すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

佐々木正美エール

西陣麦酒は自閉症の人たちの事業所NPO法人HEROESのビール醸造所です。このビール醸造所は、自閉症の支援プロジェクト「西陣麦酒計画」から誕生しました。そのプロジェクトを応援してくれた佐々木正美先生への感謝のエールをこめて、この春、限定醸造の「MASAMI ALE」が発売開始され我が家にも先週届きました。

佐々木先生の公演の受講料によってプロジェクトは資金が集まり、自閉症の人も働く西陣麦酒は生まれました。そして、今回はその成功のきっかけとなってくれた佐々木先生への感謝を込めて、その名前を由来とした「MASAMI ALE」が限定醸造されたのです。

MASAMI ALEは、ドイツ産ホップによるほのかなオレンジの香り、そしてはちみつの香りが特徴的なウィートIPA。味わいはとろりとしたマウスフィールに、しっかりとした苦味のあるビールに仕上がっています。

佐々木先生の自閉症論も子育て論もその神髄は「思いやりの心」です。子どもが我々に合わせるのでなく、まず、我々がが子どもに合わせるという思いやりです。「子どもが異常行動(不適切行動)を起こすのは確実に私たちのせいです」と佐々木先生は言い切ります。「発達障害は治らないけれども、私たちが彼らの文化に合わせて環境を用意すれば、必ず彼らは応えてくれえます」とも言い切ります。

MASAMI ALEを味わいながら佐々木先生の言葉を聞いていると本当に優しい気持ちになって、明日からも頑張ろうと思えてくるから不思議です。故佐々木先生の公演はMASAMI ALEとセットで販売しています。たぶん、もう売り切れているでしょうけど、DVDはすてっぷに常備しているので見ることができます。(見たい方は、ご連絡ください)

そして、この3月、ジャパン・グレートビア・アワーズ2021において、ジューシーまたはヘイジー・ストロング・ペールエール ボトル・缶部門にて「MASAMI ALE」が銀賞を受賞したそうです。おめでとうございます。

西陣麦酒 Nishijin BEER https://bakushu.base.shop/

 

 

ひいき目

この頃の気温は5月並みで昼間なんか暑くて半袖でいい感じです。Mちゃんを車いすにのせて公園に連れて行きました。たくさんの子どもが遊びに来ていて、Mちゃんも嬉しくて歩き出して、滑り台やブランコで遊びました。しばらくすると、Mちゃん自分の車いすのハンドルにぶら下がった水筒を触って揺らしたと言います。スタッフは、多分喉が渇いたという意味なんだと解釈して、水筒をもって「お茶飲みますか」と勧めたと言います。すると、Mちゃんは車いすに座って水筒のお茶を飲ましてくれるのを待っていたそうです。Mちゃんすごーいというエピソードでした。

Mちゃんは、まだ欲しいものとカードを交換するPECSのフェーズ1にも至らずVOCAのボタンの因果関係もわからなくてスタッフが頭を悩ませている子です。そのMちゃんが水筒という具体物をスタッフに(触って)示してお茶をくれと要求ができたのだということは、自発的な表出コミュニケーションがあったということです。でも、他のスタッフは、「ひいき目」の報告じゃないのかなと思っています。なんとなく触った水筒を見て「ああ喉が渇いたのか」と理解するのはスタッフの自然な感情です。子どもは乳児からこういうやり取りでコミュニケーションを学ぶのは事実です。

ただ、コミュニケーションは振りであれ、言葉であれ、絵カードであれ、意図的に人に向けてするものです。離れているスタッフを意識して水筒に触れたかどうかは分からないです。しかし、お茶をスタッフが持つと、お茶を飲む体制になろうと車いすに座ったというのは理解のコミュニケーションの力を感じさせます。これを手掛かりにして双方向のコミュニケーションが成立する方法を考えていきたいと思います。ただ考えてばっかりで、「ボタンキラキラBOX1号機」も未だに完成していません。

 

 

坂あがり?

L君に「今日は、先生と一緒に鉄棒しなかったの?」と聞くと「へ?何のこと?」とL君。「公園で先生が逆上がりしようかって言ってくれたのに、嫌って断ったんでしょ?」「え?さかあがりって、公園の坂を走って上がれってことやろ?それはつまらんから嫌やって言ったよ」「いやいや、違うがな・・・」L君は聞き違えがものすごく多いのです。

語彙が少なくて聞き違えることもありますが、語彙が少なくてもその場の状況で大意は解釈できるものです。この場面ならおそらくこの事を言っているのだなという推測をするからです。ところがASDの人や状況理解の苦手な人は字句通り聞き取って自分の知っている語彙に当てはめようとします。そして、誤解したままで応答したり行動するので「なんでやねん問題」は大人だけでなく友達とも多発します。

L君はスタッフが公園の中の築山の「坂あがり(あがりは関西では「上がりなさい」の意)」との命令を断ったわけですが、「逆上がり」の言葉も知らないわけではなかったのです。でも、この公園の鉄棒で遊んだことがなく、築山には何度か上ったことがあるのでこの反応になったわけです。この話をスタッフにすると他にもいろいろ聞き違いや誤解が多いことが報告されました。本人も「僕耳が悪いねん」と言い、困り感はあるようです。この問題をどう解決してくかは、まず本人自身に耳が悪いのではなく誤解が多いから、なんか変かなと感じたら(感じないかも・・・)「それってどういう意味?」と聞き直すトレーニングを提案しようかなと思います。

好きなものがない?

K君が朝から「食欲ないねん」と言います。昨日も「おなかすかへん」とお弁当に少ししか手を付けないまま一日を過ごしました。聞くと「これから行く習い事が憂鬱だから」だと言います。でも、昨日はその言動のおかげでスタッフ全員から「大丈夫か」「どっか悪いんちゃうか」「そろそろ食べられるか」などと結構注目を集めることができました。

もしかして、K君何か行き詰っている?疑惑が会議で持ち上がりました。K君は高学年にも受けがよく低学年や障害の重い人にも優しい子どもです。でも、K君には好きなことがあまりないのです。体を動かすことや、特定のアニメは好きですが、高学年ではやっているインスタでのカメラ撮影やサッカーや戦国話は興味がありません。かといって低学年の遊具遊びやゲームはもう飽きています。でも、彼が好きなものがなかなか見つからないのです。

何か好きなものを探さないといかんなという話はスタッフ間ではされているのですが、なかなか見つからない中での、今回の出来事でした。

中学生の支援ニーズ

すてっぷでは、地域の小学校在籍の子どもについては6年生で卒業にしています。そして、同じ法人経営の新しくできた療育中心のじゃんぷをおすすめしています。中学生の中心課題は学習です。もちろん自主的な遊びやスポーツも大事ですが学習を生活の軸にしていく感覚が重要です。平均的な学力がついているかいないかは本人が一番自覚しています。学習がうまくいっていないのに他の活動に向き合えるわけがありません。

じゃんぷの通所条件には保護者の意向よりも、本人自身が変わりたいと宣言することを大事にしています。人に言われて勉強したり療育を受動的に受けても子どもは変わらないからです。意欲がなければこの時期からの学力は身に付きませんし、読み書き障害などの学習障害を抱えているならば、まずはその特性の理解と支援の享受が必要となるので、自己決定はとても重要です。

もちろん、最初から何もかもと言うのは無理でしょうから、まずは一人で通所する決意をして、休まずに遅れずに通所できるかどうかを見ます。西向日駅から5分とはいえ中学のクラブが終わってから自転車や電車で通うのですから、それなりの自覚が求められます。自分の力で週2~3回通えるなら、自ずと自己認知の力は伸びていくし成果も目に見えるので持続的な通所は可能になってきます。小学校低学年は保護者に送ってもらうしかありませんが、高学年以上なら自分の意志で通う力はとても大事です。

学びの支援を自ら受けるという行動が定着してきたなら、中学生らしい自主的な取り組みを企画・実行していく流れにもなってくると思います。中学生の支援ニーズは特性に応じた学習です。しかし、学習より何より重要なのは良き自分でありたいと願うエネルギーです。このニーズを大事にしていくのがじゃんぷの支援コンセプトです。

 

ゲルマニウムラジオ

アマチュア無線士になりたいK君に良い教材だなと思って、ゲルマニウムラジオのキットを使って製作しました。ゲルマニウムラジオの部品はエナメル線12mとバリアブルコンデンサー、ゲルマニウムダイオードとセラミックイヤホンの4つの部品で作れます。

製作の肝は、トイレットペーパーの芯にエナメル線の巻き付けと、はじめてのはんだ付けです。どちらも不器用なK君には手ごわくエナメル線はもつれるわはんだは山ほど使うわでしたが、5分間集中少年のはずのK君が完成するまでの90分間集中して取り組めたのはすごいことです。

もちろん、話はよく聞いてくれないのでYOUTUBEのゲルマニウムラジオ作成の3分動画を与えて「何度も見ながら作っていいよ」と指示しました。すると動画を巻き戻したり早送りして何度も見て完成させました。いちいち口をはさんだり手出しするより自分から調べる動画は有効でした。

アースを事務所の窓枠につなぎ、アンテナを4mほど箱に巻き付けると、「電池もないのに、NHKとKBSが聞こえた!」と大喜びです。高学年は見えないものに価値を見出す時期です。電波という見えない存在も彼らの力を引き出す役割を果たします。

大声の件

大声の件はこのブログで何度か(大声の原因 01/06)(うるさい 2020/11/27) 取り上げてきています。今回も、PECSのフェイズ3BができるようになってきているJ君ですが、何かの拍子で大きな声で奇声を上げるのがPECS獲得後も変わらず、何故だろうと職員の疑問に上がりました。

何か要求があれば、J君は絵カードを職員に渡してくるので、あの奇声は要求ではなく癖なんだろうかとか、職員をおちょくりたいのではなかろうかとの推測がされています。癖と言うなら人がいなくてもするでしょうが、無人の時や何か自分が好きなことで取組んでいる時はありません。

おちょくるというのは、対象者が困ることを楽しむというものですが、特定の方に向けているという感じではないです。最初は、スタッフの新人が多い時に奇声が多いと思ったのですが、ベテランがいても同じような感じです。よく観察すると、彼が奇声を上げるとベテランさんはスルーして無視をしているのですが、パートさんは彼が奇声を上げるとたまらず彼に「大きな声やな」等と反応しているのです。そうなると、回数が増える感じです。

これは推測ですが、要するに暇なので遊んでほしいというサインではないかということです。声がどんどん大きくなるのは、たまーにヒットするパチンコ理論と同じで、無視すればするほどたまーに反応があると行動がバースト(爆発)するのではないかという理屈です。

この仮説の下に明日から3週間、奇声にはエラー修正で取り組むことにしました。奇声が出たらやりなおしで「遊ぼう」絵カードをもってきて彼の大好きな真似遊びをして最後PECSブックで何が欲しいか聞くことにします。さて、理解してもらえるでしょうか。ベースライン(現在の奇声回数)を調べてから取り組みます。

俺の得点をあげるよ

低学年のG君がストラックアウト・ゲームで得点が取れなかくてしょげていたので、高学年のH君が「俺の得点をあげるよ」と言ったそうです。当然、G君はふてくされたままですが、H君は良いことをしてあげたとスタッフに報告に来たそうです。

ストラックアウトゲームは自分で投げて思い通りの高得点が取れるのが嬉しいのです。人が取った得点をもらっても嬉しくもなんともないのです。そんな時はドンマイと励まし投球のコツを優しく教えてあげることです。H君がG君を励ましたいのは良くわかりますが、得点をあげる発言は日常生活の場面ならちょっとしたもめ事が起こる可能性があります。

もしも、G君が「そんなもんいらんわ!」と正直に言ったなら、善意の人H君のプライドはズタズタです。「いらんとはなんや!優しくしてやったのに!」とH君の大声制圧と威嚇が始まるでしょう。周りで見ていた子どもたちは「低学年に大声出すなんて、しょぼいなHの奴」と言いふらされて事態はどんどんH君の思いと反対側に進みます。

ちょっとした相手の感情が読めないばかりに、善意が悪意に変わってしまうのは活発系(ADHD系)のASDの子どもたちに良く起こる出来事です。私たちの事業所では、こうした行き違いをひとつづつ毎日の振り返りでH君らに説明をしていきます。SSTトレーニングと簡単に言うけどそう簡単ではありません。

電動車いす

Fさんの電動車いすの操作が上手になってきたとスタッフから報告がありました。外出時の走行も、狭い事業所の室内も上手に移動しています。「こんなに便利ならもっと早くから購入すればよかった」と保護者の方も言われます。

かつて米国の小学校を訪問した時、車いすの児童が廊下を疾走していて女の先生が「HEY BOY! SLOW DOWN!」 と遠くから叫んでいたのが印象的でした。車いすの子どもは、手先しか動かない筋ジスの5年生でした。もう10年も前の話です。

日本の学校で電動車いすはほとんど見ません。特別支援学校ですら限られた子どもしか使っていません。移動の自由とは自尊感情と大きくかかわっています。一人で移動ができる事、一人で意思が伝えられる事の二つは特に重要です。

手漕ぎが難しくなると予測できようができまいが低学年から電動車いすを導入し、手漕ぎを選ぶか電動車いすを選ぶかはTPOで本人が選ぶのが望ましいです。歩ける人が自転車や車を選ぶのと同じように考えればいいのです。日本の障害者支援に決定的に足りないことは、支援テクノロジーを幼少から享受させる経験だと思います。「~だからできない」ではなく、「~があればできる」というポジティブな思考パターンを育てることは誰にでも大事だと思います。

 

 

写真の良し悪し

最近小学生高学年の間でインスタに植物や風景をアップするのが流行っています。D君はいいねをたくさんもらえて、僕はカメラマンになりたいと言って毎日何枚も外で撮った写真をスタッフに見せてくれます。それを見ていた3年生のE君もiPadを持ち出して風景を撮り始めましたが、彼は撮った写真よりエフェクトをかける方がおもしろくて写真の題材やアングルには全く興味がありません。

スタッフが「D君の写真見てごらん。いい写真と思わない?」と着目させようとしても、「そんなこと言ったって、僕には写真の面白さはわからへん。興味ないもん。いいなぁD君は褒められて」とふてくされます。「写真の良さは感じるもので低学年には説明のしようがないので困りました」とスタッフは言います。高学年は様々な価値に気づき、自分なりの価値を作り上げていきます。低学年にはわからない世界観です。なので、E君のいう事は無理もないのです。

それでも、ちょっとくらい良さがわからんかなとスタッフは言います。でも、E君の動機はスタッフに褒められたいことですから、とりあえずはE君に手あたり次第写真を撮らせ、まぐれでも良いものがあれば「エクセレント!」「ここが素晴らしい!」と撮った写真を褒めてあげることが大事なのだと思います。

 

 

ボタンわんこ2号機

VOCAで行き詰っています。実は前回書いた(VOCAセットできました! 2020/11/03)記事では、ボタンを押すと声が出るという因果関係をいきなり理解するのは難しいから、ボタンを押せば変化が起こることを理解してもらおうと「ボタンわんこ1号機」を作ったのです。でも、「ボタンわんこ1号機」はボタンを押し続けないとわんこが動き続けないので全く興味を示さず失敗しました。

今回はその反省のもとに、リレースイッチをつけてボタンを押せば5~6秒わんこが動く「ボタンわんこ2号機」を開発しました。これはボタンを押すだけでスイッチが入りっぱなしになる自己保持リレーと一定時間がきたら回路を閉じるタイマーリレーの二つを組みあわせたものです。この組み合わせのリレーは「Akozon 時間遅延リレー DC 12V 1〜10秒 タイマーモジュール 遅延コントローラボード 可変タイマー スイッチ」というリレースイッチ名でAMAZONに1種類だけ売っていました。1個1000円とわんこの2/3の価格でしたが他に選択肢がないので購入しました。

さて満を持して開発した「ボタンわんこ2号機」でしたがこれもみごとに撃沈されました。Cちゃんは手が動かせるので、ボタンくらい押せるだろうと高をくくっていたのですがうまくいきません。机の上にあるものは全て床に落とすもの、線状のものは口に入れるという習慣がどうしても邪魔をします。ボタンを机の上にのせると払い落すし、わんこのリモコンコードが見えると口に持っていき噛んで離さないのです。

ボタンは強力両面テープでテーブルに固定し、リモコンケーブルーは手に届くところでは見えないようにカバーしておけば何とかなりますが、わんこの動きを見ようともしないのが何故だかわかりません。周りに大人がいすぎて大人の反応の方が面白いのかもしれません。工夫は続けていきますが固定器にしろカバーにしろマイナーバージョンアップなので成功するかどうか微妙な雲行です。

今後は、「ボタンキラキラBOX1号機」を開発しようと考えています。ボタンを押せばLEDイルミネーションが5~6秒チカチカ光るボタンシステムです。開発費ばかりかかって、なかなかヒットしない。次第にスタッフの視線が冷たくなるのを背中で感じていた。心苦しかった。だが、
「誰もやらないなら、オレがやる・・・」
プロジェクトXの気持ちです。

テンパる

ゲームをしようとB君にトランプを見せたとたんに、机の上のカードを振り払いげらげら笑いだし、最近なかった脱走モードになり、家に帰るまでずっと興奮していました。どうやらB君にはトランプゲームで嫌な経験があり、しかし「嫌だ」とは言えずテンパったみたいです。「テンパった」とはよく使う言葉ですが、少しだけトリビアを披露します。

語源は、麻雀です。あと一つの牌が入れば上がれる状態になることを「テンパイ(聴牌)」といい、「テンパイ」に動詞化する接尾語「る」が付いた語が「テンパる」です。そこで、準備が整った状態、余裕を持って対応できる状態を「テンパる」というようになり、物事が成就する直前の状態にあることを表すようになりました。

しかし、「直前の状態」「ぎりぎりの状態」という部分的な意味から、テンパるは「切羽詰まる」「余裕がなくなる」といった悪い意味に転じて使われるようになりました。最近は麻雀するひと少なくなってきたから知らない人も多いと思いますが、昔は麻雀が社交の一つだったのでこんな言葉ができたわけです。

さて、B君には申し訳ないことをしたのですが、ここで彼に「わからんけどまぁ付き合うかぁ」という寛容の気持ちを育てるか、「嫌です、僕はやりたくありません」というコミュニケーションの力をつけるか、どちらを選択するべきでしょう。経験上、前者を求める大人は予想以上に多いのです。寛容の気持ちなんてどうやって教えるのか私は知りませんがそう考える人は少なくありません。

専門家なら後者を選びます。ただ、気になるのは「嫌」だけを教える人も大勢いるのですがそれは間違いです。嫌を教えるには交渉も同時に教える必要があります。結局、ピラミッドアプローチのPECSのフェーズ2の時期に学ぶべきことが課題となるのです。マニュアルを読み返してみたいと思います。分厚いマニュアルを読んでテンパる人も大勢いるようですが、講習を受けた後、一緒に学びませんか?京都ぺクスサークルがありますよ。

 

利用回数

すてっぷには利用回数が週5回の子どもから月2回利用の子どもまでいます。A君は月2回です。そのA君について支援計画の議論をしました。支援計画ですからトータルに社会性やコミュニケーションや生活自立について考えていきます。半年間で12回来ているのですからその所感を述べることはできます。しかし、目標を持ったり、支援方針を立てることはできても月2回では効果の可否はわからないです。

A君は他にもすてっぷよりもたくさん放デイを利用しているので、もしも行動がスムースになったりコミュニケーション力が伸びたりしたなら、それは他の放デイの支援や学校での指導の結果です。逆に、何か停滞したり後退するような事があってもすてっぷの責任ではありません。放デイの支援が届く利用回数は人によって違いますが、週2回以上ならある程度手ごたえは感じます。

それでも週1回や月2回を受けているのは、子どもの見方を保護者に伝える事ができるからです。むしろ定点観察の方が子どもの成長や課題がしっかり見える事さえあります。子どもの様子から、今後の課題やすてっぷではできないけど家庭やそのほかの場所でできる支援方法の提案もその後の評価もお伝えすることができるからです。でも、できればじっくり向かい合って支援したいとは思いますし、これって本当は相談支援事業所の役割だと思います。

 

見えない障害

低学年のZ君の保護者の方がじゃんぷに入れてほしいとお話がありました。聞くと、読み書きにものすごく苦労しているという事です。他の子どもが10分で済ませてしまう宿題を毎日1時間以上泣きながらやっているというのです。就学前検診を通過した子どもでも1年たつと読み書きの問題が顕在化して、「僕はがんばってもできない」とどんどん自尊感情が落ちていき、中学年以降学習性無力感に陥る子がいます。読み書き障害は精密に見ないと就学前での発見がむつかしい子もいるのです。記憶力の良い子は高校英語でやっと顕在化する人もいます。

行政や相談事業所に話に行ったら、そういうものを障害と言うのかと訝しがられます。ただの学習の遅れではないのかと言う認識が未だにあります。学習障害の一つである「発達性読み書き障害」の出現率は日本では8%です。他の発達障害との併存の場合もあってADHDやASDがあれば行動が目立ってフォローもされやすいのですが、併存障害がなければ集団行動もできるので見逃されやすく、見えない障害と言われて一般にははほとんど認知されていません。

国際ディスレクシア協会の定義では、「Dyslexia は、神経生物学的原因に起因する特異的学習障害である。その特徴は、正確かつ(または)流暢な単語認識の困難さであり、綴りや文字記号音声化の拙劣さである。こうした困難さは、典型的には、言語の音韻的要素の障害によるものであり、しばしば他の認知能力からは予測できないものであり、また、通常の授業も効果的ではない。二次的には、結果的に読解や読む機会が少なくなるという問題が生じ、それは語彙の発達や背景となる知識の増大を妨げるものとなり得る(2003)。宇野訳)」 と、記述されています。

これを解決するには正確なアセスメントに基づく訓練的支援が必要ですが我が国ではほとんど広がっていません。大手の放デイでいち早く取り組んだのはLITALICOです。この障害への支援は都市部では広がっていますが地方に行くと行政官ですら知らないことが多いです。それは勉強なんだから学校の仕事でしょと勘違いをされている方も多いと聞きます。肢体不自由は運動の障害ですがこれが体育教科指導でどうにもならないように、発達性読み書き障害も国語教科指導ではどうにもならないのです。見える障害は理解しやすいのですが、見えない障害は理解しにくいですから、塾に行くか家庭教師をつければいいと誤解している方は少なくありません。

通級指導の先生や児童精神科医の先生はこのことについてはよくご存じですから、行政や相談事業所の対応に保護者の方の口添えをされていると思います。乙訓には一学年1300人ほどいますからその8%は100名です。行動問題の併存しない人はその半分と考えても50名です。乙訓の義務制学校に最低450名の併存障害のない静かな見えない障害、発達性読み書き障害の子どもが「僕は勉強ができない」と苦しんでいることになります。教育では特別支援教育が、福祉では療育支援が、医療では発達障害医療が必要な子どもたちです。

 

プログラムの目的

Y君たちは公園でゲームもしますが、鬼ごっこ、かくれんぼなどは、なかなかその面白さを感じることができません。でも体格はいいので力はありあまっています。そこで西山に登りに行くかと山道歩きを提供しています。でも、ただ歩くだけではそれこそ面白さがありません。休憩でおやつは食べますがそれだけでは物足りないので何か彼らが面白いなぁと思うものを山歩きの先に用意したいのです。それが、バーナーとコッフェルでお湯を沸かしてラーメンを作るというイベントなのです。

ただ、食べるのではなく、食べ物が仕上がっていく過程に面白さがあります。単純なことですがこうした工夫が大事だと思います。ただ歩けばいいのではなく、いかに楽しみを持ってもらいながら歩くかを演出する。そういうことをいつも考えながら、プログラムは作ります。固有感覚のニーズの高いZ君にはみんなの道具や水をリュックに入れて少し重みを感じてもらいながら折り返し点まで歩きます。ここで、自分のリュックの中から調理道具が出てくるのと、そうでないのとではZ君の動機の持ち方は違うはずです。最初は意味が分からなくても、だんだん本人もみんなも意味が分かってきます。単に石をリュックに入れても固有覚は刺激するでしょうがそれでは意味も動機も永遠に作れません。

言葉の通じにくい子どもたちにどのように動機を持ってもらいながら活動を共有しあうかということを抜きにしてプログラムはありません。子どもの体を鍛えたいからとジム付きの放デイを作ればそれでいいわけではありません。活動する動機を考え自発性を引き出す活動が大事だと考えています。それを子どもたちと一緒に考えて作っていくのが私たちの仕事だと考えています。

他害を考える

ASDの人が、小さな子どもの声がうるさいからと他害に及ぶことは少なくありません。V君がXちゃんや小さな子を叩きに行くからと避けているだけではなく解決の糸口を探るという事ボール投げ 2020/12/03を以前書きました。その後も公園でのボール投げや山歩きやそのあとのラーメン調理の共有などを続けて3か月がたちました。

今のところ、Xちゃんに対する他害は見られません。Xちゃんも「お話の声は2の声で」が少しわかるようになり、うるさくしなくなったのも一因かもしれません。しかし、それをすべての子どもに適用することもできません。みんながボール投げや山歩きをV君と共有することはできないからです。Xちゃんならボール投げも分かるしスタッフと3人で遊ぶという指示に従えるからできたのです。

他害が起こらないようにすることは大事だけれど、それが人を切り離すことではない方法を大事にしたいです。わかる活動を共有して共に過ごす時間が作れるなら、それが他害を減らしていく事もあるからです。誰とでもというのは無理ですが、あの人となら一緒に楽しんで過ごせるという経験をどう広げ作っていくのかが課題だと考えています。そして、最も重要なことは他害の殆どが表出コミュニケーションスキルが弱い人に生じ、コミュニケーションスキルを獲得した人の多くは他害がなくなったことです。機能的コミュニケーションこそ行動問題を解決する鍵だと考えています。

 

 

毅然とした指導

普段高学年指導をしているスタッフがいないので別のスタッフに変わりました。ところが「U君が声を荒げて外遊びをしないと言うので外での指導をあきらめた」とスタッフが言うので、顛末を聞くと、そのあとは穏やかに過ごしたので問題はないというのです。ここでU君が学んだことはスタッフによっては頑として従わなければ自分の要求が通るということです。

確かに、子どもが従わないからと言って強面で脅したりするのは論外ですが、すてっぷでは障害が重かろうが軽かろうがお互いのニーズが合わない時は子どもと交渉(ギブアンドテイク)をするというのが指導方針です。そして、指導の枠組み(大枠の内容)は崩さないことです。枠組みを失えば戻るところが子どももスタッフもなくなるからです。

すてっぷでは以前中学生を受け入れていて、日課がその子だけ言いなりになっていたので、他の高学年の子どもにも指導がスムースに通らなくなっていました。結局、その中学生が通所しなくなり、枠組みを堅持して交渉を行うというルールを確立する中で徐々に正常化を図ってきました。スタッフは自分で対処ができないなら職員全員を呼んででも枠組みを壊す要求は通さない毅然とした姿勢が必要だと確認しました。

卒業式

今日は向日が丘支援学校の高等部卒業式です。すてっぷにも2人高等部卒業生がいます。昨日はS君が「さようなら」と去っていきました。卒業式後はもう進路先のサービスがはじまるそうです。Tさんは4月からなのでもう少し時間があります。昔は、高等部卒業証書授与式には施設からもお祝いに行けたのですが感染予防のためにそうもいきません。ホームページ上からではありますが、高等部生の皆さんのご卒業をお祝い申し上げます。

今は、福祉が充実してきて、選ばなければ進路先がないということはありません。ただ、その分民間就労での障害者受け入れが弱くなったと感じているのは私だけでしょうか。乙訓地域には三菱・村田・サントリー・オムロン・ダイハツ等と名だたる大企業がありますが、これらの企業やその関連企業に受け入れてもらった支援学校生はいません。

京セラや関電、GSユアサ(ユアサ電池)などは企業内に障害雇用の子会社を作って、社内環境整備や地域貢献の作業に障害者を雇用しています。ダイバーシティー社会実現には障害者も健常者も同じ場所で働くことが大事です。政府も助成金や税制優遇などで企業内子会社の設立を勧めますが、大企業にその気がなければ前には進みません。ぜひとも大企業が結集するこの地にその先鞭を取ってほしいと思います。

支給量

R君の支給量を検討するために相談事業所からケアマネ会議が招集されました。おそらく厚労省上限基準の支給量通達の月23日を超えるからだと思われます。それにしても、乙訓ではいつまでたっても週3日・15日がローカル上限ですが、これには明確な根拠がありません。

厚労省の23日上限基準の通達が2年前に出てからも、隣の京都市では支援学校籍の利用者(保護者)が望めば、ほぼ週6日・月27日の支給量が出されています。乙訓の場合は、いつまでも月15日です。隣り合う自治体で月8日年間96日の差を地域差として放置し続けるのは法の下の平等に抵触しています。

すでに2003年の本制度スタートから放デイもたくさんできて、放デイが少なかった当時と同じ基準で考える必要性はなくなっています。京都市ほどにとは思いませんが、週5日・月23日までは利用者が望めば支給するようにすべきです。また、相談支援事業所は、民間事業所の許認可権が行政にあるからと行政に忖度をして、利用を抑制するような助言は厳に慎むべきです。相談支援事業者は利用者の代弁者なのですから、利用者の支援ニーズを行政に伝えきる任務を果たさなくてはなりません。

 

 

早い?遅い?

スタッフからP君の歩く速度がみんなよりとても遅くて困っているという話がありました。「もう他の子どもや、みんながずっと前を歩いているのに全然追いかけようとしないんです」というので、「P君に遅れているという意識があると思いますか」と問い返すと、「???」でした。ASDの子どももそれぞれぞれなので必ずという事ではないですが、言葉が通じにくい人たちに「もっと早く」とか「もっとゆっくり」とかを伝えるのはとても難しいです。

普通は周囲より遅れているので自分は遅いと感じたり、周囲より先を行っているので早いと感じるものです。もしも、この周囲の存在があまり気にならないなら、その人にとっては早いも遅いもないのです。P君は遅いなぁと思うのはP君と自分を比べる視点のある人の認識です。だって、P君はゆっくり山道を歩いていますが、ニコニコして快適そうに歩いていて、先を行く皆に待って欲しいなどとは思っていないようです。そもそも皆が見えていない感じです。

そんなわけで、P君は時々迷子になりやすいのでスタッフが付くことにしていますが、スタッフが新しいので自分もよく知らない場所なので不安になったのだと思います。さて、どうしたものでしょうか。早くとか遅くとか教えられるものでしょうか?「Qスタッフと一緒に歩けばご褒美があります」というご褒美制でうまくいくでしょうか?なんとなく、うまくいきそうな気がしません。うまくいったらまた報告します。