すてっぷ・じゃんぷ日記

今日の活動

要求の自傷とどうしてもダメなもの

G君が頭を床にたたきつけて怒って(表現して)います。G君とは以前(電池が切れて困っています。:2020/07/17)の言葉のない人です。G君の前にタブレットを持って行き写真を示して何が欲しいのか探りました。扇風機の写真の上でG君の眼差しが光ったように思ったので「扇風機ですか?」と聞くと手を上げてくれました。

困りました。扇風機遊びが好きなのは知っているのですが、G君は危険がわからないので事業所では扇風機遊びは禁止しようという話を昨日したところなのです。「ごめん、G君扇風機はないのよ」と示すと、猛烈に怒りだしてまたまた床に頭を叩きつけます。職員もどうしたものかと、頭を打ち付けないようにG君の体を支えて途方に暮れていました。

G君は、頭を打ち付けるか大声をあげるかして大人を引き付けて要求を叶えてきました。PECSに取り組んで今では数十種類の要求ができるようになってきました。また、機能的コミュニケーショントレーニングと合わせて「待って」や「~したら~」と言う契約にも応じられるようになってきました。

しかし、今回のようにどうしても困るものについては、契約がなりちませんでした。「USB電源で動くパーソナル扇風機ならいいよ」と示しましたか、そんなおためごかしで騙されないぞと拒否されてしまいした。もとはと言えば、昨日までは玩具として職員が彼に与えていたものを今日から手のひら返しにダメだと言っているわけですから、怒るのは無理ないのですが、怒りが沸騰すると最大の要求武器の自傷で訴えてくるので困ってしまいました。

今回は、時間が解決してくれましたが、本人がどうしても手に入れたいものが、何かの問題で禁じなければならなくなったり無くなったりしたとき時、どんな説得の方法があるのか考えてみたいと思います。禁止を伝えるために本人のブックに扇風機を入れておくかどうかも思案のしどころとなっています。しかし、本人の認識できるものをブックの中から削除するのは、表現の自由から考えて違法行為でもあります。しかし、ASDの支援の場合「ダメ」や「NO」表現はご法度です。「こうすればOK」「いいねYES」を使ってルールは教えるものなのです。それが私たちのいう「契約」支援なのです。そうはいってもどうしてもダメなものが世の中にはあります。どうしたものか、G君と一緒に途方に暮れています。

 

夏休みと身辺自立

昨年は感染防止の学校休業が先制パンチになって、夏休みだかなんだかわからない短いお休みでしたが、今年はしっかり1か月間の休みがあるので、「すてっぷ」としても一日プログラムを充実させようと考えている最中です。朝から夕方まで支援ができるということは、生活上の様々な問題に一貫してアプローチすることができます。

身辺自立の課題では、食事や排せつについて計画的に取り組めます。学校で給食を食べない子どもや、排泄は紙おむつにすると決めている人など、1日プログラムの日は食事や排せつの機会が多くなります。毎日とは言わずとも、長い時間職員も本人の様子が観察できますから手立ても打ちやすくなります。

このブログでは、食事のこだわり問題は平日では機会がないのであまり書いていませんが、ASDの子どもの強い偏食は少なくありません。筆者は焼きそばだけで成人した人を知っていますが、他にもふりかけなしの白飯だけでは絶対に食べない人や、炊き立てでないと食べないので炊飯器を持ち込んで毎日昼食をしていた人等ハードな人を体験しました。

これらの人はどちらか言うと味や食感のこだわりで家庭でもどこでも食べないと言う偏食です。ただ、小さい時期の食の問題は、かなりの割合で場所のこだわりがあるようです。これは食に関わらず排泄でも起こり得ます。つまり、家ではできているのに学校や施設でできないというものです。ほとんどの原因が、そこで食や排せつについて本人には嫌な出来事があったというものです。

つまり場所と食事や排せつやが結び付いて、恐怖感や不安感が高まってできない場合が多いです。もちろん、大人には悪気はありませんが、食事や排せつへのアプローチが本人には理解できず、ほとんどの子はコミュニケーションに課題がありうまく表現する力がないので怖い体験となって記憶に焼き付く場合があるのです。

ですから、そうした原因を抱えているかもしれないと慎重にアプローチすることが大事です。すてっぷでの昼食が初めての人は最初の環境設定やアプローチが重要なので保護者の方の協力がいるかもしれません。一度口にしてしまえばほとんどの子どもは食べられるようになるので、食事は最初の準備が重要です。逆に言えば、最初で失敗すると長い取り組みになる事が多いです。

オムツへの排泄を便器に誘導するのも同じようなことを留意しておく必要があります。こちらは定時排泄ではほとんどうまくいかないことをブログに書いてきました。(紙おむつトイレ:04/05)(トイレ考:05/07)こちらは、便意の神様が味方に付いてくれないとなかなか難しいものがあります。ご家族と連携しながらどうすればうまくいくのか、職員一同今頭をひねっている最中です。気張りたいと思います。

 

ホワイトボード

Bちゃんが、全体のスケジュールを書いたホワイトボードの前でゴソゴソしているので見に行くと、帰りの配車表を並べ替えていました。C君はD先生の車、EさんはF先生の車でと自分の思いついた配車に変更しているのです。(スケジュールの間違った使い方 : 06/17  )で紹介した子はBちゃんの事です。つまり、相変わらずスケジュール表が自分で貼り替えれば思った通りになる魔法の表と理解しているようです。でも、不思議なことに、今回は自分の配車は触らないのが、新しい変化です。これは何故だかわからないのです。

 Bちゃんの様子を非常勤の職員が報告してくれたのですが、その時どう対応したのか、職員はBちゃんの行為をどう思ったのかは送迎時間の最中なので聞くことができませんでした。子どもたちの様子を事細かに報告してくれることは大事ですが、職員の対応や考えも教えてもらえると、さらに助かりますとお願いしています。それは、職員の対応次第で気になる子どもの行動の多くが強まったり弱まったりする原因になるからです。

 Bちゃんの今回の行動についてはどう対応すればいいのか、正解はわからないです。しかし、職員のリアクションが分かっていれば次のBちゃんの次回の行動が分析しやすくなります。現段階の推測では、これはBちゃんの再現遊びの一種で、不適切行動とまでは言えないと考えられます。また、自分の配車を触ると注意されたので他の子どもの配車を変えているのかもしれません。

しかし、ホワイトボードを触られるのは他の子どもの支援や業務上問題があります。どう対応すればいいのか、Bちゃんの支援にアイデアが求められていると思います。すぐに思いつくのは、配車はパーソナルな情報だから全体に示す必要はなく個人スケジュールにする事です。しかし、それでは理解できる子には誰と乗って行くのかの情報が提供できません(そこだけ口頭報告という手はありますが)。貴方ならBちゃんや他の子をどう支援しますか?

 

子どもの言葉

A君が今日は公園に行きたくないというので職員が理由を聞いてみました。ただ、A君が言葉を思いつかないので、職員が当てることになりました。「タブレットがしたいの?」ときくと「ちがーう!」と言うので何だろうとあてずっぽうに言っているうちに、もしやと思いタブレットの中に入っているアプリの名前を言ってみました。

「数字の歌?がしたいの」「そう!数字の歌がしたいの」な~んだ、やっぱタブレットかぁ、という事でA君はタブレットで遊べたわけです。職員会議では、でもそれって「子どもあるある」だよねという話になりました。大人の「タブレット」の概念は、タブレット本体だけでなく、タブレットの中にあるゲームアプリも、それで遊ぶ行為もすべて総称しています。でも、子どもによっては「タブレット本体」しかイメージできないことがあるのです。「タブレット」と特定のアプリで遊ぶことは結びついていないことがあるのです。

普通は、「タブレットしたい?」から類推してそのアプリで遊ぶことと同義だと考えていくものですが、厳密にアプリ名で言わないと遊ぶことと結びつかないこどもがいます。状況や場面から言葉の言外にある意味をつかむ力を、メタ認知と言います。言葉は教えられますが、言外の意味は文字通り言外なので教えることができません。「違う」と言う子どもの言葉を大人が「真に受けた場合」は、提示したものと別の類型のものを提示していくので、余計に通じ合えない時間が長引いてしまう場合が良くあります。

でも、この子はメタ認知が弱いなと知っていると大人側の修正は早くなります。子どもの受け止める言葉も発する言葉も、その子のメタ認知レベルをとらえるスキルを大人が持っていれば、案外スムースにコミュニケーションができると思います。

 

内省と自尊感情

職員会議で「今日は感動しました」とY君の報告がありました。Y君はこれまで人が困っていても我関せずで、友達のために助けてあげてと言っても「なんで俺がやらなあかんねん」と文句を百倍にして返して、自分が客観的にみんなにどう見えるかなど考えもしてないようでした。そしていつもぼやいているのは「俺なんかあほやし」「働くところも将来ないし」と自己イメージも大変悪い子どもでした。

ところが、先日1年生のZ君がお気に入りのタブレットをしようとしたらみんな貸し出していてなかったので、職員が誰かZ君に貸してあげて欲しいと全体に声をかけたのです。結局、他の子どもが使い終わったのでZ君は泣かずに済んだのですが、Y君があとで職員に向かって、しみじみと呟いたそうです。

「あんな、Z君にタブレット貸してくれる人って聞こえた時、6年の俺が貸してあげなあかんと思ってん。思ってんけど、でもまだ使っている最中やったし、『貸してあげる』って言えなかった。あかんなって分かっているのにできなかった」と職員に伝えたそうです。「君の揺れる気持ちは良くわかったよ。今度頑張ろう」と職員は言葉を返したそうですが、Y君はまだ内省を続けている感じでした。

Y君は近頃「ありがとう」をいつも言うようになっているのが職員の間でも話題になっていました。「Y君、ディスるのがなくなって柔らかくなったね」と言われていたのです。これまで叱られてばかりだったのが、簡単な約束でいいので、できたらご褒美あげるのと同時に思いっきり褒めようと言うのがこの半年の支援方針でした。それが効果があったのかどうかは分からないですが、環境変化として大きく変わったのは約束した行動を褒めることを半年積み重ねたことです。

自尊感情の低い人は、そもそも褒められ経験がありません。しかも、発達障害があると、他の子どもには簡単なことでも、不注意や忘れ物で悪気はないのにいつも叱られる事が続きます。そんな彼らに、活動の前に「○○をしよう」と約束をして成功したらご褒美と共に強く褒める事を続けていくと、自尊感情は少しづつ高まっていくのです。ただ、年齢が高くなればなるほど、叱られ体験が多ければ多いほど自尊感情の積み上げに時間がかかる人は多いようです。

ご褒美について訝られる方もいますが、他者感情の読み取りの苦手な人にはご褒美の嬉しさ(感情)と褒め言葉を結びつける連合の過程が必要だと考えられます。これは失敗に罰や叱責を与えるより、永続的な効果があることが科学的に証明されています。褒められて嬉しい感情体験で徐々に彼らの心は快復していきます(感情を学ぶ:2019/11/05)。そうして自尊感情が高まれば、「良き自分」がどういう自分なのかわかってきますから、自分の課題も見えてくることになります。Y君の言葉は「良き自分」を目指した内省の言葉だったのだと思います。

終了の伝え方

X君が休憩時間にパソコンでYoutubeを見ている時、休憩時間の終わりをどう伝えればいいかという話を職員でしました。X君はスケジュール操作ができる人ですから、スケジュールに移動するきっかけをどう作るかという話です。これまでは、一律にタイマーを使っていたのですが、タイマーでも声掛けでも本人がわかるなら、声掛けをすることにしました。タイマーセットしても準備ができていない場合が多いからです。

本来タイマーは、時間の見通しを数字のカウントダウンで知らせるところに意味があります。タイマーで時間経過が読めないなら、アラーム音が声掛けに変わるだけで終了のキューとしては違いはありません。X君には、次の作業が始まるよと、Youtubeを見ている本人の目の前に作業の手順表も示して知らせているとのことでした。「休憩終わりだよと言うだけでは伝わりませんか」と聞くと、試したことがないけど多分わかるはずという事でした。

視覚支援としては次にすべきことを示すのは間違いではないのですが、スケジュール行動が確立している人なら作業手順表を目の前に示さなくても、自分からスケジュール表に向かえばわかる事です。必要以上の支援はおせっかいかも知れません。なんでも目の前に出せばいいわけではなく、本人に視覚的にもうるさくない程度に、自発的に日課を知る支援をするのが、青年期の配慮としては大事です。そして、もし本人がもうちょっと待ってという素振りを示すなら、交渉する良い機会ができたと考えればいいと思います。

 

絵カードを指で叩く

W君は公園でブランコを先生に押してほしいので、ブランコ横に貼ってあるブランコカードを剥がして先生に渡し、「ブランコ押してください」と自発の要求コミュニケーションが何度でもできるようになりました。お母さんも公園で写した動画を見て、こんなことができたんですねと喜ばれています。

ところが、事業所に帰ってきてジュースの絵カード要求ができません。絵カードを用意しても机の上に置いた絵カードをトントンと指でたたき続けているのです。「おかしいなぁ、公園ではきれいに絵カード要求ができるのに何故かな」と職員は不思議がります。

自分の欲しいものを絵カードを渡して伝えるPECSのフェイズ1は、できない時は子どもの後ろにプロンプターと言って、身体プロンプト(手を持って絵カード要求の行動をさせる)を行います。受け手のコミュニケーターは子どもの欲しいものを持って、手の中にカードを渡してくれたら、欲しいものをあげるという行動をします。

この時に、プロンプターやコミュニケーターのトレーニングを受けていない大人は、子どもが絵カードに気付くように絵カードを指さしたり、叩いたりして子どもに教えようとする人が多いのです。そもそも、子どもには指差しの意図がわかりませんから(わかっている子は言葉が出ている子が多いです)、同じように絵カードを叩きます。そして、そのあと手を持たれてカードを渡し、好きなジュースが出てくるのです。

つまり、ジュースが欲しい時は、カードを叩けば、そのあとは自動的に大人がやってくれるとW君は思ったのでしょう。けれども、まだ疑問が残ると職員はい言います。「ブランコはプロンプターもいないけどできています。ジュースのストローも自分でストローカードを取ってきて要求します。」ジュースだけができない理由がわからないと言うのです。

「もしかして、フェーズ1だから、絵カードは「ください」カードを使っていないですか」と聞いてみました。その通りだと言います。それが原因でした。「ください」カードは手を伸ばしている様子のカードです。それを示されたW君は「ブランコ」や「ストロー」や「自動車」でもないこのカードは何だろうと思い、躊躇したのです。そこへすかさず、大人の「絵カードトントン」です。そらそうなるよねと全員納得でした。

W君は絵カードの弁別ができるのです。弁別の出来る子に、意味不明のカードを渡せとやっていたわけです。フェーズ1は絵カードの弁別ができなくても取り組むので、私カードはなんでもいいと言うのがマニュアルには書いてあります。しかし、弁別ができるW君には「なんじゃこれ?」だったのだと思います。今日はジュースの絵カードを準備しました。

将棋ブーム

すてっぷの小学生らの間では、ちょっとした将棋ブームになっています。S君はおじいちゃんから定石を教えてもらい結構強いです。T君はNHKの将棋番組を見るのが趣味のようで、誰に教えてもらったわけでもないのに指し方は完璧で、相手をさせられた将棋初心者職員の指し方が違うと怒られて恐縮しています。他の小学生たちは、STコンビも師匠にして指し方から教えてもらっています。

ただ、二人が毎日来るわけではないので、一人づつ教えてもらう事になります。じゃんけんで勝った子が「師匠」から手ほどきを受けます。「あー、僕も将棋したかったなぁ」とU君がいうので「誰と?」と聞くと「Vさんと将棋したかった」と言います。「ところで、U君将棋知っているの?」と聞くと「全然知らん」というのです。なんだVさんと一緒に遊びたいってことだねと大笑いでした。

この頃はタブレットのAI将棋ソフトもあるので、コンピューター相手で覚えてもらおうとしたのですが、誰と指すかでモチベーションが違うので、そういう気持ちは大事にしていきましょうと職員間で話し合いました。ひょっとすると、すてっぷの藤井聡太が出てくるかもしれません。子どもの才能は引き出してみないとわからないものです。

今日 1000万ビュー達成!!

このブログの閲覧数が1000万ビューを達成しました。昨年の12月に指数関数的に閲覧が増えている(祝500万ビュー!: 2020/12/09)と書きました。前回は500万ビューに到達するのに20か月間、今回は500万増えるのに7か月間とどんどん加速しています。現在1日に約3万回の閲覧数で1か月に90万ビューですから、来年の今頃には2000万ビューに達する勢いです。

毎日の子どもの事や職員の気づきを掲載する「すてっぷ・じゃんぷ日記」は、じゃんぷが開設してから、学習障害や読み書障害の子どもたちの事についての内容が新たに加わっています。すてっぷは主にASDや機能的コミュニケーション、知的遅れのない発達障害の子どもの社会性が記事になっています。放デイであればどこの事業所でも課題になりそうなことが掲載されているので関係者にはよく読まれているのかもしれません。学習障害の放デイの対応はいまだに「補助学習」と認識している関係者も少なくないですが、学習障害には専門的で日常的、継続的な療育支援が必要です。地域総ぐるみで支援してこそ効果が表れることを発信していきたいと思います。

「みんなちがってみんないい」は発達障害に関する福祉や教育に関係するニュースや書籍の感想をコラム風に掲載しています。こちらは、保護者の方や教育関係者の方もよく読まれているのかもしれません。メディアのニュースは最近はほとんどがウィルス関連の記事ばかりで、選択にとても苦労しています。ここでは、もっと発達障害に関する、就学前や成人期のニュースをとり上げていきたいと考えています。引き続き皆さんの応援をよろしくお願いします。

 

共同作業

大人が声をかけてくれるまで動けない症状、指示待ちの強迫性については、(自立課題と指示待ち:05/15)に書きました。このブログの検索窓で、「指示待ち」で検索をかければ、この記事を合わせて10件ほどの記事がヒットします。指示待は受動型のASDの人に多く、表出コミュニケーションの不全から生じる事が原因としては多いのですが、これが強迫症状と結びつくとお箸の上げ下げまで指示を待つようになったりするものもあります。ただ、強いこだわり(強迫性障害)の場合は薬物治療での対症療法しかなく、長い時間がかかるケースも少なくないので、あまり本人を急がせたり否定したりせず受容的に対応することが大切だと書いてきました(指示待ちとカタトニア:02/25) 。

R君の指示待ち傾向は、さらに強まっていて、最近では缶潰し作業でも、空き缶を足でつぶすきっかけの言葉を求めるようになっています。おやつの時間でも「食べていいよ」と本人に声掛けするまでは、ひたすら待つようになっています。職員によって声掛けのタイミングが違うので余計に困っているようでもあります。職員会議で相談した結果、R君に一工程づつ声掛けをするような作業では自立性を目標にしているとは言えないので、この症状が収まるまでは、声をかけなくていいい取組にしようということになりました。

缶潰しは職員が行うことにして、R君は箱の中にある空き缶を職員に渡すという共同作業にしました。彼が促すたびに「つぶしていいよ」と一回一回声をかけるより、「空き缶取って」と声掛けするほうが、同じ行動のキュー(合図)を出すにしても自然だと考えたのです。この作戦は今のところ成功していますが、もう少しこれを工夫した形で共同作業にならないかどうか検討中です。

プログラミング学習

今年度より、小学生を対象にプログラミング学習に取り組んでいます。プログラムソフトは、学校でも使うスクラッチです。スクラッチ(Scratch)は、マサチューセッツ工科大学(アメリカ)メディアラボによって開発された、8歳から15歳の子供向けプログラミング開発環境です。

通常、プログラミングといえば構文、アルゴリズムを覚えながらひたすらキーボードを叩いてコードを書いていきます。しかし、プログラミング自体未経験な子どもにとっては、このような作業は覚えることが多く、学習の難易度が高いという問題があります。そこで開発されたのがスクラッチです。

スクラッチでは、命令が書かれたブロックを組み立てながらプログラミングしていきます。操作はドラッグ&ドロップが基本で、キーボードを使うことはありません。また、プログラミング言語特有の構文をいちいち覚える必要がなく、難易度が低いので子どものプログラミング教育として人気を集めています。

すてっぷでは、3人程で学習会をしてますが、自分のプログラムは真剣に作るが人のプレゼンは全く聞いてないとか、取り組み方が3人3様で面白いです。スクラッチは学校でも取り組んでいるものですが、プログラミングの難易度に合わせたカリキュラムまでは提供されていないので、それこそ実施機関の職員の指導力量が試されます。すてっぷでも、子どもたちと遊びながらカリキュラムを整えていきたいと思います。

当事者(小6)支援計画面談

1年のうちの前半が終わり後半が始まりました。6年生にとっては1~3月は移行期ですから、12月までを目途に中学移行前の6年生の時期の過ごし方を考えていく必要があります。すてっぷでは、通常学校の6年生は卒業です。その理由は、通常学校の中学での生活パターンは小学生と変わりますし、遊びや趣味のニーズも違います。また中学生は学習を中心に据えた生活に変わっていくからです。

すてっぷでは、以前は必要に応じて行っていた、6年生の支援計画会議への参加を、今年度より企画しようということになりました。中学でどうなりたいのか、そのために小学校の最終学年で何を目標にするのか、職員の支援計画の提案も聞きながら6年生にも考えてもらう機会です。保護者とともに話し合い、夏と冬に実施して中学の支援につなげていけたらと思います。何よりも、「私たちの事を私たち抜きで決めないで(Nothing About us without us)」が権利条約の根っこですから大事に扱いたいと思います。

以前にも、小学生の先輩から「俺ら障害があるからここに通所しているのやで」という発言を聞いて、「えー俺障害ないし、違うしー」と真剣に驚いていた様子(障害告知のタイミング: 2019/08/2)を書きました。自分とは何者かを考える時期に入っていく彼らには、学習の事だけではなく、学習も遊びも生き方も一緒に考えていくもので、切り離せないものだということを伝えていきたいと思います。そして、支援を享受してうまく生きていく方法を掴むことこそ、自分を生かす方法だという事に気付いてほしいと思います。

 

田んぼの田

田んぼからカエルの鳴き声が騒がしくなってきました。「田んぼの田」という鬼ごっこ遊びで職員から報告がありました。この遊びは、鬼に捕まらずに田んぼの田の文字の4つの四角部屋を通り抜けたらセーフと言う遊びです。鬼は十字の線の上しか動けません。鬼にタッチされたらその人も鬼になり、鬼同士で協力し合って移動する他の子をタッチしていきます。

この遊びをせっかく高学年が提案したのに、低学年の子どもやASDの子が面白くないということで、高学年が不貞腐れていたという報告でした。鬼ごっこはどの子も好きなので田んぼの田ものってくるかなと職員も思ったと言うのです。この遊び簡単そうですが、低学年やASDの子には難しいのです。今まで逃げていたのに、タッチされたら鬼になるのです。視点の転換の難しさのある低学年児やASDの子どもの場合、1ターンのゲームの中で役割が入れ替わる遊びは立場の切り替えができず「面白くない」のです。

鬼ごっこならなんでも面白いだろうと大人は思いがちです。子どもによって食いつきが違うのは、この役割の入れ替わりのある無しが大きく影響しています。役割交代があるから楽しい高学年児・非ASD児が、これおもろいでと示してくれたのですが、この場合は「まだ、面白さがわからんから、交代のない遊び考えてよ」という職員の支援が必要です。

お忘れ防止チェックリスト

以前、小学生の帰りの忘れ物が多すぎるので、(お帰り準備表: 06/11)に取り組んでいると書きました。4名中3名は事業所に物を忘れることはなくなったようです。まだ送りの車の中に水筒を忘れる輩がいるので、「降車チェックリスト作ろうか?」と聞くとそこまでは勘弁してくれとのことでした。ところがQ君だけ忘れ物がなくならないのです。

Q君はこれまでそんなに忘れ物が多い子ではなかったのですが、このチェックリストの取組が始まってからかえって忘れ物が増えているのです。「ひょっとしてQ君、チェックリストのボックスにチェック入れるだけの行動と勘違いしてないかな」と職員に聞いてみました。職員は「まさか」という顔をしながらも、Q君ならあり得るかもという話になりました。

Q君は、新しい行動はすぐに模倣して覚えるのですが、意味を共有することが難しいです。そのため、誤解や勘違いが多く周囲とのトラブルもおこります。このチェックリストもチェックボックスにレマークを埋めるだけの行為として理解しているかも知れません。もしも、そうなら今までの帰りのルーティンにチェックボックスを埋めると言う行動が増え帰りの行動が余計に煩雑になって忘れ物が増えているとも考えられるのです。

普通は見たらわかるだろうという場面も、場面の意味理解が苦手な子どもには、何故取り組むのかという理由と合わせて、ひとつづつ行動で教えていく必要があります。チェックリストも使い方を丁寧に教え、できたら褒めるという支援が必要です。

禁止型か提案型か?

Pさんは、手すりやガード用の鉄パイプにぶら下がったり滑り台のはしごを反対側からぶら下がるのが大好きです。ただ、心配なのは低緊張の子どもの場合、落ちた時に尻もちをつくと脊柱から頸椎に衝撃が大きくかかり、怪我につながりやすいことです。そうした理由で、Pさんが落下しないように安全に気を付けて欲しいと職員にお願いしたのです。

「気をつけてみてね」とお願いされた職員は、怪我をさせてはいけないと「危ないからそんなことしちゃいけません!」と注意をすることになります。していけないと言われれば言われるほどしたくなるのが子どもの常です。そして、昨日も書いたように、していいことに大人は注目しないが、してはいけないことに大人の注目が集まると気が付きます。そうなると「ちっとも言う事を聞かない子」になるのです。

機能的コミュニケーションの苦手な子どもに「~してはいけません」は百害あって一利なしがセオリー1です。していいことを「~しましょう」と伝えて、実行したら「えらいね」「良く切り替えたね」とほめちぎって注目するのがセオリー2です。

でも、昨日も書いたように、大人の注目を集める方法を大発見したPさんが、そんなやすやすとこちらの指示に従うはずもありません。大事なことは、こんな遊びをしましょうとPさんが好きな固有(筋肉)覚刺激系の力を入れるロープ遊びや坂遊びを開発してみんなで一緒に遊んで楽しいねという経験を積むことです。新しい遊びは教えるために大人が注目していますから一石二鳥です。子どもを「見てね」というのは、監視したり禁止すると言うより、そこに向かわないように新しい遊びを作って一緒に遊ぶということです。もちろん目を離さないで安全を確保する労力は同じですが、禁止型よりも提案型の方が子どもと仲良くなれます。

逃げる子

注意喚起行動については何度も掲載し、この予防方法は機能的コミュニケーションのトレーニングが有効と書いてきました。しかし、言うは易し行うは難しです。今年も利用者の注意喚起行動が生じています。新入生のOさんは、喃語様の発声はありますが機能的なコミュニケーションができません。でも、視覚的な認知は優れていて、構造化された環境では自分がすべきことを理解できます。通所して荷物を置いたり、外から帰って来て手洗い行動などルーティンな行動も教えれば正確にできます。

ところが先週頃からたて続けに注意喚起の逃げ出し行動が始まりました。担当者の視線が外れたとわかるとその場から逃げ出すのです。逃げる行先を考えているわけではありません。追いかけてくれるのを期待した注意喚起行動です。これは、大人に気持ちが向いてきている成長の証拠でもあるのですが、表出言語がない場合に起こりやすい行動で、長い人は思春期くらいまで続く人もいます。こうした不適切行動が起こる前に適切な要求方法を教えられれば良かったのですが、間に合いませんでした。

子どもと長く付き合う人には「本人の言いたいことはだいたいわかるから」となかなかトレーニングの必要性に気付いてもらえません。大事なのは、受け手が子どもの要求を理解することではなく、本人自身が言葉でなくても伝わって便利だと感じて使ってくれる本人側の伝達手段なのです。玩具で遊ぼう・ブランコで遊ぼうと伝えられたら、逃げる必要はないのです。ただ、逃げる行動は遊ぼうと言う表現だけでなくて、子どもにとってはとても魅力的でエキサイティングな遊びですから、注意喚起行動とセットになるとそう簡単には消去できないです。でも体が大きくなってどこまでも逃げられるようになると魅力的だから仕方がないとは言っていられません。

大人と遊びたいときに逃げれば、大人が振り向いてくれる確率は高まりますが、戸外や道路では危険な行動です。室内でも外に逃げる方が大人のリアクションが大きいので強化されやすいです。しかも、分化強化されやすい(たまに逃亡が成功するから何度も繰り返す)行動なので、大人は四六時中注目せざるを得なくなり、更に悪循環を形成していきます。Oちゃんには、PECSを導入しましょうと御家族と話していた矢先なので、家族の方にもトレーニングを受けてもらい、取り組みを開始したいと思います。

かまって

Nさんが西山登りで、かまってほしそうに職員に関わってくるので、もうおねぇちゃんだし構わないでおこうとスルーしたそうです。そうすると道端で膝を抱えて固まってしまったそうです。

他にも、かまってあげないとストライキを起こす子がいます。かまってほしい理由はそれぞれなのですが、基本はうまく伝えられずに大人に「見て見て」アピールをするのです。「どうしたの」と声をかけ続けて欲しいのです。声をかけると、しばらく頑張るのですが大人が離れるとフリーズします。

応用行動分析的に言えば、大人の注目が強化子なのです。でも、15分程度坂道上がるくらいの山道で「見て見て」が始まると「自分で頑張り」となってしまいます。注目が得られないと困りますから、もっと注目を得られる行動が始まります。移動中に固まれば、否が応でも大人は注目せざるを得ません。大人が注目をやめればやめるほど注意喚起行動は強化され、バースト(爆発)します。

つまり、注目をやめる行動と見て見ての行動の力比べは「見て見て」が勝つに決まっているのです。山に子どもを置き去りにはできないからです。このような時の解決セオリーはトークンエコノミーなどの契約制です。最初は簡単なことで契約を教え、徐々に時間を延ばしたり、ご褒美のインフレーションが起こるくらい褒美を与えていきます。この時に、誉め言葉は強化子に裏付けられてセットになるので大事です。

やがて、ご褒美を得ること以外に自分だけでできたと言う成功経験が積み上がっていきます。成功経験を積み上げて行くことで自尊感情は育ちます。成功体験を積み上げればご褒美はやがて必要なくなり達成後の本当の誉め言葉だけで自信がついていきます。時間がかかりますが双方がウィンウィンの関係性を維持しながら注意喚起を消去する方法としては、これに勝る方法を筆者は知りません。

 

痛いの!

1年のM君が公園のスイング遊具を元気すぎるくらい揺らして、勢い余って落ちてしまいました。見ると腕の肘を擦りむいています。M君痛くないのと職員が聞いても次の遊具に向かっていきます。何ともないような表情で遊ぶM君をつかまえて水で洗ってバンドエイドをしました。その後も、M君は「ボンさんが屁をこいた」(だるまさんが転んだ)にあまりルールも分からないのに表情も変えずに参加していました。

「痛くないんすかね?」「ASDの感覚鈍麻?」「助けてが言えない?」などと職員で問答をしていました。家に電話をしてお母さんに聞くと「擦りむいたらバンドエイドを貼るまでこだわります」とのことでした。帰宅時間になり家まで送っていくと、M君急に顔をしかめて、「イタイイタイ」とお母さんに大アピールを始めたそうです。

帰ってきた職員が「やっぱり痛かったみたいです」と報告してくれました。職員には痛いと言う援助要求のスキルがなかったのかどうかはわからないのですが、お母さんを見て「痛いアピール」をするL君に、「外では頑張っているんだなぁ緊張して暮らしているんだなぁ」と、しみじみ思いました。頑張れ1年。

学校の学習と結びつく支援を! Y先生のじゃんぷ通信4

学校の学習と結びつく支援を! Y先生のじゃんぷ通信4
その1 「蛾(が)まいこんだ!の巻」 

学びの広場じゃんぷは、西向日の閑静な住宅地で、桜の並木がきれいな街の中にあります。
それで建物のなかに 突然蛾が舞い込んでくることも。
職員は超びっくり・・・ 大騒ぎです。

ちょうどそんな頃です。
実は利用している小学2年生のK君は生き物が大好きで、以前から
「ぼくアゲハ蝶をそだてているんや」
「おばあちゃんの家に柚の木があって、その葉っぱでそだてているんや」
とよく話してくれていたのです。
駅からじゃんぷまでの道も、もうK君にとっては興味の宝庫です。
「きょう 木に蜜がついているのを見つけた!」
「花の中にありがいたんやで」
「蜜を触ったらぷにゅぷにゅしていた」
「でも臭おったらくさかった。先生も臭おってみて」
と先生たちや何人かの友達を巻き込んで楽しい会話になりました。
そんな日に思わぬ蛾の出現ですから、『桜の蜜→かえで→メープルシロップ→NHK番組の科学の里で作ってた』と話題は広がります。

こんな話が出てくるときはチャンスです。
理科の生き物の学習につながったりします。
国語の3年生の教材で「ハリネズミと金貨」というお話が出てきます。
「リスが木のうろから顔をだして」
クモが「おいらがあんだもの(靴下)をあげるよ」等の表現が出てきた時に読み書き障害のある子どもたちは困ってしまいます。
『木のうろこ』『木のうら』???
『おいらが あんたにあげるよ』???

職員が学校の教材の流れをつかんで、
じゃんぷの近くで「木の洞(うろ)」を見つけて写真を撮って見せました。
クモの糸で見事にクモの巣をつくっている写真を探しておきました。
それをみていた3年生のLさんは、
「あー そういうことね!」
と文とイメージが結びついて納得した顔になりました。

学校から帰っての宿題は、家庭にとってはとても大変な時間です。
そして、子どもたちの生活のほとんどは学校の学習が多くを占めます。
その学校の流れにそって、「わかった」「なるほど」と感じながら過ごすサポートが大きな力になります。学校や家庭での生活がスムーズにできる中で、伸びる力も出てきます。
学習支援をじゃんぷが大事にするのはそのためです。

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これまで「Y先生のアイデア通信」のタイトル改め「Y先生のじゃんぷ通信」と改題しました。じゃんぷでの子どもたちの様子や、学習障害を中心とした発達障害への支援アイデアを連載しています。

 

子どもの学びを支える親の会「すぷらうと」訪問記

困り感を持つ子どもの保護者のピアカウンセリング・サークル

子どもの学びを支える親の会「すぷらうと」6/12訪問記

日曜の朝10時、公民館に三々五々にお母さんたちが集まってきました。参加者は会長の山木さんら8人のお母さんたちとゲストの私たち2名です。最初は子育てに関わる公民館活動の報告がありました。その後、私たちの自己紹介と訪問の経緯を話しました。

放デイを経営している私たちのNPOでは、発達性読み書き障害に特化した支援が地域に必要だと感じ、専門支援の児童発達・放デイ「学びの広場じゃんぷ」を昨年秋に新たに開設。職員は特別支援教育や発達障害支援の出身で、学習障害の子どもや通級教員とのやり取りは多いが、乙訓の保護者と情報交換した経験は少なく、学習障害児の親の思いを知る機会を得たいと考えてきた。そんな時に新聞記事(学習障害抱える児童、タブレット支えに無事卒業: 04/03)で地元に学習障害児の親の活動があると知った。たまたま「すぷらうと」のアドバイスをしている坂根先生が教員時代の仲間だったので早速取次をお願いした。という経緯を話しました。

それから、参加された全てのお母さんから子どもたちの様子を聞かせてもらいました。みなさんとても話し上手で、何度もここで話されていることが良くわかりました。小学2年から中学高校生までの子どもたちとお母さんたちのこれまでの経験や苦労を聞きました。みなさんお話になるのは特支級入級時の様々な葛藤でした。そして、一堂にお話になるのは、登校渋りなどはなくなって今は安定しているが、落ち着けばそれいいのだろうかという悩みでした。

発達障害のある子どもたちの支援級への入級のほとんどの理由は、登校渋りなど通常学級での不適応からです。中には積極的に特別支援学級入級を希望する山木さんのご家族のような場合もありますが、多くは入級希望をしたわけではないが、子どもの安心できる居場所を作らなければ何も始まらなかったというのが共通の思いのようです。けれども、親の気持ちの中では釈然としない思いもあり、それを受け止めてくれるのが「すぷらうと」の一番大きな役割のように思いました。入級した後もその思いは進化と深化を続けており、一人で背負うには重すぎる思いが、聞いてもらう事で整理がつくこともあると言われます。

私たちも保護者支援で特に必要だと感じているのが、保護者同士のピアカウンセリング(以降略称「ピアカン」)です。しかし、放デイや学校職員の仕事の中心は子どもに対する支援です。よく、放デイや学校でピアカンを推奨する先進事例が紹介されたりしますが、ピアカンは当事者である親同士の営みですから、それを第3者が組織するのは簡単ではありません。親同士の自発的なものとは言うけれど、持続性のあるものを作るには必要な条件があります。

ピアカンを実施するには、ある程度の発達障害の基礎知識や、ピアカンのカウンセリングマインドが必要です。参加者の序列化などが生じて苦痛なものにならないように、これを支援するコーディネーターの存在も欠かせません。様々な条件をクリアするには、一事業者では難しく、「すぷらうと」のような自助団体が乙訓に立ち上がるのを待つしかないなと思って半ばあきらめていました。

ところが、「すぷらうと」は2016年すでにに立ち上がり5年間も長岡京市で活動を積み重ねておられたのです。山木さんの御長男が小学1年(現在中1)の時、ひらがなが全く覚えられず、親が必死になって手を押さえ、姿勢を正させて「鬼の仕打ち」をしていた時期があったそうです。全く効果が上がらず、別の方法を探して情報を集め、診断を受けたら、発達障害の一つで、読み書きが苦手な「学習障害」とわかりました。これは、親1人が「鬼」になるくらいでは解決できる問題じゃないと思ったそうです。そして、何より思いが共有できる仲間がほしかったのでこの会を作ったと言われます。

毎月の会合は、講師を招いた勉強会と、参加する親同士の情報交換会です。会を続けて課題に感じているのは、発達障害の理解を周囲にどう広げるかです。多動で、不注意で、姿勢が悪い我が子について、他の保護者から叱って正すように求められることも少なくないそうです。聴覚や感覚の過敏性。普通には見えない行動にも意味があるので目を向けてほしい。同じ家族の中ですら意見が異なったり、「何も問題ない」「大丈夫」と気休めの言葉に心が折たりする時もあるけど、思いを分かち合って前向くことで新しい絆を作ってきた「すぷらうと」は、この地域になくてはならない存在になっています。

この会の後、山木さんにインタビューをするのですが、話が盛り上がり過ぎて書ききれないので、機会を見てまた掲載したいと思います。今回の障害福祉等報酬改定でペアトレを児童発達や放デイで実施するように保護者1名800円程度のグループ相談加算が報酬に新設されました。ペアレントトレーニングを契機にして、高まり合った親同士でピアカンが始まれば、持続可能性が高いことは様々な調査研究で分かっています。「すぷらうと」のような自助団体が地域にあれば、ピアカンを求める親の居場所にもなっていきます。一事業所、一団体の力は小さいですが、お互いが連携しあい、共通の思いを束ねることができれば大きな力になっていくと思います。

すぷらうと お問い合わせ先(メール)

100マス計算

J君の宿題に一桁の加算で百ます計算が出ていました。教員経験のあるものは懐かしい思いで見ていました。J君は繰上りのある加算も得意です。ます計算は教員にとって忙しい時にも役に立ちます。縦横10個の数字を書きクロスした左上に加減乗除の記号を入れたら100問のトレーニングができるからです。子どもによっては10個の数字を減らせばその子の耐性に応じて出題数を調整できます。

また、普段はランダムに数字を並べるのですが、たまに数字を順序数で縦横同じ数字で出題すると加算の場合は、全て端から順番に順序数が並ぶ法則を掴んで計算せずに仕上げることに気が付く子がいます。そのほかにもかけ算なら対角線より上と下の答えが対象になることに気づいてきます。この力が観察できれば、法則を掴む9歳ころの発達に差し掛かったなと考えることができます。ただこれは直接観察が必要ですから保護者にお願いしたりします。

しかし、注意したいのは学習障害など空間認知の弱い人は縦横の位置が取れずその位置を特定するだけで、学習パワーの8割がたを使ってしまい、残り2割で計算するはめになります。空間認知力や視知覚の弱い人には一行ずつ見えるようにスリットなどのツールを与えることが大事です。このチェックを怠ると、子どもによってはせっかく計算ができても、とても時間がかかってしまい地獄の苦しみを与えることになります。子どもは、他の子はできているから、自分に努力が足りないと思ってしまい自尊感情を下げてしまいます。百ます計算出題者は子どもの凸凹の特性にご注意ください。

スケジュールの間違った使い方

新しい子どもに見通しをつけさせたいと、貼り付け式のスケジュールを使う人がいます。子どもは日課に見通しを持ちますが、このスケジュール表を「魔法の表」と勘違いする子どもがいます。対人相互性(対人関係)が弱いASDの子どもはこのスケジュールが大人との関係性で契約された表だとは微塵も思っていないのです。

スケジュールを最初に教えられた子どもたちは、この表に自分の好きな玩具遊びや公園行きのプログラム絵カードを貼り始めます。そして、嫌いなプログラムを捨てます。職員は「だめでしょ」と注意したり、動かせないスケジュール表(印刷したり上から透明板で固定する等)を使わせようとします。(使えんちゅーねん!)

スケジュールスキルは、PECSでは文フレーズを作って要求するフェーズ4以降に登場する高度な社会的適応のスキルです。PECSではコミュニケーションのトレーニング段階と並行させて移動スキルや交渉スキル、要求スキルについて段階を追って教えるようにしています。「~したら~しようね」の交渉が通じない子どもに気に入らないスケジュールを示せば、スケジュール上で混乱が起こるのは自明の理です。PECSマニュアルの243ページから30ページほどは、子どもと交渉をどう成立させるか目から鱗の落ちるアイデアが満載です。ぜひお読みください。

 

 

自己決定と自立通所

じゃんぷを利用しようかなと考えている高学年や中学生の子どものご家族にお願いしたいことがあります。じゃんぷは発達性読み書き障害を中心とする学習障害のある方の療育をしています。じゃんぷの療育は、すてっぷの遊びや生活の中から題材を見つけて療育するという生活型療育ではありません。検査など詳細なアセスメントをもとに、読み書き計算が困難な障害そのものに焦点を当ててピンポイントで支援する学習型療育です。

つまり、本人の「今より字が読み書きできるようになりたい」「学習がわかるようになりたい」という願いや決意があって成立する療育支援です。もちろん、トレーニングばかりでは息が詰まるし、学習はショートインターバルが適している子もいますから、個に応じて支援の方法は変わりますが、基本はバイパス法を用いた仮名訓練(聴覚法)やT式ひらがな音読支援、ICTを使った読み書きトレーニングを継続して行く必要があります。つまり、「良くなりたい!」という動機なしには学習が成立しないのです。また、療育で学んだことは自宅に戻っても続けていけるようになる、自学自習のマネージメント力もつけていく必要があります。

しかし、最も必要なのは自分の意志で通所することです。自分の力でじゃんぷに時間通りに通う力です。なーんだ、そんなことかと思われるかもしれませんが、学校の通学は近所の友達や集団の力が働いていますが、通所は基本一人です。雨が降ったり、暑さ寒さ、帰り道の心細さ、空腹、通所するには当たり前の出来事ですが、こういう変化に適応しながら毎日ではなく決まった日時に通所しなくてはなりません。

私たちは、通所の場合、自宅から療育は開始されていると考えています。人に言われてするのでなく、自分で選んで、選んだことを物理的には自分だけの力で続けていくこと、こうした行動はこれまであまり求められなかった行動です。通所の最中は、いろんなことを考えます。学校での事、成績の事、親の事、自分の未来、好きな人の事。良いこともあれば悪いこともあります。往復の時間、子どもたちは様々なことを考えます。その時間が大事だと私たちは思います。思春期は自分とは何者かを考える時期です。親がいうから通う道のりではなく、親は勧めたが自分が選んだ道のりであることを自問自答する経過が、しんどい時こそ大事だと思います。

じゃんぷの療育は、こうした自己選択の道のりを文字通り通い続ける中でしか成立しません。もしも、お子様にじゃんぷの療育をお勧めになるなら、「自分で決めて通い続ける」最初の決意はとても大事だということをお子様にお伝えください。そうした「お約束」がじゃんぷの職員ともできるなら、君が挫けそうになってもみんなで支えていくから、心配しなくていいとお伝えください。

「教えるとは、希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと」

 

 

 

 

絵カード ポイッ!

今日の、I君のスケジュールには最初に公園遊びが入っていました。ところが、職員が確かに入れたはずの公園絵カードが貼ってないのです。おしまい箱を見てみると「終わった」ことになっています。I君だなとわかりました。実は今日の天気は雨こそ降っていないのですが、曇っていて怪しい感じはあります。I君の苦手は「雷音」です。雷が鳴ると怖いのです。

I君はおしゃべりもできるし、人を笑わせるのも好きな子です。けれども、人と交渉するのが苦手なのです。交渉が苦手な人の多くは、嫌なことや困ったことも訴えることができず一人で「解決」しようとします。今回は、スケジュールにある「公園行き」でもしもの雷音に見舞われないように、自分の「公園行き」をないことにしたのです。

それに気づいた職員が「どうだろうねー、雷鳴るかもしれないけど鳴らないかもね、とりあえずみんなも行くし行ってみない?」と大好きな子も行くことがわかったのか、「なら行こっかなー」と自分で決めました。話してみれば否定的な情報だけなく肯定的な情報もある事が分かります。でも、人に話しかけない限りはその情報は得られません。

また、人に自分の困った事を聞いてもらうだけで、そんなに深刻な感情があったわけではないことも自覚できます。今度はスケジュールから絵カードポイを見つけたら、その絵カードを持って「あのさー このスケジュール困っているけどどうしよう」と交渉に来てくれるように支援しようと思います。公園行の車の中では安心したJ君のおしゃべりが楽しくはじけていました。

お帰り準備表

小学生の不注意傾向の子どもたちの忘れ物が後を絶ちません。以前は職員が全て子どものカバンの中に入れていましたが、それでは意味がないと言う話をしました。しかし、「~は持った?」「水筒は今日は持ってきた?」などと口頭で確認するのも高学年の子どもにとってはうざい話です。

どうすれば忘れないか。チェックリスト・スキルを教える事と答えは分かっていたのですが、なかなか取り組めませんでした。取り組めなかった理由は簡単です。そう簡単にチェックリストをつけるとは思えないからです。チェックリストをつけることを忘れるからです。そこでまた、チェックリストをつけたかどうかのやり取りを子どもとするとなると職員にとっては、結局口頭指示を行う事になり二度手間だと賛同されなかったのです。

それでも、実施しようとなったのは、今年の6年は全員不注意傾向が強く誰かが必ず忘れ物をする日が続いたからです。チェックリストをつけつけたチェックリストを送りの車の職員に渡さない限り車は出さないことにしたのです。案の定、H君が「面倒くさい」と怒り出しました。確かに、子どもたちと一緒にどうすれば忘れ物をせずに帰れるかと言う協議をすればもう少しスムースに導入できたかもしれません。さて効果はいかに?

忘れる原因

帰りの行動がスムースになったと言うG君(タイマーは自立のため: 02/05)がこの間タイマーが鳴っても動かないという報告があり、何故だろうと議論になりました。記録を見てみると新年度になってから、動かないことが散見されます。次第に職員はG君は動かないものとして、声をかけたり距離を縮めて帰り支度の指示をしていたようです。

そもそもは、武漢風邪の感染予防臨時休校やら、連休やらで生活リズムが崩れたか不眠が続き体調が思わしくなかったという事があります。しかし、直接の要因は、適応行動が崩れた場合は一歩前に戻るという支援を職員が忘れていたことです。

3学期の終わりころ調子のいい時は、タイマーが鳴ると①タイマーを止める②スケジュールに移動する③今していたカードをおしまい箱に入れる④スケジュールの最後の「帰る用意」カードを「今やることエリア」に貼る⑤帰る用意をする という5つの一連の行動ができていました。

タイマーが鳴っても動けないなら、ここではタイマーを切る動作を身体プロンプトします。それでも動かないなら、身体プロンプトでスケジュールに向かわせます。大体これで、スケジュール行動は思い出すはずです。タイマーを消してスケジュールに向かう行動は手がかりがないので記憶が薄れやすいのかもしれません。

そして、この間動けない時に声掛けをしていたので、声がかかったらスケジュールに行くルーティンに置き換わったのかもしれません。大事なことは、子どもが何故自立的に動けなくなったか職員が分析をすることです。そして、支援のコンセプトや目標は「自立・自発」だということを忘れないことです。子どもが行動を忘れている時、職員も行動や目標を忘れていることが少なくありません。

要求は交渉スキルにつなげる

新入りのF君が事業所についたとたん、靴も履き替えずカバンも所定の場所に置かずに玄関からタブレット置き場に突進してタブレットをゲットしてしまったので困ったと言う報告がありました。F君は機能的な自発の表出コミュニケーションがありません。職員の関心は、学校から帰ってきたらまず靴を脱ぎカバンをロッカーに入れ手を洗うことです。しかし、新入りのF君はまだ日課を理解していません。

けれども、送迎車の中で「今日はタブレットして遊ぶんだ」とF君は考えていたのだと思います。これは良いことです。「~がしたい」「~が欲しい」という要求があればルールに沿うようにも交渉ができるからです。要求のない人には交渉が成立しないので、形だけしか教えられません。でも動機があれば意味を伝える事ができます。「タブレットをする前に、手を洗いましょう」など「~したら~できる」という対人交渉が成立します。

子どもが欲しいものを、子どもの手に届くところに置かないようにすることや、要求する時の「ください」カードを準備する事、そして、トレーニング場面ではないのでプロンプターがいなくても臨機応変に子どもに対応する事ができれば交渉の条件は成立します。すぐにタブレットをわたさず子どもが届かないように高く掲げながら、「靴、カバン、手洗い」と指示してできたら「良くできたね」とタブレット渡して褒めればいいと思います。

子どもに余裕がないなら最初の交渉は指示一つだけでも良いと思います。子どもが好きなものなら、指示されたことをして要求が叶えば子どもは交渉の意味を理解できるからです。交渉スキルは要求スキルと同時に、最初から教えることが原則です。スケジュール理解は交渉スキルが成立していないと、スケジュールで気に入らないカードを捨てたり勝手にカードを入れ替える子どもが少なくありません。交渉は最初に教えることが大事です。

トランプゲームと心の理論

E君と職員がトランプをしました。「ババ抜きを教えたけど意味が分かりづらかったみたいです」と職員が報告してくれました。E君はASD児で数字は大好きな子です。神経衰弱は結構覚えていてゲームが成立します。ただ、3人以上で行うようなルールは間がないので難しいようです。

神経衰弱の面白さは、めくったカードと自分が覚えている場所のカードが一致したときのうれしさと取ったカードが増えていく楽しさです。必ずしも競争心がなくても取り組めます。一方、ババ抜きはカードが先に無くなる面白さですが、これは競争心がないと楽しくないのです。

さらに、ババを相手が選ぶとカードが減らないので困ってしまうのが面白いと言う相手の心の変化が楽しいのです。また、自分のジョーカーカードを相手が引き抜きやすい場所にしたり、その裏をかいて普通は引き抜きかない場所にジョーカーを仕掛けます。引き抜く側も同じように心理戦をします。

つまり、相手の心を読む面白さがババ抜きの楽しさです。つまり相手を欺くという心の理論が育っていないと面白くもなんともないのです。同じカードがきたら上りに近づくということまでは教えられても、この心理戦の面白さは心の理論の成長がないと難しいのです。トランプを含むカードゲームは、対象の子どもがどういう面白さがわかるのか考えて取り組む必要があります。

心の杖2

Dさんがタブレットを持って車に移動しようとしたので、タブレットを置いて車に行くように職員が指示をしました。普通なら正しい指導です。でも、Dさん今日はお気に入りのクマさん持ってきていません。案の定、持って行く持って行かないのやり取りが続き、最後はギャーと大声を上げてパニックとなりました。こうなると、認めるしかなく、認めてしまえばDさんは「要求を通すには大声で叫ぶとたまに認めてくれる」を学習します。

前回(心の杖:2020/01/13)に書いたように、移動など場面の切り替え時に不安になる人は「心の杖」を支えにして行動することがあります。人によっては杖は木切れの棒であったり使い古しのタオルであったり、お気に入りだけどボロボロの人形だったりします。スヌーピーに出てくるライナスがいつも引きずってくる毛布(ライナスの毛布: 2019/12/03)がそれです。これを汚いから等の理由で取り上げてしまうと、子どもは動けなくなってしまうか、うまくしゃべれない人は怒り出すのです。

Dさんは、この日お気に入りのクマさんを持ってきていませんでした。忘れても移動ができるのは良いことなのですが、肝心な場面になると必要な時があるのです。ところがクマさんはいないとなれば、皆さんならDさんがどんな行動をとると予想しますか?何かお気に入りのものを持って移動する可能性があると思いませんか?今回はそれがタブレットだったのです。それが職員に分かっていれば、駆け引きしなくてよかったので二人に申し訳ないことをしました。車に移動したDさんは、移動が終わったので快くタブレットを返してくれました。

あなた達って誰?

B君C君が部屋に入るときに何が楽しいのかギャーギャー大声で叫ぶのでうるさくてたまりません。そこで、事が起こってから怒っても効果がなく、最初に約束をすることが大事と言う原則を思い出して、職員が「あなた達、さっき部屋に入る前に階段でものすごくうるさかったので、今度下に降りるときは静かに降りてください」と約束しました。

その直後、階段を降りるときさっきの話はなかったかのように大騒ぎで降りて行くので職員は頭を抱えていました。「その時C君、D君って個別に呼び掛けましたか?」「いいえ、あなた達と言って約束しました」「たぶんそれかな」ここの子どもたちは「みんな」とか「あなた達」と2人称複数形で呼ばれると自分の事と認識しない人が多いのです。

また、「あなた達、うるさかったよ」は、「俺じゃないよ、あいつだよ」と思うこともあります。自分のしたことをフィードバックするのはとても苦手な子ども達ですから、子どもと約束する時は固有名詞で呼ぶのがいいよと言う話になりました。

 

 

PECSワークショップ

すてっぷではPECS(絵カード交換式コミュニケーション)の手法を使ってコミュニケーションの支援をしていますが、保護者の方が家で取組んでこそ効果が上がるので、今年度から支援計画の際に保護者の方にPECS支援についてのレベルを確認をするようにしました。

1 保護者がPECSのレベル1ワークショップを受けて家でも子どもに取り組む場合は、事業所でも子どもにPECSトレーニングを実施していく。

2 保護者がワークショップを受けていない場合は、事業所でのコミュニケーション支援はPECSの手法を使うのみとする。

つまり、保護者のワークショップ受講をされている利用者にはマニュアルに沿ってトレーニングを実施します。それ以外の方は、これまで通りPECSやピラミッドアプローチ(応用行動分析に基づいたアプローチ)の手法を使って療育を継続します。

現在、当事業所でワークショップに参加されている利用者は4名です。また、新入会の方が新しくワークショップを希望されています。常勤職員は法人全体で9割の方が受講しています。

学校ではPECSに取り組んでくれないとお悩みの方や、子どものPECSを使う機会を増やしたいとお望みの方は、当法人の事業所までご連絡ください。また、保護者の方でピラミッド社で講習希望の方もご連絡お待ちします。現在は全てリモート学習ですので講習会に出かけずWi-Fi環境のある場所ならご家庭でもお友達と一緒の場所でも受講することができます。土日2日間受講(平日午前4日間受講有)教材付きの受講料は一般: 39,000 円,3人以上団体 : 34,000 円,保護者 & 学生: 29,000 円,PECSサークルメンバー: 34,000 円となっています。

●ワークショップ

1 コミュニケーション
 PECSレベル1ワークショップ
 ASD学習者に上級のコメントや言語概念を教える指導法
 「ダメ」って言っていいの?どう伝えるの??
 PECSレベル2ワークショップ
 9つの重要なコミュニケーションを教える
 一日の中にPECSを組み込む
 お家で楽しくレッスン!
 PECSリフレッシャーセミナー
 PECSスタートアップ?
 PECSから音声表出コミュニケーション機器への移行

2 PECS
 PECSレベル1ワークショップ
 ASD学習者に上級のコメントや言語概念を教える指導法
 ピラミッド教育コンサルタントオブジャパン PECSフェスティバル2021
 PECSレベル2ワークショップ
 一日の中にPECSを組み込む
 PECSの概要
 PECSの復習と問題解決
 PECSリフレッシャーセミナー
 PECSスタートアップ
 PECSから音声表出コミュニケーション機器への移行

3 行動
 応用行動分析入門(PAE®︎ =The Pyramid Approach to Education®︎)リフレッシャーセミナー
 応用行動分析入門(PAE®︎) 教育へのピラミッドアプローチ®️
 お家で楽しくレッスン!

基準のあいまいな理由

A君の検査を児相で行うと発達指数が高かったので、療育手帳を返すように言われ返上したそうです。療育手帳がなくても法律上は児童通所支援事業は使えますが、このままではサービスが使えなくなるのではないかと保護者の方は心配されています。例えば、京都市療育手帳交付要綱での目的は、「第1条 この要綱は,知的障害児及び知的障害者に対して(中略)これらの者に対する各種の援助措置を受け易くするため(中略)知的障害者の福祉の増進に資することを目的とする」とあり、知的障害者の判定に基づくものです。ただ、国は知的障害の基準を定めていません。従って、判定を任される各自治体によって境界域の人の知的障害の判定範囲が違うことがあります。

判定にあたる児相や知更相は、概ねWHOが定めたICDの知的障害の基準で、各相談所の心理士が検査し医師が診断することになっています。その大枠は、知能検査の平均を100点としたときに2標準偏差(30点)以上低いと知的障害の範囲内だとしています。しかし、IQが70を超えていても日常生活が困難な人たちもいますから、こうした人も知的障害として診断し療育手帳を発行しています。ICF(国際生活機能分類)では社会参加の状態を健康の基準にしていて、IQだけで判断してはいけないとされています。逆に、IQが70近辺でも学習や生活に支障がなければ知的障害とは言えない場合もあるかもしれません。

障害はその国の文化の状況にも影響され、知的障害の判定もまた時代や環境に影響されやすいと言えます。これが、基準があいまいな理由なのです。しかし、ここまで書いたように、あくまでもこれは当事者が困っているなら最大限に適用してしてサービスに結びつくようにしたものです。境界域の人を決まった数値で足きりしないために境界を曖昧にしているのです。下の図は正規分布のグラフですが、グラフのIQ85〜70の知的障害の境界域は空白ではなく連続的に続いているのです。ここから知的障害にしますと言う線引きは科学的でも公平でもないのです。

同じようなことで、特別支援学級や支援学校に在籍していたら児童通所サービスは行うが、通常学級在籍の人には受給者証を発行しないというようなことを平気で言う行政官がいるそうです。世界の特別支援教育の流れは、在籍でサービス量を決めず、個々人の特別なニーズでサービス量を決め、障害のあるなしに関わらず通常のインクルーシブな環境に入れようとしています。それなのに、特別支援の在籍がないと児童通所サービスが受けられないとなれば障害のある人をどんどん特別支援学級や支援学校に囲い込むことになります。これが多様性社会と逆行するのは、ちょっと想像すればわかることです。在籍で線引きをすれば決める人は楽でしょうが、境界域の人は通常学級で生活や学習に困難を抱えていても療育サービスを受けることができません。

確かに、学校も在籍で特別支援の人員など財政的根拠ができるのでサービスの必要な人にはできるだけ特別支援学級在籍に誘導します。その結果、今の特別支援学級は一昔前なら通常学級にいた人がたくさん在籍しています。その分、昔は支援学級にいた子が、支援学校に流れ込んで、都市部ではこれが支援学校の過密を生む原因の一つにもなっています。しかし、これは学校定数法が多様性社会と言う名前すら生まれていない大昔に作られた法律であることが原因です。ゆくゆくは欧米のように個人のニーズで決まるバウチャーサービスのように変化していくと思います。

サービスの正しい在り方は、一人一人の個性を見てその弱い部分に支援が必要なものかどうか、社会の変化に応じて支給の是非を考えることです。数値だけで判断するポンコツ診断や、特別支援の在籍の有無でサービスの有無を決めてはならないのです。通所支援事業の対象も明確な基準を設けていないのは、困難は個人や家庭の状況によって違うので、相談内容で決めて行こうという事になっているからです。先ほども述べたように、このあいまいさは境界域をできるだけ不利にしないという趣旨からです。

児相の判定が知能検査の数値に引っ張られすぎていると感じる時もあります。知能検査の数値が安定するのは高学年以降ですから、それまでは疑わしきは支援すればいいのだと思います。療育支援は早い方が効果があり、不必要な支援は子どもの方から断ってくるものです。そして、時期を逃すと療育支援のコストパフォーマンスはガクンと落ち、当事者の受け入れのモチベーションもなかなか上がらないものです。問題が大きくなってからの対症療法的支援よりも予防的な支援の方が良いのはどんなジャンルでも同じです。

 

発達検査

Zさんが今日も漢字に苦しんでいます。見ると中学年の漢字のドリルです。1学期も半分が過ぎ、どんなに資料がなくても、もうそろそろ子どもの事がわかってきていいはずです。特に学力は認知面と連動しており、検査報告があればどんなにポンコツな検査報告でも出来不出来の報告で察しが付くはずです。

ブロックデザインと言って立方体の6面の色形が違う積み木を4つ組み合わせて平面モデルと同じ模様を作る課題で、斜めの構成が難しいと書かれています。ひし形模写も歪み、人物完成も片方に書かれている耳や頭髪を見落として描いていません。漢字は斜めの構成や左右のバランス、全体を見渡し細部までの模写力が問われる課題です。発達検査では例えばこのように学力が何故つかないかが推測できるのです。

また、漢字書字の困難の背景要因の8つのタイプに分けることができ、①視覚記銘力の困難 ②図形構成力の困難 ③書字の継次処理能力の困難 ④手指の不器用さ ⑤全般的な知的機能の困難 ⑥注意力の困難 ⑦発達性読み書き障害の症状 ⑧発達性Gerstmann症候群の症状と様々な原因がわかっています。

ところが学習は積み上げだと信じて疑わない教師は、こうした視空間認知のことが理解できないので、1年の漢字の次は2年と進めたがるのです。せっかく検査をしたのに実際の現場で何の役にも立っていない検査は少なくありません。通常学級の教師ならまだ仕方がないにしても(発達心理学は教員養成の必修ですが)特別支援教育についている教員がこれでは困ります。しかも、その検査が部署は違うにすれ、同じ学校で実施されているとすれば信用問題ですし、何よりZさんが検査で頑張った努力が水の泡です。

 

 

子どもが怒るわけ

先週の土曜日お天気が良かったので小学生チームは第2鉄塔まで登ってお弁当を食べて思いっきり遊んできたそうです。とても楽しく遊んだと言う職員の報告だったので、他の職員がY君に感想を聞いたそうです。すると突然嫌な顔をして「なーんも面白くなかった」とけんもほろろだったそうです。

Y君はみんなの中で一番はしゃいでいてそんなはずないと職員が言います。よく考えてみるとY君は決まった職員にいつも嫌悪的な反応をするのです。その場の理由がないわけではないのですが、どちらか言うとその職員を敵と決めているようです。それならY君に話しかけないでおくと職員が言うので、それは余計に誤解を増やすだけだと止めました。

ABC分析で考えると、「職員が質問してくる」「職員をディスる」「職員が黙る」という職員を黙らせるためのルーティンです。確かに、話しかけなければ、黙らせる必要もないのでこの関係性は終了しますが、Y君に相手を黙らせたければディスり続ければいいという間違った学習をさせてしまうし、見放されたと言う誤解も与えます。子どもの気持ちと行動は大人よりはるかにアンビバレンツです。

まずは、何が腹が立つのかを聞きます。そして「ごめんね」「そんなふうに思ったなら辛かったね」「仲直りしてね」と言います。職員が子どもの言い方に腹が立ち、黙り込んで暗黙の怒りを示す事があると思いますが、他者感情が読みにくい子には逆効果です。「勝った」と誤解するか「もっと言ってやる」とバーストさせてしまうかのどちらかです。

子どもは腹立たしいことを言いますが、大人に歯向かう意図はなく、つもりに積もった疑問を怒りに任せてしまい上手に表現できないだけです。乱暴な言い方のあれこれには反応せず、怒りの理由を子どもに穏やかに尋ねてみることが大事です。

 

マッチングの力

X君は言葉のないASDの利用者です。新しい環境では要求がなかなかでないので職員もあれこれ働きかけるのですが振り向きもしてくれません。ところが、他の子のために台の上に積んでおいた自立課題のかごをみてきらりと目の奥が光ったように見えたので、試しにマッチング課題を取り組んでみると、どんどん取り組んでいたという報告がありました。

X君は昔から発達障害のある子どもへの民間療育に通っています。そこで長く「概念学習プログラム」を取り組んでいるそうです。これは、簡単に言えばすてっぷや自閉症の専門療育では良く取り組まれるプットイン教材やマッチング教材、組み立て教材のことです。30年以上前からあるプログラムで主に認知レベルを引き上げ言語に結びつけていくことを目的にしていると聞きます。

すてっぷでは、認知面を引き上げることよりも「一人で取組み完成させる」自立性を大事にしています。これは、就労場面での作業などを意識したものです。もちろん、最初は職員と対面で新しいものに取り組むところは他のプログラムと同じですが、概念形成や言語獲得を狙ってはいません。そして、一人で準備し一人で完成し一人で片づけて「よくできたね」と褒めてもらって自尊感情を高めることを狙いとしているので、つねに職員が付かないとできないような課題はしないことが原則です。

さて、マッチング課題でX君は色マッチングが得意のようで、すぐに仕上げてもっとやりたいという感じです。それならと職員も夜なべしてたくさんのカラーマッチングの教材を作りました。ASDの子どもは目で見てわかるものが好きですから自立課題にはまりやすいです。X君のような子が大勢いると職員も教材開発に俄然力が入るので、ありがたい存在ともいえます。さて来週はどんな新教材ができるでしょうか楽しみ楽しみ。

小さい「つ」の入る言葉 Y先生のアイデア通信3

小さい「つ」の入る言葉、どれぐらい集められる?

Y先生のアイデア通信3

放課後デイ「じゃんぷ」に来ている子どもに、みんなで協力して小さい「つ」のある言葉を集めてくれないかと話すと、3年生の女の子がどんどん集めてくれました。
そして先日100個集めることができて、終了。その女の子が協力してくれたほかの子に手作りメダルを作って渡す用意をしてくれました。一つのことに何日も取り組んでくれた上に、「お母さん、ほかに何かない?」と聞くなど、家でも話題にするほどずっと気にかけていてくれていた、その子のエネルギーにも感動でした。

小学校での読み書きや日記や作文の場面で、よく困るのが小さい「つ」の入る言葉です。
1年生の授業で1~2時間学習するのですが、なかなか定着できず、場合によっては中学生になるまでレポートや感想文を書く際に抜けて記述しているケースもあります。

小さい「つ」音は、ほかの伸ばす音、小さい「や」「ゆ」「よ」等と合わせて特殊音節といって、普段話し言葉では使っているのですが、書く時には特有のルールを知る必要があるのです。
しかし、ルールが定着することなく、経験的にその言葉をみてどっちかなと悩んでいるだけの学習だと、正確には定着されにくいのです。

では子どもたちが、その特殊音節(ほかにもカタカナで書く言葉)のある言葉を日常的にどこまで知っているでしょうか?大人でも小さい「つ」のつく言葉を何個集められるでしょうか?

読み書きのルールと言葉集めが結びついて分かっていくことが大切なのです。繰り返し書いて、プリント学習するだけでは難しいのです。言葉や文を読み書きする時に、こんなルールになっているんだと分かっていることが必要なのです。

言葉が通じない

視覚支援を嫌う支援者が使う常套句に、視覚支援など使わなくても子どもは日課を理解するし、怒ったり泣いたりするのは他に自分のやりたいことがあるときで、そんなことは誰でもある事だから我慢させるのも教育だと説明をする人がいます。たぶん、こういう人は海外等で言葉が通じない体験をしたことがないのだと思います。言葉が通じなくて生活がスムースに行かないと本当に自分が情けなくなり、自尊心が持てなくなり、更にコミュニケーションを避ける悪循環に陥ります。

言葉の通じない環境で最も困るのが相手の誤解です。我々が言語を理解していると現地人に思われることです。そうなると、何の配慮もなくフレンドリーにベラベラ話しかけ、我々がちぐはぐなことをすると逆に怒ったりします。さらに困るのは緊急時です。物をなくした、体の調子が悪い、想定外の事が生じた場合、我々も焦って混乱しているので、いつものカタコトのコミュニケーションも取れなくなります。

誰でも何回か同じことを繰り返せば言葉がわからなくても予測はついてきます。しかし、そのことと今起こっていることを正確に理解したり情報を求められるかどうかは全く違うのですが、言葉がわかってきたと誤解されます。教育や療育の現場で絵カードを使わずに、この子は分かっていると言う人はこれと同じです。「この子はわかっている」と一見子どもを持ち上げたような説明は、機能的なコミュニケーションの困難な子どもには迷惑なだけです。

コミュニケーションは人権だと言われる時代に、機能的なコミュニケーションが困難な子どもに視覚支援をはじめとする代替手段が必要ないと公然と発言する人がいるのはとても残念です。私たちが視覚支援の成果を地道に発信していくしかないと思います。かたくなに視覚支援を拒む人の中には、かつて視覚支援にとりくんでいたのに、周囲の理解がなく傷つけられてトラウマになっている方も見かけます。この国は、同調圧力が強くて事実や内容の議論にならず、自らと異なる意見を認めようとしないくせがあります。それが支援者や保護者を傷つけていくのだとすれば悲しいことです。言葉が通じる人同士でも真意が伝わらないのですから、言葉が通じなければ推して知るべしでしょう。

 

そのタメ口どうします?

低学年のT君がカードゲームの際に、高学年のV君に対してカードを「早よ(早く)配れや!」とため口をたたいたので、指導したという職員の報告がありました。T君は最近仲間とのやり取りの楽しさがわかってきた子どもです。そこで、ASDのT君に今高学年とのやり取りのルールを入れるのは彼のやりとりの自発性を抑制してしまわないか話し合いました。

友達同士で遊んでいる時にため口なのはむしろ自然です。ただ、事業所は年齢の違う子どもたちで遊ぶことが多いので、高学年に対する言葉の配慮が必要となります。しかし、T君にとってはこのルールは結構難しいハードルです。今はT君に「ため口でなく、言葉の最後に「~ね」をつけましょうと教えなくてもいいのではないかと話し合いました。ルールに従順なT君に微妙な対応を教えることで遊びのやり取りの際に混乱して自発性が失われるのを危惧したのです。

ここは、低学年児からため口叩かれても受け流したV君を褒めようということになりました。そして、高学年に憧れる低学年児は言葉まで真似するけど、高学年の人が手本を見せれば、きっとそれも真似をするから長い目でT君らを見守ってやって欲しいとお願いすることにしました。学校では「ちくちく言葉ふわふわ言葉」として通常級でも扱うコミュニケーションルールですが、機械的に教えようとするのではなく、その子によって、所属する集団によって教えるタイミングがあると思います。

子どもの行動に対しての「何故」「どうして」を大事に

S君の支援計画作成会議で行動の切り替えが悪くふてくされていたりしんどそうにすることが多いので、感情の表現カードを教えたいという提案がありました。子どもたちに「うれしい・悲しい・元気・しんどい・好き・嫌い」等の感情の表現を教えることは大事です。その感情を絵で大人に理解してもらい不適切行動を爆発させずに、カタルシスを得ることは、ASD利用者のケースで私たちは経験してきています。

S君の場合、家への帰り際に「帰りたくない」と固まったり、トイレにこもったりするので、同じように感情の表現ができればうまくいくという提案です。でも、S君は「帰るのは嫌だ」と表現しているのですから感情表現ができていないわけではありません。S君は「帰りたくない」その理由をうまく言語化できないことに問題があり、理由を述べる6歳前に芽生える論理力がまだ未成熟だということです。

しかし、S君の言語力を引き上げることは急には難しいです。S君は自力で通所はできるのですが、事業所から一人で帰ると言う切り替え時に、気持ちが行ったり来たりするようです。私たちは、半年間、彼のためらいを見守ってきたのですが、どうも彼だけの力で決断は難しそうでした。5月からは「約束だから、帰りなさい」と促すように変えました。

嫌な理由の言語表出が苦手で「カタルシス作戦」が望めなくても他の方法があります。しんどいと言ったりトイレにこもる彼の行動が、注意喚起だとすれば、良い行動にたくさん注目してその「勢い」で帰宅行動に切り替える、つまり「さすがは高等部!」と褒める事かなと話し合いました。S君はできて当たり前で失敗すると注意を受けるタイプの子どもなので、褒められて注目されることは少ないからです。

何かの手法で成功しても、成功したのはあれこれの手法の前に的確な分析があるからです。間違った手法を使う事で成果が出ないばかりか、子供に悪影響を与える事もあります。支援者の子ども理解が不十分なことが原因なのに、あたかも手法が問題であるかのように「構造化は無駄。視覚支援は意味ない。PECSは効果ない」等と誤解されるのはとても残念なことです。子どもの行動に対して、「何故?」「どうして?」と常に問いかけ最適解に近づこうとする支援者の姿勢が大事だと思います。

ボタンキラキラBOX2号機(改良型)

前回、VOCAが使えるようになるには、まずボタンに興味を持つことが必要で、そのための玩具の開発が必要(ボタンキラキラBOX1号機: 04/22)と書きました。しかし、1号機のボタンはパナソニック製で頑丈ではあるのですが、イルミネーションセットのボタンには適していないオンオフ切り替えのオルタネイトスイッチです。また、Rちゃんは机のものはなんでも投げるので固定しやすい安価なボタンを探していました。

探せばあるものです。アーケードゲーム機用の直径6cmドーム型スイッチが12V LEDランプとモーメンタリのマイクロスイッチ付きで460円という手ごろな値段で売り出されていたのです。ボタン自体も押せば光るパターンと押せば消えるパターンの両方の設定ができます。後者は通常ボタンが光ったままで興味は持たせやすいですが電池がすぐに消耗するので前者にセットしています。そしてかごを机にくくりつければボタンは動かすことができないので投げられることもありません。

さて、これでRちゃんにボタン押しに興味を持ってもらう事はできるでしょうか。これでだめなら部屋中がイルミネーションで光るボタンを考えようかと思っています。法人は大赤字なのにヒットしない玩具開発にいくら注ぎ込む気かと背中に突き刺さる職員の眼差しが痛いです。

 

平等と公平

Pちゃんのお気に入りの紫色のタブレットを高学年のQさんが使っていたので、Pちゃんが「替わってください」と言いました。Qさんは、「まだおやつ食べているでしょ」とPちゃんに言いました。Pちゃんはおやつ食べたら替わってくれるものと思い、おやつを大急ぎで食べて「替わってください」と言いました。「いやや」とQさん。Pちゃんの誤解とは言うもののQさんの御無体な対応に、Pちゃんは大泣きです。その上に、「大声で泣いてはいけません」だのと職員から言われるので、泣きっ面に蜂です。

高学年のQさんには指導が必要でした。言葉が十分伝わらない低学年の子どもには丁寧に伝える工夫やそれが難しいなら譲ってあげることも必要だという事です。そして、誤解を与えたなら謝ってあげることも大事だということです。しかし、小学校高学年の子どもたちの間では、「俺らは、約束を守らされるのに、支援学校の子は守らなくてもいいのは不公平だ」とちょくちょく言っています。私たちは、彼がそう口走ったときはそのまま放置しないことにしています。きっと彼らも他の場面では知らないところで不公平だと誹りを受けているからです。

言葉がわからなかったり、ルールがわからない時期は君たちにもあったはずだし、今だって、漢字が書けなかったり計算が遅かったりする君たちに不公平だからと同学年と同じだけ宿題が出ているかと聞きます。同じように、言葉がわからなかったりルールがわからない支援学校の子どもは、言葉やルールの勉強中だが、その意味がまだ分からない場合に君らと同じルールにすることが公平だと言えるか?と聞いています。

大抵の子どもたちはしばらく考えて「わからん」と言います。それでいいと思います。感情的な平等論が世の中にはあふれかえっています。その中で彼らは生きているのですから簡単に答えは出ないはずです。でも職員は彼らの疑問を聞き過ごしてはいけないし押し付けてもいけないと考えています。平等と公平は考え方の質が違います。民主主義社会は公平を是とする社会です。公平とは何かを何度も考える機会を作りたいと思います。

 

何故調子がいいのか?

「頭打ちの自傷行動も見られるNさんが今日はにこにこして調子が良かった」「発作の続いているO君は今日もソファーの上でじっとしていて調子が悪かった」などと言う調子の良い悪いだけでなくその調子の理由も考えて報告する必要性を前にも書きました。(調子がいい理由: 04/20

調子が良いなら、何故調子が良いのか、悪いなら何が原因だと思うのか、その時の環境の変化や本人の体調の変化(排便・歯痛・睡眠)、支援者の支援の変化なども同時に観察して報告しないといつまでも因果関係がわかりません。喉元過ぎれば熱さ忘れるで、調子が悪い時はあれこれ理由を考えますが、良くなると「調子が良かった」「穏やかだった」で終わりでは支援者の名が廃ります。

理由も想像や憶測ではなく、具体的な事実に基づいた理由が必要です。そのためには、保護者や学校にも協力してもらい、バイタルのチェックリストや人も含めた環境チェックが必要となります。子どもの行動を「何故」と問う姿勢が支援の質を高めていきます。

 

自立課題と個別課題

支援学校のLさんに、自立課題をしてもらったという報告があったので、「なんのために」と聞くと特に理由はないとのことでした。Lさんは低学年の漢字ドリルや計算ドリルをしている人で、週1回の利用者です。課題が適切であれば宿題は自分でできる人にマッチングや分類、組み立てやパズルが中心の自立課題を提供する意味がありません。意味がないのに時間つぶし程度に与えていることに気付いてほしかったのです。

逆に1年生のM君は、じっとしていることがなく衝動的に動き回っている子どもです。彼には一人で課題を一定時間こなす経験の積み上げが必要です。「なぜM君には自立課題を与えないのか」と職員に質問すると、通常学校の小学生グループだから考えなかったそうです。在籍が通常学校の子どもでも支援学校の子どもでも、一定時間座って課題に取り組むことは必要な事です。M君にはまず自立課題で一定時間一人で課題をやり遂げる経験が必要なのです。

子どもの課題内容は子どもの在籍学校で決まるものではありません。その人の特性や経験そして与えられた利用時間で決めるものです。どちらも、新しい通所者だったので、課題が分からずに与えたのかも知れないですが、そのために支援計画はあるのですから半年に一度見るのではなく、毎回ことあるたびに振り返ろうと話しています。個別課題は子どもの特性に応じた課題一般の事を指し、自立課題は一人で自立達成できる課題のことです。

利用回数と支援計画

K君の支援計画について話し合いました。K君は言葉がなくルーティンで生活の内容は理解しますが、絵カードで示してもこれから行う事は理解しにくいようです。でも、マッチングや組み合わせ作業は簡単なものなら一人で行う事ができます。そこでK君の半年の目標を表出のコミュニケーションとしてPECSトレーニングを、理解コミュニケーションとしてスケジュール理解を職員は提案をしました。

そこで、議論になったのがK君の通所回数でした。週1回の2時間程度の療育でその目標が可能かどうかということでした。PECSのトレーニングは他の場所でも短時間でも毎日取り組む必要があるし、できるようになった絵カード交換は生活の中で毎日取り組まないと身につくことはありません。また、絵カードによるスケジュール理解は、まず交渉の理解から始まります。「~したら~」や「~を少し待てば~」という強化子と具体物や絵カードを用いて交渉がわかるようになってから、スケジュールスキルを学びます。これも、別の場所でも構わないですが、毎日使わないと身につくものではありません。学校や自宅で可能かどうかは今のところ未知数です。

そこで、現実的には週1回2時間で何ができるかを職員で議論しました。まず、本人が得意とするマッチングや組み合わせの力を引き出せるような教材教具の用意をし自立的にできることを第一の目標にしました。二つ目は、遊具やおやつにも大好きなものがあるので、日常の生活の中で絵カードで選べることを目標にしました。

重度の方の場合、目標設定は最初は同じ場所同じ支援で実現することがセオリーなのですが、現実はそううまくはいきません。個別サポート加算で重度の方に1日1000円程度の差を作る仕組みでは、事業所全体の障害や年齢などの利用者のバランスをある程度取らないと運営が成り立ちません。また、定員が決まっているので、これまでの利用者を優先すると思ったように利用日が取れないこともあります。本人のアセスメントを行い必要な療育サービスを手配したり、その事業所や家庭、学校連携は本来相談事業所が行う内容です。しかし、手いっぱいの相談事業所にそこまで望めないというのも現実なのです。

自立課題と指示待ち

学校が始まった頃から指示待ちが強くなっているJ君に、自立課題に立体パズルのLaQを使ったという報告がありました。「人型モデルでも作れるから」というのが職員の言い分ですが、この間J君の指示待ちについて、やれと言われても出来ない時に怒りが生じやすかったり、指示待ちが多い時にフラッシュバックして他害に及びやすいという話をしてきたのですから、配慮が必要ではないかと話しました。縦横1cm程度のパーツの立体パズルを分かっているけど指示がないとできない事がどれほど苦痛か想像してほしいと話しました。療育で大事なことは、わかるかどうかだけではなく、一人でできるコンディションにあるかどうかを見極めるのがASDをはじめとする発達障害のある人たちの療育なのです。

作り方も手順もみんな理解していていても何度も「これでいいか?」と職員に聞かなければならない強迫性は消えていないのです。そんな状況で職員に1ステップごとに「それでいいよ」と言われて完成しても「一人でできた」感は全く味わえません。自立課題の目的は、一人でできるかどうかです。指示待ちが多いなら、少し簡単でも「キャップ締め」や簡単な「マッチング」でいいのです。一人でできてこそなんぼです。どうして、当事者の気持ちを考えずに課題を与えることが先行するのか、自立課題の意味を職員全体に伝えるにはどうすればいいのか話し合う事が必要だと考えています。

 

リコーダー支援グッズ Y先生のアイデア通信2

リコーダー支援グッズ Y先生のアイデア通信2

3年生の子どもたちがじゃんぷ(放デイ)にきています。
学校で子どもたちが困ることは学年によって共通しています。

3年生ではリコーダーが始まります。リコーダーが始まって困ることの多くは
①指で押さえる穴がぴったり押さえられず、すきまができる。
②見本の手を見ていると左右が反対になる。
③はじめは簡単な楽譜からスタートするのでできているつもりだが、曲になるとふけなくなる。
④楽譜の音と指とふく動作を3つ以上になるので同時にできない。
⑤そうなると 速さについていけなくなる。
⑥家でゆっくり練習していても、低い音がうまくでなくて曲にならないのでいやになる。
などなど その局面で様々です。

まず大事なことは単純な音出しの時に、うまく穴を押さえられるようにすることです。
しかし穴がどこにあって、どれぐらいのぴったりさで押さえたらいいのかが分かりにくいのです。しっかり押さえようとして力が入りすぎると余計にぎこちなくなっていやになります。その時に抑えやすくすることをサポートして音を出しやすくすると楽に練習できます。いま便利なグッズが出ています。

次に手が反対になるケースです。反対になるのには理由があります。
右利きの子は右手でリコーダーを操作してしまいます。指を動かすことと支えることが同時にできるのは右手だからです。
そこでリコーダーを支えるサポートすると、左手でも指が操作しやすくなります。その道具が最初からリコーダーにはついています。その使い方を教え、慣れるまで十分に使わせてあげることです。

穴がうまく押さえられて、持ち方が落ち着いてくると、曲に合わせるようになります。音階と運指がうまく合うようにサポートします。いろいろな方法がありますが、一番の悩みは「この音はどんな押さえ方だった?」と悩んでしまい、間に合わなくなることです。
そこで、運指を簡単な図で示し、音と曲に合わせてすぐにわかるようにします。下のような楽譜にすると分かりやすくなります。
それをすぐに作れるシール(ハンコ)も発売されています。

ほかにも子どもたちの困りポイント(サポートのヒント)はあります。ぜひ一度相談ください。

リコーダー 運指ゴムスタンプ

ふえピタ ソプラノリコーダー用演奏補助シール(amazon)

Y先生のアイデア通信

じゃんぷではちょっとしたアイデアで学校の学習等が取り組みやすくなるものを紹介しています!

小学生は学校と家庭と地域でコミュニケーションや社会性を広げていきます。

その中でも学習にかかわる時間は多いものです。保護者の悩みも学習に関することが多くなります。学習している学校や家庭での宿題の場面で、ちょっとしたアイデアやサポートを知っていると過ごしやすくなります。

学習の中でも「書く」ことが一番多くなります。
「ていねいに書いて」
「3年生になったらすばやく書いてね」
「よく見て書いて」
などなど学年が変わると今までとはちがう声かけが多くなります。

書いていると、書くことに必死でどこを書いているのかわからなくなったり、覚えて書こうと思うと書くたびに違う字になったりします。
早く書いて友達と遊びたいけど、時間が足りない、家でも書き直しが多くなり書きたくなくなるなどの悩みをよく聞きます。
特に小学生のサポートは学習と切り離せません。中でも「書く」ことと過ごしやすさは切り離せません。学習をうまく支援することで生活もすごしやすくなるのです。

そこで「書く」ことの大変さを理解する時に、案外見落とすのが筆圧の強さです。丁寧に書こう、きれいに書こうとして強くなります。強くなると時間がかかります。書き直しがあると時間がかかり、いやになることが多くなります。

「じゃんぷ」では、こんな道具を使って書いてみませんかと紹介し、体験してもらい自分の学習方法を見つけてもらいます。一人一人に応じて様々なものが出ていますので使いやすいものをお知らせしています。
相談したい方はぜひご連絡ください。

Y通信1 「書く」.pdf

子どもに待たせること

昨日のIちゃんは、うろうろして落ち着かず調子が悪かったという報告がありました。高いところには上がるし、外に出ようとするし、言う事をきかないので職員から叱られていたというものです。こういう、現象だけを捉えた子どもの報告は良くあることです。私たちは、そこで必ず「なぜだと思うか」と職員間で話し合う事にしています。

現象だけ聞いていると、子どもの不適切な行動が、あたかも偶然そうなったかのように受け止められるからです。しかし、それでは、職員間で報告している意味がありません。調子が悪いので子どもが不適切な行動をしたというのは「天気が悪いから雨が降った」という表現と同じで、理由になっていないのです。子どもの不適切な行動の引き金を引くのは、ほとんどは職員側にあるという仮説に立って、「なぜそんな行動をしたと思うのか」を職員間で話し合うことが大事です。

その日Iちゃんは、みんなより早く帰ってきて、スケジュールの提示もなく、これをしてみんなが来るまで待とうという提案もなく職員と待っていたと言います。タブレットを触ると「もうすぐみんな帰ってくるからダメ」、2階へあがろうとしてもダメと言われれば、窓によじ登るか、外に飛び出すかしかHちゃんには残されていません。

待つと言う意味が分からない子どもに待って欲しいなら、子どもが好きそうなことで「待つ」(~するまでは~して待つ)約束を提案することが大事だと言うことを話し合いました。よくタイマーを提案する人がいるのですが、タイマーを使っても意味もなく待てないし、嫌なことを知らせる(好きなことをやめる)タイマーも「待つ」練習の導入にはふさわしくありません。

敬語はどこで学ぶか

みんなで公園で遊んでいると、他の放デイ事業所も来ていて鬼ごっこをしていました。走ること大好き少年H君は鬼ごっこがしたくてたまらないようですが、今日のすてっぷの面子では面白みに欠けます。「あの、僕鬼ごっこがしたいねんけど、僕だけあそこで鬼ごっこしてきてもいい?」と聞くので了解しました。でも恥ずかしいから職員に横についていて欲しいというので、ついていくだけと言う条件でついていきました。

「あの、おにごっこに入らしていただいてよろしいでしょうか?」と初対面の職員さんに話しかけたのです。H君がそんな言葉ですてっぷの職員に話したこと一回もなかったのですごいなと、感心したそうです。どこでそんな語彙を身に着けているのでしょうか?本読みは漫画含めて大嫌いなH君なので、敬語なんて使えないと思っていた大人が間違いでした。

敬語なんて聞いてない感じだけど、結構聞いているんだなと改めて感心しています。読むことと聞くことは違うのです。聞くことで様々な応用ができるならどんどん聞けばいいのです。帰りがけに「お礼は?」と職員が促すと、また袖を引くので付き添いだけすると「今日は、ありがとうございました。また、入れていただいてもよろしいですか?また、遊んでください。失礼します。さようなら」と、教えたわけでないのにすらすら口上を述べるH君に職員は脱帽したと言います。

  

トイレ考

Gちゃんは、紙オムツです。でも、排泄があると必ず自分でオムツを履き替えて上下とも完璧に着替えています。それなのに、定時排泄では一切排泄はせずトイレの外でオムツに排泄して自分で新しいオムツと衣服に着替えます。着替えが自分だけで完璧にできるのは、ご家族や就学前施設の方が丁寧に教えられた賜だと思います。でも、こんなに丁寧に衣服の着脱ができるのに、なぜ排泄だけはトイレでできないのかが話し合いました。

そういえば、持ってきたお弁当の扱いもほぼ一人で出し入れや片付けができます。教えられたことは、ほぼ一人でできるのです。Gちゃんはお話ができないけれど日常生活のことで聞いたことはほぼ理解できていると引き継ぎを受けています。私たちは喋れない人が状況を理解する時、言葉だけでなく見たもので理解できるように支援します。そして、喋れない人には、見えないものは伝わりにくいので、オーダーメイドの支援が必要で、体性感覚など視覚支援がしにくいものは工夫がかなり必要だと感じています。

もちろん、喋れない人でも排泄の自立をしている人はいますが、「喋れる人」で排泄自立ができていない人はいません。肢体不自由があっても排泄の援助要求ができることを自立とみるなら、喋れる人は皆排泄が自立していると言えます。子どもの成長を見ても、遅い早いはあっても喋れるようになるとともに排泄は自立していきます。つまり、排泄自立は双方向のコミュニケーションが成立している中で教えることができるようです。

大人が「ウンチ頑張って」と子どもも一緒に「うーん」「うーん」と言って意味を共有するから体性感覚と理解言語・表出言語が結びつくのでしょう。では、Gちゃんをはじめとする、「おむつに排泄はするもの」と思っている人たちにはどう伝えれば上手くいくでしょう。ちなみにGちゃんは女子なので男子のようにおしっこを視覚的に確認するのもやや難しいです。大人も「うーん、うーん」といろいろ考えて挑戦しようと職員で話しました。良いアイデアが実践されたらまた報告します。