に装着することで、発達性協調運動障害を有する児の手先の器用さが改善することを明らかにした。

発達性協調運動障害(DCD)は、麻痺はないが協調運動技能の獲得や遂行に著しい低下がみられる神経発達障害の一類型。学校生活・日常生活やスポーツ活動の様々な運動スキルに不器用さが現れ、自己肯定感・自尊心の低下や不安障害・抑うつの増加といった心理面への影響も懸念される。DCDの頻度は学童期小児の5~6%と非常に多く、その過半数が青年期・成人期にも協調運動困難が残存するとされる。

一方で、身体への微弱な機械的ランダムノイズ刺激による感覚・運動機能の改善は、古くから知られている。この改善は確率共鳴(SR)現象と呼ばれ、健常者に加え脳卒中後片麻痺患者・パーキンソン病患者・脳性麻痺児でも観察されている。しかし、DCDを有する児に対する介入報告は極めて少なく有効性は不明だった。

研究グループは、6~11歳のDCDを有する児30名(平均年齢9.3歳)にSR現象を用いた二重盲検介入研究を実施。児の両手首に装着された振動触覚デバイス(SRデバイス)による振動触覚ランダムノイズ刺激によってSRを提供し、手先の器用さテスト(微細運動機能テスト)を行った。その結果、SR装置によってSR現象を付与している際に、DCDを有する児の手先の器用さが有意に向上した。

ただし、SRによる改善効果はその直後のSRを提供しない際に持ち越されなかった。今後は、SRの提供時間の長さやSR装置装着中の運動の種類と「持ち越し効果」との関連についての研究が必要としている。

論文情報:【Frontiers in Neurology】Influence of stochastic resonance on manual dexterity in children with developmental coordination disorder: A double-blind interventional study

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発達性協調運動障害(DCD)の子どもは、「ミルクを飲むときにむせやすい」「寝返りがうまくできない」「ハイハイがぎこちない」など、乳児のうちからその兆候は現れてきます。保育所や幼稚園に通うような幼児期には、「階段の昇り降りが苦手」「はさみがうまく使えない」「着替えが遅い、難しい」など、さまざまな形で症状が現れます。

DCDの頻度は6~10%と高く、小学校の30人学級ならクラスに2、3人はいる計算になります。注意欠如・多動性障害(AD/HD)の約30~50%、限局性学習障害(LD)の子どもの約50%に見られ、自閉症スペクトラム障害(ASD)と併存することも多くあります。そして、この障害は大人になっても、50~70%と高い頻度で残存するとされています。

これまでも発達障害のある子どもに不器用さが見られることは認識されていましたが、そのような症例が単独にも存在し、発達障害の子どもたちを理解し、支援していく上で重要であることが、近年専門家により指摘されています。発達性協調運動障害(DCD)の子どもたちの「不器用さ」は、生活の場面でも、学習の場面でも、本人の心に大きな負担となります。不器用さは、専門家ですら脳の機能障害と理解している人は少ないために周囲からの支援は受けにくく、逆に、保護者や教師から間違った対応がなされて、事態が悪化するケースがあります。

例えば、「縄跳びが飛べない」「縦笛が吹けない」「字をマス目に収められない」、そのような子どもに対して、教師も保護者も「練習が足りない」「怠けている」「だらしない」「何度も繰り返せば、必ずできるようになる」として、反復練習を強いる指導をしがちです。本来は発達障害の一種であることを理解した上で、ていねいな説明と適切なサポートや合理的配慮を行うべきなのに、挫折感や屈辱感を与えるような訓練が繰り返され、結果として本人の自尊感情が大きく損なわれます。

どんなに運動が下手でも、体を動かすことが嫌いな子どもはいません。比較されることがなく、“ここでは下手でもいいのだ”とわかれば、子どもたちは安心して運動にチャレンジします。小さな目標であっても、それを達成した喜びは子どもを前向きな気持ちにさせます。その環境の一つが、DCDの子どもたちが比較的多い放デイと言えます。運動が苦手で学校では外野に追いやられ、ボールが回ってこないのでスポーツの楽しさを得ないまま高学年になる子どもが少なくありません。そうした子どもたちにとっての放デイでのスポーツは、外野の声を気にせず安心してスポーツが楽しめる条件があります。

そして、今回の研究成果は、手先の不器用さにアプローチするデバイスの開発でした。これはもともと内視鏡手術などで敏感な感覚を必要とする道具として開発が進められていた技術です。DCD支援のセオリーは粗大運動から微細運動にというもので、いきなり細かな手先の運動から入るのは禁忌なのですが、このデバイスがあれば器用さが増すというものです。残念ながらこのデバイスがないと効果は持続されないのでさらなる研究が待たれます。

公立小「35人学級」、端末利用も本格化

学校現場も新しく公立小「35人学級」、端末利用も本格化

4/6(火) 19:32【産経新聞】

新型コロナウイルスの収束が見通せない中、各地の小中学校で6日以降、順次、新学期がスタートする。公立小では、教室の「3密」回避のため、1クラスの定員を引き下げた「35人学級」が始まる。導入初年は2年生が対象だが、すでに多くの自治体で実現済み。国の計画では3年生以上は卒業まで対象外となる一方、前倒しで高学年まで少人数化を拡充する動きもあり、地域や学年による学習環境の差の広がりも懸念される。

1クラスの人数は義務標準法で上限が定められており、教室の3密を解消するための方策として3月末に改正法が成立。公立小で、すでに35人だった1年生を除く2~6年生の上限を40人から35人にした。今年度から、学年ごとに5年かけて引き下げていく。

ただ、今年度の対象となる2年生は、指導の充実を目的に設けられた教員加配の予算措置により「すでに全国のほとんどの学校が35人学級となっている」(文部科学省)。そのため、学校現場の環境改善は限定的になるとみられる。

一方、国が示した移行計画に基づき少人数化を進めると、新3年生以上は卒業まで対象外となるため、一部の保護者からは「不公平だ」との声も上がる。東京都渋谷区立小では、児童数が計39人で2年生当時は各19、20人の2クラスだった編成が、新3年生に進級すると1クラス39人となり、学級人数がほぼ倍増するケースもあるという。

国の方針に先駆けて35人学級を前倒しで進める自治体も目立つ。埼玉県新座(にいざ)市は市立小4校で新3年生の学級が35人を上回ることになるため、独自に対象を拡大し、35人以下に抑えた。

平成20年度以降、少人数学級を増やしてきた北九州市では新学期から全ての学年で35人学級化が完了。市立小全体で昨年度に比べて約30クラスが増えることになった。東京都杉並区は都採用の教員に加え、区も独自に採用を行い、全学年を35人学級にしている。

都内では、昨年度時点で全学年が35人以下に収まっているのは公立小の約8割。2割は40人学級の学年が残るが、その中でも独自の工夫により学習環境の改善を進める例もある。

3年生から40人学級での編成となる荒川区立第三日暮里小では、月内にも全学年が利用できる校内専用のテレビ会議システムを導入。タブレットや電子黒板を使い、図書室やロビーなどを第2、第3の「教室」として活用して、分散させた児童を双方向で結ぶ授業などを検討している。

末永寿宣(としのぶ)校長は「学級という枠組みにとらわれず、校内全体を学びの場として考えた。教育効果も期待でき、教員の工夫次第でピンチをチャンスに変えられる」と話した。

■1人1台、先生が不安?
小中学校では3月末までにほとんどの自治体で学校現場にパソコンやタブレットといった1人1台の学習用端末の納品が完了し、新学期から本格的に授業などでの活用が始まる。ただ、不慣れな教員のスキル習熟や低学年に対する指導方法など課題が山積しており、政府の構想通りに進められるかは不透明な状況だ。

小中学生に対する1人1台の端末配備は新型コロナウイルス禍を受け、政府が前倒しで進める「GIGAスクール構想」の一環で、遅れが目立った学校現場のICT(情報通信技術)化の柱となる目玉政策だ。

文部科学省は学校現場での本格始動に合わせ、各地の教育委員会や学校現場から8人の教員を登用し、専属で支援を行うチームを強化。学校側の相談に対応するほか、ICT活用の参考授業例などを発信する。

ただ、学校現場では指導を始める前段階で課題が山積しているのが実情だ。6日に区立小中学校の入学式を行った東京都足立区では、5月から児童生徒に配布する計画だが、「チョーク1本でやってきたベテランを中心に不慣れな教員もかなり多い」(区教委)。

同区立校では、在校生の約2割に当たる約1万人の児童生徒の家庭には通信環境がなく、自宅への持ち帰りを前提にした文科省が示す構想の実現に苦心する。区教委の担当者は「教育方法を誤れば、子供に逆に苦手意識を与えかねないので丁寧に進めたい」と語る。

首都圏の公立小で低学年を受け持つ女性教員は「アルファベットを知らない子供にパスワードを入力させるのも一苦労。どう教えていくのか、走りながら考えるしかない」と話した。

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2年生はすでに措置済みと言うのは、京都府も同じです。国の加配を活用して平成20年度から、京都府の独自措置で教員配置の拡充を行い、小学校において30人程度(30~35人)の学級編制が可能となる教員を配置しています(京都方式)。ただ、国の制度は35人学級ですから、最小18人で平均27人ですからさらに減らせますし、これまでの加配部分を削らなければ通級指導や特別支援、ICT教育支援にも人手を回すことも可能となります。

「GIGAスクール構想」での混乱ぶりは記事にもうかがえます。この頃の端末は一度パスワードを打ち込めば端末自身が記憶していますし、iPad等は生体認証ですから、何故低学年にアルファベットのパスワードを毎回打たせているのか、導入担当者は何をしているのかと思ったりもします。そもそも、全ての生徒用端末は担当者がネットワーク上でパスワードを含めて管理できるようにするのが当たり前ですが、この記事を読んでいると不安にすらなります。

しかし、先生も子どもも習うより慣れろでしょう。導入すれば子どもは自分でどんどん学んでいきます。気になるのは、プログラミング教室の流行です。週1回90分で1か月2万円とは小学生にしては高額だと思いました。これは、いつまでたってもプログラミングを本格的に教えない学校の責任ではあるのですが、スクラッチなどはちょっと触れば子どもでも自然に学べるプログラム言語なのに「プログラミング」という言葉に大人が怖気づいてこんな高額な塾が流行る原因を作っているのではないかと思います。すてっぷやじゃんぷでも子どもの興味の持ち方次第では療育として十分に教えられる内容です。

子供たちが気を付けること

子供たちが気を付けること・・・専門家に聞く、学校での注意点 4月8日から新学期〈宮城〉

4/7(水) 19:58【仙台放送】

宮城県内ほとんどの小中学校で、4月8日から新学期が始まります。新型コロナウイルスの感染が急拡大している今、子どもたちが気を付けることを感染症の専門家に聞きました。

東北大学で、感染症を研究する吉田眞紀子助教です。県内では小中高校あわせて9件のクラスターが発生するなど、学校でも新型コロナウイルス感染の危険性は高まっています。子供たちは何を気を付ければいいのでしょうか?

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「1番は“先生も生徒もマスクをしている”。2番は“距離がとれている”。3番は“換気がとてもいい”。これが守られていれば感染リスクはかなり下がる」

県内のほとんどの小中学校は8日から新学期を迎えます。子供たちや保護者に気になることを聞きました。
小学4年生
「楽しいけど、不安なところもある。体育の時にマスクを外して、集合するときに近づくから、どうなのかなと思います」
マスクを外す場面もあるのが、体育や音楽の授業。吉田助教も状況に応じてマスクをつける必要はあるとしています。

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「できることならば、マスクはした方がいいです。広いグラウンドは非常に換気がいいため、1メートル、2メートルずつをあけて走るならマスクをしなくてもいいんじゃないか」

もう一つ、マスクを外す必要があるのが、給食の時間です。
小学4年生の保護者
「給食の時間にお話してるのをやめなきゃいけないのか」
マスク会食が呼びかけられる中、吉田助教も「給食での黙食」は大切と指摘します。

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「食べるということは、非常にリスクを伴うタイミングではあります。『これおいしいね、食べる?』と会話をすると、その途端、口から飛沫が相手に届く。ちょっと寂しいけども、『まずはごはんは食べよう』。『食べる時は食べる、しゃべる時はしゃべると分けよう』と子供たちに話す」

子供たちの重症化リスクは低いとみられていますが、家族のためにも感染は避けなければなりません。子供たちからはこんな質問も…。

中学2年生
「友達とじゃれあって感染するケースがあるので怖いですね。除菌をするときに、一日に何回やったらいいのかとか気になります」

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「何回すればいいのか。突き詰めると触ったたびに消毒しなきゃいけなくなる。それは実際には無理です。この感染症の中心となる感染経路は『会話・飛沫』なんだとだから、消毒にそこまで大変な思いをしてまでしなくて大丈夫」

コロナ疲れも指摘される中、吉田助教は過剰に心配することなく、基本的な対策を続けていくことが大切と話しています。

東北大学大学院総合感染症学分野 吉田眞紀子 助教
「今、分かってきたことをうまく取り入れて、過剰なことはしない。でも必要なことはしっかりときちんとやっていくことを守って、その上で、さまざまな遊びや授業を実践していってほしい」

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グランド・戸外はマスクはいらなかったはずが、いつの間にかの自己規制で外でもマスクをすることに変わっていきました。運動するときは、熱中症や換気障害の危険のリスクの方がはるかに高いのですからマスクは外して当然です。給食中はおしゃべりしないけど、遊び時間が長くなると前向きに考えます。そして、普段の自由な会話まで禁止する必要はないし、もしそれを規制するなら、そもそも授業が成り立たなくなります。

メディアは、子どもで重症化した人は誰もいないことをまず伝えることが大事です。子どもから家族に感染させない配慮を求めるコメンテーターがいますが、その配慮のない発言で敏感な子どもが不登校になっている責任こそ問いたいです。そもそも、この国のPCR陽性者率は欧米から二桁も少ないのです。日本は昨年2月からカウントして千人で5人ですが、アメリカでは千人で100人です。

東アジア圏は欧米と状況が全く違う事をメディアは積極的に伝えようとはしません。欧米の陽性者数で言えば誤差の範囲とも言える人数だけれども、人種的生物学的な違いかどうかは解明されてないので、伝統的に続けてきた手洗いうがいの予防を続けていくのが妥当な選択なのだと思います。

子どもたちにも、大人は正確な事実を伝えることが大事です。メディアは全ての事実を伝えているとは限らないという話も高学年以上には必要な知識かもしれません。そして、中学生くらいになれば、自分に大きな損害がないなら自分の意見が違っても大勢にあえて合わせておく処世術が大人にはあるということも伝えたいものです。

でも、長いものに巻かれる付和雷同型が増えると差別やいじめが起こりやすくなることも同時に教える必要があります。それ以上深い話になると政治や哲学・心理学の話になるので、自分で調べてみたら面白いかもしれないねと伝えようと思います。

「市立京都奏和高」が開校

不登校生の学び直し支援定時制の「市立京都奏和高」が開校

4月9日(金)10時20分【毎日新聞】

不登校など、さまざまな事情を抱える生徒を受け入れる定時制高校「京都市立京都奏和(そうわ)高校」(高崎利明校長)が8日、同市伏見区に開校した。伏見工業高と西京高の定時制を将来的に再編・統合する形にした。多様なカリキュラムや少人数教育など、子どもの学び直しを支援する体制を整えている。

市教委によると、定時制高校は昼に働く子どもが夜間に学ぶ場とされてきたが、近年は不登校の経験者や発達障害などの生徒が通うケースが増加している。需要の変化に対応するため、市教委は2014年から開校の準備を進めていた。校名には「さまざまな困りがある生徒が個性を奏で響き合い、共に和をもって学び合う」との思いが込められている。

生徒一人一人の事情に対応するため、授業を受ける時間帯や通う年数が異なる4種類のカリキュラムから選べるようにした。一人一人に目が行き届くよう、1クラスの人数は約20人に絞った。スクールカウンセラーなどの専門家も配置する。

2月に実施した入試は、定員80人に対し225人が志願(倍率2・81倍)。8日の開校式で、新入生代表の小林麻優(まひろ)さん(15)は「さまざまな困りに対し、全生徒が認め合い、学び合っていきます」と誓った。

伏見工業高と西京高の定時制は21年度から募集を停止し、22、23年度に閉校する。【添島香苗】

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京都府立高校にも京都フレックス学園構想スタイルの高校で清明高校と清新高校があります。清明高校は「昼間二部制定時制・単位制」で2015年に北大路でスタートしています。清新高校は丹後弥栄町で昨年度開校しました。開設理由は定時制高校や専門高校の定員割れ対策と、時代と共に生徒の特別なニーズも変わってきた事に合わせた学校が必要になっている事です。今年度の倍率は、府立高校は1倍程度ですが、奏和高は3倍近くあり狭き門となっています。

知的遅れのない発達障害の子どもを広く受け入れる高校を作ることは大事なことですが、結果として普通高校から発達障害の生徒が消え、インクルージョンと言いながらどんどん分けて区切ってエクスクルージョンが進んでいるのではないかと思うのは筆者だけでしょうか。できれば、どこの高校でも様々な学び方が普通にできるように支援していくのが本来のあり方ではないかと思います。ただ、そのためには高校選択の時点で支援を考えるのではなく、小学校の早期からの当事者と保護者への持続的で安定した支援が必要となるのは言うまでもありません。

ぼくは勉強がしたい

ぼくは勉強がしたい

2021年4月12日 【NHK NEWS】

読みたいのに読めない、読みづらい。書きたいのに、思うように書くことができない。そんな人たちがいます。ある少年は、まわりの大人たちの少しの工夫や補助する道具との出会いで勉強が楽しくなりました。いま、新たな一歩を踏み出そうとしています。

落ちこぼれだったぼく
「おれって、バカなんだろうな。てんで、できないやつなんだろうな」
神奈川県に住む菊田有祐さん(18)。小学生のとき自分のことをそう思っていた。いろんなことがクラスのみんなと同じようにできない。教室の後ろに貼られた書道は、自分のところだけ空白だ。観察日記も、調べ学習の表も、宿題もすべて出すことができない。
毎日のように放課後、残って宿題をした。

字を、書くのが苦痛
小学1年生の時にアスペルガー症候群と診断された。「この子は読み書きに苦労するかもしれない」主治医からそう言われた母は、つきっきりで読ませよう書かせようと努力してくれたが、一向に上達しなかった。

4年生のときの国語のテスト。名前の欄に大きく「きく田」と書いた。まわりの同級生が漢字でスラスラと名前を書くかたわら、名字を書くことで精いっぱいだった。同じころに受けた算数のテストは、2けたや3けたのかけ算が答えまでたどりつけていない。数字を書くだけでも難しいのに2列や3列にきちんと並べて書くなんてできなかった。

ふざけているわけでも、適当にしているわけでもない。考えていたことを書こうとするとそこで思考が止まり、初めにもどって考え直すの繰り返し。結局、考えがまとまらなくなってしまう。無理に書こうとすることで疲れてイライラが募り、鉛筆を2つに折って家に帰ることが日常になった。自分に自信が持てず、いつもおどおどしていた。そんな姿がいつしか同級生のからかいの対象になり、蹴られたり羽交い締めにされたりするようになった。「死にたい、飛び降りたい」そう感じるほど、追いつめられた。

文字が動く、逃げていく
奈良県に住む知直さん(19)も読み書きが苦手だ。小学校の高学年のころADHD(注意欠如・多動症)と診断された。視覚過敏があり、文字が黒、背景が真っ白といった具合にコントラストが強いと文字が見えにくくなる。背景を薄紫などに変えるといくらか和らぐが、それでも文字のフォントが明朝体だとお手上げだ。ゴシック体などと比べて細い部分と太い部分がある明朝体は、読もうとすると文字が動く。走り出す。逃げてしまう。どこを読んでいたか分からなくなる。

苦手なフォントのプリント
忘れられない出来事がある。6年生のある日、授業で配られたプリントがどうしても読めなかった。苦手なフォントが使われていたためだ。先生に授業で使うプリントを前日に渡してほしいとお願いした。前日にもらえれば、親に頼んで読みやすいフォントに打ちかえてもらうことができると考えたのだ。しかし先生の答えは「ノー」。授業の当日にプリントを印刷することもあるし、そもそもひとりだけ特別扱いはできないという理由からだった。毎日、毎日、読めない、書けない。朝、ベッドで泣きながら親に怒りをぶつけた。
「なんで目が覚めるの?なんで生きているの?」

希望の光が見えた日
読めない、書けない困難に直面していた2人の少年。彼らの学びを飛躍的に楽にした道具があります。パソコンやタブレット端末です。書くのが苦手な菊田さんは、5年生の夏休みに参加したセミナーでタブレット端末と出会いました。画面のキーボードを使えば、黒板の文字や先生の言ったことばを手で書かなくても端末に記録することができました。小学校ではこうした機器を持ち込むことは原則、禁止されていましたが、担任の先生が力になってくれて、6年生の4月から特別に認めてもらいました。

初めてタブレット端末を使ってノートをとった日。
「ママ、いつもの80倍くらいノートをとるのが楽だった!」そう、母親に報告したそうです。
菊田さん
「タブレットを使いだしたからといって、それで劇的に勉強ができるようになるわけではありませんが、少なくともぼくはノートを取ることが楽にできるようになり、頭の中にあった考えを形にするツールができたと感じました。授業が一気に楽しくなって理解も深まり、宿題なども提出できるようになりました」
それからはタブレット端末がいつも一緒。社会科見学にも修学旅行にも、つねに斜めがけにして持って行きました。
授業で発表するスライドを作る役目を買って出たときは「クラスに貢献している」と感じたそうです。イライラが減って友人たちと笑い合うことが増えていきました。

その後もタブレット端末などを活用して中学、高校と勉強に励み、ことしの春、大学に進学。起業して地方創生につながる観光の仕事を作り出すという夢に向かって新たな一歩を踏み出しています。

菊田さん
「学べることがうれしいし、すごく楽しみでわくわくしています。小学生のころの自分に伝えたい。もうすこし、もうすこしだけ我慢したら、自分の能力やできることに気付いて自分が好きになっていくので、もうすこし我慢してくれたらうれしいよ」

手段はなんだっていい
知直さんも中学校からタブレット端末の持ち込みが認められ、苦手なフォントを自分で変換するようになると授業が分かるようになりました。

その後、子どものころから大好きだったロボットを作りたいと高等専門学校に進学。
人の生活や仕事の動作を楽にするアシストロボットを作るという夢ができました。今、機械工学を研究できる大学への編入を目標に勉強を頑張っています。


知直さん
「自筆で書くことだけが『書く』ことなのかな?『書く』ことが『表現すること』だとしたら、道具はなんだっていいんじゃないかな。読むことも同じで『読む』ことが『情報を得る手段』だとしたら、読み上げソフトを使ってもパソコンを使っても手段はなんだっていい。ぼくはそう思っています」

気付いてほしい、知ってほしい
実は2人のように発達障害のある子どもが、読み書きを苦手とするケースは珍しくありません。

発達障害のある子どもの親およそ1000人に子どもの苦手なことを聞いた調査があります。
▽作文が嫌い・・55%
▽字を書くのに時間がかかる・・46%
▽スムーズな音読が難しい・・28%
(2018年全国LD親の会調べ)
多くの親が読んだり書いたりすることを子どもが苦手としていることに気付いていますが、対応が遅れてしまうことがあるといいます。

NPO法人 全国LD親の会 井上育世理事長
「発達障害はさまざまな症状が併発することが多いのですが、行動のほうが目立ってしまうのでどうしても読み書きの問題は見過ごされてしまいます。じっとしていられないから、集中できないから、勉強もできないと思われてしまうんです」
「まだまだ親も先生も、がんばって勉強したら読み書きはできるようになるものという考えが強い。学び方や得意なところが違うんだということが理解されるようになってほしい」

誰もが学びやすい社会へ
パソコンやタブレット端末との出会いによって読み書きの困難への対処法を見つけた菊田さんと知直さん。ただ、これが誰にでも当てはまるわけではありません。

専門家は、障害によって表れる症状には個人差が大きく、その人に合わせた学びの配慮が必要になると指摘します。

日本LD学会理事長 筑波大学 柘植雅義教授
「彼らが小学生だった頃にくらべて学びの配慮は格段になされるようになっていますが、十分かと言われたらまだまだ足りない」

「学びにおいては、ひとりひとりに応じた適切な配慮が求められています。先生と保護者が相談しながら、しっかりと『個別の指導計画』を立て、子どもの学びにとりこぼしがないよう、保護者も学校現場も私たち研究者も、向き合い続けていかなくてはなりません」

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まだまだ、こんなニュースがニュースになること自体日本はつくづく後進国だと感じてしまいます。何しろ、福祉関係者が読み書き障害を含む学習障害は学校の仕事だと言われる方が少なくないのです。こうした方々には、単に学習障害を知ってほしいだけではなく、福祉がいつも教育を先導してきた歴史を学んでほしいのです。びわこ学園創設者糸賀先生の言葉は今でも福祉と社会の関係のあり方を示してくれています。

『この子らを世の光に』と支援の必要な子は世の中の方向性=「みんなちがってみんないい社会」を示しているのです。障害のある子の親と支援者たちが重度の障害児でも学校教育が必要と、1979年養護学校義務制は普通教育義務制から半世紀後に実現しました。民間の福祉施設で自閉症や発達障害の支援に成功した成果が特別支援教育として何とか花開こうとしていますが、静かな障害、見えない障害と言われる学習障害の社会的認知も支援もまだまだです。けれども、共生社会の実現は福祉と教育が両輪で走り続けてこそ前に進めるのです。そのために、関係者は飽きることなく諦めることなく同じ話を何度もすればいいのだと思います。

ぼくは勉強がしたい

『僕が跳びはねる理由』特別ビデオ舞台挨拶決定

『僕が跳びはねる理由』特別ビデオ舞台挨拶決定

アップリンク京都 【新風館 地下1階】
https://kyoto.uplink.co.jp/map

■日時:4月17日(土)
■登壇者:東田直樹(原作『自閉症の僕が跳びはねる理由』著者)、金原由佳(映画ジャーナリスト)

04.17土
僕が跳びはねる理由 【上映後ビデオ舞台挨拶】
09:30~11:18
14:35~16:23
16:50~18:38

※リモート出演のみ、劇場での登壇はございません。
※登壇者は変更となる場合がございます。予めご了承ください。

※上映時間は毎日異なりますのでスケジュールをご確認ください。

自閉症者の内面を語った内容が大反響を呼び、世界30か国以上で出版された大ベストセラーを映画化!
みんな同じ空の下、“普通”の君と自閉症の僕との未来はきっとつながる??
『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)は会話のできない自閉症という障害を抱える作家・東田直樹がわずか13歳の時に執筆したエッセイ。他者との会話が成立しづらいため、今まで理解されにくかった自閉症者の内面の感情や思考、記憶を分かりやすい言葉で伝えた内容が大きな注目と感動を呼び、その後30か国以上で出版され現在117万部を超える世界的ベストセラー作品に。

サンダンス映画祭で観客賞受賞など、海外映画祭で絶賛!
このベストラー作品をもとに映画化された『僕が跳びはねる理由』は世界最大のインディペンデント映画祭としても有名なサンダンス映画祭(第36回/2020年1月開催)ワールド・シネマ・ドキュメンタリーコンペティション部門において観客賞を受賞、更に同じく2020年10月に開催された第39回バンクーバー国際映画祭の長編インターナショナルドキュメンタリー部門観客賞とインパクト大賞のダブル受賞など、高い評価を受けた。2005年、わずか13歳の少年が紡いだ言葉が海を越え、今もなお世界中の自閉症者やその親たちに希望を与え続けている。

自閉症者が見つめ、感じ、生きる世界を通じて、“普通”とは何か、そして“会話”の大切さを描く、感動のドキュメンタリー!

この映画は自閉症者の内面がその行動にどのような影響を与えるか、また彼らにとって自閉症という障害が意味するもの、そして彼らの世界が“普通”と言われる人たちとどのように異なって映っているのかを、世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を追い明らかにしていく、誰も観たことのない驚きと発見に満ち溢れている。そして、「普通とは?」「個性とは何か」という普遍的な疑問、「会話(=コミュニケーション)の大切さ」「多様性の重視」など…他者と分断されている今を生きる誰もが共感しうる、感動のドキュメンタリー映画である。

東田直樹著『自閉症の僕が跳びはねる理由』と映画『僕が跳びはねる理由』とは…?
映画『僕が跳びはねる理由』の元となった原作『自閉症の僕が跳びはねる理由』は作家・東田直樹がわずか13歳の時に執筆したエッセイ。理解されにくかった自閉症者の内面を、自らも重度の自閉症を抱える著者が平易な言葉で記した内容が大きな注目と感動を呼んだ。
その原作を英訳したのはデイヴィッド・ミッチェルとその妻ケイコ・ヨシダ。デイヴィッド・ミッチェルはトム・ハンクス、ハル・ベリー主演の映画『クラウド・アトラス』(2012)の原作などで知られるイギリスのベストセラー作家である。

日本に滞在していた経験もあるデイヴィッド・ミッチェル、自らも自閉症の息子を育てる彼らが、困り果てていた我が子の行動に対する疑問の答えを東田の『自閉症の僕が跳びはねる理由』の中に見つけ、「世界中の自閉症の子を持つ親にもこの本を読んで欲しい、伝えたい」という願いから翻訳を行ない、2013年『The Reason I Jump』として出版した。『The Reason I Jump』は瞬く間に話題を呼び、現在では世界30か国以上で出版され、117万部を超えベストセラーとなり、今現在も話題を呼び続けている。

一方、2014年NHKが原作「自閉症の僕が跳びはねる理由」を取り上げ、「君が僕の息子について教えてくれたこと」として放映。番組内では東田直樹とデイヴィッド・ミッチェルが対面している模様も紹介された。その後「自閉症の君が教えてくれたこと」(2016)と翌2017年「自閉症の君との日々」(すべてNHK)と、3度に渡り本作が紹介された。
そして、この英語版『The Reason I Jump』が、本作にも出演しているジョスの両親(本作のプロデューサーを務めるジェレミー・ディアとスティーヴィー・リー)の目にとまり、映画『僕が跳びはねる理由』が誕生したのである。

【自閉症とは?】
自閉症とは発達障害のひとつ。原因は特定されておらず、生まれつきの中枢神経機能の障害であると考えられている。「対人関係の構築が難しく集団に馴染めない」「強いこだわりがあり変化を嫌う」という二大特徴があるが、これが本人の生活に支障を及ぼしていなければ障害とは呼ばない。反対に、それによって本人が苦しみ生活にもさまざまな不自由がある場合は、医療や福祉のサポートが必要となる。精神科の分野における自閉症の歴史はまだ80年に満たないため、その概念は近年でも大きく変化している。広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガー症候群などの用語も生まれては消え、現在では「自閉症スペクトラム」(スペクトラム=集合体)という名称を使うのが一般的。「自閉症スペクトラム」は、障害者と見なす必要のない人まで含むと、全人口の10%を占めるとも言われる。もしもそれだけの人数がいるとなれば、これを「障害」と考えるのは無理があるだろう。現在では、「症状」を「個性」と受け止め、発達障害を持つ人を社会的マイノリティとして支援する流れも生まれている。

『僕が跳びはねる理由』(2020年/イギリス/82分/シネスコ/5.1ch)
監督:ジェリー・ロスウェル
プロデューサー:ジェレミー・ディア、スティーヴィー・リー、アル・モロー
撮影: ルーベン・ウッディン・デカンプス
編集: デイヴィッド・シャラップ 音楽: ナニータ・デサイー
原題:The Reason I Jump
字幕翻訳:高内朝子
字幕監修:山登敬之
原作:東田直樹『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫、角川つばさ文庫)
翻訳原作:『The Reason I Jump』(翻訳:デイヴィッド・ミッチェル、ケイコ・ヨシダ)
配給:KADOKAWA

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アップリンク京都での上映時間が発表されました。今週金曜から1週間上映です。土曜日は上映後に原作者の東田さんからビデオメッセージが上映されます。イギリス映画でしかもドキュメンタリー映画なので、ちょっとスローでマイナーなイメージはぬぐえませんが観に行こう思います。

東田さんは自閉症関係者の間では良く知られていましたが、世界的に知られるようになったのは、小説家ディビット・ミッチェルの英訳からです。デイビット・ミッチェルもまた映画「クラウド アトラス」(2012年製作、主演トム・ハンクス)の原作者として世界的に有名になった観があります。この映画は、輪廻転生を描いたSF映画です。6つの時代設定とストーリーを行き来しながら物語が進みます。ジャンルとしてはSFですがコメディやサスペンスなど様々な要素が楽しめる作品です。

最初はシーンの転換が多くて展開に追いつけず眠くなりますが、徐々に話の関連が見えてきて引き込まれていく映画です。映画で著名になった小説家、彼の翻訳出版で世界のベストセラーになった本、この本が廻り廻って映画になる。自閉症を鍵にした輪廻転生を感じさせます。

 

退学処分の発達障害児、私立小を提訴 問題行動理由「差別的」

退学処分の発達障害児、私立小を提訴 問題行動理由「差別的」、学校側は「全力で対応した」

2021/4/15 6:00 【西日本新聞】森 亮輔

福岡県内の私立小に通っていた発達障害のある男児が、障害が起因とみられる問題行動を理由に退学させられたのは違法として、学校の運営法人に慰謝料など660万円の損害賠償を求め福岡地裁に提訴した。14日に第1回口頭弁論があり、男児側は「障害児への配慮が全くされず、違法の程度は甚大」と主張、学校側は「教育上の配慮は尽くした」と請求棄却を求めた。

訴状などによると、男児は2019年4月に私立小に入学。1年時から通学バス内で落ち着かず、級友とのトラブルも相次ぎ、手を出してしまうこともあった。2年時の20年6月、医療機関で発達障害の一つ、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断され、保護者は学校側に伝えた。

同年9月、級友ともめた男児が教室内で椅子を投げた。けが人はなかったが、事態を重く見た学校側は保護者に公立小への転校を提案。保護者は受け入れず、学校側は「学校の秩序を乱し、その他、生徒としての本分に反した者」を退学にできるとする学校教育法施行規則に基づき、退学処分とした。

男児側は、問題行動は発達障害に起因すると考えられ、通院治療で症状は改善していると主張。学校側の対応を「外部専門家の助言による事態改善を図らず、主治医との連携もしていない」と批判し、退学処分は「社会通念上、著しく妥当性を欠き、障害児に対する差別的な措置」と訴える。

男児の母親は西日本新聞の取材に「手がかかる児童を追い出したいから退学にしたとしか思えない」、代理人の小杉晴洋弁護士は「訴訟を通じ、発達障害に対する私立小の姿勢を問いたい」と話した。男児は現在、公立小に通い、特段のトラブルはないという。

一方、学校側は「発達障害を原因に退学させたのではない」と強調。退学処分の理由について「入学時から問題行動が繰り返され、椅子を投げるという非常に危険な行動があり、他の児童の安全確保に懸念が生じた。保護者の協力も得られなかった」としている。

男児へ対応するため常駐の臨床心理士を雇うなど配慮は続けたとして「男児が集団生活に適応しながら、心身ともに健やかに生活できるよう全力で対応した」と反論している。(森亮輔)

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公立の義務制学校は懲戒退学とすることはできない(学校教育法施行規則第26条第3項)と定められています。一方、私学の場合は懲戒退学処分を受けたとしても公立学校に転学することが可能であるため、学齢児童・生徒に対する懲戒退学処分も認められています。従って、学校との契約関係において逸脱があったときは退学を決定することができるというのが学校の言い分です。

これに対して原告は「訴訟を通じ、発達障害に対する私立小の姿勢を問いたい」というわけですから、退学の是非よりも学校の発達障害に対するあれこれの対応を白日の下にさらすというのが目的のようでう。確かに全体の授業が進められないとして転校を勧め、転校を拒否された場合の退学処分には法的な瑕疵はないかもしれません。

ただ、本人が暴力など危険行為に至る経過に、学校の合理的配慮がなされなかったり、発達障害に対して不適切な指導があった場合は学校の責任も問われます。本人の障害の状態にもよりますが、どの程度以上の配慮を合理的配慮として認めるか、どの程度の指導を不適切な指導と認めるかが争点になります。

私学公立間だけでなく、公立学校から支援学校への指導困難とされる生徒の転校ケースもたまにあります。子どもに柔軟に合わせられる支援学校の環境の方が子どもの成長につながると保護者に転校を勧めた結果です。そのほとんどは他害が一番多いと思います。しかし、支援学校もオールマイティーではありません。中には入院など医療的な支援が必要な生徒もいます。周囲の子どもに危害を加えたりその危険が高い場合というのは通常学校と同じです。

今回のケースがどういうものなのか判決が出るまでは静観するしかありませんが、どこまでを通常学校の合理的配慮とするのか、必要な支援と認めるのか、その線引きが明らかになるなら訴訟の意味はあると思います。

水泳授業における感染症対策

文科省、水泳授業における感染症対策の徹底を呼び掛け

2021.4.15 【リシード】

文部科学省とスポーツ庁は2021年4月9日、学校の水泳授業(幼稚園におけるプール活動を含む)における感染症対策について事務連絡を発出。地域の感染状況を踏まえ、密集・密接の場面を避けるなど対策を講じたうえで、水泳授業の実施について検討するよう呼び掛けた。

文部科学省とスポーツ庁は2021年4月9日、学校の水泳授業(幼稚園におけるプール活動を含む)における感染症対策について事務連絡を発出。地域の感染状況を踏まえ、密集・密接の場面を避けるなど対策を講じたうえで、水泳授業の実施について検討するよう呼び掛けた。

文部科学省およびスポーツ庁による事務連絡は、学校の水泳授業(幼稚園におけるプール活動を含む)における感染症対策の徹底を求めるもの。都道府県・指定都市教育委員会の学校体育主管課・幼稚園主管課らに対し、所管の学校などに周知するよう要請した。

感染症対策として、「学校プールについては、学校環境衛生基準に基づき適切に管理すること」「体調が優れない児童生徒の水泳授業への参加は見合わせること」「授業中、手をつないだり、体を支えたりするなど、児童生徒が密接する活動は避けること」「児童生徒が使用するタオルやゴーグルなどの私物の取り違えや貸し借りをしないよう指導すること」など8つの項目を提示。児童生徒の健康と安全を第一に考えて、それらの事項を十分に踏まえた対策を講じたうえで、水泳授業の実施について検討するよう呼び掛けた。

また、実施にあたっては、スポーツ庁が作成した「コロナ禍における体育、保健体育の教師用指導資料」も参考にすることとしている。《桑田あや》

https://www.mext.go.jp/content/20210414-mxt_kouhou01-000004520_1.pdf
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これは、水泳の授業してよいと言っているのか、感染可能性が高ければ見合わせてよいと言っているのかビミョーです。昨年も、「~すればできる」とあったのに実施した学校は皆無でした。授業中に騒ぐと飛沫が出るから歓声は避けるようにとの事です。それを気にするなら泳ぐ時の息継ぎに出る飛沫が最も多いのです。多くの学校プールは屋外の外気の中で行われます。外気の中で行われるスポーツは飛沫感染を気にしなくていいと言うのが公式見解でした。

結局、感染が起こった時のクレームに対する役人の言いわけ文書としか読めません。対策と書きながらも、これだけ微に入り細に入り飛沫感染の危険性を言うなら、昨年と同じようにやらない方がましだと考える学校が出てきても仕方がありません。

変異ウィルスを運ぶ可能性のある移動は控えて欲しいと大都会の首長が大騒ぎしていますが、この発言は一つ間違えば、マスク警察コロナ警察の復活を助長する発言です。そもそも、どんな場所でもウィルスは時間と共に変異します。その変異の方向性は、感染しやすくするために症状を軽くするというものです。重症者のベッド数が足りないのは感染した人の注意の問題であるかのような指摘の前に、欧米の感染(陽性者)率の20分の1、医療ベッド数は4倍の我が国が「医療崩壊」する本当の原因は何かを指摘して解決するのが為政者の役割だと思います。

メディアは相変わらず子どもの感染の症状について一切触れずに増えた陽性者数だけを報道し変異株は子どもにも感染しやすいという事だけ伝えます。このため大阪の府立学校は17校が休校しています。ただ、学校は2類感染症対応の法律に従っているだけで罪はありません。2類の指定を変えようとしない、変えないでいる理由も発表しないトップに問題があります。願わくば、白血病から快復した池江璃花子選手に感動した子どもたちが、憧れて泳げる水泳授業を実現してほしいものです。

障害者雇用、身構えないで

障害者雇用、身構えないで パラスポーツと出合い、イメージ一変

2021/4/16【毎日新聞】

障害者の雇用環境は厳しい。法定雇用率を達成した企業は半分に届かない。一方で、障害者雇用に積極的に取り組んでいる会社もある。その一つ、鉄道車両のメンテナンス会社「堀江車輛電装」(東京都)は働き方にもこだわる。きっかけは社長のパラスポーツとの出合いだった。

今から8年前のことだ。4代目社長の堀江泰さん(41)は、知人から誘われパラスポーツに関する講演を聞きに行った。帰宅後、自分が高校時代に打ち込んだサッカーのことが頭に浮かび、「障害者サッカー」とインターネットで検索してみた。出てきたのは、2010年に開かれた知的障害者サッカー世界選手権の日本代表戦の動画。精巧な戦術や、大柄な外国人選手をかわしていく技術に驚いた。

「何か関わりたい」と思い、ボランティアで知的障害者サッカーのスポンサー探しや大会運営などを始めた。それから障害に対するイメージががらりと変わった。それまで障害者と接した経験はほとんどゼロ。知識もなく、「暴れたりするのかな」と想像したことさえある。だが、日本代表の選手たちと接してみると、みんな「人なつっこいサッカー好きの弟」のようだった。

適正配慮し転換も
一方で、障害者を取り巻く雇用環境の厳しさも知った。選手たちの多くは特別支援学校を卒業後、工場勤務や配送などの仕事に就くが、競技と仕事の両立に苦労していた。「けがをしても休みづらい」「国際大会があっても長期の休みを取りづらい」――。

そこで、障害者雇用支援のため15年から、求職中の障害者と雇用先をつなげるマッチング事業を始め、16年には障害者の雇用の場を創出しようとビル清掃会社を買収した。障害者雇用促進法は従業員43・5人以上の会社に、従業員の2・3%以上の障害者を雇用するよう求めているが、堀江車輛電装は従業員68人で雇用率は約7%と大幅に上回る。

仕事の適性にも配慮する。雇用支援の一環で行っている障害者向けの就労体験で17年から講師を務める男性はその一例だ。大学卒業後に発達障害と診断され、16年に障害者雇用枠で採用された。当初はビル清掃を担当していたが、精神保健福祉士の資格を持っていることもあり、就労体験の講師の方が合っているとして配置転換された。

昨春、新型コロナウイルスの影響でいち早く「リモート就労体験」を始め、テレビ会議機能などを使いテレワークでデータ入力などの事務作業を体験できるようにした。講師の男性は「トライ・アンド・エラーを繰り返すことで自分の職域が広がる。『やってみよう』の精神で試行錯誤することがいい働き方につながると思う」と語る。

堀江社長に気負いはない。「どの作業が向いているか、今の仕事量は合っているか、一定の配慮さえすれば、『障害者雇用は難しそう』と身構える必要はない。その人の人間性を掘り下げる感じです。障害があってもいろいろな仕事ができると証明したい」

厚生労働省によると、20年6月時点で民間企業の法定雇用率は2・2%(21年3月から2・3%に引き上げ)で、達成しているのは48・6%と半分に満たない。一方、国の機関は97・8%(法定雇用率2・5%)、都道府県は89・3%(同)と高水準だが、市町村は70・6%(同)、自治体の教育委員会は38・6%(法定雇用率2・4%)にとどまる。【五十嵐朋子】

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障害者の雇用の場を創出しようとビル清掃会社を買収するあたりが、福祉の発想とは全く違います。雇用する会社がなければ作ればいい。作るのが面倒なら買収すればいいというコロンブスの卵的発想は民間ならではです。実際に雇用してみれば、バックヤード作業より講師の方が向いていたので配置換えしたというのも福祉的発想では考えが及びません。

ただ、企業の法定雇用率は大きな企業になればなるほどシビアで罰金を払う方が経営上優位だと言う計算が働きます。最近はようやく企業コンプライアンスの中にダイバーシティー社会の実現やSDGs(持続可能な開発目標)を掲げるのが大企業の条件とされるようになってきて障害者雇用にも積極的にはなっていますが、知的障害についてはまだまだの観があります。ぜひとも、この乙訓の地で働く場所がないなら会社を作ろうという起業家が出てくるのを期待します。