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小学校でいじめについて考える集会 新潟見附

小学校でいじめについて考える集会 新潟見附

11月08日【NHK】

いじめのない学校づくりにつなげようと、8日、見附市の小学校でいじめについて考える集会が開かれました。

見附市の今町小学校ではすべての児童が参加していじめについて考える集会を毎年開いていて、8日は全校児童およそ400人が参加しました。
集会では6年生が司会を務め、学校のいじめ防止の一環で、友達のよいところを書いたカードを校舎の階段の壁に貼る取り組みの意義について説明したほか、友達が嫌なことをされているのを見たときにはどうしたらいいかを児童らがその場で話し合っていました。

さらに、県がすすめる「いじめ見逃しゼロ県民運動」のサポーターである見附市出身のタレント、今井美穂さんが、自分の個性を大切にして自信を持つことの大切さなどを話していました。

文部科学省によりますと、昨年度、県内で認知されたいじめの件数は1万7千件あまりで、新型コロナウイルスにより学校が休みとなったりした結果、前の年度からおよそ3000件減りましたが、1000人あたりの認知件数は77.1件と、全国の都道府県で4番目に多くなっています。

6年生の女子児童は「集会ではどんなことがあってもいじめはダメだということを伝えたかったです。人を褒めてあげることでいじめはなくなると思います」と話していました。

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こういうストレートにいじめの撲滅を掲げた児童集会をしている様子をあまり聞きません。確かに学級など小さな単位で、いじめ事象のたびにホームルームなどで調査と反省を促すようなものは聞きますが、どうすればいじめがなくせるのかを低学年から高学年まで一堂に会して児童会で行うスタイルはベタ過ぎてやらないのかもしれません。

もちろん児童会の指導は教師の手が入っていますが、教員が言うから従うのではなく、学校ムーブメントとしてやろうという意気込みが感じられてかえって清々しいです。中野の小学校でのICTいじめの自殺も、旭川の中学のいじめが原因での凍死自死も、大人ばかりが右往左往して児童生徒の動きがまるで見えないのが気になります。

いじめは社会の問題であることを示すには、問題が起こってからではなく、子どもの知恵を集める前向きなムーブメントは有効だと思います。前向きな議論のある大集会は、マイナスの同調性を蹴散らすパワーを持っています。もちろん、児童や生徒のいじめ撲滅運動だけで事が解決するわけではないですが、事件が起こるたびに大人だけで立ち回って、当事者以外は関係がないのだという風潮を変えていく動きが大事だと思います。

 

障害者の性被害の訴え届くか 「罪の新設」議論、法制審で本格化

障害者の性被害の訴え届くか 「罪の新設」議論、法制審で本格化

2021/11/8 【西日本新聞】

性犯罪を適切に処罰するため、刑法の規定を見直すかどうかの法制審議会(法相の諮問機関)の議論が本格的に始まった。立場の弱さや不十分な判断能力に付け込まれて性被害に遭う知的障害者らを想定した「脆弱(ぜいじゃく)性や地位・関係性を利用した罪の新設」も論点となる。抵抗したり、被害を訴えたりすることが難しい上、訴えても「証言に一貫性がなく信用できない」などとされ、泣き寝入りしてきた障害者の声は届くのか。(玉置采也加)

「嫌って言いたくても怖くて言えなかった」「我慢しちゃった」。福岡県内の知的障害のある20代女性は言葉少なに振り返る。

同県久留米市の障害者施設に通っていた女性は2017年、所長だった40代男性からわいせつな行為を受けたと訴える。元所長側は当時、取材に対して「お互い好きだった結果」などと主張。女性が住む自治体は18年、元所長の行為を障害者虐待防止法に基づき性的虐待と認定。久留米市も障害者総合支援法などに基づき施設を調査、指導した。

一方、県警久留米署は昨年1月、強制わいせつ容疑で元所長を福岡地検久留米支部に書類送検したが、不起訴処分に。地検支部は「起訴に足る証拠がなかった」と説明した。

女性は同10月、元所長と施設運営法人に慰謝料を求め、福岡地裁久留米支部に提訴。現在も係争中だ。

女性の母親は「娘はずっと苦しんでいる」と話す。4年たっても女性は「男の人は怖い」と顔を曇らせ、元所長に似た男性を見かけた日は涙が止まらないという。

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家族らによると、女性の知的能力は小学校中学年程度。警察に事情を聴かれた際、一貫した説明をすることが難しかったとみられる。

久留米市の障害者施設関係者は、知的障害者が苦手なこととして、状況判断▽意思の伝達▽記憶の定着-などを挙げる。自覚しないまま性被害に遭う例もあるとし、女性のケースについて「知的能力は10歳前後なのに、検察は実年齢で判断した」と疑問視する。

法務省によると、18年度に「嫌疑不十分」で不起訴になった性犯罪で、被害者に障害があった事案は60件。内訳は、精神障害26人▽知的障害25人▽発達障害7人▽身体障害2人。「供述に看過しがたい変遷あり」など、証言の信用性が疑われた。

長崎総合科学大の柴田守准教授(被害者学)は「現行制度は犯罪が成り立つ構成要件として供述や証言を重要視しており、障害のある被害者の特性や、強い立場にある加害者側との関係性に配慮できていない」と指摘する。

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性犯罪に関する法制審の部会は10月下旬、初会合を開催。「施設職員と障害者」「教師・指導者と子ども」のように、優越的な地位や関係を利用した性行為を処罰する規定の必要性などを話し合う。

今年5月に報告書をまとめた法務省の検討会では「障害者が生活を依拠している人物からの行為は犯罪としてよい」「障害者虐待防止法の中で検討すべきだ」など意見は分かれている。

性犯罪などの捜査に詳しい元検察官の江藤靖典弁護士(福岡)は(1)判断能力や意思表示能力が十分でない人の場合、同意の有無や犯罪の成否の判断は難しい(2)障害者との性行為を一律に処罰すれば、障害者の性的自己決定権の制限につながりかねない-などの懸念を示す。その上で「法制審で多角的に知恵を出し合い、被害者が理不尽に泣き寝入りせずに済む法制度を実現してほしい」と求める。

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施設職員や学校教員がサービス利用者である子どもや女性に手を出すこと自身が社会モラルを逸しており、これに対する法制化に二の足を踏む方が常軌を逸しています。まずは支援したり指導したりする立場にある者との性的関係を禁止すれば問題は大きく解決の道に進むと思われます。もちろん、市民社会の中でこうした職権関係のない障害者の性被害は明らかになっておらず、メディアに報じられる事件は氷山の一角です。社会の中で障害者への性犯罪をあぶり出して断罪するのは、元検事が言うように難しいのかもしれませんが、まずは第一歩を踏み出すべきです。

職員や教員の場合は懲役刑以上の罪にするべきです。性犯罪が発覚しただけで彼らは社会的地位を失うのだから罰金刑までで良いという声もあります。しかし、現行の制度では未だに性犯罪をした職員や教員が年月を経てほとぼりが冷めれば再任用される可能性があるままです。法制化を押しとどめたのは、罪を償えば職業選択の自由があり人権の平等性を担保するという硬直化した憲法観です。性犯罪者には二度と子どもや女性と関わる職権を与えてはならないと思います。罪を反省し自分を客観視できたのなら、また同じ職に戻ろうなどとは普通は考えないものです。

起訴に足る証拠が当事者証言で曖昧な場合が多いというなら、裁判には代理者を立てることを認めればよいと思います。性犯罪や虐待事案専門の法曹関係者を代理者にすれば良いのではないでしょうか。被告人弁護士の追及に知的障害者が怯んで前言を変えてしまうのはむしろ当たり前のことです。法廷のような周囲の視線を全方位から感じる場所で堂々と被告の性犯罪を証言できるほうが不自然です。知的障害者の他の被害においても公判証言は困難と思われる場合が多いですが、特に性犯罪においては格別の配慮が新しい法律の中に組み込まれるべきだと思います。

新資格「子ども家庭福祉ソーシャルワーカー」案 専門家からは異論

新資格「子ども家庭福祉ソーシャルワーカー」案 専門家からは異論

2021年11月5日 【朝日新聞】

児童虐待による死亡事件が後を絶たないなか、子どもや家庭の支援に携わる人材の専門性を高めようと、厚生労働省は5日、新たな資格「子ども家庭福祉ソーシャルワーカー」の案を有識者らでつくる専門委員会に示した。ただ、国家資格の位置づけでないことなどから反対意見もあり、結論は先送りとなった。

政府は児童虐待への対応強化に向け、児童相談所で働く児童福祉司を2022年度までに2千人増やす計画だ。人数を増やすことと併せ、長年の課題になっているのが専門性の向上で、子どもや家庭福祉の分野で新しい資格をつくることが検討されてきた。

厚労省が示した案では、いずれも国家資格の「社会福祉士」か「精神保健福祉士」を持つ人が、児童虐待への対応や母子保健といった教育課程を終えれば、「子ども家庭福祉ソーシャルワーカー」に原則認定する。認定は民間団体が担う。当面の経過措置として、こうした分野で4年以上の実務経験がある人も、認定されるようにする。

この日の専門委は、新たな資格を国家資格にすることや、社会福祉士などの保有を条件としない独立型の資格とすることを求める委員もおり、紛糾。「国家資格ではないのに子どもに携わる専門職に必要な資格と法律上、本当に位置づけられるのか」という反対論の一方、今の国家資格へ上乗せする形は「採用する側の行政からは(何でもできる)オールマイティーの人材が期待されている」と賛成する声も上がった。資質向上には、短期間で異動する自治体の人事運用の見直しが必要とする意見もあった。

厚労省は来年の通常国会に関連する改正法案の提出をめざしており、年内にも結論をまとめたい考えだ。(久永隆一)

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児相で働く児童福祉司は「社会福祉士」か「精神保健福祉士」が任用されます。どちらも、「児童や家庭に対する支援と児童・家庭福祉制度(児童・家庭福祉論)」か、「現代の精神保健の課題と支援」でさらっと児童問題に触れるだけで、現代の児童問題を総合的に扱う知見を与えられているとは言えません。任用前の講習では「子ども虐待対応の基本」も1日講義を聞くくらいです。従って、厚労省が言うように専門性を持った職員が必要なのは言うまでもありません。争点になっている、国家資格か否かという問題は現状では大した問題ではないようにも感じます。それよりも、足しげく家庭訪問する職員を増やすことが、虐待の抑止には効果的だと思います。

児童問題は、家族に国家権力が介入して最悪の事態を予防する場合があります。親が子どもを養育するという親権を奪うわけですから、間違いがあってはなりませんが、この間の死亡事件を見ていると親権を奪うのに慎重になったというより、職員や上司がぐずぐずしていて素早く決断できなかったというケースばかりです。家庭内暴力があったなら過去の事でも警察に通報すればいいし、近隣住民が子どもの悲鳴を聞いたなら警察と一緒に自宅に踏み込むべきです。さらに、児童虐待のフットワークを悪くしているのは、都道府県管轄の児相と、市町行政の児童問題を扱う部署の連携がぎくしゃくしていることです。

市町行政の子ども家庭課等の虐待事案担当者は相談の窓口であり、児相に連絡する前捌きのようなことをしています。児相の職員ですら勤務5年で半数以上の職員が他部署に交代していきますが市町も同じようなものです。この職員同士で連携するのですから上手くいかない連携部門も当然出てきます。ケースで上手くいかない理由をお互いに擦り付け合う姿もあります。専門性の問題ではなくお互いの面子の問題だったりします。こうして考えてみると現場のリアル感と霞が関の会議には相当の隔たりを感じます。昨日もスクールカウンセラーが増えているのに不登校が減らない理由はカウンセラーの専門性の問題よりもそもそも学校内の連携ができない風通しの悪さではないかと書きましたが、こちらの専門性論議も同じように思います。

スクールカウンセラー配置3万件も不登校減少つながらず

スクールカウンセラー配置3万件も不登校減少つながらず

11/4(木) 【産経新聞】

さまざまな理由で学校に通えない小中学生をケアしようと学校を起点に子供や保護者の心理的なサポートを担う「スクールカウンセラー(SC)」の配置が全国の自治体で広がっている。一方で、令和2年度の不登校の児童生徒の数が19万6127人と過去最多となり、SCの増加が不登校の減少に必ずしもつながっていない。財務省も国の事業の改善点を探る調査でSCの資質向上の必要性を指摘するなど、SCの制度自体の改善を求める声も上がる。

文部科学省は平成7年度からSCの配置を始め、その職務を「不登校や、いじめなどの問題行動の未然防止、早期発見および対応」などとした。配置件数はほぼ毎年増え、令和2年度に計画された配置は3万件超。一方、同省の調査では不登校の小中学生は平成24年度から毎年増え続けている。

不登校増加の背景には、無理をして登校しないことも選択肢の一つと捉える社会認識の変化もある。だが、いじめの認知件数も25年度から令和元年度まで毎年増加。2年度は減少したが、新型コロナウイルスによる休校などが要因とみられ、SCの配置の成果に疑問符がつく状況にある。

文科省は「個別に見れば、SCのサポートで不登校から学校に復帰した例もある」と評価。一方で、ほとんどの自治体では1校あたりのSCの勤務日が週1日以下のためきめ細かな対応が難しいとし、SCの人数や勤務日数を増やしたい考えだ。

だが、SCが常駐して常に子供たちを見守り、保護者にアドバイスできる環境があれば不登校の防止につながるとはかぎらない。全国で唯一、SCを全市立中学に常駐させる名古屋市では、段階的にSCの常駐配置を始めた26年度から、不登校の生徒が毎年増え続けているのが実情だ。

財務省では毎年、各省の事業から計数十件を選んで有効性や効率性を調べる「予算執行調査」を実施しており、今年度はSCが対象になった。この調査では自治体への聞き取りも行われ、多くの自治体が「SCの資質向上が課題だ」と回答。これを受け、財務省が9月に公表した調査結果では、文科省に対し、SCの配置効果を検証する際の基準を示して効果的・効率的な配置ができる仕組みを求めるともに、「現在配置されているSCの資質の向上が最重要事項」と指摘した。

■専門資格の創設 検討が必要

なぜ、スクールカウンセラー(SC)を頼れる環境があっても、安心して学校に通い続けられる子供が増えないのか。元中央教育審議会副会長の梶田叡一氏(心理学・教育研究)は「SCという固有の資格の創設を検討する必要もある」と指摘する。

SCに特化した国家資格はないが、臨床心理士の資格を持っているケースが多い。一方で、梶田氏は「臨床心理士とSCとでは必要な技能が異なるということが理解されていない」と話す。

臨床心理士が医療機関などで担うカウンセリングでは、相談者の話を傾聴してアドバイスはしないのが一般的。一方で文部科学省はSCに対し、児童生徒にカウンセリングを行い、保護者に問題解決に向けた助言をするよう求めているが、話を聞くだけで助言しないSCが目立つという。

2年前の夏、当時中学1年だった長女(14)が体調不良を訴えて学校に行かなくなった愛知県の女性(53)は、SCと半年間、週1回の面談を続けた。だがSCは毎回、「本人が登校する気になるのを待つしかない」と繰り返すだけで、「何をして待てばいいのかも分からなかった」と振り返る。

焦った女性は、再登校を支援する民間の専門家を頼った。そこでは学習のつまずきが原因と判断され、長女は算数の復習や生活リズムの改善などに取り組み、3学期から学校に通えるようになった。今も明るい様子で登校しているという。

30年以上にわたり不登校の児童生徒の復帰を支援する明治学院大の小野昌彦教授(教育臨床心理学)は「SCの人数は増えたが、専門性の低い人も多い」と感じている。保護者がSCを頼り、面談を重ねても具体的な分析やアドバイスもなく、やがて子供が完全な不登校になる-。そんなケースが後を絶たないという。

こうした状況の背景には、SCの養成体制の脆弱さがある。SCに特化した養成は行われておらず、各自治体が採用後に開く研修会は講演会などが多いため、実践的な指導法を学ぶのは難しいのが現状だ。梶田氏は「SCになる前に大学などで履修する専門的なカリキュラムをつくることも必要ではないか」としている。(藤井沙織)

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スクールカウンセラー、先生以外の大人が学校で子どもの支援をするのは大事なことです。財務省はコストパフォーマンスをいうのでしょうが、スクールカウンセラーとは不登校予防人材では決してありません。親や友達、先生以外の人に聞いてもらえる環境が学校にあることが大事なのです。日本は先進国の中で教育予算の財政投資が最も少ない国です。そういう意味では、安上がりの学校経営をしてるのだから、不登校もいじめも虐待も減らなくて当たり前と言ってもいいかもしれません。

記事にある中学生の学力問題を民間で見つけて不登校が解決されたという事例は、学力問題を見落としたスクールカウンセラーの責任ではありません。学力問題は小学校時代からあったはずだし、それを見過ごしているのは担任をはじめ学校の責任です。彼女がLDかどうかは分かりませんが、どの学校にも特別支援教育コーディネーターを兼任ですが配置していますから、読み書きに躓きがあれば通級指導教室教員などチームで深刻なケースは扱っているというのが建前です。しかし、この機能がうまく働いている中学校は片手で数えられるほどしか知りません。

昔から、子どもの発達や学習障害のことを知らず、傾聴だけの臨床心理士がやってきてもそんなに効果は上がらないし、心理士が個人の秘密を守るということを機械的に優先するので、心理士から子どもの情報が支援チームに流れないという致命的な問題が言われ続けていました。一方で、心理士は学習内容や学級経営には首を突っ込まないでほしいという教員側の保守主義もあって、心理士を含めた支援チームが形成できないという課題を未だに抱えている学校は少なくありません。スクールカウンセラーはもっともっと必要です。学校の抱えている風通しの悪さを解決もせずに、スクールカウンセラーに不登校対策の責任を押し付けて人件費削減の理由にしないでほしいです。

危険な「放課後デイ」送迎サービス…障害児へのわいせつ行為横行

危険な「放課後デイ」送迎サービス・・・障害児へのわいせつ行為横行

2021/11/04 【読売新聞】

障害のある子供が利用する「放課後等デイサービス(放課後デイ)」で職員による子供へのわいせつ行為が相次いでおり、車での送迎中にわいせつ行為に及ぶ手口が横行していることがわかった。自力での通所が難しい障害児に欠かせない送迎サービスが、悪用されている形だ。

動画も撮影
読売新聞の全国調査では、放課後デイで2016~20年度に少なくとも職員25人が、39人の子供にわいせつ行為をした疑いのあることが明らかになっている。

「男の勤務態度は真面目だった。まさかそのような意図があったとは……」。9月上旬、取材に応じた関東地方の放課後デイ代表の男性(74)は、苦い表情で口を開いた。

数年前、男性が代表を務める施設で、40歳代の職員の男が知的障害のある女児らにわいせつな行為などをしたとして、強制わいせつ容疑などで逮捕された。

男は面接時、「子供に関する福祉の仕事をしたい」と熱意を語った。障害児施設での勤務経験もあり、人手不足から採用を決めた。だが、男は女児にばかり近づこうとし、子供と接しない業務へと配置換えをした。

ある日、男は送迎車に添乗員として勝手に乗り込み、運転席の後ろで女児の下半身に触れ、動画を撮影。帰宅した女児が両親に伝え、発覚した。男は、別の女児3人にもわいせつ行為をしていたとして、強制わいせつなどの罪で懲役7年の判決を受けた。代表の男性は「被害者には大変申し訳ない。二度と起きないよう徹底したい」と謝罪した。

犯行1年半
送迎サービスでは、同様の事案が各地で起きている。

静岡県内では19~20年、放課後デイに勤務していた元保育士の30歳代の男が、送迎中に知的障害などのある少女3人にわいせつな行為をし、その様子を動画で撮影。男は約1年半犯行を重ね、静岡地裁沼津支部は今年6月、男に懲役12年の判決を言い渡した。

19年にも、石川県内の放課後デイの職員の男が送迎中の車内で、当時7~11歳の障害がある女児6人にわいせつな行為を繰り返した。金沢地裁は昨年7月、「被害を訴えることが困難な女児の特性につけ込み、職員という立場を悪用した」などと指摘し、懲役7年の判決を言い渡した。

厚生労働省障害福祉課障害児・発達障害者支援室は「送迎中のわいせつ行為という手口は把握していなかった。あってはならず、遺憾だ。事業所には、わいせつ行為など虐待防止の職員への周知徹底を求めている」としている。

放課後デイ事業者でつくる「全国放課後連」の真崎 尭司たかし 事務局次長は「子供は被害を訴えにくく、障害があればなおさらだ。利用できる施設も限られ、泣き寝入りしているケースもあるだろう。放課後デイは、低賃金や新規参入しやすいといった構造的な問題もある。行政にはこうした問題の解決や新たな研修制度など対策を進めてほしい」と話している。

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利用者を顧客だと思っていないからできるのでしょう。見てやっている、世話をしてやっている、教えてやっている、教育や福祉の仕事で陥りがちな感覚です。子どもを顧客だと考えることは、公立だろうが民間だろうが同じです。「させてもらっている」というサービス感覚は子どもと接する職員に教えなければ身につくものではないです。「わいせつ事件」は職員全体にそうした感覚が薄い職場に多いのではないかと思います。

低賃金で人手不足とか利用施設が少ないとか、そういう問題ではないと思います。賃金も待遇も福祉職より良いにも関わらず、教員のわいせつ事件も後を絶たないのですから待遇の問題ではないと思います。わいせつ事件も虐待事件も職場規律の弱いところに多いように感じます。規律と言うと職場の管理が強くて働きにくいのではと勘違いする人がいますが、顧客である子どもに対してリスペクトするように職員教育がされていれば、子どもや保護者への向かい方は自ずと変わってきます。

子どもを大事にするというのは当たり前の事ですが、職場規律がないところは、子どもを大事にしない言動を抑止することができません。送迎の密室性の問題のように記事は書きますが、大事なことは事業者の顧客・子どもへの姿勢の問題だと思います。研修保障や賃金アップは大事な課題ですが、別の問題だと思います。

自閉症の息子へ 主演の加賀まりこさんの提案で監督が加えたシーン

自閉症の息子へ 主演の加賀まりこさんの提案で監督が加えたシーン

2021年11月2日 【朝日新聞】

自閉症の息子がいる母親が主人公の「梅切らぬバカ」が12日から全国公開されます。親子の絆を軸に、親子と近隣の人とのかかわりや、障害のある人たちが暮らすグループホームが抱える課題も描かれています。持病のてんかんを他の患者と語る「ぽつラジオ」も配信する和島香太郎監督(38)に、映画に込めた思いを聞きました。

ドキュメントでは描けなかった
――この映画を作ろうと思ったのはなぜですか。

数年前、自閉スペクトラム症の男性が主人公のドキュメンタリー映画の編集をしたことがありました。男性は親が残した家で、親族や福祉サービスの力を借りながら1人で暮らしていました。そうした交流は記録されている一方で、隣人には取材ができず、編集作業では映り込んでいた隣人を画面の外に出す作業をしました。

完成後、男性の置かれている状況や障害を、近隣の人にも理解してもらいたいという思いで映画を見てもらったが、「あなたたちは障害を肯定的に描きすぎていないか」という手紙が届きました。

長年にわたる男性の障害による予測のつかない言動で、近隣とは修復困難なあつれきが生まれていたんです。ドキュメンタリーでは描けなかったこの部分を、フィクションだったら表現できるのではないかと考えました。

――ご自身のてんかんも関係しているのでしょうか。

14歳でてんかんを発症しました。僕も含めて患者は、家族から「病気のことは誰にも言うなよ」と言われてきた人が多く、学校や勤務先で症状に悩んでも相談できる人が周りにいなくて、孤立してしまいがちです。病気のことをオープンにしながら社会とつながっていくためにどうしたらいいかを模索している人もいて、障害がある人が抱える課題と通じる部分だと感じています。

迷惑をかけることで、障害への理解広がることも
――脚本にあたって、どんなリサーチをしましたか。

自閉症など障害がある人の家族、地域でグループホームの建設に失敗した人たちに話を聞きました。どういうプロセスで進めて、どんな人に、なぜ反対されたのかを取材しました。

この映画では、一つ問題が起こることで、逆に理解が進むことがあるということを描きたかった。障害がある人にかかわる人から、「人に迷惑をかけることで存在が認められて、障害が理解されることがある」と言われて、そういうことも大切だと伝えたかったんです。

――母親の山田珠子役を演じる加賀まりこさんの「このまま共倒れになっちゃうのかね」というせりふが印象的です。

撮影の直前に、加賀さんと同年齢で、自閉症の息子を1人で育ててきた女性から話を聞きました。「このまま息子の住む場所が見つからなければ、一緒に死ぬしかないかもしれない」と打ち明けてくれました。いくら周りに支援者がいたとしても、当事者は困難な現実の中で生きていると感じました。

プレッシャーから救ってくれた加賀さんの存在
――加賀さんからの助言で生まれた場面があるそうですね。

珠子が、息子のちゅうさん(塚地武雅さん)を抱きしめて、「ありがとう」と言うシーンがあります。最初はこのシーンはなかったんですが、脚本を読んだ加賀さんから、「(息子に)『ありがとう』と言った方がいいよ」と言われたんです。

僕は、「珠子さん、そんなこと言うかな」と半信半疑でしたが、先ほどの自閉症の息子がいる女性からも、同じことを言われたんです。障害がある子を育てる人を、38歳の僕が描こうとしていること自体、かなりのプレッシャーなんですが、加賀さんの存在で救われるところがありました。

――地域で障害のある人が暮らす上で、課題と感じることはありますか。

障害者施設の建設・運営に反対する人たちが「子どもたちの安全を守る」と掲げることがあります。それは危害を恐れての本音でもあると思うが、子どもに偏見がなければ、大人の差別活動の口実に自分たちが利用されていると、子どもは感じると思うんです。

障害者への偏見を子どもに植え付けていくことにもなるし、将来、大人たちと同じように差別することも懸念される。教育の観点から、共生の可能性を模索してもいいんじゃないか。

子どもたちの安全を守るということを盾にしているのが、一番引っかかっている。僕が取材した町では、そういう大人に不信感を持った子どもがそのことを作文に書いて、注目されたということも聞きました。「梅切らぬバカ」に子どもが出てくるのは、そうした部分を伝えたいという思いも込めています。

ぽつぽつとてんかん語る「ぽつラジオ」
――ユーチューブやポッドキャストで、てんかん患者が出演する音声番組「ぽつラジオ」を2017年から続けています。

最初は、てんかんをテーマにしたドキュメンタリー映画を作りたいと思っていたんです。てんかんだと周囲に明かさずに働いている人たちの悩みをテーマに扱いたかった。でも、彼らにカメラを向けたら、「クローズ」ではなくなり、テーマと矛盾してしまう。顔は出せないけれど、伝えたいことは山ほどあるんです。匿名で出演してもらい、声で思いを伝えてもらえる手段として、「ぽつラジオ」を始めました。

以前は知り合いに出演を頼んでいましたが、最近は、ツイッターで知り合った人に依頼することが多いです。意外に思われるかもしれませんが、「日本てんかん協会」の存在を知らない患者さんもいるんです。子どもの頃から、誰にも言うなと育てられ、病気で人とつながることがありえないと思っているため、つながる機会が少ないんです。僕も、30歳を過ぎてから、主治医から「他の患者さんと話してみませんか」と言われました。

――映画監督の仕事をする上でも「ぽつラジオ」の存在は大きいですか。

大きいです。仕事場で発作を起こしたことをきっかけに、職場の理解を得られた人の話も「ぽつラジオ」で聞きました。でも、仕事を辞めるまで追い込まれたり、面接で落とされたりする人もいます。それでも模索して、タフに生きている人がいるのも事実で、「ここでだめでも、他のところで映画を撮れるんじゃないか」と思えるようになりました。

監督という仕事をしていく以上、発作のリスクを周囲と共有できないと、自分自身も不安なので、徐々に伝えていくようになりました。僕が発作を起こしたら現場が止まり、人件費などで負担を負わせてしまう。

今回の撮影前には、スタッフとてんかんのリスクを共有しました。すると、撮影場所の近くにホテルを取ってくれ、僕は自宅からではなく、ホテルから通うことで移動時間を短縮できました。睡眠時間を確保できれば、発作のリスクを減らせます。スタッフがきちんと対応をしてくれたことで、僕自身が、周囲の人がてんかんをどう見るかを決めつけて恐れていたことに気づかされました。

――映画を見る人たちへメッセージを。

映画の始まりと終わりで、ささやかな変化が起きていて、それがどういうものかを注目して欲しいです。小さな変化が積み重なっていくプロセスを見てもらえたら。(及川綾子)

映画「梅切らぬバカ」は12日から全国公開
占いをなりわいとする母親(加賀まりこ)が、きちょうめんで馬好きの息子「ちゅうさん」(ドランクドラゴン・塚地武雅)と閑静な住宅街で暮らす日常を描く。庭にある梅の木は伸び放題で、引っ越してきた隣家から苦情が届いていた。ちゅうさんは母親と離れてグループホームに入居することになったが、ホームは住民とのあつれきを抱えていた。ある日、ちゅうさんはホームを抜け出してしまう――。

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今回も、障害のある人と暮らす家族の物語です。前回はきょうだいの関係性でしたが、今回は親子の関係性です。ただ、塚地さんはドラマ「裸の大将」の山下清のイメージが強すぎて、シリアスなテーマではベタな感じになりはしないかと一抹の不安もあります。親亡き後の障害のある一人息子への片親でもある母親の思いがどう描かれるのか注目しています。前回掲載した、映画「僕とオトウト」では、兄が小さな時期から笑顔で蓋をして言えなかった怒りを父親に爆発させて、「オトウトを撮り続ける」事でカタルシスを得ていこうとする過程が描かれました。兄は親に思いをぶつけられますが親の場合となると考えさせられます。

また、福祉施設と住民との関係性で「近隣とは修復困難なあつれき」について監督の映画製作の経験から描かれるというのも重要な見どころだと思います。私たちが運営している事業所を近隣者はどう感じているのか、面と向かって口に出す人はいませんがマイナスの感情が必ずあるはずです。時折聞こえてくる子どもの奇声や大声、道端に派手に座り込む姿、職員より背の高い子どもが大人と手をつないで歩く姿、小さな子どもが遊ぶ公園で大きな人がブランコを思いっきり漕ぐ姿等を住民が見て思う事はたくさんあるはずです。これは、映画だからこそ描けるものがあるのだろうと思っています。

久々に、大スクリーンで上映される障害者をテーマにした映画ですから多くの方に見てほしいと思います。この映画は54年ぶりの主演となった加賀まりこさんと人気芸人・塚地武雅さんが親子役で共演する映画としても観たい映画です。また、監督・脚本を務めた和島香太郎監督が、2008年に「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」に参加し短編映画を製作後、2019年に実施されたndjc「90分程度の映画脚本開発」に『梅切らぬバカ』で応募し研修生に選ばれた経緯のある映画なので、文化庁のいわゆる監督育成事業の成果発表として観る価値もあると思います。

T・ジョイ京都(京都駅前)『梅切らぬバカ』 11/12公開

家庭でも学校でもない、疲弊する子どもに必要な「第3の居場所」とは

家庭でも学校でもない、疲弊する子どもに必要な「第3の居場所」とは

2021年10月28日 【京都新聞】

少子化が進む一方で、貧困や児童虐待、ヤングケアラーなど子どもを巡る問題が深刻化している。31日投開票の衆院選でも各党が子どもに関わる公約を打ち出している。そんな中、福祉の専門職として京都府内の小中学校で活動するスクールソーシャルワーカー(SSW)が学校現場から見た疲弊する子どもの実情を明かし、家庭や学校以外の「第3の居場所」の充実など、国全体で解決策を考えるべきだと訴えた。

「問題を抱える子どもは、家庭も社会から孤立している。子どもを助けるためには、家庭も含めた生活環境に働きかける支援が大切だ」。SSWの60代女性は実感を込めて語った。

女性は拠点の中学校で週2回勤務し、近隣の小中学校も年間に数日間だけ派遣される。社会福祉士の資格を持ち、貧困や児童虐待などの問題に「かじ取り役」として学校外の機関とも連携して対応する。例えば不登校の子どもで発達などの障害があると判断すれば、市役所の福祉部署を通じて放課後等デイサービスの利用や障害者手帳の取得などを促す。家庭の貧困が絡む場合は、子ども食堂や社会福祉協議会の学習支援につなげる。

子どもの問題は現代社会のひずみが影響している。「新型コロナウイルスの影響で親が自宅待機や在宅勤務になり、狭い家庭空間で一緒に過ごす時間が増えて虐待が起きるケースもあった。仕事を失ったひとり親から『他人に言いづらい内容のパート勤務となり就労証明書をもらいにくいため、子どもを学童に通わせられない』と悩みを聞いたこともあった」と明かした。

18歳未満で家族の介護や世話をするヤングケアラーの問題もあるといい、「ある中学生は親が弟を保育園に送迎しないため代わりに自宅で世話していた。別の中学生は、障害のある親の代わりに家族の食事を作っていた」と語った。スマートフォンも子どもの世界に影響し、「知らずに膨大な課金をしてしまったり、男女間トラブルに陥ったりすることもある」とした。

衆院選も終盤戦に差し掛かり、女性は「社会がひとつとなって子どものことを考える雰囲気を感じない。もっと子どもにお金をかけてほしい。学校の施設だってボロボロの所は多い」と各政党に求める。

SSWの課題も指摘する。女性が受ける相談事案は年間百件を超す。しかし、府教育委員会のSSWは68人のみで、全員が非常勤。府教委は全校カバーの態勢を2017年度に整えたとするが、常勤化にはほど遠く、女性は「それぞれの問題にじっくりと対応できない」と嘆く。

また、家庭や学校の環境が厳しい子どもにとって、異年齢の子や多様な世界を見せてくれる大人と出会える第3の居場所の存在は大きいとし、「子ども食堂に行くように勧めても断られることもある。例えば、児童相談所に民間と連携した居場所を設けられないか。子どものショートステイや家庭へのヘルパー派遣の拡充など、日常的な受け皿が増えてほしい」と求めた。

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放デイを居場所にしている子どもは少なくありません。学童保育だと子どもが多すぎてゆっくり話を聞いてもらう事もできず、中学年以降は大人が決めたルールに縛られることを嫌がって行こうとしなくなります。放デイなら、自分の特性も見抜いて接してくれる職員や、同じような傾向のある仲間がいて、安心して生活ができるのかもしれません。今大事なことは、子どもの周りに理解者である大人の人垣をどう構築するかという事です。

昔は、隣近所の大人が気にかけてくれたものですが、そんな地域はとっくの昔に消滅してしまいました。今地域での子どもの関りと言えば小中学校と福祉サービスくらいしかありません。福祉サービスの関係者が子どもの人垣となるなら、あまり杓子定規に基準を決めてしまわず、ゆとりを持たせて受け止めたいものです。子どもの理解者を家族以外に作るためには「子ども食堂」等の篤志家の登場を待っていても仕方がありません。今あるサービスを人垣にしていく地域毎の福祉デザインこそが求められているのだろうと思います。

「なぜ勉強できないの?」 学校を追われたアフガン少女たち

「なぜ勉強できないの?」 学校を追われたアフガン少女たち

2021年10月26日【カブールAFP=時事】

アフガニスタンのアメナさん(16)は、通っていた女子高校が今年5月、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の爆弾攻撃を受け、同級生数十人の死を目の当たりにした。それでも教育を受け続ける覚悟だった。

ところが、中等教育を受けているほとんどの女子と同様、アメナさんは今、授業からまったく締め出されている。アフガニスタンで政権を奪還したイスラム主義組織「タリバン」は9月に学校再開を命じたが、女子生徒は除外された。

「勉強したいし、友達に会いたいし、明るい未来がほしいです。でも今はそれができません」。首都カブール西部にある自宅でアメナさんはAFPに語った。「最悪の状況です。タリバンが来てから、とても悲しいし、怒っています」

国連児童基金(ユニセフ)の幹部が15日に語ったところによると、タリバン暫定政権の教育相は同機関に対し、すべての女子生徒が中等教育を受けられるようにする枠組みを近く発表すると述べたという。だが今のところ首都カブールを含むアフガン全土で、女子生徒の大部分は授業を受けられていない。

一方、小学校はすべての子どもに対して再開した。また私立大学には女子も通うことができるが、服装や行動について厳しい制限が課せられている。

■「希望がない」
アメナさんはジャーナリストになることを夢見ていたが、今では「アフガニスタンに希望はない」という。

家ではきょうだいに勉強を助けてもらっている。学校襲撃で心に傷を負った妹はカウンセリングを受けている。アメナさんは時折、このカウンセラーからも勉強を教わっている。
「兄弟が本を家に持ってくるので、それを読んでいます」と語る。「それから、いつもニュースを見ています」

なぜ男子だけが勉強することができて、女子には許されないのか、理解できないとアメナさんは訴える。「社会の半分は女子で、残りの半分が男子。なんの違いもありません」
「なぜ私たちは勉強できないのでしょうか? 私たちは社会の一員じゃないのでしょうか? なぜ男子だけに将来があるのでしょうか?」

■消えた夢
米軍主導の多国籍軍が旧タリバン政権を追放したのは、2001年。それから何年もたって生まれたザイナブさん(仮名、12)は、タリバンの5年におよぶ圧政の記憶もなく、学校通いを楽しんでいた。それも復権したタリバンの命令が出るまでだった。

先月、男子だけが学校に戻る様子を窓から見てがく然とし、「恐ろしい気持ち」になったという。「毎日、どんどん悪くなっています」とザイナブさん。身の安全のために本名は伏せて取材に応じた。

姉のマラレーさん(仮名、16)は涙ながらに「絶望と恐怖」を感じていると明かした。今は掃除や皿洗い、洗濯など家事を手伝って過ごしている。母親の前では涙をみせないようにしている。「母はたくさんのプレッシャーを背負っていますから」と説明した。

マラレーさんは女性の権利を向上させ、彼女の権利を奪う男性たちを説き伏せることを夢見ていた。「学校、そして大学に行くのは私の権利です」とマラレーさん。「私の夢や計画はすべて、消えてしまいました」

【翻訳編集AFPBBNews】
〔AFP=時事〕

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アフガニスタンの女子への差別は、以前(タリバンは女性の権利守るのか、アフガンに渦巻く疑心暗鬼: 08/19)でも書きました。タリバントップの約束と違うのは、タリバンが嘘をついているというよりも、その程度の統率力しかないということでしょう。ややこしいのは、アメリカが撤退したことでISも息を吹き返し、首都でのテロを繰り返してタリバン政権の脆弱さをあぶりだすのに一役買っており、それが更に政権トップの求心力を失わせるという悪循環に陥っているということです。

2001年以前のアフガンの多くの女子はマラレーさんのように考える事は少なかったかもしれません。しかし、今は20年間続いた男女同権の蓄積があります。今更、男女同権の思想をなかったことにするのは不可能です。もちろん、体制批判についての表現や思想信条の自由については、中国共産党政権によって弾圧が続いていますし、ロシアでは暗殺の恐怖を感じながら報道の自由を守ろうとしているノーベル平和賞のドミトリー・ムラトフ氏らの戦いもあります。

それでも、どんなに弾圧されても、必ず自由は勝利すると歴史は教えています。自由主義社会はアフガンの行方をずっと見ています。がんばれアフガン女子!

放課後デイサービスは2類型へ厚労省方針

障害児が通う放課後デイサービスは2類型へ厚労省方針

10/26(火) 【福祉新聞】

厚生労働省は10月13日、学齢期の障害児が通う放課後等デイサービスについて、2類型に分ける方針を固めた。現行の運営指針にある創作活動など四つの活動をすべて行う「総合支援型」と、理学療法など専門性の高い支援を提供する「特定プログラム特化型」の二つに整理する。それぞれの機能を明確にすることで、支援内容のバラツキを是正する。

同日の障害児通所支援の在り方に関する検討会(座長=柏女霊峰・淑徳大教授)に報告書案を示し、大筋で了承された。今後、関連する法律や障害報酬に反映する。

親の就労を支えることも重視し、支援時間の長短も報酬上の評価に反映する。学習塾やピアノ教室のような事業所は、障害特性を踏まえた支援になっていないと判断された場合、給付の対象外とする。

放課後デイは6歳から18歳までの学齢期にある障害児が通う事業所。現在は年齢に応じてどのようなサービスを提供するかは事業所に委ねられ、その内容のバラツキがかねて問題視されていた。

インクルージョン(包摂・参加)の観点から、障害児以外の子どもと過ごす時間を増やすことも促す。通う場所を放課後デイから学童保育に移したり、それに向けて併行利用したりすることは現在も行われているが、実績は多くない。

今後、それを増やすため標準的な手法を確立し、障害報酬でも適切に評価する。

都道府県による事業所指定の拒否(総量規制)については、住民の身近な生活圏域ごとのニーズと供給量をみて判断する仕組みに改める。

未就学児が通う児童発達支援事業所についても放課後デイと同様の考え方で2類型に分け、保育所との併行通園なども促す。総量規制の仕組みも同様に改める。

2020年度は放課後デイの事業所数が月平均で1万5408カ所、児童発達支援の事業所数が同様に7722カ所。12年以降急増し、障害福祉全体の給付費増大の要因とみられている。

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雨後の筍のように増えている放デイにも、淘汰の時期がやってきたようです。看板で発達障害に対応と打ち出していても、フォーマルアセスメントもできない放デイは学習塾と見なされ、給付の対象から外されていくのでしょう。逆に言えば専門的な支援をしている事業所は淘汰された事業所の子どもが流れ込んでくる情勢とも言えます。ただ、学習塾の「ような」事業所は切っていくという理解を地方行政がした時に、学習障害の捉え方が気になるところです。

この掲示板に何度か書きましたが、発達障害の一つに学習障害があるのに、学習とついているので学習のケアは学校教育の管轄だと誤解している行政関係者が結構いるように感じます。その結果、相談事業所の職員までもが行政の誤解に右慣れしてしまう傾向があるのではないかと危惧しています。学習障害は生まれつきの脳機能の障害で、親の育て方や本人の性格の問題から生じるものではありません。身体が動かないように、目が見えないように、耳が聞こえないように、文字や文が流暢に認識できなかったり出力できなかったりするのが発達性ディスレクシアを中心とする学習障害なのです。

学校や家庭で通常児の学習方法で学ばせようとしても、学習成果があがらないのに、それは家庭か学校でやれば良いというのは全く違います。まず、知的な遅れがないかどうか知能検査をして、知的な遅れがなければ次は読み書きの検査をして発達性ディスレクシアの傾向が認められた上で支援が始まります。

ところが、発達障害に対応しますと大きな看板を上げながらも、中に入ると売っているものが何もないような事業所もあるのです。検査によるエビデンスもなく、コグトレ(認知力を高めると言われる訓練:人によって違います)のプリントをさせて支援をしていますというのはまだ良い方で、従来のやり方で宿題に付き合ったり、ICT支援をしますと言いながらタブレットの学習ソフトを使わせるだけに終わっているところが散見されます。

一方で、地域には発達障害に対応している学習塾もあり、臨床心理士による発達検査(1~2万円)を行ってから支援計画を立て、週1回個別指導60分5千円を相場にして入会金も含めると年間30万近い授業料が相場です。対して放デイの保護者負担は1割負担の方がほとんどですから先の学習塾と同じ利用時間でも年間8万円ほどです。しかし、事業所への収入は40万円ほどになります。つまり同じように支援している学習塾よりも収益は高いのです。放デイの方が収益が多いからと適切な支援もせずに胡坐をかいている事業者を淘汰しようというのは良いことですが、真面目にやっている学習障害対応の放デイまでが駆逐されたのでは、角を矯めて牛を殺すことになります。

人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」

人ごとではない介護や老後 映画「僕とオトウト」

2021年10月21日【大阪日日新聞】

重度の知的障害を持つ弟とどう向き合うのか?重いテーマながら爽やかな映画に出会った。第40回「地方の時代」映像祭優秀賞受賞作「僕とオトウト」(制作・元町プロダクション、配給宣伝・「僕とオトウト」上映委員会)。京都大学の大学院生である髙木佑透(ゆうと)さん(25)が、弟の壮真君と自分の今後を考える為(ため)、家族を撮影し、監督したドキュメンタリーである。

髙木監督は2016年の相模原障害者施設殺傷事件以来、障害について考え続け、今は発達心理学と障害学を専攻し“障害者のリアルに迫る京大ゼミ”も運営している。

「障害って何やろう?両親がいなくなれば、僕が弟と同居するべきなんやろか?と悩み、自分の心や弟の状況を見つめようと、初めて映画を作りました」

何をどう撮るのか?迷い続けて「気合と覚悟で完成させた」と言う「僕とオトウト」。壮真君を巡る髙木ファミリーの生活が飾り気なく映し出される。農園での就労面接に行く。収穫の合間につまみ食いしてしまう弟。見守る兄の髙木監督が謝る。しかし弟は、売り物にならない傷ついた果実のみを食べていた事も判明する。路上で、多動の壮真君の保護に懸命な母に、ほんの小さな桜のつぼみを見つけた壮真君が教えたこともある。

日常は波乱に富む。以前、壮真君の行動により自宅が火事になり、自宅ドアに全て鍵を付けた。本作撮影中に再び騒動が起こる。半端ない緊張感。観客の私もハラハラする。

映像作品は編集により変化するが、ドキュメンタリーは特に編集の影響が大きい。髙木監督はパソコンで編集し、映像に磨きをかけた。監督と父の対話バトルシーンがある。“これまで何も話してくれなかった”と激しく迫る監督。しかし父の反応を映像は見せない。父の顔の代わりに、実家のある高松と神戸を結ぶフェリー上で撮った瀬戸内海のさざ波や、美しい夕景のカットへと繋(つな)ぎ、父子の葛藤について観客の想像力をかきたてる。

監督は長年、写真に力を入れ、音楽CDのジャケット写真を依頼され撮ったこともある。ドキュメンタリーにも意欲を燃やし、本作の池谷薫プロデューサー(「延安の娘」「蟻(あり)の兵隊」などのドキュメンタリーの監督)が開講した池谷薫ドキュメンタリー塾にも通い、研鑽(けんさん)を積んだ。本作で監督は池谷さんに綿密で厳しい指導を受けた。

自分と母が撮影した家族の映像を繰り返し見て、「多くの発見があった」と監督は言う。「弟に接する時、僕はいつも笑顔なんです。弟が何かしでかしても笑顔。険しい雰囲気を回避はできますが、根本的な解決にはならない。笑顔で全てに蓋(ふた)をして来たことに気付きました」。障害があっても全て受け身ではない。壮真君も撮られっ放しではなく、ガツンと意思表示するラストシーンが、本作の華である。

人と人の距離が神経質に問われる今、本作を観(み)ながら私は“誰とどんな距離で生きて行く?”と自問した。コロナ、介護、老後-。この映画は他人事(ひとごと)ではない。私やあなたの映画でもある。

上映は22日から京都みなみ会館、30日から元町映画館(神戸)、11月6日からシネ・ヌーヴォ(大阪)。オンラインでのトークイベントも開催予定。

問い合わせは、bokutootouto@gmail.comまでメールで。

(パーソナリティー西川敦子)
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笑顔で蓋をすること、とても重い言葉です。世間一般の障害者や弱者への考え方と、家族のスタンスは違って当たり前です。自分で選んだわけではない家族の絆で結ばれていた時、逃げ出しようのない運命とどう向き合うのか、高齢者のいる家族や障害のある「きょうだい」の問題は古くて新しい課題です。昨日掲載した強度行動障害のある息子のいる家族の話も深刻ではあるけど質的には同じです。

前回紹介した、ドラマ『恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~』の第2話の内容も視覚障害の妹と晴眼者の姉の葛藤でした。妹を思いやる姉の立場と、自立したい妹の立場が交互に描かれていました。妹がお気に入りのブティックで、店員にサポートをお願いして気に入ったドレスを買う姿を、姉がそれをそっと店の外から見ていて、姉妹だけで支えるのではなく社会も支えてくれるという姉妹の気づきを描いていました。

京都みなみ会館は、昔は床が傾いていてとても座りにくい座席だったのですが、2年前に道路を隔てた前に移転リニューアルされて素敵な映画館になったと聞きます。機会があれば行きたかったので、ぜひこの映画で「封切」したいと思います。10/22~10/28は上映後、連日監督の舞台挨拶があるようです。

息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず

息子が強度行動障害、在宅で介助「もう無理」 入所先見つからず・・・疲弊する両親

2021年10月21日 【福井新聞】

自傷行為や暴れるといった「強度行動障害」のある人は、全国に少なくとも2万5千人いると言われる。重度になると常に介助が必要だが、施設側は人手不足に加え、他の利用者や職員の安全確保の面で入所を断らざるを得ないケースもある。入所先が見つからず、在宅で息子の見守りを続ける福井県福井市の夫婦は「24時間気が休まらず、普通の生活も困難になってきた。家で支えるのはもう無理」と悲鳴を上げる。

50代の夫婦の次男(23)は2歳で広汎性発達障害(自閉症)と診断された。特別支援学校小学部6年の頃から強度行動障害の兆候が現れ始めたが、在学中は比較的安定していた。高等部を卒業後、建物から飛び降りたり、電卓を投げつけたりする重度の症状が見られるようになった。家の部屋の窓ガラスを割ってしまうため、アルミ板に交換した。

次男は、障害者総合支援法に基づく支援の度合いが最も重い「6」。現在は週1回のショートステイと週4回の通所で、二つの施設を利用している。夜間は訪問ヘルパーが介助に当たる。夫婦は「環境の変化に敏感なので、1日の生活リズムが決まっているのが理想」と、施設への入所を切望している。

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福井県によると、夜間も排せつや食事を介助する指定障害者支援施設は県内に26カ所ある。昨年9月時点で、このうち17カ所に強度行動障害のある人が計408人入所しているが、次男のような重度の人数までは把握していないという。

知的障害者ら40人が入所する勝山市の障害者支援施設「九頭竜ワークショップいずみの郷」は一昨年、重度の男性1人を初めて受け入れた。3、4人で交代しながらマンツーマンで24時間介助する。担当職員は「行為の理由が分からない時もあり、意思疎通が難しい」と話す。

同施設は常に満員状態だ。男性と同時期に入所を希望した強度行動障害の女性もいたが、日中の通所で対応している。担当者は「重度の人をもっと受け入れようとすると、設備を整えなければならない。お金も人もまだまだ必要」と苦しい胸の内を明かす。

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国や自治体は「入所施設から地域へ」とうたい、生活介護や自立訓練などの福祉支援サービスを活用し、障害者の地域生活移行を推進している。それは、夫婦には遠い世界に見える。

「自分たちが死んだら、息子はどうなるのか。行政には現実を知ってもらいたい」。介護疲れから夫は十数年間、心療内科に通う。今年5月に症状が悪化し現在は休職中だ。「息子が喜んで、安心して暮らせる場所が社会にあってほしい」と願っている。

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動画を見ているだけでは、修羅場の時の様子はわからないです。でも、表出のコミュニケーションは弱い感じがします。成人にしては人との距離が近いですが、豹変して暴れだすことを気にされているのでしょう。そして、この家族はSOSを出しているのですから、入所施設が必要です。「入所施設から地域へ」というのはノーマラーゼーション社会には必要なことですが、家族の犠牲の上に成り立つものではありません。

しかし、国の政策は入所施設を経営するより通所施設を経営したほうが利用料がたくさんとれるように変わってきています。その結果、本当に必要な人が利用できず、入所する必要のない人が入所している傾向がさらに強まっているような気がします。行動障害が激しくなったり両親が老いて養育ができない理由で入所施設を待つ家族は全国でどれくらいおられるのでしょうか。

誰かのせいにしてもしかたがありませんが、23年間、早期療育から学校教育、児童通所事業、障害児医療と公的にかかわってきた結果でもあるわけですから、家族だけに責任を負わすのは筋違いだと思います。以前にも書きましたが、「入所施設の職員は、学校に足を向けて寝たらいけない。施設職員の仕事があるのは学校のおかげ」と皮肉を言った強度行動障害施設の施設長の言葉を忘れてはいけないのです。

行動障害があるのは家族の責任ではありません。ノーマライゼーション施策が、本人が成人しているのに親と暮らす事は不自然だというならわかります。ノーマライゼーションと言うなら独立させて、24時間の支援が保障されなければなりません。それが実現しないうちは、家族が望むなら入所施設で支援されるのが当たり前だと思います。自分たちの息子だからと自分に言い聞かせている様子を見ると、どこが世界第3位のGDP国なのかと情けなくなります。

高校生向けインターンシップ 社会の課題気付く場に

高校生向けインターンシップ 社会の課題気付く場に

2021年10月20日 【中日新聞】

高校生を対象としたインターンシップ(就業体験)が変わりつつある。単に就職したい分野での職業体験というよりも、社会の課題を知り、長期的な視野でキャリアを描くきっかけや、目的意識を高める場になってきている。背景にあるのは社会情勢の変化の速さ。今、高校生に求められる職業観とは。(白井春菜)

新時代の「職業観」養う
愛知県立横須賀高校一年の広瀬玄太さん(16)、安藤優翼(ゆうすけ)さん(16)の二人は八月、自転車でのまちづくりを進める名古屋市の一般社団法人「サイクルライフマネジメント」のインターンシップに参加した。伊藤透代表理事(32)が語る「皆が安全に道路を共有できる社会をつくりたい」との団体設立の思いに耳を傾け、外を走る際は常に周りに気を配り、変速時は手元のレバーではなく前方を見るなど自転車の安全な乗り方も教わった。その後、実際に自転車で名古屋市内を二時間ほど走り、自転車専用レーンや信号機の設置状況などを確かめた。

二人とも大学進学を希望。広瀬さんはまちづくりなどに関心があり、社会の課題を事業で解決する「社会起業家」の話を聞きたくて応募した。「起業した人は身近にいないし、将来は入った会社のために働くイメージが強かった。社会のために働く選択肢もあると気付けた」安藤さんはものづくりと、これからの働き方に興味があった。「二年から文系、理系にクラスが分かれる。その前に進路を考える機会になった」

同校の一年生有志十四人が参加したインターンシップは、事前学習と就業体験、振り返り学習で計三日間のプログラム。県が二〇一二年度から実施する事業の一環で、委託を受けたキャリア支援団体が学校と事業所を橋渡しする。生徒の関心がある分野を考慮し、受け入れ先は在日外国人向けメディア、発達障害児のデイサービス、有機栽培農家など愛知、岐阜両県の六事業所。多文化共生や環境問題などの解決に向け起業した若手経営者ばかりだ。

来年四月からの新学習指導要領では、「公共」に、インターンシップでどのように職業観が変わったかなどを振り返る活動の必要性と、職業選択の前に経験を積み、適性を知る大切さが示されている。同校のキャリア教育担当教諭は「社会貢献と利益追求の両立を目指す若い経営者は、新しい視点として生徒の刺激になる。しかし学校だけでは受け入れ先とのネットワークに限りがある」と実情を語る。

今回、調整を担当したコーディネーターの荒井直人さん(50)は「高校生向けインターンシップは近年、職業選択のためだけでなく、社会課題を意識する機会としての役割も重視されるようになった」と指摘する。「時代の変化で今ある仕事がなくなっていき、自ら課題を見つけて仕事をつくり出す力が求められる。社会課題と向き合う先輩たちの姿はヒントになる」と話す。

名古屋23日体験者が報告
高校生向けにインターンシップのプログラムを提供するキャリア支援団体「アスバシ」(名古屋市)は、本年度の報告会を23日午後1時半から、同市北区の愛知学院大名城公園キャンパスで開く。

プログラムに参加した生徒有志が座談会などをする予定で、高校生や学校関係者が体験者の声を聞く絶好の機会だ。例えば、建設会社で体験した女子生徒は、建設現場で働く女性の少なさを目の当たりにし、志望する業界を女性も働きやすい環境に「変えていかなければ」との思いを強くしたという。

アスバシでこのプログラムを統括する鈴木友喬(ゆたか)さん(19)によると、新型コロナ下、本年度はできるだけ現場に行けるよう感染状況に応じて時期を調整し、事前、事後学習はオンラインを併用した。「体験した生徒からは、前向きな意味で『思っていたのと違った』という声が多数届いた。進路選択の前にさまざまな大人と出会うことで選択肢が増える」と、インターンシップに参加する意義を強調した。

報告会は参加無料。専用フォームから事前申し込みが必要。
https://asubashi.org/vision/

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高校生からのインターンシップのねらいは、何のために大学行くのかを問い直すいいきっかけです。先日、就職面接に来た福祉系の学生さんの話ですが、「教師になりたいが、採用試験に合格するまでの間、放デイで働かせてほしい」とのことでした。「教師になりたいなら、講師の道があるからここで働くよりキャリアが積めて有利だよ」とお断りしました。本音がそうであっても、面接で言うべきことではないという事を置いといても、単に安定した収入を得るのではなく、働いて自分を活かすというキャリア観がまるでないなと感じました。

確かに、大学を卒業するまで目の当たりにするのは学校の教師しかありませんから、教師になりたいというのは自然です。しかし、ではそれまで自分が専攻してきた大学の中身は何だったのでしょう。もちろん、教師になりたいからと教育系の出身大学ばかりの教員では子どもも息が詰まってしまいますから、様々な専攻をした学生が教員を目指すことに異論はありません。ただ、採用試験に通るまでは放デイで働くという感覚が分からないのです。教員へのキャリアを積み上げていきたいならここじゃないよねと思うからです。

高校生のインターンシップは、そういう意味で、自分のやりたいことを見つけたり、実際にやってみて想像と違ったりするギャップを修正したりする意味で大事だなと感じます。本当に大学に行く意味があるのかどうかも含めて、中学・高校の時代に様々な就労体験をしたり考える機会を与えていくことは大事だと思います。その一方で、人生100年の時代にそんなに慌てて就労先を選ばなくても色々躓いたり考えたりすればいいのではないかと言う考え方もあります。

これは大学時代はモラトリアムでもかまわない、30歳くらいまではあれこれ転職するのも人生の幅を広げるという団塊世代の経験談を語る人もいます。団塊の世代の若者の時代は日本は高度成長期で何をしても暮らしていける時代で、給与もどんどん上がっていた時代です。少子化の日本は今後、超人手不足時代を迎え、売り手市場になるのは間違いないです。今よりはどんな職にも就きやすくはなると思います。そういう意味では慌てなくてもいいというのは一理あるかもしれません。

けれども、だからこそ、自分を活かす職業を高校生から探し始めるという攻めの姿勢は大事にしていいと思います。大卒で自分探しだとニートを続けている人を目にしてもったいないなぁと思う事もあります。モラトリアムが長ければいいと言うものでもないように思います。選択することはパワーのいる作業なので、個人差はあるけど選択する時期と言うものがあると思います。

放課後デイ11事業所で過大請求

放課後デイ11事業所で過大請求=定員超過、6年で1億円―検査院

2021/10/18 【時事通信】

障害を持つ児童生徒が通う「放課後等デイサービス」などのうち、6道県と2政令市の11事業所が、定員を超過して受け入れたにもかかわらず、給付費を過大請求していたことが18日、会計検査院の調査で分かった。過大請求額は6年間で1億円を超え、検査院は厚生労働省に是正を求めた。

放課後デイや就学前の子どもを対象とした児童発達支援を行う事業者に対し、厚労省は定員を超過した場合、市町村に請求する給付費を70%に減額するよう求めている。過度な受け入れを未然に防ぐのが目的で、国の負担は2分の1。

利用者の多い474事業所を検査院が調べたところ、8事業者が運営する11事業所が、減額せずに請求し、総額は2014~19年度で計1億1589万円に上ることが判明した。事業者側が減額制度を知らなかったり、誤って理解したりしていたという。検査院は厚労省に対し、過大請求分を返還させた上で、減額制度を周知徹底するよう求めた。

厚労省によると、ニーズの高まりを受け、放課後デイや児童発達支援の事業所は年々増加している。一方で、給付費の不正請求などを理由に指定取り消しの行政処分を受けるケースもある。
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この記事を読めば、また放デイの不正があり、感染症対策の不正請求と同じように税金を食い物にする事業所への怒りが湧いてくると思います。ただ、厚労省関係のたくさんある会計検査の中で、放デイが狙い撃ちされている感もします。この間、不正の目立つ放デイ事業者に対して一罰百戒の効果を狙ったのではないかとも思えます。

例えば、すてっぷの例で考えると、定員が10名ですから15名を超えるとその日の全員の利用料を3割で減算請求、または、過去3か月の利用者の1日平均が13人を超えても当月は3割減の請求となります。これを過去6年間、行政指導で是正を求める事もなく事業所だけに責任を擦り付けるのは無理があるように思います。おそらく、地域に事業所が少なく、やむを得ず定員を超えて利用させたという事例もあるのではないかと推測します。つまり、あくまで善意で定員越えについて市町行政の暗黙の了解事例もあると思うのです。

ちなみに、新型コロナ禍の厚労省の通達には休校などのイレギュラーがあって、保護者負担を減らすために、定員を超えた利用者を受入れざるを得ない場合は減算しなくてもいいという通達が出ています。すてっぷの利用者の学校でも少なくない学校が感染予防で休校になったりして、保護者が休まざるを得ない状況が続きました。この月曜日は先の土曜日の運動会の学校代休という事もあり15名を超えて利用者を預かっています。普段なら振替をお断りするのですが、感染休校が続き予防のために放デイを利用できなかった利用者支援と保護者負担を和らげるための配慮です。

今回は、通達があるので請求は認められると思います。このように、利用者超過の原因は様々な地域や家庭の状況があり、市町行政がそれを知らないわけがないので、霞が関の机上の理屈だけで不正があったとリークしたのだろうなと想像します。会計検査は5つの観点で検査します。正確性や合規性だけでなく有効性や効率性も考えて総合的に判断してほしいと思います。地域の事を正確に把握して行政を適正かつ柔軟にコントロールする政治家を選ぶことが大事だと思います。

 

授業もテストもなし 映画「屋根の上に吹く風は」 問う学びの形

授業もテストもなし 映画「屋根の上に吹く風は」 問う学びの形

2021/10/17 【毎日新聞】

鳥取県智頭町の山あいにある「新田サドベリースクール」は、授業やテストのない異色の「学校」だ。そこへ集う児童・生徒らの日々を記録した映画「屋根の上に吹く風は」が23日から、名古屋市中村区のシネマスコーレで上映される。浅田さかえ監督(60)は「先行きが見えない今だからこそ、一つの学びの形として紹介したい」と話している。

浅田監督「撮影は驚きの連続」
新田サドベリースクールは、不登校などの子どもを受け入れるフリースクールで、義務教育の場として認められる学校教育法の「1条校」ではない。6~22歳を受け入れているが年齢別のクラス分けはなく、先生にあたるスタッフも含め全員が「ちゃん付け」やニックネームで呼び合う。主体性を重んじる教育が特徴で、映画の冒頭、床に寝転がって一日中携帯ゲーム機で遊ぶ子どもたちの姿が出てくるが、これがサドベリーの日常風景だ。

浅田監督が撮影を行ったのは2018年2月~19年6月。「昭和の価値観の教育で育った私にとっては驚きの連続。最初は『この子たち、大丈夫かな』と思った」と振り返る。豊かな自然を生かした稲作をしたり、一緒に過ごすスタッフを自分たちが選挙で選んだりする独特な学習環境を撮り続けた。「何事も話し合い、異なる意見に耳を傾ける姿を見て、普通の学校とは別の良さがあると感じていった」

これまでテレビのドキュメンタリー番組を多く手がけてきた浅田監督にとって、今作が映画初挑戦だ。「このまま大人になって、どうなるか想像がつかない」と吐露する保護者の不安や「ここの教育になじめず離れていった親子もいる」とのナレーションも入れて、押しつけがましくならないことを心がけた。

文部科学省によると、2020年度に不登校と判断された小中学生は19万人を超えた。浅田監督は日本の学校教育を否定するつもりはないが、「これだけの数がいるのだから、従来とは別の教育スタイルも社会に受け入れられていいのでは」と提起している。

サドベリーの子どもたちはよく屋根に上って遊ぶ。そんな近ごろ見なくなった光景をタイトルにした。「彼らのいるその場所に、新しい教育の風が吹いている気がした」

シネマスコーレの上映は11月5日まで(10月30、31日を除く)。初日の23日は、上映後に浅田監督による舞台あいさつを予定している。【井上知大】

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サドベリースクールは、1968年米国マサチューセッツ州で創設された私立校サドベリー・バレー・スクールが最初です。その後、同じ理念を持った学校が世界各国で登場しました。日本に導入されたのは1997年。兵庫県に「デモクラティックスクール まっくろくろすけ」が開校されました。日本ではまだ20数年しか歴史がありませんが、小説家の吉本ばななさんらが情報発信をされており少しずつ注目を集めています。

サドベリー・モデルの信念は、子どもは生まれながら好奇心を備えていて、生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる、という考えです。サドベリー・スクールは生徒とスタッフだけが参加できる「スクール・ミーティング」によって民主的に運営され、学費額・予算配分・職員採用なども生徒とスタッフが決めていきます。自分たちの学校自治を当事者が行っていく、デモクラティックスクールと呼ばれる所以です。

またサドベリー・スクールはすべての年齢の子どもたちが一緒に過ごすことによって生徒たちの学びと成長が促されると考えており、恣意的に生徒たちを年齢によってグループ分けすることはしません。自由教育の考えは、19世紀までの教師教授者中心の注入主義の旧教育を子ども中心主義の教育に改革しようとした流れです。

わが国でも大正デモクラシーから様々な自由教育が生まれては消え、消えては生まれてきました。最近は不登校の子どもの行くフリースクールも手続きによっては出席と認める流れの中で、こうした様々な「学校」が注目されています。京都シネマでの上映は今週金曜日からです。

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京都シネマ
10/22(金)公開『屋根の上に吹く風は』舞台挨拶決定
日時:10/22(金) 11:00の回上映後
ゲスト:浅田さかえ監督
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東大阪 中学生自殺 いじめが直接原因と判断難しい 調査委

東大阪 中学生自殺 いじめが直接原因と判断難しい 調査委

10月15日 【NHK】

おととし、東大阪市の中学生が自殺を図りその後、死亡したことについて、市の教育委員会が設けた弁護士らでつくる調査委員会は、中学生がいじめを受けていたことを認めたものの、自殺の直接的な原因だと判断することは難しいとする報告書をまとめました。
そのうえで、委員会はこの生徒には発達障害があり、学校側の対応などが不十分だったと指摘しています。

おととし1月、東大阪市の中学校に通っていた当時2年生の女子生徒が自宅で自殺を図り、翌月、死亡しました。
その後、市の教育委員会は、女子生徒の両親からの要請を受けて、大学教授や弁護士らでつくる委員会を設置し、調査を進めてきました。

15日に公表された報告書では、女子生徒は、▼ほかの生徒が所持品を紛失した際に、教室や校門の付近でカバンの中身を見せるよう複数の生徒から迫られたことや、▼「うざい」、「不細工」などの悪口を言われたり、蹴られたりしたことがあったとしたうえで、これらの行為は「いじめ」に当たると判断しました。
ただ、こうした行為が執ようになされたものではなく、「著しく悪質ないじめとまでは言えない」としました。

さらに、女子生徒には発達障害があり、学校生活での友人関係などにストレスを抱え、その苦しみを周囲に理解されず孤独感を募らせていたのではないかと指摘しています。
そして、最終的な結論は「いじめが自殺の複合的な要因の1つであるとは言えるものの、直接的な原因であったと判断することは難しい」としています。
そのうえで、▼学校で発達障害に配慮した指導ができておらず、▼教員の間で生徒に関する情報の共有も十分でないなど、課題があったと指摘しています。

【市教委 課題受け止め再発防止を】。
報告書の公開を受けて、東大阪市教育委員会は会見を開き、諸角裕久 教育次長は、「このような事案が起きてしまったことは残念だ。報告書の中で指摘を受けた課題や提言を真摯(しんし)に受けとめ、再発の防止に努める」と述べました。

また、報告書をまとめた調査委員会の委員長で、京都教育大学の元教授の初田幸隆氏は、「いじめから自殺までに時間があり、直接の原因になったのかは判断が難しいが、亡くなった生徒の心理的な負担になったと思う。生徒の通っていた学校には、いじめについての解釈が限定的なところがあり、改善を求めたい」と話しています。

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小学6年生の利用者を前にして一番気になっているのが中学校でのいじめです。中学校と小学校の違いは担任の目の行届き方です。一日教室で児童を見ている小学校担任と1日にホームルームと担当教科でしか生徒を見ない中学校担任では目の行き届き方が違います。子どもにとっては四六時中同じ担任の目がないことで自立心を促す事にもつながりますが、担任教師の目が行き届かない場所でいじめが起こりやすくなることもあります。

特に、対人関係やコミュニケーションに課題を持つ生徒の場合、どうしても上手く集団に溶け込めなかったり、仲間からの誘いがあっても場にそぐわない反応をして、生徒間でのその異質感を共有確認する話題にあがりやすく、いじめの芽になっていくこともあります。ただ、だからと言って四六時中大人が見守れば良いと言うわけではないと思います。

障害のある人の理解は、車いすや白杖や補聴器などシンボルがあるものは理解しやすいです。しかし、発達障害は見えない障害なので説明しても子どもには理解しにくいし、本人自身も知らされていない場合も多いので、当事者にも周囲の子どもにも双方に誤解が生じます。多くは、たまたま関わったときに嫌な思いや大きな違和感を感じて「変な子」というレッテルが先に貼られてしまいます。

本人にしてみれば、周囲からの扱いは他の人とは違うことくらいは感じるけれども、どうすればいいかわかりません。相手の思いが読めないことや、そもそも交流している仲間が少ないかいないことから自分の誤解も修正できません。それでも、小学校は本人の事を保育所から知っている仲間や、入学当時から本人を知っている先生が、自然にサポートをしているのです。

中学では価値観の同調性に目覚める時期の生徒たちと、当事者を初めて知る教職員がサポートをすることになります。確かに当事者の事を良く知る生徒も入学していますが、まずは自分が安定した関係性を確保することで精一杯だというのが中学生の事情です。記事の生徒の場合、特支級だったのか通級支援があったのか、何もなかったのかが分からないので何とも言えませんが、不安定な彼らを見つけ出し支援する相談室や支援室があってよいと思います。そして、不十分ではあっても、早期発見と早期支援が彼らの命を支える担保にはなると思います。

中学生へのコロナワクチン保護者 75%「接種望む」

富山市中学生へのコロナワクチン保護者 75%「接種望む」

2021年10月15日 【中日新聞】

学校感染症対策会議アンケ 「情報量足りぬ」半数超
中学生の新型コロナウイルスワクチン接種を巡り、小児科医などでつくる「富山市立学校新型コロナウイルス感染症対策検討会議」は、市内の中学生の保護者向けに実施したアンケート結果を公表した。保護者の75%が子どもにワクチン接種を求める一方、ワクチンに関する情報量が「足りていない」と答えた保護者が5割を超えた。(広田和也)

アンケートは九月十~十七日に市内中学校の生徒約一万人の保護者向けに実施し、四千四十六人が回答した。検討会議がリーフレットで結果を公表した。
子どもにワクチン接種をさせる予定かの問いには、「すぐに接種させたい」が48%で最多、続いて「できれば接種させたい」が27%と、接種を希望する保護者が全体の四分の三を占めた。希望する理由には「病気が怖い」「周囲に感染させたくない」「学校行事に参加させたい」が挙がった。

ほかに「できれば接種させたくない」が5%、「絶対接種させたくない」が2%、「しばらく様子をみたい」が18%。希望しない理由には「副反応が怖い」「情報が不足」「効果が信用できない」などがあった。

子どもにおけるワクチンの安全性や副反応などの情報量については「ほぼ十分」が最多の41%、「十分」が7%だった一方、「やや不足」(37%)「不足」(15%)と不足を指摘する保護者が五割を超えた。子ども自身が接種をどう考えているかの問いには、接種を希望する子どもの回答が53%と半数を超えたが、保護者よりも22%ほど少ない結果となった。

検討会議の種市尋宙(たねいちひろみち)座長(富山大講師、小児科医)は「情報量が足りない状況でも、接種を求める保護者が多いという矛盾が生まれている。このワクチンが明確に副反応が出ることを納得した上で、接種するかを検討すべきだ」と強調。今月中旬にも、最新の医学的情報を踏まえ、接種する場合と接種しない場合の注意点をリーフレットで伝える方針で、「情報を提供することで、接種について家族で話し合えるようにしたい」と語った。回答結果を示したリーフレットは、富山市のホームページで入手できる。

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3回目の摂取と小児への接種が課題になるほどワクチン接種が進んできた証拠です。子どもの感染症状のほとんどは無症状か微熱程度なので、小児のワクチン接種は推奨する程度で良く、家族で決めればいいと個人的には考えています。ただ、情報提供と称して副反応をやたらに強調すると子宮頚がんワクチンの二の舞を演じることになるのではないかと危惧しています。

日本の子宮頸がんワクチンの接種率は先進国中最下位です。その結果、新たに毎年1000人以上の若い女性が亡くなり、がんを発見しても子宮を全摘出しなければならない女性も後を絶ちません。これは朝日新聞のワクチン副反応キャンペーンに他のメディアも同調した結果、厚労省が訴訟を恐れて任意接種に変更したからです。それまで70%あったワクチン接種率はみるみる落ちていき、イギリスの86%接種率にはるかに及ばない1%未満に激減したという特殊な反ワクチン事情が日本にはあります。

今回、メディアは新型コロナの感染者が重篤な症状ばかりを報道して煽りすぎた結果、さすがにワクチンの副反応キャンペーンは真逆の報道をすることになり控えたと言う経過もあって、瞬く間に世界のトップクラスに接種率が追い付きました。それなのに、隙あらばと、小児のワクチン接種をネタに副反応を強調し始めています。政府の役人も、医師も日本の反ワクチンキャンペーンの痛手を負い大変ナーバスになっています。

メディアの副反応キャンペーンで、さらに役人や医師の接種意欲が後退していくという、負のスパイラルを起こしはしないかと案じています。新型コロナの症状の多くは軽微なのでそう心配はしていませんが、子宮頸がんワクチンのように本当に必要なワクチンを、エビデンスもなく煽り報道で抑止して多数の子どもの健康が害されると言う結果が再び起こらないように注意が必要です。

「ネットいじめ」5年で倍増 チャット悪用

「ネットいじめ」5年で倍増 チャット悪用

10/14(木) 【産経新聞】

文部科学省が13日に公表した令和2年度の問題行動・不登校調査では、パソコンやスマートフォンを通した誹謗(ひぼう)中傷といった「ネットいじめ」の認知件数が1万8870件と過去最多を更新した。東京都町田市立小学校に通っていた6年生の女子児童=当時(12)=が昨年11月に自殺した問題をめぐっては、文部科学省が進める「GIGA(ギガ)スクール構想」で児童に1人1台配備されたタブレット端末のチャット機能を悪用したいじめが行われた可能性が指摘されていて、対策が急務となっている。

「ネットいじめ」の認知件数は平成27年度が9187件。この5年で倍増した。また「ネットいじめ」は年齢が進むにつれ割合が増加する傾向にある。令和2年度でみると、小学校ではいじめ全体に占める割合の1・8%だが、中学校では10・7%、高校では19・8%だった。

今回の調査によると、「ネットいじめ」に関する啓発活動を実施したと回答したのは小中高校全体の約8割。しかし、急激な増加傾向を考えれば、効果が出ているとは言い難い。また匿名性が高いなどのネットの特性を踏まえると、認知件数と実数の乖離(かいり)も想定される。都内の女子高生(17)は、「授業中は学校で配られた端末が使い放題。先生に隠れて友達同士でチャットでやり取りをしている。中には悪口が書かれたという話を聞いたことがあるが、履歴を消してしまえば分からない」と話す。

町田市で小6が自殺した問題では、市教育委員会がいじめの詳細を調査中で、当初、端末の履歴からはチャットを悪用したいじめの痕跡を発見できなかった。その後、専門家に依頼して履歴の復元などを行っているが、当時の状況をどこまで把握できるかは不透明だ。

都内のベテラン小学教員は「パソコンやタブレットに関しては子供の飲み込みが早く、善しあしは別として教員にとって想定外の使用をするケースが出ている」と指摘。しかし、過度な利用制限を行うことは、教育現場のデジタル化の恩恵を大きくそぐことにもつながりかねず、ジレンマがあるという。ある都内自治体の教育長は「結局は学校でのネットリテラシー教育を徹底し、家庭でも指導をしっかりしてもらうしかない」と話していて、改善には時間がかかりそうだ。

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え?違いますよね。学校でのネットリテラシー教育の程度が「ネットいじめ」の多い少ないの原因ではありませんよね。思わず呟いてしまいました。いじめが人権問題だと言う人権教育の程度がネットいじめを含むいじめの増減の原因です。チャットで他者を貶めるのはダメで会話ではいいと言う問題ではないからです。どうしてメディアは事の本質からわざと外すような意見を流布するのかさっぱりわかりません。

昨今のいじめ件数が増えたと言うニュースも、もともと現場が教委に忖度して少なく見積もりすぎた自治体が昨今のいじめ事件から啓発されてこれまで認知していなかった案件を上げて修正しただけだと思います。その証拠に京都府は最初から些細ないじめ案件まで全てすくい取って集約しているので、調査開始時からずっと10名に1件と言う全国ワースト10のいじめ認知件数です。メディアは表面的な事だけを報道して内容を吟味するものがあまりにも少なく、逆に、感染症の報道などは憶測だけで事実が存在するかのように描く印象操作の報道が後を絶ちません。

おそらくこの記事のヘッドラインだけを読む人は、子どもへのICT機器の普及がネットいじめの原因なのだと思う人は少なくないでしょう。報道はもう一歩踏み込んで人権教育が教育内容にどう反映しているのか、何時間くらいが取組まれているのかを報道すべきです。都内の女子高生(17)の取材も、学校配布の端末のチャットで「悪口が書かれたという話を聞いたことがあるが、履歴を消してしまえば分からない」という発言をそのまま掲載していますが、履歴はメインサーバーに記録されていて端末で消去したつもりでも消去はできない(サーバー設定は必要)ということを付け加えるべきです。こういう中途半端な取材記事は不信感を煽るだけです。もう一歩踏み込んだ取材をメディアの方にはお願いしたいと思います。

“あかさたな”で研究者になる~天畠大輔 39歳~

「あかさたな」で研究者になる~天畠大輔 39歳~

2021年10月12日【Eテレ】

天畠大輔さん(39)は中学生の時、医療事故により脳が大きく損傷。話すことも、字を書くこともできなくなり、生きる希望もなくしかけた。やがて母親が見つけた「あかさたな話法」によってコミュニケーションを回復。多くの人の手を借りながら大学に進み、研究者となり、自らの25年の経験を世に伝えようと1冊の本を書いている。題名は『弱さを強みに』。そこにこめた思いとは。ノンフィクション作家柳田邦男さんと語り合う。

再放送 京都10月19日(火)午後1:05放送予定https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1880/
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自己紹介

http://www.tennohatakenimihanarunoka.com/profile/index.html

天畠 大輔
14歳の時、医療ミスにより、四肢麻痺・発話障がい・視覚障がい・嚥下障がいを負い、重度の障がい者となり車椅子生活を余儀なくされる。 ルーテル学院大学を経て、立命館大学大学院先端総合学術研究科先端総合学術専攻一貫制博士課程修了【2019年3月博士号(学術)取得】。現在は、㈱Dai-job highを運営する傍ら、中央大学にて「『発話困難な重度身体障がい者』と『通訳者』間に生じるジレンマと新『事業体モデル』」の研究を行う。立命館大学生存学研究所客員研究員。日本で最も重い障害をもつ研究者。東京都武蔵野市在住。1981年生まれ。

研究テーマhttp://www.tennohatakenimihanarunoka.com/profile/dai.mp4

将来の夢
研究者として、「障がい者とコミュニケーション」を専門に研究し、 障がい者がよりよい生活を送れるようにすること。
ロックトインシンドロームの支援者の財団を立ち上げること。
(ロックトインシンドローム=閉じ込め症候群、頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺状態だが意識や知能はまったくもとのまま。自分という人間の内側に閉じ込められてしまうといった状態。映画「潜水服は蝶の夢をみる」の主人公にもみられるもの。)

資格
相談支援専門員(2019年7月取得)
認定心理士(2011年6月取得)

趣味・特技
昔から映画が好きで、邦画はほとんど見ている。翻訳家の戸田奈津子に憧れて英語の勉強を始めた。
音楽鑑賞(サザンオールスターズ、Mr. Children、スピッツ、斉藤和義ほか)。オシャレすること。聴覚だけで英検準2級取得。

症状
14歳の時、急性糖尿病で倒れた際の医療ミスにより、それ以来四肢麻痺になった。
心停止の状態が20分以上続いたことにより、脳の運動野が破壊されたからである。
視力にも障害があるが、全く見えないわけではなく、立体や色、もちろん人の顔も認識できる。
ただし、紙面やパソコンの画面など、平面のものは見えにくい。知能における障がいはなく、情報を受けとる際は聴覚情報が中心。
発話が困難なためコミュニケーションには時間を要するが、本人の手を引いて一語一語を確認することでコミュニケーション可能。

コミュニケーション方法
介助者が私の手を持つ。介助者が「あ・か・さ・た・な・・・」と子音を言う。
私が伝えたい子音の所で手を引く。子音が決まる。
例えば「あ」で止まった場合、今度は介助者が「あ・い・う・え・お」と母音を言う。
「う」で止まったら、最初の言葉は「う」となる。
この繰り返しで会話していく。

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天畠さんは、他人の介助なしには何もできない自分の弱さがあるから、人間関係のありかたやコミュニケーションのあり方を深くとらえる強さになると言います。「弱さは強さだ」と言う考え方は、多様性社会を作る上で培われた考え方です。強いものや等質なものだけでの社会は持続しないし進歩もないと言われています。弱い者も異質な者も共生できる社会は懐深く賢い社会になるという事です。

天畠さんは、自分の意思と関係なく体が動く不随意運動があるほか、時々あごが外れて息ができなくなるため、24時間の見守りと介助が必要で、約20人が交代で介助に携わっています。天畠さんは、学者ですから論文を書くのにも介助者が必要です。その際には、介助者も天畠さんの研究に関わることになります。

彼の「あかさたな」話法で論文を書く場合は、それまでの文脈を介助者が理解し、彼が次に言わんとすることを予測して、最初の言葉から僅かな文字数で次の文章を予測完成させて、その是非を彼に確認する作業が必要になります。天畠さんにとってもこの話法は煩わしいのですが、文字が読めず不随意の筋緊張が激しい彼には、視線入力などの人工センサー入力は難しく、人の介助を要するこの話法以外のコミュニケーション方法は今のところ見つかっていないようです。

そこで、彼は研究論文に、「通訳者」と「介助者」の「分離二元システム」を提唱し、優秀な通訳者を養成すべきだと言う結論に達します。つまり、介助者に優れた「通訳」までを求めることには無理があり、彼のような学者レベルの通訳だけでなく、表出コミュニケーションの障害を持つ人たちの通訳は専門的にトレーニングした人が必要だと言うのです。この考え方は、実は私たちの仕事にも通ずるところがあります。

アウトプットに障害を持つ者は、自己の障害を説明することすら難しいため、社会的理解を得られにくいです。このような一方通行のコミュニケーションに陥ってしまった人々は、やりたいことを諦めて「妥協」生活を余儀なくされている現状があります。上野千鶴子氏は「ケアされる側の沈黙とケアする側のパターナリズム」(上野 2011:159)が両者のミスコミュニケーションを生むと言います。

表出性コミュニケーションの障害を持つ子どもたちの療育を考える時、その障害が身体的(麻痺等が原因)であれ、機能的(心理発達の障害が原因)であれ、その障害に基づき相手の心象を正確に読み取るスキルがないと、間違った代弁者となってしまいます。「~君は~したいと思っている」「~したくないと思っている」という生活欲求の理解ですら本人と介助者は全く違う事を考えている場合があることは、このブログで何度も紹介してきました。私たちは、そのレベルでは絵カードやICT機器などによる代替コミュニケーションを子どもに教えることを提案しています。

しかし、話が込み合ってくると長々と表現しないと伝わらないことはたくさんあります。それは年齢が増し、生活や対人関係が複雑になるにつれて、的確に通訳してくれる人はますます必要になります。わずか30分の放映ですべてが理解できたわけではないですが、彼と彼に関わる介助者の経験を無駄にしてはいけないと強く思いました。以前、「こんな夜更けにバナナかよ」という筋ジス・鹿野靖明さんとボランティアたちを描いた映画がありました。この話も、当事者と介助者の関係性を描きましたが、今回のドキュメンタリーはこの映画にも勝る強いメッセージが伝わってきました。ぜひご覧ください。

 

大津・男子生徒いじめ自殺から10年

遺族「子どもを取り巻く環境は変わっていない」大津・男子生徒いじめ自殺から10年

10/11(月) 【MBSニュース】

滋賀県大津市で、中学2年の男子生徒がいじめを受けて自殺してから10月11日で10年になります。男子生徒の自殺をきっかけに新たな法律もできましたが、遺族は、子どもを取り巻く環境は変わっていないと話します。

10月11日午前8時半ごろ、大津市役所では教育長や職員らが黙とうをささげました。

10年前の2011年10月11日に大津市の当時中学2年の男子生徒が自宅マンションから飛び降りて自殺しました。当初、市教委は『いじめと自殺の因果関係』を認めていませんでしたが、第三者委員会が「いじめが自殺の直接的な原因」と認定しました。

また、遺族が加害生徒らに損害賠償を求めた裁判は最高裁まで争われて、2021年1月にいじめと自殺の因果関係を認めた判決が確定しました。

亡くなった男子生徒の父親は10月11日の午後に会見を開き、父親は子どもを取り巻く環境は当時から変わっていないと話しました。

(亡くなった男子生徒の父親)
「とても10年前より子どもをとりまく環境が良くなっているとは考えられません」

生徒の自殺をきっかけにいじめの早期発見を学校に義務付ける「いじめ防止対策推進法」が成立しましたが、いじめは今も後を絶たないとして、父親は法律の実効性に疑問符を投げかけます。

(亡くなった男子生徒の父親)
「全ての学校、全ての教育委員会がそうだとは申しませんが、新しい法律ができても変われない学校、それを所管する変われない教育委員会があることは間違いありません」

一方、教育現場では新しい取り組みも始まっています。大津市教委は2020年からAI(人工知能)による数値化を始めました。市内の小中学校から報告される「いじめ事案報告書」について、いじめかどうかの判断が難しい事例をAIに分析させると、約5200件の過去のデータをもとに『深刻ないじめに発展する可能性が何%あるのか』を教えてくれます。

(大津市教育委員会児童生徒支援課古蒔順一朗指導主事)
「このAIを使った深刻度を学校にも提示することで、客観的な根拠を持って学校に指導助言しやすくなった。全ての子どもたちの笑顔を守っていくためのいじめ対策を進めていきたいと思っています」

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前向きにやろうとしていることに水はさしたくないのですが、このブログで一貫して主張していることは、市長がまずやるべきことは責任者の更迭です。一罰百戒で全てが解決するものではありませんが、管轄下で事故が起きたときは、責任者の職を解き降格するなどの懲戒を最高責任者が行うべきです。子ども同士の事件に公務員の業務の瑕疵を問えるのかという意見もあるでしょうが、管轄内で業務と因果関係のある事故が生じたなら、まずは綱紀粛正のために責任者降格は民間会社ならあたりまえです。

けれども市長は校長や学校責任者、役人の降格すらできていません。市長が腹をくくれないからです。第3者委員会では関係者を切る権限はないのですから、この委員会はどこまで行っても市民の不満のガス抜きでしかありません。市長は人事の一新で改革を訴えることもできません。そして、機械に任せたら公平に判断するだろうという、方向性がまるで違う答えを出してきます。大津事件や様々ないじめ死亡事件の怒りは、いじめた子どもへの怒り以上に、学校組織や教育委員会をはじめとした行政が真摯な対応しないという事への怒りです。

例え、校長や教育長が更迭されても遺族の怒りは収まらないとは思います。しかし、いじめの対応の瑕疵は明々白々なのですから、行政はAI導入などと小賢しいことをしてお茶を濁すのではなく、リアルに組織が組織としてけじめをつける事を断行すべきです。そうした上で予防策を講じない限り、その予防策ですらまともに動くことはありません。人が人にできることはそう多くはないです。詫びて人事で責任を取るのは最高責任者の最低限の仕事です。

「一緒にいれば分かりあえる」は幻想だ…

「一緒にいれば分かりあえる」は幻想だ・・・小山田氏「障がい者イジメ」発言で注目、知られざる「ダンピング」の実情

2021.10.07【文春オンライン】

『ロッキング・オン・ジャパン』等、複数の雑誌で小山田圭吾氏が過去の障害者いじめを語り、東京五輪開会式の演出チームを辞任した問題は広く報道された。その際に、彼個人よりも、背景にある障害児教育の問題に目を向けていたのが野口晃菜博士だ。

インクルーシブ教育の専門家として各種委員を務めるほか、学校・自治体・民間企業などと連携して共同研究、仕組み作り、助言等を行っている野口氏は「ダンピング(投げ捨て)」という問題が障害児へのいじめの背景にある可能性を指摘する。重度脳性麻痺と発達障害を持つライターのダブル手帳(@double_techou)が野口氏に「ダンピング」について伺った。

「ただ一緒にいるだけでわかりあえる」は幻想だ
▼ダンピングとは何ですか。

野口晃菜博士(以下、野口▽)ダンピングを説明するために、まず「インクルーシブ教育」の説明をしますね。

これは日本だと単に「障害のある子とない子が同じ場で学ぶ」という意味で使われがちです。しかし本来は「ただ一緒にいる」のみならず、「合理的配慮」の実施も含意する言葉で、それが為されて初めてインクルーシブ教育といえます。

多数派の人のみを中心とした教育でなく、「障害」を含む多様な子どもの存在を前提とした教育をつくっていくことがポイントです。

たとえば読み書きの困難や色々な障害など、学び辛さを抱える子がいたとしましょう。既存の方式を彼らに強いると学ぶ機会を奪ってしまう。眼鏡の子に裸眼で黒板を読めと言うのと同じです。

そこで一人一人に合わせ、音読の代わりに読み上げツールを使う、黒板を書き写す代わりに写真を撮る、タブレットで入力する等々、本人と相談しつつ他の子と同様に学びにアクセスするための工夫をすることが「合理的配慮」です。

そうした工夫もなくただ一緒にいるだけ、障害のある子どもを通常の学級に放り込んでいる状態がダンピングです。

▼このダンピングは、いつ頃から問題になっているのですか。

野口▽米国や英国では70年代以降、障害のある子も同じ場で学ぶことが重視され、その機会が増えていった。その中で「何の工夫もなくただ一緒にいるだけでは逆に学びからの排除が起こってしまう」という指摘が出始めたという経緯です。

日本の場合、障害のあるなしにかかわらず、積極的に一緒に学ばせようという地域と、障害のある子どもは基本的に特別支援学級に通わせる地域があるなどかなり差があって、「ダンピング」以前に、子どもたちが一緒に学ぶ環境が、全国的に実現できていません。

▼小山田圭吾氏が通っていた小中高一貫校は、障害を持つ生徒を積極的に受け入れ、一緒に学ばせていたといいます。「子どもは一緒にいれば何もせずとも自然と分かり合える」と言う人もいますが……。

野口▽幻想だと思います。社会には「障害」という言葉があり、偏見も蔓延していて、幼い子もその中で生きてますから。

子どもは大人の言動や態度を実によく見ています。私が気になるのは、学校でも、家庭でも、メディアでもはびこる能力主義です。その下で学級経営をしたら、障害のある子はどうしてもできないことが目立ってしまい、「なんでこんなこともできないんだ」という感情を他の子から向けられたり、本人の自己効力感もどんどん下がっていったりしかねない。

だから、「できる」「できない」が最重要のものさしにならないように学級経営する必要がある。特別な工夫もなくただ一緒にいれば分かり合える訳ではないと思います。

▼現実にはそうした配慮を受けられてない障害児も多くいるでしょう。ただそれを是とする意見もあります。曰く、障害児にとっても、虐められたり、皆できることが自分だけできなかったり、といった惨めな経験こそ、社会の何たるかを体感するまたとない授業になる、と。割と上の年代だとこうした教育観の人は珍しくないと感じます。どう思われますか?

野口▽あり得ないと思います。私は成人した障害のある人と接する機会もありますが、その中には学校で一生分の傷を負った方もいます。そんな形じゃない学び方で教えるのが学校でしょう。

▼暴力を使わず学ばせる。

野口▽そここそ教育の役割なのに、それを放棄して、いじめや排除を正当化するのは虐待です。

得意不得意や「どんな時助けてほしいか」を口に出す
▼国が出している「合理的配慮」の事例集(※1)を読んだら「児童間でのコミュニケーションを増やす」「トラブルを未然に防止する」などと書いてあったのですが、学校側からの働きかけでこうしたことを実現するのは実際に可能なのでしょうか。

野口▽私が学校に勧めるのは、自分の得意不得意や「どんな時助けてほしいか」「こう接してほしい」等を考える授業を全員に行うことです。その中に障害のある子どももいたりするでしょう。でも自分の特徴を周囲に喋る力は、障害の有無にかかわらず皆に必要です。

人との距離が近すぎる子もいれば、一方的に自分のことを喋る子もいますよね。互いの特徴や適した意思疎通の仕方を知ればトラブルの未然防止にもなる。障害のある子どもだけ助けが必要なのではなく「得手不得手は皆ある」前提での学級経営が重要です。

▼小山田氏の炎上の際に複数の障害者団体が声明を出す中で強調されていたのが、いじめの懸念を理由に「障害のある子と無い子とを分けて教育しよう」という流れに傾くことへの危惧です。「ダンピングが悪いから分離教育が良い」とはならないわけですよね。

野口▽はい。ただ「いじめを受けるリスクがあるのなら別の場に」と思わざるを得ない状況も理解できますし、そう考える保護者も多いでしょう。

▼分離教育について考えさせられたのが、東京都教委が企業就労率100%を目標に特別支援学校への導入を進める特別なカリキュラ厶が人気との記事です(※2)。企業が障害者枠で雇用する人のために切り出す仕事は事務や清掃などの間接業務が多いため、就労対策もそうした業務中心の訓練とのことでした。

野口▽大学に進む障害のある人も今後増えるでしょうが、高卒ですぐ働く方がまだ圧倒的に多いです。だから特別支援学校の高等部では「18歳で自立しなきゃ」という理由で作業学習ばかり詰め込まれている印象です。その中で「うちに来れば就労できる」と謳う学校も出てくる。

それが高校の果たすべき役割かは疑問です。そのぶん部活や他の高校生が青春時代を満喫している活動に割ける時間は短くなってしまっています。

※1……独立行政法人国立特別支援教育総合研究所インクルーシブ教育システム構築「合理的配慮」実践事例データベース
※2……障害児向け「エリート校」が生まれる根本理由(東洋経済、2018年6月13日)

▼大学も就職予備校と揶揄されますが18歳と22歳の差は大きいですね。社会的に不利な障害者の方が実質的に4年早く人生設計を迫られる。考えれば不思議です。

野口▽本来逆ですよね。米国で私が見た学校では、障害のある人は22歳まで公教育において就労移行支援、地域移行支援を無償で受けられるんですよ。

▼大学に行かずとも4年の猶予がある。米国の教育から学べる点は多そうです。

野口▽もちろん米国にも課題は多いですが、私自身、米国イリノイ州で教育を受けたことが今の活動の原点でもあります。

小6の時に米国に引っ越したのですが、同じクラスに様々な障害のある子がいたんです。脳性麻痺で車いすに乗っていて首を少し動かすことしか難しい同級生もいました。

それまでそういう人に会ったことがなかったので衝撃を受けたし、日本ではどこにいるんだろうと思いました。その子はセンサー式のボタンで意思疎通していて「こういう技術を使えばコミュニケーションができるんだ」と興味を持ちました。

▼その子達の周囲との関係はどうでしたか?

野口▽皆「ハーイ」みたいな感じでいつもカジュアルでした。コミュニケーションを積極的に取っている人が多かったです。

あと私が米国にいた90年代~2000年にかけてはADHDと診断される人が増えていた時期でした。あくまで私が通った学校の話ですが、クラスにもかなりそういう子がいて、彼らが実に抵抗なくそれを話すんです。

「俺、ADHDだからちょっと保健室行って薬飲んでくるわ」みたいな。私にはすごく新鮮でした。でも他の子も「へえ」みたいな反応なので、私も「へえ」みたいな感じで。

多動で机に座って勉強できないんだけど、バスケが得意でドリブルしながら本読んでる友達もいました。そのほうが覚えられるらしくて。

「タブレットを持っていくと『ズルい』と言われる」
▼懐の深い教室ですね。逆の意味で印象深かったのが、野口先生が以前あるシンポジウムで発言されていた日本の話です。タブレットを使えば学習できて、他の子どもたちと一緒に授業を受けられる子でも「これを通常学級に持っていくと皆に『ずるい』って言われるから」と嫌がるケースが多いと仰っていますね。

野口▽学級経営の方法を工夫せず急に「あなただけタブレットで勉強しよう」と言えば本人も嫌がって当然なんです。今の教育現場には皆と同じペースで同じことをするのが正しいという価値観があり、生徒自身もそれを内面化していますから。

まずは、学級に「学び方は一人一人違っていい」と浸透させることや、本人が自分に合った学び方を知ることが必要です。

▼理解を醸成して初めてタブレットが活きると。

野口▽ええ。テクノロジーをただ導入するだけでは解決しません。

▼関係者が一致して地道な努力を続けられるかが鍵になりそうです。

野口▽ただ、「通常学級を選んだら何の支援も受けないよう覚悟しなさい」などと言って自己責任にする人も未だにいるのが現状です。

▼何か改善を要望しても「好き好んで普通学級に来たんだろ」とダンピングの正当化に使われる?

野口▽はい。これは先生個人よりも構造に問題があると思います。そもそも障害を理由に普通学級と特別支援学級の選択を迫られること自体、酷でおかしいんです。障害のない子どもはそうした選択をしなくてもいいわけですから。

当然に地域の学校に通い適切な支援を受けられるのが前提であるべきです。その仕組みを国として整備していかねばなりません。

「特別扱いはしない」が正しいわけではない
▼インクルーシブ教育を語る上でリソースの話は避けて通れません。

野口▽ええ。時に異なる障害種同士によるパイの奪い合いになることがあります。しかしその根本にはそもそもの教育予算全体が少な過ぎるという問題がある。従って、一致団結して全体のパイを増やしていくのが大事だと思います。

▼実際の教育現場に着目するといかがですか。

野口▽個々の合理的配慮を具現化するにあたっては、本人も含めた関係者間で「今あるリソースの中でどれだけできるか」の合意形成を図らねばなりません。

しかし障害を持つ子どもやその保護者と学校・教育委員会とが対立するケースもあります。

▼普通学級への就学を断られたり?

野口▽それもあるし、普通学級へ就学した上で、プリントを他の子よりも拡大してルビをつけてほしい、別室で試験を受けたい、タブレットを持ち込みたい等様々です。こうしたことに学校側が初めから「無理です」と対応したことが引き金になったりするんです。

合理的配慮の紛争を調停する独立した公的第三者機関を設け、そこが間に入り一緒に解決していく仕組みだと相当違うでしょう。本人が最大限自分らしく学び過ごすために何ができるか、各々が知恵を出し合えばやれることは沢山あります。

▼「皆に合わせろ、特別扱いはしない」と言われて育ったので、教育と合意形成は対極にあると思っていました。

野口▽確かに教師という人がいて皆を指導する側面や、皆が同じ時に同じ事をせざるを得ない場面もあるでしょう。

しかし国の方針も教育現場も、主体性を育む方向に進みつつあるのもまた確かです。例えば、先生だけが勝手にルールを決めるのではなく、生徒達自らが話し合って校則を見直す動きも現れています。

▼ルールは皆で作ってもいいし、その過程も学びである、と。

野口▽ええ。だから合理的配慮にしても「ずるい」みたいなことがあれば皆で考えたらいいんですよ。むしろそれは子どもに人権や障害を教えるチャンスです。先生が全て正解を持ってて渡すのではなく、子どもとともに考える。

「そうか、なんでずるいと思うんだろうね」とか「じゃあなんで合理的配慮ってあるんだろうね」とか。子どもたちが主体的に学び先生が一緒に考えながら支える。そんな教育観を大切にしたいです。

◆ ◆ ◆

なぜインクルーシブ教育が必要なのか
野口氏はダンピングを入り口にインクルーシブ教育の何たるかを語った。つまり障害児と健常児のお互いにとって、同じ教室で机を並べることが幸せな体験になるようにする知恵だ。

ただそもそも何故両者が同じ教室で一緒に学ぶべきなのか。これは健常者の中にはピンとこない方もいるかもしれない。

私が考える最大の理由は、子供の頃から両者の接触機会を多く確保しておかないと、障害者の存在が忘れられたまま回っていく今の社会が続いてしまうからだ。

今回の問題にせよ、小山田氏の報道は過熱する一方、虐められる側の障害者の存在は置き去りにされた。

彼が自身のサイトで公式の謝罪文を掲載した数日前、私はヤフーニュースで彼のインタビュー記事を見つけ、コメント数の膨大さに圧倒された。それはさわりだけの無料記事で話の中身は殆ど不明にも関わらず、想像を絶するほどバズっていたのだ。

しかしメディアが彼への取材を熱心に試みたのとは対照的に、障害者の側の話はこの間ほとんど聞かれなかった。仮に当時の直接の関係者に当たれずとも、現在や過去に虐められた経験がある障害者、保護者、障害者団体、障害児教育に携わる教師など、この問題を語れる人は多い。彼らに発言の機会を与える努力がもっとあって良かった。

こうした報道姿勢と障害者への関心の低さは強力なサイクルを形成しており、メディアはあまねくこの構造に囚われている。大切なことでありつつもメディアを介して伝えるのはとてつもなく難しいメッセージは多い。それは私自身も、何かを発信する側に回った時に思い知らされることだ。ここでは特にそのうちの三つを挙げたい。

第一に、報道に登場していなくとも私達障害者は絶えずどこかに存在し続けていること。悲惨な事件や旬の話題が起きた時だけ瞬間的に現れて消える陽炎ではない。

第二に、私達は露悪的なキャラを作るためのアクセサリーではないし、人を社会的に抹殺するための武器でもない。つまり何かの目的のために作られた道具ではないということ。

第三に、私達は何らかの行為の対象や目的語になるだけでなく、行為の主体、動詞の主語にもなれるということ。

私達も人間である以上はどれも当然だ。しかし常に肌感覚として持てる人がどれだけいるか。そう簡単なことではないし、まして報道を介してやり取りできるたぐいの感覚ではない。

それを培うには同じ空間で一緒に長い時間を過ごす経験が必要であり、インクルーシブ教育への期待は大きい。幼少期の経験から私達を頭の片隅にでも置いてくれる人が増えていけば、報道が変わり、制度が変わり、社会が変わる時が来るだろう。

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※野口 晃菜
株式会社LITALICO執行役員 LITALICO研究所所長
1985年生まれ。小学校6年生の時にアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。高校卒業時に日本へ帰国、筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。その後小学校講師を経て、現在障害のある方の教育と就労支援に取り組む株式会社LITALICOの執行役員・LITALICO研究所所長として、障害のある子ども8,000名への一人ひとりに合わせた教育の実現のための仕組みづくり、公教育や児童養護施設との共同研究などに取り組む。共著に「インクルーシブ教育ってどんな教育?」や「地域共生社会の実現とインクルーシブ教育システムの構築―これからの特別支援教育の役割」などがある。博士(障害科学)。
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長い記事を引用したのは、記者のスタンスよりもインタビューに答える野口さんの明快さに惹かれたからです。彼女の話は5年程前にLITARICOの長谷川社長の話の前座?で聞きました。とにかく長谷川社長も野口さんと同年齢で、会社全体が若武者集団と言う感じでした。創業が2005年から就労移行支援事業を皮切りに、全国展開の障害者福祉の会社に急成長して、2000名を超える従業員を擁しているのがLITALICOです。日本の障害者福祉に新しい時代が来たなのと感じさせてくれました。

もっと、驚いたのが、こうした福祉や教育ベースの研究は大学研究者や政府関係の研究所所属の研究者が行うものという常識を覆し、会社の中にシンクタンクをもって自分たちの理念を企業ベースで進めようとしている事でした。もちろん、現在の福祉や教育関係の民間事業所でかつて研究者だった人が経営している法人はいくつかありますが、シンクタンクが持てるほどの資本力があるところはここだけです。

LITALICOの経営が全て上手くいっているわけではないし、マニュアル対応に傾きすぎてサービスに合わない利用者が離れていく傾向も耳にしますが、サービスコンセプトがはっきりしているので全体の療育や就労支援の方針がぶれる事はないと思います。野口さんが米国やイリノイ州の教育を正確に紹介してくれているので、インクルーシブを目指す我々には貴重な示唆を与えてくれています。若いと言うのはまっすぐで良いなと思います。

 LITALICO研究所 facebook.comより

<恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~>杉咲花が盲学校に通うヒロインに

<恋です!~ヤンキー君と白杖ガール~>杉咲花が盲学校に通うヒロインに 勝ち気でポジティブ 「天然」な一面も

10/6(水) 【MANTANWEB】

女優の杉咲花さん主演の連続ドラマ「恋です!~ヤンキー君と白杖(はくじょう)ガール~」(日本テレビ系、水曜午後10時)が10月6日に始まる。原作はうおやまさんのマンガ「ヤンキー君と白杖ガール」(KADOKAWA)。勝ち気だが恋に臆病な盲学校生・赤座ユキコ(杉咲さん)と、ケンカっ早いが根は純粋なヤンキー・黒川森生(もりお、杉野遥亮さん)の繰り広げるラブコメディーだ。ユキコを紹介する。

◇実は数年前に母を亡くしていて…

ユキコは盲学校高等部3年生。色と光がぼんやり分かる程度の弱視で、外を歩く時は白杖を持つ。勝ち気でポジティブ。見かけによらず口が悪いが、気を許すと“天然”で可愛らしい一面も見せる。

ある日、森生と出会い、なぜかまとわりつかれるように。初めは森生に冷たい態度をとっていたが、次第に森生の真っすぐさに惹(ひ)かれるようになる。数年前に母を亡くしている。

 ◇初回ストーリーは…

ユキコは、カメラマンの父誠二(岸谷五朗さん)と心配性なネイリストの姉イズミ(奈緒さん)と3人暮らし。ある日、ユキコが遅刻しそうな時間に白杖をついて登校を急いでいると、点字ブロック上で話し込むヤンキーの森生たちに遭遇する。

どいてほしいと頼むユキコだが、白杖をつかまれる。反射的に蹴り上げたユキコの足が偶然、森生の股間にヒット。もだえ苦しむ森生を心配してユキコが顔をのぞき込んだ瞬間、彼女の顔の近さに驚いた森生は、恥ずかしさから思わず固まってしまう。

以来、森生は、話し掛けても心ここにあらず。異変に気付いた行きつけの喫茶店主・茜(ファーストサマーウイカさん)は「それが恋だよ」と森生に教える。その日の夕方、森生は下校するユキコを待ち伏せて……。

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障害者を描くドラマは、最近ではドラゴン桜のASDの健太役で細田佳央太が活躍していました。ただ、桜木先生役の阿部寛のASD説明が台詞ばかりでちょっとくどいなと感じました。今回はコメディータッチのドラマでプロローグはテンポよく、滑り出しは好調でした。視覚障害にも色々あることを映像で演出してくれるので分かりやすいです。主演の杉咲花は、昨年のNHK連続テレビ小説『おちょやん』で、浪花千栄子をモデルにしたヒロイン竹井千代役を演じてから、前向きイメージが定着したようです。

『ヤンキー君と白杖ガール』は、作者うおやまによる4コマ漫画です。2018年6月から漫画投稿サイトで自主掲載後一気に注目を集めました。顔に傷のあるヤンキー青年の黒川森生と、弱視の女子高生赤座ユキコの恋愛物語は、ふたりのラブコメを中心にしつつ、障害など社会で生きづらさを感じる人々の生き方も鋭く描いています。4コマ漫画として掲載されていますが、ほとんどの話が4コマでは完結せず連続する「ストーリー4コマ」の体裁をとっています。

これまでの障害者ドラマは、ドラゴン桜をはじめ、グッドドクター、ATARUと発達障害者、特にASD者を描いたものがヒットしましたが、視覚障害者では「君の名は」くらいしか思い浮かびません。おそらくドラマ展開に視覚障害を結び付けにくいという課題があったのかもしれません。今回のドラマがそれを打ち破っていくのかどうかが楽しみです。

もう一つのやまゆり園で今も続く悲劇 1日20時間、個室に閉じ込め

もう一つのやまゆり園で今も続く悲劇 1日20時間、個室に閉じ込め

10/3(日) 【共同通信】

神奈川県の「やまゆり園」と聞いたら、多くの人は2016年に19人の障害者が殺害された相模原市の「津久井やまゆり園」のことを思い出すだろう。だが、今も悲劇が続いているもう一つのやまゆり園がある。(共同通信=市川亨)

▽県が直営

「とにかく、いろいろまずいことがあるんです」。こんな情報提供があったのは、数カ月前のことだ。神奈川県中井町にある県立の知的障害者入所施設「中井やまゆり園」の職員だという。

「入所者を1日20時間以上、外から鍵を掛けた個室に閉じ込めている」「入所者の不自然なけがが絶えない」「職員による暴行なのに、事故扱いにして隠蔽(いんぺい)した」などと、にわかには信じ難い話が次々と出てくる。

中井やまゆり園とは、どんな施設なのか。中井町は横浜から電車とバスで1時間ほどの神奈川県南西部にある。山林や農地、工業団地などが広がるのどかな風景の町だ。

施設の名前は県の花である「ヤマユリ」にちなむ。定員は122人。自閉症を含む重度の知的障害者を中心に、今年3月時点で94人が入所している。殺傷事件があった相模原市の津久井やまゆり園は県から委託を受けた社会福祉法人が運営するが、中井園は県の直営だ。

▽鉄の扉

施設には七つの「寮」があり、男女別に分かれている。共同通信が入手した園の内部資料によると、長時間の閉じ込めが行われているのは、自閉症で自傷行為や暴力などの強度行動障害があるとされた人向けの2寮が中心。男性用の「泉」寮と女性用の「秋」寮だ。

取材に応じた複数の職員によると、泉寮の部屋は鉄製扉。鍵が二つあり、一つは外から施錠できるようになっている。職員は各部屋にあるカメラの映像を職員室のモニターで見ており、短時間の散歩や活動、入浴などのときだけ入所者を連れ出すという。

個室施錠の状況を一覧にした内部資料では、今年2月時点で1日20時間以上施錠されている人が泉寮と秋寮で5人。8時間以上の施錠などに範囲を広げると、五つの寮で計22人に上る。

▽身内意識

神奈川県は今年5月、22人のうち泉寮と秋寮の男女各1人の長時間施錠について障害者虐待防止法に基づく「虐待」と発表している。

相模原の殺傷事件後、県立入所施設の支援の在り方が問われたことから、県は入所者の状況について住民票のある市町村に情報提供。男女各1人はたまたま住民票所在地が同じ市で、その市が虐待と認定した。

だが、発表資料には施錠時間は「8時間以上」としか書かれていない。園の職員は「県は時間を短く見せかけている。身体拘束が認められる一時性や切迫性などの要件を満たしていないのに、県立だから身内意識で県のチェックも働いてこなかった」と証言する。

▽独特の考え方

内部資料によれば、5月に虐待と認定された男性は8月になっても依然、月平均で1日20時間以上施錠されている。

菅野大史園長は取材に対し、9月時点でも3、4人について20時間以上施錠していることを認めた上で「行動障害があり、安全のためやむを得ない。身体拘束の要件は満たしていると考えているが、これでいいとは思っていない。短くするよう取り組んでいる」と話す。

ただ、職員らによると、実態はあまり変わっていないという。8時間以上連続して施錠しないよう数時間ごとに5~10分ほど解錠するようになったが、「声を掛けるわけではないので、入所者は気付かずその間も部屋にいる。これで『長時間の施錠はなくしました』と言うつもりだろうか」と職員の1人。

別の職員は「泉寮では『人と交わると入所者が不安定になる』などと独特の考え方が何十年も続いていて、変えようという気配はない」と証言する。

▽津久井園でも

長時間の閉じ込めは、殺傷事件が起きた津久井園でもあったとされ、事件の判決で横浜地裁は植松聖死刑囚(31)について「利用者を人として扱っていないように感じ、重度障害者は不幸で不要な存在と考えるようになった」と指摘した。

県の有識者会議は今年3月にまとめた県立入所施設全体に関する報告書で「津久井園を指導する県自身が権利擁護に対する認識が低かった」と批判。中井園の職員らは「障害者を人として扱わない体質が事件の背景にあったのに、変わっていない。事件後に県が掲げた『ともに生きる』というスローガンは言葉だけだ」と話した。

▽「仕方ない」は間違い

自傷行為や暴力などがある障害者を長時間閉じ込めるのは、やむを得ないことなのだろうか。強度行動障害の支援に詳しい鹿児島大の肥後祥治教授は「それは違う」と否定する。

「確かに元々の障害の特性がベースにはなっているが、周囲とのコミュニケーションがうまくいかなかったり、置かれた環境が合っていなかったりしてひどくなった状態が強度行動障害だ。『仕方ない』という考え方は間違っている」と話す。

その上で「興奮状態になっても通常は10~20分程度で収まる。20時間以上の施錠は考えられない。他の施設でも聞いたことがない」と、異常性を指摘。「虐待であり、人権侵害と言っていいだろう。なぜ行動障害が起きるのか原因をきちんと調べ、ほかの方法を先に考えるべきだ」と考え方の転換を求める。

▽骨折「事故」

中井園の職員らによると、職員の暴力で入所者が骨折したケースを事故扱いにして隠蔽した疑いもある。

問題のケースがあったのは19年7月。男性寮の一つ「山」寮でのことだ。施設内の床に横になっていた20代の男性入所者が鎖骨を骨折。ある男性職員が洗濯物などを運ぶカートを肩にぶつけた疑いを指摘する声が他の職員から上がったが、園は「寝転がっていた入所者を、他の入所者が踏んだことが原因と推測される」と事故として処理したという。問題の職員は4カ月後の19年11月に別の入所者を踏みつけるなどの虐待をしたとして、今年1月に減給処分を受け、その後異動した。

同園は19年11月の虐待を受け、20年6月に「虐待防止マニュアル」を策定。入所者がけがをしているのを見つけた場合は「確認・情報共有シート」に記入することになっている。だが、職員たちによると「書類仕事が増えた」と不満が出ており、徹底されていない。

入所者が大けがをしたり、不自然なあざが体にできていたりすることもあったが、「転倒」「自分でぶつけた」「暴れたため押さえつけた」などとして報告されているという。

長時間の施錠などに関する報道を受け、同園と県は9月27日に記者会見を開き、改善に向け外部有識者を交えたプロジェクトチームを設置すると発表。年内に改革プログラムをまとめる方針だ。虐待の隠蔽疑いについても再調査する考えを示した。

このほか、県は中井園を含む県立入所施設の在り方について7月から有識者委員会で議論しており、不適切な支援を問題視する意見が委員からも出ている。委員会は10月に中間的な論点整理をする予定だ。

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読んでいてつらくなる記事です。30年ほど前に強度行動障害の成人入所施設の見学をした時の、施設長の言葉を思い出しました。「私たち施設職員は学校に足を向けて寝てはいけない。学校のおかげで私たち入所施設の職員の仕事がある」との皮肉を職員に語っているというのです。当時教員だった私には思い当たる節がいくつもあり、胸をえぐられるような思いでした。学校で、ASDの障害特性を無視した不適切な指導が行動障害の山を作っていたからです。

絵カードなんて社会にはないから学校で使う意味がない。間違った行動は叱らなければ治らない。行動療法なんて動物の調教と同じだ。言葉で何度も言えばわかる。言葉のシャワーが大事だ。言葉を育てる事が行動問題を解決する方法だなどと、視覚支援・構造化支援と聞くと敵のように嫌う人々がいました。研究者の中にも、過度な構造化支援は後に行動問題を悪化させると科学的な根拠も示さず、まことしやかに語った人もいました。

強度行動障害の問題は厚労省でも昭和の時代から調査研究が進められていますが、分かったことは障害の早期発見と早期支援です、そしてその支援は障害特性に応じた支援です。ASDの方の最も、オーソドックスな支援は構造化支援と表出コミュニケーション支援です。これを今否定する人はいませんが、上手くいかないからと視覚支援を使おうとしない教員はいます。どんな方法でも、教条主義的な理解やステレオタイプな用い方では上手くいかない場合はあります。しかし、それはメソッドが原因ではなく、それを使う人の質的な問題です。

やまゆり園で、行動障害の方の居室を施錠したかどうかという問題ではなく、ASDの方への対応方法や構造化支援や行動療法を理解し実施できる職員がどれほどいるのか、利用者のケースワークの時間をどれくらい保障しているのかを調査しない限りは、現場を追い込み、担当してくれる職員のなり手がいなくなるだけです。鍵をかけるのは、確かに簡単です、利用者と障害理解のない職員との摩擦も減らせるので、表面的には事故も起こりにくくなります。しかし、鍵をかけている限りは職員の支援力量も変わらないままです。神奈川県がどういう結論を出すのか見守りたいと思います。

障害児通所支援の質向上 厚労省検討会が報告書素案

障害児通所支援の質向上 厚労省検討会が報告書素案

2021年10月4日【教育新聞】

厚労省の「障害児通所支援の在り方に関する検討会」はこのほど、第7回会合をオンラインで開き、これまでの議論を踏まえた報告書の素案について協議した。障害児通所支援を利用する障害児が増加し、今後は就学期以降も利用率が高まる見通しであることから、より質の向上を図る方針が示された。

児童発達支援や放課後等デイサービスを中心とする障害児通所支援は、ここ数年、事業所数や利用者数が飛躍的に増加し、適切な運営や支援の質の確保が課題となっている。特に就学期移行も利用するニーズが高まることも想定され、子どもの発達段階に応じて、適切な支援を提供していく必要性が指摘されている。

こうした観点から報告書素案では、障害児通所支援の役割として、障害児の自己肯定感を高め、多様性が尊重される中で本人らしさを発揮できるようにサポートしていくことが、障害児通所施設の重要な役割であると強調。児童発達支援センターや児童発達支援事業・放課後等デイサービスにおいて、制度的な見直しが求められる事項を挙げた。

児童発達支援センターについては、地域の中核的な支援機関として①幅広い高度な専門性に基づく発達支援・家族支援機能②地域の障害児通所支援事業所に対するスーパーバイズ・コンサルテーション機能③地域のインクルージョン推進の中核としての機能④地域の障害児の発達支援の入口としての相談機能――を担うとし、福祉型と、肢体不自由児のみを対象としていた医療型については、定員に応じたスタッフの配置により、遊びを通したさまざまな領域の発達支援を行いやすい環境を整えるため、一元化することが望ましいとした。

児童発達支援・放課後等デイサービスでは、見守りだけで適切な発達支援が行われていないケースや、実態として学習支援、ピアノ・絵画などの指導のみをしているなど、必ずしも障害特性に応じた専門性の高い発達支援を提供していると判断できない場合は、給付費の支給対象としない方向で運営基準を検討するなど、質の向上につながる対策を提言。

特に放課後等デイサービスは、小学生から高校生まで幅広い年代に応じた支援を行えるよう、ガイドラインの全体的な見直しを行うとともに、専門学校や各種学校に通学している場合でも、発達支援が必要だと自治体の首長が認める場合は、サービスの給付決定ができるように制度上の検討を行うよう求めた。

この日の会合では、素案の文言の加筆修正などが検討された。次回会合で報告書案が取りまとめられる見込み。
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おっしゃる通りですが、地域行政の認識は「見守り」が必要か否かで個別サポート加算を決めたり、学習障害を通所支援の圏外だと考えたりする役人がいるので、相談支援事業すらその認識に右になれをしてしまう現実があります。そういう意識で行政が対応するなら、児童発達支援・放課後等デイサービスも、預かり見守りだけなら、テニスやクライミング、筋トレや水泳指導、プログラミングやeスポーツを看板にして、うちの事業所は「見守り」だけじゃなくてこんなに充実していますと売り出すのはむしろ自明の理だと思います。

ASD児が多いのに、視覚支援も構造化支援もない事業所、ADHD児が多いからとオープンスペースで自由にさせ子どもの自律性が育たない事業所など、看板は大きいけど店の中に入ったら売るものがないような事業所も噂に聞きます。相談事業所は子どものニーズを環境調整からアプローチしないので、子どもの特性と環境や支援のミスマッチで行動問題が生じているのに、自尊感情の未成熟という結果を原因にすり替えてしまうので、支援の工夫が検討されず、誰にどれだけ見守ってもらうかという場所と回数の選択に矮小化されます。

これでは利用者の保護者も、問題が生じた学校や園の環境も支援も変わりません。まずは、事業所を管轄する行政が、利用者の障害と環境支援を量的に把握する事が大事です。お話の出来ない子どもへの代替コミュニケーション支援は何をどれくらい用いているのか、行動問題のある子どもがどの程度いて、どんな行動支援がどれくらいなされているのかを調査する必要があります。また、学習障害児へのアセスメントや学習支援はどのような方法が用いられているのかを調べれば、ただの塾なのか学習障害対応なのかすぐにわかります。民間はこうした調査には敏感ですから、すぐに同調してくるはずです。

そうした基本的な支援を定量的に実施したうえでそれぞれの事業所のアクセントをつけるのは構わないが、その逆はないということをガイドラインに示せばいいのです。結局は、行政がどれだけ真摯になって子どもの特性に応じた支援の有無を調査するかにかかっています。ガイドラインを示しているのは行政なのですから、そのガイドラインに沿って民間は仕事をしているのです。検討会報告には、事業者に問題があるというような表現をせず、行政の示したガイドラインが抽象的で分かりにくかったことを反省し、個々の特性に応じてどのような支援が基本なのか示すべきです。資格を持った専門家がいても有効な支援ができているのかどうかは運営主体によって左右されるので別問題です。事業所支援の最低ラインは何かを示すことが大事だと思います。

「ゲームは学びの場」医師と考えるeスポーツ

「ゲームは学びの場」医師と考えるeスポーツとの上手な関わり方

10/3(日) 【毎日新聞】

世界で競技人口が1億人を超えるeスポーツはその人気の陰で、健康被害や依存症を懸念する声も少なくない。世界保健機関(WHO)が「ゲーム障害」を国際疾病として認定するなど対策が求められている。2020年4月から、岡山県共生高校eスポーツ部のチームドクターを務める岡山大学医学部の神田秀幸教授(公衆衛生学)に、健康管理や依存症対策などへの取り組みについて聞いた。【聞き手・杉本修作】

――eスポーツの健康被害とはどんなものか?

神田教授◆体と心の健康への影響があります。実際のスポーツと同じように、使った部分の痛みが起こります。eスポーツでは目や手指、首、腰痛がみられます。小さい時から体を動かさないことによる体格への影響もあります。

また、ゲームに依存する心の問題があります。ゲーム障害は、WHOで国際疾病分類に採用されました。アルコールやギャンブルなど他の依存性とよく似ていて、本人は影響に気づかない。あるいは認めたくない様子が多くみられます。本人が自覚していなくても、家庭や学校生活に影響が出ていることがあります。

周囲の大人は本人が気づくよう導く必要があります。生活に支障がない範囲で、ゲームの内容や展開を大人と子どもが共有する場面も必要です。他方、ゲームが生活の主になってはならないと考えています。

――生徒たちの健康を守るため、チームドクターとして、どのような取り組みをしているのか。

◆共生高校は全日制の高校です。eスポーツ部の活動時間は授業を終えた後の午後3時半から午後6時と決められています。

プレーだけでなく、時間内に、戦略・戦術や役割分担についてのミーティングがあったり、顧問の先生やコーチの指導を受けたりと、他のスポーツ部と変わらない内容です。部活動の時間内、ゲームをずっとプレーしていることはありません。個人の技術力向上のため、家や寮で取り組む課題が出される場合がありますが、例えば、寮に住む生徒の場合、部活動の時間以外で、プレーできるのは2時間以内と決められています。

チームドクターとして毎月、部員と面談をして、体と心のコンディションの把握や調整を行っています。

腕の痛みや目の疲れなど体に関する相談を受けることがあります。ゲーム障害の防止の面から、学校の成績や友人関係、家庭生活などに変化はないかを部員たちに聞いてもいます。さらに、学校での様子などの情報を、先生から聞くこともあります。

高校生として、やるべきことに支障が出ていないか、医師の立場から把握しています。部員たちには、チームドクターとして「ドクターストップがある」と普段から伝えています。部員たちの健康を守るため、心身の両面からアドバイスを行っています。

――そのほか、体調管理についても指導していることはあるか。

◆部員の特徴として、極端に細いか、ぽっちゃりしているか、運動不足を反映した極端な体格がみられます。eスポーツ部の健康管理の取り組みとして、筋肉トレーニングを導入しました。ストレッチのような比較的、軽いメニューからスタートしました。腕立て伏せなど簡単な筋トレやランニングを取り入れたりもしています。

体づくりの取り組みをきっかけに、eスポーツ部の生徒たちは身体を動かす楽しさを知るようになり、その後、自発的にランニングや球技などに取り組む部員が現れてきました。約10キロ体重を落とした部員もいます。

――部員たちがeスポーツを通じて成長している点は?

◆高校までに学校になじめなかったり、いじめの被害を受けたりとさまざまな背景を持った生徒がいます。eスポーツ部の活動を通して学校や社会のルールを守り、協力や助け合いの大切さを知り、友情を育む生徒たちの姿を何人も見てきました。

共生高校が力を入れているゲームタイトルの一つである「リーグ・オブ・レジェンド」は、1チーム5人でプレーします。チームプレーですので、オフェンスやディフェンスなどチーム内で、各自は与えられた役割をこなすことが求められます。ゲームが彼らの学びや成長の場になっている光景をよく目にします。

――保護者の世代では、ゲームに対する懸念や批判が根強くあるのではないか。

◆読むのが害とされた漫画は今や我が国を代表する文化になりました。同様に、黎明(れいめい)期にあるeスポーツも、これから一つの文化として定着していく流れにあると思われます。大人も、子どももeスポーツとの上手な関わり方を一緒に考えていく必要があるのではないかと考えています。

◇かんだ・ひでゆき

1972年5月、島根県生まれ。2005年に滋賀医科大大学院修了。医学博士。米国のジョンス・ホプキンズ大客員研究員、島根大教授などを経て19年より現職。

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子どもに有害と親から言われた漫画は今や我が国を代表する文化になりました。同様に、eスポーツも、これから一つの文化として定着していくと記事は締めくくりました。ビデオゲームがeスポーツになるのは、様々な身体遊びが競技になっているのと全く同じです。走るのが好きな人、跳ぶのが好きな人、泳ぐのが好きな人、滑るのが好きな人、運転や操作するのが好きな人、的当てが好きな人。そして、電子デバイス操作でゲームが好きな人。

競技になれば、どんなものでもスポーツです。日常に趣味で楽しむ人がいて、そのトップに立つ人もいる。頂点を極めるには才能と努力の積み重ねが必要です。サッカーばかりで勉強しなければ大人から非難されますが、頂点を極めれば、プロになればリスペクトの対象です。ゲームだって同じです。そして、頂点を極めるには健康管理が必要になるし、自己管理やチームワークが求められます。勝つためには、一人では難しく、コーチや監督が必要となり、対戦キャリアを積むために、多様な大会へのエントリーも常時必要となります。

つまり、他のスポーツと何ら変わりがないのです。子どもが野球が好きだと、グローブとバットを買い与える親が約束をしたり褒めたり励ましたりするように、ゲームを買い与えた親は振舞えばいいのだと思います。ただ一つ違うのは、子どものゲーム仲間が見えにくいことです。野球やサッカーならチームがあるし、陸上や水泳でも練習場へ行けば仲間やライバルがわかります。ところがゲーム空間ではチャットの相手はハンドルネームだし同好の仲間の集まる練習場も仮想空間です。そういう意味では学校や施設のeスポーツの大会は子どもの頑張りが見えるし、それを支えるスタッフともつながれる良い機会でもあると思います。記事のようにチームドクターがいれば子どもの家族も相談できて理想的だと思います。

店長、また話しに来たよ 河内長野の駄菓子店再開

店長、また話しに来たよ 河内長野の駄菓子店再開

2021/10/02 【読売新聞】

発達障害抱え経営 常連の子どもたちも笑顔
緊急事態宣言が解除され、行動制限が緩和された1日、休業していた河内長野市錦町の「駄菓子や ほうかご」が再開した。店は発達障害のある田仲 訓さとし さん(41)が、2年前から店長として切り盛りする。子どもたちが安心して過ごせる場所となっており、田仲さんが宿題や悩みなどの相談に乗ることも。店内は再び子どもたちの笑顔であふれている。(吉田誠一)

田仲さんは、中学生の時にぜんそくを発症して入院、病院の院内学級を卒業した。体調が回復した後、新聞配達やスーパーなどでアルバイトをしていた。

もともと人との会話が苦手で、24歳の時に発達障害の一つ、アスペルガー症候群と診断された。それでも就職しようと、何度も電器店の面接を受けたが、うまく返答できず採用されなかった。

その後定職には就いていなかったが、「雇ってもらえないのなら、自分で商売をしよう」と考えた。幼い頃、楽しみながら過ごせた駄菓子店が市内でなくなっているのに気づき、2019年6月、自宅近くの空き店舗を借りて、「ほうかご」を開店した。

店内は駄菓子を並べるだけでなく、子どもたちが遊べる場所として大型のゲーム機を置き、自宅からソファやテーブル、椅子を持ち込んだ。トランプや折り紙などもそろえた。販売する駄菓子はアメやチョコ、グミ、スナックなど約150品目。毎月、大阪市内まで仕入れに出向く。

店には放課後、近くの子どもたちが訪れる。〈常連〉は20~30人。「店長聞いてえな。今日学校でな」と話し始める子どもたちに笑顔で向き合い、宿題を教えることもある。

河内長野市内の女子児童(11)は「家から近く、気軽に立ち寄れる」。別の児童(11)も「お菓子を食べながら、店長に学校であったことをいっぱい聞いてもらえる」とうれしそうに話した。

コロナ禍だった昨年春は「子どもが感染しないように」と休業した。今年も5月と8月下旬から9月まで休んだ。店を再開した1日、店内にはたくさんの駄菓子が並び、訪れた子どもたちが田仲さんとの再会を喜んだ。今後も十分換気をするなどしっかりと感染対策をして営業する。

田仲さんは「子どもたちが大人になり、懐かしんで来店してくれるまで頑張って続けたい」と意気込む。

営業は平日午後3時~5時半、土日と祝日は午後1時~5時半。木曜定休。

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昭和の時代、駄菓子屋は子どもの社交の場でした。学校から帰ってきたら10円玉を握りしめて、タコせんべいにソースを塗ってもらい、くじ引きで一攫千金のプラモデルを狙ってギャンブラー気取りで毎日ハズレの紐を引いていました。店主の多くは高齢者で、めんどくさそうに応対し、時間を見計らって「あんたら大声で近所迷惑やから、公園に遊びに行き!」と金のなさそうな子どもは追い払われたものです。

若者の店主は見かけませんでしたが、そういう人がいても良いかもしれません。どれだけ収益が上がるのか気にはなりますが、安物のお菓子と玩具に引き付けられた子どもらが集まってくるなら、失われた地域コミュニティーの再生が期待できます。なんでもかんでも、何とかセンターや事業所でなくても、自然なコミュニケーションを子どもが学ぶ良い機会にもなると思います。

最近、チラホラと自宅の軒先に箱を並べて土日だけ店を開く様子を住宅街に見つける事があります。収益目的と言うよりは、子どもとのコミュニケーションを楽しむ趣味的なお店なのかと思います。昔はこの他にもミニカーを走らせているプラモデル屋さんや、自転車屋さん、手芸屋さん、卓球屋さん等子どもがたむろするお店がありましたが、採算が取れないのか後継者問題なのかほとんど見かけなくなりました。お店は地域再生のための大事な場所です。

「聴覚障害者だけの利用禁止」は差別? ロープウェイ対応

「聴覚障害者だけの利用禁止」は差別? ロープウェイ対応めぐり議論・・・運営会社「早急に対策を」

2021年09月30日【J-CASTニュース】

横浜・みなとみらい地区に誕生したロープウェイが、「聴覚障害者だけでは搭乗できない」と伝えているとして、対応を疑問視する投稿がSNS上に寄せられた。

ロープウェイの運営会社は、緊急時に音声で案内を伝えられないためだと、搭乗禁止の理由を説明した。差別とは考えておらず、障害者だけで乗る要望があるため早急に対策を行いたいとしている。

「スタッフが同乗することで搭乗はできる」とも説明
このロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」は、日本初の都市型循環式をうたい、2021年4月22日に開業した。JR根岸線・桜木町駅前と赤レンガ倉庫などがある新港地区の運河パークを結んでいる。

投稿は、2021年9月28日にツイッターなどに寄せられ、聴覚障害者がロープウェイに行ったとき、「耳の不自由なお客様へ」と題する資料があったとした。

この資料では、ロープウェイが緊急停止したときは、客が乗る各キャビンに音声のみで案内しているため、聴覚障害者だけでの搭乗は遠慮してもらっているとあった。ただ、スタッフが同乗することで搭乗はできるので、希望があれば窓口の筆談で応じるとして、理解を求めている。

これに対し、ツイッター上などでは、聴覚障害者とみられる人たちから、「こういうことを突然、でかけ先で知ることはショック」「スキー場のゴンドラやリフトは乗れるのに」「でも、これは差別だよね」などとロープウェイ側に疑問や批判が相次いだ。緊急時の案内についても、キャビン内に電光掲示板を設置したり、スマホなどで客に知らせたりできるのではないか、との意見も出ていた。

聴覚障害者用の資料について、ロープウェイを運営する泉陽興業(大阪市)は30日、東京支社の担当者がJ-CASTニュースの取材にこう説明した。

「何らかのアクシデントでロープウェイが途中で停止して救助に向かうとき、コントロールセンターの監視室と各キャビンとは無線による双方向通信でやり取りして、お客様の不安を取り除くことにしています。やり取りが伝わらなければいけませんので、スタッフが資料をお見せしてご案内しています」

「タブレットを貸し出して連絡する準備を進めている」
聴覚障害者がロープウェイに来たときは、付き添いがいるかどうか確認しており、いない場合、「もしよろしければ、スタッフが同乗します」などと伝えているという。事前の連絡なく、いきなり行っても同乗の対応はしているそうだ。スタッフは、手話を勉強中のため、筆談ボードを持って同乗するとしている。

「障害を持つ方に対しましては、搭乗を遠慮していただくという意識はなく、楽しんでいただきたいという気持ちは一緒です」として、障害者への差別であることは否定した。

聴覚障害者だけで乗りたいという要望もあるとして、対策を行う考えも明らかにした。

「タブレットを貸し出して、万一のときはそれで連絡するようにする準備を進めています。できるだけ早く、単独やグループで乗れる手はずを整え、ご案内したいと思っています。SNSやメールなどで客に知らせるとすれば、個人情報の取り扱いについて説明しなければいけませんので、あまり現実的ではないと考えています」

なお、ロープウェイの公式サイトでは、車椅子や歩行補助器具を使用している人も、安全のために1人以上の付き添いをお願いしている。こうした人たちにも、タブレットを貸し出すようにしたいという。

神奈川県内の聴覚障害者2団体から「話が聞きたい」との申し入れがあったため、10月1日に東京支社で会う予定だといい、今回の件についても話し合われる模様だ。

(J-CASTニュース編集部 野口博之)

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障害というくくりで差別かどうかと判断することは、話を難しくするだけです。障害のある子どもと外出すると、公共交通や遊園地で様々な「お断り」に出くわしますが、これは差別かどうかと言い始めるときりがなくなります。リフトだって子どもでも乗れますが、乗せるかどうかは保護者の責任です。事故があったときに乗せたほうが悪いなんて言い出すと「お子様単独の利用はお断り」となります。

今回問題になっているリフトは観光用の閉鎖型カプセルであって、仮に停止して救出が必要になれば、それなりの対応ができるはずです。地上と連絡が取れなければすぐさま支障が起こるとは考えにくいです。聴覚障害者はそういうリスクは理解しているし、乗せた会社が悪いなどとは言いません。当事者が差別だと感じ、第3者もそれに同意する人が少なくないなら、先回りした会社に差別の意図がなくても、障害を理由に差別をしたことになります。

ただ、知的障害や行動障害のある人たちの程度によっては、単独の乗車を断るこることは差別にはならないと思います。もちろん提訴される可能性はありますが、それは子どもやお年寄りなどその人の乗車能力を見て危険回避することは人権の侵害にはあたらないからです。しかし、障害と名がついているからと一律に断るのは差別です。当事者に障害ゆえのリスクが理解できているかどうか、ということも差別かどうかの判断にはなると思いますが、これを論じ始めるときりがなくなります。結局はその地域の文化にも左右されるのかもしれません。差別されたと感じたなら、声を上げるべきですが、そう簡単な問題でもないように思います。

不登校の子は「タブレット貸与」対象外

不登校の子は「タブレット貸与」対象外の学校も オンライン授業に参加させない理由

2021/09/30 【AERA2021年10月4日号】

新型コロナウイルス感染を恐れて「自主休校」する子どもと、以前から不登校の子とで学校の対応が分かれるケースが見られるという。AERA 2021年10月4日号はその現状を取材した。
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不登校の子どもたちへの対応も学校によって違う。

小学4年の娘が3年前から不登校の女性(44)は9月中旬にツイッターで、「不登校児にはオンライン授業を提供してくれない」という書き込みを見かけた。そのときは「娘の学校はまだオンライン授業さえ始まっていない」と思ったが、その直後、自主休校の児童向けに授業のオンライン配信が始まっていたことを知った。担任に連絡すると、「タブレット貸与は不登校児は対象外。外部の機器からは個人情報の関係で授業は見られない」と言われた。

「担任とは信頼関係が築けていたと思っていたのに、見捨てられたのかとショックだった。娘にどう説明したらいいのか」

小中高校生の保護者らでつくる「全国学校ハラスメント被害者連絡会」(東京都)は、オンライン学習をめぐって一部の学校が特定の子どもに差別的対応をしていることについて9月末までネットアンケートを実施し、実態調査を進めている。同会共同代表の郡司真子さんはこう指摘する。

「排除のタイプは2種類あって、一つはタブレットを配布されないケース。もう一つは、通常級に通う軽度発達障害などで手のかかるお子さんが『タブレットを配布したので学校にこないでください』と言われたケースも。排除された子どもは『自分はダメなんだ』と思い、自死に追い込まれてしまう場合もあり、大きな問題です」

登校再開につながる

不登校の子どもをオンライン授業に参加させない理由は「ますます登校しなくなるから」といったものだという。一方で、オンライン授業が登校へとつながったというデータもある。

青森市では一斉休校中だった昨年4~5月にかけて市内全校でオンライン授業を実施したところ、中学では不登校の生徒の74.5%が参加し、このうち92.5%が登校再開の5月25日以降も登校した。同市教育委員会の担当者は言う。

「登校を再開した子どもへの聞き取りでは、新しい学習形態に興味を持ったことや、周りの子どもの目を気にせず参加できたこと、決して勉強が嫌いではないことがわかりました」

熊本市も、昨春のオンライン授業は特に不登校の児童生徒に対して有効だったという。そこで今年9月、登校が難しい児童生徒を対象にオンライン学習支援事業を始めた。「支援校」のオンライン授業に参加してもらい、必要な場合は支援校の教員から個別指導も受けられる。在籍校のオンライン授業で学ぶことも可能だが、勉強が遅れている場合などは支援校の授業のほうがより手厚い指導を受けられるという。同市の遠藤洋路教育長はこう語る。

「すべての子どもたちに教育の機会を提供することが私たちの使命。多様な選択肢があるということは、子どもたちが居場所をたくさん持てるということです」
(編集部・深澤友紀)

※AERA2021年10月4日号より抜粋
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自主休校の児童向けに授業のオンライン配信が不登校児は対象外と平気で言える教員の頭の中を覗いてみたいです。手のかかる児童にタブレットを配布してやるから学校に来るなというケースも、ホンマかいな?またメディアのでっち上げと違うか?と思うくらい超非常識な学校もあるようです。それってリアルにいじめです。

不登校児にリモート学習をさせたら、そのまま学校に来ないのではないかという理屈にはエビデンスがあるわけではなく、担当の教員の感覚でものを言っているだけです。科学的な根拠もないのに勝手にルールを作るのは、新型コロナの予防策でもわかるように、わが国固有の特性です。

そして、実施後検証もしないので、一度決めたことを延々と続けるのです。人流抑制や飲食店の営業制限と何の関係もなく感染者は増減しているから自粛策は効果があるのかねと言った麻生発言を、尾身会長も八割叔父さんも知らん顔です。

1億人を巻き込んでも、一度決めたことが正しいかどうか振り返ることもできないのです。緊急事態宣言に閣僚として関わったくせに、後出しジャンケンのような発言をする麻生さんもどうかとは思いますが、知らん顔して振り返りもしない専門家チームなら科学者とは言えないと思います。

リモート学習が登校再開につながればいいですが、それにはデータが少なすぎて楽観的な期待のようにも思えます。一番大事なのはリモート学習と対面学習でどんな違いが出るのか調査をきちんとしてほしいと思います。

学力はどう変わるのか。コミュニケーション力には違いが出るのかどうか、対面学習と学力結果が同じなら、それは教え方の問題なのかどうか。そろそろ、感覚だけで判断して人心を惑わすような話は、教育界からはなくしてほしいと思います。子どもが振り回されて可愛そうです。

3歳虐待死 摂津市「暴力放置」判定も「緊急性低い」と判断変えず

3歳虐待死 摂津市「暴力放置」判定も「緊急性低い」と判断変えず

2021/9/28 【毎日新聞】

大阪府摂津市のマンションで8月、新村桜利斗(にいむらおりと)ちゃん(3)が熱湯をかけられて死亡した事件で、市は母親から交際相手の松原拓海(たくみ)容疑者(24)=殺人容疑で逮捕=に関する暴力相談を受けた5月、児童相談所と協議し、桜利斗ちゃんの家庭について「第三者の暴力を放置している」と判定していた。ただ、桜利斗ちゃんにけががないことなどを踏まえ、「緊急性は低い」との判断を変えなかったという。

森山一正市長は28日に記者会見し、「男児の命を救えなかったことを重く受け止めている。児相に『(一時保護を含め)担当してくれ』ともっと強く言えなかったかとの思いはある」と説明。大阪府に設置される検証部会に協力するとともに、市も対応の是非について内部で調査する考えを明らかにした。

市によると、母親から5月6日、松原容疑者について「子供のほおをたたいた」と相談を受けた。母親は以前から「育児放棄」の疑いがあるとして見守り支援を続けてきた経緯があり、大阪府吹田子ども家庭センター(児相)と協議し、暴力を止められない対応も育児放棄に当たると判定したという。

しかし、松原容疑者は家庭訪問した市の担当者に「もう手を出さない」と約束。桜利斗ちゃんの母親の知人らからは6月に虐待を疑わせる訴えがあったものの、母親との面談を重ねる中で桜利斗ちゃんにけがが確認されなかったことから、市と児相は一時保護などの対応は取らなかった。桜利斗ちゃんは8月31日、熱湯をかけられたことに伴う熱傷性ショックで死亡した。

今回の事件では、市と児相が「緊急性が低い」との判断を変えなかったことから府警と情報共有していなかった。森山市長は「警察との連携は避けて通れない」と述べ、情報共有のあり方を検討する方針も示した。【郡悠介、高橋昌紀】

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3歳虐待死「行政対応の検証必要」 大阪知事が第三者部会を設置意向

2021/9/24 【毎日新聞】

大阪府摂津市のマンションで3歳の男児が熱湯をかけられて殺害された事件を受け、吉村洋文知事は24日、医師、大学教授、弁護士ら5人による第三者部会を来週にも設置し、行政機関の対応が適切だったかどうか検証する考えを示した。

吉村知事は記者団に「事件には胸が痛み、言葉がない。児童相談所(児相)も情報を共有していた案件であり、悲惨な事件を防げなかったのか検証する必要がある」と述べ、部局に指示を出したことを明らかにした。

府内では、児童虐待に関する全件の情報を児相と警察が共有する「全件共有」を行っている。しかし、今回の事件では、児相ではなく、摂津市が対応する「市町村担当事案」になったため、全件共有の対象にはなっていなかった。吉村知事は「なぜ今回は児相(が担当する)案件にならなかったのか、市町村担当事案でも全件共有しなくていいのかについても検証する」と語った。【矢追健介】

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「たっくん、いや」虐待死3歳が再三SOS 悲劇防げず知人悔い

2021/9/23 06:30【毎日新聞】

大阪府摂津市のマンションで8月、交際相手の息子だった3歳の男児に熱湯をかけて殺害したとして、大阪府警は22日、同居していた無職の松原拓海容疑者(23)を殺人の疑いで逮捕した。

亡くなった新村桜利斗(にいむら・おりと)ちゃんは事件前、「SOSのシグナル」を幾度となく発していた。虐待を疑った周囲は行政に一時保護を求めていたが、悲劇を防ぐことはできなかった。母親の知人らは「桜利斗は何も悪くない。大人が幼い命を救ってあげられなかった」と悔やんでいる。

「たっくん、いや。たっくん、いや」。知人らによると、桜利斗ちゃんはよく、たどたどしい言葉でこう訴えていた。逮捕された松原拓海容疑者は「たっくん」と呼ばれていた。桜利斗ちゃんは帰宅することを拒むような仕草を見せたこともあったという。

桜利斗ちゃんの母親は夫と離婚後の2018年10月、桜利斗ちゃんとともに大阪府内の別の自治体から摂津市内に転居。20年秋ごろから松原容疑者と交際し、同居を始めたのは事件の約3カ月前だったとされる。

知人らはマンションに遊びに行った際、松原容疑者が桜利斗ちゃんを怒鳴ったり、物を投げつけたりしている姿を目撃。顔に不自然な傷を確認したこともあった。21年6月には「虐待の可能性がある」と考え、摂津市役所の家庭児童相談課に桜利斗ちゃんの一時保護を求めていた。

市によると、母親と桜利斗ちゃんは以前から「行政による継続的な見守りが必要な母子」とされていた経緯があり、支援担当者が毎月1~2回、母親と面会を重ねていた。

母親も5月初旬、「交際相手が子どもに手を出した」と相談していたが、松原容疑者が市側に「もう手を出さない」と約束していたという。市の担当者は「緊急的な危険があるとは考えていなかった。対応に問題はなかった」と話した。

人なつっこい性格で周囲の人気者だったという桜利斗ちゃん。母親は4月、自身の写真共有アプリ「インスタグラム」に、「プレゼントもめっちゃ喜んでくれてよかった」とのメッセージを投稿。3歳の誕生日を迎えた桜利斗ちゃんがケーキの前で手を広げ、笑顔をふりまく写真も添えられていた。知人の一人は「あんなにかわいい子を救えず、悔しい気持ちしかない」と語った。【木島諒子、清水晃平】

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森山市長はこの期に及んでも、当時の役人の判断を間違っていたとは言いません。子どもが一人死んでいるのに、周囲の住民は予測がついていたから通報しているのに、市長が役人を守ろうとする意味が分かりません。吉村知事は第三者委員会を持って責任を検証するという暢気なことを言っています。まずは、この時の責任者や関係者を行政の長として処分すべきだと思います。森山市長は、市の虐待担当の担当者と責任者を、吉村知事は児相の今回の担当者と責任者をまず更迭すべきです。

組織の長が直接できることは人事しかないのですから、まず、市民に対して責任ある態度をとるべきだと思うなら役人の更迭です。解雇せよと言っているのではなく、業務の失態を指摘し配置換えをすればいいのです。もちろん格下げは仕方がないことですが、それくらいの責任を果たすべき地位と給与を与えているはずです。その責務が結果的に果たせず市民の信頼を失っているのですから更迭は当然です。

おそらく府に見習って摂津市も第三者委員会をと言い出すかもしれませんが、それでは役人は痛くもかゆくもないのです。しかも、今回のような事件は、会議をするほどの中身ではないはずです。母親だけでなく知人も訴えてきた時点で、仮に児相が取り合わなくてもいくらでも方法はあったはずです。問題は摂津市の担当者の姿勢です。幼児への暴力は死に直結します。暴力の存在を認めた時点で、役所は警察に届けるべきでした。松原拓海容疑者が市の担当者に「もう手を出さない」と約束したから許したという、小学生並みの対応を容疑者にしています。

普通なら、この時点で担当者から報告を受けた責任者が通報を決断するべきですが、漫然と部下に任せていたのですから、更迭されて当たり前なのです。メスを獲得するため少なくない野生の大型動物は子殺しをします。松原拓海容疑者はそれと同等です。野生の衝動に突き動かされて理性など働いていないのです。理性のない人に約束など通じない、そんな基本的な判断もできなかった役人には、二度と同じ部署で働いてほしくないというのが普通の市民感情だと思います。

神奈川・相模原市で障害者専用のワクチン接種会場

神奈川・相模原市で障害者専用のワクチン接種会場【新型コロナ】

2021/09/15【TBS】

新型コロナワクチンの集団接種会場に行くのが難しい障害者を対象に、神奈川県相模原市では専用の会場を設けて接種を行う取り組みを行っています。

記者
「相模原市では、障害者専用の接種会場が毎週水曜日、設けられています」

この取り組みは障害があり、多くの人が集まる会場では接種が難しい人に安心して接種を受けてもらおうと、相模原市が今月から始めたものです。車いすや知的障害のある人たちが、親に付き添われて接種を受けていました。

付き添いの親
「障害があって普通の接種会場ではできないので、こういうところがあってありがたい」
「スムーズに打ててよかった。障害があるので、落ち着いてできるほうがいいのかなと。親も気を遣わなくていい」

相模原市ワクチン接種推進課 成澤正成主査
「安心して受けられる接種会場はないかという声があったので、そういう経緯から会場を設けた」

相模原市では、専用の会場であわせて300人ほどの接種を予定しているということです。

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発達・知的障害者の接種イラスト、ご褒美…不安和らげる工夫を

2021/9/13【毎日新聞】

発達障害者や知的障害者の家族の中には、新型コロナウイルスのワクチンを本人にどう接種してもらえばいいのか悩んでいる人もいる。接種の意味や手順が分からず、気持ちが乗らなくて時間通り会場に行けなかったり、注射器の針を見てパニックになってしまったりする可能性もあるためだ。

静岡県在住のイラストレーター、むらまつしおりさん(28)は、重度の知的障害がある弟の裕樹さん(24)が8月までにワクチン接種を受けた様子を軽いタッチの漫画で描き、インスタグラムなどで紹介している。

裕樹さんは、行き慣れた通所施設やかかりつけ医ではワクチン接種を受け付けていなかったため、自治体の集団接種会場でワクチンを打つことになった。

会場に行けるか不安だったが、切り札になったのは紙のカタログ。無料で配布される冊子で、商品などが掲載されている。裕樹さんは紙の感触が好きで、接種会場へはカタログを手に出かけ、スムーズに接種が受けられた。

漫画では、医師の問診の間、カタログを見て心を落ち着かせた裕樹さんの様子を描いている。裕樹さんの接種当日に、しおりさんとともに付き添った母由美子さん(56)は「カタログが心の安定剤になった」と振り返る。

1回目の接種では、由美子さんが職員に障害があることを伝えると介助に加わってくれた。2回目では職員が対応を引き継いでくれて、接種の待ち時間から終了まで別室で対応してくれたという。待機中は、マスクをとろうとする裕樹さんを、しおりさんとともに制止する場面も。由美子さんは「1人で対応していたら大変だったので、娘や職員がいてくれて心強かった」と話す。

知的障害や発達障害のある人の中には、ワクチンを接種する意味や手順を理解できない人もいる。また、痛みに敏感で、感情を抑えられずにじっとしていられないこともある。言葉や文字よりも視覚で理解する方が得意な傾向があるため、接種の流れをイラストや写真など、目で見て分かりやすく説明する方が効果的な場合もある。

自閉スペクトラム症(ASD)の当事者の家族らでつくる埼玉県自閉症協会は、ワクチン接種の流れを示したイラストの表をホームページで公開している。

ASDの人は、自分がこれから何をするのか見通しが持てないと不安になることが多い。そこで、検温▽座って待つ▽問診▽注射――といった一連の接種の流れをイラストで分かりやすく表した。接種後の副反応の様子を指さしで自分から伝えられるよう、「肩が痛い」などの体調を表すイラストを並べたものもある。

表は会長の小材由美子さん(59)が、自閉症と重度の知的障害がある長男(35)向けに試行錯誤して作成したものだ。小材さんは「イラスト表はあくまで一例。伝わりやすいイラストや見せ方は一人一人違うので、これを参考にして本人に合った方法を見つけてほしい」と話す。

障害者専用の接種会場を設ける自治体もある。東大阪市では、マスクを着けられないなどの事情で一般の集団接種会場やかかりつけ医での接種が難しい障害者を対象に、市立障害児者支援センターで集団接種をしている。接種には、普段から障害者の治療や支援にあたる医師や看護師が携わる。担当者は「落ち着いた環境で安心して接種できるようにしたい」と話す。相模原市なども、障害者を対象とした臨時の接種会場を設けている。

予防接種に詳しい「はしもと小児科」(東京都八王子市)の看護師、伊藤舞美さんによると、発達障害や知的障害のある子どもは先の見通しがはっきりしないと不安になることが多いが、接種の手順をイラストで示してあげることで和らぐことが多いという。また、注射を打つ前で緊張しがちな時は、「お昼ご飯は何を食べたの」などと尋ねて気をそらす▽接種後に褒めたり、ご褒美をあげたりする――なども恐怖感を取り除くために有効になることが多いという。

逆に絶対にしてはいけないのは、何も説明しなかったりうそをついたりして接種を受けさせることだという。本人はだまされたと思い、保護者も医療者も信頼をなくすため、今後の受診などにも影響する場合がある。

接種部分の痛みを和らげるため、麻酔の効果があるシートを活用することも勧めている。伊藤さんは「痛みを我慢するのが当たり前になってしまっているが、工夫をすることで痛みを取る方法があることも知ってほしい」と話す。【中川友希】

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障害がある人も安心してワクチン接種を 専用会場設置 相模原市

2021年9月8日 【NHK】

障害がある人に安心して新型コロナウイルスのワクチンを接種してもらおうと、相模原市は8日から専用の会場を設けて接種を始めました。

相模原市は、障害がある人が大規模接種会場などふだんと違う環境になると混乱してしまうなど、ワクチン接種が難しいケースもあることから、安心して接種してもらうための専用の会場を設けました。

会場となった市立障害者支援センターには、予約をした人たちが保護者と一緒に訪れ、医師が接種を受ける人たちに体調などを尋ねたあと、次々とワクチンを接種していました。

対象となるのは療育手帳などを持つ相模原市の12歳以上のおよそ3000人で、市では今後、毎週水曜日にそれぞれ96人を限度にワクチン接種を行うことにしています。

子どもに付き添って予防接種に訪れた40代の母親は「息子は障害の特性で周囲に合わせるのが難しく、落ち着いた環境で接種ができるのは助かります」と話していました。

相模原市新型コロナウイルスワクチン接種推進課の成澤正成さんは「障害のある方も含め、希望する方全員に安心してワクチン接種を受けてもらえるよう取り組みたい」と話していました。

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9月24日に、9月23日のテレ朝の報道(不安和らげる工夫を 障害者に「専用ワクチン会場」09/24)を、注射が怖い子どもたちの事として掲載しました。ところが、9月27日にはテレ朝のホームページから動画も一緒に記事が消えていました。テレ朝が配信しているANN系メディア各社のホームページからも全て削除されていました。おそらく、視聴者が大勢クレームをつけたので取り消したと推測できます。けれども、何もコメントしないで記事そのものを削除するのは、人のことはあれこれ言うのに自分のことになると口を閉ざすようで潔く見えません。

相模原市の専用会場設置について記事に取り上げたのはNHKが最初です。それを見て、TBSやテレ朝の順序で取材をしたという事でしょう。おそらくASDと思われる男子が暴れるのを押さえつけて接種している場面に一部の視聴者が反応したのだと思います。同じ内容のTBS動画のコメントに、虐待だとか嫌がっているのにというコメントが散見されるので掲載後に問題の箇所をカットして編集し直したのかも知れませんが、これについてもTBSのコメントは何もありませんでした。

毎日新聞の報道のように視覚支援など様々な工夫をして支援者が努力することはとても大事です。だた、支援者の努力が必要ですと書けば解決するのかというと、それだけではすぐには上手くいかない人がいるのも現実です。押さえつけての接種はけしからんと言うのは簡単ですが、それを突き付けられた支援者や医師らからは、任意なのだから嫌がって暴れる人は接種しないという見解を引き出してしまうだけです。しかし、それでは障害のある人もない人も健康に暮らせる社会を作るという目標には到達できません。

クレームをつける人たちの中には、そもそも接種そのものが無意味だと思っている方や、ワクチンの副反応が危険だと考えている方もあり、ワクチン接種の不安を煽る目的でクレームをつけているのかも知れません。しかし、映像を見て純粋にひどいじゃないか、かわいそうじゃないかと思う方もいたと思います。以前にも書いたように、今回のワクチン接種の報道で障害者医療の課題が社会に顕在化しただけのことで、必要な接種や点滴、怪我の治療についての問題は、コミュニケーションに障害のある人たちと家族がずっと抱えている問題なのです。クレームをつける人たちはそれも虐待だとは言えないと思います。

本来は、テレ朝はそのことを端折らずに報道すべきでした。NHKやTBSも綺麗に建前だけ報道するだけでなく、当事者や家族が本当に困っていることを解決するために、取材を続けて欲しいと思います。そのうえで毎日新聞で報じたような知恵がみんなに広がればいいと思います。テレビは事実を切り取って報道するので、詳しく説明できない事もありますが、たくさんの人に訴える力は絶大なのですから、コミュニケーション障害を持った方と医療の問題を煽るだけの目的のクレームやバッシングの圧力に負けないで事実を取材してほしいと思います。

不安和らげる工夫を 障害者に「専用ワクチン会場」

不安和らげる工夫を 障害者に「専用ワクチン会場」

9/23(木) 【テレビ朝日】

新型コロナワクチンの接種率は21日時点で、全人口のうち67.2%が1回目を終えました。2回目は55.1%と、アメリカの接種率を超えました。

こうしたなか、神奈川県相模原市は今月、障害者専用の接種会場を設置しました。接種と受けるのは、知的障害や精神障害がある人たちです。

障害者対応の経験がある医師と看護師が対応し、ゆとりを持って打てるよう、予約の間隔も15分ほど空けられています。

付き添いの親:「病院だと狭かったりするので、車いすの利便性などを考えて打つのを考えちゃうんですけど」

付き添いの親:「他の方やスタッフに気を使って頂くこともあると思うし、この子がどういう状態かも分からないので、心配もされるかなとか」

付き添いの親:「暴れてしまう子は押さえつけるので、時間がかかってしまう。(接種を)先生の方から断られてしまうこともある。今まで、それでなかなか打てない。良かったです」

22日は約90人が、接種を受けることができました。

相模原市ワクチン接種推進課・成澤正成主査:「障害のある方や家族からすると、安心して接種をしたいという思いもある。一人ひとりに寄り添った、安心して受けられる環境を整備していくのが、我々には求められているのかな」

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私たちの事業所にも、知的障害児の親が安心して子どもに接種を受けさせることができる医療施設はないかという問い合わせがあります。小さな時期は押さえつけられたけれども小学生以上になると親の力では押さえつけるのは無理だと言うケースです。今回の新型コロナ予防接種で顕在化しただけで、他にも身体が大きくなってから必要なワクチンはあります。3年生から追加接種の日本脳炎や女子なら6年生からのHPV、任意だけどインフルエンザやおたふくかぜや髄膜炎ワクチン接種もあります。

今回は、蔓延防止の観点から障害のある人の予防接種がクローズアップされましたが、痛かった思い出のある病院や白衣を見るだけで診察室にも入らない子どももいます。注射針のあるものは受けられないと言うことで、点滴すら難しいのです。もちろん生命にかかわる場合は、ベットに拘束してでも接種します。子どもの新型コロナワクチンについては、基礎疾患がなければ小学生は軽微な風邪ひき程度なので接種の必要がないという医師もいますが、困っているのは中高生の知的障害の人たちですし、他の接種でも困っているのです。なんとかインシュリン注射針のような痛みのない注射針が標準仕様になってくれないものでしょうか。

パラリンピック ボッチャで金 杉村「勝ち続け 注目集めたい」

パラリンピック ボッチャで金 杉村「勝ち続け 注目集めたい」

2021年9月21日 【NHK】

東京パラリンピックの球技、ボッチャで日本初となる金メダルを獲得した杉村英孝選手がNHKの取材に応じ「盛り上がりを一過性に終わらせないためにも勝ち続けることで注目を集めたい」と今後の決意を述べました。

ボッチャは、赤と青のボールを投げ合って白い的球にどれだけ多く近づけるかを競うパラリンピックの球技で、杉村選手は東京パラリンピックの個人で金メダル、団体で銅メダルを獲得しました。

特に金メダルはこの競技では日本選手として初の快挙で、NHKのインタビューに応じた杉村選手は「過去の自分に打ち勝つこと、そして何よりも大好きなボッチャを思い切り楽しむことをテーマに臨んだが、弱かった自分に勝てたのが決勝の結果につながった」と振り返りました。

また、障害の有無や年齢、性別に関係なくプレーできるスポーツとしてボッチャが注目を集めていることについて「東京大会が競技を知ってもらうきっかけになったことはうれしいが、この盛り上がりや勢いを一過性に終わらせないためにも、選手としては勝ち続けることで注目を集めていきたい」として今後の決意を述べました。

そのうえで「競技者としてこれからも成長していきたいし、障害がある方々が自分もやってみようかなとか、頑張ろうかなというような前に一歩進むきっかけになることができたらいい。目の前の試合を一つ一つ大事に戦ったその先にパリパラリンピックがあると思っている」と3年後を見据えていました。

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ボッチャは、白玉(ジャックボール)に近い球が多い方が勝ちと言う単純なルールですが、相手の玉を弾き飛ばしたり相手の得点進路を妨害したりと、攻防の駆け引きがあり初心者から上級者まで楽しめるスポーツです。京都では京都市障害者スポーツセンターが来年の1月に23年目のボッチャ大会を開催します。京都府では特別支援学校が東京オリパラを迎えるために取組んできています。

ボッチャは、小学生から高齢者まで取組めるスポーツで、縦12.5m横6mで丁度テニスコートの半分の広さがあればゲームができます。放デイでもコートがあれば簡単にチームゲームができるのでコロナ騒ぎが静まれば、京都府のボッチャ協会などにお願いして教えてもらうのも良いと思います。京都ではトヨタ自動車の販売店が協力してくれています。ボッチャと言えば車いすの競技のようにイメージしますが、歩ける人でも楽しめる競技なので、子どもたちと一緒に取り組んでいけたらいいなと思います。

複数児童に差別的な発言や体罰 特別支援学級で

複数児童に差別的な発言や体罰 特別支援学級で長期間繰り返す姫路の小学校教諭

2021/9/21 【神戸新聞NEXT】

兵庫県姫路市立小学校で特別支援学級を担当していた男性教諭が、同学級の複数の児童に対し、差別的な発言や体罰を長期間繰り返していたことが20日、学校関係者への取材で分かった。学校側は17日に保護者向けの説明会を開いて謝罪。人事権を持つ兵庫県教育委員会が、厳しい処分を検討しているとみられる。

関係者によると、男性教諭は数年前に同校へ赴任し、特別支援学級を担当。受け持っている児童の障害や特徴をからかうような発言を長期間、繰り返していた。ほかにも、プール指導の際にいやがる児童の顔を無理やり水に漬けたり、羽交い締めにしたりする体罰も加えていたという。

一部の保護者から教諭の行為に対する苦情が寄せられ、学校に行きたがらない児童もいたという。学校側は別の担当者らから事情を聴き、事実関係を確認した。教諭は現在、担当から外れているという。

17日にあった保護者向け説明会では、校長が事例を挙げながら経緯を説明したという。出席者の一人は「悩みを抱える児童や親に追い打ちをかけるような言葉もあった。男性教諭の行為は許せない。もう教壇に立たせないでほしい」と憤りを隠さなかった。

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「生きてる価値ない」「二度と学校に来るな」と暴言 特別支援学級で体罰の教諭

2021/9/21 続報【神戸新聞NEXT】

兵庫県姫路市立小学校の特別支援学級を担当する男性教諭(39)が児童に暴言や体罰を繰り返していた問題で、男性教諭の暴言には「生きている価値がない」「二度と学校に来るな」など、児童の人格を否定するような内容が含まれていることが分かった。本来、児童の特性に合わせた指導が求められる特別支援学級で人権侵害といえる事態が継続していたとみられ、兵庫県教育委員会は事態を重くみて、21日付で男性教諭を懲戒免職処分にした。

姫路市教委などによると、男性教諭は2011年度に採用され、16年度に同校へ赴任。18年度から特別支援学級の担任になり、自閉症や情緒障害のある児童向けのクラスを受け持っていたという。

暴言や体罰は複数年にわたり、計6人が対象になった。児童が指導に従わない場合にみられたという。男性教諭は「なかなかうまく指導できず、かっとなった」と説明。現在、心身の不調を理由に休んでいる。

同校によると、今回の問題について同校が本格的に調査を始めたのは今年6月から。暴言や体罰により学校を休んだり不登校になったりした児童はいないという。

同校では21日、全児童に校内放送で今回の問題について説明した。今後はスクールカウンセラーの枠や人員を増やして、児童のケアに当たるという。校長は「子どもにはつらい嫌な思いをさせてしまった。安心して学校に通えるよう精いっぱい対応したい」と話した。

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「またか」です。それも二重の「またか」です。また特別支援学級・学校での体罰教員、また兵庫県での虐待事例です。少なくとも障害児への暴力や暴言は「体罰」というようなグレーな言葉をメディアは使うべきではないと思います。児童虐待、傷害罪、暴行罪、侮辱罪の容疑者扱いをすべきです。こうした教員の暴力等は「初犯」ではないことが多いです。指導力不足教員は通常学級ではすぐに破綻するので、特別支援学級の担任を任せるか、支援学校に異動を勧めるケースが少なくありません。

講師なら、辞めさせることもできますが、正規教員は犯罪を起こさない限り簡単には解雇できません。公務員の既得権限と労働組合に守られているからです。時が経つまでうつ病か適応障害の診断を受けて病気休暇をとらせ、時期を見て異動させるのです。不適切な指導を何度繰り返しても、結果的には組織が自分を守ってくれるのですから、不適切指導を繰り返している教員は、自分の問題として受け止めていません。問題が表面化しても子どもや保護者が悪いと思っています。反省しているなら同じことを繰り返すわけがないのです。

また、子どもが犠牲になっているのに自己保身を優先する管理職を目の前にする教員は、不良教員を注意するのも告発するのも馬鹿らしくなります。こうして、職場は腐っていきます。自分もこれくらいないなら、あいつよりましだと子どもへの指導の質も熱意も落ちていきます。子どもの未来を担う教員に、罰を課して襟を正させるなどは本当に残念ですが、一罰百戒しかないのだろうと思います。学校教員による児童虐待には、厳しい処分で臨むべきです。

今回は懲戒免職処分となりましたが、社会的制裁を受けたとして刑事告発は受けないのでしょうか。減給10分の1か月で1か月分(5万円程度)の処分を受けた校長は「精いっぱい対応したい」と言ったのですから、暴行について刑事告発するのが筋です。解雇しても法的な瑕疵は償われていないからです。何百の児童が正しい大人とはどう決着を付けるのか見ています。現在、県教職員人事課長のみのコメントしか報道されていません。市長が即座に見解を発表しないのは、発表するほどの人権事件ではないと考えているのでしょうか。教育長では身内を切りにくいので、職員不祥事の際は市民から選ばれた教育長の解任もできる市長が相応しいと思います。最後まで姫路市の動向を見届けようと思います。

「小6女子いじめ自殺」事件に向き合わなかった名物校長

「小6女子いじめ自殺」事件に向き合わなかった名物校長は、教育長に栄転した
保護者たちが校長の対応に憤るワケ

2021/09/16 【PRESIDENT Online】

昨年11月、東京都町田市の小学校で、小6の女の子がいじめを苦に自殺した。この学校はICT推進校で、全国に先駆けて「一人一台端末」を配り、校長はその旗振り役として有名だった。しかし、いじめの背景に端末の存在があったことから、校長は「いじめは解決していた」と事実を否認。保護者たちはその態度に憤るようになる。

死から2カ月半後に重大事態の発生を報告
1月19日、山根達彦さん(仮名)、山根弘美さん(仮名)夫妻は代表委員会に出席して、娘の詩織さん(仮名)がいじめを苦に自殺をしたことを学校関係者に伝えた。

参加者は、PTA役員とクラス委員を務める保護者たち。これまでさまざまな臆測が飛び交っていたが、初めて、亡くなった本当の理由を伝えることができた。それを聞いた保護者たちは学校の対応への不満を口にした。

「詩織さんはいじめられていたことを9月の心のアンケートに書いていたのに、それがいかされなかったことは残念でなりません。いまのままでは学校に不信感が募るばかりで、このまま学校に通わせていいのか大丈夫なのか、不安です」

「正直、学校側の対応には落胆しました。今回の山根さんのことは、絶対闇に葬られてはいけません。学校側はこのまま終わらせていこうとする姿勢としか思えません。山根さん親子の声、この出来事を、子どもたちを含め全世帯で共有してこそ、私たちも次に進める第一歩になるのではなかと思います」

「先日の代表委員会の場で、校長先生があの場を去ったことにとても違和感を覚えました。緊急事態宣言のなか、学校へ向かう意味がある、話し合いの場だと思い、足を運びました。これは一人のお子さまが亡くなっている、命の話なのに、一方的に漠然としたお話をされ、この話を代表委員の保護者にしか説明しない……というのは、どういうお考えのもとなのでしょうか。昨今は、先生方がとても忙しいように見て、ICTも大事だと思うのですが、もう少し本質的な学校の在り方を見直してほしいと思います。ぜひ、学校には形だけでなく、心の通った対応をお願いしたいです」

PTA会長はこうした声を「意見書」にまとめて、1月22日にA校長に提出した。1月27日という約束の期限から遅れて2月1日に返ってきたA校長の回答には、「遺族の意向に沿ってやってきた」という嘘が書かれていた。

山根夫妻は12月25日に「いじめの調査の第三者委員会を立ち上げてほしい」という要望を伝えている。しかし、A校長が「重大事態」が起きたことを町田市教育委員会に報告したのは、2月15日のこと。11月30日の詩織さんの死から2カ月半もの月日が経過していた。

2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」では、第28条第1項に「いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認める」事態(自殺等重大事態と呼ばれる)を「重大事態」と定義。重大事態が起こった際には速やかに教育委員会などに報告し、第三者委員会を立ち上げて調査することを求めている。A校長の対応は、法律の趣旨を無視するものだ。

「いじめで自殺は間違った噂」と保護者に説明
2月20日には全校の保護者を対象にした臨時保護者会が開かれた。ここでも詩織さんが亡くなった理由は説明されなかった。むしろA校長は、「いじめで亡くなったという“間違った噂”が流れている」と話した。

「A校長は冒頭で、『いじめで亡くなったという間違った噂が流れているので臨時保護者会を開いた』と説明されました。そして、『遺書を見て、9月にはいじめがあったことを認識していたが、10月、11月の心のアンケートには何も書いていないので、解決した。いじめと自殺は関係ない』と話されました」(PTA会長)

そして、「タブレット端末の使い方とネットトラブルの防止について」というプリントが配られた。そこには「町田市の方針で2020年11月にチャットは使用不可設定になり、本校でも使えなくなったこと」「児童のIDパスワードは家庭と学校で管理すること」などが書かれていた。

学校では昨年12月中旬、唐突に子供たちの端末のアカウントを作り直させている。

そこでは従来の方針と変わって、個別にパスワードを設定させているが、なぜ、そのように変更したのか、理由の説明は一切ない。従来のやり方に問題があったから、アカウントを作り直したのではないのか。

A校長は、メディアでの取材でICTについて「あえてルールを設けず、子供の自主性に任せて、失敗のなかで学ばせる」という方針を語っている。だが、いじめについても、端末利用のトラブルについても、どこに問題があり、どんな解決策を採ったのかを説明していない。それは「失敗のなかで学ばせる」という言葉に反しているのではないだろうか。

死から3カ月後に、初めて弔問に訪れる
2月24日。山根夫妻は、突然、A校長が副校長と6年生の担任3人を引き連れて自宅へ弔問に訪れたので、心底驚いた。これまで自宅には一切来ようとしなかったからだ。

父親の達彦さん(仮名)は、思わず「一体、どういう風の吹きまわしだい?」と聞いてしまった。詩織さんの遺影の前に無言で座るA校長らに対し、母親の弘美さん(仮名)は、「3カ月もたったのに、これまでどうしてきてくださらなかったのですか? どうして、死んでまで何もしてくれなかったのですか? 卒業まで子供たちに何をしてあげるのですか?」と泣きながら、問いかけた。

父の達彦さん(仮名)と詩織さん(仮名)。父の日の思い出のスナップ父の達彦さん(仮名)と詩織さん(仮名)。父の日の思い出のスナップ(写真=母親提供)
A校長は「私たちが本当に至らなくて、申し訳ありません。失礼な対応がいろいろあったので、謝りにきました」と説明した。「失礼な対応」とは、詩織さんの机と椅子が片付けられてしまった件を指す。詩織さんが亡くなった後、詩織さんの席に勝手に座ってしまう子供がいたため、担任のB先生が机と椅子を片付けてしまったのだ。弘美さんは「卒業まで詩織をクラスの一員でいさせてほしかった」と泣いた。

この日は加害者のC子・D子とその親も弔問に来ていた。立て続けの訪問に「今日は何かあったのかな?」と山根夫婦は顔を見合わせた。

その日に何があったかは、あとで知ることになった。この日の午前中、A校長が東京都の自治体の教育長に任命されたのだ。山根夫妻は「正式に任命されて安堵したから、弔問に来られるようになったのではないか」と受け止めた。

子供たちの心に傷を残したまま卒業
3月11日の定例の6年生保護者会では、学校側が初めて「自殺の原因の一つに、いじめがあったこと」を認め、対応を謝罪した。

事件後、詩織さんの担任のB先生は精神的に追い詰められて、学校にいけない時期もあった。謝罪した際に、副校長や6年生の担任の先生たちは目に涙を浮かべながら、深々と頭を下げていたが、「A校長だけはうんざりした様子で、下を向いてうなだれるだけで、頭を下げることはなかった」と保護者は口をそろえる。

そしてA校長は3月末に定年退職し、この4月より教育長を務めている。

詩織さんと幼なじみだった娘を持つ保護者は言う。

「詩織ちゃんが亡くなったと知ったあと、娘は一人で夜寝ることができなくなりました。夜に何度も起きて、学校であったことを思い返し、メモを取っています。熟睡できなくなってしまったんです」(加藤和江さん/仮名)

詩織さんと同じクラブ活動をしていた同級生の女の子は、卒業式が終わってすぐに全身にじんましんが出た。医師は「精神的ストレスだろう」と診断したという。学校が怖くなってしまった子供や、部屋に引きこもるようになってしまった子供もいた。

「2月下旬に『命の授業』が開かれましたが、娘のクラスでは子供たちが『こんな授業をしたって意味がないじゃないか』『いじめだって、否定したくせに』と泣き怒りして大変だったと聞きました。結局、子供たちの心に向き合わず、深い傷を残したまま、卒業となってしまいました」(加藤さん)

詩織さんの母、弘美さんは訴える。
「私たちはかけがえのない娘を失って、何があったのか、本当のことを知りたかった。学校でいじめが起きてしまうこと、それ自体は、先生たちの責任ではないと思っています。ただ、解決に向けて子どもに寄り添ったり、原因究明に真摯に向き合ってくださらなかったことに絶望しています。学校ではいじめ自殺が起きたときに、いじめの事実を隠蔽するケースがあとを絶ちません。なぜなのでしょうか? A校長が教育長に栄転したように、学校はいじめを隠蔽した人が評価される組織なのでしょうか? ことなかれ主義を変えない限り、これからもたくさんの犠牲者が出てしまうのではないかと危惧しています」


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プレジデントオンラインの取材には、いじめの実態と自殺後の校長とのやりとりなどが詳細に報道されていました。ご両親が文部科学省にまで出向き記者会見をした背景には、学校側への不信感、学校だけに任せていたら本当のことがわからないままになるという思いが強かったのだと思います。児童が亡くなり学校に原因がなかったかどうか調べて欲しいと要請されているのに、その説明責任を怠っている時点で、行政のトップが、その対応のまずさについて詫び、責任者を処分するのが普通の社会常識です。

責任者である校長を処分もせずに満額の退職金を払い渋谷区教育長への就任を黙認する町田市長も、就任させる渋谷区長も、都の学校教育を指導する都教委や都知事も、社会的な影響を考えれば、元校長に踏みとどまるように促すのがトップに立つ者の責務であり社会的な常識だと思います。そして、前回も書きましたが、これはICT教育の指導に直接の原因があるのではありません。いじめ防止対策や人権教育がどの程度行われたのか明らかにし、学校はいじめ防止法にそって粛々と対応をしたかどうかを調査することが大事です。

ピントのズレた追及をメディアはまだしていますが、責任者たちの行動を取材することの方が先です。権力者は自分に火の粉がかかるのを嫌がります。メディアが騒ぐICT教育の問題にしてくれた方が助かるのです。渋谷区で特別公務員として区長から教育長を任命され、承認した議会がどういう対応をするのか、メディアの取材はそこに集中するべきです。そして、町田市長は関係者の責任を曖昧にせずトップの姿勢を市民に示すべきです。行政が招集する第三者委員会は時間ばかりかけて責任があいまいになる可能性があります。小学生の自殺原因だけでなく学校や行政対応の不適切さも法的に明確にしたほうが、全国で起こっている公的機関の不作為に歯止めをかけるものになると思います。

 

パラ開催の意義。 「アギト」って何?

パラ開催の意義。 「アギト」って何?【二宮清純スポーツの嵐】

2021/09/17 【ラブすぽ 】

1964年の東京大会では出場は53人だった
パラリンピック開幕の6時間前、都内上空を7機のブルーインパルスが飛行した。
夏空に描かれた赤、青、黄の3色のカラースモークは、パラリンピックのシンボルである「スリーアギト」にちなんだものだ。

アギトとはラテン語で「私が動く!」の意味。困難なことがあっても諦めず、前に進む――。そんな意味が込められていた。1964年の東京大会でもパラリンピックは開催されたが、日本からの出場選手は53人にとどまった。

<53人はほとんどが国立病院・療養所の患者や訓練生で、仕事をしていたのは自営の5人だけ。スポーツの経験もなく、この大会のために短い練習期間で間に合わせていた>(笹川スポーツ財団HP)

日本の選手たちが一番驚いたのは、外国の選手の多くが職を持ち、結婚し、人生を謳歌していたことである。というのも、当時、日本における障害者は病院や療養所の世話になる「患者」であり、すなわち行政的には「保護の対象」でしかなかったからだ。

日本における“障害者スポーツの父”と呼ばれる故・中村裕医師は、障害者にスポーツを薦めると「障害者をさらし者にするな!それでも医者か!」と周囲から随分、反発を受けたという。まだ、そんな時代だったのである。

2011年8月に施行された「スポーツ基本法」には、<スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない>と明記されている。

しかし、現実はどうか。こんな話を聞いた。
「私も公園でつらい思いをしたことがあります。息子が公園で遊んでいると管理人さんに“危ないから遊んではダメだ”と注意されることが多かった。それ以上につらいのが、保護者たちの視線でた。“近付いてはダメ”“見てはダメ”。そんなささやき声が聞こえてくることがあり、親としても精神的に堪えます。それも障害のある子どもの“公園離れ”の一因です。“障害”に対する理解を深め、社会を変えていかなければいけないと思っています」(※一般社団法人日本車いすスポーツ協会代表理事・坂口剛)

今回のパラリンピックで、日本がいくらメダルを獲得したところで、障害者に対する理解が深まったり、スポーツをする環境が改善されないことには開催した意味がない。
問題があれば、「私が動く!」。その意識を国民全員が共有することが肝要だ。

初出=週刊漫画ゴラク2021年9月10日発売号
※<坂口剛(さかぐち・つよし)プロフィール>
一般社団法人日本車いすスポーツ協会代表理事。1975年、福岡県出身。2006年、長男が交通事故に遭い、車いす生活になったことを機に、車いす利用者に環境のいい土地に移り住む。2009年に浦安ジュニア車いすテニスクラブ(現・車いすスポーツクラブ ウラテク)を創設。パラスポーツ参加を推進すべく、さまざまな活動に関わる。2017年には日本車いすスポーツ協会を立ち上げた。好きなスポーツは、かつてサッカーとゴルフだったが、今はテニス。

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私が動く=アギト。パラシンボルに込められた思いが伝わります。思い出したのが、「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing About us without us)」でした。国際連合の人権条約、「障害者の権利に関する条約 2006 年」採択への原動力となった、世界中の当事者の合言葉でした。障害者やその関係者が自発的に動いてこそ理解は本物になるのだと思います。

「スポーツ基本法」の「障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進」する主語は行政ですが、地域の公園や広場で障害者がスポーツを日常に楽しむ姿がなければ、社会は動きません。発達障害に伴うDCD(発達性協調運動障害)を持つ子にもスポーツを楽しむ権利はあります。でも、DCDのない子どもと一緒にゲームをしてもスポーツの楽しさは味わいにくいです。

パラスポーツは、一つの種目でも何段階にも障害のレベルを分けて公平に競技ができるように設定されます。或いは、車いすバスケや車いすラグビーなどのチーム戦なら、個別の障害の重さでポイント数を決めて、チームの総合ポイント数が同じになるようにして対戦するルールとなっています。スポーツは戦う相手が同程度の条件でなければ勝っても面白くありません。トランスジェンダー選手の女子競技への参加問題がスポーツ界を賑わしていますが、そもそも性ホルモンの違いで筋力差があるもの同士が戦っても、試合をする人も見ている人も面白くないのと同じです。

DCDの子ども同士が、不器用を気にせずゲームができるコートがあったらきっとスポーツ好きになれるはずです。このパラリンピックを機に「私が動く!」必要があると思いました。サッカーでもラグビーでも、バレーボールやバスケットボールでもDCDや知的障害専用のコートとコーチが欲しいです。その前提として、放デイの子どもたちが公園に出てスポーツを楽しむ日常があり、それを普通に知っている地域の人たちの理解の広がりが大事だと思います。今日も公園でスポーツをみんなで「アギト」しよう。

女子のスラックス制服、県立高で4校のみ…「防寒・ジェンダー平等」

女子のスラックス制服、県立高で4校のみ…「防寒・ジェンダー平等」から検討は広がる

9/15(水) 【読売新聞】

青森県内の県立高校(全日制)55校のうち、性別を問わずスラックスの制服を選べる学校が4校にとどまることが、読売新聞のアンケート調査でわかった。ただ、スラックスの制服の導入を検討している学校も6校あり、防寒性や機能面、多様な性へのあり方から制服選択制を進める動きが徐々に広がりつつある。(八巻朱音)

調査は、5~6月に全55校を対象に実施し、50校から回答を得た。
女子用スラックスの制服を導入している4校は、弘前高、弘前南高、三本木農業恵拓高、五所川原工科高だった。

導入を検討している6校は、八戸東高、七戸高など。検討の理由(自由回答)を尋ねたところ、「防寒の観点から必要」「性的少数者への配慮」「ジェンダー平等の観点から、制服を見直す必要性があると判断した」などを挙げた。

一方、現時点でスラックスの制服がない学校に理由(複数回答可)を問うと、「生徒から要望がない」(27校)、「閉校などで既存の制服がなくなる可能性がある」(11校)などだった。

今年4月、上北地区3校を統合して十和田市に新設された三本木農業恵拓高は、開校を機に、防寒や機能性の点から制服を新調した。新設校のため在籍は1年生だけだが、女子生徒の約1割の11人がスラックスを購入したという。

スカートとスラックスの両方を持っているという動物科学科の女子生徒は「スラックスは寒い時期に暖かく着られる。気分や気候に合わせ、はき分けている」と話す。植物科学科の女子生徒も「女だからスカート、男だからスラックスと決められていないので、着たい方を着て自分を表現できる」と喜ぶ。

七戸高は、ユニセックスの制服の導入を視野に、生徒指導保健部の教員らが制服の選択制を検討中だ。森田勝博校長は「生徒から要望があったわけではないが、スカートをはきたくない生徒も少なからずいるのではないか。着たい制服を選べることで学校生活を気持ちよく送ってほしい」と理由を語る。

弘前大の山下梓助教(国際人権法)の話「自分にとって着心地のよい制服を選べることは、自分自身をどう表現したいのかを考える姿勢を育むことにもつながる。教諭に評価される側の生徒が要望を控えることは十分に考えられるため、相談しやすいルートが整っているかを改めて見直す必要がある」

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話がややこしくなるので、防寒の制服の意義についてはおいておくとして、ユニセックスの制服があればトランスジェンダーの生徒の違和感や差別問題は解決するのかどうか全く不明です。みんな一緒の服にすることは、違いを認める事にはならないからです。むしろ、そこまでして学校の制服を着る意味があるのか訳が分からなくなってきます。性差のない衣服を着る事が、多様性を認める社会ではないと思います。

確かに、男子用・女子用どちらの服を選んでもいいというのは合点がいきます。女子の制服を着たい人や男子の制服が着たい人は生物学的な性と関係なく着られると言うのは良い方針だと思います。ユニセックス制服とは意味が全然違います。しかし、個々の生徒の嗜好性によって制服の枠組みを崩していくなら、制服など廃止すればいいと言う結論に行きつきます。

制服などやめて、標準服として提示して別に私服でも構わないというのが自然です。標準服は、中高生で格式ばったところに着ていく服を買うのはもったいないというニーズや、中高生になったという帰属意識を制服に求める親や子のニーズにこたえるものです。そんなものは着たくないと言う人もいていいよというのが標準服制度です。

制服と言うからには入学と引き換えの義務と言う枠組が残ります。ジェンダーレスだダイバーシティだと理屈を並べてユニセックス制服を作って様式だけを変えても、制服の枠組は残すというのなら、これはエセ多様性と言われても仕方ないです。信念もなく流行に流されるような中途半端なことはしないほうがマシだと思います。

「いじめ自殺」学校配布タブレットの管理は

「いじめ自殺」学校配布タブレットの管理は

9/15(水) 【日テレ】

東京・町田市で小学6年生の女子児童が自殺した問題で、14日も調査が行われましたが、いじめの舞台になったと指摘されているのが、授業で使うため1人1台配布されているタブレットです。その管理の仕方に問題がありました。

小野高弘・日本テレビ解説委員国際部デスク
「去年11月、女子児童は自分の部屋で自殺しました。残された遺書には、いじめの内容と複数の同級生の名前を挙げて、『おもちゃじゃない』と訴えました。何があったのか、わかってきました。児童らは、学校から配布された1人1台のタブレットでチャットを利用していましたが、そこで女子児童について『うざい』『死んで』といった悪口が書き込まれていました」

「今回明らかになったのは、そのタブレットのアカウント管理がずさんだったということです。ログインするのにIDとパスワードが必要ですが、IDは出席番号を基本としたものでした。パスワードは全員が同じ『123456789』にしていた期間がありました。自殺があった当時含めて1年間、そうだった可能性があります」

日本テレビ・佐藤梨那アナウンサー
「出席番号は、同じクラスならみんなすぐにわかりますよね」

小野解説委員
「それにパスワードは、先ほどの数字を入れればいいので、他の人になりすましてログインができるということです。文科省は、IDは個々のものを作ってなりすましができないように、と指針を出していましたが、この学校の対応は不適切だったと言わざるを得ません」

「その結果どういう状況が生まれたかといいますと、例えば2人の児童の間で、チャット上で『○○がうざい』とやりとりしたとしても、この2人のIDとパスワードは誰でもわかるわけですから、事実上、クラスの誰でも見られる状態でした。悪口を言われた本人も、このやりとりを見られるわけです。学校でも家でもアクセスできる限り、悪口を目にし続けることになります」

佐藤アナウンサー
「いま、タブレットを使って授業を行っている学校も、多いと思います」

落合陽一・筑波大学准教授(「news zero」パートナー)
「学習のために特化したタブレットであれば、個人情報をその中に保存するわけではないので、パスワードが共通でも、運用上はそんなに問題ないのではと思います。なりすましについては、端末のIDは残るので、追跡はできるはずだと思います。これはデバイスや管理の問題というよりは、デジタル、非デジタル関係なく、いじめがオンライン上で行われても、フィジカルで行われても『先生に言うように』など、いじめを把握して対策する声掛けというのが必要だったことなのではないかと思います」

佐藤アナウンサー
「萩生田文部科学大臣は14日、『端末の管理などについて、さらにどのような対応をすべきか検討する』と話しています」

9月14日放送『news zero』より。

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タブレットの管理が悪くていじめが起こったわけではないという落合教授のコメントは正しいです。事件は、自殺した6年女子がいじめに関与している子のIDでログインし、自分を卑下するチャットのやりとり内容を知って自殺したと言うものです。他者IDでなりすましログインができなければ自殺を防げたかどうかはわかりませんが、落合教授が言うようにデジタル(ネット空間)でもフィジカル(現実空間)でもいじめは起こるのですから、その学校のいじめ防止対策や人権教育はなされていたのか、4年生から起こっていたいじめについて、担任は真摯に受け止めて対処したのかという事にメディアは注目して報道すべきです。

少なくともIDやパスワード管理の問題ではないという観点を記者が持てば、真正面からいじめの原因の取材ができるはずです。町田市教委が昨年11月の事件を未だに調査中だという事にピントを合わせるべきです。そして、子どもが一人亡くなった事件から1年近くたっても結論も出せない事態を町田市長はどう考えているのか、メディアはインタビューすらしていないのです。

最近のメディアの事件の取り上げ方はピントがずれていることが少なくありません。パラリンピックの学校連携問題も、オリンピックの総括で感染拡大と人流とは全く関係がないと結論されているのに、パラ観戦での教育的効果や子どもの感想やエピソードの取材よりも、どこの学校が感染を恐れて断ってきたかという記事に終始し、子どもの障害理解やスポーツ理解とはほど遠い、感染恐怖を煽るだけの記事を垂れ流し続けました。

今回の話も、いじめをどうやって防止するのかという話ではなく、目新しい学校タブレット配布に便乗して、その設定がいかにずさんであるかと言うところにフォーカスして、いじめの解決とはピントのズレたところでの不安感を視聴者に抱かせてしまいます。子どもがいじめで1名亡くなっているのですから、いじめの解明にむけた報道は、殆どが無症状の子どものコロナ感染報道よりもはるかに重要なはずです。

ただ、小学生の保護者が、あえていじめの問題を社会的に注目させるために、そして、配布を推進した文科省や政治家トップに注目してもらうためにICT教育を問題にしたなら話は別です。保護者がいじめ調査を要請しても学校も市教委も取り合おうとしなかった結果の知恵だとすれば、それは許される行為だと思います。

障害児手当 地域差なくし公平な運用を図れ

障害児手当 地域差なくし公平な運用を図れ

2021年9月14日(火)【愛媛新聞】

20歳未満の障害児のいる家庭に支給される国の「特別児童扶養手当」で、人口当たりの支給対象児童数や申請件数に自治体間で最大約5倍もの差があることが分かった。

国の制度であるにもかかわらず、住んでいる地域によって支給状況が異なることは不公平と言わざるを得ない。申請基準が曖昧な上、判定医の裁量で可否が左右されることが指摘されている。長年自治体任せにしてきた国の責任は重い。早急に現状を把握し、基準の明確化や判定方法の見直しなど制度の適正な運用を図らねばならない。

手当は障害児を育てる経済的な負担を補うことを目的とし、保護者の申請に基づいて都道府県と政令指定都市の判定医が審査する。2021年度の支給額は1級で月5万2500円、2級で3万4970円。全国で約24万人が受給している。

厚生労働省の19年度統計データを共同通信が分析したところ1万人当たりの対象児童は全国平均で121人。最も多い沖縄県の269人と、53人と最少の東京都で5・1倍の差。申請件数でも1万人当たり40件の大阪市と8件の東京都で5倍の開きがあった。愛媛県は対象児童152人、申請件数18件だった。

特に問題なのが障害が軽度の場合だ。申請を受け付けるかどうか自治体によって線引きが異なる。

知的障害の療育手帳で最も軽い第4段階の児童について、東京都は支給対象の目安に含めていない。そのため申請すらできない状態だ。一方、沖縄県は第4段階でも対象外とはしておらず、実際に支給されている例もあるという。所得制限があるため一概に比較はできないが、対象児童数や申請件数の少ない自治体では多くの軽度障害児が門前払いされているとみられる。

申請しても「障害が基準より軽い」として却下される件数も増加傾向にあり、10年前の3倍近くに上る。発達障害の認知度が高まり申請件数が増えていることが背景にあるものの、却下率に自治体間で大きな差が出ていることは見過ごせない。

そもそも国の基準自体が曖昧だ。例えば自閉症など発達障害の2級は「社会性やコミュニケーション能力が乏しく、不適応な行動が見られるため、日常生活への適応に援助が必要」と示すだけである。

各自治体では診断書などの書類を見て支給の可否や等級を審査するが、判定医1人が担うため個人差が出るのは否定できまい。検査数値や外形で分かりやすい身体障害に比べ、発達・知的障害は判断が難しいはずだ。専門医や生活状況を知る福祉職らを加えて複数で審査するなど判定方法の見直しを求めたい。

共生社会がうたわれる中、どこに住んでいても障害児の子育てを安心してできる環境が欠かせない。対象児童を取りこぼすことのないよう制度を整え、自治体や関係機関に周知を徹底することは国の責務である。


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障害児手当、不支給が大幅増 10年で3倍近く、6割却下も

8/29(日) 【共同通信】

障害児のいる家庭に支給される国の「特別児童扶養手当」で、自治体に申請しても「障害が基準より軽い」として却下される件数が2019年度までの10年間で3倍近く増えていたことが29日、国の統計データから分かった。

申請の6割超を却下している自治体もあった。自治体の判定医の審査が厳しくなっている可能性がある。審査基準が曖昧で、判定医の個人差で左右されかねないとして、障害者団体からは基準の明確化や審査方法の見直しを求める声が上がっている。

厚生労働省の統計「福祉行政報告例」によると、09年度の却下件数は1410件だったが、19年度は3950件と2.8倍に増加した。


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これまで、親のしつけや家庭環境が原因とされていた子どもが、そうではなく生まれつきの発達障害が原因と発達障害支援法に認められて15年が経過しています。新たに障害と認められたのですから、当然、障害者手帳の発行数も特別扶養手当の支給額も膨らんで当たり前です。申請の6割を却下しているとは常識はずれの驚くべき事です。判定医の審査が厳しいとか厳しくないとか言いますが何が基準なのかわかりません。審査と言っても医学診断が基本ですから、5倍も差が出るものはそもそも診断とは言えません。個人的にせよ組織的にせよ基準や根拠のないバイアスが働いて不公平が日常的に生じているという事です。

確かに、どんな症状にもグレーゾーンは存在しますし、実はこのゾーンの人が一番多いとも言えます。だからこそ新しい障害基準ICFは社会参加の状態で支援の内容を考えるべきだと示唆しています。例え障害の程度は軽微でも、自尊感情が低く不登校傾向が見えるなら質的に高度な支援が必要です。障害が比較的重くても、周囲の理解があり意欲的に社会参加ができているなら最低限の支援で良いのです。

社会参加に支障がないのに、親が好んで子どもの障害を認めたいはずがありません。必要だから求めているのです。2級で月額3万4970円、500万円の年収の日給換算をすれば2日程度の賃金です。他の親より月2労働日程多く支援するだけの給付なのに、半分以上の申請を、この子は該当しないと却下する担当者の顔を、一度見てみたいです。

ただ、わかりやすい基準、ガイドラインを明らかにしない政府にも問題はあります。教育・福祉・医療の少なくとも2分野で特別支援や発達障害支援を日常的に受けている事、というような条件提示で2級判定は十分だと思います。診察に付き添ったり、事業所に出向いたり、相談に行けば月2日などあっという間に無くなります。そういう現実を知らない担当医や担当行政官が、勝手な思い込み(主観)で却下しているなら権力の濫用と言われても仕方ないです。

それにしても、京都府の説明は不親切です。同じ京都でも京都市は分かりやすく自閉症の適用を説明し、神奈川県はさらに丁寧です。これも、自治体格差なのです。役人はどんな説明しようが、それも自治体の権限だとはさすがに言わないでしょうが、毎年、ちっとも変わらない分かりにくいパンフを作っている自治体があるとすれば、やる気がないと言われても仕方がありません。

ラグビーの聖地「花園」で育む東京パラのレガシー

ラグビーの聖地「花園」で育む東京パラのレガシー

2021/9/10 【産経WEST】

障害者アスリートたちが無限の可能性を世界中に発信した東京パラリンピック。東京五輪からのテーマである多様性を認め合う社会の実現へ、いち早く取り組んでいるのがラグビーの聖地「花園」で知られる大阪府東大阪市だ。国内初の車いす専用の屋外スポーツ施設が今年2月、花園ラグビー場の隣にオープン。障害者と健常者がともに同じコートで汗を流す。五輪・パラの熱狂を一時のものに終わらせず、レガシー(遺産)として未来へつなぐ。

「(車いすを)こいで! こいで!」
「ナイスキャッチ!」
東京五輪開幕翌日の7月24日。ラグビー場のある花園中央公園内の「市立ウィルチェアスポーツコート」で、車いすソフトボールの体験会が開かれた。同地で合宿中の車いすソフトボール日本代表が企画し、健常者も参加。車いすに乗ってボールを追う姿に、選手から檄(げき)とエールが飛んだ。

ウィルチェアは、車いすの英訳。コートには「ハ」の字形の車輪が付いた競技用車いすが22台備えられ、誰でも使える。

「障害者の方だけが集い、使う施設では時代に合わないのではないか、という考えがありました」。コートの整備に携わった東大阪市都市魅力産業スポーツ部長の栗橋秀樹さん(59)は施設の意義をこう語った。

栗橋さんによると、コートの完成まで東大阪市は2つの「宿題」を抱えていたという。
1つは、約1・5キロ南東にあった「ウィルチェアースポーツ広場」。市内に拠点を置く車いすソフトボールチーム「関西アンバランス」から練習場所の確保が難しいとの相談を受け、平成29年に開設された。

スポーツ広場といっても、大阪広域水道企業団ポンプ場の駐車場の空きスペース。水道施設内で、障害者が使える多目的トイレは新設できない。近くのコンビニが協力に応じてくれたが、栗橋さんは「選手たちも気を使い、トイレを借りるときは買い物をしていくようなこともあった」と明かす。練習はできたが、トイレはネックだった。

もう1つの宿題が「聖地・花園」のあり方だ。2019年のラグビーW杯の会場に選ばれた際、会場の整備費用の協力を求めて企業回りをする中で、栗橋さんは義肢メーカーの社長からこう問われた。

「聖地という言葉の意味は分かっていますか」

栗橋さんは「恥ずかしい話、衝撃を受けました。車いすラグビーもあるわけです。市長とも、誰でもスポーツを楽しめる場所にしなければという話になった」。日本に前例のない、車いすスポーツ専用のコート造りが動き出した。

花園に障害者用施設を造るのではなく、障害者も使える花園に-。その思いを、関西アンバランスのメンバーで日本代表の赤井正尚さん(46)は、コートのすぐ横に造られた駐車場から感じた。

「花園のような大きな施設は広い駐車場も多いが、車いすを使う人にとっては試合や練習会場まで荷物を運ぶのに苦労するんです」と話し、駐車場の場所まで配慮された点を評価する。

赤井さんは「スポーツでは障害者と健常者で注目度の差がある」と指摘し、「身近に障害者スポーツを見る機会はなかなかない。花園でやっているといえばみんな場所が分かるし、障害者スポーツを見てもらえるかもしれない。花園にあるというのがいいんです」

7月24日の車いすソフトボールの体験会には、足を止めて様子をながめる散歩やジョギング中の人がいた。障害者スポーツが日常の景色に溶け込む姿に、栗橋さんは「スポーツはみんな好きですから」と笑顔を見せ、「車いすソフトの日本一を決める大会をここでやれたらいいですね」と語った。(渡部圭介)

※東大阪市立ウィルチェアスポーツコート
2月にオープンした広さ約4500平方メートルの競技場で、多目的トイレと電動ベッドもある救護棟が設けられた。テニスコートなどで使われるものと同じ素材を使用し、地面からの反射熱を和らげるための塗装が施されている。車いすソフトボールのほか、パラリンピック種目のラグビーやバスケットボール、ボッチャなどのラインが引いてあるが、テニスなど健常者の利用も可能。1時間千円。

※車いす=wheelchair=ウィルチェア 車輪=wheel ホイールは日本語発音

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スポーツ苦手な子どもが心置きなく使えるコートも欲しいです。発達障害の子どもの場合、発達性協調運動障害(Developmental Coordination Disorder =DCD)といって不器用な子が多くて、学校でも地域でもスポーツの楽しさを味わう事ができません。上手な子の中に入っていてもパスも回ってこないし、お地蔵さん状態でいても何も楽しくないので、「スポーツ嫌い!」な子はとても多いです。上手な子にしてみれば、敵味方間違えてパスしたりする子にはゲームがしらけるのでパスを回しません。そういうことで、ただでさえ少ないゲームコートから障害のある子は追い出されてしまいます。

もっとたくさんコートがあれば、下手な人でもスポーツが楽しめるのにと思います。有料道路や鉄道の高架下にはたくさんの空き地があります。所有権は各会社にありますが、自治体は管理することを条件に無料で借りる事ができます。ところが、コロナ禍ではせっかく障害者用トイレまで作った公園でも、感染予防に責任が持てないと閉鎖してしまうのです。高架下に発達障害の子どもが遠慮なく使えるスポーツコートが欲しいです。ついでに、発達障害のある子にスポーツの楽しさを教えてくれる、様々なスポーツコーチも地域で養成してほしいと思います。

例えば、高架下の障害者用のコートとトイレ、駐車場(車いすが使える仕様)は行政が作るが、その管理はNPO団体等を作って、利用団体が管理費を出し合う形で任せるなどやり方は色々あると思うのです。ぺんぺん草が生え、フェンスで囲まれた高架下空き地を、指をくわえて見ているスポーツ愛好家や子どもの支援者は少なくないと思います。障害のある人もない人もスポーツが楽しめるように、高架下の空き地全面有効利用の政策を掲げて立候補する政治家が出てこないものでしょうか。

 

出場逃したアスリートは東京パラをどう見たか

「感動ポルノと違った」出場逃したアスリートは東京パラをどう見たか

9/9(木) 【朝日新聞】

スポーツの奥深さを見る者に感じさせてくれた東京パラリンピック。その舞台にわずか「1センチ」の差でたどり着けなかった選手がいる。2016年リオデジャネイロ大会の陸上男子400メートルリレー銅メダリストで、前回12位に終わった走り幅跳び(上肢障害T47)への出場を目指した芦田創(はじむ)(27)。彼の目に東京大会はどう映ったのか。閉幕の日、記者が話を聞いた。

■あと「1センチ」で逃した出場
――代表選考期間に残した記録は6メートル87。内定の条件となる期間中の世界ランキング6位まで、1センチ足りませんでした。

「パラリンピックに選手として出られなかったことが、やっぱり、めちゃくちゃ悔しくて……。これは一生、悔いとして残るんだろうなと思います」

――自分がいない大会を、どんな気持ちで見ていましたか。

「意外と、客観的に見ることができた。純粋に競技として『面白いな』と思う部分だったり、種目によっては『まだまだ、これからレベルが上がっていくんだろうな』という部分だったり、すごく考えさせられながら向き合ったパラリンピックでした」

――これまでの大会との違いを感じましたか。

「パラアスリートを障害者としてではなく、よりアスリートとして評価する時代になってきたんだなと感じました。メディアの報じ方に、その傾向が表れていた。きっとメディアの方々も、議論を重ね、勉強を重ね、どう報道するか、すごく考えてこられたのでしょう」

■「感動ポルノ」とは違う報道
――パラアスリートとして、その変化をどう思いますか。

「純粋なスポーツ報道になっていて、感動を誘う題材として障害者を描く『感動ポルノ』とは全く違った。それはすごいことだなと。パラアスリートがアスリートとして評価されることで、本当の意味で社会って良くなっていくというのが私の意見です」

――競技レベルの高まりが続くパラスポーツには、どんな未来が待っているでしょうか。

「もっとハイパフォーマンスが生まれるスポーツになるためには、ある種のヤジやバッシングが飛ぶくらいでないと。例えば『この障害だったら、もっとやれるんじゃないの?』といった観客の声が出始めたら、本当の意味でスポーツとして確立されるというのが私の感覚。何大会か後のパラリンピックには、そんな世界観が現れると思っています」

――出場を目指した走り幅跳び(上肢障害T47)も、メダルラインは5年前から23センチ伸び、7メートル34になりました。

「正直なところ、出ていても勝負にならなかった。8番(記録は6メートル89)以内には入れたとしても、メダルを狙うには厳しかった。それくらいレベルが上がっています。これから3年後のパリ大会を目指す上で、相当な覚悟を持ってトレーニングに励まないと。競技全体のレベルアップに貢献できる選手になれるよう、頑張るつもりです」(聞き手・松本龍三郎)

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パラリンピックの走り幅跳びは凄いです。両足義足のヌタンド・マラング選手(南アフリカ)は7.17mも跳びました。オリンピックはミルティアディス・テントグルー(ギリシャ)が8.41mですからまだ差はありますが、小学6年生でよく跳んで4m位ですから倍近くを跳んでいく義足のパラ選手はまさに超人です。

パラリンピックの学校観戦については、当初想定した2割も観戦できず大事な教育機会を逃したと思います。オリンピックには見向きもしない小さな子どもでも、手足がない人や目が見えない人が走ったり泳いだりしている姿は注目して見るものです。そして、誰かが障害についてあれこれ説明しなくても、障害のある人が凄い記録を出している姿には多くの子どもが驚き、感動をします。

子どもにとっては、感動ポルノの演出は必要ありません。見たまま、そのままで十分です。ただ、知的障害の競技でのハンディーキャップは分かりにくいかも知れません。それでもダウン症の人が楽しそうに踊っている閉会式はきっと伝わるものがあると思います。そして、こうした取り組みが4年に一度ではなく日常的に積み重ねていけるなら、芦田選手のいう「もっと頑張れ!」という檄が飛ぶパラの世界がやってくるのだろうと思います。

苦行じゃ意味がない 障害児の「療育」はほどほどに

苦行じゃ意味がない 障害児の「療育」はほどほどに 自分らしく、生き生きと暮らす

7/4(日) 【オトナンサー】

「療育」とは、障害のある子どもが社会的に自立できるようになるために行う教育のことです。わが子に発達障害があると分かると、療育を受けさせる親御さんも多いと思います。

しかし、療育を「定型発達児に近づけること」と勘違いし、苦手を克服させようと必死に努力させたり、「やればできる」と過度な期待を抱き、何でも1人でやらせようと試みたりする「熱心な無理解者」と化している親御さんや支援者がいるのも事実です。こうなると、子どものためであるはずの療育が、子ども本人にとっては苦行となってしまいます。

子どものための「療育」
療育は子どもが日常生活を送りやすくするために、こだわりの緩め方を学んだり、コミュニケーションの取り方を学習したりする場です。「一つでも、普通の子と同じことができるように」と定型発達児に近づけようとすればするほど、本人の自己肯定感を下げるだけになってしまいます。もし、そうなってしまったら、「やらない方がよかった」ということにもなりかねません。

一方で、親にとって、療育はどのような意味があるでしょうか。それは、周りが定型発達児の親ばかりで孤立無援の状態だったところから、同じ障害を持つ子を育てる保護者との交流が持て、居場所が見つかることです。また、療育の様子を見学して、親が支援の仕方を学ぶことができるなどのメリットもあります。ただし、周りのママ友が熱心すぎて“才能の温泉掘り”に必死になっていたり、「熱心な無理解者」の支援者がいたりしたら、その人は良い手本ではないので気を付けなくてはなりません。

音が怖いなら…
私の息子は知覚障害のある自閉症児です。聴覚過敏のある息子は幼児期、公衆トイレのハンドドライヤーの音を怖がっていたため、外出先でトイレに行けませんでした。そのため、療育施設ではこれに慣れるための訓練を受けていました。

実際、ハンドドライヤーを怖がる自閉症の子は多いようで、ママ友の中には「家庭での練習も必要だ」と思い、自宅のトイレにハンドドライヤーを設置し、親が“療育の先生”となって練習をしている人もいました。しかし、これでは子どもにとって、家が“恐怖の館”になってしまいます。

息子が次第に療育を拒むようになってしまった中、当時通っていた児童専門の精神科の主治医に、ハンドドライヤーを使う練習をしていることを伝えました。すると、「そんなことをしていると将来、2次障害を起こして入院することになりますよ。そんな練習は今すぐやめなさい。お母さんがハンドドライヤーのないトイレを探してあげて、そこを使えば済むことです」と叱られたのです。

さらに「障害児なんだから、堂々と多目的トイレを使えばいいんです。そこだったら、急に誰かが入ってきて、ハンドドライヤーを使うことはないでしょう。息子さんも安心してトイレが使えるはずです」と言われました。実際、この病院には、親がわが子を思って、「定型発達児と同じことができるように」と引っ張り回した結果、うつの発症やリストカットなどの深刻な2次障害を起こしている子どもが多く入院していました。

私は主治医に言われた通り、ハンドドライヤーがない公衆トイレを探して使うようにしました。駅やデパート、ファミリーレストランなど、外出時に利用する機会が多い場所のトイレはハンドドライヤーの有無、設置個数について特によく調べました。

やがて、外出時はいつも、トイレを我慢している様子だった息子が、私と一緒のときは公衆トイレに入れるようになったのです。中学生の頃、ボウリング場に行ったときには、かつて、あんなに怖がっていたハンドドライヤーをうれしそうな顔をして使っていました。

なぜ、息子は苦手だったハンドドライヤーを怖がらなくなったのか。それは主治医の助言以降、安心・安全を確保した状態でトイレを利用できるようにしたから、そして、息子自身が14年という人生経験を積み、3歳の頃と違って苦手なものにも挑戦できるようになったからだと思います。

息子にとって、いつしか、トイレは恐怖の場所ではなく、「こだわりの場所」になっていったようで、公衆トイレは今や、息子が一番好きなものになりました。特に便座のメーカーや型番をチェックするのが大好きで、文字を書くのも絵を描くのもトイレのことばかり。外出先でトイレを見つけると吸い込まれるように入っていきます。

成人した息子を見てしみじみと思うのは、幼い頃に「この世界は怖くない。安心、安全だ」「先生や親は自分を脅かす存在ではない」「大人は自分を守ってくれる人間だ」ということを体験させれば、子ども本人の力で自然に乗り越えられるようになるということです。世の中は定型発達の人が生活しやすいようにできています。そのため、社会になじめるように練習していく必要はあります。しかし、それが行き過ぎるとデメリットもあると私は思うのです。

障害のある子どもは定型発達の子どもと同じやり方では学びづらいです。療育とは、その子に合ったやり方でできることを増やし、自分らしく、生き生きと暮らせるようになるために行うものです。何のための療育なのか。誰のための療育なのか。「療育はほどほどに」という考え方も大切にしたいものですね。

子育て本著者・講演家 立石美津子
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掃除機の音が怖い自閉症児の事を思い出しました。小1のA君は体育館に入れず、誘導すると逃げ出したり泣きだしたり、誘導する大人を激しく蹴りに来たりするのでした。聴覚過敏のASD児が多いことは知っていたので、体育館の反響音とか喧騒が怖いのだろうと、無理強いはせずに声かけはしますが入場は本人の主体性を尊重していました。。その後に、T君の就学前通所施設(今の児童発達支援事業にあたる)の話を聞いて、原因が分かりました。

確かにT君は聴覚過敏で、園児が集まるプレイルームの喧噪が嫌で入れなかったそうです。ところが、それではT君が集団性を学べないと言う理由で、プレイルームに入れるために、T君が嫌いな掃除機でプレイルームの入り口のT君を追い立てて入れていたと言うのです。掃除機音に追い立てられるわ怖いプレイルームに入れられるわで、T君がPTSDを抱えてしまったと言うわけです。

小さい子は、力が弱いですから、大人の強制力で簡単に屈服させられます。しかし、やがて身体が大きくなり幼少の期のトラウマを抱えたままの場合は、衝動的に暴れたり暴力をふるったりするようになることがあります。言語発達に遅れがある場合は、恐怖の原因を大人に語る事すらできません。こうして、発達障害とは何の関係もない行動障害を抱えることになります。無論、当時の大人はそんな事を知るすべもなく「集団性」を優先したのです。ASDの事を知らない事業所に療育を受けに行ったばかりに、PTSDを負わせてしまったのです。

熱心な療育が間違っているのではなく、障害特性も良く把握しないまま、「慣らそう」としたり「できるように」しようとするのは療育ではありません。ただの、お節介で迷惑行為なのです。他にも、思春期に荒れるのは、受動型のASDで絵カード支援をした子どもに多い等というデマ説がありますが、これは、理解コミュニケーションばかり教えて、表出コミュニケーションや交渉を教えなかった結果です。療育者が、コミュニケーション支援を正確に学ばずに、絵カード支援を見よう見まねで「熱心」に実施した結果です。私たちが絵カード支援で、安くはないPECSマニュアルの熟読を勧め、高額だけど支援者トレーニングを受けて欲しいと言うのはこういう理由があるのです。

しかし、療育技術はその時代の限界性はあるとは言え、支援者が子どもと養育者をリスペクトして、子どもの発達や障害特性に支援者がアンテナを張っていれば、効果的な療育が見つからない場合はあっても、間違った療育を強いることはないと思います。それを筆者は「ほどほどの支援」と呼んでいるのかも知れません。

 

 

精神科医が教える「対人関係のしんどさ」を減らすコツ

【発達障害を専門とする日本屈指のスペシャリスト!】精神科医が教える「対人関係のしんどさ」を減らすコツ

9/7(火) 【ダイヤモンド・オンライン】

仕事、人間関係…周囲に気を使いながらがんばっているのに、なかなかうまくいかず、心をすり減らしている人も多いのではないだろうか。注意しているのに何度も同じミスをしてしまう、上司や同僚といつも折り合いが悪い、片付けが極端に苦手・・・。こうした生きづらさを抱えている人の中には、「能力が劣っているとか、怠けているわけではなく、本人の『特性』が原因の人もいる」と精神科医の本田秀夫氏は語る。

本田氏は1988年に東京大学医学部医学科を卒業。横浜市総合リハビリテーションセンターで20年にわたり発達障害の臨床と研究を重ね、現在は信州大学で臨床・教育・研究に従事している。2019年にはNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』に出演して話題になった。
本田氏は、「生きづらさを感じている人は『苦手を克服する』ことよりも、『生きやすくなる方法をとる』ほうが、かえってうまくいくことも多い」と言う。

2021年9月初旬に、本田氏が精神科医として30年以上のキャリアを通して見つめてきた「生きづらい人が自分らしくラクに生きられる方法」についてまとめた書籍、『「しなくていいこと」を決めると、人生が一気にラクになる』が発売となる。今回は特別に本書の中から、対人関係のつらさを減らす方法について、一部内容を抜粋、編集して紹介する。

●「協調性」よりも「ルール」を優先しよう
対人関係には、会話が苦手、挨拶がうまくできない、飲み会がストレスになっている、人の顔色を気にしすぎてしまうなど、さまざまな悩みがあります。対人関係の悩みを解決するためには、「協調性」よりも「ルール」を優先することが大切です。ここでいう「協調性」とは、「相手に合わせて行動しよう」とすることです。協調性は一定ではなく、相手次第で変わるものです。

協調性を意識しすぎると、常に相手の話すことや表情、行動などを気にして、「やりたくないことを相手に合わせて無理してやっている」という状態が長く続き、心が落ち込む原因になります。それに対して「ルール」というのは、一定の決まりごとです。常に一定で、相手によってぶれることがありません。ルールにも社会のルールから家庭のルール、マイルールまでさまざまなものがありますが、大切なのは、社会のルールから大きく逸脱しなければ、自分の生きやすいスタイルを選んでいいということです。

●人の評価を気にしすぎない。受け流すことも大切
対人関係で「しなくていいこと」を手放すには、「人の評価を気にしすぎない」という点も大切になります。対人関係で悩んでいる人は「自分がこういうことをしたら、相手はどう思うだろう」「嫌われるかもしれない」と考えがちです。

そんなときは、「協調性よりもルールを優先」という原則を思い返してみてください。社会のルールを守っていれば、少しくらいやり方を変えたからといって、人に嫌われたり怒られたりすることは、基本的にはありません。もしも、ルールを守っているのにネガティブな反応をする人がいたら、その人とは距離をとったほうがいいというだけのことです。

誰かに合わせるやり方ではなく、社会のルールを守りながら、自分自身に合ったスタイルをつくっていきましょう。そうすることで、対人関係のつらさは軽減していきます。

(本原稿は、本田秀夫著『「しなくていいこと」を決めると、人生が一気にラクになる』より一部抜粋・改変したものです)
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書いてあるのは、いちいちもっともなことですが、発達障害の中でピュアなASDの人では、こういう悩み方をする人は少ないです。本田先生の言われているケースは、うつ病になるメランコリータイプの人に多く、ピュアなASDの方の悩み方ではないように思います。ASDの方はどちらか言うと、協調性を気にせず、周囲の人に不快になるマイルールを押し付けてくるので、周囲が本人と口をきかなくなり、必要な情報が当事者に届かなくなって初めて「ハブられている」ことに当事者が気付き、何故だか意味が分からず悩むというパターンが多いです。

人の評価も、仕事上の特定のスキルの事では気になりますが、職場内で協調性がない自分に気が付く人は少ないです。或いは、当事者は協調性を大事にしているつもりで、誰にでも同じ距離感で接したり、逆に必要以上に距離を取り、誤解される事があります。他者の事がわかっているつもりになり、妙な気遣いをしてしまって迷惑がられることもあります。つまり、「そのマイルールーが周囲には痛い」場合が多いのです。

これは当事者むけの本なので、比率としては一番多いソフトな境界域の発達障害の方の事なのだろうと思います。協調性の必要性を知ってるが故に苦痛、対人上の良い評価を得たい故に苦痛、なのだと思います。もちろん、そういう方には、社会性を逸脱しないマイルールかどうかを、職場の信頼できる人に聞いてみて、それで「まぁ、まぁ」ならあとはマイルールで行動して気にしないというのが大事と言うのは書いてある通りです。発達障害と言っても、最も多い境界域から一番端の方に偏在している少数の人までいろいろなので、どういう人を対象にしているかで、かなり対応が変わってくるので、気になって書きました。

辞退者が続出した学校連携観戦現場は苦悶

辞退者が続出した学校連携観戦現場は苦悶「イメージで批判」の声も

2021年9月5日 【朝日新聞】

5日に閉幕する東京パラリンピック。新型コロナの感染急拡大で、一般客の観戦は断念したのに実施に踏み切った学校連携観戦プログラムには「矛盾している」「感染のリスクがある」「テレビ観戦でも学べる」などと批判が集中した。

対象は競技会場がある1都3県の小中学生ら。国や都などは開幕約1週間前の8月16日に希望者の受け入れを決めた。

都では、都教育委員会臨時会で教育委員5人中4人が反対を表明。江東区や港区なども中止に転じ、参加を決めた自治体でも辞退者が続出した。開幕日の24日時点の観戦予定者数は約2万4千人だったが、組織委によると、5日までの入場者数は約1万2千人にとどまった。

参加を決めた区市の学校も、希望者の把握や事前のPCR検査など対応に追われた。

千葉県では7市町207校の約2万6千人が観戦を予定していたが、8月29日に観戦を引率した教員2人の感染が明らかになったことで、熊谷俊人知事は「保護者の不安を払拭(ふっしょく)する(事前のPCR検査などの)施策の実施が困難」などとして途中で中止を決めた。県によると、観戦者は同30日までに6市町92校の計3292人だった。

国や都が実施にこだわったのは、多様性や共生社会の大切さを知る教育効果が高いと考えたからだ。

都教委によると、参加者からは「障害を乗り越えてパラの舞台で活躍する姿に感動した」「ボランティアやコーチを見て、支え合う大切さを感じた」「人生に一度だと思う東京でのパラリンピックを観戦できてよかった」などの感想が寄せられた。担当者は「共助の意識につながる感想を持ってくれた」と手応えを語る。

選手からも「子どもたちの応援がうれしかった」「(感染対策で)声は出せないが、応援する心は十分に伝わってきた」と一様に喜びの声が上がった。

参加したある学校長は相次いだ批判について、「PCR検査を受け、定員の半分以下でバスを利用し、競技会場もほぼ貸し切り。正直、普段の学校生活よりも感染リスクは低いと思う。イメージで『感染を広めるのか』と批判されているようだった」と振り返る。

別の校長は「様々な考えがあることは承知しているが、数年来行ってきたオリパラ教育の集大成。子どもの学びを止めないことを大切にした」と話した。(荻原千明、真田香菜子)

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オリパラで感染が広まる不安を煽ったのはメディアです。学校観戦に一貫して不安をあおったのは朝日新聞をはじめとしたメディアでした。そんな中でも千葉県知事などは一貫して「会場も移動過程も部外者と接触しないなら学校環境下の授業と変わりはない」として、子どもたちにオリパラから学んでほしいと推進してきましたが、観戦者の中の教員と児童に、数名陽性者が出た時点で、不安を払しょくできないとして中止したのです。

結局、パラリンピックを参観した児童は1万5千人程度でした。ただ、朝日新聞の記事だからと言うわけではありませんが、パラリンピックの前に開催された夏の甲子園は1試合4000人で1日5試合程度ですから2万人。15日間で30万人が観戦したのです。もちろんこの中には陽性が判明して涙をのんだ不戦敗高校もありましたが、観戦は中止されません。どのメディアも陽性者が出てけしからんなどとは書き立てずスルーしているのです。陽性率は現在全国平均で1.2%です。観戦者は3000人以上に陽性反応が出るはずですから、陽性者がでないはずがありません。メディアが取材をしなかっただけのことです。

プロ野球も同じです。オリパラのない毎日、1試合5000人の観客が6試合3万人近くが観戦するのです。メディアのスポンサー企業が関わる試合開催には何も言わず、TV中継さえすれば損害の出ないオリパラ観戦には執拗に感染不安を煽っているのは、2枚舌メディア、Wスタンダード(二つの基準をもって自分の都合で使い分ける)と言われても仕方ないです。オリパラはテレビ観戦で十分と言う方もいますが、勝ち負けだけではないのです。それを支えている関係者やボランティアの様子を目にするだけでも教育効果は全く違います。「正直、普段の学校生活よりも感染リスクは低い」と校長先生、オリパラが始まる前に言って欲しかったです。

閉会式は素晴らしい演出でした。そして何より衝撃的なのはフランスパリの観客の映像でした。「手のパフォーマンス」こそ室内でのオールマスクでしたがパリ市街でウェルカムイベントをしている主催者も観客もノーマスクです。密密の野外会場にマスク者を見つけるのに一苦労するくらいノーマスクの大歓声状況です。日本のメディアはパリ五輪委員会やフランス政府をどう描くのでしょう。今のところ二枚舌メディアはこれもスルーしています。

 

 

9月1日、4300人超が「休み」 3割は「感染が不安」

2学期初日の9月1日、4300人超が「休み」 3割は「感染が不安」を理由に新型コロナ・鹿児島

2021/09/04 【南日本新聞】

新型コロナウイルスの子どもへの感染が拡大する中、鹿児島県内の多くの学校で2学期の始業式があった1日に少なくとも4300人以上の児童生徒が学校を休んだことが3日、南日本新聞の調べで分かった。「まん延防止等重点措置」が適用されている鹿児島市の市立校の児童生徒は前年比の約2倍に当たる2266人が休んだ。そのうち約3割の671人が「感染への不安」を理由に挙げた。

臨時休校中の薩摩川内市を除く42市町村教委に調査。回答した35市町村の市町村立の学校で、少なくとも4345人が休んでいた。県教委は「県立校のデータは未集計」と答えた。

鹿児島市教委によると1日、小学校で1256人(前年比906人増)、中学校で962人(前年比254人増)、高校で48人(前年比9人増)が休んだ。全児童生徒の4.4%に上った。「感染への不安」から休んだのは1.3%で、小学生が567人で大半を占めた。

そのほか鹿屋市で休んだ児童生徒は496人、霧島市302人(出席停止を除く)など。昨年9月1日と比べて2倍以上になったのは12自治体で、9倍になった自治体もあった。

児童生徒が学校を休む場合、「欠席」と「出席停止」の区分がある。鹿児島市などの多くの学校が(1)ワクチンの副反応がある(2)風邪症状がある-といった場合は「出席停止」で、「感染への不安」を理由とする場合も「欠席」とせず「出席停止」としている。

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以前にも鹿児島の感染がらみの記事を掲載しました(感染情報、身内にも秘密に 鹿児島市教委が口止め: 01/29)。なるほど、情報を公開したら混乱するという前回の鹿児島市教委の思惑は当たっていたとも言えます。まさに大混乱です。昨日の時点での陽性率は、全国平均で1.2%、トップの東京で2.5%、鹿児島は0.5%です。東京の5分の1、全国の半分未満で、鹿児島市の子どもは陽性になって学校を休む推定値の2~4倍以上(子どもの陽性率は低い)の子が、感染恐怖から休んでいることになります。

感染報道は都市部のものが地方局にダイレクトに流されることと、実際には感染者の実態を目にしたことがないので余計に恐怖感を抱いてしまうと言う理由から、学校は感染するところ通学路はウィルスが飛び交っていると子どもがイメージしても不思議ではありません。都市部であれば実際に身の回りに感染した子の様子がリアルに伝わってくるので、普通はそれほど恐れるものではないことが分かるのです。

メディアから流されてくる感染者の情報は重症化したかその一歩前まで進行した人の体験談ばかりですから、怖がるのは無理もないのです。テレビは子どもも見るのですから、もう少し実態に合わせた報道はできないものかと思います。とはいっても、テレビは見てもらってなんぼですから、テレビは怖さを煽るお化け屋敷みたいなもんだと子どもに言って聞かせるべきかもしれません。そして、正しい情報を大人が学んでおく事が一番大事です。小児科学会資料.pdf

山口、世界新で金メダル 涙の母「人生最高の日」

東京パラ競泳男子100平
山口、世界新で金メダル 涙の母「人生最高の日」

2021年8月30日【愛媛新聞】

「すごい、やった」―。29日の東京パラリンピック男子100メートル平泳ぎ(知的障害)決勝。今治市の山口尚秀(20)が世界新で金メダルを決めた瞬間、同市南大門町2丁目の四国ガス本社で社員ら約30人と中継を見守っていた母由美さん(52)は、手に持つバルーンをちぎれんばかりに振った。そばには、山口を水泳好きにさせてくれた祖父母の写真。お祭り騒ぎの中「人生最高の日」と流れる涙を抑えられなかった。

由美さんによると、山口選手は3歳で知的障害を伴う自閉症と診断され、祖父母と温水プールに歩行浴に行くうちに水泳が大好きになった。トップ選手と泳ぐようになり「障害があっても勇気や希望を人々に届けられる」と実感。四国ガスでガスメーターの管理業務に携わる傍ら、週5日の練習に励んできた。

決勝は圧巻だった。最後までリードを守り、5月に出した世界記録1分4秒00を0秒23縮めてゴール。目に涙をため祈っていた父峰松さん(55)は相好を崩し「うれしいの一言。苦しい練習にめげず、よく頑張った」。姉智子さん(24)は「弟が必死で頑張る姿を見て励まされた。姉でいられて本当に幸せ」と赤くした目で話した。

四国ガスの片山泰志社長も「大変な誇り」。上司の片上幹雄今治支店長も「真面目で丁寧な仕事ぶりの一方、泳ぎはダイナミックで別人のよう」とたたえた。

「尚秀は予定通りにいかないとパニックになる傾向がある。大会延期や練習中止に加え、大きな期待はかなりの重圧だったはず」と由美さん。山口は笑顔を2年間見せなかったという。10日に無言で握手して送り出した息子の快挙に「まっすぐ突き進んで勝った。人生を明るく楽しく送ろうと教えてくれた」と感激する。

「尚秀」は、生まれた2000年のシドニー五輪女子マラソン金メダリスト高橋尚子さんと、プロ野球の松井秀喜さんから名付けたと明かし「ふかふかの布団と好物の焼き肉を用意して待つ」と一日も早い帰郷を待望。「周囲に感謝し、人間としても成長し続けてほしい」と願った。

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パラリンピックの表彰式の映像はオリンピック以上に泣けてしまいます。というか、パラの場合ずっと泣いています。ボッチャの杉村英孝選手や水泳の鈴木孝幸選手の金メダル、車いすラグビーの銅メダル。表彰式だけでなく、水泳の東海林大選手が泳いでいる姿だけで泣けてしまい、テレビの前のティッシュペーパーが足りません。

泣けてしまう背景は、障害を乗り越えた人生、さらにアスリートとして世界の壁を乗り越えていく姿に感動することもあるのですが、やはり家族の苦労を思うから泣けるのだと思います。山口選手も東海林選手も知的障害のある自閉症です。二人とも20代ですから、20年前の日本の自閉症支援はというと、絵カードなんて社会には用意されてないから学校で教えても意味がないと言われた事を思い出します。自閉症児がわがままなのは親のせいだと平気で言う人がまだこの業界にいたころです。

家族は心無い人たちの言葉や後ろ指にどれだけ傷ついたか知れません。感動するのは山口選手を水泳好きにさせてくれたのは祖父母だと言う話です。平成の時代でも、祖父母が自分の家系には障害者はいないと、支援学級や支援学校に行くことに反対されているという母親の話をたくさん聞いてきました。

山口選手の祖父母は、水が好きならと孫と歩行浴に通い水に親しませてくれたのです。祖父母が子育てに協力してくれることでどれだけ家族は心強かったことかと思います。山口選手が水泳競技に取り組んだのは高校からですが、この祖父母のサポートがなければ今の彼はいないと思います。パラリンピックで家族の話を聞いていると、我が国の障害者の理解の歩みと、それを推し進めてきた人々の熱い思いを感じます。このコメントを書いているだけで、胸が熱くなって、また泣いてしまいそうなのでこの辺にしておきます。

学校ではマスク着用なしで抗原検査を徹底──英国

米国とは反対の施策を進める
学校ではマスク着用なしで抗原検査を徹底──英国のコロナ感染対策は「有効」と示唆

2021.9.2【クーリエ・ジャポン】

日本では新型コロナウイルスに感染する子供が増加し、すでに夏休みの延長やオンライン授業を検討する小中学校が増えている。新学期を迎え、不安を感じる家庭も多いだろう。

デルタ株が蔓延する英国では、休校措置やマスク着用の義務なく、抗原検査の徹底によって校内のクラスターを抑えようという動きがある。感染拡大を防ぐのは可能なのだろうか──。

子供たちがマスクを着用し続けるリスクは大きい
米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、マスク着用を義務付けずに、無償配布した抗原検査キットを活用することで、校内の感染率を抑える英政府の事例を紹介した。記事には「英国では子供たちは学校でマスクをしていない」と驚きを込めた見出しが付けられた。

英セント・ジョージ病院の小児感染症の専門家シェームズ・ラダーニは「人と人との交流において顔を合わせることは重要で、子供たちがマスクを着用し続けることは潜在的なリスクが大きい」と話す。また、英政府は回避可能であれば「子供がマスクで顔を覆う必要はない」という姿勢を当初から明確にしているとも述べた。

英国では6月以降にデルタ株が蔓延し、7月中旬に感染のピークを迎えた。しかし、パンデミック中に開校を続けた英国の学校内の感染率は、社会全体の感染率を上回らなかった。英政府も「大規模なクラスターは起きなかった」と調査後に結論づけたことを、ニューヨーク・タイムズは報じている。

抗原検査を徹底すれば、隔離時と変わらない陽性率に
英政府は以前から、家庭に検査キットを無償提供し、子供に週2回の検査を要請。学校のバブル(安全圏とされるグループ)内で陽性者が出た際には、10日間の隔離が求められていた。実際、英国では7月中旬に公立校生徒の14%にあたる100万人以上が隔離を強いられ、子供たちや親の混乱を招いたことも事実だ。

しかし、隔離の代替策になると期待されているのが、徹底した抗原検査だという。英国ではデルタ株の感染拡大時に、対象となる中学校から大学までを「隔離型」と「検査型」のどちらかに無作為に振り分けて、感染状況を比較した。検査型の学校では、関係者は感染の発覚から1週間は抗原検査を受けることを条件とし、陽性反応が出た子供だけを隔離する方法をとった。

結果、どちらのグループでも陽性反応が出た接触者の割合は2%に留まった。また、教員の抗体検査結果をみても、陽性率は地域の成人と同等以下であり、学校が「感染のハブ」ではないことが示されたという。

二極化する校内の感染対策
英紙「ガーディアン」は、英国の学校における最新の感染対策を次のようにまとめる。
・子供たちを少人数のグループやバブルに入れるという要件は取りやめ。マスク着用の義務化も廃止され、感染した生徒の連絡先の追跡なども必要なし(登下校時などふだん会わない人と接触する閉鎖空間ではマスク着用を推奨)。
・10日以内に濃厚接触した5人の生徒や職員が陽性となるなど、一定の条件を満たす場合、学校はマスク着用などの助言を教育省に求めることができる。しかし、いかなる施策も期間限定であること。
・政府が求める対策は前年度に比べて少なく、手洗いなどの基本的な衛生管理と換気のモニタリング、生徒と教職員への抗原検査の実施が求められる。

対して、米国ではCDC(米国疾病予防管理センター)が、予防接種の有無にかかわらず学校内では全員がマスクをすることを推奨。加えて、バイデン大統領が学校でのマスク着用義務に抵抗する州に対して、法的措置を検討するよう教育省に要請したことが明らかになっている。

英米を見ると、学校内での感染対策は二極化している。日本でも、文部科学省が全国の幼稚園や小中学校に抗原検査キットを配布する方針を明らかにしたが、今後は英米の学校における対策事例が参考になるかもしれない。

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同じアングロサクソンでも、風評や感情に揺れる米国と人権とエビデンスを大事にする英国では国家が誘導する感染対策でもこんなに違うのかと思いました。この記事内容が事実なら、まともに読めば英国が正しいということになります。学校が「感染のハブ」かどうかを確認するために「隔離型」と「検査型」を感染拡大期にすぐに調査する等、行政のエビデンスベースの素早い動きには感心します。いつまでたっても、感染者数と重症者数の発表だけで、エビデンス調査をしようとしない日本とはえらい違いです。

翻って米国CDCは政府と独立して機能する専門集団ですが、この権威のあるセンターが全員がマスクをすることを推奨しています。ただ、今回のCDC推奨の科学的な根拠は英国のようには明確に示されておらず、政治力が働いている印象がぬぐえません。確固たる根拠がないのに、マスク拒否者を法的に強制するコメントを大統領が出すなど、冷静な判断とは思えないです。感染拡大はマスク拒否が原因とマスク拒否者をスケープゴートにして、政権批判をかわす為に、世論を誘導しているようにしか見えません。

我が国でも、GOTOやら飲食店やら、オリパラを何の科学的な根拠もなくスケープゴートにして、政争の具にしています。真面目な日本人は、誰が勧めたわけでもないのに、いつのまにか熱中症のリスクまで冒して戸外でマスクをつけています。それに乗っかって厚労省の感染予防リーフには戸外でも2mの距離が取れないならマスクをしなければならないかのように推奨しています。

日本人はそれに従って真面目に戸外でマスクを装着し、飲食店を閉め、盛場での飲酒まで控えてきました。感染拡大が収まらない事実を目の前にしても、同じことを続けて平気というのは、お人好しならばまだいいのですが、全体主義を受け入れやすい性質が日本人にあるのではないかと心配になります。科学や学問を尊ぶ学校教育の場で、科学的根拠を示した予防策が先進国日本として展開されることを願わずにはいられません。

ICT機器 児童生徒の9割が期待も 学校は半数以上が十分活用せず

ICT機器 児童生徒の9割が期待も 学校は半数以上が十分活用せず

2021年9月1日 【NHK】

小中学生に1人1台配られているタブレット端末などのICT機器について、児童生徒の9割が「勉強の役に立つ」と期待を寄せる一方、十分活用していない学校が半数を超えていることが文部科学省の調査でわかりました。

文部科学省は、ことし5月、全国の小学6年生と中学3年生、200万人以上を対象に「全国学力テスト」を実施し、あわせてタブレット端末などICT機器の活用状況についても調査して、31日、公表しました。

この中で児童や生徒に、タブレット端末などICT機器の使用が勉強の役に立つと思うか聞いたところ、「役に立つと思う」、「どちらかといえば役に立つと思う」という回答が小中学生ともに90%を超えました。

一方で、学校に対し、教職員と児童生徒がやりとりをする場面でどの程度ICT機器を活用しているか尋ねたところ、「全く活用していない」、「あまり活用していない」という回答が、小学校で55%、中学校で57%でした。

また、児童生徒に1人1台配備されたタブレットなどの端末をどの程度家庭で利用できるようにしているか聞いたところ、小中学校ともに「持ち帰らせていない」もしくは「持ち帰ってはいけないことにしている」があわせて60%以上となり、毎日もしくは時々持ち帰り利用させている学校は20%程度にとどまりました。

文部科学省の浅原寛子 学力調査室長は「ICT機器の学習への活用について子どもたちの期待が非常に高いことがわかった。休校など非常時に備える意味でも1人1台の端末を積極的に活用してもらいたい」と話しています。

端末の持ち帰り 学校の対応に差
感染の急拡大で今後、臨時休校も想定される中、文部科学省は小中学生に1人1台整備しているタブレット端末などの最新の活用状況も公表しています。

ことし7月末の時点で1人1台の端末の整備は全国の96%にあたる1742の自治体で終えていますが、3.9%にあたる70の自治体では完了していないと答えたということです。

家庭に端末を持ち帰ることについては、全国の公立小中学校などおよそ3万校のうち、感染拡大や災害など非常時に対応できるよう「準備済み」と回答した学校は64%、「準備中」と答えたのは32%、「実施・準備をしない」が4%と、対応に差があることがわかりました。

文部科学省は夏休み明けに登校できないケースや休校などが想定されるとして、「実施・準備をしない」と回答した自治体に対し、速やかに準備をするよう促したということです。

専門家「平常時から教室で使い、持ち帰って練習を」
ICT教育に詳しい東北大学大学院の堀田龍也教授は、タブレット端末などに対する子どもたちの期待は高い一方、活用は十分広がっていないという調査結果を受け、「自治体によっては、オンライン授業の取り組み事例を徐々に近隣の学校に広めているところもあるが、中にはすべての学校が一斉にできるようになるまで活用を始めない自治体もある。できること、できるところから進めていくことが大事だ」と話しています。

そして、感染拡大が収まらない中で新学期が始まることから、「学校でも十分使い方がなじんでいないのに、非常時にタブレット端末を家に持ち帰ったところで活用は容易ではない。平常時のうちから教室で使い、持ち帰って練習をするなど備えておくことが学習を保障するうえでも非常に重要だ」と指摘しています。

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端末持ち帰り調査: 05/27)でもコメントしましたが、すてっぷで把握する限り、全児童分のタブレットが配備された乙訓の小学校で、夏季休暇中に家庭に端末を持帰らせた学校はなかったようです。大阪では環境が整っていないのに市長のオンライン授業発言はけしからんと校長先生の市長あての提言がSNSで拡散される事件も起こりました。ただ、実際の提言は現在の教育を憂う個人的な感想が多く、オンライン学習に触れたのは全文の1割もなく、しかも具体的な指摘もないままに一方的に校長の感想が書かれているだけで、事実に基づいた内容がありません。恐らくは、これはメディアが大阪市長批判のためにする政治的に煽った事件であり、子どものオンライン学習の具体的な推進には何の役にも立たない話だと思います。

けれども、「全体が揃うまで実施しない」というのは、公平性を大事にしているかのように聞こえますが、このフレーズを使う人によって意味合いは変わるのです。サービスを受ける人が使うと同じ税金を払っているのだからサービスは公平にしてくださいと言う意味になります。しかし、サービスを供給する側が使うと、全体が揃わないのだからサービスできるところもやらないし、もう少し努力すればできるところも全体の足並みがそろうまでやらなくていいという言い訳になるのです。つまり、公平と言う言葉が努力しない事を免罪し、個々で努力したり工夫することを抑制してしまうのです。

年金や給付金などの公平性と、設備や技術格差の可能性を内包しているサービスの公平性とでは意味合いが違います。前者は一律平等ですが、後者はできるところから実施し、遅れたところは公平性を目指して全力で追いつく努力するのが公的サービスのあり方です。そういう意味では、オンラインができないと言う前に何か努力をしたのかという疑問が残ります。

前回も紹介しましたが、民間のリモート用サーバーを使ってオンライン授業を実現している学校(学校つなぎ学習支援: 06/03)もあるのです。できない理由を並べるのは簡単ですが、子どものためにICT教育を実現しようとする前向きな姿勢がなければ、できるものもできないのです。世の先生方は公的サービスの公平性とは何かを再考され、タブレット持帰りを実現してほしいと思います。

分け隔てない支援教育 モデル実施へ 大阪

分け隔てない支援教育 モデル実施へ 大阪

8/30(月) 【産経新聞】

大阪府教育庁は30日、軽度の知的障害や発達障害のある高校生らが必要な支援を受けながら他の生徒と一緒に学べるよう、新たな教育課程に基づく教育を令和5年度からモデル校で実施すると発表した。今後、カリキュラムなどの具体的な検討を始める。

府教育庁が掲げるのは「『ともに学び、ともに育つ』多様な教育実践校(仮称)」。モデル校は府立西成高校と同岬高校で、いずれも小中学校の内容から学び直せる「エンパワメントスクール」に指定されており、支援の必要な生徒が多い。習熟度別の授業や少人数指導など、両校で実践している支援のノウハウや課題をもとに新しい教育課程や学級編成を庁内で検討。6年度からは指定校を増やして本格実施する予定だ。

また、府の教育委員会議は同日、島本、茨田(まった)、泉鳥取高校の3校を、今年度の入試を最後に募集停止する方針を固めた。府条例では、3年連続で入学志願者が定員割れし改善の見込めない高校を再編整備の対象と規定しており、今年度の検討対象は13校。エンパワメントスクール全8校のうち岬、西成、箕面東高校も定員割れが続いている。

受け入れ体制に課題も
大阪府教育庁が今回、高校で新たな教育を導入する背景には、中学の特別支援学級から高校への進学率の高まりがある。令和元年度の卒業生の進学率は全国平均を大きく上回り、約8割に達した。現在は現場の工夫で支援しているが、適切なカリキュラムや学級編成を制度化し、卒業後の自立に向けてより充実した教育を実践するのが狙い。外部有識者による審議会が提案したもので、全国的にも珍しい取り組みという。

公立の小中学校には、学校教育法施行規則などに基づき支援学級が設置されているが、高校にはない。このため、支援学級の在籍生徒の進学先は特別支援学校高等部か一般の高校となる。

文部科学省によると、近年は全国的に中学の支援学級から高校への進学率が高まっており、令和元年度の卒業生では半数を超える。特に大阪府では以前からその傾向が顕著で、元年度は8割超の2035人が高校(高等専門学校含む)に進んだ。要因の一つとして、定員割れした府立高には成績にかかわらず入学できるという、大阪特有の事情もある。

府教育庁は、知的障害のある生徒を対象にした「自立支援コース」を府立高9校に設置しているが、定員は1校3~4人。課題に応じて一部の授業を別室で受ける「通級指導教室」も4校にしかなく、高い進学ニーズに対応しきれていない。また、支援学級に在籍していなくても学習やコミュニケーションに課題を抱える生徒も増え、入学時の調査で「配慮を要する」と回答する生徒は2年度で3174人と、平成20年度の2倍超となった。生徒の状況によって年度途中で新たに教員を配置するなどの対応が必要となる学校もあり、「現場に任せるには限界がある」(府教育庁幹部)という。

こうした問題について、大学教授らでつくる府学校教育審議会が今年1月から協議。8月下旬にまとめた中間報告の中で、こうした教育システムの導入を提案した。

目指すのは「『ともに学び、ともに育つ』多様な教育」の実践であり、対象は支援を必要とする生徒だけでない。橋本正司教育長は「さまざまな生徒が一緒に学び、誰もが意欲を持って自分の力を伸ばせる魅力ある学校にしたい」と話す。(藤井沙織)

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大阪府だけでなく都市を抱える自治体では少子化に伴い、私学志向が高まる一方、公立校は定員割れを起こして試験が0点でも氏名が書ければ入学できる状況が一部で起こっています。サイエンス校とかグローバル校等の高機能公立高校を作って一部の「高学力」生徒を集める施策は、それ以外の高校に「低学力」の子どもが集まります。そうした高校では中堅大学も目指せないと、中間層の生徒も私学志向になって、さらに公立校の定員割れが進みます。

さらに国の就学支援金と大阪府独自の授業料支援補助金を合わせれば、世帯収入が800万円以下の家庭なら年間平均50万円以上の補助があるので、これまでの学費の半額程度の負担で私学に行けるので「教育環境の良い私学へ」という流れをさらに後押しします。

こうした中で、低学力生徒の多い高校への支援としてエンパワメントスクールに指定して、読み書き計算の基礎基本から教える取り組みを始めましたが、それは大学には行けそうにない高校だと、逆に定員割れを起こす皮肉な結果となっています。これは、ハイタレント(高学力者)囲込みの高校教育施策の矛盾を、泥縄式に手立てを打っている対症療法としかいえず、かえって発達障害のある生徒などを特定の高校に囲い込む施策にも見えます。

今回は、これを打破しようとした高校教育の起死回生をかけた教育システムですが、橋本教育長が言うように「さまざまな生徒が一緒に学ぶ」学校にするには、一点豪華主義の公立高校設置を改め、どの学校でも有名大学が狙え、どの学校でも基礎基本に戻る教育課程も行う公立学校本来の姿、多様性社会を校内で実現していく姿勢がベースに求められると思います。そうすることで、中学校の進路指導や特別支援の姿も変わってくるものと思われます。特別支援学級在籍者の報告書(内申書)を本人の実力に関わらずオール1にするなど※旧態依然として、多様な学びを認めない中学校の改革にも一石を投じるものになると思います。

※例えば、「令和3年度京都府公立高等学校入学者選抜要項」の「4 出願の要領(全日制・定時制共通) (3) 中学校長の手続  エ 報告書(様式Cの1及び様式Cの3)について b(a)」には、「なお、特別支援学級(中略)生徒等については、(a) 「中学校学習指導要領」に示す目標に照らして、その実現状況を5段階の評定点により記入すること。」とある。「支援学級生はオール1」という申し合わせが存在するならば絶対評価の公平性が失われていることになる。

 

子供たちに必要なのは「リアリティ」と「自分の無力さを気付かせる時間」中邑賢龍教授インタビュー<後編>

子供たちに必要なのは「リアリティ」と「自分の無力さを気付かせる時間」・・・中邑賢龍教授インタビュー<後編>

2021.8.26 【リセマム】

才能に恵まれても個性が強くて仲間外れにされたり、問題児扱いされて不登校になってしまったり…そんな「生きづらさ」を抱える異才児たちに、学びの場を提供する東大・異才発掘プロジェクト「ROCKET」。そのディレクターを務める中邑賢龍教授が6月、「どの子も違う -才能を伸ばす子育て 潰す子育て」(中公新書ラクレ)を上梓した。

中邑教授に、子供ひとりひとりがもつ多彩な才能を潰す子育て、伸ばす子育てについて話を聞いたインタビューの前編では、外発的な動機付けで楽しいと感じているだけで、「これは本当に自分の人生か」「自分が好きなこと、やりたいことは何か」と自分の内側に問うことがなく、同調圧力に流されてしまう子供たちが増加している背景と、学校の枠に収まることができず、生きづらさを抱えた子供たちの支援について語っていただいた。後編は、子供たちの「生きる力」が弱まっている背景と、子供のために親ができることについてお話しいただいた。

便利が当たり前の子供たちに必要な「18禁デザイン」

--中邑教授は「人間支援工学」と呼ばれる分野の第一人者です。「ROCKET」のほか、障害や病気を抱えた子供たちのための大学・社会体験プログラム「DO-IT Japan」や、身の回りのテクノロジーを教育に活用する「魔法のプロジェクト」、医療的ケアの必要な重度障害児のコミュニケーション支援プロジェクトなどに携わってこられました。さまざまな子供たちとの関わり合いを通じて、最近感じる変化はありますか。

近年では発達障害のグレーゾーン(境界型)と呼ばれるタイプが増え、重度の障害や病気だけではなく、幅広くいろいろな子供たちと付き合うことが増えてきました。そこで僕が気づいたのは、日本の子供はすべてディスアビリティ(*1)ではないか、ということです。子供たちから如実に「生きる力の弱さ」を感じるのです。これは本当にまずいぞ、と。この本を書いたのも、今、改めて子育てのあり方、子供との向き合い方を考え直すべきときではないかと思ったからです。
*1「ディスアビリティ」:心身の機能上の能力障害

--子供たちの生きる力が弱くなった理由は何だと思いますか。

今の日本は高齢化社会なので、高齢者向けにバリアフリーやユニバーサルデザインが行き届き、何事も安心・安全に使いやすくつくられています。食べ物のパッケージひとつとっても、指先の力が弱くても簡単に開けられるきめ細やかな仕様で、高齢者にはとても優しい社会です。子供たちもその便利さを当たり前のように享受しています。すると、逆に不便なもの、粗悪なものに出くわした時に、手も足も出ないどころか、出そうともしない。ハサミを使ったり、歯で噛みちぎったりして何とかしようともがきもせず、「ハサミを持ってくるのがめんどくさい」「袋に口を付けるなんて不潔」などと言い訳ばかりで、簡単に諦めてしまう子が少なくないのです。

--高齢化に合わせた社会のデザインが、子供たちを「茹でガエル」にしてしまっている、と。「茹でガエル」のまま大人になってしまうと考えると…ちょっと恐ろしくなりますね。

僕は、18歳以下は使ってはいけない「18禁」のデザインがあっても良いと思っています。これ、冗談じゃなく本気でね。あえて使いにくいもの、すぐ壊れるようなものを子供に与えていかないと、普段生活する中で学べることが少なすぎるのです。

本来学校の役割とは、僕らが生活の中で学んだことを授業で補完することにあると思うのですが、今も子供たちが向き合っている学びの多くは、知的反射神経を鍛えるようなドリル的な学習です。中でも早期教育という名の下、幼少期から訓練されてきた子供たちは、生きる力がとても弱いと感じます。これでは今、社会で声高に叫ばれているイノベーションなど起こるはずがありません。

「ギフテッド教育」は早期教育ではない

--特異な才能を伸ばす教育法として「ギフテッド教育」があります。中邑教授はこれについて、世間で誤った解釈があると指摘されていますが、本当の意味での「ギフテッド教育」とは何でしょうか。

ギフテッドとは生まれつきもつ、突出した能力を表した言葉です。ギフテッド教育とは、そうした能力が伸びていくのを阻害せず、のびのびと育てていこうとするものであり、けして大人が作為的に道を敷いていこうとする教育ではありません。ところが日本では、ギフテッド教育が早期教育と取り違えられることがよくあります。

たとえば小学校受験のための訓練や勉強は、知的反射神経を鍛えるような課題が中心で、IQを調べる知能検査の問題にも類似しています。したがって、早期教育を施せば必然的に成績が高くなり、IQも高く出る可能性があるのですが、これだけを根拠にギフテッドと判断できるかどうかは疑問です。幼児期に高いIQを叩き出し、神童扱いされてきた子供が、小学校高学年になると他の子に追い抜かれ、周囲の期待に応えられなくなって苦しむケースは少なくありません。

すべての子供には天賦の才能がある。だから芽が出るまで放っておきましょうというのが「ギフテッドの本質」です。

STEAM教育に必要なのはダイナミックでリアルな原体験

--文部科学省も大きく舵を切り、学校ではアクティブ・ラーニングやSTEAM教育といった活動の中で、子供たちひとりひとりの個性を伸ばし、考える力や主体性などを育もうとしています。こうした教育活動を行うにあたり、一番重要なことは何でしょうか。

東大の学生たちを見ても、考える力や主体性がないわけではありません。自分から進んで多くの論文を読み、本やネットで貪欲に知識を習得するなど、さまざまなことに詳しい勉強熱心な学生はたくさんいます。ただし、彼らの知識にはリアリティがない。このリアリティのなさが今の子供たちの特徴です。

今、多くの学校で実施されているアクティブ・ラーニングやSTEAM教育は、安全に管理された状況で行われる実験や、周到に準備されたプログラムなど、先生が想定したアウトプットに向かっているものが大半です。ダイナミックさやリアルさがなく、子供たち自身が何か問題にぶち当たって考えるというプロセスが抜け落ちています。

もちろん、先生が生徒に対し、構造的に知識を授ける役割は引き続き重要だと思います。けれど子供たちにはその前に、自由に気の向くまま過ごしてきた、ダイナミックでリアルな原体験が必要なのです。僕はこれを「Pre-STEAM」と呼んでいます。じーっとアリの行列を眺めていたり、穴の中にひたすら石を落とし続けたり、大人から見れば一見無駄と思えるような単調な行動こそが、子供時代にはとても大事なのです。

遠回りで非効率でも、教えない。体を動かし、汗をかいて、気づかせる

--大人がお膳立てをした予定調和ではなく、子供が自由に気の向くまま過ごせる時間が必要だ、と。その他、コロナ禍で親子が過ごす時間が増える今、「生きる力が弱い」「ダイナミックでリアルな原体験が足りない」子供たちに、家庭でできることは何でしょうか。

コロナ禍では在宅時間が増えて、子供たちがゲームやタブレットといった道具を使う時間も増えました。未曾有の危機の中、現実世界を体験しにくい状況ですが、空気や湿気、匂いなど、リアルな経験を失っていくのはとても恐ろしいことです。

中邑賢龍教授と加藤紀子さん
「子供が夢中になれることをどうやって探せばいいか」とよく聞かれるのですが、デジタル機器から完全に離れて、何もないところに連れていって好きにさせてみてください。GPSに頼らず目的地を目指してみたり、畑で野菜や果物を育ててみたり、動物や自然に触れ合ったり。情報や労働はタダではないこと、生き物は人間の思うようにならないことなど、子供たちに体験を通じて気づかせることがとても大事です。

それには親にも覚悟が入ります。親もデジタル機器を手放し、遠回りで非効率でも、一緒に体を動かし、汗をかいて、知恵を絞る。子供に何かを「教える」のではなく、リアルな経験を徹底的に体に染み込ませて、子供に「気づかせる」のです。今、親が子供に授けるべきものは、子供に自分の無力さを気づかせる時間だと思います。

すべての子供たちが、心に傷を残すことなく育つ社会

--すべての子供に天賦の才能がある。でも、どうしても社会でうまく立ち回れず、振り落とされてしまう子たちもいます。すべての子供たちの才能を潰さず、伸ばしていくために、社会はどう変わるべきだと思いますか。

社会の中に、新しい評価軸、多様な枠組みをつくっていくべきです。今の社会は、「ありのままでいい」と言いながら、ひとつの枠組みの中に、既存の評価軸で、個性の強い子も十把一絡げに押し込めようとしています。「インクルージョン」「ダイバーシティ」という標語を掲げていても、当事者に聞いてみると、足手まといになってしまうからと仕事が与えられなかったり、コミュニケーションの難しさからいじめにあったり、必ずしもうまく共存できていないのが実情です。

多様な枠組みと新しい評価軸をつくり、環境さえ整えてあげれば、どんな人にも自分の居場所ができ、落ち着けるはずです。でも今はひとつの枠組みしかなく、そこからはみ出てしまった人たちを福祉の対象とし、エクスクルード(排除)してしまっているのです。

鹿児島市にあるしょうぶ学園は知的障害者向けの福祉施設ですが、職員は福祉の専門家だけでなく、アートや音楽など、さまざまな専門家がいます。こうした専門の目利きが、作業場で障害者が作ったものに価値を見出し、作品として販売しています。一見して価値があるかわからないものでも、プロデュースによって見事に高値が付く作品に変えられる。まさに新しい評価軸です。畑で作った野菜を使い、洒落たレストランで美味しい食事を提供したり、パンを焼いたりと、地域コミュニティの住民の憩いの場にもなっています。

新しい評価軸をプロデュースできる人々を介して、障害のある人達のコミュニティが外の環境と分離されず、地域と結びつく。ひとりの人間としては難しくても、そのコミュニティごと地域と共存できれば良い。「社会がおかしい」ってことに気づく人が増えて、「社会を変えよう」と動けば、それによって生きやすくなる人たちはたくさんいるのです。

--最後に、生きづらさを抱える子供たちへ、そしてその子供を見守る親たちへ、メッセージをお願いします。

子供は何も悪くない。だから、子供を変えようとする必要はありません。ものすごく抵抗する子供がいますが、それもその子の特性なのです。その特性を親や周りの大人が力尽くで潰してしまうと、子供は必ず心に傷を残します。トラウマになり、一生苦労する子もいます。すべての子供たちが、心に傷を残すことなく育っていく。僕はそれが一番大事だと思います。今、辛いかもしれないですけど、どんな子供も必ず動き出しますから。どうか目の前の子供を信じて、見守ってあげてください。

--ありがとうございました。

「苦手なことを無理に克服しようとしなくていい」「子供は何も悪くない」「すべての子供には天賦の才能がある」中邑先生の言葉を改めて噛み締めると、私たちの社会はどれだけのギフトをみすみす失っているのだろうという悔しさを感じずにはいられない。

目の前にいるわが子のギフトは何か。私たち大人こそ依存状態になっているさまざまな道具を手放し、ダイナミックにリアルに、親子で今この瞬間を一緒に過ごすことで、その本質が見えてくるのかもしれない。

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今回のインタビューは示唆に富んでいます。ユニバーサルデザインではなく「18禁デザイン」とは面白い発想です。何でも便利ではなくあえて不便を提供する、いわゆる野外活動のようなことを、日常スタイルにも教育として求めるということです。すてっぷもそのことはとても大事なことだと考えています。できるだけ野外に出かけ、水や土、火や風、生き物や草花を対象にして遊ぶことが重要だと考えています。確かに公園遊びは子どもを管理しやすいですが、遊具遊びとボール運動程度で変化に乏しい物ばかりです。働きかければ変化するもの、工夫すればするほど変化するものはタブレット中にもありません。

何でも便利なものを与えてはいけない、不便だから便利にしようと考える、知らないことだから知ろうとする。こうした動機を子ども時代から奪ってはならぬと中邑先生は警鐘を鳴らします。こうした子どもたちの体験の上にSTEAM教育は成り立つのであって、その逆はないと思います。「S」(SCIENCE 科学)「T」(TECHNOLOGY 技術)「E」(ENGINEERING 工学)「A」(ART 芸術)「M」(MATHEMATICS 数学)これらを結びつけた教育が必要だと専門家は唱えますが、土台になるカルチャー(文化)が貧しくては成立しません。

中邑先生は、自発的に学んだり遊んだりする環境と付き合う大人だけ準備して、あとは放置せよと言っているようにも思えます。「インクルージョン」も「ダイバーシティ」という標語も息苦しいという当事者の声に私たちは耳を傾けなくてはなりません。ただ、世の中は皆で生きているのですから、どこかで折り合いをつける必要があります。それは少数者の当事者だけに求められるものではなく、多数者の我々にも求められるべきものです。その双方の折り合いのつけ方を、「支援」と呼ぶべきだろうと思います。折り合いと言うからには、お仕着せではなく当事者の意見もあるという事です。従って、支援はいらないのではなく、その折り合いの境界線は人によって違うので、支援も人によって違うのだと思います。

東大先端研のプロジェクトは、子供を変えるのではなく社会を変える挑戦<前編>

東大先端研のプロジェクトは、子供を変えるのではなく社会を変える挑戦・・・中邑賢龍教授インタビュー<前編>

2021.8.24 【リセマム】

才能に恵まれても個性が強くて仲間外れにされたり、問題児扱いされて不登校になってしまったり…そんな「生きづらさ」を抱える子供たちに、学びの場を提供する東京大学 先端科学技術研究センターの異才発掘プロジェクト「ROCKET」。そのディレクターを務める中邑賢龍教授が2021年6月、「どの子も違う -才能を伸ばす子育て 潰す子育て」(中公新書ラクレ)を上梓した。
今回は中邑教授に、子供ひとりひとりがもつ多彩な才能を潰す子育て、伸ばす子育てについて話を聞いた。

東大の異才発掘プロジェクトへの誤解
~「ROCKET」は神童を輩出する集団ではない~

--東大先端研の異彩発掘プロジェクト「ROCKET」(Room Of Children with Kokorozashi and Extra-ordinary Talents)には、強いこだわりとユニークさゆえに不適応を起こした子供たちが集まりました。才能を「潰す」から「伸ばす」へ、子育てのまさにパラダイムシフトですが、このプロジェクトは、どんな思いから始められたのでしょうか。

ユニークな個性をもっているのに、働けない大人がたくさんいます。その背景には、子供のころからその特性をすべて否定された、深い心の傷があります。なぜ彼らは傷つき、その傷が深くなったのか。それは「学校に行くのが当たり前だと思っていた」から。そこで無理をし続けたことで、傷が深くなってしまったのです。

きっと今も同じように苦しんでいる子供たちがいるはず。だったら「学校なんて行かなくていい」というプロジェクトをやれば良いじゃないか、と。それが「ROCKET」の始まりでした。

--アカデミックな世界の基礎研究や、新しい価値を生み出す革新的なモノづくりなどに没頭する異才児が集まり、メディアからも大きな注目を集めましたね。

注目して頂けたのはありがたかったですが、本来僕らが目指していたのは、あくまでもこだわりが強く、異質扱いされて生きづらさを感じている子供たちの「能動性」を、それぞれのペースに合わせてじっくりと引き出していくことでした。

その結果として、「Extra-ordinary Talents(特異な才能)」という言葉どおり、既存の枠を超えて才能を開花させ、一流大学に進学するなど、「ROCKET」をキャリアパスとして羽ばたいていった子もいます。けれどその一方で、今も自室に引きこもり、ドア越しに「おーい、そろそろ出てこないか?」と僕らが声をかけ続けている子供たちもいる、というのもまた現実です。

成長のペースは子供によって違うので、こうした結果は僕らにとっては想定どおりなのですが、世間からは「ROCKET=神童を輩出する集団」のように見られるようになり、最近は勉強がずば抜けてできる子たちが多く集まるようになってしまいました。

オール1でも、懸命に生きている子供たちを支援する新プロジェクト「LEARN」

--そうしたサクセスストーリーを目にすると、親はついわが子と比べてしまい、「そうやって突き抜けられる子はごく一握り」「うちの子があんなふうにうまくいくとは思えない」「社会で自立してやっていけるのか」といった不安をかき立てられます。私もこの仕事をしていて、活躍にばかりフォーカスした記事を書くことで、新たな格差を生むことに加担していないか。傷つけ、絶望させてしまっている人たちがいるのではないかと反省することがあります。

そうですね。確かに、発達障害や不登校など、生きづらさを抱えている子供たちの中にも成長差はあります。その強いこだわりや個性をうまく伸ばし、大学まで行けるような子供は何も問題はないのですが、僕らが本当に支援しなければいけないのは、そこまで突き抜けられないものの、必死にもがき、懸命に生きている子供たちです。そこでいったん「ROCKET」の看板を下ろし、プロジェクトとしてのベクトルが「神童」だけに偏らないよう、もっとマルチに広げたいと思い、新たに「LEARN」というプロジェクトを立ち上げることにしました。

このプロジェクトは、ニトリの会長である似鳥昭雄さんから声をかけてもらいました。似鳥さんは70歳を過ぎてから、自身が発達障害、ADHD(注意欠如・多動症)であることがわかったそうです。子供時代の成績はオール1。小学校4年生になっても漢字で自分の名前が書けず、全然勉強ができずにいじめられ、本当に辛い経験をした、と。だからこそ、同じような思いで苦しんでいる子供たちを応援したいと言ってくださったのです。

「LEARN」では、学校の成績がオール1の子でももらえる奨学金をつくります。勉強ができる子ではなく、勉強したい子に奨学金を出したいのです。他にも、これまで「ROCKET」ではサポートしきれなかった、医療的ケアの必要な重度重複障害と呼ばれる子供たちや、そういった障害など生きづらさを抱える子を育てる親御さんたちにもフォーカスを当てたプログラムを展開していきたいと思っています。

大人から褒められるのが大好き。外発的な動機付けで動く子供が増加

--ご著書の中で、「そもそも日本社会は集団志向で、異質な人に対して寛容とは言えなかったものの、社会はもう少し緩く穏やかにまわり、その分、ユニークな人たちにも生きる道が残されていた」という指摘がありました。昔はもっと大雑把で、おおらかな社会だった、と。ところが今は、「何が正しいのか」「何が間違っているのか」を明確に求めるようなコンプライアンス(*1)意識が高まり、大人たちは出る杭にならないように怯え、萎縮している。そして、そうした意識は子供にまで浸透し、小学校でも低学年から、同調圧力がいじめや不登校の原因にもなっているようですね。(前回の不登校新聞・石井氏インタビュー「低学年からマウンティング・同調圧力に苦しむ子供たち」はこちら
*1「コンプライアンス」:法令や規則、社会的規範や倫理などを遵守すること

子供というのは、生まれつきもった特性に応じて行動していきます。けれどそれを放っておくと、社会の中でコントロールしきれません。だから特に日本の教育では、枠にはめることで金太郎飴のように均質化された人材を育て、効率的に働かせて、戦後の高度成長を支えてきました。さらに、「ゆとり教育」を否定した反動で、学校がますます杓子定規な社会になってしまっているように感じます。

中邑賢龍教授と加藤紀子さん
--小学校では、プログラミングや英語が加わり、現場の先生達はやることが増えて大忙しです。また、家庭でも「小1プロブレム(*2)」を避けるべく早期教育に頼るなど、子供たちも幼い頃からとても忙しくなっています。こうした変化についてはどう受け止めていますか。
*2「小1プロブレム」:小学校に入学したばかりの1年生が、黙って座って授業を受けられない現象。スムーズに小学校生活へ移行させるため、小学校入学前に読み書きや計算などに一定時間集中させる練習などを行う保育園・幼稚園や習い事などがある。

都内の小学校でも関わっているプロジェクトがいくつかありますが、とにかく子供たちに時間がないことに驚きます。先生方はやることが多くて授業数が足りないと嘆いているし、子供たちは放課後も塾や習い事でびっしり。これじゃ、ぼーっとする時間もありません。

でも子供たちはそれで満足しているんですよ。なぜなら子供って、大人から褒められるのが大好きだから。こうして、外発的な動機付けばかりで動かされて成長する子供が増えているのです。

「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げているうちはダメ

--先生は「成績が良ければ優秀」な時代は終わった、とも仰っています。真面目で、友達も多く、テストの成績が良く、悩みがなく、親も教師もまったく心配していない。そうやって「問題が顕在化していない子」の方が心配だ、と。

そう遠くない未来に、AIやロボットが既存の仕事を代替するようになります。ところが未だに、「問題が顕在化していない子」が追い求めているのは、このAIやロボットに奪われる対象となる能力なのです。これから人間は、余暇を充実させたり、自分で仕事をつくり出したりする能力が求められるようになるでしょう。けれど彼らは、外発的な動機付けで楽しいと感じているだけで、「これは本当に自分の人生か」「自分が好きなこと、やりたいことは何か」と自分の内側に問うことがなく、同調圧力に流されてしまう。そこが心配です。

--歴史を振り返れば、社会に革命を起こしたり、新たな道を切り拓いたりした「異才」たちの幼少期は、必ずしも学校に適応して、成績が優秀だったとは限りません。確実にその人たちは変わり者だったけれど、芽が出るまで放っておかれたから、「異才」たり得たわけですよね。

最近、発達障害がブームのようになっていますが、周囲から変わり者と見なされるユニークな子供たちを安易に「障害」と認定し、性急に治療するという考え方は非常に危ういと感じます。落ち着きがなく、空気が読めず、成績も悪く、学校に行き渋っている子でも、その子の特性を理解し、周囲の大人が見守ってやれば、彼らは自分の力で動き出せます。

学校で「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げているうちはダメですね。「ひとり静かに大人しく」っていうクラスがあっても良いじゃないですか。全然喋らず、人の話もまともに聞かず、「一体こいつは何を考えてるんだ?!」って思ったら、結構面白いこと考えている子っていっぱいいますよ。テストや学校の勉強が苦手でも、じっくりと物事を深掘りして探究できる。そういう才能も潰さない社会にしなければいけません。さまざまなイノベーションのタネを撒きたければ、凸凹で多様な特性をそのまま包み込める社会に変える必要があるのではないでしょうか。

苦手なことを無理に克服しようとしなくて良いじゃないですか。子供を変えるのではなく、社会の制度を変える。僕は今、そこに挑戦しているのです。

インタビュー後編「子供たちに必要なのは『リアリティ』と『自分の無力さを気付かせる時間』」へ続く。

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中邑先生のお話を読んでいると、坂本龍馬を思い出します。「日本を今一度せんたくいたし申候」と言って、これからの世の中に必要なものが幕府にないなら自分たちが海援隊をおこして新しい経済の仕組みを作ればいいと、「時勢に応じて自分を変革しろ」「何の志もなきところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大ばか者なり」と大勢を非難して自らを奮い立たせます。中邑先生も、学校で「明るく仲良く元気よく」という標語を掲げている限り、ユニークな人が育つわけがないと大勢を敵に回すような発言をされます。

転ばぬ先の杖のような教育や発達支援をしていて、今後の未曽有の世界が乗り切れるか?中邑先生は、AIが得意とするものは素早く検索できる知識と、枠組にはまり込んだ既知の思考パターンだと言います。それをAIに奪われた「エリート」に残されるものは皆無だと言って、既成の価値観や評価軸を疑ってかかります。

龍馬は、「わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものにうぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ」として既存の知性を笑い飛ばします。

そして、時代の変革者龍馬自身の人生については「人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ」と独立独歩を尊重します。これは凸凹の子どもたちを含む全ての子どもたちに向けた中邑先生のメッセージと瓜二つです。

養護教諭 子供を守る駆け込み寺の癒し役

チーム学校
養護教諭 子供を守る駆け込み寺の癒し役

2021/8/25【産経WEST】

教員と教員以外の専門職が連携し、学校を中心に一つのチームとして子供たちをサポートする「チーム学校」において、心身に問題や悩みを抱えた子供たちが出入りする保健室は核となる存在だ。教室に入れない子供がいれば戻るきっかけを模索し、虐待やいじめなどの深刻な問題の端緒をもつかむ。昨年からは新型コロナウイルスの感染対策も担う。体調を崩した子も、一見元気そうな子も-。養護教諭は、平穏な日常を守る砦となっている。

7月上旬の平日、午前11時。大阪府内の公立中学校の保健室は2つあるベッドが埋まり、離れた場所にあるソファや椅子に4人の生徒が座っていた。

さらに1人、男子生徒が戸を開けて「休ませてください」と小さな声で訴えた。「次の時間まで椅子で休んでもらってもいいかな」。そう言って男子生徒に体温計を手渡したのは養護教諭の佐藤あゆみさん(34)=仮名=だ。

「全然教室に行ってなかった人が、いきなり行ったらびびらん?」。別の男子生徒が佐藤さんにさりげない様子で尋ねると、「『来てくれたんや』っていう気持ちが勝つと思うよ」と笑顔を向けた。持病があって教室から足が遠のき、現在は保健室にだけ登校する生徒だと、後に佐藤さんが教えてくれた。

様子を見に来た担任が生徒に声をかけて立ち去ると、佐藤さんは走って廊下まで追いかけ、保健室での様子や訴えなどを伝えた。「教室に入りにくくなった子供が戻るための足掛かりは、担任の先生の協力なしには作れないんです」

教室に入れない事情
保健室は、新型コロナウイルスの影響も色濃く受けている。佐藤さんは「一時は保健室に来る生徒がもっと多かった。発熱した生徒とそうでない生徒を分けるゾーニングもできず、苦労した」と振り返る。

そんなコロナ下の今春、佐藤さんが気にかけていた卒業生の女子生徒が保健室に姿を見せた。現在は高校生。家庭状況が厳しく、中学2年から教室に入れなくなった。頭痛や腹痛を訴え、登校すると保健室で時間を過ごし、佐藤さんに少しずつ家庭事情を打ち明けた。

父親は大声で生徒や母親を罵倒し、「俺の金で生活してるんやろ」と威圧していた。生徒は母親に離婚してほしいと訴えたが、母親には一人で子育てをする自信はなく、離婚に踏み切ることはなかった。

家では父親の顔色をうかがい、学校でも無理に元気に振る舞う。佐藤さんは「周囲への配慮でエネルギーを使い果たし、へとへとになっているようだった」と振り返る。

女子生徒の望む進学先は、父親の方針とは違っていた。安易に口にすれば、殴られるかもしれない。佐藤さんは母親と連絡を取り、父親の説得に知恵を絞った。生徒をスクールカウンセラーにつなぎ、校長や生徒指導の教諭らも参加する学校内の会議で毎週生徒の状況を取り上げ、対応策を検討した。

そして生徒は希望していた高校に進学した。だが再び、高校卒業後の進路選択が目前に迫っていた。「大学に行ったら家を出たい。でもお母さんが心配」。佐藤さんはそんな生徒の話に耳を傾け、最後にそっと背中を押した。「お母さんは大人だから大丈夫」

生徒と一緒に考える
学校教育法は「養護教諭は児童の養護をつかさどる」とのみ書く。だが、その職務の幅は広い。肥満や痩身(そうしん)、生活習慣の乱れ、アレルギー、性の問題、いじめ、虐待…。子供の健康上の問題は多様化し、精神状態とも密接にからみあう。

現在、大阪府立吹田東高校で指導養護教諭を務める鈴木秀子さん(58)は30年以上、各地で世相を映すさまざまな問題に直面してきた。覚醒剤を使用した生徒もいれば、女子生徒が個室で男性客をマッサージする「JKリフレ」にかかわったケースもあった。親族の介護を担う「ヤングケアラー」もいた。本音をなかなか打ち明けない生徒も多い。

鈴木さんは入学してきた一人一人の生徒について、中学校の資料を基に家庭状況を整理している。支援が必要な生徒は顔や名前を覚え、職員室に出向いて情報を収集することもある。若い頃は生徒の困難を前に右往左往したが、「一生懸命考えてくれているとわかったから、私も頑張ろうと思えた」という生徒もいた。

保健室は、医務室でも家でも、ただの居場所でもないと鈴木さんはいう。「最後に答えを見つけるのは生徒自身。私にできるのは生徒と一緒に『次の一手』を考えることです」(地主明世)

子供のSOS、いち早く気づく力 小山健蔵氏
大阪教育大の小山健蔵名誉教授(健康生理学)は「養護教諭にとって、大切な力の一つが『みる力』だ」と指摘する。「患者を診る、注意して観る、面倒を看るなどの言葉があるが、すべて養護教諭の職務にいえること」だからだ。

国は子供たちのさまざまな困難に対応するため、教員と教員以外の専門職が連携するよう求めている。その「チーム学校」の中で、養護教諭は児童生徒が助けを必要としているサインにいち早く気づき、学校と専門職をつなぐ窓口となる役割を担う。

もともと養護教諭の始まりは、明治時代に目の感染症への対策として岐阜県が「学校看護婦」を採用したことだった。その後全国に広がり、昭和16年に教職員として位置付けられ、同22年に制定された学校教育法で「養護教諭」となった。

アレルギーやメンタルヘルスなど、子供たちが保健室を訪れる理由が複雑化、多様化する一方、多くの学校で養護教諭は変わらず1人だ。子供たちの学校における健康や安全管理の基礎を学ぶ「学校保健」についても、養護教諭や保健体育の教員以外は養成課程上の必修ですらない。

小山教授は「養護教諭の仕事を一人でこなすのは困難な状況だ。一般の教員も知識を持ち、養護教諭の複数配置も進めて負担を減らすことが望ましい」と指摘。「学校保健は教員になるための必修とすべきだ」と訴えている。

児童虐待・いじめ…存在感増す
公益財団法人「日本学校保健会」が平成28年度に行った調査では、保健室の1日の平均利用者数は小学校で22人▽中学校19人▽高校19・8人。保健室を訪れた子供に継続した支援を行ったとする学校の割合は、小学校から中学校、高校と学校段階が上がるごとに増加し、高校では9割に上る。養護教諭が対応した「いじめに関する問題」は小学校で前回(23年度)の3倍に増え、保健室利用の背景に児童虐待を指摘した割合は中学校で前回から倍増するなど深刻さを増している。

新型コロナウイルスの影響の分析はまだこれからだ。ただ、昨年3月の一斉休校直後から継続的に養護教諭にアンケートを行ってきた埼玉大の戸部秀之教授(学校保健)の今年の全国調査では、コロナ禍で不登校や保健室登校になったり、不安定な精神状態の児童生徒が増加したという回答が全体の4割を超えた。栄養バランスや生活リズムの乱れなどを指摘する声が減少傾向なのに対し、この項目は減っていないという。

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保健室や養護教諭の事を悪く言う子どもはいません。担任の先生たちは忙しそうにしているのでゆっくり話しかける機会がありません。また、先生の居場所は教室か職員室なので落ち着いて話すことができません。学校で静かな空間を占有しているのは校長室か保健室、学校用務員室です。

養護教諭は、身体測定や健康診断、怪我の時にも軽く身体に触れることが多いので皮膚感覚の安心感が生まれるのかも知れません。また、白衣を着ている養護の先生は、他の教員とは一線を画したように子どもには見えるのかも知れません。中には校長先生や用務員さんの部屋を好んで休憩場所にしている子どももいますが、圧倒的に保健室と養護教諭が人気です。

事業所利用の子どもたちに、私達は、担任の先生に話しにくければ保健の先生に話せばいいし、用があってからでは話しにくいので、用がなくてもちょくちょく話に行くといいと助言しています。養護教諭は外傷や内臓疾患だけでなく、学校精神保健の要でもあるので、発達障害の子どもたちの様子も知って欲しいのです。学校連携で話をしに行くと、最も発達障害の理解が早いのは養護教諭の先生です。教員は集団適応を求めがちですが、養護教諭は適応よりも子どもの目線で安心や安全を第一に考えるからだと思います。

支援学校の養護教諭は複数配置です。支援学校は通常学校の小児科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科の4校医以外に整形外科医や精神科医も校医にして対応しています。相談できる医師が多い方が心強いとは思いますが、ここに学校看護師やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーといった専門家も束ねて、教員との橋渡しの役割もあるので連携ストレスの負荷が一番たくさんかかる部署でもあります。子どもには暇そうに見せながらも、頭脳はフル回転の養護教諭に頭が下がります。

※座高測定は2015年に「測定の意味がない」と廃止された

「学校に行きたくない」大人は受け止めて

新学期 いま、あなたへ
山崎聡一郎さん 「学校に行きたくない」大人は受け止めて

2021/8/24 【毎日新聞】

小学校高学年の時、友人をかばったことで同級生に悪口を言われ、暴力を受けました。下校中に後ろから蹴られて歩道から農道に落ち、左手首を骨折しましたが、ほぼ毎日学校へ通いました。休めば自分が悪いような気持ちになりました。行かない選択肢はないも同然。「学校に行かなければ」というプレッシャーが一番つらかった。

同級生と離れたくて中学は私立に進みましたが、今度は加害者になりました。部活で部長を務めていた3年生の頃に後輩の一人が来なくなり、活動に支障が出たため全員で話し合う場を設けました。後輩は来ませんでしたが、退部させることを決めました。後で先生はこう言いました。「大勢で1人を追い詰める、いじめだよね」。後輩に謝り、関係は修復できました。加害者にはならない自負がありましたが、いとも簡単に、なり得ると知りました。

いじめの経験を経て、小学校の時に「人権って何だろう」と考えるようになりました。さまざまな法律が載っている本が読みたくて六法全書を手に取るようになりました。法律で、殴ってけがをさせることは傷害罪にあたる、などと書かれているからといっていじめが起こらないかといえば、それほど単純ではありません。ただ、法律を守れば起こりにくくなる可能性はあります。「いじめ防止対策推進法」は加害者を被害者とは別の場所で勉強させるなどして、被害者が安心して学べる環境を整えるよう明記しています。子どもも大人もそういう法律の知識を持つことも大切です。

もし、子どもに「学校に行きたくない」と言われたら「いいんじゃない?」と受け止めてあげてください。勉強が遅れることや将来に響くかもしれないことに、親は不安になるかもしれません。学校は理不尽さを学ぶ場だという意見もあります。でも、殴られる、ののしられるといった理不尽さなら、そんなことを体験する場所ではありません。

新型コロナウイルスの感染が広がるまでは、子どもたちに「助けを求めて」と伝えてきました。今は大人のケアも必要だと感じます。ストレスやつらさを抱えたままでは子どもに当たってしまい、追い詰めてしまう。大人も周りに助けを求めていい。それは子どもの安定にもつながるはずです。【聞き手・田中理知】

いじめ防止対策推進法
2011年に大津市の中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題を受けて成立し、13年9月に施行された。いじめを「児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義し、防止対策について国や自治体、学校の責務を明記している。

山崎聡一郎さん略歴
1993年、東京都生まれ。慶応大で「法教育を通じたいじめ問題解決」をテーマに研究。在学中に法教育副教材「こども六法」を製作し、書籍化された。教育研究者や俳優など幅広く活動し、子どもに法教育を教える学習塾を今年開校した。
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発達障害のある子どもたちは新学期をどう感じているのでしょう。利用者の小学生に夏休みの宿題の進捗を聞くと、「まだ半分しかできてない」と言う子もいました。「やばい。でも、テレビで夏休み延長するって言ってた」と、目を輝かせて言うので「あれは高校だけやで」と返すと、「まじかー」とうなだれていました。本当は学校行きたくないんじゃないのと聞くと、こくりと頷きます。

ASDの子どもは社会性の発達が遅れるので、中学年以降にちょっと自分は集団から浮いているなーとか、友達から嫌われているんじゃないかなーと感じて登校渋りが始まります。集団の前でも、それまではみんなのアイドル「不思議ちゃん」だった彼らが、少し自信を失い友達への反応も悪くなって、それを周囲がいじるという形でいじめの芽が出てくる場合もあります。

ある利用者の女子は、中学年以降登校渋りが起こり、高学年になってからは教室ではほとんど話さなくなったと言います。いじめる奴らもそれを見ぬふりする人も馬鹿だから話さないというのが理由です。読み書き障害もあり知的な遅れはないのに、じりじりと学力は落ちていきました。授業中は漫画を描いて一日を過ごします。何が目的で学校に行くのか聞くと、学校が嫌だと言えば親が悲しむし、中間休みや昼間休みの男子とのドッチボールは、話さなくても楽しめるのでそれだけを楽しみに登校していると、聞いているだけで私の胸が張り裂けそうでした。

子どもへのソーシャルディスタンスの要請は、遊びの共感性を薄め、笑い合ったりぶつかったりして育む友情の機会を狭め、マスク利用はただでさえ表情の読み取りの弱い彼らの人への誤解を増やします。日本中がマスクをしていたのに感染が増加しています。つまり、飛沫感染を理由にしたマスク予防の効果はなかったのです。学校内でのマスク使用についてアメリカでは義務化にしてはどうかという州もあるようですが、対人理解発達のデメリットが大きいという議論に何故ならないのか不思議です。

一方で、ソーシャルディスタンスやマスクのおかげで、対人交渉の頻度が減り、いじられることが少なくなって助かっているASDの子どももいます。マスクは感覚過敏で嫌がる子もいますが、大きなマスクで顔を覆う事で安心感を得ている子どももいるので、発達障害の子どもにとってはどちらがいいとは一概に言えないようです。乙訓は明後日から始業式。学校に行きにくくなった子どもが出てきてもそんな時もあるよと、子どもの言葉に耳を傾けたいと思います。

旭川中2死亡 尾木直樹氏「市長の立ち位置が重要」

旭川中2死亡尾木直樹氏「市長の立ち位置が重要」

2021/8/22 【毎日新聞】

北海道旭川市で今年3月、中学2年だった女子生徒(当時14歳)が遺体で見つかった問題で、生徒の母親の手記が報道機関に公表された。学校を訪れ、いじめを訴える母親に対し学校側は「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか」と迫っていたことが明かされるなど、その内容に批判が広がっている。「1人の被害者」はないがしろにされていいのか。長年いじめ問題に取り組んできた教育評論家の尾木直樹さんに聞いた。【山下智恵/デジタル報道センター】

概要は次のようなものだった。北海道旭川市で今年3月、中学2年の広瀬爽彩さん(当時14歳)の遺体が見つかった。死因は低体温症だった。


広瀬さんは2019年6月には旭川市を流れる川に飛び込み教師らに保護されていた。母親は、いじめがあったとして学校側に度々相談していたが、学校や旭川市教委は19年9月に「いじめと認知するまでに至らなかった」と結論づけていた。

今年4月、「文春オンライン」が一連の経緯を報道。全国から学校などへの批判が殺到し、市教委は学校からの報告と報道内容が大きく食い違っていたとして、いじめ防止対策推進法の「重大事態」にあたると認定。5月に第三者委員会を設置し、いじめの有無などについて調査している。


――いじめを訴える母親に学校側は、いじめを否定したうえで「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」(手記引用)と言ったとされ、批判が広がりました。

◆手記の内容がそのままだとすると、学校側は勘違いをしています。加害者か被害者かではありません。もちろん、一番不幸なのは亡くなった被害者です。一方で、加害者も価値観がゆがんでしまい、人の気持ちに共感する能力を持たないまま大人になってしまう。そのまま成長して通用するほど社会は甘くはありません。

加害者を、人の心に共感できないまま大人にしてはいけない。また、大勢いる傍観者にも苦しんでいる子を救えなかったという思いを抱かせたまま大人にしてはいけない。それが加害者側の学び、成長する権利を学校が保障することになるんです。自ら行ったことから目をそらさせ、触らないことが加害者を守ることではありません。

いじめ問題で得をする人はいません。そこの学びに責任を持っていることを教育関係者には自覚してほしいです。

手記によると学校側は、いじめを訴えて何度も助けを求めた被害生徒や母親に対し、いじめを否定し続けた。なぜそんなことをと思います。教員の多忙化や学校現場の閉鎖性、さまざまな要因が推測されるが、発言者個人を責めるより、なぜ学校社会がそういうことを言ってしまうかを考える必要がある。

――手記には母親がいじめを訴え、それが否定されたことが明かされています。対応の問題点はどこにあるのでしょうか。

◆いじめとは何かという出発点の定義がおかしいのです。この学校では定義がかつての古いままで更新されていないように見えます。

国が定めるいじめの定義ですが、1986年度からは「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの」としています。主語は加害者で、学校が認知したものがいじめです。

06年度から「いじめとは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」として、主語が被害者になりました。被害者が訴えたらいじめと認定しましょうと180度変わり、その後の定義にも引き継がれています。本人がいじめられたと認知し訴えたら、そのまま受け止めて、学校は動きましょうと、こういう定義に変わりました。

ですが、手記によれば学校側の対応は86年度のままですね。学校が「いじめはない」と言うのですから。特に今回は生徒が川に飛び込むという異常事態の直後です。加害生徒について、あの子がそんなことをするはずがないと思うのは自由ですが、加害生徒にも被害生徒にも、話をしっかり聞かなければならない。第三者委員会を設置して真相を究明していかなければいけない。

定義の変化だけでなく、13年度に成立・施行した「いじめ防止対策推進法」や文部科学省が17年に定めた「いじめ防止ガイドライン」の把握ができていないと思います。

――手記からは、旭川市が5月に設置した調査のための第三者委員会への不信感も読み取れます。

◆11年10月に大津市で中学2年の男子生徒がいじめによる自殺をした件の第三者調査委員会に、遺族側推薦の委員として参加しました。調査報告書の中に、第三者委員会のあり方も盛り込みました。公正・中立・独立の観点から自治体と関係の無い団体に推薦を依頼する必要があることなどです。

ですが、旭川市が公表した第三者委員会のメンバーは、地元の旭川や北海道に関わりのある方ばかりです。地元に影響があるとバイアスが掛かってしまうのは人間の必然です。最低限、地元の旭川の人は除外しないといけない。大津市の第三者委員会は滋賀県の出身者は一人もいませんでした。地元の人がいれば必ず被害者や加害者とどこかでつながりが出てきますから、客観的な調査になりません。

また、母親の手記で「第三者調査委員会は、だれが、どこで、どんな調査をしているのか、全く公にしていません。貴重な情報を持っている人がいても、これでは、情報を提供する先がないに等しいと懸念しています」との不信感が出るのも、遺族に寄り添うことに立脚できていない深刻な問題です。

――今後の調査のあり方はどうあるべきでしょう。

◆大津市の教訓から言うと、実は市長の立ち位置はすごく重要です。市長が遺族に寄り添って真相を解明するぞという姿勢に立てるか立てないか。いま、遺族には第三者委員会への不信感がある。だったら、例えば遺族側から担当弁護士など2人でも3人でも推薦してくださいと、市長が提案するだけでも建設的に前進していくと思います。

そして、生徒への調査について、私の経験では、2時間3時間でも向き合えば生徒には話が通じると思いました。加害者の親にはなかなか話が通じない場合が多いですが。大津市の調査では多くの生徒たちがすごく協力的で、勇気を出して次々と教えてくれた。この協力に応えなくてはという強い思いが第三者委員会のメンバー全員の出発点でした。そういった気持ちで、旭川市の調査も進んでくれたらと思います。

(※インタビュー直後の8月20日に旭川市の西川将人市長は市教育委員会に、調査の進捗=しんちょく=状況を遺族に伝えるよう要請しました)

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多大なコストと時間を投入しながら、結果として、不祥事からの脱却や社会正義を回復できなかった第三者委員会の事例は、枚挙にいとまがありません。それは、第三者委員会の委員選任の不透明性や委員自体の不適格性、的外れの調査目的の設定、さらには、真因にたどり着けない調査手法の不当性等、課題が山積みされたままだからです。

不祥事を起こした行政が委員を指名する場合、直接間接に利害関係のない人を指名する事こそ、そもそも無理があります。不透明な委員選出や会議をするくらいなら、民事で裁判を行う方が批判と擁護の関係がはっきりして、内容もすべて公開されるので誰にも理解しやすいです。

執行権限のない第3者委員会の意見があっても、強制力のない意見に、従うも従わないも行政の長の胸一つであるなら、最初から行政の長が決断すればいいのです。首長の判断の社会的責任は、投票と言う形で問われると言う帰結がありこのほうが明快です。

大津の女児死亡事件で担当者と責任者の更迭発表が先だと書きましたが、直接にせよ間接にせよ損害を起こした関係者を最高責任者の指示で更迭人事を行うのは社会では当たり前です。民間がそうするのは、放置すれば自社の信頼が失われ企業の存続にかかわるからです。

行政機関の責任の不感症はこの違いから生じます。だからこそ、部署全体の人事を入れ替えるほどの厳しい人事更迭を行う規律をもつべきだと思います。尾木直樹氏の意見は、個人を責めても解決しないと言いますが、尾木氏も関係した第3者委員会を開いた大津市で部署こそ違うとはいえ、同じ自治体管轄内で女児が死亡しているのは、個々の役人の姿勢とは関係のない不可抗力でしょうか。少なくともいじめ事件での第3者委員会の「予防的な対処」という提言が児童福祉の現場で生かされていないから事件が起こったのだと思います。

そもそも地方自治体には行政と議会という場所があるのに、この行政と議会が癒着し議会が機能しないから、民間を真似して第三者委員会が重宝されているとも考えられます。しかし、第三者委員会はこれまでに述べたように課題が多すぎます。尾木氏のいう市長次第というのはその通りですが、第3者委員会への市長の関与を言うなら筋違いです。市長は速やかに組織責任を果たすのが第一です。個別の事実関係は司法で明らかにしたほうが良いです。議会は再発防止を行政に正せばよいと思います。

「児相で抱え込まず、多機関で子どもを守って」 大津・女児暴行死

「児相で抱え込まず、多機関で子どもを守って」 大津・女児暴行死でNPOが要望書

2021年8月18日 【京都新聞】

大津市の無職少年(17)が自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させたとされる事件を受け、子どもの虐待防止に取り組むNPO法人「シンクキッズ」(東京都)は18日、虐待が疑われる事案について、児童相談所(児相)や市、警察などの関係機関が情報を共有し連携体制を整えることを求める要望書を、滋賀県や県教育委員会などに提出した。

兄妹は7月21日未明、自宅近くのコンビニにおり、警察が保護。連絡を受けた大津・高島子ども家庭相談センター(県の児相)は「ネグレクト(育児放棄)の疑いがある」として、母親と8月4日に面談予定だったが、妹は同1日に死亡。兄は7月下旬~8月1日ごろ、妹に暴行し死亡させたとして、傷害致死容疑で逮捕された。

要望書では、今回の事件で、児相は兄妹の保護後、直ちに警察に家族の情報を提供し、早急に合同で家庭訪問して妹への暴行の有無を確認するべきだったと指摘。事件を教訓に、疑いを含む全ての虐待案件の情報を、児相と警察、市町、学校などの関係機関が共有し、子どもの安全確保を図る体制を、県に構築するよう求めた。

同法人代表理事の後藤啓二弁護士(62)は「児相だけで案件を抱え込んでは虐待は防げない。常に多機関と情報を共有し、ベストな体制で子どもを守ってほしい」と話した。

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「全て私が悪い。ネグレクトというならそう。私の責任」大津女児暴行死、母親が取材に

8/14(土) 【京都新聞】

大津市の自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させたとして、兄の無職少年(17)が傷害致死容疑で逮捕された事件で、兄妹の母親が13日、同市内で京都新聞社の取材に応じた。事件について「全て私が悪い。兄に妹の面倒をみさせてしまった。私の責任だと思っている」などと述べ、親としての責任を初めて口にした。

捜査関係者らによると、兄妹と母親は4月から同居していたが、母親は家を留守がちにしていたといい、滋賀県警は、ネグレクト(育児放棄)も背景にあるとみて、3人の生活状況の解明を進めている。少年の逮捕から同日で10日が過ぎた。

母親は、娘(妹)の名前の書かれた植木鉢などが並ぶ自宅前で、兄妹の名前を挙げながら、「全部、私が悪い。兄に妹(の面倒)をみさせてしまった」と話し、「それをネグレクトというならそう。私の責任やと思っている」と、途切れ途切れに話した。

捜査関係者らによると、母親は事件当時、家を留守がちで、事件が発覚した今月1日までの数日間は一度も家に帰らず、その間は兄妹は事実上2人だけで暮らし、一日に千円ほどで生活することもあったという。

兄妹は京都と大阪の別々の児童養護施設で育ち、妹が小学校に入学した4月以降、3人は同居を開始。当時の生活状況について、母親は、仕事で大阪に行くことがあったと言い、外出時には兄妹からは「早く帰ってきて」とせがまれたと明かした。幼い妹は「いかんといて」「一緒に行く」とすがることがあったといい、「(2人とも)一日(自宅を)離れても言うてたし、一日以上離れたらやっぱり…」とうつむいた。

そして、少年に対しては「申し訳なかった。まだ子どもやったんやな。妹をちょっとかわいがり過ぎた」と、自責の念を吐露した。

少年の逮捕容疑は、7月下旬~8月1日ごろ、自宅で、妹を殴ったり蹴ったりし、右副腎破裂やろっ骨骨折などを負わせ、死亡させた疑い。県警のこれまでの調べに対し、少年は容疑を認め、「妹の世話をするのがつらかった」「妹からちょっかいを出され、かっとなった」との趣旨の供述をしているという。少年は1日、市内の公園で「妹がジャングルジムから転落した」と救助を求め、事件が発覚した。

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大津女児暴行死、母子3人同居は適切だったのか児童相談所の対応検証へ

2021年8月14日【京都新聞】

大津市の無職少年(17)が自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させた事件で、滋賀県子ども・青少年局は13日、大学教授や弁護士、医師など専門家7人による「児童虐待事例検証部会」を今月内にも立ち上げる方針を明らかにした。

大津・高島子ども家庭相談センター(県の児童相談所)の説明では、3人の同居後、センターは月に1回程度、家庭や学校を訪問。その中で、虐待など家庭内トラブルの話は出ず、母親は兄妹について「関係は悪くなく、兄は面倒見が良くて頼りになる」と話していたという。

しかし、結果として事件が起きたため、同部会は原因を究明し、再発防止策を検討する。委員7人が児童相談所や大津市など関係機関の家庭への関わりが適切だったかなど課題を抽出し、再発防止策をまとめる。母子3人の同時期の同居を決定した判断が適切だったかも、議題となる可能性があるという。

少年の逮捕容疑は、7月下旬~8月1日ごろ、自宅で、妹を殴ったり蹴ったりし、右副腎破裂やろっ骨骨折などを負わせ、死亡させた疑い。県警のこれまでの調べに対し、少年は容疑を認め、「妹の世話をするのがつらかった」「妹からちょっかいを出され、かっとなった」との趣旨の供述をしているという。少年は1日、市内の公園で「妹がジャングルジムで転落した」と救助を求め、事件が発覚した。

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死亡女児の兄「妹の世話がつらかった」暴行認める供述滋賀・大津

2021年8月7日 【京都新聞】

大津市の無職少年(17)が自宅で小学1年の妹(6)を暴行し死亡させたとされる事件で、傷害致死の疑いで逮捕された少年が、滋賀県警の調べに対し、容疑を認め、「妹の世話をするのがつらかった」との趣旨の供述をしていることが6日、関係者への取材で分かった。母親は留守がちだったといい、県警は家庭状況や暴行の動機などを詳しく調べている。

大津・高島子ども家庭相談センター(児童相談所)の説明では、兄妹は家庭の経済的な理由などで県外の別々の児童養護施設で育ち、妹が小学校に入学した4月から母親と3人暮らしの生活となった。

少年は母親の代わりに妹の面倒をみて、近所の住民は妹とボールなどで仲良く遊ぶ姿をたびたび目にしていた。一方、暴行があったとされる時期に近い7月21日未明、兄妹が自宅近くのコンビニを訪れたため、同センターは「ネグレクト(育児放棄)の疑いがある」などとして、今月4日に母親と面談する予定だった。

少年は7月下旬~8月1日ごろ、大津市内の自宅で妹を殴ったり蹴ったりし、右副腎破裂やろっ骨骨折などを負わせ、外傷性ショックで死亡させた疑いで、4日に逮捕された。関係者によると、少年は、だだをこねるなどした妹にかっとなった、との趣旨の供述もしているという。県警は当時の詳しい状況を調べている。

事件が発覚したのは1日。少年はこの日午前、妹が同市内の公園のジャングルジムで転落した、と近隣住民に助けを求め、意識不明だった妹は搬送先の病院で死亡が確認された。県警は司法解剖の結果などから転落した事実はないと判断している。

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無職少年は、高校も行けずに家で暮らし、その少年が二人で一日1000円の食費で妹を見ています。この少年は広義ではヤングケアラーです。未明とは午前0時から午前3時頃、小1の妹を連れ出す時間ではないことくらい兄は分かっていたはずです。

それでも連れ出しているのは、尋常ではない事がこの子たちの家庭に起きており、保護すべきだと素人でも判断できます。或いは、兄が非常識が分かっていないと担当者が判断した場合も、そんな兄と一緒に家に帰してはまずいと考えるはずです。どちらにしても家に帰してはいけないと判断できたはずです。

「母子3人の同時期の同居を決定した判断が適切だったかも、議題となる可能性がある」から、「児童虐待事例検証部会」を今月内にも立ち上げるとのことですが、そんな会議を持たなくても不適切な判断であったのは自明の理です。

いったい誰のために会議を持つのでしょうか。役人の言い訳の場を作っているようにしか見えません。会議を持つことを発表するより、所長や市長が担当者の判断の非を認めて謝罪し、速やかに担当者や責任者の更迭措置を発表する事が第一に必要です(これは世間の常識です)。大津はいじめ事件でも第3者会議で担当者が責任を免罪されているとの批判がありました。行政が絡む深刻な事故の場合は、行政自らが招集する第3者会議で公平性が担保できているとは、とても思えません。行政の未必の故意※は、違法行為だと自らを厳しく律する姿勢がないと、いくら第3者会議をしても役人を守るだけで、担当者の脇の甘さから起こる重大事件がなくなるとは思えないからです。

※未必の故意
未必の故意は法律用語であり、「行為者が自らの行為から罪となる結果が発生することを望んいるわけではないが、もしそのような結果が発生した場合それならそれで構わないとする心理状態」を意味する概念である。「未必的故意」ともいう。

デルタ株で子供の感染状況は? 静岡市の小児科医に聞く

デルタ株で子供の感染状況は? 静岡市の小児科医に聞く

2021.08.19【日テレNEWS24

静岡県内では第5波になって学校などでのクラスターが増えていて、夏休み後の学校再開に不安の声も上がっている。

子どもたちのコロナ感染の現状について小児科の医師に聞いた。
新型コロナの感染が急拡大する中、県内では7月から学校や幼稚園でのクラスターが7件確認されるなど子どもたちが感染するケースが増えている。緊急事態宣言を受けた対処方針として、県は学校に対して「部活動の制限」や「オンライン授業」「時差通学などの工夫」を求めているが、学校再開を前に親たちは。
(小学生の母親)
「ちょっと行かせづらい。休ませた方がいいとは思いつつ、そうすると学習面が不安になってくるので上手にやってくしかないと思う」

デルタ株の拡大で子供たちの感染の現状は?
これまで子供のコロナ患者の診療を続けてきた静岡厚生病院の田中敏博医師に聞いた。
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「8月に入ってから僕の立場で対応する子どもの陽性者は着実に増えている。ただ、それに伴って重症者が増えているかというとそうではないので、子供が感染したけれど順調に良くなったケースがほとんど」
全体の感染者の増加に伴い10代の感染も増えているものの、他の年代と比べて少なく、8月10日までの一週間の全国の感染状況でも20代以下の重症者はいない。

子供の陽性者の症状については?
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「熱が出る、頭痛を訴えるケースやせき、鼻水。デルタ株だからといってすごく強い症状とは感じていない」
一方、7月までは静岡市内の子供の患者は無症状が6割だったものの8月に入ると軽い症状が出ている子どもが増えている印象という。

また、最近は家族内で子ども一人だけ陽性で、どこからうつったのかわからないケースが増えてきているという。
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「例えば子どもと大人が一緒に療養していても、家庭内でお父さん、お母さんが子どもから感染したことはあまりないので、子どもから(大人に)感染しにくいという原則は保たれていると思う」
親の世代である30代から50代の感染や重症者が増えている中、まずは大人が感染対策とワクチン接種をすることが重要だと指摘する。

県内で学校関係のクラスターが起きていることについては?
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「仮にクラスターが発生しても、子どもに関しては重症になる確率が非常に低いこともあって、ただちに心配を深める必要はないし、園や学校を責め立てるような雰囲気は社会としてつくってはいけないと思う」

学校再開を前に一番、注意すべきことは?
(静岡厚生病院 田中敏博医師)
「朝調子が悪そうだったけれど何かの活動に出てしまった。部活動に行ってしまったケースはある。熱があるとか調子が悪いということがあるなら、その日は大事をとってお休みをしていただくのが一番大事かなと思う」
症状がある時やいつもと調子が違うと思った時は、お子さんのためにも周りのためにも休ませることが大切だという。

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米で子どものコロナ感染入院が最多に、デルタ株拡大で

2021.08.14【ロイター】

米国で14日、新型コロナウイルス感染症で入院した子どもの数が過去最多の1902人となった。南部では感染力の強いデルタ型変異株による感染拡大で、医療体制が逼迫している。

デルタ型は主にワクチン未接種者の人口の間で急速に拡大しており、ここ数週間で入院者が急増。厚生省によると12歳未満の子どもの入院が急増して過去最多に達した。

現在、小児の感染者は全米の入院者の2.4%程度。12歳未満の子どもはワクチン接種対象となっておらず、感染力の強い変異型に対して脆弱な状態だ。

米疾病対策センター(CDC)によると、今週には18─29歳、30─39歳、40─49歳の新規入院者も過去最多の水準に達している。
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最近、オリパラで学校観戦を認める向きで行政が動き出すと、メディアが一斉にデルタ株が広がって医療崩壊しかけているのにけしからんと集中砲火を浴びせています。また、メディアはNHKまで政府と専門家の意見の食い違いを報道しますが、医療業界の代表のような専門家と政治家の意見は違って当たり前です。

そもそも、医療関係者を一番先にワクチン接種した理由は、全ての医療が感染対応できるようにと優先接種したはずですが、いつまでたっても治療対応する医療施設が増えないことについては誰も報道しません。

時折、最も過酷な医療現場の映像と関係者を登場させて全体が危機に瀕しているようにも見せます。BSニュースでも米国の小児感染者の入院が相次いでいると報じ次は日本だとばかりに報道し、教員のワクチンやマスク装着の義務が米国全土で社会問題になっているかのように描きます。

しかし、最近はNHK以外の局によっては、今回の日テレのようにまともな現場医師の意見を取材して報道している様子もちらほら見かけるようになり始めました。日本小児学会デルタ株感染の子どもの症状はこれまでと大きな変化はないと公式に発表しています。

それにしても、ロイターが報じている子どもの感染入院増加(米国人口は3億3千万人)日本の現状とあまりにもかけ離れていますが、原因は二つ考えられます。一つは欧米人に比べて日本人の感染しにくさ重症化しにくさの「ファクターX」です。もう一つは、子どもの肥満やそれに付随する基礎疾患の違いだと思われます(米国児童肥満率42%、日本児童肥満率12% 世界子供白書2019)。

最近のメディアの流す情報の偏向ぶりは日米ともあまり変わらなくなってきました。疑問を感じたら実際のデータをネットで調べるしかないという人もいます。いつの間にか社会の公器が、視聴率さえ上げればいいという煽り報道に汚染されてきている現状を残念に思います。

タリバンは女性の権利守るのか、アフガンに渦巻く疑心暗鬼

タリバンは女性の権利守るのか、アフガンに渦巻く疑心暗鬼

8月17日【ロイター】

アフガニスタンでイスラム主義組織・タリバンの支配が終わった20年前、同国の女性と少女らは夢のまた夢だった自由を得た。タリバンが再び政権を掌握した今、彼女らはその自由を失わないため懸命に闘おうとしている。

タリバン指導者らは権力掌握の過程と今も、女性と少女は労働と教育の権利を維持するだろう、と強調してきた。しかし、それは「ただし書き」付きだ。

ここ数日、タリバンが国内を進攻して行く混乱の中、既に離職を命じられた女性たちもいる。戦闘員らが何を言おうと現実は異なるかもしれない、とおびえている女性もいる。

しかし、「時代は変わった」と話すのは、アフガンで少女向けの宗教学校を運営するカーディジャさんだ。

「タリバンは、私たちを黙らせることができないことに気付いている。彼らがインターネットを閉鎖すれば、世界は5分もしないうちに、それを知るだろう。彼らは私たちが何者なのか、どんな存在になったのかを受け入れるしかない」と話す。

こうした毅然とした態度が映し出すのは、学校や大学に通えて就職もできる環境で育った、特に都市中心部の新たな世代の女性像だ。

タリバンが最初にアフガンを支配した1996年から2001年にかけて、イスラム法の厳格な解釈によって女性は就労できず、少女は通学を認められていなかった。時として残酷な方法で法が執行されることもあった。

女性は顔を覆わなければならず、あえて外出したいなら男性の親族が付きそうことが義務付けられていた。規則を破った者は辱めを受け、タリバンの宗教警察によって公衆の面前で、むち打ちをされることもあった。

外国の部隊がアフガンからの撤退を計画していることが次第に明らかになった過去2年間、タリバン指導者らは西側諸国に対し、女性はイスラム法に則り、雇用や教育へのアクセスなどで男性と平等な権利を得ると約束してきた。

タリバンは17日、カブール制圧後初めて記者会見を開いた。ザビウラ・ムジャヒド報道担当者は、女性は教育、医療、雇用に関する権利を維持し、イスラム法の枠内で「幸せ」に暮らすだろうと述べた。

メディアで働く女性の権利に関しては、カブールの新政権が導入する法律によって決まると説明した。

アフガンの民間テレビ局・トロでは17日、女性アンカーが生放送でタリバンの報道担当者にインタビューした。

<女性に離職を命令>
アフガンの少女教育を推進する活動家、パシュタナ・デュラニさん(23)は、タリバンの約束に警戒の目を向けている。

デュラニさんは、タリバンが少女の通学を認めると請け合っていることに触れ「有言実行でなければならない。現時点では言ったことを実行していない」と、ロイターの取材に答えた。

「彼らが学校のカリキュラムを制限するなら、私はオンライン図書館にアップロードする本を増やす。インターネットを制限するなら、家庭に本を送る。先生を制限するなら、地下学校を始める。つまり私は、彼らの問題を解決する答えを持っている」とも述べた。

タリバンが女性に政治や政策立案の仕事を許すかどうかが、彼らが約束する権利の平等の真価を問う試金石になる、と言う女性もいる。

2012年にパキスタンの武装勢力に銃撃されて重傷を負い、その後、女子が教育を受ける権利を求める活動を行ってノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは、アフガンの情勢を深く憂慮していると述べた。

マララさんは、BBCの番組で「女性の権利を訴える活動家を含め、アフガニスタンにいる活動家数人と話す機会があった。この人たちも今後、生活がどうなっていくか分からなくて不安だと話している」と語った。

国連児童基金(ユニセフ)は、タリバン当局者らとの協力について、慎重ながらも楽観的な見方を示した。タリバンが今のところ、女子の教育を支援すると表明していることが一因だ。

ユニセフは今もアフガンの大半の地域に支援を行っており、カンダハルやヘラート、ジャララバードなどタリバンが最近制圧した都市で、新たなタリバン代表者らと最初の会談を持った。

ユニセフのアフガニスタン現地活動責任者、ムスタファ・ベン・メサウド氏は、国連の記者説明会で「われわれは協議を続けている。こうした協議に基づき、かなり楽観的な見解を抱いている」と述べた。

しかし、国連のグテレス事務総長は16日、タリバン支配下での「冷酷な」人権侵害と、女性と少女に対する暴行の増加に警鐘を鳴らした。

タリバンの戦闘員は7月初め、カンダハルにある商業銀行の支店に入って従業員の女性9人に対し、不適切な仕事をしているので立ち去れと命じた。ロイターが先週報じた。戦闘員らは、男性の親族が彼女らと交代することは認めた。(Rupam Jain記者 Lucy Marks記者)

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世界大戦中は中立国として群雄割拠の荒波を乗り越えてきたアフガニスタン王国。ようやく立憲君主制を自国の力で成し遂げようとした矢先に、冷戦中のソ連が手引きした共産主義者のクーデターによって民主国家を流産してしまいます。

それ以降は、大国の利益のために振り回され、暗殺やクーデターの繰り返しで国力は衰弱していくばかりでした。貧困に浸透していくのは宗教と相場が決まっています。ムスリムのジハードは異教者への戦い、つまり「聖戦」の名のもとに、異民族や異国家への武力行使とテロリズムを正当化し、内戦が30年も続きます。

この内戦の中で一時的にタリバーンがカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国を設立します。イスラムの教えに女子の差別や教育の否定はありませんが、追い詰められた原理主義者は、宗教者であろうが共産主義者であろうが過激な差別選別等の反知性主義を統治に利用します。

中国の文化大革命しかりカンボジアのポルポト派の大虐殺しかり、同じ現象です。そして、そんな無茶苦茶が通用するのは国民全体が貧困のために教養が極めて低く文盲率が高い中で生じやすいと言われます。

919NY貿易センタービルを破壊したアルカイーダを匿ったタリバーンは、多国籍軍の報復で一夜にしてカブールを放棄します。西側諸国は民主国家を樹立させようと、米軍によるテロリストの撲滅と経済復興の資本投入を20年間続けました。しかし、米軍が撤退した途端にタリバーンがあっという間に全土を武力制圧してしまいました。民主主義やその国の統治は自国民が自力で困難を乗り越えてしか育たないという証です。

ただ20年前のアフガンと違うのは、SNSの普及とSNSで発信できる国民の教養の向上もありますし、人権弾圧の蛮行は世界中の人々の監視下にあり、隠すことができないことです。ミャンマーも軍部のクーデターに民主主義が流産させられそうですが、一度獲得した教育権や男女同権は暴力で再び奪うことはできません。軍政や宗教独裁、共産党一党支配による全体主義の壁は厚いですが、教育権保障や男女同権の確かな土台の上で、思想信条・表現の自由は少しづつ広がり熟成して、やがて権力交代の臨界点を必ず迎えることを信じています。

東京パラ 学校観戦 千葉県熊谷知事「授業とリスク変わらず」

東京パラ 学校観戦 千葉県熊谷知事「授業とリスク変わらず」

2021年8月17日 【NHK】

東京パラリンピックが原則として、すべての会場で観客を入れずに開催することが決まったことについて、競技会場のある千葉県の熊谷知事は17日朝、記者団に対して「やむをえないと思う。残念だが、いたしかたない」と述べました。

東京パラリンピックで千葉市の幕張メッセでは4つの競技が開催される予定です。
原則、無観客での開催が決まったことについて熊谷知事は17日朝、記者団に対し「やむをえないと思う。会場を満員にしようと何年もかけて取り組んできた身とすれば大変残念だが、いたしかたない」と述べました。

また、安全対策を講じたうえで実施することになった、学校観戦チケットによる子どもたちの観戦については「しっかり評価する。世界中のパラアスリートのプレーを通して、パラリンピックの意義を子どもたちが受け取り、共生社会を実現してくれると信じている」としたうえで「各学校の実情を踏まえて各自治体が判断していくが、県としてもできるかぎりサポートしていきたい」と述べました。

また、感染対策の徹底呼びかけと矛盾しないかという質問に対しては「私たちは家から出るな、学校に来るなとは言っていないので、矛盾していない。バスで教員の引率で移動するので、学校で授業を受けることと基本的にリスクは変わらず、科学的根拠にもとづいて判断していくことが必要だ」と述べました。

千葉県では約230校が観戦を希望
東京パラリンピックで4つの競技が開催される千葉県では17日、現在で公立と私立の小・中・高校など合わせておよそ230校が観戦を希望していて、およそ3万5000枚のチケットが配布される予定です。
配布される枚数は教職員のものも含めて、千葉市で2万8409枚、我孫子市で1389枚、成田市で513枚など8つの市と町の207校で3万1436枚となっています。
このほか、私立が12校で2097枚、県立が12校で1867枚となっています。

観戦の対象は今月25日から幕張メッセで行われる4つの競技で、大声を出さない、座席を消毒するなどの感染防止対策を徹底するとしていますが、県によりますと、学校によっては改めて保護者の意向を確認することにしていて、今後希望者は減る可能性があるとしています。
このうち県内のチケットの8割が配布される予定の千葉市では、167のすべての市立学校で今月20日までに改めて意向調査を行い、希望者が観戦する予定です。

記者団の取材に応じた神谷俊一市長は「高い教育効果が期待でき、一生の財産として心に残る機会にしてもらうため実施を決めた。批判はあると思うが学校から市内の会場まで貸し切りバスで直行直帰するため、通常の学校での教育活動と感染リスクは変わらない。無観客で行われることで、会場内での密も避けることができる」と前向きな考えを示しました。

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パラの学校観戦現場の判断任せでは困る

2021/8/18【毎日新聞】

24日に開幕する東京パラリンピックについて、政府や大会組織委員会などが原則無観客にすると決めた。「学校連携観戦プログラム」は予定通り実施する。新型コロナウイルスの感染が急拡大し、競技会場のある東京など4都県すべてに緊急事態宣言が発令される中での開催となる。無観客にしたのは妥当だ。

学校単位で子どもたちを会場に招くプログラムを維持するのは、パラ競技の観戦に教育的意義があるからだという。選手が自らの限界に挑む姿は、多くの子どもに感動や勇気を与えるだろう。

各校は5年前から、障害者への理解を深める教育に取り組んできた。観戦はその集大成ともなる。ただし、感染防止にも配慮し、対象は会場の近隣の学校にとどめ、参加するかどうかは自治体や学校の判断に任せた。

これに対し、学校などからは戸惑いの声が聞かれる。
参加の是非を決めるには、教育効果だけでなく、感染リスクがどの程度あるのか、どのような対策が有効なのかの評価が欠かせないからだ。だが、学校側にそうした知見は乏しい。

集団感染が発生した場合の責任の所在もあいまいだ。保護者の間には不安が根強く、同じ地域で参加と不参加に分かれることになれば子どもたちに不公平感が生じる可能性もある。

組織委の立場について、武藤敏郎事務総長は「学校観戦は希望に基づいて実施するもの。希望があればサポートする用意がある」と述べた。だが、本来は組織委が専門家の意見を踏まえ、宣言下でも安全に実施するための対策を早めに示すべきだった。

開幕まで1週間を切った。責任をもって早急に詳しい対策をまとめる必要がある。感染状況が大きく変われば対応を検討するというが、どういう状況になれば中止するかの基準も公表すべきだ。

五輪では、茨城県が会場を原則無観客とし、学校観戦だけを認めた。各校は貸し切りバスで移動し、会場では十分な間隔を取って座るなど感染防止策を講じた。こうした経験も参考になるだろう。学校観戦を実施するのなら、子どもたちを守る対策を徹底しなければならない。

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「家から出るな、学校に来るなとは言っていない。バスで教員の引率で移動するので、学校で授業を受けることと基本的にリスクは変わらず、科学的根拠にもとづいて判断していくことが必要だ」熊谷知事のコメントは明快でした。「感染対策の徹底呼びかけと矛盾しないか」と質問している記者こそ自分の質問の矛盾に気づいてほしいものです。

知事も言うように、どこにいても感染のリスクはあるのです。その証拠に、感染経路別では家庭や職場が最も感染割合が高く、さらには感染経路不明の事例の方が多くなってきているのですから学校観戦だけをやり玉に挙げているのはおかしな話です。メディアの収入源である甲子園大会やプロ野球観戦には物言わず、批判しても自分に火の粉がかからないオリパラだけをスケープゴートにして観戦中止を煽る報道には、信憑性がなく付き合う必要はないと思います。

「現場に丸投げするな」というだけで、メディアの無責任な煽り報道には何一つ注文を付けないのでは、建設的な批判とは言えません。保護者の不安は、メディアの煽り報道に原因があり、オリパラ委員会や行政の責任ではありません。あえて批判をするならば、熊谷知事のように事実に基づいて沈着冷静に決断する姿勢がトップに足りないと思います。世間の風評に現場が惑わされずに学校観戦を実現してほしいと思います。

 

通級指導生徒に自立心(大阪府立高校)

通級指導生徒に自立心

2021/08/17 【読売新聞】

府立高校導入3年、ニーズ高まる府教委は増設検討

発達障害などで生きづらさを感じる生徒が通常学級に在籍しながら必要に応じて別室で指導を受ける通級指導が、高校で導入されてから3年が過ぎた。府内では府立4高校で実施され、今年度は計26人が利用。障害に合わせた指導で生徒の自立をサポートするのが特徴で、年々ニーズが高まっている。(北瀬太一)

「見通しを立てたつもりだったが、時間がない」
大阪市東淀川区の府立柴島高の通級指導教室。大学入試に向けた学習計画を考えていた3年の生徒が悩んでいた。見守っていた担当の建林敬子教諭は「英語の勉強時間を増やそうか」などと優しくアドバイスした。

生徒は、計画を立てて実行したり、コミュニケーションを取ったりするのが苦手。昨年から通級指導を受け、計画的な行動を身に付ける目的で調理実習を行ったり、周囲になじめるように友達の輪に加わるロールプレイングを体験したりしている。「先生からアドバイスを受けながら、予定を立てて行動するなど事前の対策に努めてきたので、色んなことに前向きに取り組めるようになった」と手応えを語る。

柴島高では現在、2、3年生5人が週2~4時間利用している。学校生活の状況から支援の必要性を見極めるほか、保護者や本人の意向を踏まえ、対応する。建林教諭は「高校は生徒に支援が行き届く最後のとりで。卒業後に苦労しないよう、知識やスキルを身に付ける後押しをしたい」と気を引き締める。

通級指導は1993年度から小中学校で始まったが、高校については「義務教育ではない」などの理由で見送られてきた。しかし、通常学級に適応できず不登校や退学に至る例があり、文部科学省が2018年度に導入した。

府内では18年度に柴島高など2校で始まり、19年度から4校となった。利用する生徒は18年度の6人から20人増。一方、文科省の調査によると、受けられなかった生徒が19年度に224人いたという。

府教委の山崎彩首席指導主事は「通級指導が必要だという現場の意識は高まっているが、予算の制約もあって高校での受け皿を十分に作れていない。教員の専門性を高めつつ、導入する学校を増やせないか検討していきたい」と話している。

<通級指導> 発達障害や言語障害などのある児童・生徒が通常学級に通いながら、障害に応じた特別な指導を別室で受ける制度。高校では授業の一環として位置付けられ、卒業に必要な単位となる。文部科学省によると、全国で通級指導を利用した高校生は2019年度1006人。

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京都府立高校での通級指導は、清明高校と清新高校だけです。2007年度から特別支援教育に関する文部科学省委嘱・委託事業が、朱雀高校、城陽高校、網野高校、田辺高校と引き継がれて10年以上委託事業が展開され、通級指導に取り組んだ学校もありましたが現在は行われていません。

京都府では、教育相談活動が活発に行われていたためか、特別支援教育は教育困難校の保健室や保健部を中心に進められてきた経過があります。その結果、不登校や怠学、神経症的行動や問題行動という、職員の目に見える学校生活上の困難に対応するのが特別支援教育と勘違いされてきた経過があります。それならば、わざわざ通級指導などしなくても伝統的な教育相談活動や進路指導で事足りるという誤解が生じたと考えられます。

もちろん、特別支援教育に関する研究事業の結果、全生徒にソーシャルスキルトーニングに取組んだり、授業のユニバーサルデザイン化(誰にでも分かる授業づくり)を推進したりキャリア教育に力を入れるなどの成果はありました。しかし、通級指導に求められているものは、個々の生徒に自己の特性に気づかせ、強みを生かして自ら学びを進め、弱いところは支援を求めて良いという考えに基づいて、高校生活を担当者と共に実践していくことなのです。

また、行動の問題や対人関係の問題は目立ちやすいので、比較的支援を得やすいですが、学習の問題は怠学と同じように扱われて自己責任に帰されやすいのです。学習の問題もまた個人の認知特性と学習環境から生じているという考え方は、勉強が得意だった先生方の間ではなかなか定着しません。学習障害が診断された高校生が「英語が皆よりできないのは、皆はもっと時間をかけて勉強していて、自分は努力が足りないと中学からずっと思ってきた」「でも、英語が読めなかったのは僕の努力が足りないせいではないと分かってほっとしました」と笑顔で語ってくれたことを思い出します。

高校の通級指導が、当たり前になるには委員会トップの見識と決断が必要です。そして、成功の秘訣は教育困難校や発達障害に配慮した単位制高校などへの設置だけではなく、偏差値中堅ランクの高校に設置するべきです。そのことで、学習障害や極度の不注意から評価上損をしている高校生や教員の気づき作っていくことができるのではないかと思います。そして、他の授業単位を自立活動の単位に読み替えるのは良いのですが、生徒によっては、通級が週1回(一単位)必要な人もいれば、月1回(四分の一単位)で良い生徒もいるし毎朝10分始業前に必要な生徒もいてそのニーズは多様です。使いやすい通級ならば生徒は利用しようとするので通級担当者が「学習相談・通級」と言うネーミングで実施したり、単位の習得についても柔軟な扱いがもっともっと必要だと思います。

「子供を守る」教育・福祉・心理 専門職スクラム

「子供を守る」教育・福祉・心理 専門職スクラム

2021/8/12 【産経WEST】

虐待、貧困、不登校、発達障害・・・。子供たちの抱える困難は近年、さまざまな要因が複雑に絡み合うようになった。心理的アプローチや福祉的支援を要する場合、教員だけで対応するのは難しい。文部科学省は、教員と教員以外の専門職が連携し、学校を中心に一つの「チーム」として子供たちをサポートするよう求めている。

「最近は家にお金がなく、友達の家で夜ご飯を食べさせてもらうこともあると話していました」

7月上旬の午後、大阪市立中学校の会議室。校長、教頭、養護教諭、学年主任に加え、スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)ら専門職が額を合わせ、問題を抱える生徒7人の支援策を考えていた。

1人の生徒はひとり親家庭で、母親が定職に就かず家にもほとんどいない。「体重は?」。SCが尋ねると養護教諭が「ぎりぎり標準の範囲。これを証拠に虐待の通告はできない」と険しい表情を浮かべた。学年主任教諭は「給食をよく食べますからね…」。

緊急の課題は夏休みになれば給食がなくなり、生徒が命の危険にさらされかねないことだ。食事の支援をしている地域のNPO法人を紹介することをSSWが提案し、当面の解決策とすることになった。

家族から暴力を受けている可能性がありながら、教員がかかわることを言外に拒む生徒もいる。別の生徒は、自らを傷つけるリストカットを繰り返しており、専門職らは精神科の治療が必要だと考えているが、保護者の関心は低い。

生徒を守り支えるために何ができるか、会議ではそれぞれの立場から意見を出し合う。一つのチームとして最善の策を考える。

国の方針として
大阪市は昨年度から、各学校に対しこうした会議を定期的に開き、支援策を講じるよう要請している。

教員は学校での子供の様子や保護者の対応を説明。SCは子供の言動から心理状態を解説し、教員に対応の仕方をアドバイスする。SSWは貧困などの課題を抱える家庭について、行政やNPO法人などの福祉サービスを提案する。メンバーそれぞれの専門的な知見から、迅速かつ効果的なサポートを行うのが狙いだ。

こうした連携は国全体の方針でもある。文部科学省は平成26年、複雑化する子供たちの課題に対応するため、専門職が参画する「チームとしての学校」をどう実現すればよいかを中教審に諮問。翌年の答申を受け、29年には学校教育法施行規則を改正した。学校でのSCとSSWの役割について、児童生徒の「心理、福祉に関する支援に従事する」と明記された。

前向きな変化も
冒頭の学校は支援を要する生徒や家庭が多く、月に1回、会議を開いている。すぐに問題が解決する例はほとんどなく、継続的に協議しながら改善を目指す。

たとえば、母親が恋人に経済的に依存し、恋人が変わるたびに生活が困窮したり改善したりする生徒。母親の自立を促したいが、学校側には、保護者の行動を制限したり強制したりする権限はない。ある生徒は、体調を崩しても病院にかかれない。保護者が治療費を払えないためなのか、その確認すら容易ではない。

事態がこれ以上悪化しないよう注意深く見守りながら、状況次第で虐待として児童相談所に通告する。だが、通告を生徒が望まない場合もある。「児童養護施設に入ることになれば生活環境が大きく変わる。『今のままでいい』と考える生徒もいる」と校長は話す。

経済的な困窮も、行政の支援で直ちに解消されるわけではない。会議ではメンバーがこう指摘する場面もあった。「自立支援金を受給しても、おそらく母親の遊びに消えてしまう…」

厳しい家庭環境の中で、前向きな変化を見せる生徒もいる。「登校回数が増えて勉強も頑張っている」「高校進学を話題にしたりと、自分に対して欲が出てきた」。こうした報告に、会議の空気が和らいだ。

「いつも、子供たちが安定した生活を送るためにはどうするのが一番いいかを考えている」と校長。一人一人の生徒が人生をより良く歩んでいくために。「チーム学校」の奮戦は続く。

支援が必要な家庭 客観的に判断
大阪市立小中学校に専門職が集まる検討会議は、支援の必要な子供や家庭を学校で発見し、福祉につなげる「こどもサポートネット」事業の一環として行われている。同市の平成28年度の調査で、経済的な困窮などで市の福祉サービスの対象なのに、支援を受けていない家庭が少なくないことが判明。解決策として「学校との連携が必要」(担当者)と判断した。

教員の経験値によらず客観的に判断するため、遅刻数や欠席数▽虫歯の状況▽身だしなみ▽発育状況-など、20以上のチェック項目で課題を点数化する「スクリーニングシート」を作成。点数が高い児童生徒は必ず会議にかけるよう要請している。

会議で支援計画を作り、民生委員や精神保健福祉士らから採用する「こどもサポート推進員」が各家庭を訪問する。地域のNPO法人などにも積極的につなげ、地域全体で家庭を支えることが特徴だ。

一体的な連携で担任サポートを 梶田叡一氏
学校に通う子供の不安や悩みの原因は、学業不振や友人関係だけではない。年齢が低いほど親との関係や家庭の状況が子供の心理に影響する。ひとり親で経済的に困窮していたり、外国籍で母語が日本語ではなかったりする家庭は昔より増えた。保護者の子供への関わりが薄くなれば、愛着に問題が生じて子供が不安定になるケースもある。

苦しんでいる子供がいれば、担任教諭は本人にさりげなく話しかけたり、保護者と接触を図ったりして問題を分析し、解決しようと奔走するだろう。だが、生活環境の改善方法の提案や、子供の心理面のフォローまですべて担任が担うことは難しい。専門的な人材が学校に加わり、チームとして取り組む必要がある。

専門職をそろえてチームの形を整えても、うまく連携するのは簡単ではない。大前提として、専門職が関与することで、担任と子供の関係が希薄になるようなことがあってはならない。専門職は担任をサポートする立場にある。

チームが一体感を持てるようにするのは校長の仕事だ。教諭や専門職とコミュニケーションを取り、掛け算の効果を上げてほしい。専門職を各学校に配置する役割を担う教育委員会には、学校の状況に応じて力量のある人材を重点的に配置するなど、きめ細かな対応が求められる。(藤井沙織)

かじた・えいいち 聖ウルスラ学院(仙台市)理事長。昭和16年生まれ。兵庫教育大、桃山学院教育大などの学長を歴任。平成13~23年に中央教育審議会委員、その後は同臨時委員などとして教育行政に携わった。

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特別支援教育でも、家庭・教育・福祉の連携「トライアングル」プロジェクトと言って連携支援が言われてきました。その課題としては、教育と福祉では、学校と放課後等デイサービス事業所において、お互いの活動内容や課題、担当者の連絡先などが共有されていないため、円滑なコミュニケーションが図れておらず連携できていない。保護者支援に係る主な課題は、乳幼児期、学齢期から社会参加に至るまでの各段階で、必要となる相談窓口が分散しており、保護者は、どこに、どのような相談機関があるのかが分かりにくく、必要な支援を十分に受けられないことが言われてきました。この解決策は前者は連携の場の設定、後者は窓口一本化と言われています。

しかし、言うは易し行うは難しです。障害福祉サービス等報酬改定で拡充した連携加算を活用し、学校との連携を更に推進するとありますが、事業所で連携会議を開催した時は2000円、別の場所で連携する時は1時間以上で2900円で、月4回まで実施できます。ただ、この金額は会議出席の職員が空いたところの人件費補填というわけですが、利用者によっては補填ができません。従って、事業所は子どもの指導時間外に連携をしたいのですが、学校も同じ理由で指導時間外しか会議を設定してくれません。放デイの指導時間は隔日の放課後の2~3時間です。学校も事業所も時間のない中で他の業務を押しのけてまで簡単に会議を実施する気にはなりにくいのです。

連携と簡単に言っても、意見が一致する場合は良いのですが考え方が異なるときは一致させるのは至難の業です。組織が違えばお互いの取組に注文を付けることは越権行為と嫌がられる事もあるので、正しいとわかっていても波風を立ててまで主張するメリットが見えてきこないので、お互いが嫌な気分にならないように忖度し合って形だけの会議にもなりやすいです。

連携が必要なことは以前から現場では分かってはいるのですが、同じ学校の中に専門職を入れても権限が明確でないので、戸惑っている心理士やソーシャルワーカーは少なくありません。ましてや組織を超えた連携は、公平な調整役とその権限を明確にすることが求められます。しかし、学校長や所長を飛び越えた権限を与えることもできず、オラがムラ社会の連携はストレスフルで結局お鉢は自分に回ってくると、ケースにあげることすら躊躇する職員も少なくありません。

この手の制度は性善説で成り立っていますが、一人一人の職員は熱心な方が多くても、制度的にはこれまでの領地主義を前提にしたものですからどうしても「組織利益」や「同調圧力」を優先しやすいのです。担任に過度な負担がかからないようにし、連携会議で良く見られる「船頭多くして舟山上る」状況などの現場課題を解決するには、どのセクションにも属さない独立した立ち位置でどのセクションにも要請権限を持ち財政的にもオーダーがかけられる相談事業所制度が必要だと思います。

「昆虫採集」「絵日記」「自由研究」は“昭和”で終わり?! 

「昆虫採集」「絵日記」「自由研究」は「昭和」で終わり?! 令和の子どもたちの夏の宿題について調べてみた

8/10(火) 【FNNプライムオンライン】

今年はコロナの影響で学校や家庭のイベントが中止となり、寂しい夏休みを過ごしている子どもたちが多いのではないか。さらに様々な宿題が出されて、夏休み終盤に入るいま子どもたちは気が重くなっているはず。では最近の夏休みの宿題事情はどうなっているのか?取材を通じて見えてきたのは、子どもたちのいまだった。

「昆虫採集は昭和です」と爆笑される
まず文部科学省に最近の夏休みの宿題の傾向を聞いてみると、担当者は「各学校の判断なので把握していない」と調査もデータ集めもしていなかった。

そこでよく取材をしている埼玉県戸田市の戸ヶ﨑勤教育長に「最近昆虫採集とかやっているんですかね?」と聞いたら「鈴木さん、それ昭和ですよ」と爆笑された。
そして戸ヶ﨑さんは「最近戸田市の児童は、通常授業で行っているPBL(※)を夏休み中に深めてオンライン提出していますね」と語った。
(※)Project Based Learningという課題解決型学習

そこで戸田市立戸田東小学校の小高美恵子校長にいまどきの宿題事情について聞いてみると、「戸田市を取材していまの日本のスタンダードだと認識されるとたぶん違うと思います」という答えが返ってきた。戸田市では小学校3年生以上は端末の持ち帰りが可能で(各家庭のWi-Fi環境整備も支援)、それを前提にした宿題が出されているという。

宿題は端末でデジタル活用が当たり前
「たとえば昔は漢字や計算の基礎ドリルを全児童一律に反復練習していました。しかしいまはそれぞれの児童が端末に装備されたドリルで、自分の不得意なところや伸ばしたいところを自主的にやるようにしています。先生はその履歴を見るというかたちですね」(小高校長)
GIGAスクールの普及によって今後端末を活用した宿題は、全国でスタンダードとなっていくことが期待される。

では絵日記はいまどうなっているのか聞いてみる。
「昔はほぼ毎日描きましたね。しかしいまは多様な家庭があるので、夏休み中に1,2枚程度しか描かないですよね。しかも絵日記を紙で提出するのは低学年だけで、上の学年になると日記というかたちではなく、夏休みの自分の生活を絵や写真も編集してプレゼンテーションするという感じですね。デジタルを使うのは当たり前になっています」

子どもたちが”自由研究”をオンライン会議
さらに筆者は「読書感想文や図画コンクールといった夏休みの定番はどうなっています?」と聞いた。
「学校から一応案内して『やりたいならやっていいよ』くらいの感じです。昔は自由研究がありましたが、戸田市では5,6年生になるとPBLの授業で行っている身近な課題解決について、夏休みはその調査やデータ収集を行いますね。今年は緊急事態宣言で子どもが集まって話し合うことがなかなかできないので、オンライン会議をやっているようです」

そして小高校長は「今年はコロナの影響で、音楽の授業で吹奏楽器や歌うことができなかった」と続けた。
「なので夏休みは家で歌ったり演奏するのを動画に撮ってそれをオンラインで提出することもします。家庭科の調理実習もいま学校内で制限されているので、家庭で調理したのを動画に撮ってプレゼンテーションすることもやりますね」

端末持ち帰り禁止の自治体は昔ながらの宿題を
また都内八王子市立浅川小学校の清水弘美校長はこう語る。
「1人1台端末になったので、大抵どの学校でもオンラインの宿題はあります。しかしWi-Fiの無い家庭もありますから、すべてオンラインでとはなりませんね。八王子市は児童が端末を持ち帰るのはOKですが、近隣の市では持ち帰らせないところもあって、そうすると夏休みの間端末を全く使わないことになりますね。そういうところは昔ながらの宿題を出しているようです」

では夏休みの定番の宿題について清水校長に聞いてみた。
「夏の宿題本があって中に様々な教科が入っています。また東京都が作ったドリルがタブレットに装備されていて、それを宿題に出している学校が多いようです。オンラインによる宿題提出はありませんが、記録=ログが残るので先生も各児童の進み具合がわかります。読書感想文はあります。小学校3年生までは植物観察がありますが、昔は絵を描いていましたけど最近はタブレットで写真撮影です。昆虫採集は昭和でほぼ終わりましたね」

夏のプール遊びは熱中症予防で無し
夏休みの宿題にはいまの子どもたちを取り囲む複雑な事情も反映される。
「絵日記の提出はなくなりましたね。タブレットで一行日記を書かせますが、子どもによって体験格差がはっきり出てしまうので毎日は書きません。日記については『海や山に行かなくてもいいんだよ。おうちでお母さんとホットケーキを作りましたとか、掃除をしましたとかでいいんだよ』と必ず指導します。学習塾の夏期講習に行く子どもが多い地域では、学校が夏の宿題を減らしていますね」(清水校長)

そしてかつて子どもたちの夏の楽しみと言えば、プール遊びだった。しかし「いまはプールがない」と清水校長は言う。
「いまは夏のプールもないんですよ。プールの水温が30度を超えてしまうので、泳いでいる間に熱中症になる危険性があるからです。プールは1学期で終わりです。朝のラジオ体操も緊急事態宣言になっているので中止です。だから子供たちはクーラーの効いた部屋でゲームをするしかないですね。子どもが昔のように麦わら帽子を被って走り回るのは、いま夏では無理です」

夏休みの宿題にはまさに子どもたちのいまが見えてくるのだ。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】

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利用者の子どもたちに聞いてみると、学校で配布されたタブレットを夏休みに持ち帰った子どもは一人もいませんでした。「ACアダプターがない」「家庭にWIFI環境のない子どもがいる」「紛失や破損の管理ができない」「セキュリティーが不十分」「使用限度を親が管理できない子がいる」どんなことでもできない理由はあげればきりがありません。工夫しなければ新しいことはできないことばかりですから、結局やる気がないという事です。

記事を読んでいると、タブレット持ち帰りの学校の子どもと、持ち帰らない学校の子どもとでは、ひと夏でICTスキルは大きく水があくと思われます。しかし、夏休みの宿題までこんなに違ってしまうとは思いませんでした。筆者にも思い当たる節がありますが、絵日記と言うのは絵の上手な子どもはいいのですが、下手な子は絵を描く課題があるだけで憂鬱なのです。人に見られること以前に、自分の思い通りに描けない絵の下手さに自尊心が傷つくのです。これが写真や動画になれば、やる気が出る子どももいると思います。

先生たちが、タブレットアプリの使用ログで子どもたちの学習の様子を掴むと言うのも、働き方改革には大きな意味があります。筆者にも経験がありますが、提出された夏休みの宿題を2学期初めに目を通すだけでも膨大な時間が必要になります。「良くできました」ハンコのインクがなくなるくらいあるのです。デジタルログならどこまでやったか何が間違いやすいか一目瞭然です。

昆虫採集やプール指導が熱中症予防のために無くなったとは初耳です。乙訓地域では聞いたことがないのですが、こんな事になっていたとは知りませんでした。朝のラジオ体操が無くなったのは、感染症に関係なく共働きが増えお世話する人がいなくなったからと聞きますが、近所の高齢の方は夏だろうが冬だろうが早朝に公園に集まってラジオ体操しているので、これに合流すれば自然に多様性社会が見通せるのでもったいないなぁと思ったりもします。

プールで熱中症になるのは水温が上がるからと言いますが、使用中くらいはろ過した循環水でなく「水道水かけ流し」にすれば少しはましかと思います。それでも水温と気温を合わせて65度を超えると危険域ですから、40度に迫る最高気温では25度以下のプール水が必要なので昼間は不可能です。また、乙訓地域でのプールは雷注意報で例年3割程度が中止になると言います。気候変動時代には室内プールへ移行すべきなのかもしれません。ただ、すてっぷの子どもたちは、毎日川に行って遊んでいます。こんな姿は、もう昭和だという事ですが、できる限り川遊びに取り組んでいこうと思います。

夏の甲子園大会、2年ぶり開幕

夏の甲子園大会、2年ぶり開幕 決勝は26日予定

2021年8月10日【朝日新聞】

第103回全国高校野球選手権大会は10日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開会式があり、17日間の熱戦が始まる。昨夏は新型コロナウイルスの影響で中止となったため、開催は2年ぶり。参加3603チームの頂点をかけて49代表が戦う。

開会式は感染拡大防止のため一部を簡素化、グラウンドを1周する入場行進はとりやめた。選手らはマスクを着用、隣のチームと約1・5メートルの間隔をとって外野に整列した。冒頭、俳優・歌手の山崎育三郎さん(35)が大会歌「栄冠は君に輝く」を独唱した。

市立西宮高の女子生徒が代表校のプラカードを掲げて先導し、選手らは北から南の順に1校ずつ本塁方向へ行進した。吹奏楽、合唱の人数は従来の半数以下とした。

選手宣誓は、36年ぶり2回目出場の小松大谷(石川)の木下仁緒(にお)主将(3年)が務めた。「2年ぶりの夏の甲子園。人々に夢を追いかけることの素晴らしさを思い出してもらうために、気力・体力を尽くしたプレーで、この夢の甲子園で高校球児の真(まこと)の姿を見せることを誓います」と力強く宣誓した。

開会式後の第1試合は、4年ぶり18回目出場の日大山形(山形)と、中止となった昨夏を挟んで2大会連続15回目出場の米子東(鳥取)の顔合わせ。始球式は、関西医科大医学部1年の吉田裕翔さん(19)と大阪大医学部1年の嘉村太志さん(19)が行う。ともに兵庫・甲陽学院高の野球部出身。昨夏の中止により、甲子園への夢がなくなった全ての球児の代表として、また、医療従事者への感謝とエールを込めて選ばれた。

今大会から休養日が1日増え、3日となる。台風9号接近の影響で9日の開会式と3試合が順延されたため、日程は1日ずつ延び、決勝は26日の予定。

入場は各代表校の生徒や保護者ら学校関係者に限られ、吹奏楽部は各校50人を上限にアルプス席に入場できる。一般客向けのチケット販売は行わない。

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【甲子園】山崎育三郎が開会式冒頭で「栄冠は君に輝く」独唱 美声響かせる

2021年8月10日【日刊スポーツ】

<全国高校野球選手権:開会式>◇10日

俳優で歌手の山崎育三郎(35)が甲子園に美声を響かせた。

開会式冒頭、二塁ベースと中堅の間に立ち、大会歌「栄冠は君に輝く」を1番から3番まで独唱した。伸びやかな歌声に、出場する選手やコロナ禍で闘う全ての人たちへのエールを込めた。歌い終わると、場内から拍手が起きた。

山崎は昨年放送されたNHKドラマ「エール」でも同歌を熱唱した。「エール」の主人公は、同歌を作曲した古関裕而氏がモデル。山崎は、主人公の小学校時代の同級生で歌手となる役で出演した。終戦後は堕落した生活を送っていたが、「栄冠は君に輝く」を歌うことで、歌手として再生するエピソードが描かれた。

山崎は「昨年朝ドラ『エール』で、『栄冠は君に輝く』を歌われた伊藤久男さんをモデルとした役を演じ、今年、甲子園で歌う機会を頂けたご縁に震えるほど感動しています。選手の皆さんには、昨年コロナの影響で大会が中止になり、出場出来なかった先輩方の思いも胸に、全力で楽しんでプレーして欲しいです」とコメントしていた。

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開催できてほんとうによかったです。観客は各代表校の生徒や保護者ら学校関係者に限られ、吹奏楽部は各校50人とは言え、選手にとってみれば仲間の応援こそ自分を奮い立たせる大事なパワーです。そもそも、昨年8月の1日の陽性者数は1300人程度で今の1割でした。それでも中止判断したのは地方予選から大会までの計画が困難であったことや第2波が必ず来るという予防対策からでした。そして秋が過ぎ冬が来て予想通り第2波はやってきましたが、夏の甲子園の中止の効果については検証もされませんでした。甲子園大会中止は感染予防のためのスケープゴートになった感もあり、今年の開催は昨年の轍を踏まないように決断されたとも言えます。

今年度になり、今年こそは各校は県大会で熱戦を繰り広げました。そんな中で起こったのが、「コロナ辞退の米子松蔭」事件(コロナ辞退の米子松蔭「再出場」の可能性: 07/19)でした。主将西村君のツイートで全国の有名人や文科大臣までを動かして、再試合を実現しましたが、松陰の校長が一言、「誰も陽性者はいないから出場する。責任は私がとる」と宣言すれば、こんな大事にはならなかったとも考えられます。トップが叩かれるのを恐れて断念した事件とも言えます。結局、再試合を認めてくれた境高校は破りましたが、準々決勝の八頭高校とは壮絶な打撃戦の末、九回、八頭打線につかまり3点を失い逆転され、米子松蔭野球部の夏は終わりました。

出場辞退からの一連の出来事について、西村君は「多くの方々のおかげで試合ができた。対戦してくれた境にも感謝の思いしかなく、負けてしまって申し訳なさでいっぱい」と振り返っています。高校生がこんなことで申し訳ないと思わなければならない理不尽、優柔不断な風見鶏の大人のおかげで子どもが翻弄されただけの話で、彼らに申し訳ないと言わないといけないのは大人です。ここに、今回の様々なコロナ騒動の本質があるように思います。トップが逃げる事ばかり考えていて確かな決断ができなくては、下々は右往左往するばかりです。「大人の事情」の世相を、「栄冠は君に輝く」の歌詞で洗い流したいと思います。

「栄冠は君に輝く」

雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球 今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは 歓呼に答え
いさぎよし 微笑む希望
ああ 栄冠は 君に輝く

風を打ち 大地を蹴りて
悔ゆるなき 白熱の力ぞ技ぞ
若人よ いざ
一球に 一打に賭けて
青春の 讃歌を綴れ
ああ 栄冠は 君に輝く

空を切る 球の命に
通うもの 美しく匂える健康
若人よ いざ
緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉かざす
感激を 目蓋に描け
ああ 栄冠は 君に輝く

パラリンピックで子どもの観戦検討 学校連携プログラムで政府ら

パラリンピックで子どもの観戦検討 学校連携プログラムで政府ら

2021年8月7日 【東京新聞】

24日開幕の東京パラリンピックを巡り、一般観客を入れない場合でも、自治体や学校単位でチケットを購入してもらう「学校連携観戦プログラム」で子どもたちの観戦機会を確保する案が関係機関で検討されていることが6日、分かった。複数の関係者が明らかにした。会場がある自治体の児童や生徒に限れば「直行直帰」で、新型コロナウイルス感染拡大防止との両立を図ることができるとの見方が出ている。

組織委によると、パラの会場は東京都のほか、埼玉、千葉、静岡各県にあり、実施には組織委や自治体間の調整が必要になる。

政府筋は6日、会場での観戦は子どもたちにとって貴重な経験になるとして、パラの学校連携観戦を検討したい意向を示した。組織委関係者も、入場を子どもたちに限り、往復の交通手段などを工夫すれば、会場での観戦は可能との見方を示している。

パラの観客対応は8日の五輪閉幕後、政府、東京都、組織委、国際パラリンピック委員会(IPC)などの代表による5者協議で判断される見通し。

東京パラリンピック日本代表選手団の河合純一団長は5日、千葉県庁で熊谷俊人知事と面会し、学校連携観戦による観戦機会確保を求めた。(共同)

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菅首相 東京五輪「感染拡大につながっていない」 パラリンピック観客は「5者協議で判断」

2021年8月6日 【東京新聞】

菅義偉首相は6日、広島市内で記者会見し、東京五輪開催が新型コロナウイルス感染者の急増に関係しているという見方について「これまでのところ、五輪が感染拡大につながっているという考え方はしていない」と重ねて否定した。水際対策や選手・関係者らの行動管理を徹底していることを理由に挙げ、「東京都の繁華街の人流は五輪開幕前と比べて増えていない」とも指摘した。

一部の専門家などが主張する緊急事態宣言の全国拡大に関しては「地方の事情を判断する必要がある。独自の感染対策もある」と、慎重な姿勢を示した。

24日開幕のパラリンピックを有観客で開くかどうかは、五輪閉幕後に国際パラリンピック委員会(IPC)などと行う5者協議で決めると説明。31日まで東京都などに緊急事態宣言が発令されていることを踏まえ、「宣言下でのスポーツイベントの一般ルールや、今後の感染状況が判断材料になる」と述べるにとどめた。(井上峻輔)

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それなら,なんで五輪前に言わないのか,熊谷知事が学校連携観戦を決断した後でも,いくらでも子どもの観戦計画はできたはずです。「柳の下の二匹目のドジョウを狙う」諺にもあるように,主体性のない模倣はすぐにぶれそうな気もしますが,方向性は間違っていないと思います。そもそも「無観客試合」は人流が感染を広げるというエビデンスのない感情論の高まりに押されて決まったようなものです。本気で言っているなら,毎日に何百万人も通勤に使う山手線や甲子園の高校野球やプロ野球観戦こそ止めなければなりません。

無観客試合にしても,盛り場を閉じても陽性者数の増加は止まりませんでした。若者に陽性者が多いのは老齢者がワクチンを打ち終えた証です。重症者ベッド数が足りないと何度も報道されますが,重症者のベッド数を増やしていないことは報道されません。この原因は1.4兆円ものコロナ医療予備費に手を付けなかった役人と医師会のサボタージュです。子どもの重症化例は例外1例を除いて全て無症状か鼻水程度の軽症です。何より世界の陽性者数より二桁少ない我が国の現状を見れば,子どもの観戦を止める理由が見つかりません。

東京2020+1:ホンジュラスがんばれ! 児童らゴール裏で観戦 鹿嶋 /茨城 | 毎日新聞

「パラリンピックは学校観戦を」選手団長らが千葉県に要望

「パラリンピックは学校観戦を」選手団長らが千葉県に要望

08月05日 【NHK】

東京パラリンピック日本選手団の代表らが5日、競技会場のある千葉県の熊谷知事のもとを訪れ、学校連携観戦チケットによる子どもたちの観戦を実現させるよう要望しました。

東京パラリンピック日本選手団の河合純一団長とJPC=日本パラリンピック委員会の鳥原光憲会長は5日、千葉県の熊谷知事のもとを訪れました。

東京パラリンピックで千葉市の幕張メッセでは4つの競技が行われることになっていますが、河合団長らは無観客での開催となった場合も学校連携観戦チケットによる子どもたちの観戦を実現させるよう求める要望書を熊谷知事に手渡しました。

河合団長が「限界に挑戦するパラアスリートの活躍を見ることで子どもたちに気づきを与えたい」と述べたのに対し、熊谷知事は「コロナの収束が見通せない状況が続くが、当事者の声として要望を重く受け止めて今後の大会組織委員会との協議にあたっていきたい」と応じました。

会談の終了後、河合団長は記者団に対し、「コロナが厳しい状況で安全・安心は確保されなくてはならないが、パラアスリートの姿を子どもたちがライブで見ることが、彼らの未来に貢献できるということを訴えていきたい」と話しました。

河合団長らは今後、東京都など競技会場があるほかの自治体や大会組織委員会にも同様に要望を伝えるということです。

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パラ選手団は,沈着冷静な熊谷知事だからこそ目を付けたのでしょう。2019年9月千葉県を襲った台風15号で千葉県内のライフラインがズタズタになったときも,市長でありながら県知事よりも素早く首長間で連絡を取り復旧に尽力したことが思い出されます。それでも,物資が不足して市民生活は自粛を余儀なくされます。そんな時に,みんなが我慢しているのに支援学校の子どもが水遊びをして不謹慎だと市役所に苦情が入ったのです。熊谷市長はそんな自粛は求めていないし,しなくていいとSNSで一蹴した経過があります(自粛はご遠慮下さい: 2019/09/17) 。

今の状況とよく似ています。大変だ大変だと大騒ぎをして,被害を受けていない関係のない人まで騒ぎに巻き込んでいく風潮を打破するのは東京都でもなく政府要人でもなく,熊谷知事だと白羽の矢を立てたのだと思います。現に千葉県は無観客試合と決めた後でも,感染予防をしながらサッカーなどを子どもたちに観戦させています。以前,人口比で東京の5%しか陽性者のいない陽性率順位45位の岩手県が,子どもにソフトボール女子の観戦もさせなかったことについて非難しましたが,千葉県の陽性者は東京の50%,陽性率全国4位にもかかわらず,知事はぶれずに観戦させています。

今回も,ロックダウンしか方法がないと嘆く専門家ばかりをテレビに登場させ,軽症者を自宅で待機させるとは何事かと怒る人は映すが,政府予算のコロナ医療支援の1.5兆円を厚労省が使わずに余らせているサボりの事実は報じない偏向報道を,きちんと見抜いている首長がどれだけいるのか疑問です。政府には難癖をつけながら,これから始まる甲子園での夏の高校野球大会やプロ野球を感染予防のために中止しろと言うメディアは聞いたことがありません。スポンサーには頭が上がらないとは言え,あまりにもの二枚舌に辟易します。そんな中で,パラ観戦を熊谷知事はどう考えていくか見守りたいと思います。

発達障害児らの裸動画撮影、暴行の放課後デイ職員に懲役3年判決

発達障害児らの裸動画撮影、暴行の放課後デイ職員に懲役3年判決

2021/8/5 【神戸新聞NEXT】

兵庫県尼崎市内の放課後等デイサービス施設に通う発達障害児らを裸にして動画を撮影したり、暴行を加えたりする行為を、元職員の男(28)=兵庫県宝塚市=が繰り返していた。子どもを虐待から守るはずの職員が、なぜ道を踏み外したのか。神戸地裁尼崎支部であった公判で、動機と経緯が語られた。

7月5日、男は強制わいせつや児童買春・ポルノ禁止法違反、暴行などの罪に問われて判決公判に立ち、裁判官に懲役3年の実刑判決を言い渡された。

「警察の方から確認のために写真を見せられた時、涙があふれ出た」
公判で被害児童の親が代理人を通じ、事件を知った時の衝撃を伝えた。愛する息子が下着を脱がされ、おもちゃのように扱われている様子が映っていた。

「その日の送迎でも、被告と普通に会話していたことが、信じられない」
男は社会福祉士の資格を持ち、施設ではセンター長という責任ある立場で保護者からの信頼も厚かった。

判決によると昨年3~8月、施設の同僚と共謀するなどし、利用者の男児4人にわいせつ行為や暴行を繰り返してきた。検察によると、2019年12月ごろ、男は裸の男児の下半身をスマートフォンで撮影し、共謀した同僚と笑い合うと行為はエスカレートしていった。

20年4月には、当時9歳の男児の下着を脱がせた後、右足をつかんで無理やり開脚させ、動画を撮影した。当時11歳の別の児童には、三角座りをした背後から同僚が膝を持って抱え上げ、尻を突き上げるようにした上で、男がズボンや下着をまくり上げていた。頭部を平手でたたいたり、足で踏みつけたりもした。

動画には小さい体で必死に抵抗し、嫌がる表情が映っていたという。男は逮捕後、「泣いて嫌がる反応を見て欲求が満たされた」「動画を撮る方が反応がよかった」などと話した。

児童たちは精神的に追い込まれても、助けを求められなかった。1人は髪の毛をむしり始め、別の児童は自宅で無心に児童虐待の動画を検索するようになった。「SOS」を出し続けていたのだ。発覚経緯の詳細は明らかにされなかったが、通学する小学校が異変に気付いた。

法廷で歩きづらそうに証言台に向かう男はつえを握っていた。拘留のストレスで適応障害になり、手足がしびれるようになったという。

「自分がなぜこんなに重い罪を受けないといけないのかと思っていた」と当初は反省の色もなかったが、保釈後にニュースで大きく取り上げられる自分の名前を見て、事件の重大さに気付いたという。

男は被告人質問で、妻から1冊の本を受け取ったことを打ち明けた。

タイトルは「おかあさん、お空のセカイのはなしをしてあげる」。一人の少女が母親に、胎児の時の記憶を話すというエッセー漫画だ。なんで私は生まれたんだろう-。子どもの目線から、生まれてきた奇跡と喜びが描かれている。

妻からの「罪の大きさに気付いてほしい」というメッセージに、男はうつむきながら「自分たちに子どもができて、もし同じことをされたら絶対に許せないと思った」と漏らした。

裁判官は判決の最後に付け加えた。「(誰しも)子どもの行動を見て笑うことはある。しかし、あなたの行為は子ども本人、彼ら自身を笑っている。これは絶対に許されない」

なぜ男は児童たちを「人」として見ることができなかったのか。公判が終わり、足を引きずりながら法廷の奥へと消えていった。

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施設や学校での児童虐待の報道を扱うのは気分が悪いものですが、この事件はどこでも起こりうると考えています。物言えない弱者である児童や障害者、老人、病人を相手にした卑劣な犯罪ですが、当事者は露にも犯罪とは考えていないから、次から次に起こっているのです。記事のように保護者からの信頼があったからと言って虐待のリスクが低いとも言えません。

虐待は世代を超えて連鎖すると言います。専門家は、家庭で虐待を経験していることが当事者の虐待行為の「引き金」になっていると分析しています。子ども時代に親の力で支配され続けて、自分を大切にする気持ちが育たなかったことが、虐待行為につながっているというのです。「自分を大切にできなければ他者も大切にできないわけで、そこに暴力の連鎖の問題とか、思春期以降は性の問題と出てきて、力で支配する、あるいは力で支配された者が力で支配する、そういう循環が起こりうるのだろうと思います」と話しています。

誰もが100%親の愛情を受けてきたかどうかの保障がないのは仕方がないことです。それは、その人が成人したあと子どもに対してどういう感覚を持つかと言う結果論だからです。しかし、虐待の様々な事実と先に述べたような心理的なメカニズムを知ることによって、自分にもリスクがあると知ることが予防法になるはずです。

このような虐待の当事者を生んでしまうのは、周囲の大人、「行動しない傍観者」の問題だと考えます。虐待など自分は加担しないと思っていても、暴言や暴力の前に竦んでしまい告発が遅れてしまうのは、それを見ている職員もその虐待に傍観者として加わるリスクがあったと考えるべきです。

子どもに関わる人誰もが良い人であってほしいという願いは大事にされるべきですが、現実には何の保証もありません。傷ついた子どもの心は、簡単には癒すことはできません。自分の職場で虐待や傍観をどう防ぐのかは、記事ような虐待の事実を直視し、自分にも同僚にもそのリスクがないかどうか常に問い続ける具体的な取組が求められます。

四十住さくらが「金」・開心那は「銀」

四十住さくらが「金」・開心那は「銀」、岡本碧優4位・・・スケボー女子・パーク

2021/08/04 【読売新聞】

東京五輪の新競技・スケートボードは4日、有明アーバンスポーツパークで女子パーク決勝が行われ、 四十住よそずみ さくら(19)(ベンヌ)が60・09点でこの種目の初代女王に輝いた。夏季五輪で史上最年少の日本代表の12歳・ 開ひらき心那ここな (WHYDAH GROUP)が2位、岡本 碧優みすぐ (15)(MKグループ)が4位。

7月26日にスケートボードの女子ストリートで西矢椛(もみじ)(13)(ムラサキスポーツ)が「金」で日本勢史上最年少のメダルに輝いたが、今月13歳になる開はこれを更新した。開と同じ2008年生まれで、母親が日本人、宮崎県出身のスカイ・ブラウン(13)(英)が3位。

パークはおわんを複数組み合わせたような複雑なコースを舞台にして滑り、技の難易度や速さ、全体の構成、独創性などを競う。スノーボードのハーフパイプのように、傾斜を利用し、空中に飛び出すエア・トリックが見所。

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「12歳の頃は学校帰りに雑草食べてたぞ」・・・躍動する10代選手と比べため息

8/4(水)【読売新聞】

東京五輪は4日、スケートボード女子パークが行われ、10代の日本人選手が3人とも予選を通過し、決勝に進出した。ツイッターでは、華麗な技に驚く声と「それに比べて自分は…」とため息を漏らす投稿が相次いでいる。

この種目には、夏季の日本人選手で史上最年少出場の12歳、開(ひらき)心那(ここな)のほか、15歳の岡本碧優(みすぐ)、19歳の四十住(よそずみ)さくらが出場。開は、競技後のインタビューで、練習で未挑戦の技を予選で成功させたことを明かすなど、強心臓っぷりにも注目が集まっている。

ツイッターでは「おっさん12歳の頃は学校帰りに雑草食べてたぞ」「12歳の時なんてクワガタ捕りと釣りしかしてなかったで。まあ、今も変わらんけど」など、12歳の頃を思い返す投稿があふれている。

予選を2位で通過したのは、英代表のスカイ・ブラウンで、こちらも7月7日に13歳になったばかり。日本人の母とイギリス人の父を持ち、スケートボード中の事故で頭蓋骨骨折の大けがから復活しての五輪出場だ。

今大会から採用されたスケートボードは、7月26日に行われた女子ストリートでも、13歳の西矢椛(もみじ)が日本史上最年少の金メダルを獲得し、16歳の中山楓奈(ふうな)も銅メダル。銀メダルのライッサ・レアウ(ブラジル)も13歳と、10代選手が表彰台を独占。SNSでは「表彰台に上がった3人の年齢の合計(42歳)と俺の年齢が大して変わらないという事に気付き戦慄(せんりつ)を覚えた」「13歳が金メダルか。それに比べて俺は何してるんだよ」と、若い選手と自身を対比して嘆く声が渦巻いた。

新種目に限らず、体操男子では19歳の橋本大輝が個人で金2つ、団体で銀の、計3つのメダルを獲得。同じく体操で団体銀メダル、個人総合で5位に入賞した北園丈琉(たける)選手は18歳。競泳男子200メートルバタフライで銀メダルを獲得した本多灯(ともる)選手は19歳で、陸上3000メートル障害で日本人初の7位入賞となった三浦龍司選手も同じく19歳と、今大会では若い世代の活躍が目立っている。スケートボードでさらに10代のメダリストが増えるか注目だ。

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10代の選手がゴールドラッシュを起こしています。昭和のおじさんがアソビと蔑んだスケボですが、その凄さ今回余すところなく見せてもらい、おじさんは正直ノックダウンです。スノーボードはボードとシューズがくっ付いているから跳べるのはわかるけど、ボードと靴がくっ付いてないスケボはなんで自在に空中が跳べるのと驚いています。身体とボードの動きを完全に同期させるなんてそれだけでビックリマークの連続です。

しかも、女子がコンクリート上で跳び回っているのです。メイクを失敗したら大けがするようなトリックを次々に跳んでメイクしていきます。子どもだからできるというけど、誰でも落ちたことはあるはずだからその恐怖感を乗り越える必要があります。それは、子どもだろうが大人だろうが同じです。喝さいを浴びているメイクは何度も何度も練習して恐怖感を乗り越えてきた賜物です。みんなおめでとう!

政府が乗り出した「ギフテッド教育」の功罪

政府が乗り出した「ギフテッド教育」の功罪 業界の権威は「方向を間違えると危険」

2021/08/03 【デイリー新潮】

〈「突出した才能の子(ギフテッド)」国が支援へ〉。そんな見出しが躍ったのは7月13日付の朝日新聞。記事によると、突出した才能を持つ“ギフテッド”と呼ばれる子どもは記憶力や言語能力などに優れながら、学校での学習に困難を抱えて不登校になる例もあり、文部科学省が支援を検討するという。

才能あれど学習困難とはこれいかに。文科省いわく、

「今年1月に中央教育審議会から出された答申に『特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する指導』への言及があり、これに基づいて有識者会議を設け、7月14日に初会合を行ったばかり。どんな子どもを対象に、どんな支援をするか、すべてこれから検討します」

要は一切白紙だそうだが、念頭には米国の「ギフテッド教育」があると見られる。この分野の米国における権威であるスタンフォード大学・オンラインハイスクールの星友啓校長は、
「ギフテッド教育において特定の分野とは、学校での数学、国語などの課目やスポーツ、芸術などの分野で、上位10%に入る層を適切にサポートすることを目的とするものです。何万人に一人の天才を育てるというものではありません」

確かに、ギフテッドの子どもたちには“頭が良すぎるがゆえに周りから理解されない”などのケースも少なくないそうで、特別なサポートが必要であることもしばしばらしい。だが、星校長は「ここで誤解してはいけません」と注意する。

「ギフテッド教育について取り上げる日本の報道などを見ると、これまでの日本の教育制度の中で十分にサポートを受けられなかった学習・発達障害の子どもたちへの特別支援を単に『ギフテッド』の新しいラベルで呼び変えるニュアンスを感じます。しかし、ギフテッド教育は“支援”だけでなく、子どもの能力を“伸ばす”ことに目を向けたもので、方向を間違えると、ギフテッド教育も特別支援もどちらもサポートできなくなってしまう危険性があると思います」

うちの子は学校になじまないがゲームは上手い、発想力がすごい。これで認めてもらえる!そんなふうに喜ぶ親たちの声も聞かれるが、どこまで理解しているやら。

「週刊新潮」2021年7月29日号 掲載

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ギフテッドについてはこのブログでも毎日新聞の記事を取り上げてコメントしています「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能:07/15 )。ギフテッドには2種類あって、他者からも信頼を得る「英才型」の子どもと、「2E型」(twice-exceptional=二重に例外)と言って才能も飛びぬけているが社会的な障害もある凸凹な子どもがいることを前回コメントしました。この2E型の子どもには発達障害について理解をしてないとそもそも支援が始まりません。

先日もブログで、境界知能といわれる人の中に発達障害の方が含まれていると書いたように、ギフテッドではないけれど適切な支援が得られなくて本来の力が出せない能力が凸凹な子どももたくさんいるのです。ギフテッドの中には発達障害の人もいるけれど、ギフテッドではないが支援が受けられないことが原因で通常以下の学力しか発揮できない発達障害の子どもは多いです。

もちろん、才能の高い子どもを早い段階から見出して、公的に支援することは大事なことです。小学校からの飛び級だって認めればいいと思います。ただ、その一方で、本来の力も出し切れずにいる発達障害の子どもへの支援が、週1回の通級で間に合わなければ特別支援学級の在籍でしか対応できていない問題や、発達障害支援を専門としていない教員が支援学級を担当している現実について調査し解決する必要があります。

なぜ何もかもうまくいかない? わたしは「境界知能」でした

なぜ何もかもうまくいかない? わたしは「境界知能」でした

2021年7月30日 【NHK】

「勉強も仕事も結婚もすべてうまくいかず、気づいたら20年ひとりぼっちで過ごしていました」及川奈穂さん、57歳。これまでの人生は、苦労の連続でした。

勉強は小学校低学年からついていけず。仕事の覚えが悪く何度も職場から解雇される。人間関係もうまくいかず、結婚生活も長く続かなかった-
なぜ何もかもうまくいかないのか?検査を受けて告げられたのは「境界知能」でした。(大阪拠点放送局 ディレクター 磯貝健人)

「境界知能」とは、知能指数の「境い目」の部分
「境界知能」とは、いったい何なのか。「境界知能」は、知能指数(=IQ)に関係して、専門家の間で用いられている言葉です。「知能指数」で、「平均的」とされる部分と、「障害」とされる部分の「境い目」にあたるところが、「境界知能」と呼ばれています。当事者の及川さんは、「その実態を知って欲しい」と、今回取材に応じてくれました。

すべてがうまくいかなかった人生
及川さんは、群馬県高崎市で1人暮らしをしています。料理や洗濯、掃除などの家事はすべて自分で行っています。私たちの質問にも、ひとつひとつ丁寧に受け答えをしてくれ、何十年も前の出来事を細かく覚えているのが印象的でした。

一見、何の不自由もないように見える日常生活。何もかもうまくいかないとはどういうことなのか。「実は買い物で困ることが多いんです」と及川さん。私たちは、スーパーでの買い物に同行させてもらいました。この日、買いに来たのは乾電池。値段の異なる2種類の乾電池を手に取ると、及川さんはその場でしゃがみ込んでしまいました。2本で329円と4本で398円、どちらが割安か…

外出時には常に持参しているというメモ帳を使って、計算を始めました。
「2本で329円だから、4本だと600円と…」
電池の購入を決めるまでに、約8分かかりました。

及川奈穂さん
「何かを素早くするということが、どうも苦手で…。時間を気にしないでいいなら、出来るんですが…」

障害者のクラスに入るも 通常クラスへ戻され…
及川さんが、周囲との違いに最初に気づいたのは、小学校低学年のころ。算数が苦手で、授業についていくことができなくなりました。そのため、障害のある子どもたちのクラスに入ることになった及川さん。しかし、周りに比べると、学習に支障がないと見なされ、すぐに通常のクラスに戻されました。

及川奈穂さん
「普通にできることもあって、周囲からはやる気がない、怠けていると見られることが多かったんです。私は私なりに一生懸命やっているのに、なんで怒られなきゃいけないのかなとか、悲しくなりました」

パンの名前覚えられず 数字も弱く
当時を思い返しながら語る及川さん。その目には涙が浮かんでいました。不自由さを抱えながらも、通常の教育を受け、高校へと進学。専門学校を卒業した後に社会に出ると、新たな壁が立ちはだかりました。

パン屋で働いていたときのことです。何度教えられても、商品を決められた場所に並べることができません。カタカナの多いパンの名前の覚えられないことが原因でした。数字にも弱く、レジ打ちでのミスも目立ちました。周囲からの冷たい視線に耐えられず、退職を余儀なくされました。

及川奈穂さん
「これ以上、わたしがここにいてはいけない空気を感じとってしまい、自分から申し出て辞めることにしました。職場全体がそういう雰囲気になったことに耐えられませんでした」

検査の結果「知能指数が境界レベル」
その後に就いた仕事も長続きせず、10以上の職を転々とした及川さん。32歳のときに出会った男性と結婚しましたが、ほどなくして離婚。なぜうまくいかないのか-

35歳となった2000年、初めて病院で検査を受けることを決めました。そこで告げられたのは、思いもよらない結果でした。
「IQ73 境界レベル」
知能指数(=IQ)が、平均的ではないが、障害でもない「境界知能」だとわかったのです。

及川奈穂さん
「初めてみたときには、何が何だか意味がわからなかったです。本なんか読んでみると、確かに正常値ではないんだけれども、低いわけじゃないみたいな、そういう分かりにくいところなんです」

「境界知能」だと分かり 腑に落ちた
自分の知能指数が平均を下回っていたことにショックを受けたという及川さん。その一方で、結果がわかったことで“安堵した”ともいいます。

及川奈穂さん
「これまで勉強や仕事がうまくいかないと、『私の努力不足なんじゃないか』と感じていたし、親や周囲からもそう言われてきました。でも、境界知能だとわかり、腑に落ちたというか、サボっていたわけじゃないんだと救われた気がしました」

“生きづらさ” 周囲に気づいてもらえぬまま
「境界知能」とは何なのか、もう少し詳しく見ていきます。知能指数(=IQ)は、一般にIQ85-115が「平均的」とされています。おおむね70以下は、「知的障害」の可能性が考えられる範囲です。(※「知的障害」の基準は、自治体によって異なります)

その境い目にあたるのが、「境界知能」と呼ばれる領域です。その数は、統計学上は人口の約14%、1,700万人に上るとされています。専門家によりますと、この中には、知能指数とは別の指標で発達障害と認められる人もいるということですが、「境界知能」は「平均的とは言えないが、障害とも言えない」とされることが多いといいます。このため、その“生きづらさ”に、周囲に気づいてもらうことができないまま、人生を過ごしてきた人が多くいるとみられるということです。

「境界知能」は社会の認識不足が問題
医師として「境界知能」の人たちを診てきた青山学院大学・古荘純一教授は、「境界知能」は広く社会に認識されていないことが問題だと言います。

青山学院大学・古荘純一教授
「境界知能の人たちは、知能検査の結果だけでは知的障害とも発達障害とも診断されないため、教育や福祉の支援につながりにくいのです。また、自分自身も周囲の人も気づかないことが多々あります。こうした理解のなさが、当事者の人たちを苦しめてきました」

「境界知能」にあたることを初めて知った及川さん。
求職活動中の採用面接で、ある企業の人事担当者から言われたことを、いまも忘れることができません。

及川奈穂さん
「『あなたが障害者だったなら、受け入れられたんだけど、そうじゃないとわかったので、雇用することはちょっと厳しいですね』って言われました」

その企業は、法律に基づいて障害者を雇用していましたが、「境界知能」の及川さんは障害者に該当しないため、雇用できないと言われたのです。

及川奈穂さん
「私は私なりにすごく一生懸命仕事しているのに、障害者じゃないからだめと言われると、何をみて仕事をさせてもらえないのかと思いました。中途半端な人は、会社ではダメなのかと。境界知能の私は、一体何者なんでしょうか」

“負の連鎖”に陥っている可能性も
「境界知能」にあたる人たちが直面している困難に、もっと目を向けるべきだと訴えている専門家もいます。立命館大学の宮口幸治教授は、児童精神科医として、精神科病院や医療少年院で勤務した経験をもとに、そこで出会った境界知能の子どもたちの実態を書籍にまとめました。

2019年に発行されて以来、70万部を売り上げ、「境界知能」に関心が寄せられるきっかけとなりました。宮口さんが懸念しているのは、「境界知能」の人たちの間で、“負の連鎖”に陥っているケースもあるのではないかということです。

宮口さんが着目したのは、法務省が公開している令和元年の新受刑者の能力検査値のデータ。境界知能に該当する人(IQ70-84)は、人口の約14%。対して新受刑者の場合、「IQ70-79」だけで21%以上に上ります。

宮口さんは、次のような“負の連鎖”が起きていないか懸念しています。
『日常生活や勉強、仕事、人間関係などで困難を抱え、生きづらさを感じているにも関わらず、教育や福祉の支援を受けられずに社会的な孤立や経済的な困窮に陥り、罪を犯してしまうケースもあるのではないか。さらにはうつ病になって自殺をしてしまう、そういった悪循環も起きていないか』

立命館大学・宮口幸治教授
「境界知能の人たちの大多数は、社会規範を守って、普通に生活している。ただ、中には“負の連鎖”に陥っている人がいる可能性があり、そこにはしっかりと目を向けなければいけない」こうした“負の連鎖”に陥らないために、何よりも重要なのは、「早期発見・早期支援」だと宮口さんは指摘します。そのためには、「境界知能」や「障害」についての知識や理解が、社会全体に浸透していくことが欠かせないといいます。

早い段階から“トレーニング”で改善を
では「境界知能」の人たちに、早い段階からどんな支援ができるのでしょうか。

宮口さんは、小学校の子どもたち向けのトレーニング法を開発しています。
大阪の和泉市立国府小学校では、宮口さんが開発したトレーニング法を実践しています。

具体的にどのようなものかというと…
例えば、ひらがなや漢字が苦手な子どもが行うのは、「点つなぎ」というトレーニングです。点と点を結んで作られた絵を同じように描き写します。

なぜこうしたトレーニングをするのか?
字の習得が苦手な子ども場合、なぜ苦手なのかを分析すると、目で見たものの形を捉え、書き写す力が弱いからではないかと考えられています。このため、「点つなぎ」のトレーニングを毎日10分程度続けることで、ひらがなや漢字を習得する力を少しでも高めようとしています。

計算が苦手な子どもたちが取り組むのは、星のマークを5つずつ囲んでいくトレーニング。数をまとめながら足していく作業を繰り返すことで、計算するスピードを少しでも速めようとしています。この教室では、子どもの苦手な部分に合わせて、約30種類のトレーニングを行っています。

取り組みをはじめて5年。
この学校では、トレーニングを受けた子どもの約3割が、通常の授業にもついて行けるようになったといいます。宮口さんは、境界知能の人も、学習の土台となる「認知機能」の強化に取り組めば、状況を少しでも改善できると指摘します。

立命館大学・宮口幸治教授
「認知機能とは、見たり、聞いたりした情報を理解し、記憶する力のことです。国語や算数など学習の基盤になるこの力を伸ばすことで、伸びていく可能性があります。少しでも早くトレーニングを受ければ、改善する可能性は高くなります。出来ることが多くなると、自分に自信を持って成長していくことができます。周囲の人が、気づき、理解してあげることが大切だと思います」

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知能検査は、標準的な視覚や聴覚の力(視力や聴力の事ではなく視知覚や音韻意識という力)がある子どもを前提にして作られている検査です。従って知能に遅れがなくてもIQが低く出る子どもがいます。境界知能の子どもの中には、本来の知能は高くても、見え方や聞こえ方、数量感覚の弱さがある子どもが含まれています。これに大人が気付いて低学年のうちに専門的で適切なサポートをすることによって、3割程度の子どもが高学年になって知能検査をすると標準域にまで上がることが知られています。

知的障害(知的発達症)は能力の全般的な遅れを指しますが、軽度知的障害と言われる子どもの中は、部分的な弱さが原因で自信を失い学習性無力感に陥っている学習障害の子どもが含まれていると言われます。学習障害で効果の上がりやすい支援は人によって違いますが、宮口先生のコグトレ(認知機能トレーニング)は、視知覚が弱い人には効果があるトレーニング法なのだと思います。ドリル形式なので専門的な支援力量は必要としないので広がりやすいのだと思います。

ただ、文字を読むデコーディング(復号化)機能や文字を書くエンコーディング(記号化)機能に弱さがある人、発達性読み書き障害(ディスレクシア)のアセスメントや支援については、我が国ではまだまだ広がっていません。これは、我が国の読み書きの殆どが一音一文字という英語圏とは違う分かりやすさ(復号化・記号化の負荷が軽い)を持っているために、年齢の早い段階で発見できなかったことにあります。最近の我が国の調査では、ディスレクシアの比率は他人種と変わらず、軽度まで含めて知的障害のない人の1割程度を占めていることが分かってきました。

我が国の発達障害はADHDとASDという行動の問題は着目されやすいですが、学習障害は勉強の問題と勘違いされ軽視されがちです。学習障害の子どもたちの支援は、多様性社会を進めていくためにも、もっと重視されてもよいと思います。軽度知的障害の中に学習障害を抱えた人たちが多数いて、自尊心を失い就労も続かず負の連鎖・貧困の連鎖を世代間で作っていく話は宮口先生の言われる通りだと思います。及川さんの時代は知的障害を数値だけで厳格に決めていたのだと思いますが、今はIQが少々高くても生活全般に支障をきたしているなら障害を認めるようになっています。また、知的障害で診断が出せない時でも医師が学習障害などの発達障害を診断すれば精神障害手帳が出せるようになっています。

すべての先進国で男子よりも女子の成績が高い科学的理由

「驚愕の事実」すべての先進国で男子よりも女子の成績が高い科学的理由

7/30(金) 【プレジデントオンライン】

最先端の科学では人間の脳=こころの謎が次々明らかになってきている。著書『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(幻冬舎)でその全貌を紹介した作家の橘玲氏は「すべての先進国では男子よりも女子のほうが成績が高い。男女に知能の差はないので、成績の差が生まれるのは『堅実性パーソナリティ』の性差が影響していると考えられる」という──。

※本稿は、橘玲『スピリチュアルズ「わたし」の謎』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

■歴史上の英雄には「多動力」タイプが多い
イギリスの心理学者ダニエル・ネトルは、「今日では障害とされている注意欠陥・多動性障害(ADHD)こそが、かつては強さだったかもしれない」と述べる(※1)。

ADHDと診断される子どもは堅実性スコアがきわめて低く、男の子の発症率は女の子の5倍と明らかに性差がある。

これは、(男の役割とされた)旧石器時代の狩猟で、目の前の刺激に対して素早く反応した方が有利だったことの名残だと考えられている。事実、プロスポーツの世界ではADHDの若者が成功している例がいくつもある。

堅実性が低いと「衝動的」「不真面目」「いい加減」などネガティブなレッテルを貼られるが、つねに不利なわけではなく、異性から「ぶっ飛んでいて魅力的」と思われたり、革命家やアジテーター、あるいは芸術家として成功することもある。

歴史上の英雄には、現代ならADHDと診断されるであろう「多動力」タイプが多い。

このことは、そもそもADHDが「病気」ではないことを示している。それは人類が進化の大半を過ごしてきた(旧石器時代の)環境では、きわめて有利なパーソナリティだった。

それが「発達障害」とされるようになったのは、わたしたちが生きているのが、人類の進化が想定しないほど「とてつもなく安定した社会」だからだ。その結果、本来であれば「正常」なパーソナリティが「不適応」になってしまったのだ。
※1 ネトル『パーソナリティを科学する』白揚社

■「女の方が男より真面目だ」といわれる理由
安定した現代社会では、「いま、ここの自分」より「いつか、あそこでの自分」に配慮できた方が有利なことは間違いない。とはいえ、堅実性スコアが高ければ高いほどいいというわけではない。

精神医学で強迫性パーソナリティ障害(OCPD)と呼ばれる症状は堅実性が極端に高く、全成人のおよそ2%がこの診断基準にあてはまる。

興味深いことに、OCPDと診断されるのは男性が女性の2倍で明らかな性差がある。特定のジャンルの商品を大量に入手し、完全なコレクションをつくることに人生を懸けたりする熱狂的コレクターも男に多い。

堅実性が極端に低いADHDは男が女の5倍で、堅実性が極端に高いOCPDは男が女の2倍ということは、堅実性の分布のばらつきが男の方が大きいことを示している。

その結果、(男が両極にばらついているのだから)堅実性の平均近くでは女の割合が高くなる。これが、「女の方が男より真面目だ」といわれる理由ではないだろうか(図表1)。

■男の子が劣化していく
アメリカにおいては、女子は小学校から大学まで、すべての学年で男子より成績がいい。

13歳と14歳の中学生で作文や読解が熟達レベルに達している男子は4分の1にも満たないが、女子は41%が作文で、34%が読解で達している。

2011年には男子生徒のSAT(大学進学適性試験)の成績は過去40年で最低だった。また、学校が渡す成績表の最低点の70%を男子生徒が占めていた。

これはアメリカだけの現象ではなく、OECD(経済協力開発機構)の調査によると、先進国のすべてで男子は女子より成績が悪く、落第する生徒も多く、卒業試験の合格率も低い。

スウェーデン、イタリア、ニュージーランド、ポーランドといった国々では、PISAテスト(15歳を対象とした国際学習度到達調査)の読解力部門で女子が男子をはるかに上回り、1学年から1学年半も先を行っているという結果が出た。これでは同い年の男女を同じクラスで教えるのは困難だろう。

カナダとオーストラリアでは、すでに大卒者の60%が女性だ。イングランドでは大学の入学申込者は女子4人に対し男子は3人以下、ウェールズとスコットランドでは、女子の申し込みが男子より40%も上回り、恵まれない家庭ではこのギャップがよりいっそう大きくなっている。

■知能が高いほど堅実性は低くなる
日本でも「女の子の方が男の子より優秀」と当たり前のようにいわれるが、男女の知能に(平均としては)差はない(男は論理・数学能力に優れ女は言語的知能が高いとか、知能のばらつきは女より男の方が大きいという研究はある)。

だとすればこれは、堅実性パーソナリティの性差が影響しているのではないだろうか。女の子の堅実性は平均付近に集まるのに対し、男の子は堅実性が高い方にも低い方にもばらついている。

その結果、堅実性が低い男子生徒が学校教育から脱落しはじめていると考えればこうした現象に説明がつく。

現代社会では、「賢くて真面目な子どもは成功する」と信じられている。これは間違いとはいえないが、奇妙なことに、知能と堅実性には(わずかに)ネガティブな関係があるらしい。知能が高いほど堅実性は低くなるというのだ。

これは常識に反するようだが、頭が切れるひとは前もって準備しなくてもうまくやれてしまうため、わざわざ手間暇をかけて訓練を積む必要がないと考えれば理解できるだろう。高すぎる知能は堅実性を引き下げる効果があるのかもしれない。

最後に「勤勉な日本人」と堅実性の関係だが、いまのところ人種別に堅実性スコアを比較した研究はないようだ。だが、ヒト集団で生得的なちがいがないとしても、日本人の堅実性のレベルが高く見える理由はシンプルに説明できる。

外向的なひとは欲望に向かう強力なエンジンをもっており、内向的な性格はエンジンの出力が弱い。これはアクセルを思いきり踏んでもスピードが上がらないのと同じだ。

大馬力のエンジンを制御するには強力なブレーキが必要だが、出力の弱いエンジンなら簡易なブレーキでもなんとかなる。内向的な(エンジンの馬力が小さい)日本人は、平均的なブレーキ(前頭葉の活動)でも堅実性スコアが高くなり、高い神経症傾向の影響もあって、電車の時間を1秒単位で管理するようになるのではないだろうか。

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ADHDは危険を恐れずに獲物を求めて新しい土地を探し続ける石器時代は有能であった人類の名残だと言われます。学習障害の中心的な問題である読み書き障害は、視空間記憶処理の良い人が生き残るのに有利だった狩猟時代の名残だと言います。文字文化を築いた農耕以降の社会は500万年の人類史のわずか数千年で0.2%に満たないのです。現代の発達障害は人類が生き残った証でもあり、進化の途中の姿でもあるわけです。

公立高校受験で問題なった、男女同数にするために男子に下駄をはかせる事はけしからんと言ったけど、サバイバル能力の両端に分布した男子よりも中央部に多く分布する女子の方が高得点を得るのは自明の理なので、男子が学力で負けるのは当たり前となんだか妙に納得してしまいます。しかも、男子のその両極端の分布があったから人類は進化してきたと言われれば、下駄をはかせることぐらいに目くじらをたてるのもいかがなものかと思ってしまうのです。

日本人はサバイバル能力のエンジンが小さいから前頭前野の働きが普通でも調整が効きやすく堅実性スコアが上がるが、一方で神経症的な気質を生むと言う話は、昨今の「コロナゼロ」「ステイホーム」に導こうとする集団神経症的な動きにも妙に一致しているように思います。・・・と書いている筆者などは堅実性スコアの低い、死をも恐れぬ石器時代人間ということになるのでしょうか。

スマホ利用増 悩む学校…子供視力低下 「1日2時間」制限も

スマホ利用増 悩む学校・・・子供視力低下 「1日2時間」制限も

2021/07/29 【読売新聞】

子供の視力低下が止まらない。新型コロナウイルスによる一斉休校や外出自粛で、スマートフォンなどデジタル端末に触れる時間が長くなったことが一因とみられ、専門家は屋外での活動や端末の利用制限などの必要性を訴えている。


東京都文京区の「こひなた眼科」では昨春の一斉休校後、近視の子供が例年より2割増えたという。藤巻拓郎医師(53)は「自宅でのスマホゲームや動画視聴、オンライン学習などが増えたためでは」とみており、「1日2時間を目安に学校で屋外活動を行うことや、端末の利用時間の制限が必要だ」と指摘する。

総務省によると、スマホでのネット利用率は年々増えており、昨年8月末時点で6~12歳が40・6%、13~19歳は81・4%に上った。

学校現場は、子供のスマホ利用に歯止めをかけようと頭を悩ませる。東京都内のある公立中では、各生徒にスマホなどの利用時間を「1日2時間まで」などと目標を決めさせ、自制を促している。スマホなどを使わない「ノーメディアデー」を設ける学校もある。

一方、コロナ禍で全小中学生への学習用端末の配備が前倒しされた。今年度からは大規模なデジタル教科書の実証事業が行われており、全国の約4割の小中学校(約1万2200校)で利用されている。授業で端末を使う時間が増えると見込まれる中、学校現場からは「授業中、端末の画面に目を近づけて集中している児童が何人もいて驚いた。視力に影響しないか」(東京都内の公立小学校長)など、心配する声も聞かれる。

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「スマホ脳」でのデジタルデバイス叩きもそうですが、何でもスマホや電子媒体が悪いという単純な帰結が多いので気になります。現代社会でデジタルデバイス(ICT機器)抜きに学習や仕事が成り立つのでしょうか?この手の報道は科学的な根拠はなく心配だけを煽ります。予防法も「時間制限」だけに単純化していますが、正しい使い方に触れていないので注意が必要です。眼から近い距離での作業は、紙の本を読むことも、電子デバイスを使って文を読むことも、極端なことを言ってしまえば机に向かって勉強をすることも、基本的には近視が進む原因になります。

スマホが問題視されているのは、長時間手元を見続けているとか、電子書籍のように文字を読むだけじゃなく、ゲームのようにチカチカするものをやっていることが多いからだと思います。デジタルデバイスが眼にとってどう影響があるのかは、デジタルデバイスを使って、「何を」「どうやって」見ているかにもよるので、デジタルデバイス自体が眼に悪い、と結論づけることはできません。

デジタルデバイスで文字を読むことが、紙の本を読むことに比べて、ことさらに眼に悪いということはありません。勉強をがんばることと、近視にならないことはなかなか両立しないことです。必要であれば紙の本であろうと、電子媒体の文字であろうと読むべきだと思います。電子書籍、電子媒体が今後主流になることは間違いないと思いますので、それを「眼に悪そう」という先入観で止めるのではなく、正しく使えばいいと思います。アメリカでは以下のようにしてデジタルデバイスによる近視予防法が提唱されています。

1.適切な距離を保つ
適切な距離とは、60センチくらいです。これは大体大人の腕の長さに保つということです。あまり近すぎたり、遠すぎたりするとピント調節に労力を要し非常に眼が疲れます。
2.グレア(眩しさ)を調節する
モニターが明るすぎたり、暗すぎたりすると眼が疲れます。光の量を調節する事が大切です。
3 .休憩を取る
長時間本を読んだり、モニターを見続けると眼精疲労になります。これ対しては「20-20-20ルール」というものがあり、20分ごとに20フィート(6メートル)先のものを20秒間見るという作業です。遠くのものを見ることによって、眼の緊張が取れます。
4.ドライアイ対策
モニターを見続けると眼が渇き、ドライアイの症状が悪化します。自覚のないドライアイの方も少なくありません。ドライアイ点眼薬をこまめに点し、保湿をしましょう。
5.部屋を明るくする
モニターを見る際に、周囲が暗いと余計に疲れます。周囲の照明を調節することが大切です。

このように5つのポイントを守ることで、モニターによる眼精疲労を防ぎ、延いては眼を守る行動をとることができます。日本近視学会の「親子で学ぶ近視サイト」というHPもあるので正しい知識を持ってICT機器を使うことが大切だと思います。

東京五輪、茨城県の小学生らが観戦

東京五輪、茨城県の小学生らが観戦

2021年7月27日 【日本教育新聞】

新型コロナウイルス対策として多くの会場が無観客となった東京オリンピックだが、茨城県では、学校連携プログラムで小学生らが観戦に訪れている。開幕に先立つ7月22日には、鹿嶋市の小学校の児童らが、茨城カシマスタジアム(鹿嶋市)で、男子サッカー予選の試合に見入った。

茨城県では、5日まで男女サッカーの試合が行われる予定。いずれも無観客だが、学校が主体となって児童・生徒が観戦する「学校連携プログラム」は実施可能とした。県内の44市町村のうち、鹿嶋、つくばみらい2市が参加を選択。他に、このプログラムを利用する私立高校がある。

22日にはニュージーランド対韓国戦が午後5時から始まった。その1時間ほど前に、バスで会場そばの駐車場に着くと、ボランティアの案内の下、徒歩でスタジアムに移動。試合開始前には、スクリーンで両国の選手の紹介や、手拍子を使った応援方法の説明などがあった。

試合では選手らが会場の外まで響く声を出しながら勝利を目指した。前半終了後、低学年の児童らが会場を後にした。午後7時には、他の児童がバスへと向かった。7時過ぎに、市立三笠小学校の代表児童が取材に応じた。「みんなで遊べない中、みんなでオリンピックを見られて楽しかった」などと話した。

同小学校では、試合に先立ち、韓国の国旗をあしらったうちわを用意。当日の応援に備えた。

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1964年から57年ぶりの東京五輪です。まさに一生に一度の機会ですが、IOCから招待されていた関東や東北の学校は、感染予防を理由に軒並み辞退していきました。このブログで何度も書いたように、本音は子どもの感染を恐れたからではないと思います。連日繰り返された、「コロナ怖いぞ」のメディアの大合唱の中で、児童の感染例は無症状か鼻水程度の軽症だと分かっていても、プロ野球やサッカーが連日スタジアムで開催されていても、感情的な人達のバッシングが怖くて断らざるを得なかった学校がほとんどでしょう。大勢と違う事を言ったら身の危険を感じるファシズム社会のようです。

結局、東京五輪は、東京都と神奈川、千葉、埼玉の首都圏3県、北海道、福島県の会場は全て無観客となりました。一方で、宮城、静岡両県は収容定員50%以内・1万人を上限として有観客で開催する方針です。茨城と千葉県でも学校連携観戦プログラムのみですが、観客を入れて開催します。宮城県や静岡県、そして子どもたちは招待した茨城と千葉県も知事が良く持ちこたえています。ところが、この中で感染者が最も少ない福島は、知事自らが無観客試合を選択してしまいました。人流という新しい言葉ができましたが、有観客にすることで都会からの人流で福島県の感染が拡大すると言うのです。

科学的な根拠は何もないまま、被災地復興のオリパラを無観客としただけでなく学校観戦もやめたのです。来場するのは地域の子どもたちなのですから茨城千葉のようにしても何の問題もなかったはずです。昨日13年ぶりの金メダルを獲得したソフトボール日本チーム。このオーストラリア戦もメキシコ戦も多くの小中学生が招待されていたはずです。そして今日は野球のドミニカ共和国戦が始まります。この福島での無観客試合でどれほどの予防効果があるのか、茨木千葉と何が違うのか、子どもたちに科学的に説明できる大人はいるのでしょうか。

「不登校に悩む子どもらの励みに」

「不登校に悩む子どもらの励みに」・・・自宅で過ごした6年、恩師らと乗り越え大舞台に挑む

2021年7月26日【読売新聞】

不登校を乗り越えたスイマーが、初めての五輪に挑む。28日に競泳男子200メートル背泳ぎの予選に出場する砂間敬太選手(26)(イトマン東進)。自宅で過ごした6年間は水泳と距離を置いた時期もあったが、才能を惜しんだ恩師らの励ましでプールに戻った。「不登校に悩む子どもらの励みに」。目標はメダル獲得だ。(山口佐和子)

なぜ不登校になったのか、自分でもはっきりわからないという。奈良県大和郡山市立小学校4年の時、急に学校に足が向かなくなった。「何かで休んだ後に理由を聞かれたり、久しぶりに登校して注目されたりするのが嫌になった」。中学卒業まで多くを自宅で勉強するなどして過ごした。

好きだったはずの水泳さえ嫌になった。川遊びに夢中になる姿を見たカヌー好きの父親に連れられ、3歳で近くのスイミングスクールに通い始めたのが水泳との出会い。順調に記録を伸ばし、ジュニア選手の中で目立つ存在だったが、不登校になるとともにプールからも足が遠のいた。

「君なら絶対に五輪に行ける」。小学5年の時、コーチから声をかけられてプールに戻った。中学3年時には国体選手に選ばれるほどの活躍ぶりだったが、学校には通えないまま。そんな生活への葛藤から、国体を最後に水泳をやめる決意を固めていた。

翻意したのは、天理高(奈良県天理市)水泳部の山本良介監督(65)の一言があったからだ。国体への出場を終え、帰りの新幹線を待っていると声をかけられた。「君は日本の宝になるような選手なんだ」。水のつかみ方やキックのタイミングに天性の才能を感じていた山本監督からの誘いに心が動き、進学を決めた。

高校では陸上やホッケーなど様々な競技に励む仲間から刺激を受けた。寮生活では支えてくれる仲間ができ、普通に学校に通えるようになった。水泳でもジュニア強化選手に指定され、国際大会に出場。山本監督は「マリモみたいな選手。水につけているだけで大きく成長した」と笑う。

高校3年の時、天理市の依頼で、不登校の子どもを抱える保護者らに体験を話した。その時に口にした目標がある。「五輪でメダルを取り、不登校に悩む子どもらの支えになる」。ひきこもりの少年時代を笑い飛ばす、お笑いコンビ「千原兄弟」の千原ジュニアさんの活躍に励まされた自身の経験が根底にあった。

中央大に進学。5年前のリオデジャネイロ五輪では代表入りが確実視されていたが、代表選考会を兼ねた日本選手権で0・24秒の僅差で出場を逃した。悔しさで2か月ほど泳ぐことができなかったが、この経験をバネに成長を遂げ、今年4月の日本選手権で2位に入り、五輪出場を射止めた。

「決勝に残り、五輪を楽しんできますよ」。7月に奈良県で最終調整した際、山本監督にそう決意を語った。自分の泳ぎを通じ、不登校の子どもらに勇気を与えたいと誓う。

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アスリートの紹介では、人生の転機のきっかけとなる言葉が紹介されます。その多くが、子ども時代に関わった親を含めた大人たちの言葉です。様々な言葉がありますが、共通するのは二つです。君ならできる、好きなことをとことんやればいい、です。

子どもは好きでやっているだけで、自分にどんな力があるのかは気づいていません。それを大人が見出して、できるできると励まし続けます。山本監督は、水につけるだけで育つ「マリモ」に砂間選手を喩えましたが、その水の養分は子どもをその気にさせる大人の言葉です。

スケボーでメダルラッシュを迎えている日本のアスリートはスケボー2世です。スケボーの楽しさを知っている親だからこそ、アメリカで、世界で、とことん楽しんで来いと言えるのでしょう。その機会を得た子どもたちは、トップアスリートの直向きさと底抜けの明るさに直に触れて自分の未来をイメージします。

もちろん、大人から才能があると言われたけれど、日の目を見なかった子どもや、トップアスリートの凄さに圧倒されて挫けてしまう子どものほうがはるかに多いのが現実です。それを才能の差と言う人がいますが、それは結果論だと思います。マリモを大きく育てるには、才能の花を咲かせるには、君はできると信じて励まし続ける養分の量が大事だと思います。

水泳授業中止でも子供の水難事故防げ 体育館で指導

水泳授業中止でも子供の水難事故防げ 体育館で指導

2021/7/20 【産経新聞】

新型コロナウイルスの感染拡大で、感染リスクの軽減のため、学校の水泳授業を中止する自治体が増えている。一方で、児童生徒が水に触れる機会が減ることで水難事故防止という側面が見過ごされることを懸念する声も。コロナ禍でプールでの指導ができない中で、専門家が工夫を凝らしながら事故を防ぐ取り組みを続けている。

「浮いて待てー」。今月15日、大阪府富田林市の市立喜志(きし)小学校の体育館で、あおむけに横たわる児童に別の児童が大きな声で呼びかけ、浮輪の代わりになる空のペットボトルを放り投げた。

水難救助の専門家らでつくる「水難学会」(新潟県長岡市)による「ういてまて教室」の一場面だ。本来は、溺れた際の対処法をプールで教えるが、同小は昨年に続いて水泳の授業を中止したため、体育館へと場所を移しての実施となった。

教室では、水難学会の斎藤秀俊会長(長岡技術科学大大学院教授)が子供だけで水辺に近づかないよう注意しつつ、もし溺れたときには、力を抜いてあおむけに浮いた姿勢で救助を待つよう指導。「体いっぱいに空気を吸えば浮かぶ。『助けて』と声を上げると息が抜けて沈んでしまう」などと説明した。同小の徳富豊教諭は「学校の近くにも川があるので事故が心配だった。実体験として学ぶいい機会になった」と意義を強調する。

教室は例年、全国で開催されていたが、昨年はコロナ禍でほぼ中止に。今年は同小のように水泳の授業がなくなったことで、体育館で教室を行う学校も増えているという。

水泳の授業について、スポーツ庁と文部科学省は地域の感染状況を踏まえ、対策を講じた上で実施を検討するよう求めている。しかし、十分な対策を取れないことを理由に授業を見合わせた学校は少なくない。

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先日利用者の4年生の子が「俺泳げないねん」と残念そうに言っていました。水泳指導があれば4年生で泳げない子は、ほぼいなくなります。前には進めなくても水に浮くスキルは最低身についています。昨年は子どもへの感染の実態が把握しきれなかったのでプール指導中止は仕方がないにしても、今年は状況が違います。

ほとんどの子どもは無症状、発症しても頭痛と鼻水程度であることが分かっています。しかも、プールサイドは殺菌用の塩素水の飛沫で満たされており、屋外で換気も最高の状態ですから感染可能性はゼロに近いです。更衣の段階で接触感染があると言いますが、それなら体操服に着替える体育の更衣は問題がなく水着更衣に問題があるという事になり筋が通りません。

学校が恐れているのは心無い保護者を含めた大人からの感染したら責任取れのバッシングです。もしも、自校から感染クラスターが出たら水泳を認めた校長以下の教員が叩かれるという恐怖感がプール指導を中止している本音でしょう。それでも子どものためにといくつもの心ある自治体と学校がこの夏からプールを再開をしています。

科学的な根拠もないことで叩かれることを恐れるより、子どもたちの教育を進めたいという、学校の意気込みに頭が下がります。そして、水難事故防止教育は、実際に着衣して靴も履いて水に浮かんだ感覚こそが子どもには重要です。子どもには百の言葉より一つの体験が理解を進めます。浮くトレーニングは年齢が早ければ早いほど定着しやすいです。2年間プール指導がないのは先の子どもの例のように泳げない子どもを固定化してしまう恐れがあります。

熱中症の危険がある時期に、戸外でマスクを外す指示をせず子どもに「選択させた」と言う指導者も、今年も感染「予防」のためプール指導を中止する学校も、他者の目ばかりを気にして、子どもの利益を考えているとは思えないです。しかし、個人の責任にしても同調圧力に弱い人には解決はできません。昨日の高校野球試合復活に動いた萩生田文科相のように、トップが動かない限り決めたことを変えることができないのです。萩生田文科相、プール復活とプールでの水難事故防止授業実現にも一肌脱いでくれませんか。

 

米子松蔭の夏が復活 主将の叫びが政府も動かした

米子松蔭の夏が復活 主将の叫びが政府も動かした 学校関係者コロナで一度は出場辞退も

2021年7月20日 【スポニチアネックス】

鳥取県高野連は19日、どらドラパーク米子市民球場内で会見を開き、学校関係者1人に新型コロナウイルス感染が判明したため出場を辞退し、17日の境との2回戦が不戦敗となった米子松蔭の“復活”を決めた。21日の午前10時30分から、境と2回戦を戦う。周囲の波紋を呼んだ決定が、わずか2日間で覆された。

悲痛な叫びが世論を動かし、最後は鳥取県高野連までを動かした。一度は鳥取大会への出場を辞退した第1シードの米子松蔭について、急転直下、出場容認を決定。田辺洋範会長は経緯について、難しい判断を迫られたことを明かした。

「本大会でも感染防止に努めて、ルールに基づいて対応してまいりましたが、米子松蔭高校が21日から学校を再開できる、という状況になりました。不戦勝となっておりました境高校にも説明し、ご理解をいただきまして、試合を開催するということになりました」

きっかけはツイッターへの投稿だった。出場辞退を受け、西村虎之助主将が18日「試合もできずに、このまま終わってしまうのは、あまりにも辛いです。何とか出場する道を模索していただけませんか?」と無念の思いをつづった。これに、各界の著名人が続々と反応。橋下徹元大阪府知事や、吉村洋文大阪府知事が対応を痛烈に批判し、大騒動に発展していった。

この日午前には米子松蔭の関係者が同高野連に嘆願書を提出した。午後には西村康稔経済再生担当相までもが「先週末から平井鳥取県知事に試合ができないか対応をお願いしています」と投稿。加藤勝信官房長官はこの日の記者会見で、出場機会を確保するよう県高野連に要請したと明かした。政府までが動き、撤回が避けられない情勢に。田辺会長も「県民、全国からもいろんな多くの声が届いております」と、世論が後押しとなったことを認めた。

大会の感染対策要領は、生徒や教職員に感染者が出た場合はその学校は臨時休校になるため参加できないが、保健所の調査を踏まえて専門家と協議すれば参加できることもあると定めている。野球部内の感染者がいないことを確認するための保健所が、不戦敗となっていた試合前に開いていなかったことも問題を大きくしていた今回の騒動。西村主将もツイッターを更新し「多くの方々の声援を胸に感謝の気持ちを忘れず試合に臨みたいと思います。本当にありがとうございました」とつづった。完全燃焼したいという球児たちの最後の夏にかける熱い思いは、すんでのところで救われた。

《21日に境と2回戦》鳥取県高野連は境との2回戦が21日に設定された理由として、新型コロナによる米子松蔭の臨時休校が20日までで終了することを挙げた。対戦相手である境の了承も得たという。これに伴い、以降の日程は2日ずつ延期。当初26日に予定されていた決勝戦は、28日に開催される。

▼米子松蔭・長崎成輝校長 寛大な措置に感謝している。生徒には全力を出し切ってもらいたい。

【米子松蔭経過】
▽7月16日深夜 学校関係者1人の新型コロナウイルス感染が判明。野球部員、野球部関係者らとの接触はなく、独自の抗原検査で陰性を確認
▽17日 感染者、濃厚接触者なしを証明できず、9時開始の境との2回戦を出場辞退。メンバー表交換が8時10分で、保健所が開くのが8時30分だった
▽18日 西村主将が悲痛な叫びを自身のツイッターに投稿。各界の著名人も続々と反応
▽19日午前 米子松蔭の関係者が大会復帰を求める嘆願書を鳥取県高野連に提出。米子松蔭が21日から学校を再開することも決定
▽19日午後5時 鳥取県高野連が会見

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ほんとうに良かったです。これで、勝っても負けても悔いはないし、正しい世論の力を高校生たちは感じて生涯の糧にしていくはずです。ツイッターがあって良かったです。SNSの普及を煙たがる人も少なくはないですが、これが本来のSNSに求められていた力です。大メディアの支配を受けず、大メディアをも動かす力を持つのがSNSです。この間、組織的にSNSを使い感染恐怖を煽って政局に影響させようと言う動きも看過できませんが、正しく使えば大きな力になります。

SNSは人種・性別・年齢に関係なく発信できます。もちろん有力なフォロワー(インフルエンサー)がその発信をピックアップしてくれなければ、小さなつぶやきのままですが、内容がタイムリーで共感性の高い発信なら、呟きは瞬く間に世界を駆け巡ります。ネット界に課題は多いけど、それでも良い時代になったなぁと昭和生まれは思います。

※ソーシャルグラフ=リアルソーシャルグラフの略 現実世界での人間関係に基づく関係
※バーチャルグラフ=バーチャルソーシャルグラフの略 ネット上で知り合った者同士の仮想的な関係

コロナ辞退の米子松蔭“再出場”の可能性

コロナ辞退の米子松蔭「再出場」の可能性  主将の悲痛ツイートに米子市長「各方面に働きかける」

2021年7月19日 【スポーツ報知】

春の鳥取大会を制した米子松蔭が17日に学校関係者の新型コロナ感染で鳥取大会(第1シード)の出場を辞退し、境との初戦が不戦敗となった問題について18日、伊木隆司米子市長(47)がツイッターで「試合が再調整されるよう、各方面に働きかけます」と投稿。一転“再出場”の可能性が浮上した。

発端は、この日の午後1時半頃、ツイッターで主将の西村虎之助中堅手(3年)とみられるアカウントが「部員から陽性者は出ていません。試合もできずに、このまま終わってしまうのは、あまりにも辛いです。何とか出場する道を模索していただけませんか?」(原文ママ)などと訴えかけた。

これに、各界の著名人がツイッターで反応。弁護士の橋下徹氏(52)は「この高校生の声を無視するのか!彼らの後の人生を想像しろ!オリパラを開催した執念をここでも見せろ!」「高野連と政治家たちはアホ、ボケ、カスの極みや!」など“援護射撃”。国際政治学者の三浦瑠麗さん(40)も「あまりに理不尽」など出場を求めるツイート。作家・乙武洋匡氏(45)も自身のツイッターで疑問を投げかけた。

また、不戦敗の再検討を求めるオンライン上の署名活動も実施されている。前代未聞の“敗者復活”はあるのか。

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全国高校野球 鳥取大会 米子松蔭が出場辞退 学校関係者がコロナ感染 /鳥取

2021/7/18【毎日新聞】

第103回全国高校野球選手権鳥取大会に出場していた米子市の米子松蔭高は17日、学校関係者が新型コロナウイルスに感染したため出場を辞退したと発表した。野球部員に濃厚接触者はおらず、同日朝に実施した抗原検査でも全員が陰性だったが、大会の感染防止対策要領と、抗原検査だけでは安全を保てないとする保健所の判断に従った。同校は春季県大会で優勝し、第1シードで大会に臨んでいた。

辞退は17日朝に決まり、長崎成輝校長が記者会見を開いて経緯を説明した。16日深夜に学校関係者の感染が判明し、野球部が大会に出場できないか早朝まで協議したが、感染拡大防止のため辞退を決めたという。野球部員は17日朝、球場へ出発するため学校に集まっており、その場で辞退を伝えられ、泣き崩れたという。

長崎校長は「今、生徒たちが気持ちの整理をすることは不可能で、かなり日にちが必要だと思う。教職員で卒業やその後につながるようサポートしたい」と述べた。同校は22日まで臨時休校し、校舎を消毒する。【野原寛史】

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日本は先進国の中でもトップクラスの感染予防ができているのに、首相も東京都知事も「安心・安全」が第一と陽性者数が欧米に比べればわずかに増えているだけで、オリパラの無観客試合を決めてしまいました。自分に降りかかるリスクを避けているだけにしか見えない今回の措置は、一体誰のための安心安全なのかわかりません。こんなことをすれば、日本中の「責任者」が思考停止に陥るに決まっています。「学校関係者」は生徒でも職員でもなく野球部と関係のない人ならばそれこそ臨時休校ですらやりすぎだと思います。

抗体検査も全員無抗体だったが、保健所から安全は担保できないと言われたから辞退した、だから俺たちには責任がないというふうにしか聞こえません。高野連の「感染防止対策要領」は、昨今の若年者の7割は無症状で症状のある人も鼻かぜ程度と分かったはるか前に作られたものでそもそも実効性がありません。結局、公式には誰も辞めろとは言っていないのに、校長が集団感染とその後のバッシングを恐れ、高野連に「迷惑」をかけないように出場を辞退したとしか見えません。

この規則は、毎日行われているプロ野球やJリーグがチームや球場の「関係者」が感染する度に休場するとを考えれば、どれだけバカげた規則か理解できると思います。例え感染者がでても校長へのバッシング以外の実害はほとんどないのですから、これくらいのリスクは校長先生が背負って欲しいものです。そして感染をゼロに抑えることなど、科学的な見地からすれば妄想に過ぎないことだと、世の責任者と名つく方々は、テレビの無責任な煽り報道に流されずに正しい判断をしてほしいと思います。

 

障害ある子の通学、支援制度を

障害ある子の通学、支援制度を 保護者の付き添い「負担大きい」西宮の当事者団体、市に要望

2021/07/11 【神戸新聞】

障害の有無にかかわらず、同じ学校や教室で学ぶ「インクルーシブ教育」(包容する教育)。その広がりに向けて課題となっているのが、子どもの通学だ。発達障害や肢体不自由など一人での通学が難しい場合、地域の学校では保護者が付き添わなければならない。市民団体「インクルネット西宮」(兵庫県西宮市)はこのほど、当事者らに実施したアンケートの結果を公表。保護者らの声を踏まえ、通学支援制度の創設を市に求めた。(鈴木久仁子)

西宮市の角裕美さんは、人工呼吸器を必要とする小学4年の長男(9)を近くの市立小学校に通わせている。長男は看護師のケアを受けながら、通常学級で、同級生と一緒に授業を受ける。

「息子は学校が大好きで、幼稚園からの“仲間”に囲まれ、表情が豊かになった。一人離れて遠くの支援学校に行くより地域で育てたい」と裕美さんは語る。

一方で登下校は裕美さんが付き添わなければならず、体調を崩すと子どもが元気でも欠席させざるを得ない。また、裕美さんは看護師の資格を持つが、毎日の送迎がある現状では復職もほぼ不可能だ。

特別支援学校に通学する児童生徒は福祉タクシーや送迎バスを利用できるが、地域の学校を選択した場合は利用できない。「大変さは認識しているが、登下校は保護者の責任」と西宮市教育委員会。裕美さんは「一人親や幼いきょうだいを抱える家庭など、さらに負担は大きい」とため息をつく。

「インクルネット西宮」は医療的ケアが必要な子どもが地域の友だちと学べるようにと5年前に発足。現在は教員や保護者ら20人で活動する。

代表の目良知美さんは「親が送迎するのは当たり前と思い込み、これまで声を上げる発想もなかった。でも、どこの学校を選択しても子どもがきちんと学校に通えるためには通学支援は不可欠」と話す。

実態把握のため、同団体は5月にアンケートを実施。地域の学校に通う、市内の障害児の保護者ら109人が回答を寄せた。

結果、86%にあたる94人が子どもの登下校に付き添い、うち半数の47人は学校から付き添うよう求められていた。保護者の体調が悪いときには38人(40%)が学校を休ませ、教育の機会を損なっていることも分かった。

登下校に付き添う94人の回答を見ると、半数以上の53人が就労しておらず、うち39人(74%)は仕事をしたいと考えていた。また24人が、放課後等デイサービスを利用しているが、その理由を61%が「自宅までの送迎機能を利用するため」としていた。

地域の学校に在籍する、支援の必要な児童生徒は年々増加傾向にある。兵庫県の調べによると、2020年度、地域の小中学校・義務教育学校の特別支援学級に通う児童生徒数は8150人。前年度に比べ589人増えた。

今年6月には保育所や学校への看護師配置などを柱とする「医療的ケア児支援法」も成立した。目良さんは「子どもの学びを保障する観点からも、きちんとした制度として導入してほしい」と話している。

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「登下校は保護者の責任」と言うけれど、子どもの移動能力の差は保護者の責任ではありません。障害によって自立通学ができないことは親の責任ではないのですから社会が支援するべきです。西宮市教育委員会は子どもの障害は親の責任だと言っているに等しいと知るべきです。ただ、人工呼吸器使用の子どもの場合は、親が離れれば呼吸器利用は医療行為ですから看護師が管理する必要があるので、ハードルは一つ上がります。しかし、考え方は同じで、子どもが人工呼吸器をつける必要があるのは保護者の責任ではないのですから、社会が支援すべきです。

障害のある子どもの通常学校への通学について、移動支援等福祉制度を使う話は子どもの入学前になるとあちこちで出てきます。福祉の目的を達成するために様々な工夫をして行政施策として実現している自治体は、京都市をはじめいくつかあります。行政施策のない自治体でも既存のサービスを運用して頑張っている自治体もあります。しかし、支給決定をする側の行政担当官が運用は「目的外使用」だから認められないと言い続けている自治体の方がはるかに多いです。登下校の僅かな時間のために、働きたくても働けない保護者は少なくありません。

通学支援のない地域で保護者が就労している場合、放デイなら送迎がついているので下校時は学校に迎えに行き夕方自宅まで送ってくれるという理由で利用する人もいます。保護者が送迎ができないと言う理由で、地域の学童保育所が利用できない障害児も少なくないと思われます。ダイバーシティ社会だのインクルーシブ教育だのお役所の掲げるお題目は立派ですが足元がおぼつきません。子どもは社会で育てるものだと、ヘルパーや移動支援事業の運用をもっと広げて、子どもが子どもらしく生活できるようにしたいものです。

ヤングケアラー、小学生も全国調査

ヤングケアラー、小学生も全国調査 政府方針、早期発見と支援狙い

2021/7/5 20:17【毎日新聞 】

政府は、通学や仕事をしながら家族の介護や世話をする子ども「ヤングケアラー」の実態を把握するため、今年度中に全国の小学生にアンケートする方針を固めた。政府は2020年12月~21年1月に中高生を初めて調査、その結果を4月に公表したが、小学生は対象から外れていた。調査対象を拡大することで、子どものケア実態をより正確に把握し、支援につなげる狙いがある。【山田奈緒、三上健太郎/デジタル報道センター】

中高生への実態調査で家族のケアを始めた年齢は中学2年が平均9・9歳、全日制高校2年が平均12・2歳との結果が出た。過度なケア負担で学業や進路選択に支障が出たり、孤立につながったりすることが分かっており、実態調査を通じて小学生のヤングケアラーを早期に発見したい考えだ。

調査方法は中高生調査と同様、厚生労働省と文部科学省が協力し、子どもに直接尋ねる形を検討している。ただ、低年齢の子どもは家庭状況を客観視することや質問内容の理解が難しい。有識者らから意見を聞き、質問方法などを調整する。

小学生のケアを巡っては、研究者や自治体の調査でも実態把握は進んでいない。一般社団法人「日本ケアラー連盟」は15年に新潟県南魚沼市で、16年には神奈川県藤沢市で教員にアンケートし、間接的に小学生のケアを調べた。例えば南魚沼市では、働いている親に代わって年下のきょうだいを世話する小学4年の女児、精神疾患がある母の感情面をサポートする小学3年の女児、日本語が第一言語ではない母の通訳に追われる小学4年の男児――など、幼くても家族ケアの担い手になっている小学生がいた。

政府は大学生も初めて調査する。ヤングケアラーに法令上の定義はないものの、同連盟は「18歳未満」と定義し、埼玉県が全国で初めて制定したケアラー支援条例も児童福祉法に合わせて「18歳未満」と定める。18歳未満との位置づけが主流だが、元ヤングケアラーや専門家から、ケア負担が大学生活や就職活動などに影響しているとの指摘が出ていることを踏まえ、調査対象に加えた。

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核家族化が進み、さらに母子家庭が激増している中で、親が家族を支えられなくなると、子どもが家族を支えることになります。しかし、子どもは社会的救済の手段も知らないので、周囲の大人の気づきは遅れがちです。一昔前なら、担任の先生が家庭に立ち寄って、子どもの家族状況まで気にしていたのが、最近は出来るだけプライバシーに立ち入らない方向に学校が変わってきているので、家族の事情はなかなか把握が難しいと言います。

片親の場合の社会的交流環境は、頼る親族もなく、就労環境も非正規の場合は誰も家族がどうなっているのか子どもがどうしているのかも本人からの発信がない限りは把握できません。こうした中で、親を支えるために家事や精神的な支えをしている子どもたちがいます。昔も、親や家族を支える子どもはいましたが、今日のヤングケアラーの特徴は、文字通り社会から孤立していることが特徴だと言えます。

「進路の変更を考えざるを得ない、もしくは変更した」「自分の時間がとれない」「友人と遊べない」「睡眠時間が十分に取れない」などの悩みを持ちながらも、親から「他人に相談してはいけない」と口止めされたりしているので、スクールソーシャルワーカーに家の事情を話したがらない子どもは多いと言います。そして、親のケアは家族から離れない限りいつ終わるとも分からない、見通しのない中でのくらしが続くので、次第に子どもの精神までも蝕んでいきます。

今回政府が小学生を対象にしたのは、前回の調査で家族のケアが始まった年齢の最年少が小3か小4という回答を得ていたからです。放デイにも「要保護家庭」の子どもは来ており、ヤングケアラーの子どもや今後その可能性がある子どもも通所してきています。片親と子どもだけという小さい家族の場合は病気などで簡単に家族の機能を失ってしまいます。この対策を地域で作っていくためにも全量調査はとても必要だと思います。

 

「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能

「ギフテッド」の子、進まぬ理解 高い知能/特定分野に優れた能力親も孤立、自ら「応援隊」設立

2021/7/14【毎日新聞】

生まれつき高い知能や、芸術など特定分野で優れた能力を持つ「ギフテッド」と呼ばれる子どもたちがいる。天才のイメージが持たれがちだが、学校や同世代の子どもたちとなじめず、孤立するケースも少なくないという。ギフテッドの子を育てているという親に、その苦労や思いを聞いた。

ギフテッドは、米国では認知が進んでおり、知的能力や特定の学問、リーダーシップ、芸術などのうち、一つ以上の分野でずば抜けた能力を見せるか、その力を潜在的に持つ人と定義されている。

兵庫県伊丹市の冨吉恵子さん(49)の長男(20)も、幼少期からギフテッドの特徴があった。小学校では授業を仕切ったり、教師も知らないことを発表したりした。漢字ドリルに四つ並んだ漢字を使って即興で物語を作ることもあり、創造力の高さをうかがわせた。

ところが、学校生活では摩擦を生む。権威で支配されることに反発したのだ。授業で計算問題を解く際、タイマーで時間を計る教師を「時間制限にどんな効果があるのか。計算が速くて何の意味があるのか」と問い詰め、明確な回答がないと「信念もなくやっているのか」と憤った。宿題をやらず、テストでは用紙に記された「解きなさい」の文言にも怒る。寄り道を禁じる下校のルールには「寄り道しないと人生の醍醐味(だいごみ)は生まれない」と反論し、「学校には余白がないから息が詰まる」と愚痴をこぼした。

冨吉さんが胸を痛めたのは、長男が幼い頃から「生涯の友達がほしい」と毎日のように訴えて泣いたことだ。小学校低学年の頃、同い年の子どもたちは遊びといえば鬼ごっこ。大人のようには会話を楽しめず、孤独に苦しんでいた。

長男を「ギフテッドかもしれない」と感じたのは小学4年の時。小児科医の勧めで知能検査を受けると、高い知能指数(IQ)が出た。長男には頭痛や湿疹の持病があったが、医師からは同級生と精神年齢が合わないストレスが原因だと指摘された。臨床心理士からは、周囲の精神年齢が近づく高校生になるまでは友達はできないと断言された。

医師には私立中学校への進学を助言されたものの、長男が「偏差値主義者のビジネスに乗りたくない」と葛藤するあまり体調を崩し、受験をやめた。進んだ公立中ではほとんど授業に出ず、小学3年から毎日続けていたニュース解説の手作りの壁新聞を張りにだけ行った。全日制高校への進学は諦める一方、中学卒業から半年で高卒認定試験に合格。通信制高校を転々とし、交友関係のストレスで難病を発症しつつも1年浪人して大学へ入り、映像学部で学んでいる。

発達障害と誤診
こうした苦労があった子育てだったが、支援はほとんどなかった。世界では専門の教育プログラムが導入されている国があるが、日本にはない。ギフテッドへの認知が進んでいない日本では、発達障害と誤診されることも少なくない。冨吉さんも精神科医やスクールカウンセラーに相談したが、「放っておいてもちゃんと育つ」としか言われなかった。

発達心理学が専門の角谷(すみや)詩織・上越教育大准教授によると、ギフテッドは言語や認知能力は発達しているが情緒的には標準あるいは遅れていることがある。角谷准教授は「自身の興味に強く動機づけられた行動を取る、必要性がないものには取り組まない、権威でコントロールされることに抵抗するといった行動などの背後にある深い洞察を周囲に理解されずに『わがままな子』とみなされたり、行動を周囲に理解されずに不登校になったりすることも多い」という。

手探りで長男を支えてきた冨吉さんは2017年、同じ経験や悩みを持つ親たちに呼び掛け、「ギフテッド応援隊」を設立。会員で集まって交流し、専門家を招いて講演会も開いてきた。21年4月には一般社団法人化し、会員は全国に約250人にまで増えている。

活動の一環で、電子書籍「ギフテッド育児奮闘記」を20年10月に出版した。幼児期から高い言語能力や音楽の才能を発揮した女児や、国内の小中学生が対象の算数オリンピックで小学3年の時にファイナリストになった男児ら会員の子ども8人が登場。その多くが学校になじめず、学ぶ環境を求めて親が奮闘する経緯を紹介した。出版を企画した会員でフリー編集者の万永安芸さん(44)は「一言では伝わりにくいギフテッドも、実例を並べることで見えてくるものがある」と狙いを語る。

冨吉さんは「ギフテッドの親は子どもと学校の間で対応に疲れ切っている」と明かす。秀でた面を説明すると自慢や過保護と思われてしまい、誰にも相談できずに孤独を感じる親は少なくないという。「ギフテッドの存在と特性を知り、特に教育関係者に理解ある対応をしてほしい」と願う。【稲田佳代】

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ギフテッドの正式な定義はなく、アメリカでは州によって様々な定義が用いられています。その中でも大半の州が下記のテキサス州の内容と同じような定義を用いています。
「ギフテッド・タレンテッドの生徒とは、同じ年齢・経験・環境を持つ子供と比較して、著しく高いレベルを達成する、あるいはその可能性をうかがわせる子供。知的能力、独創性や芸術の分野において高い実行能力を示す、並外れたリーダーシップ能力を持つ、あるいは特定の学術分野で秀でている。」

ギフテッドは発達障害とは違うという様に記事では読めますが、ギフテッドには「英才型」と「2E型」の2種類があります。英才型は全般的に高い知能を持つ人を指します。認知や記憶などの能力が高いため、学業成績はかなり優秀なことが多いです。社会性も高く周囲から見ても非常に優秀に見えるため、才能を伸ばすための機会が提供されやすいとも言えます。

2Eとは「twice-exceptional」のことで、「二重に例外」という意味です。ギフテッドと発達障害を併発している状態を指しており、ある分野では突出した才能を示しますが、苦手なことはとことん苦手な傾向にあります。「発達に凸凹がある」などと表現されたりもします。突出した能力が見られるものの、社会性が劣るなどマイナス面の印象が強くなりがちで、才能に気づかれることなく過ごしているケースが多いです。これは学校の先生や友だちが気づかないというだけでなく、両親や自分自身すら気づいていないケースも含みます。放デイで働く私たちがたまに出会う子どもは2E型です。

ギフテッドと発達障害は異なる概念ですが、いくつか共通する特徴が見られるため、ギフテッドなのにADHDやアスペルガー症候群と誤診されているケースが非常に多いです。「ギフテッドかつADHD」や「ギフテッドかつASD」、「ギフテッドかつLD」という存在(=2E)を正しく理解することが大切です。

ギフテッドと発達障害の共通点
・好きなこと・興味のあることへの集中力が非常に高い
・完璧主義で、細かいところまで気にして締切を守れないことがある
・論理的思考力が高く、考えが奥深い
記事の子どもはASDの特性があり、正論であっても嫌がられる言い方であることが分からないという、他者感情が読めない2Eタイプです。問題の本質は障害と言えば何か健常者より劣るような印象を持ちやすいことです。発達障害があっても誰も真似のできない発見や開発をする人はいます。類い稀な才能を開花できるかどうかはその人を取り巻く人的環境が大きいのです。大人が扱いにくい子どもだと言う理由で「障害」のレッテルだけ貼られて才能が葬られていくとすれば、それは人類の大きな損失だと思います。彼らを面白がって認めてくれる、カリスマティックアダルト(身近な憧れの大人)の存在が欠かせません。

知的障害者対象に「農業科」 奈良県立高が新設、全国初

知的障害者対象に「農業科」 奈良県立高が新設、全国初の試み

7/13(火) 【日本農業新聞】

相互理解へ学科超え実習
奈良県は2022年度、知的障害のある生徒が農業を学べる学科を県立高校に新しく設ける。全国初の試みで、3年間茶や野菜の栽培などを学ぶ。障害のない生徒も同学科の生徒と実習などに取り組み、障害の特性などへの理解を深める。農福連携が広がる中、その担い手育成に乗り出した格好だ。(本田恵梨)

4月から県立山辺高校(奈良市)に「自立支援農業科」を新設する。同校には現在、農業が学べる「生物科学科」と、県立高等養護学校(田原本町)の2、3年生で農業を学びたい生徒が通う分教室があり、両校の生徒で野菜栽培などに取り組むこともあった。一方で、分教室では教育課程が異なり交流程度にとどまってしまう、高校卒業資格が取れない、などの課題があったという。

県学校教育課は「共通の授業や実習の機会をこれまで以上に充実させることによって、農業知識はもちろん、コミュニケーションも一緒に学んで相互理解につなげてほしい」と話す。

農福連携の担い手育成
新学科では、養護学校のサポートを受けながら、それぞれの障害の程度に応じて指導していく。分教室は段階的に移行。生物科学科は「生物科学探究科」として新たに設置する。

農福連携で生産した食品を認証する日本基金が18年度に行った調査では、多くの農業者が障害者の農業技術習得や障害者とのコミュニケーションに課題を感じているという。基金は「農作業経験のある障害者や障害特性に理解のある農業者が育成できれば、農福連携の広がりにつながる」と話す。

農水省によると、農福連携に取り組む農業経営体などは19年度末時点で4117。国は、農業高校などでの農福連携学習や特別支援学校での農業実習などを推進し、新たに取り組む組織などを24年度までに3000増やす目標を掲げる。

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農福連携は、障害者等が農業分野で活躍することを通じ、自信や生きがいを持って社会参画を実現していく取組です。農福連携に取り組むことで、障害者等の就労や生きがいづくりの場を生み出すだけでなく、担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性もあります。近年、全国各地において、様々な形での取組が行われており、農福連携は確実に広がりを見せています。

ライフステージで考えていくと、支援学校高等部の進路実習に農作業を提供する農業団体との連携があり、成人期では福祉施設と農業団体の農作業の事業委託の連携、そして、農業団体が実際に障害者を職員として雇用していくという流れがあります。先の高校の話は、農村地域での公立高校の定員割れ、支援学校高等部への発達障害生徒の増加という全国的な傾向の中での新しい高校教育のあり方の一つとして、インクルージョンと農福連携を模索している姿と言えます。

農業は作業の種類が多く、作業の内容も異なることから、障害者一人ですべての農作業をするのは困難です。しかし、農作業を切り分け、複数の障害者が一つのチームとなって、能力に応じてそれぞれが得意な作業を行うことで農作業も可能となります。更に、農作業をマニュアル化したり、農作業・農器具を工夫することで、障害者ができる農作業の範囲は拡大します。これから農業の経営も実際の農耕の作業もAI化が進み、人間の仕事は農場の整備や自動化できない収穫作業などに変わっていきます。

AI化には大規模化が必須となります。そうなると、今の個人経営では農業は成り立たず、自ずと団体経営や法人経営に変わっていきます。しかし、人口減による人手不足から、今でも外国人労働者を農業研修と言う名目で雇用していますが、これもある程度の規模の農地でないと雇用できません。人手を失った農地は手つかずの休耕地として年々増えています。傾斜地の棚田は、斜面の崩壊を未然に防いできました。また、水田は洪水や地すべりも防止しています。人手不足による農地の喪失は私たちの大切な環境資源を失うことにもつながります。

このようにして、農福連携は単なる障害者雇用の促進施策というより、先祖から引き継いできた農地を守り環境を守る大プロジェクトです。その一環として、後期中等(高校)教育のあり方を障害のある人も含めて考え変えていくことは大事な取り組みだと思います。

教員免許更新制、文科省が廃止検討

教員免許更新制、文科省が廃止検討 うっかり失効の原因

2021年7月12日 【朝日新聞】

教員免許に10年の期限を設け、更新前に講習を受けないと失効する「教員免許更新制」について、文部科学省が廃止する方向で検討していることが、政府関係者への取材で分かった。教員の資質確保を目的に第1次安倍政権時代の2009年度に始まったが、教員の負担が増え、教員不足の一因にもなっていると、学校現場から批判が出ていた。

更新制については萩生田光一文科相が3月、中央教育審議会に「抜本的な見直し」を諮問した。中教審では廃止論が大勢で、8月にも廃止の結論を出す見通し。これを受け、文科省は廃止を表明し、来年の通常国会で必要な法改正を目指す方向だ。廃止となった場合、教員が受けてきた30時間以上の更新講習の代わりに、オンラインによる教員研修の充実などが検討されている。

更新制は「不適格教員の排除」を目的に自民党などが導入を求め、「教員の資質確保」に目的を変えて09年度に始まった。無期限だった幼稚園や小中高校などの教員免許に10年の期限を設け、期限が切れる前の2年間で計30時間以上、大学などでの講習を受けなければ失効するしくみだ。

ただ、夏休みなどに自費で受ける講習は多忙化する教員に不評で、文科省が今月5日に公表した調査では、約6割が講習に不満を抱いていた。更新期限があるため、定年退職前の教員が早期退職する動機となったり、産休や育休をとる教員の代わりに任用する教員が不足したりと、教員不足の一因とも指摘された。また、制度が複雑なため、現職教員が更新を忘れて教壇に立てなくなる「うっかり失効」も相次いでいた。

これまでの中教審の小委員会で文科省は、都道府県などが行う教員研修をオンラインなどで充実する案を提示した。委員からは「こういうことができれば更新制でなくてもできるのではないか」などと賛同する発言があり、廃止論が大勢となっている。(伊藤和行)

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記事にもあるように、この制度は指導力不足教員問題から教員の質を確保するために作られた制度ですが、案の定、ただの研修制度として骨抜きにされた経過があります。「指導力不足教員」は法令(教員免許法改正法の施行通知)では「指導が不適切である」教諭等と表現されています。「指導が不適切である」ことの認定について、教育公務員特例法の一部改正関係(第25条の2第1項関係)には、以下のように記載されています。

「指導が不適切である」ことに該当する場合には、様々なものがあり得るが、具体的な例としては、下記のような場合が考えられること。
各教育委員会においては、これらを参考にしつつ、教育委員会規則で定める手続に従い、個々のケースに則して適切に判断すること。
1 教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない場合(教える内容に誤りが多かったり、児童等の質問に正確に答え得ることができない等)
2 指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない場合(ほとんど授業内容を板書するだけで、児童等の質問を受け付けない等)
3 児童等の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合(児童等の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童等とのコミュニケーションをとろうとしない等)

簡単に言えば、児童に合わせた学習内容が作れず、児童に合わせた指導ができず、児童の気持ちが理解できない教員です。これだけでは、多くの教員が当てはまりそうですが、重要なのは3番目です。学習内容や指導方法の良し悪しは教員のキャリアやスキルの問題ですから指導を受ければ改善できます。しかし、相手の気持ちが理解できない問題は訓練を受けても簡単には改善しません。

更新制は知識だけを更新する座学なので、このタイプの教員の課題を支援する研修にはなり得ていないというのが現場の感覚かもしれません。むしろ、このタイプの教員は座学研修はしっかり受けるまじめな方が多いようにも思います。更新研修を受けても、現場で失敗したことを自分からうまく謝れなかったり、自らの間違いを認めず、児童の問題にしてしまう等の社会性の課題は解決しません。更新制は、教員の資質向上を掲げたけれども一部の教員には効果がないのです。

一度決めてしまうと効果がなくてもいつまでも変えられないと、感染防止施策をあげてこのブログで非難してきましたが、やればできるじゃないのと少し政府を見直しています。願わくば、プール授業の中止や校外行事の見送り、屋外のマスク着用等、根拠のはっきりしない学校感染防止施策も、効果のないものとして文科省が必要なしと例外なくキッパリと指示を出し、さっさと撤回させてほしいと切に思います。

いじめを受けて学校が行った「仲直りの会」を疑問視

いじめを受けて学校が行った「仲直りの会」を疑問視 いじめ問題専門委員会〈仙台市〉

7/8(木) 【仙台放送】

2018年、仙台市泉区で母親が女子児童と無理心中した事件で、7月7日、仙台市のいじめ問題専門委員会が開かれ、いじめの訴えを受けて学校が行った「仲直りの会」について、疑問の声が上がりました。

7日、調査部会でいじめの再発を防ぐ提言などの協議が行われ、当時小学2年の女子児童へのいじめを受けて学校が行った「仲直りの会」に、多くの委員から疑問の声が上がりました。

いじめ問題専門委・調査部会 甲斐田沙織 委員
「仲直りの会って、そんなに簡単にできるものかなと。非常に安易に行なわれていた」

いじめ問題専門委・調査部会 新免貢 委員
「学校側が善意で行っていることでも、児童生徒には、そのこと自体がプレッシャーであると私は感じる」

学校は当時、女子児童の母親からいじめの相談を受けたわずか6日後に「仲直りの会」を開いていて、委員からは「事実確認をした上で行うのが望ましい」という声も上がりました。

いじめ問題専門委・調査部会 小野純一郎 部会長
「委員は長期欠席などにつながるようなきっかけになってしまったんじゃないかと
「仲直りの会」のやり方がもう少しきめ細かくやった方がよかった」

仙台市の「いじめ防止基本方針」は、被害児童が関係改善を望み、加害児童の内省の深まりが確認できた場合は、謝罪や和解の場を設けるとしていて、調査部会は「仲直りの会」のあり方についても、提言としてまとめる方針です。

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「握手して」「ハイ仲直り」喧嘩の際にはこの指導はありですが、いじめの場合は成り立たないです。いじめは一方的なもので、仲直りと言うのは被害者にも落ち度があると暗に示しているようなものです。こんなポンコツな生徒指導をした学校も学校ですが、これを調べている専門委員会が3年前の話を扱っている事の方が驚きでした。母子が無理心中で亡くなった原因が、学校のいじめであったことを世間が知ったのは、事件から僅か半年後の父親の会見でした。

最初は亡くなった児童の小学校の父母に児童の急死を知らせる通知こそあったものの、それ以上の説明は学校からはなかったのです。憤った父親は娘の遺したメモを手に会見を開いたのです。
《しにたいよ しにたいよ なにもいいことないよ わるいことしかないよ いじめられてなにもいいことないよ しにたいよ しにたいよ》
メモ用紙いっぱいに鉛筆書きの平仮名で「しにたい」の4文字が繰り返されていました。児童は登校渋りが増え校長室登校をしていたと当時の関係者は言います。

父親は、『娘は同級生からいじめを受けており、母親もいじめへの対応で体調を崩して友人づきあいが減った』と明かし、そのうえで『学校に繰り返し相談したが、表面的な対応が続いた』として無理心中の責任は学校にあると訴えました。メモは事件当時に児童が書いたものだと言います。お母さんは、わが子を守るために何十回も学校を訪れ、地域の一部の住民は、『モンスターペアレント』と心ない噂を立てる人もいたそうです。

母親が、遺したメモには、《今回の事が将来にわたり影響が及ぶ可能性が大きいことを重く認識してほしい。娘の学習する機会、心身の健康が奪われている。いつかの時点で本当に自殺する事があれば、今回の事が原点である事を訴え続けていきます》と書いてあったと言います。学校の誰が思いついたのか明らかではないですが「仲直り会」は、無理心中の引き金になったとしても不思議ではありません。

しかし、こうした全容を明らかにするのに事件から3年もかかり、まだ検討を続けているというお粗末さです。加害者の子どもや保護者への配慮があったのかもしれませんが、母子が二人亡くなっているのですから、せめて母子の親族には真実を早く知らせよう、間違いがあったら早く正そうと言う気持ちは働かないのでしょうか。遅くても真実を明らかにするに越したことはありませんが、親族がこの件を提訴しなかったことを良いことに結論を先に延ばしていると言われても仕方がないと思います。

不登校になった「きょうだい児」

不登校になった「きょうだい児」 兄に響いた先生の言葉 佐藤仙務

2021年7月8日 【朝日新聞】

私が養護学校の小学1年生だったとき、普通学校に通っていた二つ年上の兄が不登校になった。小学3年生の夏ごろから1人で学校に行けなくなった兄は、よく母と一緒に私が通う名古屋の養護学校についてくるようになった。

当時小学1年生だった私は、そんな生活を少し不思議に思うくらいだったが、おそらく母は「このまま一生、学校に行かなくなるのではないか」と心から心配していたはずだ。

学校に行かなくなった兄障害児の僕と迎えた小4の春
母としては、何とかして学校に行ってもらいたい思いがあり、兄と交渉した結果、一緒に学校に行くことで話がついたようだった。日中は母に教室の後ろにいてもらい、教室で一緒に過ごす。そんな日々が始まった。

それから母はますます忙しくなった。朝は父を会社へと見送り、そして5年生の長男を小学校へ見送った後、私と不登校の兄を車に乗せ、私の通う養護学校に向かう。私を送り届けたら、今度は兄と小学校に行って、一緒に教室で過ごす。もちろん放課後になると、母は兄を連れて養護学校まで迎えに来てくれる。兄は日によって、母が付き添っても学校に行けない日もあった。

小4の春、先生と出会う
そんな生活を続けて、兄が小学4年生になった春のこと。転機が訪れた。4年生になった兄のクラスの担任が新しい先生へと代わった。当時50代ぐらいの女性の先生だったのだが、兄が不登校になっているといううわさを耳にし、以前から気になっていたという。その先生は自身のお子さんが不登校だった経験もあったそうで、きっと不登校だった私の兄のことを放っておけなかったのだと思う。

先生は本当に優しくて明るい人だった。4年生になっても母と登校する兄に対して「1人で学校に来なさい」ということを言わなかった。むしろ学校は無理に行くべき場所ではないという持論を持っていた。それに先生は教室の後ろで兄を見守る母を決して邪険にすることなく、「私では分からない目線で、お母さんが気付いたことを何でも教えて」と言っていた。

兄は先生のことをとても信頼しており、「学校が終わったら家に遊びに来て」とよく言っていた。先生は多い時には週何回も家に立ち寄ってくれた。

先生の言葉が兄に届いた
だが、そんな怒濤のように思えた生活にも終わりが訪れる。それはある日、先生が学校でふと兄にこう言ったことがきっかけだ。

「もし途中で帰りたくなったら、先生がすぐに家まで送ってあげる。」

きっと、他の先生が同じことを言っても兄は首を縦に振ることはなかったと思う。でも、先生がそう言うならと、学校に1人で行くチャレンジを始めた。

これは後日談だが、先生は当初から兄の不登校を深刻に捉えていなかったらしい。ただ、先生は年の近い弟が障害児である兄にとって、母親を私に取られている感覚がしているはず、と心配していたようだ。だから先生は、兄が母と一緒に学校に行くことも決して否定せず、教師としても全力で愛情を注いでくれた。

今度は僕が、兄の学校へ
それからというもの、兄は不登校ではなくなり、学校もほとんど休むことはなかった。そして私も兄がきっかけで、その先生と仲良くなることができた。先生は小学4年生の兄の担任を終えた後、今度は一つ下がって3年生の担任になった。その頃私も3年生になっていたので、先生の計らいで兄の通う学校に行く機会が増えた。

先生のクラスで健常児のみんなと交流を深めた。当時私は、養護学校で過ごす日々を日記で記していたのが、それを見せると興味津々で見てくれたことがうれしかった。

私はずっと養護学校ではなく、一般の小学校に行きたいと思っていた。でも実際に行ってみると、思っていた以上に大変な部分もあった。少人数の養護学校と違い、大人数の子どもたちの中で過ごす上で、自分の居場所や役割というものをどこで見いだせばよいのか分からなかった。その時、何となくだが、兄の学校に行きたくないという気持ちも理解できた気がした。

あらためて気づいた「養護学校もいいところ」
それからも兄はときどき、私の通う養護学校に遊びに来た。そして、恒例のように学校に来るたびに目をキョロキョロさせ、ボールプールを見つけては、間髪入れずに勢いよく飛び込むのだ。手足をバタバタと動かし、ケラケラと笑いながらも、いつかと同じように私にこう言うのだ。
「学校にボールプールがあるなんていいなー」
私はやっぱり幼稚な兄だなと思いながらも、少しニヤッとしてこう返した。
「養護学校も、なかなか良いところでしょ」

あれから20年以上の月日が経つが、先生は今でも不登校の子どものための支援をしているという。そして兄も今では、家庭を持ち、この春からランドセルを背負うことになった女の子の父親をしている。(佐藤仙務)

佐藤仙務
佐藤仙務(さとう・ひさむ)
1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。
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障害児の「きょうだい」(ひらがな表記は姉妹や兄妹、姉弟も表現するから)支援の必要性は、問題が起きない限り見過ごされがちです。保護者は障害のあるきょうだいの事で手いっぱいの場合もありますし、共働きだとどちらの親にも余裕がありません。それを小さな時期から感じ取って甘えたくても我慢する日常が続くとしんどくなるきょうだいもいます。それを見ている障害のある当事者からの視点が今回の記事です。

当事者のみんながこの様に感じているわけではないのでしょうが、低学年なのに、兄や担任の分析が的確だと思いました。そして、一言一句漏らさず兄と担任のやり取りを知っているところは、家族がオープンな関係を大事にしているのだろうと感じました。障害のある当事者も含めた家族もまた、健常者の兄を支えているのだろうと思います。

一般的に言うきょうだい児問題は幼少期の問題ですが、障害のあるきょうだい児の問題は成人になっても続きます。親が当事者を支えられなくなった後の問題や、結婚問題なども深刻にとらえている人は少なくありません。これらを家族だけで支え合うのは困難です。公的な相談支援や同じ境遇のきょうだい同士のピアカウンセリングなどをすすめていく必要があると言われています。

「難聴を知的障害と誤診」中2女子、事業団を提訴

「難聴を知的障害と誤診」中2女子、北九州市福祉事業団を提訴

2021年7月6日 【毎日新聞】

北九州市の難聴の中学2年女子生徒(13)が、幼少期に市立総合療育センターで適切な検査を受けないまま知的障害と誤って診断され、実際は難聴と判明するまで約7年半にわたって適切な治療や教育が受けられなかったとして、センターを運営する市福祉事業団に約2000万円の損害賠償を求め、福岡地裁小倉支部に提訴した。6日に第1回口頭弁論があり、センター側は請求棄却を求めた。

訴状などによると、2歳のころから言葉の遅れが見られていた女子生徒は、3歳だった2011年にセンターで知的障害・広汎(こうはん)性発達障害と診断された。だが、知的障害児向けの特別支援学校で小学5年生になった18年、担任教諭から「唇の動きを読んでいるので、耳が聞こえていないのでは」と指摘され、他の病院の検査で難聴と判明。一部の音は聞こえるが不明瞭で、言葉として聞き取ることができない「オーディトリー・ニューロパチー」と分かった。

原告側は、センターで適切な聴力検査を受けられなかったために知的障害と誤診され、成長を発達させる重要な時期に言語獲得や適切な療育を受ける機会を奪われたと主張している。

女子生徒は現在、人工内耳を埋め込む手術を受け、声を出して簡単な会話もできるようになった。6日の弁論にも出廷し、裁判長に向かって「よろしくお願いします」とあいさつした。母親(39)は取材に「何度も難聴ではないかと訴えたが検査を受けさせてもらえなかった。センターは過失を認め、責任を持って向き合ってほしい」と話した。

市福祉事業団は取材に「具体的な主張の中身は裁判で明らかにする」とコメントした。【成松秋穂】

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極端に悪い聞き取り―オーディトリー・ニューロパシー
知的・発達障害と診断される子も

2020/08/25【時事メディカル】

東京医療センター臨床研究(感覚器)センター 名誉センター長 加我君孝医師

オーディトリー・ニューロパシー(AN)は、1996年に初めて報告された聴覚障害だ。同年に発表された2件の論文のうち、一方を報告した東京医療センター(東京都目黒区)臨床研究(感覚器)センター名誉センター長の加我君孝医師は「特に子どものANは、言葉の発達のためにも早期に発見して治療を行う必要があります」と話す。

言葉の発達が遅く、聞こえに心配があれば、早めに聴覚専門の医療機関へ

▽検査によっては正常に
ANを発症すると、中、高音域は音として比較的よく聞こえるのに、言葉の聞き取りが極端に悪くなる。聞こえの程度を調べる純音聴力検査と、正確に聞こえているかを見る語音聴力検査で、内耳に障害がある難聴(感音難聴)とは異なる特徴を示す。

また、音を受け取る内耳に障害がないかを調べる歪(ひずみ)成分耳音響放射検査(DPOAE)と、内耳から脳への聴神経の伝達経路に異常がないかを調べる聴性脳幹反応検査(ABR)を行うと、通常の感音難聴とは違う結果が出る。

加我医師は「通常の感音難聴はDPOAEもABRも無反応ですが、ANはDPOAEが正常、ABRが無反応となります。内耳では聞こえているのに、脳で聞き取れない状態です」と説明する。

▽3歳までに人工内耳を
問題は、ANが疑われる新生児が、先天性難聴の約5%前後存在することだ。新生児の聞こえを調べる新生児聴覚スクリーニング検査が推奨されているが、検査自体を行っていない施設もあり、行っていてもDPOAEのみだとANが見逃されてしまう。加我医師は「ANによって言葉の遅れが目立つ子どもは、知的障害や発達障害と診断されてしまうことも少なくありません」と指摘する。

新生児ANの場合、発達とともに主に〔1〕ABRが正常化して聴覚と言語の障害がなくなる〔2〕DPOAEも無反応となり重度の難聴になる〔3〕DPOAEもABRも変化なし―のいずれかになるという。変化は1~3歳ごろまでに生じるため、いかに早い段階で発見して治療を行うかで、言葉の成長が大きく左右される。

治療は、多くの場合が人工内耳手術の適応になるが、一部に補聴器が有効なタイプもある。子どもに人工内耳を入れる場合は、成長の過程を考えると、遅くても3歳くらいまでが望ましい。

加我医師は「言葉の発達が遅く、少しでも聞こえが心配だと感じたら、周囲の意見に惑わされず聴覚専門の医療機関を受診してください」と呼び掛けている。精密聴力検査が可能な医療機関は、日本耳鼻咽喉科学会のホームページで確認できる。(メディカルトリビューン=時事)

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就学相談で子どもの観察をしていた時、知的障害か難聴か迷った事があります。加我君孝医師が言うように、前から名前を呼べば一見聞こえているように見え、しかし、顕著な言葉の遅れがあるので知的な遅れかと思うケースです。また、言葉は知的発達だけでなく対人関係にも大きな影響を与えますので、難聴が放置されていると、対人関係も悪そうに見えてASDかもと思う事もありました。その中に、僅かですが難聴の子どもがいたのです。保護者ですら難聴とは微塵も思っていないケースもありました。

新生児の聴力スクリーニング検査には成分耳音響放射検査(DPOAE)も、内耳から脳への聴神経の伝達経路に異常がないかを調べる聴性脳幹反応検査(ABR)も検査機器がコンパクトになっていて簡易に実施できます。しかし、幼児検診では、難聴は早い段階でスクリーニングされているという思い込みもあり、オーディトリー・ニューロパシー(AN)を見落としやすい原因になります。

この障害は1996年に初めて報告された聴覚障害ですから一般には良く知られていないかもしれません。そして、難聴そのものは0.4%の確率でほぼ乳児期にスクリーニングされているので、言語聴覚士など聴覚のスペシャリストがいないと、ANが見落とされる可能性はまだまだ高いかもしれません。ただ、記事のケースは、親が難聴かも知れないと幼児期に訴えているのに検査もせずに医師が診断していたとなれば、普通ではあり得ない対応だと思います。

大谷、球宴での二刀流が決定

大谷、球宴での二刀流が決定 エンゼルス・マドン監督が明言
スポーツ

2021/7/6 【毎日新聞】

米大リーグ、エンゼルスのマドン監督は5日、大谷翔平(27)がオールスター戦(13日・デンバー)で、投打の「二刀流」でプレーすると明言した。アナハイムでのレッドソックス戦前に「投げることについては結論が出ている」と語った。

ア・リーグを指揮するレイズのキャッシュ監督と既に話し合っており、登板する場合は1イニングを見込んでいたという。マドン監督は「どう投げるかについては結論が出ていない。先発で投げるのか、途中から登板するのかいろんな方法がある」と話した。

大谷はファン投票でアの指名打者(DH)部門で初めて選出された。4日には選手間投票により先発投手部門でも選ばれ、史上初の投打同時選出を果たした。前日恒例の本塁打競争にも出場が決まっている。

オールスター戦では公式戦同様にDH制が採用されるため、登板するにはDHを解除する必要がある。

大谷は今季、投手で12試合に登板し、3勝1敗、防御率3・60。打者では4日終了時点で78試合に出場して打率2割7分8厘、リーグトップの31本塁打、67打点、12盗塁。

5日には、6日午後6時38分(日本時間7日午前10時38分)開始予定の本拠地でのレッドソックス戦先発に備え、投球練習をした。球宴では登板間隔によって実際に投げない投手もいるが、大谷は中6日と十分に間隔が空く。(共同)

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投手でも打者でもメジャーリーグで活躍するなんて無理に決まっている、という常識を覆して二刀流でアメリカ全土を沸かしている大谷翔平は、オールスター戦の前座の本塁打競争も本番の投手も指名打者(DH)でも選出されました。何より、選手たちの投票で先発投手が決まったと言うのですからこれは快挙です。

指名打者と投手のどちらも無理なく出場できるようにとオールスターのルールを変える動きも*あると言います。アメリカではワクチン接種も進み野球場の人数制限もマスクも解除しているそうです。既成のルールに縛られずに、良いものは良い、変えるべきものはさっさと変えていくというのは、アメリカ文化の良いところです。

日本の野球シーンは、阪神タイガーズの「今年こそ優勝!」の勢いに甲子園は応援のファンで連日燃え、甲子園で観客を入れて実施する高校野球の地方大会は全国各地で熱い戦いが始まりました。それなのにオリパラは、陽性者がまた増えてきたと、無観客もやむを得ないと連日報道されています。同じ先進国でありながら、同じ国内でありながら差が大き過ぎると思います。

当然、今後も加速度的にワクチン接種は進み重症者が減って行くのは、欧米の様子を細かに知る政府には予測がついているはずです。このまま行くと、同調圧力に弱く、決めたことがなかなか変えられないという、我が国の一番ダメなところをオリパラで世界に示すことになります。ワクチン執行もオリパラ推進も世界一だと示せるように、二刀流の大谷選手の活躍から学びたいものです。

*DH制は投手の代わりで野手無しの専門打者として登録する。MLBルールで大谷が投手をするには、DH(指名打者)を果たした後DHを解除して投手になるしかないので、大谷の投球ウォーミングアップが不十分になり身体ダメージが大きい。自チームの選手シフトもやや不利になる可能性がある。

教諭の叱責で不登校「わが子も同じ」保護者から反響

教諭の叱責で不登校「わが子も同じ」保護者から反響 毎日嫌だと涙/授業の前に気分悪く

7/5(月) 【岐阜新聞】

岐阜県内の小学校で児童が担任の教諭の叱責(しっせき)をきっかけに不登校になっている問題を取り上げた「あなた発!トクダネ取材班」の記事を受け、取材班のLINE(ライン)には、複数の保護者から「わが子も先生に怒られて学校に行けなくなった」という声が寄せられた。教育関係者からは「学校も指導の在り方を見直すべきだ」との声が上がった。

可児市の40代の女性は、小学5年の長男が「先生に怒られるのが怖い。話しかけても怒られるだけ」と登校を渋っていると話す。きっかけは週に1回の花の水やり当番を忘れ、担任の教諭に叱られたこと。忘れた本人が悪いことは理解しつつも、「叱るべきところで叱るのは当然だが、一人一人性格が違うのに全員に完璧を求めるのはどうなのか」とも思う。

「毎日なんとか頑張って学校に行っているが、担任は『来て当たり前、嫌なことがあるから逃げるのはずるいよ』と長男に言い、さらに追い詰めていると感じる」という。「毎日嫌だと泣く中、学校に行かせ続けて良いのか本当に困っている。私も甘やかして育てたのかと、自問自答の毎日だ」と複雑な胸中を明かした。

県内の別の女性は娘が小学1年の時、合唱祭に向けた練習中に教諭の厳しい指導を受け、一時不登校になった。その後叱責はなかったが、音楽の授業の前になると、めまいを起こしたり気分が悪くなったりする症状が2年生になるまで続いた。

「2年生での担任は若い先生だったが、娘の話をちゃんと聞いてくれた。ささいなことでも褒めてくれたり、悩んでいたら励ましてくれたり。様子を見ながら対応してくれたことで娘は乗り越えられた」といい、現在は問題なく通えているという。「褒めて育てると言われる世の中で、叱る指導は逆効果なのではないか」と疑問を投げ掛けた。

学校現場を知る関係者にこの問題について尋ねると「指導をきっかけに児童が教員を怖がり、学校に行けなくなるケースはよく聞く」との声が上がる。

県内のある小中学校関係者は、「厳しい先生に低学年学級を受け持たせると学級のまとまりが生まれ、3年生以降も教職員の指示をよく聞き、それが良いこととされる時代があった。だが不幸な子を生んでいるのなら、学校も考え直すべきだ」と話す。

「昔よりも保護者の教員に対する『かくあるべき』という許容範囲が狭くなっているのは確かだが、保護者や児童に理解されてこその教員だ。プロとして対応していかなければ」と言い切る。「問題が起きた際に、教員と児童の間で生じたずれを修復するためにも、学校と保護者が協力して何がいけなかったのかを振り返り、改善に取り組む必要がある」と強調した。

県立高校の男性教諭(42)は、過去に定時制高校で勤務していた時を振り返り、「生徒の6割が小中学校で不登校を経験しており、絶対に怒鳴ってはいけなかった。生徒は繊細で、必要がない場面で怒鳴ると恐怖や理不尽さを感じさせるのだということを常に意識していた」と明かす。

「厳しい指導で子どもは伸びる」「親が叱らなくなった今だからこそ、学校が叱らなければ」と考える教職員もいるというが、「100人のうち99人がその指導で育ったとしても、1人が教員のせいで学校に来られなくなることは公教育の場では許されない。こぼれ落ちる子の原因になっていることを学校は自覚すべき」と指摘する。

その上で「教室は閉鎖的な空間で、教職員が『自分が正しく導かなければ』と悪意なく指導をエスカレートさせやすい。違う目線を持った第三者の存在が学校には必要ではないか」と述べた。

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「叱咤」は、大声をあげて叱る、あるいは叱って励ますこと。「叱責」は、責任者が下の者の失敗や過ちをきつく非難すること。 要するに大声を上げたり、心が痛むほど叱ることを言います。私たちが、学校にお迎えにいっても他人が見ていることもお構いなしに、子どもをしかり飛ばしている光景をたまに目にします。先生ご本人は、子どもとの信頼関係の中で大声を上げているのかもしれませんが、それは独りよがりな大きな勘違いです。

定時制高校の先生が言うように、不登校経験者の中には発達障害の子もいて、彼らには叱責へのトラウマがあります。発達障害のために不注意や配慮に欠けた言動で叱られ、幼少期から言っても言っても繰り返すので、声を荒げる大人も少なくありません。その結果、大きな声や叱責に対して敏感に反応する子どもが多いのです。また、虐待は世代間で繰り返すと言われますが、不適切な躾も繰り返されます。怒鳴られて育てられた子は、成人して無自覚のままだと怒鳴って躾をするしか術がないのです。しかし、教員であるならこれは言い訳に過ぎず、指導力不足教員と言わざるを得ません。

教員の中にも、怒鳴られて育てられた人はいます。しかし、教員自身の家族性の問題を公教育に持ち込まれたら先生を選べない子どもはたまったものではありません。職場の同僚は、こうした先生には気づいています。しかし、触らぬ神になんとかで放置したままか管理職に押し付けてしまいます。管理職は、逆切れされて教員からパワハラを訴えられるのを気にして毅然と指導できないこともあると言います。人格の尊重を学ぶ場で、子どもの人格が傷つきトラウマを持ってしまう事ほど理不尽なことはありません。

都立高入試の男女別定員「候補者は姿勢示して」

都立高入試の男女別定員「候補者は姿勢示して」弁護士ら議論求める

2021年7月3日 【東京新聞】

東京都立高校の男女別定員制は廃止すべきではないかー。同じ高校に入るのに男女で合格最低点に著しい格差があり、是正措置を講じても女子が男子より数十~百点以上高い学校もあったことが、本紙が情報公開請求した資料で分かった。多くの場合で、女子の方が高い点数を取らないと合格できないのは不公平だとして、都議選の争点にするよう求める声もある。(奥野斐)

◆「時代の流れに逆行」
「能力に応じて等しく教育を受ける権利を保障する憲法や、性別による教育上の差別を禁止した教育基本法に反している」
制度の撤廃を目指す「都立高校入試のジェンダー平等を求める弁護士の会」は6月下旬に記者会見し、男女別の定員制と合否判定の撤廃を求めた。性的少数者への配慮から、願書の性別欄をなくす動きが広がっていることも踏まえ「多様な個人のあり方を尊重する時代の流れに逆行している」と指摘した。

都教育委員会によると、男女別定員は都立高の全日制普通科110校で設定。入試の募集人数は、都内公立中学3年の男女比率に応じて決められている。2021年度入試の募集定員は、およそ男子52%対女子48%で、ある高校では男子132人に対し、女子122人と、10人の差があった。男女別定員制を採用しているのは、全国の都道府県立高で都が唯一とされる。

◆合格最低点が男子より243点高い例も
都教委は男女の合格最低点の差を縮小するため、定員の9割まで男女別に合否判定し、残りの1割を性別に関係なく合格者を決める緩和策を導入。今春の入試では42校が利用した。

本紙は、緩和を実施した学校長が是正状況を答えた資料を入手。学校名などは伏せて開示された。合否は多くの場合、内申点(300点満点)と筆記試験(700点満点)の合計で決まる。15年度入試では、是正後の合格最低点が243点も女子が男子を上回るケースがあった。20年度入試でも、女子が男子より50~70点余り高い学校が少なくとも4校あった。

予備校講師で受験コンサルタントの新野元基さんは、点数差が生まれる背景に私立校の影響を指摘する。「私立の女子校で高校から入学できる学校が減っている。特に中から上位校を志望する女子の選択肢が限られ、都立の倍率が上がる傾向がある」と分析し、私立校を含めた入試制度全体の見直しを求めた。

今春、都立高1年になった女子生徒の母親(48)は「この入試制度は不公平と感じた」と話す。女子の枠が小さく、男子より倍率が高い学校が目立った。「男女別をなくした方が個人の能力に見合って受験できる」

都高等学校教育課の担当者は「定員がある以上、同じ点数で女子が入れないケースはある。男子の方が倍率が高く、高い点数でないと入りにくい学校もある」と説明。一概に女子が不利ではないとの見解だ。

◆都議会でも制度に疑問
こうした中、現役都立高教諭らが5月下旬、男女別定員制を廃止し、性別で不利にならない入試をしてほしいとネット署名を始め、既に3万筆余が集まった。

都議会でも制度に疑問を投げ掛ける質問が出た。6月議会では、藤田裕司教育長が「男女別定員による不公平感を低減し、より男女平等な入学者選抜を目指す」と答弁した。

「弁護士の会」のメンバーで、自身も都立高出身の山崎新弁護士は「都は点数差と格差の是正の方策を速やかに明らかにしてほしい」と話す。最終盤に入った都議選についても「候補者はこの問題への自らの姿勢を明らかに」と訴えた。

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確かに試験に男女の格差を設けるのはおかしいです。(消える公立高願書の性別欄:02/08)でも書きましたが、要するに「女子の方が成績が高い」から「男子が少なくなる」ので男には下駄をはかせて、学校が男女同数になるようにしているということです。私学なら男子校も女子高もあり、男女同数の学校がわが校の教育コンセプトだと言えば通りますが、公立の場合はそう簡単にはいきません。男女平等に成績で選別するのと、男女の人数差が生じないように男女枠定員を設けるのとでは、前者が公平に決まっています。後者を取るならば、世の中には障害者も1割いるのだから公立高校に障害者枠を設けよという議論になります。第一、男女以外も含めて性差に敏感になっている風潮の中で男女枠を設けること自体が制度疲労と言えます。

ただ、気になるのは選挙の争点にするという動きです。この弁護士会は都議選の「候補者はこの問題への自らの姿勢を明らかに」して、政争の具にしたいのでしょうか。性別の問題は欧米のように政治化したり裁判をして解決するとは思えません。公教育はあらゆる市民に開かれたものですから様々な意見を聞く必要がありますが、今回の入試の男女枠問題は選挙で解決するような問題ではないと思います。手元に資料はないのですが、この男女枠がかつては女子の高校教育の拡大に寄与したのかもしれません。制度には必ず理由があるはずですから、それを明らかにしながら、結論として時代に合わないのなら変えれば良いと思います。

「男子の方が倍率が高く、(男子が)入りにくい学校もある」と性別枠組みを肯定したポンコツ発言を役人がするから炎上するのは無理もないですが、だからと言って一足飛びに政争の具にする内容ではないと思います。政治化するぞと脅したり、対立を煽ることによって余計に本質が見えなくなり、反対するものを袋叩きにするようなことは今回のコロナ騒ぎでも経験しているはずなのに、懲りない人がいるものです。

最年少12歳・開心那「緊張は感じていない」 スケボー代表

最年少12歳・開心那「緊張は感じていない」 スケボー代表会見

2021年7月1日 【毎日新聞】

東京オリンピックで初採用されるスケートボードの代表選手が1日、オンラインで記者会見し、パーク女子代表に選出された12歳の開心那(ひらき・ここな)=hot bowl skate park=が「緊張は何も感じていない。自分の国で開催される五輪で初めて代表になれてすごくうれしい」と笑顔を見せた。

パークは、複雑に湾曲したくぼ地状のコースで技や滑りを競い合う。日本オリンピック委員会(JOC)によると、記録が残る中では1968年メキシコ五輪に13歳で出場した競泳女子の竹本ゆかりを抜き、夏季五輪で日本選手最年少となる。

開は北海道出身で、小さい頃から苫小牧市のスケートパークなどで技を磨いてきた。名前は南国好きの母が「ココナツ」にちなんで名付けたという。10歳で出場した2019年日本選手権で初優勝し、米国で行われた同年の五輪予選対象大会、デュー・ツアーでも3位に入った。

現在の世界ランキングは日本人3番手の6位。1位の岡本碧優(MKグループ)、2位の四十住さくら(ベンヌ)とともにメダルの期待が高い。開は本番に向けて「五輪では自分の力を出し切りたい」と意気込みを語った。【浅妻博之】

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和歌山県の四十住さくら選手(19才)がメディアを賑わせていましたが、今度は中1の選手です。オリンピックで行われる種目は2つで、街の中を滑るようなコースで技を競う「ストリート」と、複雑な形のコースで技を競う「パーク」です。四十住さくら選手も開心那選手も後者でオリンピックに出場します。北海道で5歳から練習を重ね、段々と技を出せるようにもなっていった開心那さんは、2018年にはVANSアジアで優勝、世界選手権では7位に入賞。2019年には日本選手権のパーク女子で10歳にして初優勝しました。その試合がきっかけとなり強化選手に選ばれています。

スケートボードは年齢制限が設けられていません。そもそも、オリンピック自体に年齢制限がある訳ではなく、競技ごとに年齢制限が決められています。ボクシングは17歳~34歳、飛び込みは15歳以上といった年齢制限があります。危険が伴うようなスポーツには年齢制限が設けられているようです。スケートボードは危険がないと言えば嘘になりますが、今のところ年齢制限の話はありません。今回は最年少オリンピック出場者と言われておりこれでメダリストになればと活躍が注目されています。

 

「発達障害の子、退園も」保育施設の規則

「発達障害の子、退園も」保育施設の規則に 差別解消法抵触の恐れ

2021年6月30日 【毎日新聞】

東京都世田谷区にあるスポーツ教育をうたう認可外保育施設の規則に、「発達障害で園生活に支障があるときは退園してもらうことがある」という趣旨の記載があることが毎日新聞の取材で判明した。障害者の差別的取り扱いを禁じる障害者差別解消法に抵触する可能性があり、監督権限を持つ世田谷区は施設に対し修正するよう助言している。

この保育施設は「バディスポーツ幼児園世田谷校」。運営会社のホームページ(HP)などによると、2~5歳児を対象に、保育のほかスポーツに特化した教育を実施している。この施設のほか、都内と神奈川県に系列園や姉妹園が計7カ所ある。

施設は入所希望の保護者らを対象にした説明会で園の規則を配布している。そこには「園児が自閉症、注意欠陥・多動性障害などの発達障害と診断され、または園児にその恐れがあり、当園にて今後の園生活や体育全般に支障があると判断される時は、子どもの成長、発達を考慮し特別支援教育への移行を促し、退園していただく場合がある」などの記載がある。

施設は2019年10月から始まった幼児教育・保育無償化の対象で、国が定めた認可外保育施設の指導監督基準を満たしているとして区の上乗せ補助も適用されている。区は「立ち入り検査の際、規則の文言が解消法に抵触する可能性があると判断したため口頭で園側に修正を助言した」(保育認定・調整課)と話している。

毎日新聞はこの規則の意図などについて、園の運営会社に書面で取材を申し込んだところ、6月22日に「区と相談しながら内容の修正を行っている」と回答があったが、実際に退園児童がいたかどうかなど詳しい説明はなかった。

16年4月施行の障害者差別解消法は、公的機関や民間事業者に対し障害者の差別的取り扱いを禁じている。今年5月には障害がある人の移動や意思疎通などを無理のない範囲で支援する「合理的配慮」を民間事業者に義務付ける改正法が成立した。

厚生労働省保育課は、発達障害を理由にした退園規則について「これまで確認されたケースはない。認可外保育施設の利用はあくまで個別契約の範囲だが、一般論でいえば障害者差別解消法に抵触するおそれがある」と説明する。

同法に詳しい名城大の植木淳教授(憲法)は「(障害者への)不当な差別的取り扱いに当たる可能性が高い」としたうえで「保育士には障害教育に対する一定の知見が求められていることからすると、発達障害の事実だけで保育に支障をきたすということは通常考えられない」と指摘した。【遠藤大志】

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障害者差別だとレッテルを貼るのは簡単ですが、どういう経緯でこういう表記になったのかを取材してほしいところです。認可外の保育施設が該当するかはわかりませんが、通常の保育施設は国や自治体が障害児加配制度を使って、人手は確保できます。ただ、加配支給額は非正規雇用程度の金額です。障害児への支援に力を入れる保育施設では正規職員を障害児担当にして非正規職員を障害のない子どもの担当にしているようです。

保育士は、都市部ではいつも人手不足で、キャリアや支援スキルのある保育士を雇用するのが大変難しい状態にあります。障害児支援となると、通常の保育理論の上に発達障害についての知見やキャリアも必要となり、人探しは大変困難です。パート雇用で期限付きのワンポイントリリーフだと思って来た加配の保育士が音を上げるケースもあります。

そういうこともあって、放デイや児童発達の事業所が保育所に出向いて、発達障害のある子どもの支援方法を助言する保育所等訪問支援の事業も作られたのですが、民間保育園からの要請は少ないです。おそらく、大きな行動問題のある子は入園の段階で断られるか、保健師の紹介で公立園や障害児の受け入れ実績のある園に入園しているのかもしれません。記事のケースは入園中に、保育士の手に負えない行動問題が顕在化した場合に退園させる旨が規則になっているので、なにか特殊なケースがあったか、経営者の単なる知識不足が原因だと思われます。

差別は解消する必要がありますが、現場の困り感も汲んだうえで解決を図る必要があります。行動問題のある子を在籍させることで支給を上回る経費がかかるとすれば、民間が障害児保育や統合保育に参入する意欲を削ぎます。民間でもインクルージョンを進めるには、加配の支給額を上げたり、障害児担当保育士の認定制度を作ったりして周辺環境を整えることが大事です。合理的配慮は、事業者の事務・事業活動への影響の程度(事務・事業の目的・内容・機能を損なうか否か)、実現可能性の程度(物理的・技術的制約、人的・体制上の制約)、費用・負担の程度、事務・事業規模、財政・財務状況を考慮しなければなりません。理念だけでは合理的配慮はすすまないと思います。

小児科医に聞く 子どもにも多い「ビタミンD欠乏症」

小児科医に聞く 子どもにも多い「ビタミンD欠乏症」が身体に与える影響は?

6/29(火)【ベネッセ】

子育て食についての本を著した小児科医の伊藤明子先生は、子どもの発達障害の研究とビタミンDの研究をしているドクターでもあります。そこで今回は、ビタミンDの働きと健康の関係について、お伺いしました。

増え続けている子どものビタミンD欠乏症
日本の0~15歳の「ビタミンD欠乏性くる病」と診断された子どもの数がここ数年で、3倍以上増えています。原因は2つ、太陽光を浴びていないことと、動物性タンパク質の摂取不足ではないかと考えられています。

近頃の保護者のかたは、太陽によるシミ・シワを嫌がったり、皮膚がんリスクをおそれるあまり、お子さまが日光浴するのを避けたり、かつ日焼け止めをしっかりと塗布するかたが多く見られます。これに加えて、卵や魚などの動物性タンパク質の摂取量が少ないと、「くる病」のリスクはどんどん高まってしまいます。

「我が家は、日光浴させています」というかたの場合も注意が必要で、保護者のかたが子ども世代だった当時は、例えば、冬場は1時間日光にあたっていればビタミンDが生成されると言われていましたが、現在では温暖化などの地球の環境の変化により、東京以北では十分ではない*(コラム下参照)ことが、環境省の発表で明らかにされています。

ビタミンDは体全体に関わる要素
ビタミンDが不足しているのは、子どもだけではありません。
日本では、まだ大人のビタミンD欠乏に関する正式がデータは発表されていませんが、日本と似たようなライフスタイルで暮らす韓国では、調査対象の7割超がビタミンD欠乏症だったというデータがあります。私のクリニックに不調を訴えていらっしゃる患者さんの血液検査をすると、およそ9割のかたがビタミンD欠乏症であることがわかります。実感としては、日本でも同じくらいのビタミンD欠乏症のかたがいるのではないかと思っています。

ビタミンDは骨だけではなく、全身にかかわる要素なので、皮膚や免疫、メンタルやがんにも関係しています。ビタミンDの数値が低い人は、女性の場合は乳がん、男性の場合は前立腺がんのリスクも高いということもわかっていますし、結核などの感染症にもなりやすいのです。

また、メンタルの面でも、うつや精神疾患との関係も研究で出ており、ビタミンDの数値が低いお子さまに発達の課題がある子が多いことや皮膚トラブルが多いことなどを示す研究もあります。

ビタミンD不足の解消は健康的な食事から
一方で、ビタミンDの量は一般的な健康診断の血液検査では項目として含まれていません。気になるかたは、栄養療法をおこなっているクリニックなどに相談するのがおすすめですが、まだ日本全国には行き渡っていないのが現状です。

ですで、まずは直接口に入れる食べ物から、ビタミンDを摂取してほしいと思います。どのような食べ方がよいのかは、「小児科医が実践している、健康レベルが決まる食事法とは?」を参考にしてみてください。
食生活を変えることで、家族全員がもっともっと元気になれるといいですね。

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「暑いし、中で遊ぶ」子どもの口癖です。そのたびに(外遊びの科学的根拠:2020/12/02)で書いたように外で遊んで背を伸ばすビタミンDを体内に生成しようと外遊びを促しています。それを聞くと「しゃーない(しかたがない)なー」としぶしぶ外に出ていく子どもたちです。これから暑い日ばかりですから、本来ならプールや水遊びが熱中症を防ぎながらの遊びには最適なのですが、まだ水場はコロナストップが解除されていません。

学校や公共施設で水遊びができるようにして、子どものビタミンDの生成を支援し、夏休み明けの子どものうつ病等を原因とする不登校を防止しようと言う行政関係者はいないものでしょうか?いつまでも世界からすればさざ波程度の陽性者数の増減ばかりに注目せず、子どもにとっては鼻かぜ程度の症状なのですから、子どもの生活や健康を維持することも考え、決めたことでも状況によっては変更して、柔軟でバランスのいい施策をしてほしいものです。

*大気の対流でオゾンは低緯度から高緯度に運ばれ、オゾン生成のもっとも盛んな太陽直下の低緯度上空よりも、高緯度上空のほうが高密度となる。これが、温暖化によってさらに加速され、高緯度の紫外線量が低下する。

京都市 介護従事者や保育士など対象 ワクチン優先接種始まる

京都市 介護従事者や保育士など対象 ワクチン優先接種始まる

06月28日【NHK】

京都市は介護従事者や保育士などのエッセンシャルワーカーを対象にした、新型コロナワクチンの優先接種を28日から始めました。

京都市左京区の「みやこめっせ」に設置された京都市の集団接種会場には、午前中から介護施設や障害者施設で働く職員やスタッフなどが次々に訪れました。

訪れた人たちは、5つのレーンに分かれて、健康状態に問題がないか確認する医師の問診のあと、順番に接種を受け、30分ほど待機して体調の変化がないか、様子を見ていました。

今回の優先接種は、京都市内で働く介護従事者や保育士、それに教職員など、生活を支えるエッセンシャルワーカーおよそ5万人が対象で、今後は、市バスの運転手やゴミ収集の作業員などにも拡大していくということです。

接種を受けた介護従事者は、「病院に行くことも多いので、早くワクチンを打って利用者の方に安心して付き添いたいです」と話していました。

京都市医療衛生推進室の板原征輝 担当部長は、「子どもを守るためにも、地域の人たちに接する職種から先に受けてもらっています。このまま計画が順調に進むよう、ワクチンの安定供給を国に要望していきたい」と話していました。

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京都市が京都府より動きが早いのは、人口がほぼ同じでもトップダウンでの「関所」が少ないからでしょう。府や県は協議したことを、各自治体におろし、各自治体はそれをまた協議して決定するという手続きがあり結果的に実施が遅くなるのかもしれません。普段はそれでもいいかもしれませんが、有事の時は政府からのトップダウンが早く末端まで届くようにしないと、有事の時間勝負の対応に間尺が合いません。

先日、京都府から事業所職員のPCR検査用の採取容器が送られてきました。ワクチン接種を一刻も早く広げようとしている時期に、頓珍漢なタイミングで送られて来た原因はわかりません。採取日のみ1日だけの感染検出のために症状のない何万人も検査を行い、陽性反応が出れば各保健所は事業所に行ってクラスター調査を行うことになり、ワクチン接種で投入すべき人員を割くことになります。当然事業所も、擬陽性であっても最低三日程度は休業が必要になります。

武漢株からインド株に変異していることが危険とメディアは煽りますが、インド株の主症状の多くは頭痛と鼻炎です。高齢者の重症化率はワクチン接種の広がりで顕著に減少しています。今は、ワクチン接種を高齢者と関係者に急ピッチで接種することが優先課題です。京都市が事業所PCR検査をとばして事業所職員ワクチン接種に取り組んだのかその両方を実施したのかはわかりません。ただ、一般的にはトップダウンが通りやすい仕組みは、決めたことでも状況を見て柔軟に変更する決断が早いと言えます。

先日、海外選手に陽性者が出ているのに、日本のバス運転手も自治体コーディネーターも選手と一緒にバスに同乗して宿舎に向かい、濃厚接触者と認定されたという報道がありました。感染しているかもしれない海外の選手に対応するのはとても感染リスクが高いです。ワクチン接種は高齢者からという順番ルールはあるけれども、ホスト自治体に海外変異株を広げないためには海外選手の対応をする関係者は優先してワクチン接種をすべきです。トップダウンの「関所」の自治体で協議の機会があったはずなのに、国からの指示はないとして何も変更して決められなかったのです。一方、接種のやり方は自治体に任されていると言うのが国の言い分ですが、全体を俯瞰して危機の予測ができるのは政府ですし、オリパラは国家事業です。こういう事態こそメディアは正確に取り上げて欲しいものです。

「くたばれ学校」投稿の少女学校の部活禁止に違憲判決

「くたばれ学校」投稿の少女学校の部活禁止に違憲判決

6/24(木)【朝日新聞】

米連邦最高裁は23日、学校への不満をソーシャルメディアに投稿した少女の部活動参加を禁止とした学校の処分について、違憲だとする判決を言い渡した。少女の投稿が学校側に混乱をもたらしたとは言えず、合衆国憲法修正第1条が定める「言論の自由」の範囲内だと判断した。

問題になったのは2017年5月、当時ペンシルベニア州の高校1年だったチアリーディング部の少女(18)が土曜日にコンビニから、共有アプリ「スナップチャット」に投稿した写真。私服姿で舌を出し、中指を立て、《くたばれ学校くたばれソフトボールくたばれチア全部くたばれ》との文字を添えた。

この投稿を少女の友人を通じて把握した顧問が問題視した。「汚い言葉を使わないスポーツマンシップが求められる」などの教育委員会規則に反するとして、少女は1年間、部活動を禁じられることになった。

判決は公立校について、学校外における生徒の言論であっても規制が可能だとの見解を示す一方、今回の事案では少女の言論を制限するだけの理由がないと判断。処分について「合衆国憲法修正第1条に違反する」と結論づけた。

少女は訴訟を支援した人権団体を通じ、「私は、今日の10代がするように自らの不満を表現した。若者には、学校に行ったときに罰せられると心配することなく、自分たちについて表現できることが必要だ」と声明を出した。(ニューヨーク=藤原学思)

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合衆国憲法修正第1条とは、宗教の自由、表現の自由、報道の自由、平和的集会の権利等、国民の表現の自由を掲げたものです。今回の高校生の汚い表現は、スポーツマンだからと言って部活動参加を禁止してでも妨げるほどの理由にはならないという判決です。そもそも、こんなことが裁判になるところがアメリカらしいですが、日本ならどうなったかなと思います。「くたばれ学校」ではなく「学校なんかなくなれ」だったら問題なかったのか、使った言葉が「Fワード(F*ck)」で、これがどの程度の反社会的な言葉か理解できていないのでピンときません。

お国が変わって中国ならどうなるのだろうと思います。学校やクラブをディスったぐらいでは何ともないのかもしれませんが、これが香港政府や中国共産党に「くたばれ」と書き込めば監獄行きなのでしょうか。香港の新聞「リンゴ日報」は、香港国家安全維持法に違反したとして警察に資金が凍結されたことなどを受けて、24日の朝刊を最後に発行停止に追い込まれました。学校への高校生の書き込みと新聞の主張を一緒くたに考えるのはいかがなものかと言う意見もあります。

しかし、たかが高校生の言動に4年もかけて合衆国憲法を持ち出して言論を戦わせるアメリカと、たかがスポーツ・芸能新聞の政府批判の表現が気に入らないと120年以上も続いた表現の自由を弾圧で消し去る世界人口の5人に1人を占める中国との違いは、単なる政権の違いとは言い難いものがあります。

「学校の防災訓練は非現実的」 学校安全部会で専門家指摘

「学校の防災訓練は非現実的」 学校安全部会で専門家指摘

2021年6月23日【教育新聞】

第3次学校安全推進計画の策定に向けた検討を行っている中教審初等中等教育分科会学校安全部会は6月23日、第2回会合をオンラインで開き、防災教育をテーマに議論を行った。同部会委員で、内閣府の「防災・減災、国土強靭(きょうじん)化ワーキンググループ(WG)」でも委員を務めていた大木聖子・慶應義塾大学環境情報学部准教授は、発表の中で現状の学校の防災訓練が非現実的であると指摘。第3次計画で、幼児教育・保育における防災教育の必要性や、実効性のある防災訓練を学校現場に浸透させることを提案した。

この日の会合では、内閣府から5月末に同WGが取りまとめた「防災・減災、国土強靱化新時代の実現のための提言」についての報告があり、それに続いて大木准教授からの発表が行われた。

内閣府の提言では、東日本大震災の発生から10年を踏まえ、防災・減災、国土強靭化の新時代に向けて、防災教育を第3次学校安全推進計画の柱として位置付け、全ての子供が災害から自らの生命を守れる能力を身に付けられるようにする方針を掲げた。学校で行われている現状の避難訓練は、実施率は高いものの内容は形骸化しているとして、全ての小中学校で、地域の災害リスクや「自分は大丈夫だ」と思い込んでしまう正常性バイアスなどの知識を教えることや、教職課程に防災教育の指導法を組み込んだり、地域と学校が連携して防災教育を支援する「防災教育コーディネーター(仮称)」を育成したりすることを盛り込んだ。

内閣府の防災・減災、国土強靱化新時代に向けた防災教育の提言
続いて発表した大木准教授は、専門の地震学の見地から、「教師の指示に従って、全員が校庭に避難が完了するまでの時間を計測する避難訓練」について、震度6以上の地震では声を発することができないほどの揺れになることから、教師は事実上指示を出せないことや、校舎は一般住宅よりも耐震性が高いにもかかわらず、校庭に避難することに合理的な理由はないことを指摘。

「地震学者の観点から見ると、非現実的な訓練が行われている。最も違和感があるのは、余震を想定している訓練がないことだ。大地震で余震が伴わないものはない」と批判した。

また、幼稚園や保育所などでの、未就学児を対象とした防災教育に力を入れるべきだと提案。第3次計画では、地震の概念が十分にない未就学児の命を守る視点を意識したものとすることや、発達段階に応じた防災教育スタンダードを策定することで、就学前から高校段階までシームレスな防災教育を実践できると強調した。

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地震想定の訓練でグランドに避難するのは、地震から火災が発生したので屋外に避難するというシナリオがあるからです。その理由は、グランドで消防署職員が子どもたちと一堂に交流する機会を持つことで、防災教育の一環としたいという目的があるからです。

その際に、整然と移動できたことを評価しているだけのことで、時間短縮はその結果であり「押さない走らない喋らない戻らない」おはしも訓練に時間短縮目的などありません。また、余震の事にも触れており建物の壁や天井が崩れることも想定して移動するように指導されています。正常性バイアスの問題は防災知識を教えた子どもには起こりにくく、知識のない大人に起こりやすい問題です。大木さんは、学校訓練で教員や子どもの取材をせずに、思い込みで発言しているのではないかなと思います。

すてっぷでも、この5月に地震から近隣住宅に火災が発生した想定で広域避難場所に移動する訓練をしています。子どもたちは、落下物から頭部を守る動作や整然と行動する姿は、毎年学校で2回訓練している効果を感じさせるものでした。問題は、被災後何日間この子たちと安全に過ごせるかどうかの訓練はないので、シミュレーションだけでもしておいた方が良いなと考えています。こちらは何パターンか思い込みでやるしかないのですが・・・。

学校集団接種「推奨しない」文科省

学校集団接種「推奨しない」文科省、同調圧力を懸念

2021年6月22日【朝日新聞】

文部科学省は22日、新型コロナウイルスワクチンを12歳以上の中学高校などの生徒に学校で集団接種することについて、「現時点で推奨しない」とする通知を各都道府県などに出した。個別接種が難しいなどの理由で学校集団接種の実施が必要な場合は、接種の有無によるいじめや差別が起きないよう相談窓口を設けることや、接種を行事参加の条件にしないことなどを求めている。

通知は、学校集団接種を推奨しない理由として、保護者への説明機会が乏しくなる▽個々人の意向が必ずしも尊重されず同調圧力を生みがち▽接種後の体調不良に対するきめ細かな対応が難しい――を挙げた。萩生田光一文科相は22日の閣議後会見で「学校での集団接種は受ける人と受けない人の差別化につながり、いじめにつながることも心配される。希望する子どもは親の同意のもとで、個別接種を進めていく」と述べた。

一方で通知は、個別接種の体制確保が難しい場合などに、市町村の判断で学校集団接種をすることを条件付きで認めた。その際、生徒や保護者に接種が強制でないことなどを丁寧に情報提供することや、授業中ではなく放課後や休日、長期休業中に実施するなどの工夫を求めている。

また、特に思春期の子どもに接種前後の不安をきっかけに起きやすいという「予防接種ストレス関連反応」についても説明。「周囲の生徒の様子などの影響を受けてその場の生徒に連鎖して生じることもあり、落ち着いた雰囲気で、万一に備えた体制を整えておくことが必要」と示している。

16歳未満の接種は原則、保護者の同意が必要。小学生については保護者同伴が必要となる。(伊藤和行)

文部科学省通知の主な内容
●中学高校などの生徒に対する新型コロナウイルスワクチンの学校集団接種は、現時点で推奨しない

●学校集団接種が必要な場合の留意点
・効果や副反応など丁寧な情報提供
・差別やいじめが起きないよう、学校は接種が強制ではないことを指導し、市町村は相談窓口を設置
・授業中ではなく、放課後や休日、長期休業中に実施
・業務は教職員に求めない
・「予防接種ストレス関連反応」が生じないように環境を整備

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抗議殺到で個別接種に切り替え 12~15歳にワクチン接種開始の京都・伊根町

2021年6月8日【京都新聞】

京都府伊根町は8日、12~15歳の新型コロナウイルスワクチンの接種を始めたことに対し町外から抗議が殺到したことを受け、中学生を対象に検討していた集団接種を個別接種に切り替える方針を明らかにした。町は「強制的に打つという誤解を解きたい」といい、本人や保護者の同意の下で接種する手続きをより明確にして、これ以上の抗議を避ける狙い。接種時期は未定。

12~15歳の接種については、厚生労働省の専門部会が米ファイザー製ワクチンの対象年齢として了承しており、国は保護者の同意手続きが必要としている。町は当初、学校のテスト期間に配慮して6月下旬に1回目の接種を検討。保護者の同意を文書で確認する方法をとる予定だった。

同町では6日、小学生と高校生に接種した。7日朝から、町役場に「子どもへの接種はリスクがある」「殺すぞ」などと職員を問い詰める電話が相次ぎ、コールセンターを停止。抗議電話は8日までに170件あった。脅迫を思わせる内容もあり、町は京都府警宮津署に被害届を出すことも検討している。
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マスクをしていないと携帯電話中の女子学生の顔を殴る役人(北海道)がいるかと思えば、子どもへのワクチンが危険だと役所に脅迫や威力業務妨害をする市民がいます。どちらも科学的な根拠を持たずに感情的に他者を傷つけたり脅迫している違法行為です。

確かに学校の集団接種は、同調圧力が強くかかり受けない自由を行使しようとするには勇気が必要です。そして、1000人に7人程度が陽性者でその6割が無症状で、子どもに重篤な症状が一例も報告されていない武漢風邪に、リスクの高い大人に接種が済んでいるなら、集団免疫を広げると言うだけで子どもの接種を急ぐ根拠にはなりません。

急ぐべきは高齢者やそれに続く成人の接種であることは間違いありません。伊根町にはきっとたくさんワクチンが送られ、高齢者も高リスク患者も成人も皆終了したから次は子どもにとなったのかもしれません。乙訓では65歳以上の接種が進み、60歳までの高齢者は7月中に1回目が接種されるようです。

都市部では人口の少ない自治体ほどは接種が進みません。行政サービスは田舎の方が早く行き届くが、都市は便利さを享受しているのでおあいこだと言われます。しかし、命にかかわる有事に公平に対応できないのは問題です。抗議電話は町以外からのものも多く、いつまで待っても接種券が送られてこない都市部の市民の苛立ちが、田舎の役場にぶつけられたような気もします。

この苛立ちに加担しているのが恐怖の煽り報道です。女子学生がマスクを外して電話をしているだけで、役人の立場を忘れるほど苛立つのです。最近、アクリル板は飛沫を滞留させるという研究が電通大から発表されました。テレビで連日見かけるアクリル板は感染を広めたかもしれません。メディアが必ず正しいわけではない証拠です。もちろんこの報道は地上波ではほとんど扱われませんでした。

また、今回のワクチンとは違いますが、子宮頸がんワクチン(HPV)の副反応の恐怖を大々的に煽った結果、日本ではワクチン接種率が極めて低いのです。ワクチンを打てば76人に1人の子宮頸がん発症の確率は216人に1人と3分の1に減ります。しかし、こうした効果は宣伝されずにひどい副反応を起こした人たちの裁判を報道することで日本はワクチン接種を推進している他国より2倍以上の女子が命を落とす危険にさらされています。恐怖や鬱屈した感情をメディアが煽ることによって、社会が歪んでいく危険性も私達は熟知しておく必要があります。

障害児通所支援の機能見直しへ 厚労省検討会が初会合

障害児通所支援の機能見直しへ 厚労省検討会が初会合

2021年6月21日【教育新聞】

障害のある子供が放課後や学校の長期休校中に通う「放課後等デイサービス」など、障害児通所支援の在り方について、厚労省は有識者による検討会を立ち上げ、このほどオンラインで初会合を行った。こうした障害児通所支援は利用者数が顕著に増加している一方で、実態として補習塾的機能や預かりが中心となっている事業所もあるとし、役割や機能の見直しに着手する。

障害児通所支援についての議論を始めた厚労省検討会(YouTubeで取材)
厚労省によると、障害児通所支援のサービス利用児童数は2014~19年度の間に2.3倍に増加。その一方で、補習塾的な機能や預かり中心の事業所があることや、障害児の保護者の就労を支える側面もあること、現状の放課後等デイサービスでは、専修学校や各種学校が対象となっていないなどの課題が出ている。

また、これらのサービスが充実したことで、発達障害をはじめとする、これまで障害と認識されずに育てづらさや生きづらさを抱えていた子供の支援につながった一方で、こうした子供たちが適切な支援を受けながら保育所や学童保育などを利用しにくくなっているなど、インクルージョンの観点からの課題も指摘されている。

こうした状況を踏まえ、検討会では関係団体へのヒアリングを実施するなどし、障害児通所支援の役割や機能の在り方を整理。9月をめどに報告書を取りまとめる。

初会合で座長に選出された柏女霊峰(かしわめ・れいほう)淑徳大学教授は「保育教育施設での(障害児の)インクルーシブな受け入れは伸びていないのではないか。詳細を分析しなければいけない。その上で、本当に障害児通所支援が、その機能として何をすべきなのかというマクロ的な議論をしなければいけない」と強調した。

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サービスは使いやすければ利用が増えるもので、普通はそこに利用者のニーズがあると考えます。放デイの利用が伸びているのは利用者にとって使いやすいからです。また、保育所や学童保育に障害児が増えないのは使いにくいからで、放デイの利用が伸びている事は結果であり原因ではありません。つまり、放デイの責任でも放デイ利用を認めた障害福祉行政の落ち度でもありません。障害のある子もない子も利用しやすい保育所や学童保育サービスを怠ってきた側に責任があります。

だから、柏女座長が放デイの中身をどうこう言う前に、学校や保育所が障害のある児童に使いやすい配慮や工夫がされているのかどうかを調査することが先だと言っているのです。以前、学習障害は教育が支援を担うもので、放デイはサービス提供はしないと公言する関係者がいるらしいと書きました(学習障害抱える児童、タブレット支えに無事卒:04/03)が、その理由は、教育の学習障害支援の足らずを福祉が肩代わりする必要はないという論理です。しかし、学校の学習障害児への支援と、放デイの学習障害児への支援は法的にも行政的にもお互いに独立しているもので、どちらかで代替できるものではありません。

その法的根拠としては、放デイなどの学習障害児支援の責務が法令に明記されていることです。厚労省の支給決定事務等の事務処理要領の「障害児通所給付費に係る通所給付決定事務等についてR3年4月」には、「2 対象となる障害児(法第4条第2項) 児童福祉法における障害児とは、身体に障害のある児童、知的障害のある児童、精神に障害のある児童(発達障害者支援法第2条第2項に規定する発達障害児を含む。)以下略」とあります。

発達障害者支援法の条文は「第二条  この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害・・以下略」と学習障害が明記されています。つまり、放デイ支援で学習障害児は支援の対象なのです。もちろん教育と福祉と家庭が相互に連携しあい協力をすることは大事です。しかし、自分はやらないから、他の分野で責任を持てなどと言える道理は無いのです。

保護者や一般市民が細かな法令を知らないのは仕方がないにしても、もしも、関係者が公言しているとなると、これは明らかに違法行為であり障害者差別だと言えます。さすがに府県レベルや厚労省で学習障害児を放デイでサービスをしないと言う人はいませんが、地域でこんな暴言を関係者が言っているなら行政処分の対象です。今回の厚労省検討会の議論の行方が、保育所や学童保育でインクルージョンが進まない原因が、放デイの利用数が伸びた事等と、原因と結果が入れ替わったりしないように見守りたいと思います。

 

低学年に性の第一歩を教えています 小学校のプール授業

低学年に性の第一歩を教えています小学校のプール授業の奥深さ
斎藤秀俊 | 一社法人水難学会会長、国大法人長岡技術科学大学大学院教授

6/21(月) 【Yahoo!ニュース】

2年ぶりの学校プールの季節。先日、小学校勤務33年のベテランから「2年生、心配だわ」と心配の声を聞きました。低学年に着替えの機会を使って性の第一歩を教えているのですが、今年の2年生はどうしようかと。

2年生、1から着替え指導すべきか
2年ぶりの学校プールの季節がきました。昨年はコロナ禍でほとんどの学校プールがお休みとなりました。特に小学1年生は大きなプールでのびのびと泳ぎを勉強するはずだったのがかなわず、泳ぎが1年遅れになってしまいました。

先日、小学校勤務33年のベテランから「2年生、心配だわ」と心配の声を聞きました。「1年生って学校では勉強ばかりでなくて、すべてのこと何でも1から教えるのよね。例えば体育の授業の前に、体操着に着替える練習をするのよ。もちろん、体操着から普段着に着替える練習も。」「プール授業の着替えは普段の体育と違って水着でしょう?教えることが一杯あるのよね。」「去年はプール授業が無かったでしょう?だから2年生に最初のプール授業で1から着替え方を教えなくちゃ。そうすると、2年生の授業を半分そこにあてがうことになるかな。」

彼女の学校では2校時をくっつけてプール授業としています。2年生に着替え指導をきちんとやるとなると、水着への着替え方に20分、普段着への着替え方に20分、合計40分で初回のプール授業90分の半分近くを使うことになります。2年生なりの水泳授業も待ち受けている中で、この時間は痛いそうです。でも、「丁寧に教えなければならないことが着替えにはある」と言います。

性の第一歩を教える機会
これまでの担任の多くが低学年。ベテラン先生は若いときから着替え指導にこだわりを持ってきました。

「1年生に何も教えずに着替えをさせたら、真っ裸になる児童はいるでしょうね。そうでなくても、大切なところが見えているのに自分では気が付かずにいることもあるのよ。」

人間の尊厳、性に関わる大切な一歩。コロナ禍でプール授業ができず1年間そのままになっていました。陸上の体育と違って、プール授業では着替えの時に下着をとる瞬間があります。1年生の時に「大切なところを人に見せないように気を配って着替える」ことを実践で教えるのですが、それが昨年はできなかったのです。

「家庭ではお風呂に入るときには特に気にしないじゃないですか。その雰囲気を学校に持ち込んでは困るんです。中には人前で裸になることに抵抗のない子供もいるの。」

学校は公共の場。家庭とは違ったルールがあります。公共の場ではいろいろなトラブルから自分を守らなければならないし、そしてそこに集まるお互いを尊重しあわなければなりません。特に性の第一歩は人間の尊厳を考える第一歩ですから、まだ性への自覚に乏しい低学年から行動で覚えさせたいとのことでした。

「着替え中に友達の腰タオルをわざと下げる子、いるのよね。」

同性間でも、友達の羞恥心をあおるようないたずらをする子がいます。それがいけないことだということを低学年からしっかりと教えないと、単なるいたずらという認識のまま成長する恐れがあります。だからこそプール授業時の着替えは「してはいけないこと」を身体で覚えることができる、低学年にとっては良い時間だということでした。

性の第一歩を教えていきつつ、ひいては人間の尊厳を守る心を育みたいとベテラン教員は意気込んでいました。

下着がポイしてあることも
ベテラン教員の学校では、いわゆるラップタオル、つまり大きいサイズのバスタオルにゴムを縫いつけ、両端にはスナップを取り付けて留められるように作られたスカート状のタオルを家庭に準備してもらっています。

女の子はそれを肩から下げて、男の子は肩か腰から下げて着替えをします。着替えの指導のイロハはここから始まるのです。

「最も多いのは、スナップの留め忘れだね。肩から下げているタオルで身体を隠してるつもりなのに、スナップを留め忘れた隙間から大切なところが見えてしまうの。だから、スナップの留め忘れがないかしっかりチェックしてから、着替えに入るようにしているよ。」

「男の子の場合は、わざとだらしなくタオルを巻くような児童がいるのよね。どこか、家庭のお風呂を引きずってる感があるかな。だからしっかり、しつこく指導しますよ。きちんとタオルを巻く指導から始めます。」

水着に着替えて、それでおしまいではありません。水を漏らさぬ指導が続きます。脱いだ下着をどうするかの指導です。

「脱いだ下着を机の上とか、椅子の上とかにそのまま脱ぎ捨てる児童がいるのよ。女の子でもいるかな。脱いだ下着は人に見せてはいけない。だから、すぐに袋の中にしまうように徹底指導します!」

なるほど、たしかに公衆浴場の脱衣所を思い出すと、下着が丸見え状態で脱ぎ捨てられているカゴとバスタオルをかけて中が見えないようにしてあるカゴがあります。これまでどういう教育を受けてきたかが、大人になってから行動で明確になるものだと納得してしまいます。

一つ一つ丁寧に着替えを指導するのはたいへんよいことですが、プール授業前後ともなると教室はあたかも戦場の様相です。特にプールから上がって水着から普段着に着替える時がたいへんです。子供たちがびしょびしょの状態で、しかも教員もびしょびしょ。床を濡らさないようにする工夫をしながら子供たちを教室に誘導して、それからさらに床を濡らさないようにして、指導を緩めることなく着替えさせなければなりません。

「33年繰り返しているので、ワンオペの達人になったけど、赴任したある小学校ではボランティアで学校に来てくれるおうちの方々が低学年の着替えを手伝ってくれました。」

教員も着替える時間を作ることができるし、おうちの方々にも公の場で着替えに注意する大切さが分かって、大変良いシステムだと思ったそうです。

家庭にお願いしたいこと
「特に1年生なら、プールが始まる前に、家庭で着替えの練習をしてもらえるとうれしいです」とベテラン教員の心からのお願い。

最も訓練してほしいことがラップタオルの取扱い方法。タオルによっては4つも5つもスナップがついていて全部留めるのがおっくうになり、2つ、3つ留めればいいかと妥協してしまいます。加えて、身体の水分を拭きながら下着を着ける練習。お風呂から上がった直後に、これもラップタオルを肩や腰から下げながら家庭で確認してほしいそうです。

下着も洗濯かごに直接ポイするのではなく、プール袋に入れてしまう練習をプール授業が始まる前とか、最中とか、お風呂の脱衣室で行ってほしいそうです。

参考 生命(いのち)の安全教育
令和2年6月に政府の「性犯罪・性暴力対策強化のための関係府省会議」において、「性犯罪・性暴力対策の強化の方針」が決定されました。

この方針を踏まえ、子供たちが性暴力の加害者、被害者、傍観者にならないよう、全国の学校において「生命(いのち)の安全教育」が推進されています。

これに併せて、教材・指導の手引きが公開されています。例えば、生命の安全教育教材(小学校(低・中学年))では、次の項目について子供向けに図1のようなスライドを使って説明できるように編集されています。

・「水着で隠れる部分」は自分だけの大切なところ
・相手の大切なところを、見たり、触ったりしない
・いやな触られ方をした場合の対応

参考スイミングスクールでは
水難学会の新西道浩理事によれば、スイミングスクールでは小中学生の会員を受け入れる際にプライベートゾーンに関する指導をしているそうです。会員向け広報誌での周知やロッカー巡回という指導を定期的に行っていて、かなり早い時期から生命の安全教育を意識してるとのことでした。
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水着の着替えなど昭和の小学校出身の大人は当時教えられた経験はありません。あの頃はただタオルを腰に巻いて着替えていたので面倒だなぁと思っていた事と、塩素臭とコンクリートの匂いの混ざった薄暗い更衣室の記憶があります。時々、素っ裸で着替える友人もいて、「勇気あるなぁ」くらいにしか思いませんでした。そう言えば昔は、「このパンツ誰のですか」と帰りの会で先生が聞いていましたが、子ども心には「てことは、本人はすっぽんぽんでズボンはいてるのか」と妄想していましたが、友人に聞くと「水着の上からに決まってるやんけ」と笑われた思い出があります。

プールの低学年の授業が性教育の第一歩とは気が付きませんでした。ベテランの先生が「ワンオペ」で指導しているとのことなので、多くの先生が具体的な実践を見ていないかも知れません。学校は教科だけを教えているのではなく、学校生活全般で様々な事を教えています。発達障害の子にとっては、教科外の不定形な集団指導場面が苦しい場合もあります。けれども、みんながいないと「恥ずかしい」の意味も教えにくいです。でも、学校はいろんなこと教えているなぁと教員OBながら感心します。

 図1 生命の安全教育教材(小学校(低・中学年))のスライドの一部抜粋(筆者抜粋)

「水泳用マスク」1万3000枚配布

新型コロナプールでも対策日立市、小・中学校に「水泳用マスク」1万3000枚配布

 2021/6/19【毎日新聞】

2年ぶり授業に笑顔
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぎながら泳ぎを学ばせようと、日立市でマスクを着用しての水泳の授業が始まった。同市は市立小・中学校の全児童生徒、教職員に「水泳レッスンマスク」を計約1万3000枚配布。子どもらは2年ぶりのプール授業に笑顔を見せた。【田内隆弘】

マスクは表面がシリコン素材、肌面はポリエステルとポリウレタンでできていて、洗って繰り返し使用できる。教室からの行き来やプールサイドなどで着用し、泳ぐときは首に掛けるという。ひもは伸縮可能で、安全のため約4キロの負荷がかかると外れる仕組みだ。

市立坂本小学校(鈴木孝裕校長、児童363人)では18日、5年生を対象に初めてマスクを着けての水泳の授業が行われた。授業の冒頭、教員が「大声は出さない」などと注意。昨年はコロナ禍で水泳の授業がなかったこともあり、児童は歓声を抑えながらも、笑顔で、水に潜っていた。

5年1組の滝夏帆さん(10)は「プールでマスクをすると聞いてびっくりしたけれど、2年ぶりの水泳の授業はうれしい」、吉成脩羽斗(しゅうと)さん(10)は「授業が楽しみだった。普通のマスクより息苦しい気がするけれど、水泳用としては十分だと思う」と喜んでいた。

鈴木校長は「今までにない発想を取り入れることで、感染対策につながれば」と話した。

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プールマスクの存在を初めて知りました。水に落ちた時にマスクがはりついて呼吸ができずパニックを起こして事故につながるので、水辺では原則マスクはつけないと言うのがプール安全指導で教えられてきたことですが、このマスクは簡単に外れるそうで、安全に脱着できるという事です。

プール水は塩素で殺菌されているので接触感染の心配はありません。水泳中の呼吸は最も遠くに飛沫が飛ぶ勢いがありますが、マスクをつけているから飛沫は大丈夫です。マスクに飛沫が付着してもプールの塩素水がマスクを洗い流します。そもそも、プール内のマスクは塩素水飛沫が広範囲を殺菌するので、本当は必要のないものですが、ここではあれこれ言ってはいけません。子どもたちのために何とか水泳授業を実現しようとしている日立市とその学校の前向きな努力に、心から敬意を表したいと思います。

学校が親子に立ちふさがる「壁」となってしまう理由

学校が親子に立ちふさがる「壁」となってしまう理由

6/17(木) 【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「親子のために存在する学校が、彼らの前に立ちふさがる”壁”になることもある」と指摘します――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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◆なぜ学校が親子にとって”壁”になってしまうのか

以前にも増して、最近「学校に子どもが馴染めない」と心配する親が増えているように筆者は感じています。

その結果、親は「子どもが教科書を読めないので、タブレットの持ち込みをお願いしたい」、「子どもの興味が違うので、内容をそれに合わせてほしい」、「ぺースが遅いので時間を延長してほしい」といった希望を、学校に伝えるようになりました。

一クラスに何十人もいる児童、生徒を一斉に教える先生からすれば、そんな余裕があるはずもないので、単に親のわがままやクレームとして聞きながしているかもしれません。学習指導要領に定められた単元をちゃんと教えなければならない先生ができることには、実際、限度があります。

しかし、子どもが可愛い親は、なんとか学校での問題解決が図れないか、一所懸命に模索する。そしていつの間にか学校を、目の前に立ちふさがる“壁”として見出してしまうのです。

◆学校には複数のステークスホルダー(利害関係者)が存在する

そもそもですが、学校はいくつかの組織から成り立っています。

小・中学校なら義務教育ですから、国の定めた法律の元で学習指導要領に従い、決められた時間数の教科を、教科書を使って教えていくことになります。

それを教える教員の養成は、国が定めた教員免許を発行できる大学や学部中心に行いますが、免許そのものの交付や採用試験は各県の教育委員会が実施。採用された教員は、市町村が管轄する学校への配属となります。

そして学校ごとに最高責任者としての校長がいるのに、県にも市町村にも教育委員会があって、そこに委員会の最高責任者である教育長がいます。

つまり、学校には学校長、市町村教育委員会、都道府県教育委員会、文部科学省という複数のステークホルダーが存在しているのです。

◆だから「たらいまわし」が起こる

そのため、もちろん事案によりますが、もし学校ですぐに解決できないような問題が生じれば、責任の所在が明確でないことから「現場は上の判断で」「上は現場の判断で」といった、たらいまわしがしばしば起こってしまう。

加えて言えば、教育内容も、義務教育であるが故に全国一律で自由度は極めて低く、親の要望に臨機応変に応えることは難しいというのが実態です。

そうした状況が、親や子どもたちが学校を“壁”として感じてしまう理由の一つではないかと筆者は感じています。

◆「原則」に縛られる学校教育

時に学習指導要領も、学校を越えられない“壁”にしてしまうことがあります。

前提として、義務教育では検定された教科書を使い、教科ごとに決められた時間数の授業を実施することが求められています。

すでにあらゆるものがデジタル化されて長いですが、2021年2月現在、教科書において、デジタル教科書はあくまでも副教材にとどまり、印刷された紙の教科書を同時に使うことが原則になっています。

授業についても対面が原則で、2020年の春、コロナ禍で一斉休校となった際に行われたオンライン授業もなかなか授業時間数に加えられませんでした。そのため、多くの学校では、土曜日や夏休みなどに補講を行う必要がありました。

◆自由に学びたいだけなのに

一方、著書『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』に記したようなユニークな子どもたちの多くは、そもそも集団での一斉指導の中で学んでいくことをあまり得意としていません。「個々に応じた教育」と言いながらも、現実として学習指導要領に則ることが重視され、変わらない形で続く教育のもとで学ぶのは容易ではありません。

本来なら、教科書も時間割もない、そんな緩い授業や教室があってもいいのかもしれない。しかし現在の学校教育の中で、そんな自由な学び方は認められていません。

通常教育の中、一部の生徒を対象に、特別な授業スタイルで教えることは大変でしょう。

通級指導教室と呼ばれ、一部の時間だけ部室などを使い、少人数で教えるクラスはありますが、特別支援教育の範疇に入ることからか、そこで学ぶのを拒否する子どもや親もいます。

ユニークな子どもの多くは障害があるわけでなく、もっと自由なスタイルで学びたがっている。それだけなのに、いまだに彼らは自分たちを抑え込むことに必死な学校に身を置くことを求められているのです。

◆世界一多忙な日本の教員

しかし現実を見れば、あまりにも忙しくなった個々の先生からすれば、未来の学校の姿など、考える余裕も無いのかもしれません。

以前より、学校においてはあらゆる管理が厳しくなっています。特に2002年からは、文部科学省が学校設置基準において学校評価を求めるようになり、学校でもPDCAサイクルの確立が強く求められるようになりました。

OECD加盟国など48カ国・地域が参加(初等教育は15カ国・地域が参加)し、日本では小学校約200校及び中学校約200校の校長が参加した「OECD国際教員指導環境調査」(2018年度)によると、参加国・地域の中学教師の平均勤務時間が38・3時間/週であるのに対し、日本の教員の労働時間は56時間/週にまで達し、これは参加国中で最長となっています。

それだけ多忙になっているにもかかわらず、学習進度は守らなければならないので、学習につまずきのある子どもなどへの個別対応が難しく、また同時に、個々のペースを容認しにくくなっていることが考えられます。

逆に、学習進度が早いような子どもたちも、現在の法律で飛び級が認められていないことから、一斉指導の中で授業の妨げと認識され、結果として排除されている可能性もあるでしょう。

ともあれ、こうして学校が置かれた状況を少し鑑みただけでも、それが“壁”とならないための施策が今急いで求められているよう、筆者には感じられてならないのです。

中邑賢龍

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今回はやたらに学校の融通の悪さの言い訳が多いです。学習指導要領はあくまでも基準であり、全員に摘要するものではないことは法律の中でも明らかにされています。学校教育法には第四章 小学校 第二十九条、第五章 中学校 第四十五条にも、その教育の目的は「心身の発達に応じて」施すと断りがあります。学習指導要領は標準的な「心身の発達」に従って作られているだけで、学習障害など凸凹の子ども達にまで適応できるものではありません。つまり、学校のいう教科書通りにというのは言い訳に過ぎず、標準に収まらない子どもの「心身の発達に応じて」教育を考えていくのも学校の仕事なのです。

学校人事への権力関係を全て会社経営になぞって「ステークホルダー=利害関係者」と表現するのはちょっと無理があります。国民主権なのですから、利害関係者は「国民」一つです。ただ、国民とは誰なのか問題があり、国民の利益を執行する組織系列を複数の「利害関係者」と表現したのだと思います。それは、教育行政だけでなく福祉行政も行政と名の付くものはみな同じ構造です。この構造は、明治時代から変わっていない行政構造というか、ますます強固になっていると思います。

外交・安全保障と金融を除く行政機構に必要なことは、上位機構からの権限移譲と既得権限の廃止です。権限移譲によって組織の責任者や、その責任と義務の執行が身近に見える仕組みが作れます。責任は取ってもらうが法に基づく限り自由にやってよろしいという仕組みがこれから求められているのだと思います。もちろんチェック機能は議会だけでなく地域コミュニティーにも任せる仕組みが必要です。中邑先生は、自由な学びには自由で自立的な行政機構が必要だと考えているのだと思います.。

 

 

「どうしても頑張れない人」に必要なこと

『ケーキの切れない非行少年たち』著者が語る、「どうしても頑張れない人」に必要なこと 「細かく口出しばかりをしてはダメ」

6/16(水) 【Real Sound】

児童精神科医・宮口幸治氏の70万部を超えるベストセラー『ケーキの切れない非行少年たち』(2019年、新潮新書)。医療少年院には、丸いケーキを3等分する問題にもうまく答えられない非行少年たちがいると指摘し、そうした認知機能の弱い「境界知能」の少年たちに合わせたトレーニングの重要性などを論じた。

今年の4月には続編『どうしても頑張れない人たちケーキの切れない非行少年たち2』(新潮新書)が刊行された。今作は仕事や勉強などを「どうしても頑張れない人たち」に着目し、周りはどう支援するといいかが詳細に紹介されている。宮口氏に、前作の反響と今作を執筆した狙いについて話を聞いた。

■「どうしても頑張れない人」がいる理由
記者:前作はベストセラーになりましたが、改めてその反響はどうでしたか?
宮口:SNSの反響を見ていましたが、たくさんの若い方が読んでいることに驚きました。新書を初めて読んだという方もいました。「犯罪者への見方が変わった」など、前向きな感想が多かったように思います。

若い人たちは専門書に関心がないと思われているかもしれません。でもそれは大きな思い違いです。みんな専門書でも手にとって、しっかり勉強してわかりたいと思っている。今回、改めて気づいたことでした。

記者:前作出版後、少年院の矯正教育のプログラムに変化はありましたか?
宮口:まだこれからでしょうね。少年院などの国の施設は本1冊ですぐに変わらないでしょう。ただ、多くの施設関係者から「子どもたちにもっと可能性があることに気づいた」という反応をもらいました。「今までどうしていいかわからなかったけれど、ヒントをもらった」と言われました。また、本で紹介したコグトレ(認知機能強化トレーニング)の依頼が殺到するようになりました。

記者:今作は「どうしても頑張れない人たち」がテーマですね。
宮口:前作よりも前から考えていたことでした。(企業などのメッセージで)「頑張ったら支援します」という言い回しをよく聞くことがありますよね。私はひねくれているところがあって、「じゃ頑張れない人はどうなんだろう」と昔から思っていました。

記者:頑張ったときだけというのは、少し突き放しているような印象を受けます。
宮口:支援することはいいですよね。でも頑張れなかったときは支援しませんという条件つきなんですよ。やっぱりそれはよくありません。本来の支援のあり方は、頑張れなくても、成果を出せなくても、ずっと支援をすることです。自分の子どもが何かを頑張れなかったとしても、無条件の支援をするじゃないですか。支援される側からしても、無条件の支援があって初めて心に響くと思います。

記者:「どうしても頑張れない人」がいるのはなぜなのでしょう?
宮口:頑張るための最低条件として、安心・安全の土台が必要です。食べ物がない、住むところがない、虐待を受けている。そんな状況で頑張れるはずがありません。さらに何度も失敗体験が積み重なっている場合、頑張る意欲は出てきません。昔から動物実験でも、どんなにやってもダメな場合は、無気力になってしまいます。人間も同じです。また、頑張れないのは知的なハンディも背景として考えられます。

記者:見る、聞く、想像するといった認知機能の弱さが原因である可能性を指摘していました。
宮口:認知機能が弱い子どもで分かりやすいのは知的障害の子たちです。頑張れないし、できないんですよ。たとえば、小学校3、4年生のクラスに1年生がいるようなイメージです。九九もわからない子に、3、4年生の算数はまずできません。毎日授業についていけなければ、頑張ろうという気は絶対に起きません。そういう場合は、手順を追って指導していかないといけません。

記者:学校を卒業してから社会に出るとさらに大変そうでした。
宮口:学校で先生が見てくれているときはいいかもしれません。しかし、社会に出ると、ハンディがあってしんどいことを考慮してくれなくなります。見た目だけでは、他の人と違いがわからないこともあるからです。ただサボっていてやる気がないと見られてしまう可能性があります。

記者:一方で、「努力しないで頑張らなくていいんだよ」と言う主張に対しても、宮口さんは違和感を抱いているように感じました。
宮口:できることはちゃんとやり尽くして、それでもできない場合にはじめてかける言葉だと思います。発達障害や知的障害の場合、主治医は平気で「この子にあまり負担をかけないように」と言ったりします。だから親も信じてしまう。でもやらせる前に「頑張らなくていいよ」と言うのは本当に無責任と感じます。昔と違って今は、IQは環境と関わり次第で変わる可能性があるとされています。何もやらせないまま、気がついたら手遅れになってしまうことも多いのです。

■実は支援する側が元気をもらっている
記者:努力をしたとしても「どうしても頑張れない」。そんな人たちに対する支援の3つの基本は、安心の土台、伴走者の存在、チャレンジできる環境だそうですね。
宮口:わかりやすいように、電気自動車に例えてみましょう。子どもなど支援する相手を電気自動車、支援者を充電器だとします。電気がなくなりそうになったら、いつ帰ってきてもきちんとした電圧で充電してくれる。これが安心の考え方です。

伴走者は横の助手席に乗ってくれる存在です。注意したいのは、運転について細かく口出しばかりをしてはダメであること。とにかく静かに見守りながら、困ったときにちゃんとアドバイスをあげるという姿勢が大事です。

安心の土台と伴走者の存在があると、初めて新しいことにチャレンジしたい気持ちが出てきます。子どもだったら、勉強、スポーツ、友達関係など。大人だったら、仕事、趣味など。何でもいいので新しいことができる環境に身を置くと、頑張ってみたいと思うようになるんです。

記者:発達障害や知的障害のケースだけでなく、多くの人の日常のいろいろな場面で参考になりそうです。
宮口:実はそうなんです。この本は基本的にみなさんへのメッセージです。会社の部下と上司など、いろんな場面でこの原理は使えます。ちょっとでも力になってもらえたら、という意図がありました。

記者:支援中に逃げ出したり反抗してしまうような人が、本当は一番支援が必要だとしていました。そんな矛盾の中でどうすればいいでしょう?
宮口:とても難しいところです。でもちょっとした工夫ができるはずです。たとえば、余計な声かけをしないこと。ずっとかまってほしいわけじゃないんですよ。余計な一言を言うことで、やる気を奪ってしまうことがあります。求められたときには決して見捨てずに「いつまでもいますよ」と示すだけでもいいですよね。

これが簡単なようで、ものすごく難しい。支援する側も生身の人間なので、自分の調子が悪いことだってあります。そんなときに逃げ出したり、反抗されたりしたら、支援をやめたくなってしまう。せっかく助けようとしたのに断られたとものすごく傷ついてしまう。だから支援をしている人にも、同じように安心・安全と伴走者が必要なんです。支援者同士で、足の引っ張り合いなどをしている場合じゃないんですね。

記者:他に支援について考える上で大事なことはありますか?
宮口:実は支援をする側が逆に元気をもらっているのだという視点です。誰だって人の役に立ちたい。人に世話をされて幸せになるんじゃなくて、人の世話をして感謝されることで元気になっていくんです。だから支援をしてくれる人に、しっかりお礼を言ってあげたら、ものすごく元気が出ると思うんですよね。そういう視点は大事かなと思います。

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逃げ出す人こそ支援が必要とはその通りです。逃げ出しはしないけど、当事者に不適切な言動をとられるのは、事業所の日常です。支援する側がそのことについて、怒ったり無視したりしていたら、それは支援のプロではなくただの素人です。だけど、寄り添うだけでは相手は変わらないです。そこにプロフェッショナルとしての支援者のスキルが試されます。

つまり、逃げ出したり反発したりするの当事者だけの責任ではないです。支援者との関係性が当事者の行動を生み出しているのですから、支援者の行動を変えて行けばその関係性は変えていけると思います。確かに、手ごわい方もおられますが、そんな時は相手だって手ごわいなぁ、やりにくいなぁ、支援されにくいなぁと感じているのです。そんなことを色々考えさせてくれる一冊です。

 

いじめ動画流出で学校が英断 生徒4名が逮捕 (香港)

いじめ動画流出で学校が英断 生徒4名が逮捕されるも厳しい姿勢を貫く
暴行動画を確認した学校が、警察に通報。被害を受けた生徒のことを一番に考え、行動を起こした。

2021/06/16 【ニュースサイトしらべぇ】

いじめが起きてもそれを隠し、学校と保護者・生徒の間で穏便に済ませようとするケースがある。しかしこのほど、ある学校がいじめ行為を確認し、警察に連絡。強い姿勢を示したことを、『South China Morning Post』など海外のメディアが報じた。

■教室で起きた悪質ないじめ
5月27日のこと、香港の学校に通う男子中学生(13)が、ある女の子をデートに誘おうとした。それを知った女子3名、男子1名の計4人が教室で同生徒にからみ、いきなり顔面を平手打ちする、ひざまずかせて思い切り蹴り上げるといった暴行に及んだ。

男子生徒の顔を打った生徒の数は、少なくとも3名。さらに何者かが、男子生徒を背後からキックまでする様子を撮影し、短い動画にまとめてSNSで公開した。

■即座に動いた学校
これだけひどい目にあったにもかかわらず、男子生徒は親や教師に被害を打ち明けることができずにいた。しかしSNSにアップされた動画が話題になり、学校側も確認。男子生徒とその保護者に代わってただちに通報し、警察の介入を求めた。

学校側はその後、ホームページに「いじめは一切許容しません」という声明を掲載。「警察の捜査が進んでいる段階のため、情報の開示はできません」「ですが学校側も厳しく対処していく所存です」とも書いている。

■逮捕者は4名
この件について調べを進めた犯罪捜査班は、同じ学校に通う14~15歳の生徒4名(男子1名、女子3名)の身柄を確保した。すでに全員が保釈金を支払い自宅に戻っているが、捜査が完結したわけではない。

被害を受けた生徒は、重傷は負っておらず、警察も「病院で治療を受ける必要はなかった」と発表している。

■学校に期待する対応
いじめ問題は多くの学校で起きるが、対応は学校によってずいぶん異なる。教職員がいじめを隠し再発防止に失敗した結果、罪のない被害者が自殺してしまうケースも実際にあった。

この動画を見た人たちの多くは通報・逮捕を肯定的に評価しているようで、「逮捕するのが当然」「典型的ないじめっこ集団だと思う」「被害者の痛みを思い知れ」と厳しく加害者を批判するコメントがネットにあがっている。

被害者、加害者、そしてその保護者たちは、学校の指導法と対処をしっかり見ている。「どうせ通報なんかできっこない」と加害者に思わせないためにも、厳しい対応を望む声は多い。 マローン 小原
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確かに学校の対応は素早く、行き過ぎた暴力を学校で隠蔽せず、警察を介入させた姿勢は評価できます。保釈金を払って釈放という事は香港では中学生でも大人と同じく拘置所に拘留し日本とはかなり違うようです。学校があえてホームページに学校見解を発表しているという事は、これまでも同様の事件が続き、学校としても決着をつけたかったのでしょう。SNSではいじめた中学生らを袋叩きにしていますが、子どもの行動は大人社会の反映だという意見が見当たらず、強制消去されたのかもしれません。

1年前に香港政府は中国共産党の指示によって市民に対して言論の自由を暴力で封殺しました。その前から現在に及んで、ウィグルやチベットで民族の宗教や文化を奪い漢民族との混血を強引に進め、歯向かうものは親族までも収容して強制労働に向かわせています。昨年からは、内モンゴルの学校でモンゴル語の禁止が始まりました。こうした権力の暴挙に対して何も言えない社会の中で、子どもの人格がどのように形成されていくか考えただけで恐ろしくなります。

今回の香港の学校の行動は正しいですが、中国共産党の決定が全てに優先される中で、封建時代のような社会感覚が育つのは仕方がないのかも知れません。120年以上培われた香港の民主主義が暴力によって簡単に散ってゆく姿を私たちは目の当たりにしました。今国会で「中国」を名指しにしてその暴力政治の非難ができない国会議員や政党には、民主主義を語る資格はないと思います。

見て見ぬ振りをすることを公の場で行う姿を、子どもたちがどんな目で見ているか想像できないはずはありません。それでも中国の暴挙を告発できない議員には、いじめっ子の取り巻きでものを言わない子どもたちと同じ感情=次は自分が報復される恐怖感があるのかも知れません。そんな負い目を中国から受けている人に公教育が任せられるはずがありません。

「教職員がPCR検査の検体採取」 1人が感染

徳島教組「教職員がPCR検査の検体採取」 1人が感染 新型コロナウイルス

2021年6月15日 【朝日新聞】

徳島県教職員組合は14日、阿南市内の中高一貫校で4月末に新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した際、教職員がPCR検査の検体採取に従事させられたと明らかにした。作業後に1人の感染が判明したという。県教組は教職員に検体採取にあたらせないよう求める請願か陳情を県議会に出す方向で調整しているという。

県教組によると、検体採取はドライブスルー方式で、教職員は車に乗った生徒の名前を確認して唾液(だえき)採取用の容器を手渡し、採取後に回収する作業などに当たった。フェースシールドや手袋の配布はあったが、マスクは各自が持参した不織布マスクだったという。

小原伸二委員長は「十分な説明もないまま危険を伴う作業をさせるのはおかしい。子供の命を守るのは当然だが、教職員の命も守らなければならない」と語った。一方、県教委は「しっかりとした安全対策をするとともに、教職員には十分な説明を行って児童生徒の速やかな教育活動の再開のため、今後とも必要な協力は行う」としている。

作業について、県感染症対策課は生徒本人が唾液を採取し、教職員は容器の回収にとどまり、保健所職員の立ち会いのもと十分な安全対策をとっているなどとして、「容器の受け渡しであって検体採取ではない。作業による感染は考えにくい」としている。(杉田基)

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教員に検体収集を行わせているのは職務内容ではなく危険な行為で不当だと言う教員組合の頓珍漢ぶりは驚きですが、報道はもっと問題です。検体を「採取」と朝日は書いていますが、実際は症状のない生徒から検体ボトルを保健所職員と一緒に集めただけです。教諭は生徒と毎日向き合っており、クラスターが発生した学校なら教員が感染する可能性はいつもあり、たまたま検体集めをした教員が感染したからと言って作業が感染の原因とは考えにくいという公式発表もあるのに、「検体採取」の後に「感染」と表題に書くのは二つを関係づける印象操作であり、フェアな報道ではありません。

こんな報道をしても、不安を煽るだけで感染予防にはつながらないばかりか、教員や子どもに関わる職員は感染予防に協力するのは仕事じゃないと思っているという誤解を、市民に与えるだけで迷惑です。この間のメディアの煽りに煽る感染報道は売らんがための「炎上商法」とも言えますが、商売の域を超えています。

朝日はオリパラ開催反対を社説に書きながら、会社自身はオリパラのオフィシャルパートナーです。オリパラ報道・放映は協力金や放映権料を支払っても十分利益が出る見返りがあるのでしょう。夏の高校野球も朝日が主催ですが、今年は感染懸念の報道すらなく実施です。高校野球は甲子園の賃貸料も放映権料も無料ですからCM料で丸々利益が出ます。それでも、オリパラも高校野球も儲けが目的ではなくスポーツへの貢献だと朝日は言いきります。

やっている事と言っていることが違う場合、その言葉には信憑性はありません。この間のオリパラ中止を煽る報道は朝日だけではありませんが、世間が注目してくれれば(儲かれば)炎上商法でも何でもあり、というのがメディアの本音ではないかと思います。しかし、結果としては、社会の公器としての報道の権威を貶めておりたいへん残念です。

 

「みんな仲良く元気よく」が子どもを追いつめる

なぜ「みんな仲良く元気よく」が子どもを追いつめるのか

06/10 【婦人公論】

個性の強さから学校で問題児扱いされるような子どもたちを集め、彼らに自由な発想と学びの場を提供することを目指した教育が、東京大学にて行われています。そこでディレクターを務める中邑賢龍教授は「かつての日本では、それぞれの特性に合った生き方を選べた。今はそれが許されていないことが教育に悪影響を及ぼしている」と警告しますが――

※本稿は、中邑賢龍『どの子も違う――才能を伸ばす子育て 潰す子育て』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
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第二回●「子育ては褒めるのが大事、叱るのは良くない」が招く危うい未来
なぜ子育てしにくい社会が放置されているのか
プラットフォーマーと呼ばれる巨大企業があらゆる業界を飲み込み、成長を遂げる中、ここにきての新型コロナウイルスの広がりもあり、さまざまな企業や業種が時代に取り残されれつつあります。

その結果、足元の経済格差はさらに広がってしまいました。国の財政難も深刻になり、自助努力が難しい人だろうと公助になかなか頼れないという“壁”のようなものを感じる時代になっています。

本来ならば公助の社会を構築するべく、地域住民がより協力する必要があるのかもしれませんが、そうしたコミュニティも、すでにこれまでの変化の中でほぼ崩壊してしまいました。

弱々しい社会に、親子の問題の解決を頼るのが難しいのは明白で、また同時に社会そのものの構造として、多くの人が子育てしにくいと感じる状況が続いています。
しかし、放置していればいつまでも解決はなされない、そうした社会が築く“壁”について、今回少し考えてみたいと思います。

人と違うことをすればいじめられるから
「個性を豊かに」と言いながら、学校などでは、自分の気持ちを隠して同化しないと仲間に入れません。「仲良くする」とはつまり、みんなと一緒に遊ぶことで、仲間から外れて一人でいると「可哀想な子」だと捉えられてしまう。

今「人と違うことをすればいじめられる」と考える子や親が多いようです。
だからこそ目立ってはいけない、自分の好きなことばかりするのは良くない、時には我慢して集団に合わせるのが必要と考えます。しかしそんな環境で育った子どもは、きっと大人になっても人と違うことをするのを強く恐れるはずです。

社会に出ても空気を読み、上司の意見に同調しながら働くことで認められるのが、今の日本かもしれません。しかし、現実として活発な議論ができないような組織から、変化やイノベーションは起きません。

やりたいことを我慢し、人の都合に合わせて行動する人は「優しい」と評価されますが、それはそれで、どこかおかしい。
いじめられないように、自分を殺して生きるなんてとても馬鹿げています。絶対に、いじめる方が悪いのですから。

大人に求められるのは”違い”を認めること
今の学校では一つの目標に向かい、協働して成果をあげることが重視されています。「みんな仲良く、元気良く」という言葉が絶対。現実としてそうなることを期待されているわけで、それに該当しない子どもはいじめられる傾向が強くなると言えます。

いじめられる子どもは素直に、その特性に従って行動しているだけなのに、ペースが違う、方向が違うといったことを理由に、いじめの対象になるわけです。
「好きなことをやりたかったとしても、人と違うといじめられてしまうし、やめた方がいい」と言われたら、言われた人は自己否定するしかありません。

私は繰り返し「子どもは皆違って、それでいい」と述べていますが、でも現実の世界でそれを通したら、子どもがいじめられてしまうと心配になっている人もいることでしょう。
だからこそ大人である私たち自らが違いを認め、ユニークさを評価し、それで社会の雰囲気を変えていく必要があるのです。

閉鎖的で、変わることのできない組織は必ず衰退していきます。一方で、私たちの手にはインターネットという、場所や立場を超えて発言し、人と結びつくツールがあります。枠を超えてダイナミックに結合する新しい社会を創造し、そちらを選んで生きていきましょう。

かつては特性に合った仕事で生活できた
こういったお話をする際、いつもアフリカのマリ共和国の首都、バマコに行った時のことを思い出します。

街を歩く人に「どんな仕事をしているの?」と聞くと、多くの人は「色々」と答えてくれました。彼らは特定の職に就いているのでなく、その日、そこにあった仕事をするのだそうです。

自分ができる仕事を少しだけやって、それで生活する。彼らは決して裕福な生活を送っているわけではないですが、のんびりした穏やかな暮らしがそこにはありました。

日本でも、それぞれの特性に合う仕事を選び、それで生活できる社会がかつてありました。特に半世紀前までの働き方は多様でした。たとえば1960年代くらいまでの産業構造を調べると、第1次、2次、3次産業がバランスよい状態に保たれていることが分かります。

そのため少々の凸凹やペースの違いがあっても、個人の特性に応じた働く場所がありました。小さな工場に行けば気難しい職人さんがいて、愛想は悪くとも、コミュニケーションは上手でなくとも、素晴らしい仕事を見せてくれました。

また、街の八百屋や魚屋に行けば、休むことなく動き回る店主が、詳しく商品の説明をしてくれました。こちらが早く帰りたくても話が続くので帰れない、なんてことがあっても、そこで得た野菜や魚の知識は今も生きています。

読み書きが苦手で、学校の成績が悪かった友人がいますが、彼は中学を卒業し、地元で家業の農業を手伝っています。テストの点が悪くとも、体力があって根気強い彼は、農業には適していたのか、高校に進学することのないまま、今でも楽しそうに働いています。
日本でも、それぞれの特性に応じて、自分のペースで働けるような社会があったわけです。

追いつめられた人にさらに無理を強いていないか
しかし、パソコンやインターネットが登場し、道路や航空路などの整備で物流が発展すると、スピードや経済効率が優先されるようになり、ペースが遅いというだけで社会から取り残される人が出てきました。

また農業や製造業の大規模化・機械化の中で、多くの人が仕事を変えることを余儀なくされ、現在では商業、運輸通信業、金融業、公務、その他サービス業からなる第3次産業がすっかり主流になっています。

第3次産業はほかの産業形態に比べ、コミュニケーションや読み書きの力が問われます。時にはパソコンの前に座り、同じ部屋の中で、長時間仕事を続ける必要もあるでしょう。

つまり、特性的にそれが苦手な人だと「働く」という点で、すでにたくさんの壁が生まれてしまっているわけです。

実際そういった社会構造の変化によって不適応を起こした人が増えた結果、彼らを支援する意味でも「発達障害」という障害が、制度側の都合で生みだされたようにも感じています。そして、彼らを社会構造に当てはめるための訓練が今も続いているのです。

追い詰められた人に、さらに無理を強いる。そうしたアプローチばかりになっている今の社会は、とても残念です。むしろ苦手を認めつつ、特性を活かして働ける仕事を意識的に生み出す。そうした動きがより活発になってほしいと筆者は考えています。

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中邑先生の多様性社会が大事だと言う意見には完全に同意できます。しかし、ちょっと観念的でステレオタイプな感じもします。昔が良かったと言われるけど、生産力が低い時代では子どもは親の所有物のように乳児や女児の子捨てが当たり前だったし、戦後でも今は虐待と言われるような事が躾として認められていたのですから、一面だけで子どもの環境の是非は評価できません。

昔、支援学校の国際交流の時間に外国のアーティスト(絵画)を招いて、授業の前に校内を案内した時の事を思い出しました。彼は生徒たちの織物作業の授業を見て、いろいろ質問していました。彼の質問に対して、生徒はこの程度の事ができても社会には通用しないからというような返答をしました。

絵描きの彼は、手を大きく振って「それは間違いだ」と生徒に演説を始めました。「君たちの織りのスキルはアフリカの途上国なら指導員になれるレベルだ、世界は日本のように機械化されている国だけではない。人口比で言えば日本が珍しいくらいだ」と生徒に語り掛けました。生徒たちはこの外人のおっちゃん何言ってんのという表情でしたが、話が終わると笑顔でアフリカの学校の様子を聞いていた光景を思い出しました。

中邑先生の話やアーティストの話で、この国の現状がすぐさま変わるわけではありません。でも、大人が子どもに向かって発信するメッセージは、常識や現実だと思っていることは結構限定的なもので、一昔前や違う国では、違う文化があり、それもまた現実なのだと伝える事が大事です。

だからと言って、この国を昭和に戻したり発展途上の国にすることはできないけれども、変わらないものは何もないというメッセージを送り続ける事が大事なのだと思います。今後生産労働時間が減り、余った時間を生かせるのは凸凹の子どもたちだと私は思っています。中邑先生の文章は、それは違うなと思わせるところもありますが、色々考えさせてくれる本です。

医療的ケア児支援法案成立へ

医療的ケア児支援法案成立へ 介護の担い手不足解消を=賀川智子(東京地方部)

2021/6/10【毎日新聞】

たんの吸引や人工呼吸器など日常的に医療的なケアを必要とする子どもたちと、その家族を支援する「医療的ケア児支援法案」が今国会で成立する見通しだ。小さな命を将来につなぐため孤軍奮闘してきた家族にとって一筋の希望の光になるかもしれない。だが、支援法ができてもすぐに担い手不足が解消し家族の負担が減るわけではない。

深刻なのは支援の地域間格差と親、特に母親の負担の大きさだ。九州地方に住む公務員、坂口菜月さん(31)は、1223グラムの低体重で生まれ、気管切開をした1歳2カ月の長女七海ちゃんが起きている間、20~30分に1回たんの吸引をする。ケアで睡眠時間が4時間ほどの日もあった。夫が仕事の平日は「少しでも目を離したら娘の命にかかわる」と気が抜けない。昨年11月から8カ所ほどの保育園に電話をかけたが入園できず、今春の職場復帰をあきらめ、来年3月まで育児休暇を延長した。日々不安だという。

事情に応じた、選択肢欲しい
七海ちゃんのような19歳以下の医療的ケア児はこの10年間で倍増し、全国に約2万人いる(2019年厚生労働省調べ)。背景に新生児医療の進歩があり、16年の児童福祉法改正で初めて「医療的ケア児」が定義された。今回の新法は「居住地域にかかわらず等しく適切な支援を受けられなければならない」との理念を掲げ、公的支援がこれまでの努力義務から責務に“格上げ”される。さらに学校の設置者に対し、保護者が付き添わなくても学校に通えるよう看護師の配置などを求め、普通学級から多くが門前払いされている現状の是正も促す。

ただ、課題は残る。
東京都の村林瑠美さん(36)は、特別支援学校小学部1年の長女が放課後等デイサービスに週5日通所し、午後5時半ごろ送迎車で帰宅する。会社の介護時短勤務制度を使い家で長女を迎えられるが、フルタイムの勤務は厳しい。村林さんは「入浴や夕食まで担ってくれる長時間のデイサービスや居宅介護など、各家庭の事情に応じたさまざまな選択肢から選べるようにしてほしい」と願う。

また、看護師らケアを担う人材は慢性的に足りない。そもそも「医療的ケア」は、医師法上は医師と看護職員が行う医療行為に含まれるものの、生活援助行為として治療行為とは区別され、ほとんどのケアは医師でも看護師でもない親がしている。12年の社会福祉士及び介護福祉士法改正で、研修を受けた介護職員などもたんの吸引などの医療的ケアができるようになったが、配置する学校は少ない。

学校の理解不足、看護師依存増す
NPO法人「地域ケアさぽーと研究所」の下川和洋理事は、「医療行為だから医療の専門家以外にはリスクが高い」と配置を敬遠してしまう傾向があると言う。その結果、看護師のいない学校では結局は親が付き添わないといけなくなる。下川理事は「一番の課題は医療的ケア児の正しい理解が学校現場にないこと。看護師以外にもできるケアは多くあるのに、看護師への依存度が増している。医療職でない人でも法的に可能な範囲できちんとケアを担ってもらうのが大切」と指摘する。

学校を出た後の生活介護事業所などでも「看護師の配置が難しく、受け入れ先がとても少ない」と東京都の福満美穂子さん(49)は言う。長女の華子(かこ)さん(17)は生後22時間後、脳に酸素が届かず脳性まひで寝たきりになった。いま特別支援学校高等部3年で、卒業後の居場所探しで悩んでいる。

新法が成立しても、新型コロナウイルスへの対応などで看護師不足がすぐに解消するとは思えない。一方、国はコロナワクチンの「打ち手」を歯科医師らに広げている。ならば、看護師の配置を進めるのと同時に、ケアの担い手の職種や範囲をさらに広げることはできないだろうか。国の責任の下、ガイドラインを示して担い手を配置すれば母親の負担は減ると思う。

戦後間もなく制定された児童福祉法の理念にこんな文言がある。「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」

その責任は保護者だけでなく国や地方公共団体も負う。私は、医療的ケア児やその家族への支援は、一部の特殊な問題ではなく、みんなが共有して取り組まなければならない問題だと思う。障害の有無に関係なく、すべての子どもを全国どこでも安心して産み育てられる環境の整備は少子化対策そのものだからだ。

国はこども庁の創設を検討しているが、2万人の子どもに「学校に通って友達と一緒に勉強する」という当たり前の権利を認めずに、少子化対策と言えるだろうか。新法に実効性を持たせるため、国は柔軟性とスピード感を持って取り組んでほしい。

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特別支援学校も2012年から「社会福祉士及び介護福祉士法」の一部改正によって、研修を受け認定された教員は常勤する学校看護師の元で・口腔内の喀痰吸引 ・鼻腔内の喀痰吸引・気管カニューレ内の喀痰吸引・胃ろう又は腸ろうによる経管栄養・経鼻経管栄養という特定行為ができるようになっています。同じように放デイも看護師が勤務し登録特定行為事業者(喀痰吸引)として認定され、研修認定者がいれば、先に掲げた5つの医療的ケアの実施が可能となります。

乙訓近辺には向日市と洛西の2か所に登録特定行為事業者(喀痰吸引)の放デイがあります。ただ、医ケアを必要とする子どもは単に痰を吸引したり栄養を注入すれば良いと言うものではなく、気管カニューレが抜け落ちたり、突然呼吸が不安定になる等、呼吸器系は命にかかわることも少なくないので安全安心な仕組みが必要です。医師がいない中で実施されるこの仕組みは、看護師の心理的負担が大きいとも言われます。また、この法律は、発達障害者支援法と同じく理念法なので具体的な施策は書かれていません。現場が必要とする財政的保障や医療スタッフの配置等が進むように、この法律の積極的運用が行政に求められています。